4館連携による『国宝 一遍聖絵』展に行ってきた。東京国立博物館の『一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰』を見て来たのは11月中旬。そして、先週末、神奈川県の3館をまわってきた。
■神奈川県立金沢文庫 2, 3, 8, 9巻展示(2015年11月19日~12月13日)
巻二第一段は、峻険な伊予国菅生岩屋の風景を描く。昨年『四国へんろ展・愛媛編』で(複製を)見た記憶が明らかだったが、2007年の三井記念美術館の『旅』展で見たのもこの段らしい。巻二には四天王寺や高野山が描かれ、巻三には那智大社が描かれる。巻八には亀岡の穴太寺、聖徳太子墓、当麻寺。巻九には印南野の教信寺、書写山円教寺。
私は、2002年に京都国立博物館と奈良国立博物館で『国宝 一遍聖絵』の全巻展示が行われたときも見ているのだが、このときはまだ、こうした地名に反応することができなかった。いま、一遍の足跡をたどると、かなりの頻度で私も行ったことのある地名が現れる。もちろん全く時代が違うのだが、寺社の堂宇の配置や自然の風景(那智の瀧など)には、なんとなく現在の姿に通じるものがあり、時空を超えて懐かしい。但馬の久美浜で小さな(遠景なのかな)龍神が天に昇る場面が好き。
■神奈川県立歴史博物館 4, 5, 6, 10巻展示(2015年11月21日~12月13日)
巻四は筑前で強い信仰を持つ武士に会ったり、吉備津宮の神主の息子の妻が発心し、その夫も福岡の市で出家するなど、説話的な場面が続く。名所絵的な巻よりも人物が大きく、動きや表情もはっきり描かれている。巻四第五段は信濃国佐久郡小田切里で初めての踊り念仏。特別な巻だからか、詞書の料紙も赤や青や緑など華やかである。巻五は一転して、荒涼とした北関東から奥州の風景が続き、いよいよ鎌倉へ至るも、入ることを拒まれて、鎌倉の外で野宿。どちらも「続きはどうなるでしょう」と言いたげな劇的な幕切れで、連続ドラマの山場みたいだと思った。
巻六は片瀬浜の地蔵堂で踊り念仏。これを横浜で見るのは感慨深いな~。そして、この場面に続く『江之島断簡』(個人蔵)というのがあることをパネルの解説で知る。伊豆三島大社の池には白鳥! そして富士山! 尾張甚目寺は、名古屋市博で『甚目寺観音展』を見たことを思い出す。巻十はまた中国地方に戻って、備後一の宮では舞楽・破陣楽、厳島神社(回廊の設計が現在と異なる)では妓女の舞が描かれる。
■遊行寺宝物館 1, 7, 11, 12巻展示(2015年10月10日~12月14日)
ここで初めて巻一を見る。おおらかに広がる山野に、ぽってりした紅梅・白梅が咲いており、生家と生家の人々に続いて、すでに出家姿の一遍少年が小さく現れる。冒頭の詞書の料紙も暖かみのある赤色だった。巻十一はちらっとしか開いていなかったが、第三段の明石浦から兵庫観音堂は、初めて『一遍聖絵』を見たとき、いちばん好きだった場面なので嬉しかった。浜辺で船を引く人々の姿態も、ほとんど幾何学的に整理された背後の風景も、なんだか夢の中のようで好きなのだ。
巻十二は最終巻で一遍の臨終を描く。集まった人々の表情が、悲しいだけでなく、呆けたり、驚いたり、人と談じていたり、さまざまであるのが面白い。七人の僧が後を追って入水する場面を、遠くからの視線で小さく淡々と描いているのも好き。この絵巻は、全体に水辺の風景が多いように感ずる。そして最後の墓所(神戸・真光寺)は、2013年に平氏の史跡めぐりをしたとき、偶然、ゆきあったことがあり、感慨深かった。東博本と異なる巻七も展示。
宮廷を舞台にした絵巻とも、創作物語の絵巻とも違って、描かれた風景に実感がある。持ちもの(傘、足駄とか)や小動物(イヌ多いなあ)、市(いち)の風景など、細部を見ていると飽きない。けれどもリアリティを重視しているとも言えない、不思議なフィルターがかかっている。解説にもあったが、中国絵画の樹木や山の描き方に似ていると思うところもある。そして、よく言われるが、貧者や病人の姿が目につくこと。盲目の琵琶法師の姿もある。全て含めて、何度でも楽しめる絵巻である。
各館では関連の文書・仏像・仏具などもたくさん展示されていて面白かった。また、図録は比較的コンパクトだが図版豊富、多彩な識者が各方面からコメントを載せているのも楽しい。全文の翻刻と現代語訳もついていて、ありがたい。
※(残してほしいページ)捨聖一遍 学芸員遊行のままに(神奈川県立歴史博物館)
■神奈川県立金沢文庫 2, 3, 8, 9巻展示(2015年11月19日~12月13日)
巻二第一段は、峻険な伊予国菅生岩屋の風景を描く。昨年『四国へんろ展・愛媛編』で(複製を)見た記憶が明らかだったが、2007年の三井記念美術館の『旅』展で見たのもこの段らしい。巻二には四天王寺や高野山が描かれ、巻三には那智大社が描かれる。巻八には亀岡の穴太寺、聖徳太子墓、当麻寺。巻九には印南野の教信寺、書写山円教寺。
私は、2002年に京都国立博物館と奈良国立博物館で『国宝 一遍聖絵』の全巻展示が行われたときも見ているのだが、このときはまだ、こうした地名に反応することができなかった。いま、一遍の足跡をたどると、かなりの頻度で私も行ったことのある地名が現れる。もちろん全く時代が違うのだが、寺社の堂宇の配置や自然の風景(那智の瀧など)には、なんとなく現在の姿に通じるものがあり、時空を超えて懐かしい。但馬の久美浜で小さな(遠景なのかな)龍神が天に昇る場面が好き。
■神奈川県立歴史博物館 4, 5, 6, 10巻展示(2015年11月21日~12月13日)
巻四は筑前で強い信仰を持つ武士に会ったり、吉備津宮の神主の息子の妻が発心し、その夫も福岡の市で出家するなど、説話的な場面が続く。名所絵的な巻よりも人物が大きく、動きや表情もはっきり描かれている。巻四第五段は信濃国佐久郡小田切里で初めての踊り念仏。特別な巻だからか、詞書の料紙も赤や青や緑など華やかである。巻五は一転して、荒涼とした北関東から奥州の風景が続き、いよいよ鎌倉へ至るも、入ることを拒まれて、鎌倉の外で野宿。どちらも「続きはどうなるでしょう」と言いたげな劇的な幕切れで、連続ドラマの山場みたいだと思った。
巻六は片瀬浜の地蔵堂で踊り念仏。これを横浜で見るのは感慨深いな~。そして、この場面に続く『江之島断簡』(個人蔵)というのがあることをパネルの解説で知る。伊豆三島大社の池には白鳥! そして富士山! 尾張甚目寺は、名古屋市博で『甚目寺観音展』を見たことを思い出す。巻十はまた中国地方に戻って、備後一の宮では舞楽・破陣楽、厳島神社(回廊の設計が現在と異なる)では妓女の舞が描かれる。
■遊行寺宝物館 1, 7, 11, 12巻展示(2015年10月10日~12月14日)
ここで初めて巻一を見る。おおらかに広がる山野に、ぽってりした紅梅・白梅が咲いており、生家と生家の人々に続いて、すでに出家姿の一遍少年が小さく現れる。冒頭の詞書の料紙も暖かみのある赤色だった。巻十一はちらっとしか開いていなかったが、第三段の明石浦から兵庫観音堂は、初めて『一遍聖絵』を見たとき、いちばん好きだった場面なので嬉しかった。浜辺で船を引く人々の姿態も、ほとんど幾何学的に整理された背後の風景も、なんだか夢の中のようで好きなのだ。
巻十二は最終巻で一遍の臨終を描く。集まった人々の表情が、悲しいだけでなく、呆けたり、驚いたり、人と談じていたり、さまざまであるのが面白い。七人の僧が後を追って入水する場面を、遠くからの視線で小さく淡々と描いているのも好き。この絵巻は、全体に水辺の風景が多いように感ずる。そして最後の墓所(神戸・真光寺)は、2013年に平氏の史跡めぐりをしたとき、偶然、ゆきあったことがあり、感慨深かった。東博本と異なる巻七も展示。
宮廷を舞台にした絵巻とも、創作物語の絵巻とも違って、描かれた風景に実感がある。持ちもの(傘、足駄とか)や小動物(イヌ多いなあ)、市(いち)の風景など、細部を見ていると飽きない。けれどもリアリティを重視しているとも言えない、不思議なフィルターがかかっている。解説にもあったが、中国絵画の樹木や山の描き方に似ていると思うところもある。そして、よく言われるが、貧者や病人の姿が目につくこと。盲目の琵琶法師の姿もある。全て含めて、何度でも楽しめる絵巻である。
各館では関連の文書・仏像・仏具などもたくさん展示されていて面白かった。また、図録は比較的コンパクトだが図版豊富、多彩な識者が各方面からコメントを載せているのも楽しい。全文の翻刻と現代語訳もついていて、ありがたい。
※(残してほしいページ)捨聖一遍 学芸員遊行のままに(神奈川県立歴史博物館)