○池明観『境界線を超える旅:池明観自伝』 岩波書店 2005.8
本書は、1970~80年代、岩波書店の雑誌『世界』に匿名記事を書いていた池明観氏の自伝である。本としてまとまった『韓国からの通信』は、昨年の夏に初めて読んだ。
池明観氏は、1924年、平安北道定州に生まれた。中国との国境からあまり離れていないところ、もちろん北朝鮮である。3歳のとき、父を失い、母親の女手ひとつで育てられた。中学生のとき、日中戦争が始まり、軍国主義と貧窮の青年時代を送る。やがて終戦(解放)が訪れるが、ソ連軍の進駐は、新たな不安の日々の始まりだった。
1947年、真夜中に船で38度線を突破し「越南」(今でいう脱北)に成功。しかし、日本統治時代の下級役人が幅を効かせる南の政治状況を見て、「越南」は間違いだったろうかと思い悩む。1950年、朝鮮戦争勃発。従軍の間、軍人の堕落を垣間見る。
1961年、韓国に軍事クーデター政権樹立。抵抗運動を続ける中、初めて日本を訪れる。1972年、「1年でも半年でもいいから自由に勉強がしたい」という思いを抱いて渡日。隅谷三喜男、小川圭治の計らいで東京女子大学に身を寄せ、以後、20年以上にわたり、教鞭を取る。まあ、梗概は、こんなところか。
しみじみ思うのは、その半生の過酷さである。私の両親は、池明観氏より一世代若い昭和ヒトケタ生まれだが、日本人で「明日の命があるかどうか」という体験をしたのは、彼らが最後だろう。だが、韓国では、1950年代の朝鮮戦争、いや60~70年代の軍事政権下でさえ、つまり私の同世代の人々が「明日をも知れない」毎日を生きていたのだ。そう思うと、今でこそ同じような消費文化を享受している日本と韓国であるが、一皮向けば、さまざまな違いが噴出するのは当然のように思う。
そして、日本という国は、韓国の過酷な運命の発端に、少なからぬ責任を負っている。にもかかわらず、著者が初めて日本を訪れたときの、あまりに純朴な反応に、私は驚いてしまった。もうちょっと「怨み」とか「妬み」とか、あっていいようなものなのに。著者は羽田に降りた瞬間から「奇妙な錯覚」にとらわれたという。「人種と文化の親近性は驚くばかり」。そして、煌々と明るい夜、出版物の洪水、うるわしい山河、日本のキリスト者との対話を「感動の連続」と言って、はばからない。さらに、韓国の民主化運動に対して、日本人の支援と共感があったことにも、著者は讃辞を惜しまない。
この、素直で、しかも不屈の精神は、いろいろ考えるに、信仰に生きる者のひとつの典型ではないかと思った。韓国におけるキリスト教会は、あるときは侵略的帝国主義に対して民族主義を守り、あるときは強圧的なナショナリズムに対して、普遍主義の砦であった。そして、付け加えておくと、私が育った中学・高校の「キリスト教文化」というのも、まさにそのようなものだった、ということを、久しぶりに思い出した。
本書は、1970~80年代、岩波書店の雑誌『世界』に匿名記事を書いていた池明観氏の自伝である。本としてまとまった『韓国からの通信』は、昨年の夏に初めて読んだ。
池明観氏は、1924年、平安北道定州に生まれた。中国との国境からあまり離れていないところ、もちろん北朝鮮である。3歳のとき、父を失い、母親の女手ひとつで育てられた。中学生のとき、日中戦争が始まり、軍国主義と貧窮の青年時代を送る。やがて終戦(解放)が訪れるが、ソ連軍の進駐は、新たな不安の日々の始まりだった。
1947年、真夜中に船で38度線を突破し「越南」(今でいう脱北)に成功。しかし、日本統治時代の下級役人が幅を効かせる南の政治状況を見て、「越南」は間違いだったろうかと思い悩む。1950年、朝鮮戦争勃発。従軍の間、軍人の堕落を垣間見る。
1961年、韓国に軍事クーデター政権樹立。抵抗運動を続ける中、初めて日本を訪れる。1972年、「1年でも半年でもいいから自由に勉強がしたい」という思いを抱いて渡日。隅谷三喜男、小川圭治の計らいで東京女子大学に身を寄せ、以後、20年以上にわたり、教鞭を取る。まあ、梗概は、こんなところか。
しみじみ思うのは、その半生の過酷さである。私の両親は、池明観氏より一世代若い昭和ヒトケタ生まれだが、日本人で「明日の命があるかどうか」という体験をしたのは、彼らが最後だろう。だが、韓国では、1950年代の朝鮮戦争、いや60~70年代の軍事政権下でさえ、つまり私の同世代の人々が「明日をも知れない」毎日を生きていたのだ。そう思うと、今でこそ同じような消費文化を享受している日本と韓国であるが、一皮向けば、さまざまな違いが噴出するのは当然のように思う。
そして、日本という国は、韓国の過酷な運命の発端に、少なからぬ責任を負っている。にもかかわらず、著者が初めて日本を訪れたときの、あまりに純朴な反応に、私は驚いてしまった。もうちょっと「怨み」とか「妬み」とか、あっていいようなものなのに。著者は羽田に降りた瞬間から「奇妙な錯覚」にとらわれたという。「人種と文化の親近性は驚くばかり」。そして、煌々と明るい夜、出版物の洪水、うるわしい山河、日本のキリスト者との対話を「感動の連続」と言って、はばからない。さらに、韓国の民主化運動に対して、日本人の支援と共感があったことにも、著者は讃辞を惜しまない。
この、素直で、しかも不屈の精神は、いろいろ考えるに、信仰に生きる者のひとつの典型ではないかと思った。韓国におけるキリスト教会は、あるときは侵略的帝国主義に対して民族主義を守り、あるときは強圧的なナショナリズムに対して、普遍主義の砦であった。そして、付け加えておくと、私が育った中学・高校の「キリスト教文化」というのも、まさにそのようなものだった、ということを、久しぶりに思い出した。