○鎌倉国宝館 鈴木大拙没後四十年記念展『円覚・東慶・松ヶ岡の至宝』
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/index.htm
仏教学者・鈴木大拙(1870-1966)の没後40年を記念する展覧会。大拙の遺品と、ゆかりの深い、円覚寺、東慶寺、松ヶ岡文庫(東慶寺境内にある)の名宝が集められている。
円覚寺所蔵の『五百羅漢図』(南宋~元時代)は、50枚セットのうちの1幅。岩場に腰かけて同じ方向を打ち眺める羅漢たちの頭上では、灰色の雲が渦巻き、龍を従え、太鼓を連ねた雷神が顔を出している。画面の色調は暗いが、どことなく晴れやかな構図で、楽しそうだ。
大きな『跋陀婆羅尊者像』は、以前にも見た記憶がある。作者の宗淵は、雪舟から『破墨山水図』を贈られたことで知られる画僧。穏やかな作風の多い宗淵の作品の中にあって、本図は「アクが強い」と解説にあったけれど、そうかなあ。たくしあげた衣の襞を描く太い墨線は、ちょっと近世初期の美人画を思わせる。
『初音蒔絵火取母(ひとりも)』は、東慶寺蒔絵(そんなものがあるとは初耳!)を代表する香炉だそうだ。黒地に金色の小鳥が浮き出している。「初音」というからウグイスなのだろうが、くちばしの細いカラスに見える。
その隣は、久しぶりにお会いする、東慶寺の水月観音である。ご開帳日の限定された「秘仏」ではないが、あらかじめ予約を入れないと拝観できない「予約仏」である。10年くらい前に、仏友たちと拝観にうかがったのも懐かしい思い出だ。東慶寺のお座敷では、遠慮がちに遠目から拝見した。正面または左手から見ると、細面で幼い印象だが、近寄って見ると(特に右側面から)、体躯に厚みがあり、意外と妖艶な印象に変わることを発見した。さらに隣は、東慶寺の開山である覚山志道尼の坐像。ひな人形のような小さな像である。
それから、鈴木大拙の書は、どれもいいと思った。にじみ具合もかすれ具合も、素直ですがすがしい。学者・政治家・高僧など、いろんな人の手跡を見たけど、近代人の書をこんなにいいと感じたのは初めてのことだ。本気で1枚、欲しい。
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/index.htm
仏教学者・鈴木大拙(1870-1966)の没後40年を記念する展覧会。大拙の遺品と、ゆかりの深い、円覚寺、東慶寺、松ヶ岡文庫(東慶寺境内にある)の名宝が集められている。
円覚寺所蔵の『五百羅漢図』(南宋~元時代)は、50枚セットのうちの1幅。岩場に腰かけて同じ方向を打ち眺める羅漢たちの頭上では、灰色の雲が渦巻き、龍を従え、太鼓を連ねた雷神が顔を出している。画面の色調は暗いが、どことなく晴れやかな構図で、楽しそうだ。
大きな『跋陀婆羅尊者像』は、以前にも見た記憶がある。作者の宗淵は、雪舟から『破墨山水図』を贈られたことで知られる画僧。穏やかな作風の多い宗淵の作品の中にあって、本図は「アクが強い」と解説にあったけれど、そうかなあ。たくしあげた衣の襞を描く太い墨線は、ちょっと近世初期の美人画を思わせる。
『初音蒔絵火取母(ひとりも)』は、東慶寺蒔絵(そんなものがあるとは初耳!)を代表する香炉だそうだ。黒地に金色の小鳥が浮き出している。「初音」というからウグイスなのだろうが、くちばしの細いカラスに見える。
その隣は、久しぶりにお会いする、東慶寺の水月観音である。ご開帳日の限定された「秘仏」ではないが、あらかじめ予約を入れないと拝観できない「予約仏」である。10年くらい前に、仏友たちと拝観にうかがったのも懐かしい思い出だ。東慶寺のお座敷では、遠慮がちに遠目から拝見した。正面または左手から見ると、細面で幼い印象だが、近寄って見ると(特に右側面から)、体躯に厚みがあり、意外と妖艶な印象に変わることを発見した。さらに隣は、東慶寺の開山である覚山志道尼の坐像。ひな人形のような小さな像である。
それから、鈴木大拙の書は、どれもいいと思った。にじみ具合もかすれ具合も、素直ですがすがしい。学者・政治家・高僧など、いろんな人の手跡を見たけど、近代人の書をこんなにいいと感じたのは初めてのことだ。本気で1枚、欲しい。