柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

めんそーれ沖縄(中部)

2005年03月07日 | 旅行など
 沖縄での二日目、那覇のホテルを出発。
バスは一路北上、「満座毛」という象の鼻を思わせる断崖絶壁の景勝地にちょっと立ち寄り、さらに北上。
 
 本部町にある「海洋博公園」に到着。多くの花が飾られている道を「美ら海水族館」へ。今日のメインはここだと言っていいだろう。
世界一を誇る巨大アクリルパネル(圧さ60cm)により、黒潮の海が巨大水槽で造られている。すぐ目の前を大きな大きな「ジンベイザメやオニイトマキエイ(マンタ)」などが悠々と泳いでいる。人間がなんと小さく見えることか。圧倒的な迫力であった!

 午後からは、南下になる。途中パイナップル畑と加工工場の見学。パイナップルの試食をするが、すっぱくてぜんぜんおいしくない。今はおいしい時期ではないのだそうだ。

 南下の高速道は「嘉手納基地」などいくつかの米軍基地の脇を通っている。なんとも広大な敷地だ。軍人のための住宅などもよく見える。「東南植物楽園」に入って、とっくり椰子の樹などさまざまな樹木やお花を観賞した。しかし、近くの基地からひっきりなしに離着陸するジェット機の轟音が頭上を横切る。まったく落ち着かない。

 米軍基地の諸経費、したがって頭上を飛ぶジェット機のガソリンも含めて、すべて我々の税金でまかなわれているのではないだろうか。平和を維持するためにも、我々は莫大な経費を負担しているのだろう。

 ホテルの夕食はバイキングで、何種類もの炒め物(チャンプル)がおいしかった。
食後はホールで「琉球の踊りや島唄」を楽しんで、最後に「カチャーシ」という祝い踊りの手ほどきをしていただいた。買った島唄のCDと共にすてきなおみやげとなった。
 特に、バスガイドさんも、今宵の歌い手さんも紹介してくれた
「てんさぐぬ花」という歌に心打たれた。
 「沖縄口」   
 てぃんさぐぬ花や ちみさちにすみてぃ
 うやぬゆしぐとぅや ちむにすみり 

 「大和口」
 ホウセンカの花は 爪の先に染めて
 親の教えは 心に染めなさい

 実は4番まであるのですが、いまどき心に響きませんか。

めんそーれ沖縄(那覇)

2005年03月07日 | 旅行など
 沖縄の旅2泊3日(添乗員付き)では、まさに定番コースそのものであった。
すてきなベテラン・ガイドさん付の中型バスに3グループ、20人ほどであった。

*一日目:那覇空港から首里城、那覇市内ホテル

*二日目:満座毛経由で中部へ。国営沖縄記念公園(美ら海水族館)、名護パイナップルパーク、東南植物園、那覇市内ホテル(2泊目)

*三日目:平和祈念公園、ひめゆりの塔、おきなわワールド、そして那覇空港へ

 今年の2月沖縄では、ほとんど毎日、雨や曇りで晴天の日は一日くらいだったそうです。
南国の陽光を想像していたのに、予想外のことでした。でも、新潟とはいつも気温差が10度ほどもあるようです。
 バスやホテルの中には冷房装置はあっても暖房設備はありません、という紹介にさすが南国と納得しました。すでに、桜(ヒカン桜)の季節は終わっていて、4月海開き、5月には入梅と聞いて、皆さんびっくり。
 しかし、負け惜しみのようですが、あのソメイヨシノの豪華さと散り際の風情は無いようですし、四季のメリハリがないんだな、などと思ったのでした。

 残念ながら、初日雨交じりの曇り、二日目も同じく、三日目にしてようやく快晴、でもとても風が強く体感温度はぐっと下がって寒かった。

 守礼の門、首里城とも工事中で一部シートで覆われていたりして残念ではあった。
「守礼之邦」の門をくぐり、「首里城」正殿に上がり玉座の間などを見学した。
 琉球の民は、礼節を重んじ中国や大和に気を配りながら、平和な貿易立国として栄えてきていたという。時の為政者のご苦労がしのばれた。

 時移り、首里城地下には日本軍司令部があったため、米軍の爆撃で焼失。戦後この地には、琉球大学が建てられていたが、首里城復元のため移転。
復元なった首里城やその城壁ではあったが、沖縄の重い歴史を感じるには十分であった。

 夜の「国際通り」散策は、にぎやかで、その雑踏を楽しんできた。