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「時が来たら産まれるから」「世界的注目を浴びている民族」アマゾンの村で出産したコムアイと太田光海が明かす、地球の裏側の“出産秘話”

2024-09-01 | 先住民族関連

文春オンライン 2024年8月31日 平田 裕介

コムアイさんと太田光海さんインタビュー#1

 アーティストのコムアイ(32)と映像作家・文化人類学者の太田光海(34)。

 夫婦ではなく恋人同士で子供を迎えることを決意し、2023年7月にアマゾンの村で出産をした彼らに、村までの過酷な道のり、村の人々の生活様式、出産時の様子などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/続きを読む)

ペルーの首都から陸路で4日かかるアマゾンの村で出産

ーーアマゾンは南米大陸に大きく広がっている熱帯雨林を指しますが、どのあたりで出産を。

コムアイ ペルーの、エクアドルとの国境に近い村です。

コムアイさんと太田光海さん

ーーその村は、ペルーの首都リマから遠いんですか。

コムアイ 地球にこんな遠いとこあるんだー、って。

太田光海(以下、太田) リマからだと、行くのは4日かかりますね。

ーー陸路で。

コムアイ アマゾンに近い街に飛行場があって、飛行機を使えば1日短縮できて3日で行けたはずなんです。でも、滑走路がダメになっているとかで、1年以上閉まっちゃってて。

太田 それで、バスで20時間かけて移動して。

コムアイ なんかずっと山を登ってるなーと思って、やたら絶景で雲より上にいるから、ここ標高どれくらい?と聞いたら4000mくらいだって言われて。天城越えならぬアンデス越え(笑)。また山を下って砂漠っぽい街も通って。

「大変だったけど、すごく楽しかったな」「生きてる感じがした」

ーーアマゾンに向かった時は、たしか妊娠8ヶ月ですよね。体力的に大変だったのでは。

コムアイ 乗り物に座ってるだけなんで、そこまででは。山の食堂でいきなり降ろされてみんなで昼食を食べたんですが、そこのカルド・デ・ガジーナがすごく美味しかった。

 でももう二度とたどりつけないだろうなあ。あとペルーと言えばインカ帝国ですけど、山の方にはその末裔のケチュア族の人たちが住んでて、おばちゃんたちがポテトチップスのように揚げたバナナをバスの外から売りに来るんです。そういう面も覗けたから、むしろ陸路でよかったかもしれない。ただ、車の移動で1日だけ大変なところがあって。

太田 舗装されてない道で、行く前からそこが山場だなと思ってました。

ーーそこもバスで。

太田 タクシーです。でも街に走ってるようなのではなくて、言ってみれば現地で宿の人に紹介してもらった運転が上手い友達ですね。

ーーその車で進んだのは、断崖絶壁にあるような道ですか。落ちたら間違いなくヤバいみたいな。

太田 そう言われれば、そういう道ですね。ガードレールなんてないし。

コムアイ とにかく道が悪いから、とんでもなく揺れるんですよね。両側のドアにぶつかるくらい。

 なんか大変だったけど、すごく楽しかったな。道で1回車が泥にハマっちゃったんですけど、その場にいた知らない人たちと力を合わせてどうにかしたり。生きてる感じがした。私、東京にいると、正直生きてる感じがあんまりしてないんですよ。

 でも、全力疾走した時とか、何かスポーツした時に「ああ、生きてる」ってなるじゃないですか。その感覚を大事にしたい。

太田 スポーツやってた? 

コムアイ やってない(笑)。

太田 やってないじゃん(笑)。

コムアイ 全然やらないんだけど、でも、わかるの。クラブで踊る時とかも思うもん。ずっと夢中で踊ってたり、汗かいたりすると。だから、スポーツやってる人は楽しいんだろうなと思う。

そこは世界的注目を浴びるワンピス族が暮らす村

ーーそうして辿り着いた村は、アマゾンの中のどんな場所にあるのですか。

太田 アマゾンと一口に言っても、実は都市もあるし車で進めるところもカヌーでしか進めないところもあるんですが、僕らが行った村はアマゾンのかなり奥地のジャングルの中にある川沿いの村です。

コムアイ ボートでしか行けない村ですね。

ーー川幅の広さって。

太田 広さ自体は向こう岸が見えるくらいですけど、とにかく周り全てが森なのでスケール感がやっぱりとんでもないです。

コムアイ 浅くて広い感じの川って、日本にはあんまりないね。しかも茶色くて、ミルクティーみたい。

ーーひとつの部族が暮らしている村なのですか。

太田 ワンピス族たちが暮らす村です。彼らは気候変動や環境問題に対して声を上げていて、ペルー国内で初めて先住民による自治政府を樹立してるんですよ。大統領がいて、自分たちで憲法を作っていて、森を守る方法も自分たちで決めていくって姿勢で。

 例えばアマゾン・ウォッチとか、国際的なNGOも彼らを支援していろいろなノウハウを教えたりもしていて。今世界的注目を浴びている民族です。僕自身も外部の協力者としてこれまで彼らと関わってきて、今回の滞在中もNGOに提出する書類を一緒に作ろうってなってたり。

ーーNGOはどんなノウハウを。

太田 たとえば、太陽光発電を導入してその電力で彼らはラジオ・ワンピスっていうラジオ局を運営しているんですけど。そのやり方や機材のセッティングなんかもNGOから教わっていて、フォトグラファーもジャーナリストもいます。

 彼らは昔ながらのヤシの葉で葺いた屋根の小屋に住んでいるんですけど、例えばその中で一眼レフの手入れとかしてるんですよ。

ーーひょっとして、Wi-Fiが飛んでいたり。

コムアイ 1箇所だけ、運が良ければ通じるところがあります。太陽光パネルで発電してるから、天気も関係するんです。ああ、雨だから繋がらないね、とか。

太田 その日にエンジニアがいないと動かなかったり。先住民系ではない人が村の外からエンジニアとして常駐してるんですけど、その人がしょっちゅう用事を作って何週間も村からいなくなっちゃったりするので、そうするとWi-Fiが止まったりします。

ーーワンピス族の方々は、自給自足で暮らしているのですか?

太田 基本的に自給自足です。「チャクラ」と呼ばれる畑から収穫したものとか、川で獲った魚とか、森で狩猟したイノシシとか猿の肉とか。家の外で放し飼いにしてる鶏とかを食べてます。イグアナとかワニも食べたな。

「職業という概念は薄いですね」「先生ぐらいかな」

ーージャーナリストやフォトグラファーがいるということは、みなさんなにかしらの職業に就いている?

太田 いや、職業という概念は薄いですね。半分狩猟、半分農耕のような生活なんですけど、生きていくためならお金はほとんどかからないので。みんなバナナやイモ類を収穫したり、川で漁をしたり、家を建ててメンテナンスしたり、アクセサリーを作ったり、生きることに関わる全てをなんでもやるという感じです。

 ジャーナリストやフォトグラファーの人たちは自治政府に関わってる特別なメンバーなので、民族全体で1万人以上いるなかで数人しかいない。給料はほとんどもらってないと言ってますし。

コムアイ 先生とかは。

太田 そうだね、先生ぐらいかな。いわゆる職業は。全ての村じゃないですけどアマゾンの村にも今は小学校や中学校があるところもあって。そこの先生たちは大抵その村か近くの出身の人なんですけど、先生には大学を出てないとなれない。だからアマゾンに住みながらもしっかりした給料をもらえる職業としてはほぼ唯一で、リスペクトもされます。

助産師アニータさんの隣の家に住まわせてもらって

ーー現地の助産師に出産を手伝ってもらったそうですが、その方も職業にしているわけではない。

コムアイ 仕事とお手伝いと遊びと生活が線引きされていない世界観なんです。アニータという方なんですけど、少なく見積もっても100人以上のお産を手伝ってて。お産だけでなくて、不妊に効く薬草を処方してあげたり、妊娠中のいろんなこと、例えば逆子を手で治したりもするようです。双子で逆子でもちゃんと産ませることが出来たよ、と言っていた時は、ドヤッという感じでしたね(笑)。

 民芸品を作ること、孫の世話をすることと、村の人の相談に乗ること、畑に行くこと、教会に行くことなどが、どれもアニータの生活で、どれかが職業ってことでもないというか。村の人のお産を手伝うときは、お金がないなら野菜でいいよ、みたいな。それもなかったら、何もいらないって。だってそれで私が手伝えなかったら、その人と赤ちゃんはどうするの?と。私たちにも、お代は気持ちでいいよ、と言ってくれたのですが、さすがにお金を渡させてもらいました。

ーー滞在中は、ずっとアニータさんの家で。

コムアイ 村に着いたら、もう話がついていて。光海君の親友で村のリーダー格の人がいるんですけど、その人が「アニータがいいと思う。聞いてみるよ」って事前に伝えてくれていて。

 それで村に到着して、アニータを訪ねて「よろしくお願いします」って挨拶したら「息子が建てた家があるけど、今は違う場所にいるから、そこに住みなよ」って。それで、アニータのお隣のお家に住まわせてもらって。

太田 住み込みに近いですね。

コムアイ 隣だから「もし夜中にお腹が痛くなったら『アニータ』って叫ぶのよ」って言われて(笑)。

高床式でヤシを葺いた屋根の家が「すっごいよかった」

ーー滞在した家を含め、住居は高床式ですか。

コムアイ 高床になってます。高さはいろいろだけど。私たちが住ませてもらった家は、結構高かったよね。1メーター以上はあったよね。

太田 そんな高かったっけ。

コムアイ そうだよ。だって、ヨッコラショって言って上がってたもん。

太田 屋根は、葉っぱで。

コムアイ ヤリーナっていうヤシがあって、それを葺いた屋根なんです。5年ぐらい持つんだっけ。

太田 10年持たないぐらいかな。

コムアイ お家、すっごいよかったよね。豪雨でも大丈夫。最初は屋根にコウモリ棲んでたけど(笑)。

 最近になって、トタン屋根の家も増えてきたんですよ。トタン屋根の家にもお邪魔したんですけど、すごく暑くて。建てるの大変だと思いますが、ヤリーナの方がいいですね。

ーーアニータさんが近くにいてくれるのは安心ですね。

太田 毎日の食事とか、こういうのを飲んだほうがいいとか、いろんなアドバイスを受けながら毎日過ごせるので。

キャッサバのお酒「チチャ」を妊婦にも乳児にも

ーー飲み物だと、何を勧められるのですか。

コムアイ チチャとか。

太田 口噛み酒なんですけど。キャッサバって、タピオカの原料にもなってる芋があるじゃないですか。あれを原料にして、人間の唾で発酵させるお酒で。 ワンピス族は真水を飲む習慣がないので、チチャが日常の飲み物なんですよ。

コムアイ キャッサバの炊いたやつが、すでにおいしくて最高なんです。真っ白で、ほんのり甘くて。私、ジャガイモよりも好きだな。キャッサバ、芋の中で一番好きかも。めちゃおいしい。

太田 チチャはお酒だから当然アルコールは入ってるけど、妊婦も飲んだほうがいいって言うんです。「妊娠中にアルコールを飲まないほうがいいよ」って、実は世界共通ではなくて。コミュニティによっては、飲んでいい時もある。

コムアイ といっても私下戸なんで、1日だけおいた発酵の浅いやつが好きです。チチャはお酒でありエナジードリンクでもあり単に水分補給でもあるんです。赤ちゃんも生後半年からチチャを飲みますね。

ーー日本では妊娠中のアルコール摂取は厳禁とされてますけど、他に大きく違いを感じたことってありましたか。

太田 大前提から違いすぎるんで……何だろうな。

伝統の押し付けはなかった

コムアイ 感覚を伝えるのが本当に難しいので、滞在中に付けていた日記をもとに一度まとまった形で世に出したいなと思って、実は今本を執筆中なんですけど。
 まず、思った以上に柔軟なのがアマゾンらしさなのかな。「私たちの伝統ではこうだから、絶対にこうしなさい」っていう押し付けはなかったです。「私たちはこういうふうにやるんだよ」と教わって「なるほど。じゃあ、こういうふうにやるのはダメ?」とか聞くと、「ああ、それもとてもいいんだよ」みたいな感じで。矛盾が存在しない?(笑)
 お産の方法に関しても、アドバイスはしてくれるんですよ。膝を開いて梁からぶら下がった状態で産む方法が一番多いって。一応、それで「ウ~ン」って踏ん張っていたんですけど、私はあまりうまくいかなくて。

 結局、しゃがんで息むのがやりやすかったです。「これでもいい?」と聞くと、「うん、それがいいよ!」と。キリスト教も信じるけどシャーマンも信じてる、みたいなね。

ーー「いま8ヶ月です」など、アニータさんには伝えてはいたのですか。

コムアイ 8ヶ月なのは言ったけど、細かい週数は言ってなくて。もう「時が来たら産まれるから」みたいな感じだった。お腹を触って「ちゃんと育ってる、今週かな? 来週かな?」とかって言って。触って、頭の成長具合や姿勢なんかを見てましたね。

ーー陣痛はどれぐらい続きました?

コムアイ 2日ぐらいあったかな。寝れないし、食べれないし。私、こんなに食いしん坊で眠るのが超好きなのに、食べたくない、眠れないのはなんでだろうって。

お祈りしてくれたり、薬草をお腹に塗ってくれたり

ーーそんな状態のコムアイさんを見て、アニータさんは。

コムアイ 絶対に産めるから大丈夫と繰り返してくれていましたが、外国人は初めてだから内心すごく心配していたんじゃないかと思います。村の女性曰く、何日もかかるのはワンピス族でも普通みたいで、「初めてでしょう? 初めての子は2日か3日はかかるよ、すっごく痛いよー」って脅されました(笑)。

 産む前は周りに「痛いよ」って言われても「私はスッと産むだろうな」と思ってたけど、めちゃくちゃ時間がかかったし、痛かったし。陣痛が続いてる間、アニータが産屋の隅でお祈りしてくれてたのがすごく印象に残っています。薬草をお腹に塗ってくれたりもして。

 あ、急に思い出したけど、お産が進んでない時にアニータが乳首を摘んできましたね。ズン、ズンみたいな感じで。

ーー母乳の出などに関係するとか?

太田 子宮を刺激するんです。

コムアイ 子宮の収縮と赤ちゃんがおっぱいを吸うのって、ホルモンが連動してるからみたいで。アニータは「ホルモンが」とか説明はしないですけどね。ただ、黙ってズン、ズンと。

 長年そうしてきたことでお産が進んだ経験があるから、やってくれたんだと思います。いきなり真顔でやってきたので笑いそうになりましたが、そんな余裕ももはやなかったですね。

「頭が出てきた」と思った瞬間に、後ろから抱きしめられて…

ーー産まれる時はスッと。

コムアイ 「頭が出てきた」って思った瞬間に、アニータに後ろから抱きしめられて、そしたら赤ちゃんの身体がドロンッて全部出てきました。

 頭だけ出ている状態だと首が絞まっちゃうのか、ここまで出たら早い方がいいと判断したみたいで。何をされたのか、いまだにわからないんです。2秒くらいの出来事だったので。

出てきた途端に、オギャーオギャーって泣いてました。

ーーへその緒を切る際は臍帯剪刀(さいたいせんとう)を使いますけど、そういった器具は。

コムアイ へその緒は、植物の研いだもので切るのが伝統的な方法みたいです。

太田 竹に近い植物で。ちょっと切ると、そこが刃物みたいになるんですよ。それを煮沸消毒して使ってましたね。

コムアイ へその緒は、ちょっと時間が経ってから切ったよね。

胎盤は生で一口、お塩で食べた

ーー出産後、胎盤を食べたんですよね。

コムアイ 胎盤を食べたことがあるお母さんたちから、もし機会があったら食べるといいよと言われていたので、ずっと食べてみたかったんです。フランスやアメリカの友人と話した時も、産後うつになりづらく母乳が出ると言われていて、粉にしてカプセルにする人が増えてるよーと言ってましたけど、冷蔵庫もないので新鮮な時に食べるしかなかった。

 これは完全に私たちの希望で。ワンピスの文化で行われていることではないです。でも、そんなに驚かず、「そういう人もいるよね。生にする? 焼きにする?」って感じでした。

 日本では、助産院なら食べさせてくれるところもあるみたいですね。

ーー病院では冷凍された後に専門の業者が埋葬してるそうです。好きにはさせてもらえないようですね。

コムアイ 埋葬かー、もったいない。正直、めちゃ美味しいし。食べたくない人にはどうでもいいのかもしれないけど(笑)。

ーーどのタイミングで食べたのですか。

コムアイ まず、産んだ後に胎盤が出てくるんですけど、アニータに「どうやったら出せるの?」って聞いたら、「もう知っているはずよ!」って言われて。

「知っている」ということは……「お産のように息むんだ!」と、ハッとして。もう一回フンッて息んだら、ドゥルルンッて出てきた。

太田 で、赤ちゃんが落ち着いてコムちゃんも着替えてから、生で一口食べました。

コムアイ なんだかんだで、産んで1時間ぐらいしてから。光海君がナイフで切ってくれて、お塩で食べたよね。

写真=橋本篤/文藝春秋

https://bunshun.jp/articles/-/72750

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