見もの・読みもの日記

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篭絡されたメディア/誰が「橋下徹」をつくったか(松本創)

2015-12-27 23:56:58 | 読んだもの(書籍)
○松本創『誰が「橋下徹」をつくったか:大阪都構想とメディアの迷走』 140B(イチヨンマルビー) 2015.11

 2008年1月、橋下徹は大阪府知事選に当選し、38歳の史上最年少(当時)知事が誕生した。大阪の熱気は、メディアを通して関東在住の私にも届いていたが、現地の「異様な興奮」はそんな程度ではなかったのだろう。それから8年。たびかさなるメディア攻撃、個人攻撃。府知事から大阪市長への転身。大阪維新の会から日本維新の会さらに維新の党へ。大阪都構想をめぐる住民投票、等々。結局、何か「成果」と言えるものはあまり残っていないのだが、とにかく話題には事欠かなかった。神戸新聞の記者として、そしてフリーランスのジャーナリストとして、在阪メディアの中で一部始終を見て来た著者は「大阪を空疎な熱狂と不毛な対立で煽り、混乱と停滞に陥れた『橋下現象』」と振り返る。

 橋下徹の言論が、基本的に詭弁で成り立っていることは、彼の弁護士時代の著書『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』が明らかにしている。「詭弁、すり替え、前言撤回、責任転嫁などを”交渉術”として得々と披瀝する内容」だそうで、その記述と、実際に都構想をめぐる議会や記者とのやり取りを並べて読むと、げんなりするほど合致している。しかし、詭弁であろうと口撃であろうと、キャッチ―なワンフレーズを繰り出せる橋下のメディア的な価値は高い。平松邦夫前市長のような教養ある知識人では、大衆の好む絵にならないのだ。そして、テレビをはじめとするメディアは、数字の取れる「おいしいネタ」をふりまいてくれる橋下に軽々と篭絡されてしまった。

 新聞はどうか。2013年5月に朝日新聞社労働組合が神戸で開催したシンポジウム「言論の自由を考える5.3集会」の様子が興味深い。大阪府立高校の国歌斉唱条例で街頭アンケートを取ったら、予想に反して賛成が圧倒的多数だった。リベラル・護憲を看板に良心的に世論をリードしてきたつもりが、振り返れば誰もいなかった。世の中が見えていたのは橋下氏の方だった。――以上は「朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き」として、シンポジウムの直前に紙面に掲載されたものだという。この記事を書いた論説委員の稲垣えみ子(当時)は、たとえば日の丸・君が代問題となると、護憲派の学者さんや組合活動家に聞いて記事を仕立てるのが「伝統芸能みたいになって」いたと率直に語っている。橋下徹という存在は、そこを突いてきたんだな、ということを感じる。陳腐化した伝統芸能は、一度、膿を出して、再生しなければならないと思う。

 現在の橋下は「多数者の専制」を体現している。これは中島岳志先生の指摘。多数者が絶対的な力をもつのは民主主義の本質であるけれど、一度多数が形成されると(≒選挙で首長が選ばれると)誰もが競ってその後に従おうとし、民衆を中心におきながら民衆が抑圧される事態が起きる。この専制をつくりだすのが、批判を忘れたメディア。中島先生は、朝日放送(ABC)の番組中で、橋下とメディアの関係について、はっきり批判的コメントを述べた顛末が本書に記されている。なるほど、この事件を受けての『「リベラル保守」宣言』出版社変更だったわけか。
 
 なお、上記に関しては、いまのマスコミに橋下批判の視点を期待することは難しいように感じた。最終章で在阪局のプロデューサーが語っているが、テレビ局の社員は一般に自分の能力で競争を勝ち抜いてきた意識が強いので、橋下氏の新自由主義的思想と共振性が高いという分析は、共感できないけど納得できる。新聞も、いまやコストだ、コンプライアンスだみたいなことをいって、グローバリズムと市場原理主義に呑み込まれつつある由。嫌な世の中だ。
 
 ただし、橋下徹も政治家に転身した直後は、確かに大阪の政治の空気を刷新した面があったことも本書を通じて知った(思い出した)。けれど、結局、彼も権力となり、権力は劣化する。テレビタレントとしては面白いかもしれないけど、面白いだけの人物に政治を預けるのは、もう止めたほうがいい。
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