「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

中国古典の魅力とは

2024年02月27日 | 読書コーナー

若いときに読んだ本でも、人生経験を経て再度読むと新たな発見に出会うことがある。本好きの方にはきっと思い当たる節があるに違いない。

「人生に二度読む本」(講談社刊)


城山三郎氏と平岩外四氏という稀代の読書家2名により、「あらすじ→対談→作者解説」のスタイルで12冊の名作を紹介した本である。

城山三郎氏:直木賞受賞、「落日燃ゆ」「毎日が日曜日」など著書多数

平岩外四氏:元経団連会長、国内外で活躍、蔵書3万冊以上

両氏とも故人。

で、その12冊とは次のとおり。


夏目漱石「こころ」 アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」 太宰治「人間失格」 フランツ・カフカ「変身」 中島敦「山月記・李陵」 ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」 大岡昇平「野火」 ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの市民」 ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」 リチャード・バック「かもめのジョナサン」 吉村昭「間宮林蔵」 シャーウッド・アンダーソン「ワインズバーグ・オハイオ」

ご両名の豊かな人生経験、読書経験、博識に裏付けられた書評が実に興味深かった。これは是非読んでみなければという気にさせられるから不思議だ。

たとえば、「老人と海」は若い頃に一度読んだが、さして感銘を受けなかったもののおそらく人生経験が未熟だったせいかなあ~。

城山氏によると「この年齢でしか書けない作品で感激して読んだ。棺桶に入れたい一冊」、平岩氏が「非常に完成度が高い素晴らしい小説」と絶賛されているので、そのうち再読してみたい・・。


そして、本書の後半に平岩さんの読書好きに因んで
さりげないエピソードが紹介されている。

1980年代に日米間の貿易摩擦の折衝に伴い、平岩氏が財界代表としてアメリカ側との交渉の席でアメリカの販売努力が足りない例の一つとしてジョイスの「ユリシーズ」の原書をアメリカから取り寄せて読まれたことを披瀝したところ、「日本の財界人があの難解なユリシーズを原書で読んでいる」にびっくりしてしまって、それまでワアワア言っていたアメリカ側の出席者(経営者、政治家、官僚等)たちがシーンとなって黙り込んでしまったそうだ。(現場に居合わせた城山氏の言による)。

読書が少なくとも教養の一端を顕す万国共通の尺度だという好例だが近年の政界、財界人で平岩さんみたいな読書好きの話はあまり聞かない。

で、自分の知っている範囲で挙げられるのは「斎藤 健」氏(現経済産業大臣)ぐらいかな~。

たまたま現役時代の仕事が縁で、いまだに「後援会報」(千葉県第七区)が送られてくるが、いつぞやの会報の中で「近年の政治家の質が劣化しているのは中国古典に通暁していないからだ」とのご指摘があった。

通暁(つうぎょう)・・、夜を通して暁に至ること、詳しく知り覚ること(広辞苑)。

「中国古典」の魅力とは・・、以下ネットからの引用です。

簡潔な表現でありながら、ずばり人間や人生の真実に迫っていく名言の数々にあります。

「以心伝心」、「温故知新」、「大器晩成」、「四面楚歌」を始め中国古典に由来する四字句をよく使いますが、どの言葉もそれぞれ深い意味をもっていて、その由来を知ると感動することが多いものです。

かつて日本の先人たちは、中国古典に学び、それらの名言を心に刻むことによって、人間を理解し、人生を生きる指針としてきたわけです。

社会は激しく変化していてもその底には、変化しない部分が厳として存在していることがわかります。

人間のもつ本質的な性格や行動を示す人間学は、変化しない部分の代表的なものと言えます。

二千五百年前に書かれた『論語』を始めとする中国古典の人間学は、もっぱら原理原則を説いています。原理原則なるがゆえに、時代の変化にほとんど影響されていないので、現在の我々が読んでも新鮮な魅力に富んでいるし、うなずける面が多いものです。

変化の激しい時代だからこそ、なおさら原理原則に立ち返ってみる必要があると言えます。

と、ありました。現代中国と比べて古代中国は人知の宝庫みたいな感じがします。

斎藤氏は壮年時代に読破した「失敗の本質」に感銘を受け、著者の「野中 郁次郎」さんを直接訪問され、謦咳(けいがい)に接されたほどの方だから説得力がありますね。

ちなみに、この拙いブログでも「巧言令色、仁あること少なし」「糟糠の妻は堂より下さず」など、中国古典から引用したタイトルをときどき使っていますからね~、どうかお忘れなきように(笑)。



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