○姜尚中、吉田司対談『そして、憲法九条は』 晶文社 2006.2
先日、姜尚中氏が別の著書で、過去に向き合うことの大切さを説いていることを記した。過去との類比で現在を捉えてみると、新しく見える現象も、意外に旧かったり、違う衣装を纏って現れたものであったりする。本書は、こうした視点で戦後60年の日本の姿を検証しなおしたもので、さきの『姜尚中の政治学入門』(2006.2)が理論編とすれば、こちらは実践編と言えよう。
まず両氏は、「戦後」の出発点を1945年8月15日に置くことに疑問を呈する。戦後の出発点は戦前に準備されていると見るべきではないか。戦後、日本がアメリカを受け入れる下地は、1920年代、都市部におけるアメリカニズムの浸透に準備されていた。戦前戦後を通じて、日本がアジアでヘゲモニーを握れたのは、アメリカとの宿命的な関係に拠っている。
会社共同体主義、護送船団方式といわれる日本的経営システムは、戦時期に原形が作られた。とりわけ重要なのは、満州国の存在である。満州国で行われた実験的な統制経済が、岸信介首相のもと、戦後に生き残っていく。満州国が「偽満州」であったとすれば、戦後日本の高度経済成長こそ「リアル満州」であると言える。
満州国の重要性は、このところ、様々な論者が指摘しているのを聞く。満州国の建国を、日本の生命線を守るためだったと居直るのも不様だが、侵略行為をひたすら謝罪し、恐縮して沈黙するだけというのも、不毛な気がする。それよりも、我々の「戦後」の水脈がどこにつながっているかを、日本国民はもっと知らなくてはならない。もっと積極的な分析が必要であると思う。
吉田氏がさらりと語っているが、小泉純一郎の父親の純也は岸派だった。純也は岸派の凋落の際、藤山愛一郎のところに身を寄せた。藤山は、1959年から始まる北朝鮮への帰還運動のときの外務大臣だった。そう考えると、小泉純一郎と北朝鮮の因縁は深い。また、在日朝鮮人にはハンセン氏病が多かった。そして、ハンセン氏病の隔離政策が国の誤りであることを認めたのは小泉純一郎だった。すごいな、まるで小説が書けそうだ。
日本の政治家だけではなく、北朝鮮や韓国にも満州派と呼ぶべき人脈があると言う。東アジアの近代史というのは、どの国も、もはや一国だけの国内史としては書けないのではないかな。また、近代史とか現代史というのは、10年や20年のスパンで語れるものではなく、少なくとも百年くらいの過去は視野に入れて考えなければいけないということが、最近やっと実感として分かってきた(だって、個人としての人間の記憶は、両親や祖父母の代を含めて、そのくらいのスパンを生きるんだもの)。この感覚、ハタチやそこらの若者には分かるまい。中年になるのも、なかなか楽しいことだ。
以上は、戦前から戦後まで連続する歴史の流れを総括したものだが、ごく最近の社会に関する分析も興味深かった。過多な情報によって(つながるのではなく)却ってバラバラにされる人々、フリー・ライダーの炙り出し、そして「無力なものが独裁者を愛する」時代。読んで気持ちのよくなる「物語」ではないが、背骨を伸ばして現実に向き合うためには、陰鬱な真実も呑みこまなくてはならないと思う。そこが「物語」と「歴史」を分けるものかも知れない。
先日、姜尚中氏が別の著書で、過去に向き合うことの大切さを説いていることを記した。過去との類比で現在を捉えてみると、新しく見える現象も、意外に旧かったり、違う衣装を纏って現れたものであったりする。本書は、こうした視点で戦後60年の日本の姿を検証しなおしたもので、さきの『姜尚中の政治学入門』(2006.2)が理論編とすれば、こちらは実践編と言えよう。
まず両氏は、「戦後」の出発点を1945年8月15日に置くことに疑問を呈する。戦後の出発点は戦前に準備されていると見るべきではないか。戦後、日本がアメリカを受け入れる下地は、1920年代、都市部におけるアメリカニズムの浸透に準備されていた。戦前戦後を通じて、日本がアジアでヘゲモニーを握れたのは、アメリカとの宿命的な関係に拠っている。
会社共同体主義、護送船団方式といわれる日本的経営システムは、戦時期に原形が作られた。とりわけ重要なのは、満州国の存在である。満州国で行われた実験的な統制経済が、岸信介首相のもと、戦後に生き残っていく。満州国が「偽満州」であったとすれば、戦後日本の高度経済成長こそ「リアル満州」であると言える。
満州国の重要性は、このところ、様々な論者が指摘しているのを聞く。満州国の建国を、日本の生命線を守るためだったと居直るのも不様だが、侵略行為をひたすら謝罪し、恐縮して沈黙するだけというのも、不毛な気がする。それよりも、我々の「戦後」の水脈がどこにつながっているかを、日本国民はもっと知らなくてはならない。もっと積極的な分析が必要であると思う。
吉田氏がさらりと語っているが、小泉純一郎の父親の純也は岸派だった。純也は岸派の凋落の際、藤山愛一郎のところに身を寄せた。藤山は、1959年から始まる北朝鮮への帰還運動のときの外務大臣だった。そう考えると、小泉純一郎と北朝鮮の因縁は深い。また、在日朝鮮人にはハンセン氏病が多かった。そして、ハンセン氏病の隔離政策が国の誤りであることを認めたのは小泉純一郎だった。すごいな、まるで小説が書けそうだ。
日本の政治家だけではなく、北朝鮮や韓国にも満州派と呼ぶべき人脈があると言う。東アジアの近代史というのは、どの国も、もはや一国だけの国内史としては書けないのではないかな。また、近代史とか現代史というのは、10年や20年のスパンで語れるものではなく、少なくとも百年くらいの過去は視野に入れて考えなければいけないということが、最近やっと実感として分かってきた(だって、個人としての人間の記憶は、両親や祖父母の代を含めて、そのくらいのスパンを生きるんだもの)。この感覚、ハタチやそこらの若者には分かるまい。中年になるのも、なかなか楽しいことだ。
以上は、戦前から戦後まで連続する歴史の流れを総括したものだが、ごく最近の社会に関する分析も興味深かった。過多な情報によって(つながるのではなく)却ってバラバラにされる人々、フリー・ライダーの炙り出し、そして「無力なものが独裁者を愛する」時代。読んで気持ちのよくなる「物語」ではないが、背骨を伸ばして現実に向き合うためには、陰鬱な真実も呑みこまなくてはならないと思う。そこが「物語」と「歴史」を分けるものかも知れない。