見もの・読みもの日記

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オヤジの妄言/日・中・韓のナショナリズム(松本健一)

2006-06-10 20:20:45 | 読んだもの(書籍)
○松本健一『日・中・韓のナショナリズム:東アジア共同体への道』 第三文明社 2006.6

 著者の名前は、ずっと気になっていた。いちばん読みたいと思っているのは、大著『評伝・北一輝』なのだが、なかなか踏ん切りがつかない。とりあえず、本書は活字も大きいし、語り口調で読みやすそうだから、たとえつまらなくても、それほど時間の損にならないだろう、と思って取り掛かった。

 そうしたら、思ったよりも内容のある本だった。最終的には、東アジアの各国は、ナショナリズムを超えて、「コモン・ハウス(共同体)」を目指すべきだ、というのが著者の提言である。しかし、その実現には、あと20年か30年はかかるだろう、とも言う。

 ヨーロッパは、国民国家が誕生して200年を経過し、ようやくナショナリズムを克服する時代に入った。しかし、東アジアでは、日本でさえ、やっと100年、その他の国々は、ようやく国民国家として成熟の時代に入ったばかりである。新たな国家原理の必要性が自覚されるのは、まだしばらく先のことだろう。

 また、ヨーロッパは、そもそも歴史を共有する地域だった。それぞれの国が独自の歩みを始めるのは、せいぜいナポレオン以降の200年程度である。しかし、東アジアでは、日本も中国も韓国も、2000年来、固有の文化的伝統を持つ独立国(カルチャー・ネーション)だったのだから、「共通の歴史認識」をめぐって、さまざまな摩擦が起きるのも当然である。

 しかし、アジアの伝統的思想の中にひそむ「共生」の思想は、必ず、ナショナリズムを超えていく契機となるであろう、と著者は結ぶ。うーん。結論の方向性には反対しない。だけど、「東アジア共同体」を推進する力として、「アジアの伝統的思想」を持ち出すところに、私は、うまく説明のできない違和感を覚える。

 愛国心についても同じ。愛国心とは、国家体制や天皇制に収斂するものではなく、日本の自然や文化に対する素朴な郷土愛(パトリオティズム)である、と著者は述べる。パトリオティズムの対象として挙げられているのは、「白砂青松」の風景、季節の変化、小学唱歌、そして和泉式部の和歌。ああ、全くオヤジたちは、どいつもこいつも、自分の郷愁に結びつくもの、自分に理解可能なものだけを、好き放題に並べやがって。私が、この手の「愛国心=パトリオティズム」論に苛立つのは、彼らの態度に、歴史や文化に対する本当の謙虚さがないからである。

 「アジアの人びとはパトリに対する深い思いをもっています」と言うけれど、本当か? 都市化の進む日本・韓国・台湾および中国の都市部の若者には、煽られたナショナリズムを除けば、もはや生活実感に根ざした郷土(伝統・文化)愛なんて、どこにもないのではなかろうか。IT・仮想現実・アメリカニゼーション。いっそ、我々の出発点はそこにあると、認めてしまってはどうだろう。
コメント
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