「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

メル友さんからのお問い合わせ

2022年01月17日 | 独り言

このところ、メル友さんから相次いで問い合わせがあった。

まずはホットなところから昨日(16日)投稿したばかりの「早朝のモーツァルトタイム」について、関西の「M」さんからのメールがこれ。

「モーツァルトの専門チャンネル」(ドイツ発)ですが、検索しているのですが、これだ!と確信できません。URLを教えてください。お返しに・・・、ここに「ヴァイオリンソナタ」(K454)があります。フリーでダウンロードできます。」

というもの。
Mさんは10年以上も昔の話になるが、観光がてら2泊3日のご日程で別府の我が家にお見えになったことがある。その時は「ひどい音」だったので、きっとガッカリして帰られたことだろう(笑)。

大のレコード愛好家で、真空管アンプを製作されるほどの技量をお持ちの方である。

愛用されているスピーカーは当時と変わっていないとすればタンノイの「ⅢLZ」(ネットワークを改造)のはずである。タンノイは口径38cmよりも25cmを愛用している人の耳の方を私は信用します(笑)。

いずれにしろ、Mさんは「早いレスポンス」のメールを好まれる方なのですぐに返信した。

「お訊ねのURLは次のとおりです。http:stream.・・・です。

 

ところで、配信聴きました。さすがにシゲティです!たまたまでしょうがネットラジオで聴いた”しんみりとした感じ”と寸分たがわない演奏のようです。CDが欲しくなりました。どうもありがとうございました。」

というわけで、さっそくネットで探してシゲティ(ヴァイオリン)の往年の名演奏(4枚組)を注文した。1955年の録音ともなると、当然モノラル録音だし、盤質も古いので価格も安かった。大いに助かる(笑)。



ネットでの「レヴュー」があったので、無断ですが引用させてもらいます。

「なんと沁々としたモーツァルトだろう。これは老齢の音楽家ならではの演奏だ。 モーツァルトの本質とはなんだろう。僕はつねづねそれを「儚さ」と「無邪気さ」だと考えてきた。

でもそれを表現しうる演奏家というのはごく稀で、モーツァルトは意外なほどに表現のむずかしい音楽家だと思ってきた。 ここに聴かれるのは理想のモーツァルトだ。

シゲティとホルショフスキの演奏は完全に世俗をこえている。表面的なものへの拘りをすて、まるで魂だけがぎしぎしと、しかも優しくひびいてくるようで、聴いているあいだの手ごたえ、充実度がちがう。 シゲティはバッハの無伴奏ばかりが人気だが、これは完全なかたよりだと言える。

むしろ出来の点でいえば、こちらのほうが上だ。しかしバッハという音楽のイメージとシゲティにはなんの違和感もないのにたいして、モーツァルトというのは一見ミスマッチに思えるのかも知れない。

しかしそれはほんの杞憂だ。ここには本当のモーツァルトの「声」というものがあって、それしかない。泣きむせぶようなヴァイオリン、温かいピアノの音色。こんな人間くさいモーツァルトがこの先現れるだろうか。僕はそれを難しいと思う。」

以上のとおり、なかなか熱いレヴューですね。

この一連のヴァイオリンソナタで「涙が追い付かない哀しさ」が、どう表現されているのか、聴くのが楽しみ~。

とまあ、これでお終いだが当初の予想よりもブログが長くなってしまって・・、メル友さんからの問い合わせの「第2号」は次回以降へ持ち越しとしましょう。



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