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ハンセン病元患者の家族 国超え連帯、前進の力に

2011-08-12 | 先住民族関連
[京都新聞 2011年8月10日掲載]

洛西総局・新里健
 国によるハンセン病患者の強制隔離政策を違憲と断じた判決確定から10年を迎えた。公の場で経験を語る元患者は増えたが、共に深刻な「人生被害」を受けた家族の多くは今も黙したままだ。先頃、日本の当事者や僧侶が、長くハンセン病療養所があったハワイを訪れ、現地の家族会と交流した。元患者への思いを力強く語る家族の姿に、日本が目指すべき将来像を見た。
 ホノルルから小型機で30分。モロカイ島に近づくと断崖(だんがい)が目に飛び込んできた。高さ約千メートルの天然の「壁」に隔てられた先が、カラウパパ療養所の跡地だ。今は国立歴史公園となり、元患者11人が住む。
 ハワイでは日本に先立つ1865年に患者隔離法が制定され、廃止された1969年までに約8000人が同療養所へ収容された。跡地には日本語で氏名や命日、出身地が刻まれた墓も並ぶ。隔離先で没した日系移民1世たちだ。
 ハワイには「オハナの会」という家族会がある。カラウパパ療養所に収容された元患者の尊厳回復を目的に、本人や子孫、支援者とともに2003年に結成された。隔離の歴史を語り継ぎ、元患者の足跡を伝えているほか、隔離政策への公式謝罪を州議会に求め、実現させた。近年は元患者約8000人の全氏名を刻んだ記念碑を療養所跡地に建てる計画を進めている。
 ホノルルで開かれたオハナの会との交流会にポーリーン・プアハラ・ヘスさん(61)の姿があった。両親が元患者で、出生直後に親元から離され祖父母に育てられた。成人後に療養所の訪問を許され、母親から隔離の痛みや生活ぶりを聞いた。オハナの会の活動などを通じ、両親を恥じ、恨む気持ちが解け、尊敬の念へ変わっていったという。
 ハワイ先住民のポーリーンさんは「隔離法は、家族で支え合って生きるというハワイの伝統を脅かした」と話す。元患者の大半は先住民で、尊厳回復を求める動きは、1970年代に始まったハワイ文化復興運動と軌を一にする。
 曽祖父の弟が元患者のステアリング・ハッチソンさん(35)は娘2人と交流会に参加し「何年かけてでも、家族のつながりを回復させることが大事。娘のためにも、カラウパパでの祖先の歩みを語り継ぎたい」と力強く語った。
 日本にも元患者の家族会があるが、公の場で語る人はわずかだ。京都府内に住む元患者の妻(67)は「夫の病歴を親類に打ち明ければ仲がこじれるかもしれず、話せない」という。一家離散、縁談の破談、学校でのいじめ…。96年まで約90年続いた隔離政策で家族は心の傷を負い、今なお萎縮させられている。
 交流会を終えた元患者の川邊嘉光さん(69)=東京都東久留米市=は「葛藤を経て堂々と語るハワイの家族は輝いていた。新たな目標ができ、勇気づけられた」、元患者と家族の縁を結び直そうと支援を続けている僧侶の本多倫子さん(61)=京都市下京区=は「一人一人の声に耳を傾け、前へ進もうとする思いを後押ししたい」と語った。
 日本の隔離政策のモデルとなったハワイで芽生えた当事者の連帯。その連帯は家族が一歩を踏み出す力となり、彼らに苦悩を強いてきた私たちの社会に変化を促してもいる。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2011/110810.html
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