「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ピカソかアインシュタインか

2022年01月28日 | 独り言

先日の「日経新聞」のコラム「うたごころは科学する」に「ピカソかアインシュタインか」という記事があった。

お読みになった方もいらっしゃると思うが、「芸術と科学」の関係について興味深いアプローチだと思うので、ちょっと長くなるが紹介しよう。

「君は海難救助隊員だ。今、沈みつつある船の中にピカソとアインシュタインの二人だけが取り残されているとする。どちらか1人だけしか助けられないとすると、どちらを選ぶか。

この問いかけは「ピカソーアインシュタイン問題」と呼ばれる。いつだれが思いついたのかわからないが、この思考実験、回答者の人間性の一端が垣間見えて、ちょっと面白い。

人間には、年齢、性、職業、民族、国籍、宗教、家族構成など多くの属性がある。それらの属性をすべて考慮して相手を評価するのが普通だ。でもピカソやアインシュタインの場合はそれぞれ芸術家・科学者としての属性が他を圧して強烈。

つまり「ピカソ―アインシュタイン問題」は「あなたは芸術家と科学者と、どちらがより大きな価値を持つものと考えますか?」という問いかけなのだ。

読者の皆さんは回答者が科学の徒であればアインシュタインを選ぶだろうと考える人がいらっしゃるかもしれない。サイエンスを志すような人は当然、科学者を優先するだろうと。

これがそうでもないから面白い。

アインシュタインの業績を理解し、この上ない敬意を彼に感じながらも「この場合はピカソだ」と答える科学者が少なからずいる。

相対性理論は偉大なものだが、これは宇宙(自然)のありさまを合理的に説明しようという行為の結果だ。科学者は宇宙を発明したわけではなく。理解しようとしているだけなのである。

芸術家は人間社会を、自然を、自分自身を、独自のやり方で解釈し、絵画や音楽や詩で表現する。表現という行為は自分勝手で我儘なものだが、不思議なことにこれが同時代や未来の人々の心を揺り動かすのである。科学には出来ないことだ。

私の場合も2人を天秤にかけるとすれば、ピカソの方が少し重いように思う。でもだからといってアインシュタインを見捨てることは出来そうにない。ー迷っているうちに、3人とも溺死するかも。どうも最悪の結果になりそうだ。」

と、以上のような文章だった。

皆様は「芸術と科学」のどちらを優先されますか?

ちなみに、私見ではアインシュタインの理論が人類に及ぼした功績と、その恩恵は計り知れないものだろうが、もしアインシュタインが居なかったとしても後世の偉大な科学者の誰かが解明したような気がする。

その点、ピカソは「唯一無二の存在」で「いっさい代わりが利かない」という存在感がある。

大いに迷うところだが、結論として筆者の場合は「アインシュタイン」を選びます。なぜなら、ピカソの絵を見ても感動しないから。

ただし、もしピカソがモーツァルトに置き換わったとしたら、断然モーツァルトを選びます。

つまり「芸術か科学か」という問いかけに対して、「一般論」では存在価値からして「芸術に分がある」と思うが、「個別論」としては芸術と個人ごとの固有の「距離感」に(優先順位が)左右されると思うので。

そう言っちゃ、身も蓋も無いかな(笑)。

ちなみに、アインシュタインはヴァイオリンを嗜み、モーツァルトを愛していた。

「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなることだ」との有名な言葉を遺している。

天才と凡人が同じ土俵に上って共通の趣味を楽しめるなんて、最高だと思いませんかね!(笑)



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