ダイヤモンドオンライン2024年09月28日 06時00分
いま世界中の森林で大規模伐採が行われ、急速なペースで自然が失われている。私たちの暮らしに木材や用地は不可欠だが、森林の回復を上回るスピードで伐採が進んでいるため、このままでは地球の豊かな自然を未来に残せないおそれがある。
そんな現状に警鐘を鳴らしているのが、米・タイム誌の「世界で最も影響力がある100人」に今年選ばれた、森林生態学者のスザンヌ・シマード氏の著書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』だ。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」の存在を解明し、発売直後から大きな話題を読んだ本書は、アメリカではすでに映画化も決定しているという。
今回は、一般財団法人「地球・人間環境フォーラム」主催のセミナーに合わせて来日したシマード氏に、自然と人間の「本来あるべき関係性」について伺った。(聞き手・構成/ダイヤモンド社コンテンツビジネス部)
■人間は森林資源を「一方的に」搾取している
――樹齢数百年の木を商業目的で切ったり、森林の回復を待たずに大規模伐採をしたりと、現代人は自然に対して配慮に欠けた行為をしています。
これは、都市部での現代人の暮らしが、自然と触れる機会が少ないことと関係があるのでしょうか?
スザンヌ・シマード(以下、シマード) 自然と触れ合う機会の少なさというよりも、本質的な問題は、森林に対する「価値観」にあると私は考えています。
太古の昔から、人間たちは衣服や住宅の資材などをつくるために森林から何かを取ってきたら、少なくとも取った分と同量を「お返し」してきました。つまり、自然との間に「互恵的な関係」を築き、森林に対して「思いやり」をもって接していたのです。
ところが、産業革命以降の数百年の間に、そうした互恵的な関係が崩れ、人間が自然から資源を一方的に搾取し続ける「アンバランスな関係」に変わってしまいました。
しかし、当然のことながら、自然界の資源は有限なので、永遠に搾取を続けることはできません。いまの関係性が全く持続可能ではないということを理解し、「人間と森林は助け合わなければならない」という価値観を取り戻す必要があるのです。
――なるほど。私たちがいま一度、人間と自然の「本来あるべき関係性」に思いをはせなければいけないわけですね。
シマード その通りです。実際、森の中や近くで生活していなくても、森に対して敬意や思いやりを持ちながら暮らすことは可能です。なぜなら、そうした心情は、私たち人間のDNAの中に根づいているからです。
たとえば、少し東京を歩いてみると、あちこちに神社が見つかって、その周りには必ず木々がありますよね。そうした風景を見れば、「私たちの暮らしは、自然とともにあるんだ」ということを改めて実感することができます。
大事なのは、自然に対する尊敬の念を忘れず、命あるものはすべて神聖なのだという考え方を常に持っておくことです。それを多くの人が実践することによって、社会全体として、「自然との互恵関係を取り戻そう」という機運が高まっていくはずです。
■樹木を「神聖視」する文化は世界中にある
――いまお話が出た「神社」ですが、日本には神社の境内にある木を「ご神木」として祀る風習があります。欧米でも、樹木を「神聖な存在」として大事にする文化はありますか?
シマード おそらく、すべての文化に共通の思想だと思います。たとえば、私が属しているユダヤ・キリスト教文化においては、様々な書物で「命の木」「知識の木」「肥沃さの木」といった、樹木の神聖さを表す言葉が出てきます。
それから、北米や南米の先住民族の文化でも、樹木は聖なるものとみなされていますし、自然は「命の源」であり、生活に必要な知識や生命の尊さを教えてくれる存在だと理解されています。
そうしたことは、いまでも森林に住んでいる先住民族の長屋や豪家を訪れるとすぐわかります。入り口のあたりに木の柱が立っていて、そこにはその民族の始原にまつわる「聖なる物語」が彫り込まれているからです。つまり、神聖な知恵が木に宿っているという思想を持っているわけですね。
昨年、私が南米・アマゾンに住むアチュアル族のもとを訪れた際には、彼らに「おばあさんの木・おじいさんの木」を見せてもらいました。これは「ツリーピープル」と呼ばれているもので、彼らはこの木々を通じて、自分たちの先祖や霊界と気持ちを通わせあうのです。
森林に住む人々の文化というのは、「人間と自然とのつながりがいかに深いか」ということを強く実感させてくれるのです。
つづく
(本稿は、『マザーツリー』の著者スザンヌ・シマード氏へのインタビューから構成しました)