「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

永遠のグループサウンド「アバ」の新曲

2021年11月12日 | 音楽談義

つい先日のこと、運動ジムでバイクを漕いでいたら何ともご機嫌なサウンドが聞こえてきた。

すぐに「アバ」だと分かったがこのところBGMで度々かかっていて、丁度「曲名」を知りたいと思っていたところだった。

そこで、バイク漕ぎを中断し勇気を奮ってトレイナーさんに「今かかっている曲名を教えてくれませんか?」

するとチューナーの小窓を見ながら「はい、アバのDon’t Shut Me Downです。」「どうもありがとう」

アバといえば40年以上も前のグループ(スウェーデン)である。好きなサウンドなのでCDも何枚か持っているがこんな曲目あったっけ?

自宅に帰ってググってみると、なんとアバが旧メンバーで再結成して新しいCDを発売したとのことでびっくり。

「ABBA復活!完全新作スタジオ・アルバム『Voyage / ヴォヤージ』11月5日(金)発売決定! 「I Still Have Faith In You」と「Don't Shut Me Down」の新曲2曲が先行配信中! 日本盤CDは、ベスト盤やDVDが付属する3形態を含めた全4形態で発売 」



さすがに画像だと全員の「容色の衰え」は争えないが(笑)、ハーモニーの美しさは相変わらず見事なもので今でも十分通用しそう。


丁度2年前にも似たようなパターンがあったのを思い出した。再掲してみよう。

「つい先日のこと、運動ジムでエアロバイクを漕いでいたら「BGM」で何ともご機嫌なサウンドが聞こえてきた。このところ、聴くと心が浮き浮きしてきていつも気になっている曲である。

バイクを中断して、たまたま接客してなかったトレーナーさん(妙齢のすこぶる美人ですぞ!)に、「今鳴っている曲のタイトルは判りますかね?」と尋ねてみた。

すると、チューナーの小窓を見ながら気さくにメモしてくれた。



「どうもありがとう、あれ、テイラー・スウィフトですか!」



いくらオジサンでも「テイラー・スウィフト」ぐらい知ってるよ~(笑)。

「反トランプ」を旗印にしており、アメリカの若者に絶大な人気を誇る美人歌手である。

さっそく、自宅に戻ってから「You need to calm down」(「もっと頭を冷やしてよ」ぐらいの意味かな)でググってみると、8月下旬にリリースされたばかりで、いきなり「ビルボード誌」で2位にランクされた超ヒット曲だった。道理で・・・。」

とまあ、以上のとおりだがこれが縁でこの女性とは今でも軽口を叩く仲だが、目が合うと「まだ音楽をきいてますかあ」「うん、聴いてるよ。そのうち旦那さんと一緒に聴きにおいで~」「ハ~イ」

まあ、無理だろうけどね(笑)。


さて、「アバ」の新曲は運動効果を期待したうえでの思わぬ副産物だったが、日頃からモーツァルトのオペラ「魔笛」を愛でながらも、こういう通俗的なポピュラー音楽にも興味を示すなんて、もしかしてあまりの落差に驚く向きがあるかもしれない。

そこで、この機会に音楽の「ジャンル」へと話を発展させてみよう。

「職業に貴賤はない」というが音楽のジャンルだって同様で、クラシック愛好家がその他のジャンルを見下すことがあってはならないと自戒しているが、そもそもの区分の考え方は(受け売りだが)次のとおり。

「音楽のジャンルを分ける基本中の基本は西洋音階(ドレミファソラシド)とそれ以外の民族特有の言語としての音階をもとに作られた音楽との二種類に分けられるという

そして「クラシック音楽の定義」となると一見簡単そうに見えて意外と手ごわい。そもそも定義なんてないに等しいが、結局のところ、古さ(歴史)、曲目の奥深さ、作曲家自身の多彩な人間像などがポップスなどとの境界線になる。」


さて、本格的なクラシックの歴史がバロック時代(1600年~)からとすると今日までおよそ400年余り経過したことになる。

その一方、絵画の世界ではダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ」が描かれたのが1500年頃だからこちらの方が100年ほど古い。

西洋芸術の粋は「音楽」と「絵画」に尽きると思っているが、いったいどちらに優位性があるんだろうと、ときどき妙なことを考えてしまう。


ついては、ずっと以前の朝日新聞の「天声人語」にこんな記事が載っていた。

「絵画は音楽に負ける」と冒頭にあって「音楽に涙する人は多けれど、絵画で泣いた話はめったに聞かない」とあり、興味深いのは音楽側の人の発言ではなく、昭和洋画壇の重鎮、中村研一氏の言ということ。

耳からの情報は五感の中でも唯一脳幹に直結しており、感情が生まれる古い脳に最も近い。

だから、音楽を聴いて一瞬で引き込まれ、涙することもある。音楽の効用の一つに感情の浄化だと言われるのはそのためだ。

この天声人語の最後はこんな言葉で結ばれている。

「心がうらぶれたときは音楽を聴くな」(笑)。




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すっかり塗り替わったアンプの勢力地図

2021年11月10日 | オーディオ談義

前々回のブログ「すっかり塗り替わったスピーカーの勢力地図」は本年の「ベスト3」に入るほどの大ヒット(アクセス数)だった。

筆者が言うのもおかしいが、実に予想外の結果で大した内容ではなかったもののおそらく「目新しさ」が受けたのだろうと思っている。

そこで、大いに味をしめて二番煎じになるが今度は「すっかり塗り替わったアンプの勢力地図」といこう。これも大した内容ではないけどね(笑)。

何しろ新顔の小型SP「PL100」は「インピーダンスが4Ω」「能率が88db」と一筋縄ではいかず鳴らしにくいのに閉口した。

TRアンプならこの程度は「お茶の子さいさい」だけど、中高音域の倍音成分の響きが硬くてどうしても受け付けられない。

「パワー」をとるか、「響き」をとるか、ここでも選択を迫られるが、我が家ではこれまでの成り行き上当然のごとく「後者」を採択する。



というのも、これまで相手にしてきたスピーカーは「インピーダンスが8Ωあるいは15Ω」「能率95db以上」の「甘ちゃんスピーカー」だったので真空管アンプには「パラダイス」だったのだが、今回はまったくの様変わりの状況である。

アンプの相性テストについては以前のブログにも記載したが、新たなSPスタンドの登場や細かな変更、別のプリアンプの使用などによって我が家の状況は刻々と変化している。

改めて現時点(11月9日現在)での実況報告といこう。

まず、古典管「71A」系統の4台のアンプはいずれも小出力のためアウトだった。実際に鳴らしてみたがパワー不足のため歪みっぽい音が出るので仕方がない


残る希望は、「EL34プッシュプル」「PX25シングル」「2A3シングル」「6098シングル」「WE300Bシングル」の5台となる。

このうち「EL34プッシュプルは30Wの出力を誇り、我が家で一番の力持ちだが、以前は高音域の透明感不足で即退場の成り行きとなったが、今回はまあまあいい線を行く感じで辛うじて当選・・・かな。

問題は「WE300Bシングル」でこれまで我が家の王様の地位をほしいままにしてきたが、「PL100」が相手となるとややパワー不足で歪みっぽい音質がどうも抜けきれず惜しくも落選。

「極めて高価な出力管を長持ちさせるために余裕(6~7割程度)のある回路にしています」(北国の真空管博士談)とのことで、おそらくそのせいだろう。

その代わり、「AXIOM80」や「リチャードアレン」などには相変わらずダントツの実力を発揮してくれるので表舞台から外すわけにはいかない。

特筆すべきは「PX25シングル」で、これまで「WE300B」の後塵を拝しずっと「NO.2」の位置を占めてきたのだが「PL100」になってまるで水を得た魚のように伸び伸びと活躍しだした。

目下のところ「PL100」には「ベスト1」のアンプである。



初段管については「μ(ミュー)=増幅率」の違いに応じて3段階の切り替えスイッチが設けられているが、ベストだったのは「3A/109B」(英国:STC)だった。肝心の「μ」が「5」と低いのだが、そちらの方が「PL100」には相性がいいみたい・・。



ちなみに、これらの初段管をいろいろ聴き比べるためにスペアとして用意しているのがご覧の通りの2つのボックス(すべて縦置き保管)でおよそ20本程度になる。

幾たびも改造を繰り返しながらおよそ30年以上このアンプを愛用しているが、自然に相応の球が集まってくる感じ(笑)。

次に整流管は「WE422A」(ウェスタン1957年製)で決まり。このアンプは整流管に元気のいい「5ボルト、3アンペア」タイプが使えるので助かる。



これも候補(スぺア)が二つのボックスに満載。

真空管アンプを十全に鳴らそうと思ったら、識者のご意見を拝聴しながらコツコツと相性のいい球を地道に時間をかけて探さねばならない。

根気が要るし、それにベストの球が出てくればその時点で他の球は無用の長物となる。

「一将功成りて万骨枯る」
を覚悟しないといけませんね(笑)。

最後に、今回は殺風景な画像が多かったので後味が良くなるように美女の笑顔の画像で締めくくりといきましょうかね(笑)。



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読書コーナー~素数ほど素敵な数はない~

2021年11月09日 | 読書コーナー

いくら南国九州とはいえ、このところ朝晩の冷え込みがぐっと厳しくなった。

「灯油を買ってきて~」の声を背に受けてガソリンスタンドへ。

例年、18リットル容りの灯油缶を持ち運ぶのは自分の役目になっている。

ついでに、足を伸ばして隣町の図書館に立ち寄ったところ、新刊コーナーで目についたのがこの本。



「社会を動かす謎の数の正体とは」とある。

日常生活に欠かせないのが「数字」だし、たとえば時刻を表すのも、お金を数えるのにも数字が欠かせないが、その中でも「素数」は特別な数字とされている。

周知のとおり「素数」とは「自分以外に約数を持たない数」のことで、端的に言えば割り切れない数字の「2,3、5、7、11、13・・・」といった具合。

数字の中でも庶民と貴族があるとすれば「貴族」といえるのかな(笑)。

人間もオーディオも単純に割り切れないところに値打ちと面白味があると思うが、我が日常生活の中でも縁起をかついで「素数」にはいつも敬意を払っている積り。

たとえば現在の車のナンバーは「11-29」だし、運動ジムでエアロバイクを漕ぐときの負荷は「7」といった、ごく些細なことでも気を配っている。

以前のブログでも「素数」を話題にしたことがあるので以下の通り再掲しよう。

「なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?」


その答えは次のとおり。

「結婚祝いや入学祝を包むときに、いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。

ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。

特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。

中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。

これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」

まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけでは説明がつかないように思う。

たとえば、けっして慶事とはいえない葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。

たとえば比較的近い縁者の場合なら1万円~3万円、ご近所などの場合は3~5千円といったところで、慶事ではないケースでも奇数が用いられているのでこれは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。


そこで、出てくるのが「素数」という概念である。


周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。

この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。

素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちがある数字にみえないだろうか。

ちなみに、俳句は周知のとおり基本的には「5・7・5」短歌は「5・7・5・7・7」と素数で構成されていることも意味があるように思えてならない。

そして11月15日に神社に詣でる「7・5.3」(しちごさん)。

11月は素数の月だし、15日を素数に分解すると「7・5・3」だし、3歳のときは「男女とも」、5歳のときは「男の子」、7歳のときは「女の子」の成長を祝う行事として、すべて素数が絡んでくるのが興味深い。


なお、自分の誕生日は3月7日。

3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので(誰でもそうだが~笑)、縁起をかついで日常生活では折にふれて「素数」を大切にすることにしている。

たとえば、オーディオシステムはなるべく「素数」の日に弄るとか、クルマのナンバーは素数にしようとか。

ちなみに、現在乗っている3世代前の旧型クラウンのナンバーは「53-67」だ。両方とも素数というのが気に入っているが、家内に言わせると「ゴミのロクデナシ」だそうだ(笑)。


こうして、よく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているわけだが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろうか。


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すっかり塗り替わったスピーカーの勢力地図

2021年11月08日 | オーディオ談義

人生にも波があるように50年近いオーディオにも大きな波や小さな波がたびたび押し寄せてくる。

たとえば初期の頃のタンノイの「ⅢLZイン・オリジナルキャビネット」の導入、中期の頃の「ウェストミンスター」、そして終期に差し掛かった頃の「AXIOM80」といったところだが、この度実に大きな波が打ち寄せてきた。

我が家にやってきてからおよそ1か月が経った小型SP「PL100」(英国:モニターオーディオ)。



とても「小型」だからとバカにできないほどの資質の持ち主で、毎日のように音楽を楽しませてくれるし新しい発見がある。

たとえば、スピーカースタンドの重要性があるし、もう一つは「200ヘルツ以上の再生にあたって大きな口径のユニットも大きな箱も要らない。むしろ害にさえなる」というポリシー。

もちろん、「我が家の音楽&オーディオ環境では」という条件付きの話である。

以下、そこに至った理由を縷々述べてみよう。

初めての小型SPだったので大いに戸惑ったものの試行錯誤の末ようやく一段落したが、その決め手になったのが「スピーカースタンド」で、これは大型SPにとってはまったく無用の産物だが小型SPには文字通り命運を左右するような大切な存在だったことを認識した。

現在の姿は次のとおり。


SPスタンド(材質は楓)の響きをフルに活用するため、これまで使ってきたインシュレーターを外すとともに、床(振動防止のためコンクリートにしている)に接する部分は「歯車付きの台車」を廃して既成の木製のスタンドを利用して固定した。

となると、「AXIOM80はどうした?」と外野席から声が聞こえてきそうだが、「AXIOM80は自分の力量ではとうとう巧く鳴らせませんでした。今のところ2番手に降格です」と言わざるを得ない状況になったのはご愛嬌(笑)。

ただし、黙って引き下がるわけにはいかないのでSPスタンドを利用して恰好をつけることにした。

ここでわかりやすいように我が家の現在の「SPの勢力地図」を整理しておこう。



 ウェストミンスター(改)をサブウーファー(100ヘルツ以下)として使うケース

SPスタンドに交互に載せるSPは次のとおり

「PL100」「リチャード・アレンのG8」「AXIOM80」(復刻版)

 「AXIOM150マークⅡ」をサブウーファーとして使うケース

マークⅡをサブウーファー(200ヘルツ以下)として使うため「PL100」を載せる(画像のとおり)。

 「AXIOM80」(オリジナル)をフルレンジとして使う(画像の右端)

これら5系統のうち、目下のところ一番気に入っているサウンドが「PL100+ウェストミンスター」である。

点数からいくと90点ぐらいで、我がオーディオの歴史では目下のところ「最高点」である。

実は、これまでクラシックとジャズにはそれぞれ専用のシステムが要ると思ってきた。

両者を分ける端的な違いは「ハーモニーとリズム感の響かせ方の違い」にあるが、このシステムはリスナーにことさら両者を意識させることなく自然なまま再生してくれるところに特徴がある。

したがって、ほんとうにいいシステムとは「クラシックもジャズも分け隔てなく鳴らすことができる」という説に心から賛同している今日この頃。

この気持ちがずっと続いてくれるといいんだけどなあ(笑)。



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頼りになる「オーディオ・アドバイザー」

2021年11月06日 | オーディオ談義

およそ50年近くに亘って悪戦苦闘している「オーディオ」だが、いまだに「快刀乱麻」には程遠く、”あちら立てれば、こちら立たず”と、決め手がないまま肉体的にも心理的にも右往左往している毎日である。

何しろ、昨夜聴きながら大いに感激したシステムが翌朝になって聴いてみるとどうもイマイチだなあ、おかしいなあ、昨夜の現象はいったい何だったのだろう、夢かそれとも
幻か・・。

こういう経験をしたことがないオーディオ愛好家がいるとしたらその人は幸せ者ですね。

ちなみに、オーディオ愛好家とは「好きな音楽をより好きな音質で聴きたい」という常に前向きの心を持つ人が該当すると思っている。

というわけで、こういう魑魅魍魎が徘徊し「百鬼夜行の伏魔殿」のような「オーディオ」に対して一人で立ち向かうのはとても敵わないしどだい無理な話。

そこで、先人の知恵に接したり経験豊富で研究を極めた方の意見を求めるのが一番になるが、ここで我が家のオーディオの貴重なアドバイザーとして登場していただくのが「北国の真空管博士」(以下、「博士」)である。

このブログにもたびたび登場していただいているが、もう10年くらいに及ぶだろうか。

古典管に関するノウハウと蘊蓄にかけてはおそらく「日本一」の方ではなかろうかと推察している。

ちなみに「古典管を自己流に扱う人が多すぎる。(使い方が)原典にちゃんと書いてあるのに」というのが博士の口癖である。

つい最近も2件ほどアドバイスをいただいたので列挙しておこう。

✰ 71A真空管4本の特性検査

先々月の9月20日に我が家に試聴にお見えになったお二人のオーディオ愛好家(豊後大野市)。

そのうちの「お一人」Kさんから前もって打ち合わせたとおり、譲っていたいたのが「71A」真空管の4本。



ご覧の通り「SYLVANIA」の「刻印」(ソケットに刻み文字が彫り込んであり希少管の証明)が2本と「KENーRAD」の2本。

Kさんによると「ケン・ラッド」は新品で、「シルヴァニア」もあまり使ってませんとのことだった。

格安のお値段だったし、我が家では「71A」を使っているアンプが4台あるのでスペアとしても心強い限りだが、とりわけ大切にしているアンプが「371Aプッシュプル」アンプだ。



「出力トランス」が定評のある「ピアレス」(アメリカ)だったのでオークションで落としたのだが、配線がぐちゃぐちゃしており、ハム音が出ていたので直していただいたのが「博士」だ。

出力管に「71A」が4本使ってあるのだが、プッシュプル型式の場合、ペア管同士の特性が一致していることが必要なので、このたび「博士」に前述の4本を測定してもらうことにした。

すると「ケンラッドは文字通り新品で2本とも特性が一致してますのでプッシュプルには十分使えます。シルヴァニアも2本とも行けそうですが、うち1本が早めにダウンする可能性があります。ピンが酸化被膜してましたので掃除しておきました」とのことだった。

まずは合格ということで、ひと安心。そして真空管のピンの掃除といえば、その昔博士から教えていただいたのが「ネヴァダル」(画像)。



これでピンを拭き上げた後、ティッシュペーパーで油っ気を綺麗に取ってやれば終了。

2件目はこれ。

✰ ネットラジオ「モーツァルト専門チャンネル」のバージョンアップ

2週間ほど前のこと「博士」から連絡があった。

「貴方が使っているネットラジオのアプリ「AIMP」(ロシア)ですがこのほどヴァージョンアップされたことをご存知ですか?」

「いいえ、まったく知りませんよ。どう操作すればいいんですかね?」

「やり方をこれから調べますので明朝9時にもう一度連絡します」

ここで話は過去に遡る。

今年(2021年)の7月にDAC「A22」(GUSTARD)を購入し「博士」のアドバイスのもとにハイレゾ「384KHZ」の取り込みに成功して「モーツァルト専門チャンネル」(ドイツ)を聴けるようになったのは先般のブログに記載したとおり。

音楽史上「最高の天才」の作品を毎日、優れた音質でぶっ続けに聴けるんだからこの4か月間はまさに「この世のパラダイス」だった。

それに加えて希少な作品がときどき流されるのだからたまらない。

たとえば「ヴァイオリンソナタ1番K6」(パソコン表示)
だが、ケッヘル番号が6番だからわずか8歳前後の作品だろう。

いかにも”とつとつ”として拙いながらも、とてもリズミカルで聴く人をワクワクさせてくれる曲風に思わず目頭が熱くなった。

「三つ子の魂百まで」
で、こんなに幼少の頃から35歳で亡くなるまで、モーツァルトの音楽の本質は一貫して変わっていなかったんだ・・・。

汲めども汲めども尽きせない、まるでこんこんと泉の底から湧いてくるような音楽にいったんハマるともうたいへんですぞ(笑)。

それはさておき、博士からの電話の指示通りパソコンに「AIMP」画面を出して指定箇所をクリックしていったら無事ヴァージョンアップに成功した。

「音質が向上したみたいですよ。楽器の数が増えたように聴こえるので分解能が良くなったんじゃないですか。」

「博士」も「同感です」とのことだった。

これからも頼りにしてますからね~(笑)。



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読書コーナー~ミステリーの傑作~

2021年11月05日 | 読書コーナー

たまたま図書館の新刊コーナーで目についたので借りてきたのがこの本。



初めて読む作家なので白紙の状態で読んでいくと、これがなかなか面白い。

ストーリーの舞台がかっての「満州国」というのも夢があって大いに興味が惹かれた。

まずは、ネットから読者の「レヴュー」を引用させてもらおう。

「大戦前夜の哈爾浜(ハルピン)にて。革新官僚・岸信介は秘書急死の真相究明を私立探偵・月寒に依頼。晩餐会で毒を盛られた可能性、再び起こる不審死、そして脅迫状に記された“三つの太陽”という謎の言葉。

捜査過程では当時の混沌とした情勢や満州国の闇がひしひしと伝わってくる。そしてラストで突き付けられる驚愕の犯行動機はまさにこの時代ならでは。派手さはないものの、見事な昭和史と本格ミステリの融合。伊吹先生、本当に30歳?!練達の筆致に脱帽…」

もう一つ。

「戦前の満州を舞台に、毒殺事件の真相を探偵が解明しようと奮闘する本格ミステリ。なのだが、この作品がユニークなのは、探偵に依頼する人物が後に総理大臣になる岸信介である事。設定が何とも凄い。

展開としては、探偵が事件の関係者に話を聞き、手掛かりを集め犯人を絞り混んでいくオーソドックスなミステリだが、陸軍大佐、軍人、憲兵などが相手なので、圧力や脅しが探偵に襲いかかり、一筋縄でいかないのが読んでいて面白かった。真相が論理的に解明されるのも良かった。著者は難しい漢字を多用しているが、それで異国の雰囲気も出ている。傑作。」

以上のとおりで特に異論もないが、「岸信介」やその部下だった「椎名悦三郎」が登場するのがなんともユニークだった。両者とも戦後の日本で活躍した政治家である。

「昔の指揮者は良かった」症候群ではないが、昔の政治家は現代のこじんまりとした印象に比べて、一括りにはできない茫洋としてスケールの大きな人物が多かったような気がする。

もちろん、これは一言一句のミスを捉えて暴き立てようとする世知辛いメディアのせいであってご本人の責任ではない。

昔は「貧乏人は麦飯を喰え」「中小企業の一つや二つは潰れても構わない」なんて放言があったが、現代で首相がそういうことを言ったらすぐに内閣が崩壊してしまう。

それはさておき、まずは「岸 信介」だが当時「満州の3スケ」と言われており、それは「岸信介」「鮎川義介」「松岡洋右(すけ)」の3人で、当時の広大な満州に一大帝国を築いてアメリカのような国にしようというのだから気宇壮大だ。

戦後になってからは「カミソリ岸」の異名をとって首相になり「日米安保条約」を締結したのは周知のとおり。

当時の満州国には軍人(東条英機)をはじめ官僚、政財界などにおける最高の人材が派遣されていたことが伺える。

そして「椎名悦三郎」だが、戦後の政界でも官房長官などの要職を務め総理の後継指名などで暗躍した政治家だが、モットーは「省事」だった。

ご本人曰く「余分なことを言ったりやったりすれば、面倒な場面を招くのにつながる。だから余分なことをしない「省事」の心が必要になるのさ、、、、重い地位へ就けばなおさらこの心が必要になってくるのだ」

「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と相通じることがありますね。

オーディオも「省事」に徹して要らんことをしないのが一番だろうが、こればかりは・・(笑)。

最後に本題に戻って、肝心の読後感だが「展開力も十分あるし犯人の意外性も文句なしだが、ちょっと犯行の動機が弱い気がする」というのが正直なところ。



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「余計なおせっかい」ですが

2021年11月03日 | オーディオ談義

「余計なおせっかいですが」というタイトルのメールが来たら、皆様はどう反応されますか?

「一応身構える」あるいは「何だか面白そう」と二通りのタイプがあると思うが、自分は後者である。

どうせオーディオがらみの話なので深刻なことではないだろうし、何かしら示唆があった方が楽しいし役に立つから(笑)。

メールの主はKさん(横浜)からだった。

「PL100は”遊ぶには高額と感じましたが、これだけ楽しめるなら「おもちゃ(失礼)以上ですね。毎回の記事に引き込まれてます。

ちょっと余計なお節介、興味本位で失礼ですがバイワイヤリングをもう少し(発展?)試しませんか。

✰ ワイヤリングを当初の「低音側から高音側に変更」とのことですが、もう一度元に戻し(アンプからは低音側に繋ぎ)、SP本体のバイパス用コードを例の「ハイスピード(東海の方)のワイヤーに繋ぎかえる」

✰ そこで、バイワイヤリング用ワイヤーを東海の方に発注して試す

オーディオの大ベテランに失礼とは思いますが、時間と好奇心は十分お持ちと思いますので。

すぐに次のように返信した。

「余計なお節介」大歓迎です(笑)。
お説のとおり実験してみたところ、大当たりでした。メーカー付属のバイワイヤリング金具は音が悪いことを発見しました。見かけに拘ってますね。モニター・オーディオともあろうものが・・。

なお、ワイヤーは以前に特注して2ペア分作成してもらってましたので間に合ってます。今回はほんとうにありがとうございました!」

ちょっと解説が必要でしょうね(笑)。

「PL100」の背面のバイワイヤリングの状況は次のようになっている。



この、低音(LF)と高音(HF)を繋ぐ洒落た金具を「ほかの線材に代えてみては」、さらにSPコードを挿し込むのは「LF側にしてみては」というご提案である。

そこで、さっそく以前に「T 」さん(東海地方)から作っていただいた「LANケーブル」を金具の代わりに接続してみた。



まったく驚くほどの変わりようだった。極めて透明感のある音質なのに、さらに一枚ベールが剥がれた感じといえばいいのだろうか。

これでメーカー指定の接続金具は「見かけ」に拘り過ぎて「実」を伴っていないことが判明した。おそらくすべてのメーカーがこういうことなんだろう。

まあ、「実」よりも「見かけ」を優先するリスナーも実際に居るので良し悪しの判断はうかつに出来ないけれど・・。

いずれにしても、この度のKさんのお節介はたいへんありがたかった。ほんとうに感謝です。

ただし、SPコードの接続ばかりは低音域優先の「LF端子」よりも高音域優先の「HF端子」の方が良好だった。

なぜなら、サブウーファーとして「100ヘルツ」以下の低音の補強を「ウェストミンスター」(改)でやっているので、「PL100」の低音はむしろ少なめの方がいいので。

最後にKさんの次の返信メールで締めくくりとさせていただこう。

「余計なと思わずに試してくださったのですね、さすがは好奇心だけは人に負けないと豪語される方です。私も見習いたい。

成果のご連絡「読んでいてホカホカうれしかった」ですよ。ありがとうございました。
PS
以前の会社では「お節介の勧め」を標語にしたことがあります。設計者はややもすると「ここまでが自分の領域」としがちですが、領域と領域の間(隙間があればそこがネックに)に「落とし穴」があります。今回の”お節介”とはちょっと違いますけどね。



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「PL100」 と 「AXIOM80」の一騎打ち

2021年11月02日 | オーディオ談義

毎朝の日課になっている「ウォーキング」の途中に携帯がブルブルッと震えた。

「あのスピーカースタンドはどうなりました?」と、オーディオ仲間のYさんからだった。

「ハイ、無事落札しましたよ。4~5日前に到着して既に鳴らしてます

「音はどうですか?」

「実験の真っ最中ですが、PL100以外にもいろいろスピーカーを試したいところですね。アッ、そうそう、お借りしていたスタンドを返却しないといけないですね。今日の午後はいかがですか」

「ハイ、分かりました」

というわけでいつもの「試聴会」開催の運びとなった。

今回のテーマは「小型SPのPL100とAXIOM80」の一騎打ちといこう。

このところ「PL100」ばかり聴いていたので、この機会に久しぶりにAXIOM80を聴きたくなった、それも新しいSPスタンドに載せて・・。

Yさんが「アメリンクの歌声を聴かせてください」と試聴盤として持参されたのがバッハのCDだった。



「とても暖かくて麗しい声ですねえ」と二人してアメリンクの声に聴き惚れた。

「あっ、そうそうアメリンクならシューベルトの歌曲集を持ってますよ」と、収納ボックスの奥から引っ張りだしたのがこれ。



名曲ぞろいだが、惜しいことにこのCD盤は少し高音域の透明感に欠けるようで、Yさんも同様のご意見だった。

音質にかけては定評のある「フィリップス・レーベル」なのに「どうして?」だが「上手の手から水が漏れた」のかな。

音質が悪い場合にシステムの責任ではなく、CDソースの録音の責めに帰するのは相当の自信ということになるが、な~に怯むところはない(笑)。

いずれにしても改めて「PL100」の質感に惚れ惚れしたことだった。

次に、「AXIOM80」(復刻版)の試聴に移った。



いつもはJBLの「D123」が入った箱の上に載せていたのだが、こうしてSPスタンドの上に載せると何だかとてもいい音が出そうな気がする。見かけというものは恐ろしい(笑)。

ところが、見かけだけではなかった!

Yさんがすぐに反応された。

「以前のときよりも音が様変わりしましたよ。PL100と聴き比べるとAXIOM80に古さを感じたんですが、このSPスタンドの上に載せると何の屈託もなくストレートに音が出てくる感じです。となると、PL100の方は音にちょっと化粧をしている感じに聴こえますね。」

と、むしろ「AXIOM80」に軍配を上げたいご様子だった。

両方の持ち主としてはちょっと微妙な気分ですね(笑)。まあお互いに実力伯仲といったところですか。

それからは二人して「AXIOM80」のアンプ選びに焦点が移った。

明らかに「AXIOM80」の方が「PL100」よりも神経質でアンプの変化にもうるさい。言い換えると、相性のいい悪いをより鮮明に出してくる感じ。

「WE300B」シングル、以下「6098=6AR6」、「2A3」と試していくうちに、Yさんが「これから大分市のAさん宅に行く約束をしていますので途中ですが失礼させていただきます」。

ということで、以後はゆっくり時間をかけて独りだけの実験に移った。

まずは、自作の箱(板厚1.2cm)が軽量なので重しとして重量級の「075ツィーター」(ステンレス削り出しホーン付き)を載せたところ、やや粗っぽかった高音域が泰然とした落ち着きを見せてきた。

次にアンプの方だが予想外の健闘ぶりを示したのが「6098」シングルだった。



さすがに名管「WE350」の流れを汲むだけあって「6098」(5極管)は間違いなく素性の良さを発揮してくれるが、これを現在のように3極管接続にするとあの英国の銘管「PX4」の周波数特性に近似してくるという。

さらに、このアンプの前段管は元々は「6SL7」だったのだが、ソケットの変換アダプタ―を使っていろいろ遊べるのが楽しい。

これまで「6SL7」に比べて「μ(ミュー)=増幅率」が低めの「E180CC」(独:ヴァルボ)を使っていたのだが、試しにもっと「μ」が低い「6CG7」(画像:RCAのクリアトップ)を使ってみたところ、音の重心がぐっと下がってより好ましくなった。

我が家では一番素直なアンプかもしれないと惚れ惚れするうちに、このアンプの実力を試したいばかりに今度はスピーカーを「AXIOM80」から「リチャードアレン」(英国:口径20センチ同軸2ウェイ)に載せ替えてみた。



あれ~っ、AXIOM80よりもいい音が出るじゃないか!

しばらくこれで聴いてみるとしよう。

まったく、このSPスタンドときたら「ハードメイプル(楓)」の材質は伊達ではないようで、次から次に既存のSPの魅力を発掘してくれるんだからたまらない(笑)。



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読書コーナー~「女の勘」はなぜ鋭いのか~

2021年11月01日 | 読書コーナー

ずっと以前のことだが娘からこう言われたことがある。

「お父さんはけっして悪いことはできないよ。お母さんはとても鋭くて細かいことによく気が付くからね~」。

この度、内緒で購入した小型SP「PL100」もどうやら気付かれてそうだが知らんふりしている様子で、おそらく見かけが小振りなので大した金額ではなかろうと踏み、あえて波風を立てない積りなのだろう。

ところが、どっこい(笑)。


それはともかく、何も家内だけではなく総じて女性は男性と比べて細かいことによく気が付くように思える。


『「女の勘」はなぜ鋭いのか』(PHP新書刊)

                 

著者の赤羽建美(あかばね・たつみ)氏は早大卒、二十代から四十代にかけて主婦向け雑誌、若い女性向け雑誌の編集者を務めてきた人で、自称だが女性たちのものの考え方の本質的な部分を知ったという。

本書の表紙の裏に書いてある内容紹介(概要)には次のようなことが書いてあった。

『なぜ女性は男の嘘を見抜くのか。実は、嘘をつくとき、男はべらべらしゃべるのに対し、女性は黙り込む。女性は肝心なときには余計なことを言わない。~中略~。女性たちは男に何を求めているのか。女性が望む「優しさ」を、男は勘違いしている?女性向けエッセイの名手が女心の本質に迫る。』

本書の構成は次のとおり。

第一章 「女の勘」が鋭いホントの理由

第二章 女性は自分自身をどう思っているか

第三章 女性は男に何を求めているか

第四章 男が「女の勘」から学ぶべきものとは 

このうち、興味を引かれたのは第二章「女性は自分自身をどう思っているか」。

男性は絶対に女性にはなれっこないのだからこればかりは未知の分野でよく分からないところがある。一読して「そういうものか」と目が開かれた思いがした。とっくにご存知の方もいるかと思うがそのひとつを紹介。

☆ 女性は同性の目を強く意識する(要旨)

男女に関係なく人は他人の目を意識する。他人の目に自分がどう映っているか、他人からどう思われているかを気にする癖がいつの間にかできている。

しかし、他人の目を意識するときに「気にする部分」が男女で異なる。女性たちは決して口にはしないが、もっとも意識を向けているのは美醜ではないだろうか。「同性と比べたときの外見上の差異」。

しかし、子供のころからそのことについてふれるのはタブーだったに違いない。試しに美人の女性に「美人だからさぞもてるだろうね?」と訊くと、決まって「そんなことありません」という答えが返ってくる。

こうした返事は謙遜のようにも受け取れるが、実は決してそうではない。彼女たちは質問した男に対してではなく、そこにはいない同性に向かって答えている。少しでも認めるような返事をすれば、そのことを男がほかの女性に言いふらすかもしれない。彼女たちはそれを極度に恐れている。

女性たちは子供のころから美醜によって分け隔てされるという体験をイヤというほどしてきている。可愛らしい女の子は男の子にもてるし、ていねいに扱ってくれるが見た目が可愛くない女の子はまるで相手にされない。

男性とは違って女性はこういった差別を子供のころから何度となく体験し、大人になるころには見た目がいかに大切かを痛感している。

しかし、生まれもってきた美醜は当然のことながら本人のせいではない。いわば謂(い)われなき差別なのである。つまり理不尽の世界に生きていかなければならない運命にあるのが女性たちといっていい、これが共通の土壌となってある種の連帯感と互助の精神が女性たちの中に存在しているのだ。

したがって、自分が美人であるとの意識を同性に気付かれまい、隠そうとする本能が生じてくるのは必然の流れ。

なぜかといえば妬みなどの屈折した思いが含まれる同性の目は異性のそれよりもずっと厳しいので一人でも敵に回したくないのが本音であり、女性は同性の美醜には決してふれないことを鉄則としている。

以上のような内容だったが、これがすべての女性に該当するわけでもあるまいが何となく思い当たる節もあって「女性⇔女性」の視点が自分の目には非常に新鮮に映った。

とにかく女性の内面で「美醜」の感覚がそれほどの比重を占めていることにこれまでまったく気が付かなかったが、男性と女性とでは「美醜」に対する価値観がかなり違うというのは新しい発見。

つまり、男性側の一般的な見方として女性は美人に越したことはないが「気がきいて気立てがよければそれでよし」というのが多数派のような気もするし・・・。

しかし、やっぱり男性に生まれてきてよかった。

自分には「味方であって味方でないような女性の世界」は少々複雑すぎて”鬱陶(うっとう)しい”限り!(笑)

と、ここまで書いたところでどうやら紙数が尽きたようだ。

本題のテーマ「女の勘は何故鋭いのか」について興味がある方は原書をお読みくださいね。



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