ずっと以前のことだが娘からこう言われたことがある。
「お父さんはけっして悪いことはできないよ。お母さんはとても鋭くて細かいことによく気が付くからね~」。
この度、内緒で購入した小型SP「PL100」もどうやら気付かれてそうだが知らんふりしている様子で、おそらく見かけが小振りなので大した金額ではなかろうと踏み、あえて波風を立てない積りなのだろう。
ところが、どっこい(笑)。
それはともかく、何も家内だけではなく総じて女性は男性と比べて細かいことによく気が付くように思える。
『「女の勘」はなぜ鋭いのか』(PHP新書刊)
著者の赤羽建美(あかばね・たつみ)氏は早大卒、二十代から四十代にかけて主婦向け雑誌、若い女性向け雑誌の編集者を務めてきた人で、自称だが女性たちのものの考え方の本質的な部分を知ったという。
本書の表紙の裏に書いてある内容紹介(概要)には次のようなことが書いてあった。
『なぜ女性は男の嘘を見抜くのか。実は、嘘をつくとき、男はべらべらしゃべるのに対し、女性は黙り込む。女性は肝心なときには余計なことを言わない。~中略~。女性たちは男に何を求めているのか。女性が望む「優しさ」を、男は勘違いしている?女性向けエッセイの名手が女心の本質に迫る。』
本書の構成は次のとおり。
第一章 「女の勘」が鋭いホントの理由
第二章 女性は自分自身をどう思っているか
第三章 女性は男に何を求めているか
第四章 男が「女の勘」から学ぶべきものとは
このうち、興味を引かれたのは第二章「女性は自分自身をどう思っているか」。
男性は絶対に女性にはなれっこないのだからこればかりは未知の分野でよく分からないところがある。一読して「そういうものか」と目が開かれた思いがした。とっくにご存知の方もいるかと思うがそのひとつを紹介。
☆ 女性は同性の目を強く意識する(要旨)
男女に関係なく人は他人の目を意識する。他人の目に自分がどう映っているか、他人からどう思われているかを気にする癖がいつの間にかできている。
しかし、他人の目を意識するときに「気にする部分」が男女で異なる。女性たちは決して口にはしないが、もっとも意識を向けているのは美醜ではないだろうか。「同性と比べたときの外見上の差異」。
しかし、子供のころからそのことについてふれるのはタブーだったに違いない。試しに美人の女性に「美人だからさぞもてるだろうね?」と訊くと、決まって「そんなことありません」という答えが返ってくる。
こうした返事は謙遜のようにも受け取れるが、実は決してそうではない。彼女たちは質問した男に対してではなく、そこにはいない同性に向かって答えている。少しでも認めるような返事をすれば、そのことを男がほかの女性に言いふらすかもしれない。彼女たちはそれを極度に恐れている。
女性たちは子供のころから美醜によって分け隔てされるという体験をイヤというほどしてきている。可愛らしい女の子は男の子にもてるし、ていねいに扱ってくれるが見た目が可愛くない女の子はまるで相手にされない。
男性とは違って女性はこういった差別を子供のころから何度となく体験し、大人になるころには見た目がいかに大切かを痛感している。
しかし、生まれもってきた美醜は当然のことながら本人のせいではない。いわば謂(い)われなき差別なのである。つまり理不尽の世界に生きていかなければならない運命にあるのが女性たちといっていい、これが共通の土壌となってある種の連帯感と互助の精神が女性たちの中に存在しているのだ。
したがって、自分が美人であるとの意識を同性に気付かれまい、隠そうとする本能が生じてくるのは必然の流れ。
なぜかといえば妬みなどの屈折した思いが含まれる同性の目は異性のそれよりもずっと厳しいので一人でも敵に回したくないのが本音であり、女性は同性の美醜には決してふれないことを鉄則としている。
以上のような内容だったが、これがすべての女性に該当するわけでもあるまいが何となく思い当たる節もあって「女性⇔女性」の視点が自分の目には非常に新鮮に映った。
とにかく女性の内面で「美醜」の感覚がそれほどの比重を占めていることにこれまでまったく気が付かなかったが、男性と女性とでは「美醜」に対する価値観がかなり違うというのは新しい発見。
つまり、男性側の一般的な見方として女性は美人に越したことはないが「気がきいて気立てがよければそれでよし」というのが多数派のような気もするし・・・。
しかし、やっぱり男性に生まれてきてよかった。
自分には「味方であって味方でないような女性の世界」は少々複雑すぎて”鬱陶(うっとう)しい”限り!(笑)
と、ここまで書いたところでどうやら紙数が尽きたようだ。
本題のテーマ「女の勘は何故鋭いのか」について興味がある方は原書をお読みくださいね。
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