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熱帯雨林に生きる「簡素な生き方に戻ろう」

2018-03-14 | 先住民族関連
Swissinfo2018.03.13 文・Ruedi Suter 写真・Bruno Manser Fund

ブナン族の首長(右)とマンサー氏(左)
「熱帯雨林保護活動家ブルーノ・マンサー氏、行方不明に」。2000年、そんな見出しが世界を駆け巡った。スイス人研究者であり、熱帯雨林保護・人権活動家のマンサー氏(46)は、友人の先住民、プナン族が住むボルネオ島の熱帯雨林で突然、消息を絶った。プナン族の一員となった彼は、この先住民の保護に心血を注ぎ、世界中で注目を浴びた。正直な性格が人々の共感を呼び、20世紀に最も高い信頼を得た環境保護活動家の1人だったマンサー氏。地球人として自分の信条を生き抜いた彼は、他人が目を背ける問題にも正面から向き合った。
 「マレーシア政府や木材企業がマンサー氏の口を封じるつもりだったことは裏付けされている」。03年末、氏の失踪に関する裁判手続きの際、バーゼル民事裁判所はそう説明している。バーゼルで育ったマンサー氏は生きることをこよなく愛していた。しかし問題に背を向け、破壊や略奪を容認することができなかった。そして原住民の犠牲や自然の略奪の上に成り立つ、自分が育った産業社会を受け入れることはできなかった。そんな彼は、禁欲をもって飽和状態の現代社会に対抗した。氏の人生は、ひたすら簡素な生き方に戻る過激な道だったと言える。知能、創造力、そして頑固さとユーモアを持って、できる限り現代の生活様式を拒んだのだ。
 マンサー氏は学業を諦めてチーズ職人になり、羊飼いになった。11年も山で暮らした彼はこう言う。「毎日の生活に必要な知識を全て身につけたかった」。そしてその知識を実際に生かすために、太古の昔から狩りや採集で暮らす民族を探した。だが技術化の進んだ欧州では、そういった民族は既に消滅していた。そのため、氏は1984年、マレーシア領の一つであるボルネオ島のサラワク州へ旅立った。そこで勇敢に原生林を探索し、完全な移動民族として今もなお森に生きるプナン族300世帯に出会った。
 プナン族はこの変わり者を仲間として受け入れた。そこで彼は衣類、救急箱、歯磨き粉、靴など、自分の所持品を全て捨てた。ただし近眼だったため、眼鏡だけは取っておくことにした。プナン族のように裸足で歩く生活を試みたが、初めは慣れず、いつも足が傷だらけで、毎回ナイフでとげを抜かなくてはならなかった。やがて痛みに耐えることを覚えた。原生林の中でプナン族と同じ生活をするには、痛みに慣れるしかなかったのだ。そして、いつしか裸足の生活が苦にならなくなった。現代人である彼が、もう靴にしばられないでも生きていける。それは正に、自分自身に対する勝利だった。
同じ仲間に
 彼は瞬く間に周囲からも認められるようになった。一切妥協せず、プナン族と全く同じ生活を営んだ。裸足で歩き、衣類をまとわない暮らし。空腹や湿度、昆虫、ヒルに耐え、皮膚病とマラリアに悩まされる毎日。そしてこの眼鏡をかけた男は、いつしかプナン族と変わらない森の住民になっていた。マチェテ(山刀)で巧みに茂みをかき分け原生林を進み、プナン族と同じようにしゃがんで休み、氾濫する川を泳いで渡り、夜は木の上に寝床を作って眠った。
 この移動民族の簡素な生き方が、マンサー氏はとても気に入っていた。まるで自分の前世の家族と再会したようだった。狭く、排気ガスと騒音に溢れるスイスにはもう戻るつもりはなかった。種の多様性を破壊し、次第に自然な生き方から遠ざかり、技術や金儲けや娯楽産業に人生の意味を追い求める現代人。そして結局は行き先を見失い、ますます不幸せになっていく人間の元に帰る気持ちは毛頭なかった。
 自分はこの質素な、温かい心を持つ人々と共に生き、共に苦しみ、喜び、命を育む原生林で幸せに暮らすのだ。
 やがて彼はプナン族にとっての仲間「ラキ・プナン」になった。野獣を知り尽くし、投網で魚を捕まえ、吹き矢や毒矢、そして槍と鉄砲で熊や猿、猪、鹿、鳥を狩り、野生の果実を集め、ヤシの幹中に蓄積されるサゴでん粉を採集した。言葉を学び、観察したことを書きとめ、人間、動物、植物について数えきれないほどの記録を残した。
熱帯雨林・人権保護活動家
ブルーノ・マンサー氏はマレーシア領ボルネオ島のサラワク州へと旅立つ1984年まで、スイスのグラウビュンデン州で羊飼いとして働いていた。やがて現地に住む移動民族のプナン族から受け入れられ、彼らと同じ簡素な生活を営むようになった。サラワクで6年の月日を過ごした後、スイスへと戻り、木材企業と熱帯雨林の乱伐に反対の声を上げる熱心な熱帯雨林保護活動家となった。
文明の侵略
 スイスに未練はなかった。確かにスイスに残した家族や友達を思う度に郷愁がこみ上げたが、彼の信条が揺らぐことはなかった。心の痛みを癒すように彼は頻繁に家族に手紙を書いたり、録音テープを送ったりした。だがこの熱帯雨林に生きる新しい家族の元を離れることは決してなかった。ここが、彼の新しい故郷なのだ。とうとう思い通りの楽園を見つけたのだ。もう何も彼をここから引き離すことはできなかった。
 もしかすると彼は、この澄んだ水と動植物に溢れる見事な森が、いつの日か破壊されてしまうことを薄々感じていたのかもしれない。
 事実、既に原生林のあちこちで木材企業による乱伐が進んでいた。木材企業には政府という強い後ろ盾があった。政府は森の果実を食べて平和に暮らす原住民がこの地に生きる権利と、深刻になりつつある彼らの窮状を無視した。サラワク州の首都クチンにいる政治家にとって、熱帯雨林は単なるセルフサービスの店に過ぎなかったのだ。産業社会の消費者が求める屋根の梁、家具、高級ヨット、窓枠やホウキの柄を作るために、大木から取る良質な硬材が次々と輸出されていった。
「国家の敵」ナンバーワンに
 そして森に響く鋭いチェーンソーの切断音を耳にした時から、マンサー氏にとって楽園からの追放劇が始まった。プナン族に助けを求められた彼は、原住民と共にバリケードでブルドーザーに対抗した。彼は突然、文明に対するプナン族の平和的な抵抗を助ける戦略家に様変わりした。それはかつて自分が背を向けた文明、そして権利をふりかざし、兵士を送り込み森の民族の生活空間を破壊するコンツェルンと国家権力への抵抗だった。こうして国家の敵・ナンバーワンと化した彼は、まるで獣のように追われ、銃で狙われる存在になった。
 やがてマスコミが訪れ、この変わり者は「勇敢な熱帯雨林保護活動家」として脚光を浴びることになる。そしてこの「白いターザン」は世界中の報道機関にとってプナン族の代弁者となった。謙虚で、もの静かな彼の正直な言葉に、世界中の人々が耳を傾けた。こうして抵抗の立て役者であるマンサー氏は、熱帯雨林の乱伐に対する反逆のシンボルと化したのだった。
 「プナン族の生活空間が安い木材の犠牲になっている事実に触発され、私は1990年、スイスへ戻る決心をした。この文明社会に『我々の森を破壊してあなたたちの家を建てないで』という彼らの叫びを伝えるために」。バーゼルでは人権活動家のロジャー・グラーフ氏の援助で「ブルーノ・マンサー基金(BMF)」を設立。今では熱帯雨林の保護には欠かせない機関へと発展した。「産業国全ての消費者が熱帯樹の使用を止めること」が基金の目標だ。
 基金はこの狩猟民族と森の共生関係を明らかにし、「森の死は、この民族の死を意味する」と訴えた。口調こそ穏やかだったが、欧州連合(EU)、国連、国際熱帯木材機関(ITTO)といった国際的な組織に絶望的な事実を説明し、プナン族の苦境を訴えかけた。スイス滞在中、マンサー氏はできる限り質素な生活をしながら、四六時中働き、各地を訪れた。そしてボルネオ島ではプナン族に対する攻撃に抵抗して戦った。プナン族に残された時間はわずかだと感じた彼は、ますます過激な行動に出るようになっていった。
消息が途絶える
 マンサー氏は「木材と木材製品の出産国明記の義務化」を求めスイスでハンガーストライキを決行、物議を醸した。だがそんな努力もむなしく、「飽和社会の人間は空腹者の気持ちを理解しようとしなかった」(マンサー氏)。サラワクの熱帯雨林はますます消滅し、動物は追い散らされるか乱獲された。それに伴い、かつて健全に機能していた森の民族、プナン族の困窮化も進んだ。1996年には、既に原生林の7割が破壊されていた。問題に目を向けさせようと、欧州とサラワクで無謀な抗議行動に出たマンサー氏だったが、その努力が報われることはなかった。そして2000年に再びボルネオへ旅立った彼は、そこで永遠に帰らぬ人となった。
 氏は暗殺され、跡形もなく抹消されたのだろうか?恐らくそれが最も有力な死因と思われるが、事故死や自殺の形跡が見当たらないのと同じく、暗殺の証拠も全くない。彼の失踪は今も謎に包まれたままだ。ブルーノの帰りを待つことはもうやめた家族や友人。だが彼は心の中に生き続けている。時々、ふと彼の力強い声が聞こえるような気がするという。「本当に意味があるのは、行動だけだ。それは君も同じことだよ」
リュディ・ズーター、「ブルーノ・マンサー 森の声」著者
(独語からの翻訳・シュミット一恵 編集・スイスインフォ)
https://www.swissinfo.ch/jpn/longform/swissabroad/person-5
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