不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

【ぷちジブリ特集】「もののけ姫」に隠されたテーマ ~タタラ場の意味するところは?~

2010-01-13 | 日記
(日刊テラフォー 2010年1月12日 06:00)
 スタジオジブリは今年で発足25周年。子どものころに宮崎アニメを見て育った世代が、子どもを持つ年齢となり、いまや親子そろって鑑賞するケースも少なくないだろう。
 第1弾「2月5日放送『崖の上のポニョ』の行方」でも述べたとおり、宮崎アニメの人気はいまだ衰えを知らない。では、その人気の理由は何だろうか。なぜこうも多くの人を魅了するのか。その理由のひとつは、さりげない描写に込められた深いメッセージ性だろう。「風の谷のナウシカ」には、環境破壊や戦争批判などのメッセージがこめられていると言われる。また、「天空の城ラピュタ」の破壊の呪文「バルス」と、バルスがもたらす破壊は、核爆弾のスイッチと「押した結果」を暗示しているのではないか、との見方もある。その他の作品に関しても、多くの好事家が考察を行っている。それだけ宮崎アニメから何らかのメッセージを読み解こうとする人は多い。
 では、その考察の内容とはどういうものか。ここでは「もののけ姫」を例にとり、「もののけ姫」という物語を史実に基づいて読み解いていく。
 
日本における歴史的な被差別者の表象
「もののけ姫」には、日本における歴史的な被差別者を想起させる描写が多い。まずはアシタカだが、彼のモデルは日本神話に登場する人物、長髄彦(ながすねのみこ)だとされる。しかし、これは大元のモデルで、実際に描かれているアシタカは、物語中でも言及されているようにエミシ(蝦夷)だ。平安時代初期に活躍した蝦夷の軍事指導者、アルテイの末裔で、エミシの隠れ里に住むという設定になっている。
 蝦夷とは古来、大和民族から蔑視されていた日本の先住民族で、彼らに関する記述は日本書紀にもみられる。もともと日本列島の北方や東方を居住地域としていたが、次第に勢力を拡大させていく朝廷の侵略により、居住地域は徐々に北上し、やがて現在の北東北が南限になったとされる。また、侵略を受けた蝦夷のうち、一部は大和民族に吸収および同化されたが、もう一部は蝦夷(えぞ)、すなわち後世でアイヌと呼ばれる人々の祖先になった。
 山の中で山犬のモロに育てられたサンは、それこそ山犬のように軽い足取りで山中を駆けまわる。こうした優れた運動神経や、特定の住居を持たないという点などから、サンはかつて日本各地に見られたとされる漂流民、サンカの人々だと考えられる。業病に侵されて包帯を巻いた人々は、症状が悪化すると容貌が崩れていく点からもハンセン病患者とみられる。タタラ場のリーダーであるエボシは服装等から高位の遊女とみるのが妥当だろう。タタラ場の女性たちも「売られた女たち」とされ、これは遊女になる運命にあった、あるいはかつて遊女だった女性と解釈できる。
 
タタラ場は宗教的マイノリティの集落?
「もののけ姫」で物語の中心となるのはエボシ率いるタタラ場だ。このタタラ場のモデルは、現在の島根県の踏鞴(たたら)製鉄の関連施設だとされる。だが、これはあくまでもモデルで、今回の趣旨は「物語を史実に基づいて考える」である。試みに、タタラ場から推察される「もののけ姫に隠されたテーマ」をみていこう。
 タタラ場は、「たたり神」に呪いをかけられたアシタカが、西方の地を目指す旅の道中に登場するが、物語では所在地に関する具体的な言及はない。また、移動手段がヤックルであることを考えると、アシタカは、蝦夷の居住地域の南限である北東北からは出ていない可能性が高い。その東北地方で踏鞴製鉄が盛んだったのは、岩手県の大籠地区である。実はこの大籠地区は、キリシタンの集落でもあった。
 大籠にキリスト教が広がったのは、備中国から製鉄の指導にきた千松大八郎・小八郎兄弟がキリシタンだったためだ。彼らが製鉄指導のかたわら布教を行ったことで、同地にはキリスト教が広まった。しかし、江戸時代に入ると、キリシタン弾圧が強化された。「禁教令」の影響は大籠にも及び、江戸時代初期の数年間には、大籠地区のキリシタン300人以上が処刑されたという。
 「もののけ姫」に登場するのは、蝦夷、サンカ、遊女、ハンセン病患者、そして一般的に身分が低いとされていた製鉄を生業とする人々は、すなわち「日本における歴史的な被差別者」だ。また、前述のように、アシタカが蝦夷の居住地域の南限である北東北からは出ていないと推定すると、物語に登場するタタラ場は踏鞴製鉄で栄えていたキリシタンの集落、岩手県の大籠と考えるのが妥当だ。
 キリスト教の建前は「神の前における平等」である。世間から抑圧されていた被差別者が、「神の前における平等」を唱えるキリスト教に惹かれても不思議ではない。事実、ザビエルは布教の過程で常に被差別者との接点があったと言われる。加えて、一部の地域では、キリシタンや被差別、および潜伏司祭の共生の事実が確認されている。さらに、日本伝来当初のキリスト教は布教の足がかりとして、「コンフラリア」と呼ばれる組織を形成し、病人や貧民、ハンセン病患者、棄児などを救済する慈善事業を行っていた。このコンフラリアの事業内容は、製鉄という産業活動以外でタタラ場が行っていた慈善活動と酷似する。
 こうして、キリスト教と被差別者の親和性は高く、被差別者がキリスト教に取り込まれていく要素は多分に存在した。
 もう1点、「タタラ場=キリシタン集落説」の根拠となりうるのは、タタラ場には製鉄の現場にはつきものの製鉄神が祀られていない点だ。一神教のキリスト教を信仰していれば、多神教の日本の神々を祀ることはできない。加えて、鍛冶を含む製鉄関係の現場は元来、女人禁制だったが、タタラ場は女性が主要労働者となっている。この女人禁制というのも、製鉄神が女神で嫉妬深いためとされる。タタラ場が非神道的な場所、すなわちキリシタンの集落であれば、タタラ場の主要労働者が女性であっても、製鉄神の怒りを恐れる必要はないということになるだろう。
 
深読みのススメ
 その他にも、もののけ姫からはさまざまなメッセージを読み解くことができる。タタラ場の主要労働者が女性であることに関しても、女人禁制という宗教的価値観より、生産性を優先した産業社会の象徴と読み解くこともできるだろう。また、エボシは森林開発という環境破壊もためらわない開発業者、ひいては経済的権力の象徴で、たたり神はそうした環境破壊がもたらす公害病とも考えられる。物語終盤では、近代文明と自然との融和・共生を希求している様子が垣間見られるが、これは経済発展の負の側面である行き過ぎた開発への警鐘と、自然をも操作しようとする人間のおごりを戒める警句だろう。
 さて、筆者、綾路がお送りしてきた「史実に基づきつつも、どことなく独断と偏見の感が否めない『もののけ姫』の読み解き方」。お楽しみいただけただろうか。
 宮崎アニメはただ鑑賞するだけでなく、鑑賞後も断続的に襲ってくる余韻で楽しませてくれる。余韻に身をゆだねていると、これまで聞こえていなかった残響に気づくこともある。残響のあとには、見晴らしのよい丘に導かれ、またたく間に広がりゆく草花に目を見張ることになるだろう。
http://www.terrafor.net/news_xniyYjn7V.html
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雑記帳:修学旅行生向けアイ... | トップ | 観光業者をエコ認定 阿寒湖... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事