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13万年前には到達?新世界アメリカ大陸人類史が一気に遡った形跡発見の報告

2017-05-10 | アイヌ民族関連
THE PAGE 2017.05.09 17:10 | 池尻武仁 古生物学者
 4月、学術雑誌「NATURE」に、アメリカ大陸最古の人類がこれまで知られていたより10万年以上さかのぼる13万年前に出現していた可能性があるという研究が発表されました。
 もし13万年前に、アメリカ大陸にすでに人類がいたとしたら、それはどのような意味を持つのでしょう。そして、そこにはどんな謎が残るのでしょうか。古生物学者の池尻武仁博士(米国アラバマ自然史博物館客員研究員・アラバマ大地質科学部講師)が、報告します。
アメリカ大陸における人類の出現

初期人類がアフリカからユーラシア大陸へ出現したのは約180万年前くらいだったと考えられている。そして人類は具体的にいつ頃、どのようにしてアメリカ大陸までたどり着いたのだろうか?(イメージ:アフロ)
 私事から書きはじめて恐縮だが、1997年の冬に初めて渡米した。(恐竜など古生物を学ぶため、まずコロラド州南部にあるカレッジへ編入した。)初めてアメリカの地に立ち、すぐに肌で直接感じたことがある。「日本とはかなり違うぞ!」
 ただの大陸における気候の違いのせいだったのかもしれない(コロラド州デンバーはロッキー山脈にふもとに位置し、標高が1500m近くあり、空気もかなり乾燥している)。長いこと待ち続け、ようやく念願かなっての渡米だった個人的な事情のせいかも知れない。しかし初めてアメリカ大陸の地に足を踏み入れて、何か特別な感覚に襲われたのは、私だけではないと思うが、果たしてどうだろうか?
 この大陸には、何か人類をひきつける不思議な魔力のようなものが、確実に存在するのではないだろうか? チェコの偉大な作曲家ドボルザークは、アメリカに音楽院院長として滞在した4年の間に、「新世界より」という有名な交響曲を書いた。その音色から想像するに、夢や希望のようなものを強くこの大地に感じていたのかもしれない。
 さて人類が初めてこのアメリカ大陸へやってきたのは、具体的にいつだったのだろうか? 今回のメインテーマだ。
 イタリア人の探検家「クリストファー・コロンブスに決まっている」。こう答える方がいるかもしれない。しかしコロンブスが1492年に初めて上陸した時、先住民としてのネイティブ・アメリカンがすでに存在していたのは、広く知られている事実だ。それでは、こうしたネイティブ・アメリカンの祖先が初めてアメリカ大陸へやって来たのは、具体的にいつ頃だったのだろうか?
 実は人類の進化史上、考古学上、大きなミステリーとして我々の前に未だに立ちふさがっている。
 ご存知のようにアウストラロピテクスなど最初期の人類は、「アフリカ大陸を起源とする」という説でほぼ一致している。今から300万年くらい前のことだ。そして「アウト・オブ・アフリカ」という現象が、やがて起きる。人類の化石や遺物が180万年前くらいになると、はじめてアフリカ大陸以外の場所から見られるようになる。中近東を皮切りに、ヨーロッパ、東アジア、そしてシベリア一帯へとユーラシア大陸を地続きに広がっていった。
 しかし最初期のアメリカ大陸上陸の具体的なデータは、驚くほど限られている。大まかにだが1万3100年から1万4600年前くらいの遺跡跡の存在が、北米の中央部や南米のチリなどにおいて知られているくらいだ。
(NATUREの2012年「Ancient migration: Coming to America」の記事など参照:http://www.nature.com/news/ancient-migration-coming-to-america-1.10562)
 こうしたアメリカ大陸における地理的そして地質年代上のデータは、人類が氷河期の最盛期に、陸地伝いにシベリア東端からアラスカ経由で歩いて渡って来たという仮説が、今のところ最有力だ。(しかしボート等を使って太平洋を横断してきた可能性も理論上ある。)
斬新な130,000年前というデータの意義
 さてゴールデンウィークがはじまる少し前。学術雑誌「NATURE」にアメリカ大陸における最古の人類の記録に関し、一つの非常に興味深い論文が発表された。Holen等(2017)は、なんと「130,700±940年前」という、(それまでの常識を覆すような)年代をレポートしているのだ。
Holen SR, Demere TA, Fisher DC, Fullagar R, Paces JB, Jefferson GT, Beeton JM, Cerutti RA, Rountrey AN, Vescera L, Holen KA (2017) A 130,000-year-old archaeological site in southern California, USA. Nature 544 (7651):479-483. doi:10.1038/nature22065
 念のために今一度、ここで断っておきたい。1万3千年前ではなく、13万年前だ。(先述したように)これまでに広く考えられていた時代より桁(けた)が一つ違う。ゼロが一つ多いのだ。その差はざっと10万年以上になる。
 データは現在のカリフォルニア州南部(サンディエゴ市郊外)にあるナウマンゾウの骨格現場からのものだ。ウランートリウム(U/Th)法に基づく放射年代測定によって、地質年代が測定されているため、誤差は少ないと考えられる。
 この現場からナウマンゾウの部分骨格が発見された。研究チームによると、たくさんの骨に砕かれた(ような)形跡が見られるそうだ。更に興味深いことに大きな岩石のかたまりも、このナウマンゾウ化石現場から見つかっている。(こうした大きな岩石は、当時の堆積環境の様子から推定すると、かなり場違いで、人為的に運ばれてきた可能性が高いということだ。)そして岩石のサイズなどから、今回の研究チームに導き出された結論は、「太古の人類がこのナウマンゾウをくぼ地に追い込み、岩石を投げつけて殺した」というエキサイティングなストーリーだ。
 ちなみに骨の表面には多数の細かな引っかき傷のような跡も確認されている。太古の人類が「石器を使って肉を骨からそぎ落とした」証拠だという結論も下されている。
 果たしてこうした大小様々な岩石は洪水などによって、ゾウの死体とともに運ばれてきた可能性はなかっただろうか? このゾウの死と直接、関連性がなかった可能性はないだろうか? 石器ではなく、ただの岩石のかたまりだった可能性はないだろうか? 骨に見られる傷は、例えばオオカミ等によって食べられた痕ではないのか?
 今回の研究の斬新さからして、(私が推測するに)こうした反論や疑問はすぐに周りの研究者から投げかけられることだろう。
 更に忘れてはならない重要な事実がある。人類の遺物は1万5千年前くらいにならないと、南北アメリカ大陸からは(今のところ)ほとんど知られていない。今回のナウマンゾウのケースから、その後10万年以上にわたる間、人類の住んでいた記録(特に直接のデータ)において、大きな空白期間が存在する。これはどう説明がつくのだろうか?
 何かの理由により「化石記録が見つからない」と説明するよりは、今回の発見は「間違いだ」と考えるほうがいろいろ研究者にとって辻褄(つじつま)が合いやすいはずだ。実際私の知る限り、あちこちの研究者から、すでに反対意見が出されている。(興味のある方は、こちらのNatureによって制作されたビデオを参照されたし。)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=11&v=HyfSsgCrjb0
年代における二つの異なる仮説
 今回の研究は、アメリカ大陸に人類が初めて登場した時期において、二つの大きく異なる「仮説」を我々に投げかけてくれているようだ。その真相はそれぞれの研究者や読者の方に、とりあえずここではゆだねておきたい。サイエンスにおける仮説とは、その真相がはっきり分からないケースにおいて、とりあえず(便宜上)用いられる説明付けのようなものだ。もしはっきりした直接の証拠が手元にあるなら、こうした事柄は単に「事実」ということになるはずだ。どちらの仮説を支持するかは、個人的な好みや直感(?)だけでなく、どのようなデータや手法・思考法を用いているかに注意を払う必要もあるだろう。
 さてどうして人類のアメリカ大陸登場の具体的な年代が、サイエンス的に重要なのだろうか? まず「どのタイプの人類がやってきたのか」という問いかけがある。1万5000年前ならば、ホモ・サピエンス一種しか存在していなかった。しかし13万年前となると話はかなり複雑になる。ネアンデルタール人など他のホモ属の種が知られているからだ。
 もしアメリカの先住民が10万年以上の永きに渡って北米大陸で孤立していたら、いくらか遺伝子的にオリジナルな特徴が現れているのかもしれない。例えば新生代を通してオーストラリア大陸で独特の多様性を遂げたカンガルーなど有袋類の仲間のように。
 そしてもう一つ私が(個人的に興味深いのは)、「どうしてわざわざ、はるか彼方にあるアメリカ大陸までやってくる必要があったのか?」という問いかけだ。環境の激変や他者(及び他種)との競争などによって止むを得ず必要に迫られて、追い出されてきたのだろうか? それとも偶然のなせる業だったのだろうか?
 「約1万5000年前のアメリカ移住仮説」が(現在に至るまで)広く支持され続けている大きな理由の一つに、その当時の気候条件が挙げられる。その当時は氷河期の真っ只中。シベリアの北東部とアラスカは陸続きになっており、人類は(他の大型哺乳類とともに)ユーラシア大陸から歩いて北アメリカ大陸へやって来ることができた。(注:大量の海洋などの液体の水は、セオリーとして固体の氷として存在していたはずだ。そのため海岸線の後退がおこり、より多くの陸地面積が現在と比べてあったはずだ。)
 しかし13万年前とはかなり大胆な数値だ。この時期は氷河期の期間中、比較的温暖だったと考えられる(https://globalfreezingyourassoff.files.wordpress.com/2013/12/ice_ages2.gif)。シベリアからアラスカにかけて直接歩いて渡ってくることが「できなかった」可能性が高い。
 太平洋諸島からボートなどを使って、この時期にアメリカ大陸へやって来た可能性はあるかもしれない。しかし具体的に、この仮説を裏づける直接の証拠 ── 例えばボートの破片や太平洋岸における村落の跡地など ── は、今のところ知られていないようだ。
 初期人類のアメリカ大陸への出現は、現在の人類の起源を探る上で鍵となる情報がそこにあるのかもしれない。
 おそらくこれから更なる証拠探しがはじまることだろう。もしかしてこの約10万年に及ぶ空白期間の年代から、新たなアメリカ大陸における人類の遺物が見つかるかもしれない。(見つからないかもしれない。)更なる研究の成果に期待したい。
池尻武仁 古生物学者
ミシガン大学卒(2010年博士号取得)。現在北米のアラバマ自然史博物館の客員研究員及びアラバマ大学地質科学部の講師。中生代の恐竜や海生爬虫類を皮切りにさまざまな化石の研究を幅広く行う。アラバマ大学上のホームページ http://tikejiri.people.ua.edu/
https://thepage.jp/detail/20170509-00000002-wordleaf

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環境活動家ら、米チェースのシアトルの支店で抗議活動 

2017-05-10 | 先住民族関連
ロイター 2017年 05月 9日 16:51

シアトル 8日 ロイター] - 米国先住民(ネイティブ・アメリカン)の指導者や環境活動家が8日、シアトルにある、米JPモルガン・チェース(JPM.N)傘下の銀行チェースの支店数店舗で抗議活動を行い、店舗を一時閉鎖に追い込んだ。活動家らは、カナダから米国に原油を運ぶキーストーンXLパイプラインといった地球温暖化を促す計画に同行が資金を融資しないよう要求した。
警察当局によると、この抗議活動に関する逮捕者数は、同日午後遅い時間帯までに26人に上った。活動家らによると、チェースの11支店で抗議活動を行い、ほかの2店舗を一時閉鎖に追い込んだという。
チェースの広報担当者はコメントを控えた。
シアトルのダウンタウンにある店舗では、約50人がロビーを占拠し、演説をしたり歌を歌ったりしたほか、看板や横断幕を掲げ、警官によって入り口が封鎖されるまでは大量のピザを注文する場面も見られた。
別の店舗では、少数の抗議者が店内に入ったほか、別の2名が自転車用のチェーンで正面出入り口の扉に自分たちの首をくくりつけた。
活動家らは、これらの運動はキーストーンなど2つの巨大インフラ計画やオイルサンド事業を手掛ける企業への融資からチェースに手を引かせるのが狙いだと説明している。
環境活動家らは、抗議の場をパイプラインの建設現場から金融機関へと移しており、他の銀行でも同種の動きが見られている。
ある活動参加者は、銀行はパイプライン会社よりも評判に神経を尖らせていると指摘。抗議活動の指導者の1人は、石油・ガス関連の融資が全体に占める割合は比較的小さいとし、それが銀行の評判に著しく大きな打撃となる状況をつくり出せれば、抗議行動は影響力を持つと述べた。
http://jp.reuters.com/article/us-chase-idJPKBN1850OC

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仏大統領選 植民地抑圧も論戦に 和解vs正当化

2017-05-10 | 先住民族関連
毎日新聞2017年5月6日 12時06分(最終更新 5月6日 12時35分)
 【パリ賀有勇、ベルリン中西啓介】7日に決選投票が行われるフランス大統領選では、仏領だったアルジェリアなどに対する植民地政策について、中道・独立系のマクロン前経済相が「人道に対する罪」と発言し、極右政党・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン氏から批判されるなど、歴史認識でも論争となった。新大統領の誕生が、歴史認識にどう影響を与えるかも注目されている。
 フランスは1970年代まで、アフリカやアジアなどに植民地を所有。仏本国からの入国者を優遇し、先住民らに抑圧政策を敷いた。アルジェリアでは54年、不満の高まりが武装蜂起に発展。独立阻止を目指す仏政府と戦争になった。61年にはパリでアルジェリア独立を訴えたデモ隊に警察が武力介入。多数がセーヌ川に放り込まれるなどし死亡した。事件は今も仏国内でタブー視され、正確な犠牲者数は不明だ。
 マクロン氏は2月、アルジェリアを訪れ、旧植民地政策について「人道に対する罪だ」とテレビのインタビューで発言。仏政府はこれまでアルジェリアに対して謝罪しておらず、大統領候補としては踏み込んだ発言だ。
 マクロン氏を痛烈に批判したのがルペン氏だ。FNはアルジェリア戦争に従軍経験があるルペン氏の父ジャンマリ氏が創設した経緯から、植民地政策の「肯定」が党是。マクロン氏の発言を受け、ルペン氏は植民地時代を否定する歴史観を「マゾヒズム」と批判。「フランスは植民地に文化を与えようとした」と述べ、正当化した。
 仏国内では長年、植民地政策をどう総括するか、世論が二分されてきた。2005年には保守派の主導で「仏植民地支配を肯定する法」が成立。アルジェリアなどでの植民地政策について、学校教育で「肯定的役割」を教えるよう記した法律の条項は世論の強い反発を招き、シラク大統領(当時)が翌年この条項を廃止している。
 第二次世界大戦後、旧植民地からフランスに多くの人が移り住み、大都市郊外の低所得者用団地などで暮らしてきた。フランスへの同化政策に従ってきた移民1世や2世以降の世代の中には、差別などから孤立を深めてイスラム過激思想に染まる若者も後を絶たず、社会問題化している。
 長期的なテロ根絶のために、植民地政策の状況解明や謝罪が必要だという意見は、左派の間で根強い。
 フランス出身で、独ビアドリーナ欧州大のトマ・セリエー客員教授(歴史学)は「和解政策の重要性を説いた哲学者ポール・リクエール氏の元助手でもあるマクロン氏は、和解に向けた強い意志を感じさせる」と分析。「若者の意見を代表するマクロン氏と、アルジェリアでの拷問疑惑がある父を持つルペン氏の対立は、仏国内の世代間論争という側面もある」と語った。
https://mainichi.jp/articles/20170506/k00/00e/030/216000c

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