○E.H.キンモンス『立身出世の社会史:サムライからサラリーマンへ』 玉川大学出版部 1995.1
このところ読み続けている竹内洋氏の「学歴貴族モノ」が、たびたび参照している著作である。本書を読んでいたとき、ある若い知人から、「どうしてカルスタ系の人たちって、何でも国家や天皇制に結びつけたがるんでしょうね」と言われて、虚を突かれたように感じた。カルチュラル・スタディーズとか、ポスト・コロニアリズムとか、文化帝国主義とか、そういった言葉が、従来の思考の枠組みを一新する”新思潮”として日本に流れ込んで来たのは、もう7、8年も前のことだ。そのあとに成人した、いまの大学生にしてみれば、「隠れた天皇制を読み解く」類の文化論に辟易していても無理はない。
本書に描かれた近代初期の日本社会は、驚くほど、天皇制や国家主義の刻印が希薄である。青年たちが追い求めたのは、国家の威信や繁栄ではなく、常に一身の「富貴」だった。明治初期の青年たちが、個人より国家に関心を払っていたように「見える」のは、当時、国家の名による活動が、富貴(立身)の可能性と強く結びついていたためである。
国会開設の前夜にあたる1880年代、「政治青年」を駆り立てたのは、議員になって地位を得るという、個人的野心だった。日清戦争のあとの軍人ブームで少年たちが夢見たのは、一兵卒の英雄になることではなく、陸軍大将や海軍大将の地位だった。三国干渉によって遼東半島の返還を強いられたことは、国家の不名誉の問題ではなく、「富の損失」として認識された。
ふーむ。なんて分かりやすい「政治史」だろう。さらに、1930年代、俸給労働者の失業は最悪の状態にあった。満州国の成立は、就職難の解決につながり、高学歴青年やサラリーマン層に経済的利得をもたらすものと期待された。
これは、1960年代のベトナム戦争と著しい対象を成している。当時、アメリカは大卒者の就職市場が好調のピークにあった。彼らは、兵役義務に関して(日本の高学歴青年が受けたような)猶予も特別扱いも認められなかった。この「損得の収支の差」こそが、米国のインテリ層が戦争に反対し、日本はそうでなかった理由を説明するのではないだろうか、と著者は言う。
納得である。大衆の行動を規定するのは、つまるところ、我が身の損得(に対する嗅覚)なのではないか。国家やイデオロギーを甘く見てもいけないが、過大に評価し過ぎても、真実を見誤ると思う。
最後に著者は、最近の研究テーマである「昭和初期の軍国主義と中産階級」について語る。日本の研究者は、ファシズムの興盛を、明治維新の不徹底や封建制度の残存から説明しようとする。しかし、実際には、明治維新は、きわめて進歩的で平等な改革を実現した。その結果、他の近代諸国に例を見ないほど、多くの人々がエリートの地位を求める競争に参入することになった。
リーダーになるには、心身をすりへらして熾烈な競争に勝ち抜かなければならず、いったん地位に着いた後も、(ほとんど能力差のない)大量のエリート予備軍が、彼らを脅かした。リーダーであり続けるには、責任回避と大勢順応の努力が不可欠だった。戦時期リーダーの矮小性は、日本社会の封建的側面ではなく、むしろ近代的でリベラルな側面が生み出したと言えよう。著者は上記の結論を、日本の「戦時期リーダー」について語っているのだが、戦後60年経った今日の政治状況も、本質は変わっていないように思う。
このところ読み続けている竹内洋氏の「学歴貴族モノ」が、たびたび参照している著作である。本書を読んでいたとき、ある若い知人から、「どうしてカルスタ系の人たちって、何でも国家や天皇制に結びつけたがるんでしょうね」と言われて、虚を突かれたように感じた。カルチュラル・スタディーズとか、ポスト・コロニアリズムとか、文化帝国主義とか、そういった言葉が、従来の思考の枠組みを一新する”新思潮”として日本に流れ込んで来たのは、もう7、8年も前のことだ。そのあとに成人した、いまの大学生にしてみれば、「隠れた天皇制を読み解く」類の文化論に辟易していても無理はない。
本書に描かれた近代初期の日本社会は、驚くほど、天皇制や国家主義の刻印が希薄である。青年たちが追い求めたのは、国家の威信や繁栄ではなく、常に一身の「富貴」だった。明治初期の青年たちが、個人より国家に関心を払っていたように「見える」のは、当時、国家の名による活動が、富貴(立身)の可能性と強く結びついていたためである。
国会開設の前夜にあたる1880年代、「政治青年」を駆り立てたのは、議員になって地位を得るという、個人的野心だった。日清戦争のあとの軍人ブームで少年たちが夢見たのは、一兵卒の英雄になることではなく、陸軍大将や海軍大将の地位だった。三国干渉によって遼東半島の返還を強いられたことは、国家の不名誉の問題ではなく、「富の損失」として認識された。
ふーむ。なんて分かりやすい「政治史」だろう。さらに、1930年代、俸給労働者の失業は最悪の状態にあった。満州国の成立は、就職難の解決につながり、高学歴青年やサラリーマン層に経済的利得をもたらすものと期待された。
これは、1960年代のベトナム戦争と著しい対象を成している。当時、アメリカは大卒者の就職市場が好調のピークにあった。彼らは、兵役義務に関して(日本の高学歴青年が受けたような)猶予も特別扱いも認められなかった。この「損得の収支の差」こそが、米国のインテリ層が戦争に反対し、日本はそうでなかった理由を説明するのではないだろうか、と著者は言う。
納得である。大衆の行動を規定するのは、つまるところ、我が身の損得(に対する嗅覚)なのではないか。国家やイデオロギーを甘く見てもいけないが、過大に評価し過ぎても、真実を見誤ると思う。
最後に著者は、最近の研究テーマである「昭和初期の軍国主義と中産階級」について語る。日本の研究者は、ファシズムの興盛を、明治維新の不徹底や封建制度の残存から説明しようとする。しかし、実際には、明治維新は、きわめて進歩的で平等な改革を実現した。その結果、他の近代諸国に例を見ないほど、多くの人々がエリートの地位を求める競争に参入することになった。
リーダーになるには、心身をすりへらして熾烈な競争に勝ち抜かなければならず、いったん地位に着いた後も、(ほとんど能力差のない)大量のエリート予備軍が、彼らを脅かした。リーダーであり続けるには、責任回避と大勢順応の努力が不可欠だった。戦時期リーダーの矮小性は、日本社会の封建的側面ではなく、むしろ近代的でリベラルな側面が生み出したと言えよう。著者は上記の結論を、日本の「戦時期リーダー」について語っているのだが、戦後60年経った今日の政治状況も、本質は変わっていないように思う。