○藤原帰一『映画のなかのアメリカ』(朝日選書) 朝日新聞社 2006.3
映画は藤原先生の得意分野である。ということを、少なからず存じ上げているので、書店で本書を見たときは、にやりとしてしまった。「中学生の昔から、政治の話をする人よりも映画を論ずる人の方がずっと偉いと思ってきた」というのは、ちょっと言い過ぎ?としても、全編を通じて、好きなものの話をしているという嬉しさと晴れがましさが満ちていて、読んでいるほうも楽しい。
政治学者である著者が、なぜ映画を論ずるのか。政治とは、政策を決定するプロ集団によってのみ行われるものではない。「普通の人がどう考えて生きているのかをつかまえない政治の分析は、やはり狭く、痩せてしまう」と著者は言う。そして、映画とは(多額の資本を必要とするため)宿命的に、観客を離れては成り立たない芸術であり、社会通念や時代精神を映す鏡であるのだ。
映画を通じて、政治や文化コードを読み解くというのは、もはやおなじみの手法だ。とりわけ、カルチュラル・スタディーズと呼ばれる分野では。著者の立場は、”カルスタ系の人々”とは、やっぱり、どこか異なるように思う。あまりアクロバティックな深読みはしない。「帰還兵」「大統領」「市民宗教」「人種」など、「いかにもアメリカ的」テーマを正面から取り上げて、あまり紹介されることのない、アメリカ社会の実態とからめて、興味深く論じている。
たとえば、キリストの受難を描いた『パッション』が成功したのは、現代アメリカが、極めて宗教色の強い社会であること、歴史的には、強大な教会権力が存在しなかったために、逆に政治権力の世俗化が進まなかったことなどが背景にある。『大いなる西部』を、遅れた西部が、東部リベラリズムに併呑される過程の表現と見るのも面白い。にもかかわらず、大統領選におけるブッシュの勝利は、東部に対する中西部の荒くれ男たちの逆襲と見ることもできる。
本書はテーマを「アメリカ」に絞っているので、取り上げた作品も限られている。個人的には『愛の落日』について、善良なアメリカ好青年と、あいまいな不良中年(老大国イギリスの象徴)を対比的に論じた章や、日本とのカルチャー・ギャップをあまりにも正直に描いた『ロスト・イン・トランスレーション』を論じた章が、評論として”ひとり立ち”している感じで、面白かった。次は、もう少し守備範囲を広げてもいいのではないかしら。
映画は藤原先生の得意分野である。ということを、少なからず存じ上げているので、書店で本書を見たときは、にやりとしてしまった。「中学生の昔から、政治の話をする人よりも映画を論ずる人の方がずっと偉いと思ってきた」というのは、ちょっと言い過ぎ?としても、全編を通じて、好きなものの話をしているという嬉しさと晴れがましさが満ちていて、読んでいるほうも楽しい。
政治学者である著者が、なぜ映画を論ずるのか。政治とは、政策を決定するプロ集団によってのみ行われるものではない。「普通の人がどう考えて生きているのかをつかまえない政治の分析は、やはり狭く、痩せてしまう」と著者は言う。そして、映画とは(多額の資本を必要とするため)宿命的に、観客を離れては成り立たない芸術であり、社会通念や時代精神を映す鏡であるのだ。
映画を通じて、政治や文化コードを読み解くというのは、もはやおなじみの手法だ。とりわけ、カルチュラル・スタディーズと呼ばれる分野では。著者の立場は、”カルスタ系の人々”とは、やっぱり、どこか異なるように思う。あまりアクロバティックな深読みはしない。「帰還兵」「大統領」「市民宗教」「人種」など、「いかにもアメリカ的」テーマを正面から取り上げて、あまり紹介されることのない、アメリカ社会の実態とからめて、興味深く論じている。
たとえば、キリストの受難を描いた『パッション』が成功したのは、現代アメリカが、極めて宗教色の強い社会であること、歴史的には、強大な教会権力が存在しなかったために、逆に政治権力の世俗化が進まなかったことなどが背景にある。『大いなる西部』を、遅れた西部が、東部リベラリズムに併呑される過程の表現と見るのも面白い。にもかかわらず、大統領選におけるブッシュの勝利は、東部に対する中西部の荒くれ男たちの逆襲と見ることもできる。
本書はテーマを「アメリカ」に絞っているので、取り上げた作品も限られている。個人的には『愛の落日』について、善良なアメリカ好青年と、あいまいな不良中年(老大国イギリスの象徴)を対比的に論じた章や、日本とのカルチャー・ギャップをあまりにも正直に描いた『ロスト・イン・トランスレーション』を論じた章が、評論として”ひとり立ち”している感じで、面白かった。次は、もう少し守備範囲を広げてもいいのではないかしら。