いくら南国九州とはいえ、このところ朝晩の冷え込みがぐっと厳しくなった。
「灯油を買ってきて~」の声を背に受けてガソリンスタンドへ。
例年、18リットル容りの灯油缶を持ち運ぶのは自分の役目になっている。
ついでに、足を伸ばして隣町の図書館に立ち寄ったところ、新刊コーナーで目についたのがこの本。
「社会を動かす謎の数の正体とは」とある。
日常生活に欠かせないのが「数字」だし、たとえば時刻を表すのも、お金を数えるのにも数字が欠かせないが、その中でも「素数」は特別な数字とされている。
周知のとおり「素数」とは「自分以外に約数を持たない数」のことで、端的に言えば割り切れない数字の「2,3、5、7、11、13・・・」といった具合。
数字の中でも庶民と貴族があるとすれば「貴族」といえるのかな(笑)。
人間もオーディオも単純に割り切れないところに値打ちと面白味があると思うが、我が日常生活の中でも縁起をかついで「素数」にはいつも敬意を払っている積り。
たとえば現在の車のナンバーは「11-29」だし、運動ジムでエアロバイクを漕ぐときの負荷は「7」といった、ごく些細なことでも気を配っている。
以前のブログでも「素数」を話題にしたことがあるので以下の通り再掲しよう。
「なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?」
その答えは次のとおり。
「結婚祝いや入学祝を包むときに、いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。
ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。
特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。
中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。
これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」
まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけでは説明がつかないように思う。
たとえば、けっして慶事とはいえない葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。
たとえば比較的近い縁者の場合なら1万円~3万円、ご近所などの場合は3~5千円といったところで、慶事ではないケースでも奇数が用いられているのでこれは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。
そこで、出てくるのが「素数」という概念である。
周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。
この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。
素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちがある数字にみえないだろうか。
ちなみに、俳句は周知のとおり基本的には「5・7・5」短歌は「5・7・5・7・7」と素数で構成されていることも意味があるように思えてならない。
そして11月15日に神社に詣でる「7・5.3」(しちごさん)。
11月は素数の月だし、15日を素数に分解すると「7・5・3」だし、3歳のときは「男女とも」、5歳のときは「男の子」、7歳のときは「女の子」の成長を祝う行事として、すべて素数が絡んでくるのが興味深い。
なお、自分の誕生日は3月7日。
3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので(誰でもそうだが~笑)、縁起をかついで日常生活では折にふれて「素数」を大切にすることにしている。
たとえば、オーディオシステムはなるべく「素数」の日に弄るとか、クルマのナンバーは素数にしようとか。
ちなみに、現在乗っている3世代前の旧型クラウンのナンバーは「53-67」だ。両方とも素数というのが気に入っているが、家内に言わせると「ゴミのロクデナシ」だそうだ(笑)。
こうして、よく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているわけだが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろうか。