見もの・読みもの日記

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無関心のファシズム/日本人は民主主義を捨てたがっているのか?(想田和弘)

2015-12-02 21:54:07 | 読んだもの(書籍)
○想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット) 岩波書店 2013.11

 丸善ジュンク堂書店渋谷店の「民主主義ブックフェア」問題で、最初のリストには入っていたのに、見直しリストには選ばれなかった本の1冊である。落選本のリストを見ていて、いちばん読みたいと思った本だったが、なかなか書店で見つけられず、ようやく神田の三省堂書店で入手できた。第1章と第2章は雑誌『世界』に寄稿した論考で、最後の第3章はブログなどをもとに書き下ろしたという。両者の差はあまり感じなかった。最近の『世界』って、こういう読みやすい文章を載せているのかと驚いた。

 第1章(2012年7月)に取り上げられているのは「橋下問題」である。橋下徹はなぜ支持されるのか。著者は、多くの支持者が橋下氏の使う言葉を九官鳥のようにそっくりそのまま真似る傾向があることに気づく。橋下徹という政治家は「人々の感情の鉱脈」を探り当てることに長けている。支持者たちは、彼の発する言葉にリアリティを感じ、自己を投影し、感情を煽られる。橋下氏がどんなに論理的にめちゃくちゃなことを言っても発言がコロコロ変わっても政治的ダメージを受けないのは、支持者の「感情」を統治しているためではないか。この観察は、なるほど納得がいく。

 私くらいの世代には、いい歳をして論理よりも感情に流されるのはだらしない、という「社会の良識」が一応はあったが、いまは歯止めのない社会だものな。この状況を打開するには、橋下氏を批判する側も「民主主義への挑戦」「独裁」「人権を守れ」等々、十年一日のごとき賞味期限切れの言葉ではない、リアリティのある豊かな言葉を持たなければならない、という指摘は重要である。そして、2015年の今年、政治的な言葉をめぐる状況は、安保法制の反対運動を通じて、少し明るい方に動いたのではないかと思う。

 第2章(2013年6月)は、自民党の衆議院選挙大勝利(2012年12月)を受けて誕生した安倍政権について考え、自民党改憲案の危険性を論じる。著者は、安倍政権の支持者たちが、首相に優れた知識や見識を求めていないことを問題にする。戦後の日本国憲法は、私たち日本人に「人はみな平等」という考え方を教えた。「人はみな平等」と「首相(や政治家)は私たち庶民と同じ凡人でよい」は、本来、全く異なる考えだが、日本人は勘違いして、これらの垣根を取り払ってしまったのではないか。これもとても腑に落ちた。

 第3章。自民党の衆院選圧勝以後、「真に重要な問題が議論の俎上に載せられぬまま選挙が行われ、大量の主権者が棄権するなか、なんとなく結果が決まってしまう」政治状況が続いている。著者はこれを「熱狂なきファシズム」と呼ぶ。投票にいかない主権者は「政治は分かりにくい」と弁明(クレーム?)する。こうした主権者は「消費者の態度」にとらわれていると著者は指摘する。政治がサービスであり、主権者がサービスの消費者であるなら、賢い消費者は、不完全な商品に関心を払ったり時間を浪費したりする必要はない。刺激的な商品を分かりやすく並べて、有権者の購買意欲をそそるのは、政治家の責任なのである。

 また消費モデルか。著者も触れているとおり、内田樹先生が『下流志向』で教育現場の崩壊の根本原因を、教育を商品(サービス)とみなす学生&保護者の消費者モードにあると論じていたのを思い出した。全ての社会的営為を「消費モデル」を介してしか理解できなくなっている現代人の業は深いと思わざるを得ない。
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