「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

早朝の「モーツァルト・タイム」

2022年01月16日 | 音楽談義

毎日の起き抜けの時間は「モーツァルト・タイム」に充てており、パソコンで「モーツァルト専門チャンネル」(ドイツ発)を聴いている。

自然に流れていくまるで清流のような音楽を聴いていると、心まで洗われてくるようで1日の中での「ゴールデンタイム」である。

ジャンルは様々に亘っておりオペラも有れば、交響曲、セレナードなどが5分おきぐらいに途切れることなく鳴らされてくるが、その瞬時の切り替えが鮮やかというか曲目にまたがる不自然さがないのが不思議。

むしろ、その切り替えに爽快感さえ覚えるほどなので、モーツァルトの音楽の根底からは常に「同じ声」が流れていると言っても過言ではないと思っている。

そして、ブログを創りながらも、つい手を止めてうっとり聞き惚れる曲目がときどきある。

昨朝がそうで、あまりにも素晴らしかったのでパソコンににじり寄って画面を確認してみると「ヴァイオリンソナタ」(K454)だった。

ウ~ン、参った!

あいにく「K454」は手元になかったが、ブログなんかどうでもいいとばかり(笑)、早々に創り終えた後で久しぶりに「ヴァイオリンソナタ」に聴き耽った。

いい音楽を聴くと必ず後に尾を引くんですよねえ(笑)。


音楽ソースはクラシック専門放送「クラシカジャパン」(CS放送)を「HDD」に録画したもので、ギル・シャハム兄妹のピタリと呼吸の合った
演奏が何とも形容のしようがないほど素晴らしい。

          

この番組中の「K301~306」の一連のソナタは1778年(22歳)に作曲されたもので、いかにも天真爛漫というべき「モーツァルトらしさに」溢れた作品で、正式な題名は「クラヴィール(ピアノ)とヴィオリンのためのソナタ」で、平たく言えば「ヴァイオリン助奏付きのピアノ・ソナタ」のこと。

形式上はピアノが主役となっているが、そこはさすがにモーツァルトでピアノとヴァイオリンがまったく対等となって丁々発止のやり取りが繰り広げられている。その絶妙の緊張感と調和は何度聴いても飽きがこない。

以前に、ご近所にお住いのYさんが試聴にお見えになったときもこの録画番組を視聴していただいたことがある。

Yさんはとてもご熱心な「フルート奏者」だがひとしきり聴かれてから「このヴァイオリン・パートはフルートでときどき演奏してますよ。」とのご発言。

「エッ、とても複雑そうですが演奏が難しくはないですか?」

「いいえ、まるでフルート向きに書かれたみたいに簡単ですよ。しかしヘンデルなどの音楽とは違ってモーツァルトを演奏するときはいつも変化に富んでいてまったく飽きがきません、こればかりは不思議ですねえ~。」

つい先日にも書いたが、一般的にモーツァルトの音楽はクラシックというジャンルの中で一括りにしてアッサリと片付けられているが、他の作曲家たちと同列に論じられるのが間違っているような気がしてならない。何といっても音楽の成り立ちがまったく違う。

というのも、手紙魔だったモーツァルトにはいくつもの残された書簡があるが、その中で作曲に当たっての非常に興味深い記述がある。(小林秀雄「モーツァルト」より)

要約すると、「曲目の構想が奔流のように頭の中に浮かんできてどんなに長いものであろうと一気に完成します。まるで美しい一幅の絵を見ているみたいです。後で楽譜に写す段になると、脳髄という袋の中から必要なだけの“かけら”を取り出してくるだけです。」

「天才の極印」(同書より)として非常に有名な箇所だが、こうして出来上がった音楽は文字どおり「天馬、空を駆けるが如し」で伸び伸びとして不自然さが微塵も感じられない。

他の作曲家たちのように苦吟しながら何度も何度も推敲を繰り返して完成する音楽とはまるっきり異質で明らかに一線を画している。

モーツァルトを聴くたびに「やっぱり天才やなあ!」とまるで“うわ言”のように繰り返しているが、次の画像の文献に次のような記述がある。

         

右側の「モーツァルトその人間と作品」(アルフレート・アインシュタイン著)は、数あるモーツァルト研究書の中でも白眉とされているが、その348頁に「ヴァイオリン・ソナタが作られた当時はフルート奏者のために作曲をしていた時期に当たり、ヴァイオリン・パートは明らかにフルート的な性格を有している。」とある。

Yさんが「ヴァイオリン・パートはフルートでも演奏しやすい」との発言にピタリと符合することに驚いた。

何はともあれ、こういう名曲をヴァイオリンの音色に特化したともいえる「AXIOM80」で聴けることは至上の喜びとするものです(笑)。



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オーディオは音楽鑑賞の「手がかり」に過ぎないのだろうか

2022年01月15日 | オーディオ談義

日頃から、投稿する記事になるべくバラエティを持たせようと、オーディオから音楽、読書、身の回りのことなど一つの分野に集中しないように心がけているつもりだが、このところ「オーディオ記事」へのアクセスがひところの不調から脱してようやく好調の軌道に乗ったみたい。

で、「本命」が浮上すると気持ちの方も「読者の期待に応えよう」と努力する気にもなる(笑)。

ところが、それに水を差すように「あまり調子に乗らない方がいいぞ」と警告するような記事が昨日の過去記事ランキングに登場していた。

自分が書いた記事でもすっかり「忘却の彼方」なので一読してみると、なるほどそういう考え方もあるんですよねえ・・。

というわけで、以下、ご参考になればと再掲してみよう。


「音楽家がオーディオに熱心ではない理由」について決定的と思われる理由をメル友さん(東京)からご教示いただいたのがこの文面。

私も貴方同様にいつも「聴衆・観客」の一人で、演奏をした経験は皆無なのですが、あるピアニストと話をしていて貴方とまったく同じことを感じました。

彼女は、私が持ち込んだiPodスピーカーのトランジスタ・ラジオと変わらぬ貧しい音響にすぐに感激して”良い音ですね”と言うのです。聞かせた演奏の特徴もズバリ言い当てて楽しんでいます。身体がすぐに反応します。

私が感じたのは、随分と想像力が豊かなんだなあということでした。元の音を想像して実際の演奏の様子をすぐに復元できるようなのです。その復元を楽しんでいる。とても我々のできることではありません。

オーディオは単なる「手がかり」に過ぎない。想像による復元のために最低限の情報を提供してくれればよい。それで充分だと思っているようです。彼ら音楽家にとっては(オーディオとは)その程度のものでしかないようです。

また、オン・ステージで演奏する側では聞える〔というより身体で感じる)「音」そのものが違います。他方、我々が求めるオーディオの「音」は客席の音です。

この二つは決して同じではない。そして彼ら演奏家は客席でどう聞えるかをあまり気にしていないのではないか。どうもそう思えてならない。我々との間には、越えがたい溝があるのではないかという気がします。~以下、略~


「オーディオの役割」について非常に示唆に富んだ文面ですね。あっさり忘却するのには実に惜しい気がする。


というわけで以上のご指摘に基づき「音楽家がオーディオに熱心にならない」理由の5つ(再掲)に加えて決定的な6番目を追加させてもらうことにしよう。
 

 常日頃、半分仕事みたいな意識で生演奏に携わっているので自宅に帰ってまで音楽を聴こうとは思わない、つまり日常生活の中に仕事を持ち込みたくない。

 
ほとんど毎日、歪みのない生の音を聞いているので電気回路を通した人工的な音を聴く気がしない。

 他人の演奏をなるべく聴きたくない。芸術的な見地から影響を受けるのがイヤだから。

 他人の演奏のアラが分かるから聴きたくない。むしろ音楽を聴くよりも演奏者のテクニックの上手下手に関心がいってしまう。

 ちょっと「ましな音」で聴こうと思っても、オーディオ装置はどうも高価すぎる。それくらいのお金があれば「楽譜」や「楽器」のほうを優先する。

6 オーディオは単なる「手がかり」に過ぎず、「元の音を想像して復元する」ための最低限の情報を提供してくれればそれでいい。したがってオーディオに熱心になる必要性をあまり感じない。

真に迫ったの回答を得てこれで理由のすべてを網羅できた気がする。

音楽と真剣に向き合あうリスナーにとっては素敵なオーディオシステムもさることながら、それを手がかりにして豊かな想像力を磨くことこそ重要なのかもしれませんね。

たとえば五味康介さんの著作「西方の音」の中でフォーレの音楽を聴いて海浜で貴婦人に抱かれているシーンを妄想するくだりがあるが、豊かな想像力を磨くとはそういうことなんでしょう。

いくら「いい音」とか「悪い音」とかいってみても、結局「いい音楽」とはリスナーの頭の中で創造するものなのか・・・。

とはいえ、自分のようなイメージングに乏しい人間はオーディオに頼るしかないことは確かだ(笑)。



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新しいSPケーブル

2022年01月14日 | オーディオ談義

オーディオは音の入り口から出口まで、はたまた電源や機器同士を繋ぐケーブルでさえも、どこをどう代えても音は変わる。

しかも厄介なことに機器同士の相互の相性というのがあって、組み合わせともなるとほぼ無限大に近い。

その中から気に入った音を見つけ出すとなると、砂漠の中から一粒の砂粒を拾うようなものでもう溜息をつくしかないが、それでも終着駅の見えないゴールを目指して一歩一歩進んでいくのがオーディオ愛好家の「業」というものだろう。

今回は、この程我が家に到着した「新しいSPケーブル」について取り上げてみよう。

現在、我が家のSPケールは3種類ある。

「ウェスタン製の単線」「銀製の単線」「LANケーブル」で、いずれも甲乙つけ難しでそれぞれの個性に応じて使い分けている。

たとえば、「銀製」は低音域の解像力に威力を発揮するので「低音専用」に、そしてアンプからスピーカーの距離が「2m」以内ならウェスタン製を、そして2m以上の距離になるときは音の劣化がまったく感じられない「LANケーブル」の出番といった具合で、現状にほぼ満足している。

ところが、オーディオ仲間のYさんから新しいSPケーブル(長さ:2m)の情報がもたらされた。



Yさんは「オーディオアクセサリー」について、とてもこまめに情報を拾う方で、これまでの経験上その信憑度はかなり高いと踏んでいる(笑)。

実は、ネット上で、この商品のレヴューが1件あるが、それはYさんが書いたものだ。以下の通り、ご紹介しよう。

「これはいい!
今まで使ったスピーカーケーブルの中で最高のパフォーマンスでした。繊細で、情報量多く、今まで聴いたことの無い音が聞こえます。
滲みがなく、クリアーで膨大な情報。単線の良さが全開です。
これで私のケーブル遍歴終わりです。
D-On Cu5 なる導体のもう少しの説明があると、より納得できるのですが。導電率110って本当なのでしょうね。という音でした。」

とまあ、絶賛としか言いようがないが、この”おまけ”としてメーカー側から「ポイント」をいただかれたようで、まずはご同慶の至り(笑)。

あの耳のいいYさんがこれほどまでにとなると、つい心を揺り動かされた。しかも、(Yさんの)友人に数十万円もする銀製のケーブルなどと合わせて3本ほど貸し出したところ、「このケーブルが一番です」との回答があったとのこと。

さらに、お値段が信じられないほど安かった!

いっちょう、試してみっか・・。

ネットで注文して一昨日(12日)の夕方に我が家に到着。

ケーブルの芯を剥いて「バナナプラグ」を装着したが、直径がかなり大きい単線なので処理に手間がかかった。しかもアンプやスピーカーに接続する時もケーブルが硬くて一苦労。けっして万人向きではなさそう。

何はともあれ、「2A3シングル」アンプとSP「AXIOM80」との間を接続して聴いてみた。

ウ~ム、成る程・・・、これは聞きしに勝る音ですなあ!

「AXIOM80」を聴くときはこれまで常に「サブウーファー」(-6db/oct:100ヘルツ以下)を使っているのだが、このケーブルだと曲目によっては使わない方がいいケースも出てくるようだ。

「サブウーファー」なんか使わないで済むに越したことはないので大いに助かる(笑)。

想像以上に良かったので、あれこれ実験してみたくなった。

まずはアンプの交換。

「2A3シングル」にまったく不満はないが、日頃から出番の少ない「371シングル」だとどういう音が出るんだろう・・。



前段管は「A411」(独ヴァルボ:バリウム昇華型フィラメント)、出力管は「371」(トリタンフィラメント)、整流管は「80」(BRIMAR=STC)。

当初は整流管に「ナス管」を使っていたのだが、高音域が張り出したときに濁った音が出たのでほぼ新品同様の「BRIMAR」に代えたところ、見事に収まった。

いずれにしても、このアンプで聴いてみたところ、「2A3シングル」よりも生々しい音が出るように思えて、予想以上の結果に思わず胸が震えた(笑)。

で、さっそくYさんに「到着しましたよ」との連絡をしてみると「あのSPケーブルで繊細なAXIOM80がどう変わるか、メチャ楽しみです。今度の土日にぜひ聴かせてください」

「ハイ、どうぞ、どうぞ、ついでにアンプテストをしてみるのでご意見を聞かせてください」

今年は、新年早々から面白い本(「米澤屋書店」)に出くわすし、コスパに優れた「SPケーブル」に恵まれるわで、これから先もとてもいいことがありそうだ。

とはいえ「好事魔多し」という言葉もあるのだが(笑)。



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ミステリ・ファンの座右の書「米澤屋書店」

2022年01月13日 | 読書コーナー

この年初めに紹介した「このミステリがすごい!」(2022年版)をご記憶だろうか。



本書の中で国内版ミステリの第一位を占めたのは「黒牢城」で、著者は「米澤穂信」(よねざわ ほのぶ)さん。

このところ、よくお見かけする名前で「このミス・・」の常連になられている感があるが、このたび恰好の本を見つけた。

というのも、今年は他の図書館に比べて一足早く4日が開館日だったのが隣町の図書館だった。

何とはなく新刊コーナーをぶらついていたら、目にとまったのが「米澤屋書店」、はて面白いタイトルだがと著者を見たら「米澤穂信」さんだった。



「これは、きっと面白い本に違いない!」と、ピンときたね~(笑)。 

これだから図書館通いは止められないと、小躍りしながらさっそく
一読してみるとミステリ作家「米澤穂信」氏のすべてが詰まっていると言っても過言ではないくらいの本だった。

たとえば、こういうことが書いてあった(44頁)。

「本棚を見せる以上の自己紹介はないでしょう。それゆえ、私は、人に本棚を見せることを好みません。しかし、今回こうした文章を書いて、いまは、手の内を無防備にさらけだしたような心細さを感じています。もはや私自身について、そしてこの本について申し上げるべきことは思いつきません。」

実は、オーディオでも似たようなことが言えそうで・・。

というのも、自分が長年かかって「創り上げたサウンド」を人に聴いてもらうのは、何だか心の中を直接覗かれるというか、手の内を無防備にさらけだしたような気がして心細くなる・・(笑)。


それはともかく、本書の中で氏が大好きなミステリを10冊紹介してあったので紹介しておこう。

✰ 「時計館の殺人」(綾辻行人)

とにかく解説が熱い!

たとえば「真相を知った瞬間に目を剥きましたよ。あまりの衝撃にこんなことを考える人間がこの世にいていいものかと思った。そしてですね、読み終えてしばらく経って、ふと再読したときに二度目の衝撃が襲ってくるんです。文章のあちこちに、ほとんど答えそのもののような形で、真相が示唆されているではないですか。」

といった具合。自分も「時計館の殺人」を読み終えたときに「奇想天外のトリックとあまりの恐怖」に打ちのめされたことを告白しておこう。娘も読んでいる最中から「とにかく怖くて、怖くて!」と、こぼしていたほどだが夢中になって読んでいた(笑)。

こういう熱のこもった調子で以下の本が紹介されていく

✰ 「乱れからくり」(泡坂妻夫) ✰ 「白雪姫の殺人」(辻真先)
✰ 「せどり男爵数奇譚(たん)」(梶山季之) ✰ 「第三の時効」(横山秀夫) ✰ 「ユージニア」(恩田陸) ✰ 「大誘拐」 (天藤真) ✰ 「明治断頭台」(山田風太郎) ✰ 「アヒルと鴨のコインロッカー」(伊坂幸太郎) ✰ 「六の宮の姫君」(北村薫)

以上のとおりだが、本書では全編にわたって米澤氏が読破したあらゆるミステリが何らかの形で登場してくる。

こうなると「米澤」氏は間違いなく日本の「アンソニー・ホロヴィッツ」と言ってもいいくらいだし、今後の日本ミステリ界を引っ張っていく逸材だと折り紙を付けたくなる。

とうとう、最後には図書館に返却するのが惜しくなって、ネットで同書を購入することにした。こういうことは初めて!

たとえて言えば、友人からコピーCDを借りて大いに気に入り、別途(音質に優れた)オリジナルCDを購入するようなものかな(笑)。

本書があらゆるミステリファンの「座右の書」となることを確信しながら、ぜひご一読をお薦めする次第です。



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クラシック音楽の「永遠の名盤」

2022年01月12日 | 音楽談義

図書館から借りてきた「クラシックレコードの百年史」を読んでいたら、巻末に詳細な解説付きで「記念碑的名盤100」が掲載されていた。

                

「今さらレコードなんて」という向きもあるだろうし、我が家のオーディオ・システムもレコードをとっくの昔に廃して、現在では「CD」と「HDD」「パソコン」の三者三様の状態だが、音質面でのレコードの優位性は認めざるを得ない。

ただし、手間や時間、そして高価な名盤収集などを考え合わせると今さらという感があってレコードへの回帰を封印している。

さて、この「記念碑的レコード盤100」の中からCD化された稀少盤があるはずだが、はたしてどのくらい持っているんだろうと、確認したところ次のとおり11曲あった。
           

 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」(フリッツ・クライスラー 1926年12月14日~、「クライスラー全集」所収)

 ラフマニノフ自作自演「ピアノ協奏曲2番」(1929年4月10日~)

 J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」(カザルス、1936年11月23日~)

 ショパン ワルツ集(リパッティ、1950年6月、「リパッティ全集」所収)

 ベートーヴェン 交響曲第九番「合唱」(トスカニーニ指揮、1952年3月31日~)

 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(フルトヴェングラー指揮、1952年6月10日~)

 J・Sバッハ「ゴールドベルク変奏曲」(グレン・グールド、1955年6月10日~)

 モーツァルト「フィガロの結婚」(エーリヒ・クライバー指揮、1955年6月、「モーツァルトのオペラ全集」所収)

 ワーグナー「ニーベルングの指輪」(ショルティ指揮、ウィーンフィル、1958年9月~)

 マーラー 交響曲「大地の歌」(クレンペラー指揮、ルートヴィッヒ&ヴンダーリヒ、1964年11月7日~)

 ストラヴィンスキー「春の祭典」(ゲルギエフ指揮、キエフ・オーケストラ 1999年7月24日~)

これら11曲はさすがに定評があり、いつも心惹かれる演奏ばかりで選者(著者)の慧眼には敬意を表したいものの、ジネット・ヌヴーの名演(ブラームスのヴァイオリン協奏曲)が入っていないのは片手落ちというもので猛省を促したい(笑)。「ドン・ジョバンニ」(フルトヴェングラー指揮)だってそう。

なお、以上のCD盤に限ったことではないが全体的に見て「クラシックの黄金時代は1950年代前後」という言葉がけっしてウソではないことが分かる。

これらの音源を自由自在に再生できるのは「オーディオ・システム」だけなので、今さらながら熱中する理由をお分かりいただけようか(笑)。


さて、逐一これらCD盤の解説をしたいところだが読む人にとっては退屈そのものだろうから省略させてもらって、そのかわりに、残った「記念碑的名盤」の中からもしCD化されていたら購入したい盤を挙げてみよう。

 シューベルト「美しき水車小屋の娘」(ディースカウ/ムーア、1971年~)

「最晩年の二人(ディースカウとムーア)は衝動に身を委ね、彼らの生涯最高の演奏を生み出した。」なんて解説を読むと、どうしても手に入れたくなる!


 ドビュッシー 前奏曲集(全集、パスカル・ロジェ、2004年1月)
 

「これは音楽の真価を問う画期的なレコードである」とある。ドビュッシーは好きな作曲家のひとりで、今のところベロフ(ピアニスト)をよく聴いている、ロジェも同じフランス人の匂いがしそうなので是非聴いてみたい。

どなたか、このうち1枚でもCD化されていたら教えていただけませんか、なにもタダでとは申しませんが(笑)。



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快調だった「試聴会」の立役者

2022年01月11日 | オーディオ談義

久しぶりにオーディオ仲間のYさんに来ていただいて「新年初の試聴会」を開催した(9日)。

「別に他人に迷惑をかけるでもなし、自分が気に入ってさえいればそれでいい」というのが「オーディオ」だが、ときどき「別の耳」からのご意見を伺うと「なるほど、そういう聴き方もあるのか」と、向上のきっかけになることが多い、少なくとも我が家ではそう・・。

そのうえ、実際にフルート奏者として生の音に馴染んだ「Y」さんの耳はとても鋭いうえに(サウンドに対する)指摘も的を得たものが多い。

したがって、駄耳の自分とは意見が食い違うことが多いが(笑)、むしろ「”なあなあ”の関係よりもその方がいい」とさえ思っている。

そして、Yさんが我が家にお見えになる理由というか、お目当てはただ一つ。それは「AXIOM80」を聴くこと。

このSPは自分にとってはちょっと神経質すぎるサウンドで決して「手放しで良し」とはしていないが・・。

したがって現在「トライアクショム」を愛用している最中だが、Yさんのことだから試聴の途中できっと「AXIOM80を聴かせてくれませんか」と言い出すに決まっている(笑)。

そこで、前もって予防措置を講じることにした。

というのも、スピーカーをSPスタンドに載せたり降ろしたりの交換をしやすいように箱に「取っ手」を付けてみよう・・。

当日の午前中に「100均」に駆け込んで物色すると丁度よさそうなものがあった。2ペア用として計8個購入(440円)してすぐに取り付けた。



SPボックスの左側面上部に1つ、右側面下部に1つで両脇に1個づつ取り付けてみたところ、見違えるほど上げ下ろしが楽になった。何よりも手が滑って箱を落下させ貴重なユニットを破損させないで済むのがありがたい。

ただし、これは市販の豪勢な箱では無理だが、お粗末な「自作の箱」(板厚:1.2cm)だから出来る話(笑)。

そして、実際に試聴に入ったところ、案の定10分もしないうちに「これでは、まるで隣の部屋で鳴っているようなサウンドを聴いているようなものです。長く聴くには疲れないのでしょうが・・、ぜひAXIOM80を聴かせてくれませんか」

そこで、「そういうことだろうと、前もって降ろしやすいように取っ手を付けましたよ」と種を明かすと「ワッハッハ」と、腹を抱えて笑われた。



「AXIOM80」の登場でようやく落ち着いてサウンドに没頭されるご様子。

本日持参されたCDは「ニコレ」(フルート)が吹くバッハ全集。やはりニコレのバッハとなると、他の追随を許さずゴールウェイやシュルツなどはお呼びでないそうで~。

アンプは、はじめは「WE300Bシングル」だったが、このところ「2A3シングル」がお気に入りのご様子ですぐに所望があった。



このアンプの方が「AXIOM80」と相性がいいそうで、おそらく出力管が定評のある「VISSEAUX」(フランス:刻印)だからではないかと秘かに睨んでいる。

ニコレの次にモーツァルトの「ヴァイオリンとビオラのための協奏交響曲K364」を聴いていただいたところ「やはり弦楽器の再生にかけてはAXIOM80の右に出るユニットはありませんね、弓が弦に当たる感じを克明に再現してくれます。」

「そうですかね・・・」

ほかにも「PL100」「スーパー10」など、聴いていただきたいユニットが目白押しだったが、ここまでAXIOM80を絶賛されるとつい言いそびれてしまった(笑)。

3時間ほど、いろんな曲目を試聴していただいたが、お帰り際に「今日はことのほかAXIOM80の透明感と音色の艶が抜きんでていました。どこか代えたのですか。」

そこで「おそらくプリアンプの球を代えたせいではないかと思いますよ~」と返事しておいた。

「特定の球を挙げて煽っている」と誤解されると、本意ではないので匿名にして仮に「Y球」としておこう。

北国の真空管博士によると「Y球は12AU7と12AX7などの汎用球と違って純粋にオーディオ用に開発された球です。たしかGEが開発したと思いますがオークションでもお値段が張って高いですよ。」

たしかに、頷ける話で「低ノイズ」に加えて、切れ味と艶があってさしあたり欠点が見当たらない。

仮に初段管を「庶民球」と「貴族球」に分けるとすると明らかに後者ですね~。

もしかして、今回の試聴会の立役者はこの「Y球」だったのかな・・(笑)。



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「罪深い遊び」とは

2022年01月10日 | 音楽談義

年始早々から「罪深い遊び」とは穏やかではないが、な~に「音楽」の話ですからご安心を(笑)。

さて、音楽にしろオーディオにしろ「聴き比べ」は実に楽しい。

音楽の場合、出所は同じ楽譜なのに演奏によってこんなに印象が変わるのかという驚きは新鮮そのもので、次から次に買い求めて違う演奏を楽しみたくなる。

たとえば、モーツァルトのオペラ「魔笛」は大のお気に入りだが、とうとう50セット近く買いそろえた。おそらく「世界一」だと自負している。


オーディオだって使う真空管(初段管、出力管、整流管)によって、音がクルクル変わる「球転がし」ひいては「アンプ転がし」果てには「スピーカー転がし」などの「音遊び」はまさに究極の愉しみとして我が家では絶対に欠かせない存在!

ところが、その「聴き比べ」を「罪深い遊び」だと断罪している本を見かけた。興味を引かれたので以下、解説してみよう。

「許 光俊」氏の音楽評論は歯切れがいい。まさに一刀両断、音楽評論家によくありがちな“業界”におもねった雰囲気がみじんも感じられないのでとても清々しい。

初見の方がいるかもしれないので「許 光俊」氏の情報についてざっとお知らせしておくと(ネット)、

「許 光俊(きょ みつとし:1965~ )は、東京都生まれのクラシック音楽評論家、文芸評論家。ドイツ文学、音楽史専攻。近代の文芸を含む諸芸術と芸術批評を専門としている。慶応義塾大学法学部教授。」

氏の「クラシック魔の遊戯あるいは標題音楽の現象学」がその本。

              

本書の冒頭(プロローグ)にこうある。

「聴き比べは、罪深い遊びである。さまざまな演奏家が研鑽と努力の末に成し遂げた仕事(そうであることを祈りたいが)を、これは駄目、あれは良いと断罪する。

それはクラシックの愛好家に可能なもっとも意地悪で、もっとも贅沢な遊びである。どうして多くの人々は知らない曲を知る代わりに同じ曲を何度となく聴き直して喜ぶのか。


ベートーヴェンの“第九”を100回聴く代わりに、せめて未知の作品を20曲聴いたら、新たなお気に入りが見つかるかもしれないのに。~中略~。

聴き比べは、陶酔ではなく覚醒へ向かおうとする。信じることではなく、疑うことを本分とする。満足を得ようとして不満を得る。」

さらに「演奏の歴史とはまったく驚くべきことに、演奏家がいかに楽譜を無視し、自分の感覚や想像力に従ってきたかという歴史である。」とあり、そういう醒めた視点から4つの曲目について延々と「聴き比べ」が展開される。

自分は非常に
信じ込みやすいタチなので(笑)、「成る程、成る程」と素直に頷きながら、つい“お終い”まで読み耽ってしまった。

とにかく、その「聴き比べ」というのが中途半端ではないのである。

1 ヴィヴァルディ「四季」(春)~演奏家のエゴの痕跡~

「精神が欠落した音楽の空白を埋めるかのように、様々な演奏者の録音が山積し(演奏の)実験場と化している。」と、著者は相変わらず手厳しい。

「虎の威を借りる狐」ではないが(笑)、自分も60枚にも及ぶ「バロック全集」を聴いての印象として「バロック音楽は聞き流しが適当な音楽」のような気がしてならない。

もちろん、いいとか悪いとかの話ではなく、こういう音楽が好きな人がいても少しも構わないので念のため。


「イ・ムジチ合奏団+フェリックス・アーヨ」を皮切りに、何と24もの演奏の「聴き比べ」が紹介される。とても半端な数字ではない。それぞれの演奏に対して的確なポイントをついた辛口の指摘がなされていて、著者の音楽への造詣の深さと分析力には脱帽する。

こういった調子で、2 スメタナ「わが祖国」(モルダウ)~内容を再現したがらない指揮者たちの反抗~については、極めて民族的な(チェコ)音楽にもかかわらず、「アメリカのオーケストラ」の心なき演奏への嘆きなどを交えながら、23もの演奏の聴き比べ。

圧巻の3 ベルリオーズ「幻想交響曲」~自我の中で展開する私小説~に至っては、37もの演奏の「聴き比べ」。

作曲家自身のベルリオーズが残した楽章(5楽章)ごとの解説があまりにも“微に入り細にわたっている”ため、演奏家にとってはそれが“がんじがらめ”となっていっさいの想像力が許されず、両者の間に創造的な緊張関係が起きることはないとあり、「今さらながら、かくも多くの下らない演奏が氾濫している事実に呆れるしかない。」(216頁)。

というわけで、「言葉では表現できないことを生々しく伝えることが出来る芸術=音楽」の役割について改めて一考させられた。

本書の読後感だが、「聴き比べ」とはたとえばA、B、Cと違う演奏がある場合にA、B、Cの差異を問題にするのではなく、「Aと作品」、「Bと作品」といった具合に常に演奏と作品の関係を追及しながら、基準となるものをしっかり据えて対比しつつ、あえて演奏同士の間には上下関係をつけようとしていない。」
ことに感心した。

本来、「聴き比べ」とはそうあるべきものなのかもしれない。

翻って、これをオーディオに当てはめてみるとどうなんだろう。

いろんな真空管を差し換えて音質テストをするにしても、音楽作品のような確たる羅針盤があるわけでもないのではたして評価が正しいものかどうかハタと困ってしまう。

もしかすると、このことがオーディオ界において単なる「個人の主観に基づいたもの」が「評判」となり、大手をふるって独り歩きする所以なのかもしれない。


音質を左右する要因はいろいろあって、「音響空間を支配する部屋の広さ」、「音源」、「アンプ」、「スピーカー」、「電源」などの条件次第で真空管だって生き返ったり死んだりするから、「これはイイ」とか「あれはダメ」とか、早計な判断は「危険」ということが分かる。

これからは「聴き比べ」を「罪深い遊び」にしないように“心がけ”なければいかんなあ・・、とはいえ「分かっちゃいるけど止められない」だろうねえ。

結局のところ「音楽&オーディオ」は自己満足の世界なんだから(笑)。

 

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今年は波乱万丈の年になりそうだなあ

2022年01月09日 | 独り言

早いもので元旦からもう1週間以上が過ぎた。

今年の3が日は温泉観光地「別府」だけあって、県外ナンバーのクルマが市内をうようよしていた。

「コロナは大丈夫なのかなあ?」(笑)

まあ、「鬼の居ぬ間に」ということだったのだろう。案の定、「オミクロン株」の変形ウィルスが猛威を振るい始めて、ここ1か月ばかり「感染者0」だった県内も一気に30名近くへと激増した。

ただし重症化の話をあまり聞かないので、薄く広く感染して最後はインフルエンザみたいな感じで終息する気がする。

それはさておき、年始早々からいろいろ波乱があったので記録しておこう。

まず、悪いことから。

✰ メガネレンズの交換

今年は運転免許更新の年(3月)に当たる。昨年の10月にハガキが来て「認知症検査を受けなさい」。そこで、忘れもしない10月13日に受けたところまずは合格。

すぐに、近くの自動車学校に「免許更新の高齢者講習会」を申し込んだところ、なんと3か月後の「1月6日」の指定があった。間が空きすぎるので不満だったが仕方がない。

で、この程「講習会」に行って、法令講習、実技、そして身体能力テストを受けたところ、視力が「0.6」と宣告された。

「0.7」が合格の最低ラインということで、「レンズを代えればいいですよ」。

そこで、急いで近くのメガネ店に駆け込んだところ、レンズの交換費用がなんと「94,000円」(ニコン)と宣告されてアチャ~。

立派なSPユニットが買えるじゃないか!(笑)。

家内の前で”しおらしく”嘆いて同情を引いたところ「半分出してあげる」。

ああ、よかった(笑)。

ちなみに、現在のメガネ・フレームは「エア・チタニウム」といって、とても軽く「掛け心地」が抜群でもう20年以上愛用しているが、現総理の「岸田さん」も掛けているそうで「どこで売っているのか」と問い合わせが多いそうだ。



もともとのデザインは「デンマーク」が発祥だそうで、それを聞いて成る程~。

オーディオ製品でもデンマーク製は垢抜けしている。オルトフォンのカートリッジに代表されるが、ほかにもプレイヤーなどの洒落たデザインが強く印象に残っている。



それはともかく、年始早々から5万円近くの出費は痛いなあ・・。

次いで、出費といえば、

✰ 電子レンジの交換

正月の3日になって電子レンジが動かなくなった。小窓に「修理してください」の表示が出る。製造年を調べてみると10年前だった。

どうやら修理するよりも買い換えた方がよさそうで、近くの電気店に掛け合うとすぐに配送してくれた。

「レンジの寿命はどのくらいですか?」と配達員さんに尋ねすると「8年から10年です。10年持てればいい方ですよ」「そうですか・・。もう買い換え時だったんですね~」



次はいい話。

✰ 「ヒートクロス」のインナーをいただく

現居住地は世帯数が150ぐらいの小さな団地だが、オーディオ愛好家は皆無だけど、ゴルフの愛好家は多い。

家内の親友のTさん宅も、ご主人が週に2~3回は行っているほどのゴルフ好き。

で、この程コンペで入賞し景品(インナー)をもらったのはいいけれど、寸法が「M」なのでサイズが合わない。

「新品なのでよろしかったら、もらってくれませんか」と奥様を通じて家内に話があった。

「ああ、
それは願ってもない話だ、着る、着る」と、すぐに飛びついた。



凝った「ハイネックのインナー」だそうで、箱にはこう書いてある。

〇 吸湿発熱 身体から発散される水分を吸収して発熱します

〇 保温 特殊繊維が発熱された暖かな空気を逃がさず保温します

〇 ストレッチ どんな動きにも対応する快適ストレッチ

〇 裏起毛 肌側が起毛しているのでソフトで暖かな着心地です

〇 ソフトタッチ 柔らかく肌触りの良い素材を使用しているので快適

で、定価は税込みで「8,800円」也。

年始早々からこれだから、今年は波乱万丈の年になりそうだなあ~(笑)。



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「いいスピーカー」とは

2022年01月08日 | オーディオ談義

先日のブログ「ん、鈍い音・・それがどうした!」で話題にしたスピーカー「トライアクショム」(グッドマン)。



ブログで話題にした以上、義務感も手伝って(笑)ここ4~5日じっくり聴き込んでみるとやっぱりいいですねえ!

「叩けば叩くほど良くなる法華の太鼓」ではないが、聴けば聴くほど音がこなれてくる印象があって、古典系スピーカーの本領を発揮させるためには最低でも2~3日のエージングが必要みたいですよ。

というのも、じっくり鳴らし込んでみるといかにも内省的で陰りのある音が胸の奥深くにそっと忍び寄ってきて哀愁に置き換わってくる感じと言えばいいのか・・。

「いいスピーカーとは音楽が本来的に”哀しみ”を表現する芸術だということをわからせてくれる」という思いが唐突に湧き上がってきた。

そういえば、ユング心理学の泰斗「河合隼雄」氏(故人)が「一流の芸術はその底流に死を内在させている」と、宣うたが「哀しみは死に通じる」・・。

とまあ、外野席から「偉そうなことを言うな!」と声が飛んできそうだが(笑)。

とにかく、この「トライアクショム」は納める「箱」にずいぶん苦労した!

グッドマンの指定の箱に容れたり、自作の箱(板厚1.5cm)に容れたりしたがいずれもイマイチだった。今考えると、箱が大きすぎたみたいで音が籠り気味だった。

今回は画像のように小振りの箱の「板厚1.2cm」(下部に1.2cm×50cmの背圧の抜け道をつくっている)で、ようやく落ち着いたみたいだが、これは”たまたま”のことで運が良かったとしか言いようがない。まあ、「トライ&エラー」の繰り返しの産物ともいえるが。

さて、この素性のいいスピーカーだが当然のごとく弱点もある。

というのも、我が家のオーディオ環境ではという条件付きのもとで楽器の中で一番再生が難しいのが「ピアノ」だと思っている。

この楽器の周波数範囲は公称では「40~6000ヘルツ」になっており、ちなみにヴァイオリンは「180~1万ヘルツ以上」だが、ピアノの場合は高音域が十分に伸び切らない分やや音が籠り気味になりがち・・。

もちろん「トライアクショム」も例外ではなく、ヴァイオリンをはじめとする弦楽器群はまったくケチのつけようがないのに「ピアノ」の再生に少しばかり憾みを遺す。

もうちょっと「スッキリとした爽やか感」が出てくれるといいんだけどなあ。

「同軸3ウェイ」のフルレンジ(口径30cm)だから外部ネットワークの巧拙に支配されるわけでもなく、うまく再生できる資格は十分あるはずだけど。

というわけで、音の入り口から順番に機器の相性探しといこう。

ただし、どこかポイントを決めておかないと収拾がつかなくなるのでパワーアンプを一番無難な「WE300Bシングル」に定めた。

音楽ソースはネットラジオの「モーツァルト専門チャンネル」、必然的にDACは「A22」(GUSTARD)に限定。



となると、ほかに弄れるところといえば「プリアンプ」しかない(笑)。

一体化した「プリメイン・アンプ」と違って、プリアンプとメインアンプに分けて使っていると「音の組み合せ」がいろいろ出来て楽しい。

オーディオには「プリアンプとメインアンプのどちらがサウンドを大きく支配するか」という古くて新しいテーマがあるが、使用しているオーディオ環境の違いで変わってくるので一概には言えないと思っている。

我が家には現在3台のプリアンプがあるが今回は「安井式」プリアンプでいってみよう。



「熟練の手練れ」に作ってもらったアンプだが、ボリュームは「東京光音」製に取り換え、次いで「マイカコンデンサー」を要所に用いている。

構成はごく簡単で、お馴染みの「12AU7」が前段2本と後段2本の計4本が使ってあるが、この際とばかり前段の2本をいろいろ代えてみた。

「M8136=12AU7](ムラード)、「E80CC」(独:ヴァルボ)、「13D9=12AT7」(BRIMAR=STC)、そして「6072=12AY7」(GE)。

結論から言うと「6072」が一番良かった。中高音域に独特の艶が出てきて他の追随を許さず、ピアノの不自然感も大きく解消した。

「6072」なんてマイナーの象徴みたいな球で、手に入れた経緯もサッパリ覚えておらずこれまで一顧だにしなかったが、北国の真空管博士によると「これは私の好きな球です!」とのことで、大いに見直した。

ネットによると「μ(ミュー)=増幅度」が「44」とあり、丁度「12AU7」と「12AT7」の中間あたりに位置する球。

急いで「スペア」を確保しておこうとオークションを覗いてみたら、近代管ばかりがズラッと並んでガッカリ、一気に買う気が失せた。

まあ、あと1本だけスペアがあるのでいっか・・(笑)。

今回の実験を通じて、我が家では「プリアンプの球がサウンドを大きく支配する」ことを改めて肝に銘じたことだった。



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「ドイツ国家演奏家資格」とは

2022年01月07日 | 魔笛談義

ドレスデン・シュターツカペレ(ドイツ)の第一ヴァイオリン奏者「島原早恵」女史。

第一線で活躍している演奏家、しかも活躍の舞台がレベルの高い外国での名門オーケストラともなればとても貴重な存在だと思う。

彼女の経歴を覗いてみよう。

桐朋学園大学卒業後、ドイツミュンヘン国立音楽大学大学院へ留学、同音楽院マイスターコース(最高課程)修了。2002年にドイツ国家演奏家資格を取得とある。

さて、ここでクウェスチョン?

「ドイツ国家演奏家資格」というのは一体何だろうか。いかにもドイツらしい四角四面の堅苦しそうな言葉だが、音楽を演奏するのに資格が要るなんて聞いたことがない!

検索してみると、「goo教えて」に次のような質疑応答があった。

質問
「国家演奏家資格っていうのは、どこの国で必要で、どんな風にすれば取れるんですか?」この質問に対して次の2つの回答があった。

回答1
「ドイツにそんな資格があるのを聞いたことがあります。相当難しいテスト(実際の演奏)のようです。聞いた話では東京芸大と桐朋のピアノ科の人ばかり6~7人が受けたところ1人しか合格しなかったそうです。」

回答2
「トロンボーン奏者堀江龍太郎さん(同資格取得者)のURLの記事にあった話として、大学院を卒業すると「ドイツ国家演奏家資格」が自動的に授与されるが、大学院の卒業試験が生半可なものではなく、成績が悪いと強制的に中退させられるという。ドイツでは、大学院を卒業した場合を除いて、「国家演奏家資格」試験を受けなければならないようです。」

以上で少しばかり分かってきた。

ドイツでは国家的な見地から独自の制度にもとづき先人の遺した偉大な遺産(楽譜)を簡単に穢(けが)されないように、さらには音楽芸術の表現にあたってきちんと一定の水準以上に保持していく仕組みをちゃんとつくっているのだ!

文学や絵画ではどんな小説や絵を描こうと始めから個人独自の創造の世界なので自由勝手なのだが、楽譜の存在が前提となる(間接芸術としての)音楽に限って成り立つ話。

さすがにバッハ、ベートーヴェン、ブラームス(「ドイツの3B」)、ワーグナーといった大作曲家たちを輩出した国だけのことはある。音楽芸術に対する考え方、位置づけがまるっきり他国とは違っているようだ。

ここで、20世紀における名指揮者のひとりブルーノ・ワルターの警告を少々かた苦しくなるが引用しよう。

「いまや芸術に対して社会生活の中で今までよりも低い平面が割り当てられるようになって、その平面では芸術と日常的な娯楽との水準の相違はほとんど存在しない。

本来芸術作品が持っている人の心を動かし魂を高揚させる働きに代わり、単なる気晴らしとか暇つぶしのための娯楽が追い求められている。

これらは「文明」の発達によりテレビやラジオを通じて洪水のように流れ、いわゆる「時代の趣味」に迎合することに汲々としている。

こうなると文明は文化の僕(しもべ)ではなくて敵であり、しかもこの敵は味方の顔をして文化の陣営にいるだけに危険なのだ。」

やや回りくどい表現だが、一言でいえば「もっと芸術に対する畏敬の念や位置づけ、支えをしっかりしてほしい」ということだろう。

さすがにドイツでは「国家演奏家資格」を通じてこういう風潮を防止し、音楽芸術を大切にしていく姿勢を鮮明にしているところがやはりご立派。

因みに前記の島原さんのドレスデン便りによると国家演奏家資格を持っているだけで芸術家として認められ、ビザの更新にあたっても特別室に案内されるなど下にもおかぬ待遇だという。

こういう姿勢は音楽家を尊敬されるべき職業として高い位置づけにしている、あるいはしていこうとする狙いをも明確に物語っている。

翻って、日本ではどうだろうか。

あえて似たような制度といえば、「日本芸術院」というのがあるが、第三部の「音楽・演劇・舞踊」部門でも音楽家は極々一部の存在で、過去では「岩城宏之」〔故人:指揮者)さんくらいのもので、名誉職としてはいいかもしれないが音楽の発展に寄与するという面ではとても実質的に機能しているとは言いがたい。

したがって、テレビで演奏会を放映するときなどに「ドイツ国家演奏家資格」をお持ちの演奏家がいれば積極的に顕彰してあげればいいと思うがどうなんだろう。

とはいえ、日本では一流とされている演奏家の間でも有資格者がどのくらいいるんだろうか・・。「渡航の手間」とか「今さら受験して落ちると恥ずかしい」のもあってメチャ少ない気がする~(笑)。

そもそも日本ではクラシックとかオーディオはたいへんマイナーな存在で、音楽家を育てるよりもむしろ愛好者の裾野を広げることのほうが先決だろう。

ほんとうの音楽好きで表現力に優れた音楽評論家とか”商売気”抜きのオーディオ評論家の出現が切に待たれるところだが、一つの対策としてこういう方々に自覚と権威を持たせる意味で「資格」を付与するというのはいかがだろうか(笑)。

                              

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「クラシック音楽の未来」の後日談

2022年01月06日 | 音楽談義

昨年末(2021年)に投稿した「クラシック音楽の未来」について、ありがたいことにメル友の「I」さんから次のような反応があった。

無断転載ですが、いつものことなのでお許しくださいね(笑)。


「昨年の「クラシックの将来は・・?」「ジャズは元気!」という記事ですが、私にはどうも、反対に思えてならないのです。

年末の「2021年NHK音楽祭」のFM放送(全5回)を聴きましたが、国内の地方オーケストラのやる気が感じられて素晴らしかったです。

ただし、N響は鈍重でいただけません・・・最近、コンマスの〇〇さんに原因の一端があるように思うようになりました。

N響は個性の強い指揮者でないとその性能が発揮できませんね。スピーカーユニットで言えば、エッジが固着している・・・?

一方、「新春セッション2022」の放送(3時間)は、新旧13人の日本人トップジャズメンが登場しました。

内容は・・素人の私が偉そうですが、がっかりしました。

私はドラムにあまり関心がないのですが、それにしても〇〇のドラムは粗野さが目立ち、いただけない。

13人の中で、私の好みは、佐藤・山下のピアノの御大と本田のパートナー守谷美由貴asの3人でした。これでは寂しいですよ。

純インプロビゼイションの組み合わせもありましたが、どうってことないですね。練習を聴かされているみたいで。

これからも、ジャズは1960年代のアヴァンギャルド系を中心に聴くことになりそうです。

真摯な芸術性を発揮したジャズは、この約10年間(細かく言うと1959年から1970年の12年間)に凝縮されていると思います。前にも書きましたが、その存在は名画と同じです。

昨年末のNHKTV大谷選手の特集で、大谷選手の野球に取り組む姿勢を知ることができました。こういう人に「幸あれ」ですね。」

以上のとおり、「クラシックではなくてむしろジャズの未来の方が悲観的ですよ」という内容だった。

というわけで、次のとおり返信した。

「クラシックの未来はともかく、私の周りはジャズ・ファンばかりですので、明るそうな未来のような気がしましたが現実にはそういうことでしょうか。

ただし「クラシック音楽の未来」というタイトルがちょっと抽象的で誤解を招いたようですね。クラシックファンの退潮傾向を嘆いたつもりでしたが、演奏家も含まれるとなると、これは違いますね。

たしかに若手の演奏家が国際的にも登場して活況を呈しています。

たとえば、5年に一度開催される昨年の「ショパン・コンクール」で第2位になった反田恭平さんなんかたいへんなホープだと思います。

 

いずれにしろ、クラシック(演奏)はともかくジャズ(演奏)が退潮傾向だとすると、これからはますます過去の音源が貴重になり、再生するオーディオシステムが大切になりますね。ご同慶の至りです(笑)」

最後に、ついでなので昨年の12月21日付の日経新聞に掲載されていた記事を紹介しよう。

前述の「反田恭平」(そりた きょうへい)さんが「クラシックの常識 ぶっ壊す」ために活躍されている記事である。

解説にこうある。

「音楽家たちの演奏を静かに座って聴く、そんなクラシックの常識を壊す試みが相次ぐ。ファンの裾野を広げようとする人々の姿を追う」



こういう若手の演奏家の間でクラシック音楽の未来に危機感を持ちながら新しい息吹が芽生えているとは、それも日本人からとは実に頼もしい!

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「ん、鈍い音・・それがどうした!」

2022年01月05日 | オーディオ談義

例年通り新年早々からオーディオに取り組んでいると、今さらだが感じたことがあったので述べてみよう。

およそ1か月ぶりにウェストミンスターの上から降ろした「スーパー10」(ワーフェデール)。



もちろんいいことばかりではなく一長一短ある。

たとえば従来はサブウーファーとの振動板の位置が合わせやすく「音像定位」がピタリと決まっていたはずだが、今回はサブウーファーと引き離したので定位に一抹の不安が残る。

ただし、それとは引き換えに「SPスタンド」効果によるユニット周囲の「開放性」にメリットがあって、それらの「足し算、引き算」を通じて今回は「開放性」に軍配を上げたい気持ちになり、しばらくこの状態で聴いてみよう。

ところが、この動きにまるで呼応したかのようにメル友さん(関東)から「グッドマンのトライアクショムをまだ使ってますか? よかったら譲ってくれませんか」と、オークションで落札した時以上の価格の申し出があった。

「えっ、それはまた難題ですねえ。しばらく考えさせてください」

7系統のスピーカーの中で「リチャードアレン」と並んで滅多に出番がやってこない「トライアクショム」だが、いざ譲るとなると相当な覚悟が要る(笑)。

「トライアクショム」にとっては、今の状態よりももっと使ってくれるところに行った方がいいに決まっているし、そちらの方が幸せだろうが。

「さあ、どうしようか」と、改めて試聴してみることにした。



「スーパー10に比べるとサウンドにベールが一枚も二枚も掛かった感じだなあ・・。ブリティッシュ・サウンド特有の翳りがあって、とても一筋縄ではいかない音だね、これは。しかしこういう音じゃないと聴けない音楽があることもたしかだし~


言い換えると、「しんねり・むっつり」して「音楽的な志向を求めるサウンド」であり、その一方「オーディオ的な志向を求めるサウンド」としては排除したくなる音といっていい。

「えっ、音楽的志向とかオーディオ的志向とかって、いったい何の話?」と訊かれても困るが、実際に我が家の7系統のスピーカー群を例に挙げて分類してみると分かりやすいかもしれない。

それぞれのSPの醸し出すサウンドを想像していただけるといいのですが。

<オーディオ的志向のサウンド>

「JBLの2ウェイシステム」、「AXIOM80(2セット)」

<音楽的な志向のサウンド>

「トライアクショム」、「PL100」、「リチャード・アレン」

<両者の中間帯のサウンド>

「スーパー10」

我が家では常に「音楽的」サウンドと「オーディオ的」サウンドの両者の緊張感を孕んだ「凌ぎ合い」が続いており、その結果として中間帯のサウンド「スーパー10」が安心感を持って受け入れられている・・、といった構図になる。

つまり「音楽的なサウンド」とは「音楽鑑賞を通じて人生の倫理観を問いかけてくる」ようなものだし、「オーディオ的なサウンド」とは「難しいことは抜きにして今を楽しもうよ~」。

前者は噛めば噛むほど味が出てくるので短時間の試聴には向かないし、後者は短時間にはGOODだが長時間の試聴には不向きだし飽きやすい。

なお、極めて個性的な「AXIOM80」を「オーディオ的なサウンド」として分類するのは異論があるかもしれないが、我が家ではあまりにも明晰過ぎる音も「音楽的志向」サウンドの観点からは「?」なのである。

こうやって実際に書きながら気持ちの整理をしてみると、やっぱりグッドマンの「トライアクショム」は余生に必要そうなので手放せませんね~。

「ん、鈍い音・・、それがどうした!」って感じかな~(笑)。



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このミステリがすごい~2022年版~

2022年01月04日 | 読書コーナー

昨年末の29日(水)に帰省し、今月3日(月)に風のように去っていった娘が例年どおり「ハイ」と渡してくれたのが「このミステリがすごい!」(2022年版)



今年も国内編と海外編に分けて年間のベスト20までが紹介されている。         

父娘そろって大のミステリファンなので、上位で紹介されたミステリをチェックして大いに参考にさせてもらっているが、物事にはすべて「当たりはずれ」があるようにミステリも例外ではなく、下位の順位でも逆転現象があったりするので、わざわざ購入するまでもなく図書館で見かけたら借りるといったところ。

<国内編のベスト5>

1位 「黒牢城」(米澤 穂信)

2位 「テスカトリポカ」(佐藤 究)

3位 「機龍警察 白骨街道」 (月村 了衛)

4位 「兇人邸の殺人」 (今村 昌弘)

5位 「蒼海館の殺人」 (阿津川 辰海)

次に<海外編のベスト5>

1位 「ヨルガオ殺人事件」 アンソニー・ホロヴィッツ

2位 「自由研究には向かない殺人」 ホリー・ジャクソン

3位 「スリープ・ウォーカー」 ジョセフ・ノックス

4位 「父を撃った12の銃弾」 ハンナ・ティンティ

5位 「台北プライベートアイ」 紀尉然

以上のとおりだが、国内編はまだ1冊も読んでいない、というか図書館でもお目にかからない。

次いで海外編はトップの座を英国の作家「アンソニー・ホロヴィッツ」が4年連続維持している。今のところ「向かうところ敵なし」の感がある。

「カササギ殺人事件」(2019年)、「メインテーマは殺人」(2020年)、「その裁きは死」(2021年)、そして今回の「ヨルガオ殺人事件」。

ホロヴィッツはNHK・BSで放映している「エルキュール・ポワロ」シリーズでも、ときどき「脚本家」として登場しているほどの多忙ぶりで、伝統のイギリス・ミステリーはこういう人材を得てまったく衰えを知らない。

余談になるが、ホロヴィッツといえば、その昔「鍵盤の魔術師」と言われた「ウラディミール・ホロヴィッツ」という名前のピアニストがいた。

高齢になって日本で公演したときに、あの評論家の「吉田秀和」さんが「ヒビの入った骨董品」と評して物議を醸したことがありましたね。

ちなみに「ヨルガオ・・」は娘がすでに購入しており「仕事が忙しくて読む暇がない」とのことで、今回持参してくれたものの「読んだら失くさないようにね」ときつく念を押されている(笑)。



「ヨルガオ」とはあまり聞かない言葉だと思っていたら、どうやら花の名前で「ムーン・フラワー」のことらしい。

ネットにレヴューがあったので一つだけ紹介して終わりにしよう。

「2つのミステリーが同時進行するというのは、少し分かりづらいですね。舞台が2つともホテルですから。でも、相変わらず内容には惹きつけられます。海外の作品ですが、非常に文章に無駄が無く読みやすいのが、このシリーズの特徴ですね。やはり、訳者の山田蘭さんの力が大きいと思います。作者さんとベストコンビですね‼️」

そうなんです!

ホロヴィッツの作品は文章に無駄がなくリズムがあって実に読みやすくそこが大いに気に入ってます。翻訳者の力も大きいのでしょう。



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今年のオーディオ展望

2022年01月03日 | オーディオ談義

「1年の計は元旦にあり」という言葉があるが、近年は情報が溢れてハイスピードの世の中になったせいか「そんな1年も先の悠長なことは言ってられないよ」とばかりに、かなり「死語」化しているように思う。

とはいえ、我が家の「時間軸」ではまだこの言葉が立派に生きているので、年頭にあたって今年のオーディオ展望を音の「入り口」から「出口」まで見渡してみよう。

ただし、「オークション」で「掘り出し物」が見つかれば見境なくバッタのように飛びつくので「成り行き任せ」みたいなところがありますけどね~(笑)。

それでは、まず微小電流を扱う音の入り口から。

✰ 音の入り口

我が家の音の「入口」は現在「パソコン」「CDトラポ」「ブルーレイ」(収録したCD)と3つある。

朝の起き抜けはパソコンによるネットラジオで「モーツァルト専門チャンネル」を聴き、一段落したらドラマやスポーツ中継などを含んで「ブルーレイ」が主流となり、お客さんが見えたときには「CDトラポ」の出番といったパタ~ン。

3者の中で首を傾げるほどの「音の差」はないので、どうしても便利さの方を優先してCDトラポが遅れをとっている感じ。

たしかにハイレゾの時代に今さら「CDトラポ」(略称)でもあるまいと思うし、実際に高級な「CDトラポ」の新製品がまったく出回らなくなっている。

ただし、長年の習慣で「回りもの」が無いと寂しい気持ちがするのも事実なので(CDトラポは)新規購入はしないまでも故障したら即修理という態勢だ。

現用の「CDトラポ」はCECの「TL3 3.0」(ベルトドライブ方式)でほぼ満足している。もう1台の「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS)の方は昨年修理を終えて戻ってきたもののスペアという感じ。

ブルーレイの場合は曲目の頭出しがリモコンで自由自在なので重宝している。仲間からしきりに煽られているのが「ブルーレイをグレードアップしましょうよ」。

現用中の「ブルーレイ」は「光端子」出力が無いので「HDMI」端子でいったんテレビに放り込んでから音出ししているので、迂回路が無くなればもっと「いい音」になるはずというわけ。

ソニー製のテレビ(55インチ)なので、同じソニーの「ブルーレイ」がいいか、引き続き「パナソニック」にするかちょっと悩ましい。

✰ DAコンバーター

周知のとおり、デジタル・オーディオの要となる機器である。

現用中の機器は3台あって「エルガー プラス」(英国:dCS) と「HD-7A192」(フェイズメーション)、そして昨年の中頃に仲間入りした「A22」(GUSTARD)。

「旧型2台」と「新鋭1台」の対決の構図だが、新鋭を黄金ヒューズに代えてから前二者が色褪せるばかりで出番がめっきり少なくなった。ちなみに「A22」の電源ケーブルはPADの「ドミナス」をあてがっている。

3台ともにテレビからの「光端子」を3分割して繋いでおり、すべて瞬時に切り替えることが出来るが、中国製は安価と引き換えに故障したときが不安で、いったい修理をどこに頼めばいいのか、というわけで他のDACを迂闊に処分できない。


✰ プリアンプ・パワーアンプ

音の増幅部分に当たるが、今のところ台数に不足はないし、性能的にもさしたる不満はないので新規購入はまったく考えてない。むしろ、その逆でぼちぼち縮小整理する方向で考えているが、どれも愛着があってなかなか・・(笑)。

ただし、現在進行形でパワーアンプの改造を「北国の真空管博士」にお願いしているのが1台だけある(モノ×2台)。



出力管を「6A3」(初期の刻印)に変更するもので、「少なくとも2A3よりはいい音が出るはずです、ぜひそうしたいです」の言葉にすがって大いに期待している(笑)。おそらく今年(2022年)のハイライトになるだろう。

✰ スピーカー

最後はオーディオの「華」ともいえるスピーカーだ。ここを代えると本質的に音が様変わりするので一番美味しいところ。

ただし、今のところ特に欲しいと思うものが無いのがちょっと淋しい。

7系統のスピーカーとも満足度はハイレベルで、これ以上欲張るとオーディオの神様から罰が当たりそうな気がしている(笑)。

とりわけ、昨年購入した「SPスタンド」の効果は抜群で、半分死に体だった連中が魅力的に蘇ったのはありがたい。

そして、年始早々の実験開始で「スーパー10」(ワーフェデール)を「ウェストミンスター」から、このSPスタンドに載せ替えたところ、目を見張るほどの変わりよう・・。実に幸先がいい!



調子に乗って、今年も「オーディオ三昧」といかせてもらいましょうかね~(笑)。

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新年あけましておめでとうございます

2022年01月01日 | 独り言

新年あけましておめでとうございます



今年は「寅年」です。我が家のカミさんの当たり年ですが、どうか穏かな年になりますように~(笑)。

さて、これまでずっと付けていた「5年日記」が切れたので、この年末に「10年日記」を購入しました。


日記といってもけっして大袈裟なものではなく、たとえば「〇〇図書館に行った」とか「〇〇真空管が到着」とか、10字以内のメモという感じ。

この日記のいいところは、その日の出来事が過去に遡っていっぺんに分かることで、たとえば「あれっ、去年のこの日はこういうことがあったんだ、その前はどうなんだろう」といった具合。

ただし、問題は寿命の方で日記帳の方が長生きしそうな感じ~(笑)。

最後に、月並みだが午前中に行く神社で次の願い事をする積り。

 家族全員が健康でありますように

 クルマがらみで「無事故」「無違反」でありますように

 音楽&オーディオがもっと前進しますように

 面白い本に出会えますように

 交流の輪がもっと広がりますように

 MLBの大谷選手がもっと活躍しますように



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