見もの・読みもの日記

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戦後復興から酒格差社会へ/居酒屋の戦後史(橋本健二)

2015-12-15 00:32:30 | 読んだもの(書籍)
○橋本健二『居酒屋の戦後史』(祥伝社新書) 祥伝社 2015.12

 お酒を飲むことは嫌いじゃない。そして、実は飲むこと以上にお酒について書かれた本を読むことがけっこう好きだ。著者の橋本健二氏については、専門の格差・階層研究と同じくらい、その居酒屋フィールドワークにも信頼を置いている。本書は、敗戦直後のヤミ市から、戦後復興、高度経済成長を経て、今日までの日本人の酒の飲み方を考える著作である。

 戦中・戦後の飲酒については、文士たちの日記が多くの情報を提供している。内田百間は、山の手大空襲で焼け出されたとき、飲みかけの日本酒の一升瓶を持ったまま、逃げ回ったのか。忘れていた。そういえば百間先生は造り酒屋の息子だったなあ。高見順や徳川夢声の日記から、どんな時代でもあるところには酒も食料もあったことが分かる。

 ヤミ市について、すごいなと思うのは、本書が多数の視覚的資料を紹介していること。雑誌等に掲載された当時の写真。それから、当時の映画(実際のヤミ市でロケをしたものは少ないが、セットにもリアリティがある)。あとヤミ市の雰囲気がそのまま残っている飲食街として、新宿の「思い出横丁」や静岡の「青葉おでん街」(知らなかった)などが掲載されている。以前、同じ著者の『居酒屋ほろ酔い考現学』で学んだ「やきとり」(鳥肉でなくてもこう呼ぶ)の誕生にも言及がある。

 戦後復興の中で、日本人に定着したのが酎ハイとビール。米や麦より早く統制を外れた芋を原料に甲類焼酎が製造されるようになると、下町では、米兵の飲むハイボールを参考に甲類焼酎の炭酸割りを出す店が現れる。このとき、焼酎ハイボールの素として広まったのが『天羽乃梅』(天羽=てんば=飲料製造)。

 戦後いちはやく生産が回復し、急速に普及した酒はビールだった。清酒の原料である米は食用が優先されたが、ビールの減産幅は小さく、配給制度によって全国の全ての家庭に広まっていた。だが、ビールは相対的に価格が高かったこと、田舎では伝統的な清酒文化が根強かったことから、1959年の統計では、ビールの消費者に偏りが見られる。しかし、高度成長を経て、1974年(著者によれば、日本の経済格差が近現代史で最も小さくなった時期)には、清酒と並ぶ日本人の国民酒となる。当時、私の父の晩酌もビールだったと記憶する。典型的なモーレツサラリーマンだった父が、平日に早く帰って家で飲むことなど、めったになかったけれど。

 ウィスキーは、50年代にハイボールが流行したが、70年代には水割りが普及する。この「何故」について、ウィスキー会社の広告を調べているのは面白い。高度経済成長期には上昇志向が強まり、ウィスキーは「階級社会」的に消費された。財界人を動員したサントリー「世界の名酒」の署名入り広告は覚えている。写真のおじさんたちが何者か全く知らなかったけど、印象に残っている。

 一方で、高度経済成長期にはチェーン居酒屋が誕生した。感銘深かったのは「天狗」。創業者の飯田保は生家が日本橋の酒問屋で、早い時期から美味しい地酒を置いていたことを著者は評価する。また、現在でも深夜営業をせず、閉店時間を23時30分としているのは「従業員・アルバイトの健康管理面を考え」てのことだという。チェーン居酒屋といえば、全てブラック企業であるように考えていた認識を改め、久しぶりに天狗で飲んでみたくなった。最も老舗のチェーン居酒屋は「養老乃瀧」で、私が初めて連れていってもらったチェーン居酒屋でもある。なつかしい。利益至上主義の新興チェーンに負けず、がんばってほしい。

 高度経済成長が終わった1975年頃から始まった地酒ブーム。私がお酒を飲み始めた学生時代はこのブームの最中だった。池袋を中心に多数の名酒居酒屋が具体的に紹介されていて、本書の中でもいちばん楽しい章。「三春駒」は恩師に連れて行ってもらったような気がする。

 最後に再び飲酒に関する統計を読む。かつて日本では、女性は居酒屋文化から排除されてきた。著者の丁寧な説明によれば、これは女性が歴史的に飲酒文化の全てから排除されていたわけではなく、かつては「どぶろく」があった。しかし明治政府は、酒税を徴収するため「どぶろく」の自家製造を違法とし、女性から酒を取り上げた。1970年代後半、ようやく女性が居酒屋に行くことが定着した(まさに私の世代)。現在(2000年以降)は、むしろ女性若年層(30歳未満)以外は、飲酒者・飲酒代が減りつつある。その背景には、格差の拡大・不況と貧困の増大がある。

 収入階級別の飲酒動向をグラフで見せられると、予想通りとはいえ、愕然とする。2000年から2010年にかけて、貧困化の進行とともに非飲酒者(1年間まったく酒を飲まない人)が増え、収入による飲酒パターンの差が小さい「酒中流社会」(1974年)から、収入階層によって飲酒傾向があきらかに変わる「酒格差社会」(2009年)に移行してしまった。豊かな階層はビール・日本酒に加えて、ワイン・ウィスキーを楽しみ、中間層はビールよりも発泡酒、最下層は焼酎さえも飲めない。このままでは日本の酒文化が途絶えてしまう、という著者の危機意識に共感する。あわせて、酒税収入を確保するため、ビールの酒税が諸外国に比べて極端に高い問題もなんとかしてほしいなあ。発泡酒に情熱を傾けなければならないのは倒錯しているって、ほんとにそうだと思う。
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