伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/11/30

2019-11-30 10:05:06 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 17:1-7

「すべて傷があり、欠けた所のある牛または羊はあなたの神、主にささげてはならない。そのようなものはあなたの神、主の忌みきらわれるものだからである。 あなたの神、主が賜わる町で、あなたがたのうちに、もし男子または女子があなたの神、主の前に悪事をおこなって、契約にそむき、 行って他の神々に仕え、それを拝み、わたしの禁じる、日や月やその他の天の万象を拝むことがあり、 その事を知らせる者があって、あなたがそれを聞くならば、あなたはそれをよく調べなければならない。そしてその事が真実であり、そのような憎むべき事が確かにイスラエルのうちに行われていたならば、 あなたはその悪事をおこなった男子または女子を町の門にひき出し、その男子または女子を石で撃ち殺さなければならない。 ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。 そのような者を殺すには、証人がまず手を下し、それから民が皆、手を下さなければならない。こうしてあなたのうちから悪を除き去らなければならない。」

神の賜る約束の地で、神以外のものを神として拝むことは、明らかな契約違反です。そのような不貞の輩は、神の民イスラエルから絶ち滅ぼすようにと、神は命じられました。ただし、複数人の証言に基づいてその事実を確かめた上で、公衆の面前で石打の刑に処し、証人がまず最初に手を下すようにと命じられました。これは証人に人のいのちを奪う責任を負わせることにより偽証や冤罪を防ぐと共に、処刑に立ち会った人々がこのような過ちを犯さないように戒めるための神の知恵です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.17.1-7.ja1955

*****

申命記 17:8-13

「町の内に訴え事が起り、その事件がもし血を流す事、または権利を争う事、または人を撃った事などであって、あなたが、さばきかねるものである時は、立ってあなたの神、主が選ばれる場所にのぼり、 レビびとである祭司と、その時の裁判人とに行って尋ねなければならない。彼らはあなたに判決の言葉を告げるであろう。 あなたは、主が選ばれるその場所で、彼らが告げる言葉に従っておこない、すべて彼らが教えるように守り行わなければならない。 すなわち彼らが教える律法と、彼らが告げる判決とに従って行わなければならない。彼らが告げる言葉にそむいて、右にも左にもかたよってはならない。 もし人がほしいままにふるまい、あなたの神、主の前に立って仕える祭司または裁判人に聞き従わないならば、その人を殺して、イスラエルのうちから悪を除かなければならない。 そうすれば民は皆、聞いて恐れ、重ねてほしいままにふるまうことをしないであろう。」

神はモーセを通して、イスラエルの部族ごとに民のつかさと裁き人を置くように命じて、軽微な仲裁をそれぞれの民族ごとに委ねましたが、人命に関わるような傷害事件や、人の権利を毀損するような重大事件は、神の選ばれた場所に上り、律法に従って祭司に判決を委ねるようにと命じました。これは今の最高裁判所にあたるような訴訟の手続きです。律法に精通した祭司が神の御心を問うた上で下した判決に聞き従わない者は、民の内から除くようにと命じられました。厳しいようにも思えますが、神の御言葉を無視してほしいままに振る舞う者は、神の民に相応しくありません。またそのような不従順な者を放置することは、神の民のきよさを損なうものであり、民全体に罪が蔓延する火種となりますから、速やかに取り除かなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/deu.17.8-13.ja1955

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申命記 17:14-20

「あなたの神、主が賜わる地に行き、それを獲てそこに住むようになる時、もしあなたが『わたしも周囲のすべての国びとのように、わたしの上に王を立てよう』と言うならば、 必ずあなたの神、主が選ばれる者を、あなたの上に立てて王としなければならない。同胞のひとりを、あなたの上に立てて王としなければならない。同胞でない外国人をあなたの上に立ててはならない。 王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。 また妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。 彼が国の王位につくようになったら、レビびとである祭司の保管する書物から、この律法の写しを一つの書物に書きしるさせ、 世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。 そうすれば彼の心が同胞を見くだして、高ぶることなく、また戒めを離れて、右にも左にも曲ることなく、その子孫と共にイスラエルにおいて、長くその位にとどまることができるであろう。」

神の民イスラエルの真の王は主ご自身です。士師の時代の後、サウル王が立てられるまで、神の国イスラエルに王政が布かれることはありませんでしたが、神はこのときすでに、イスラエルの王たる者の資質について言及されました。神の国イスラエルの政治は、生ける神の御言葉であり契約の書である律法に基づくべきことは当然のことです。そのために王は必ず神の民イスラエルの中から選出し、王は一生の間、律法の写しを手元に置いて神の掟を学び、神を畏れ、その定めを守って神の民を正しく導くべきことを命じられました。また王は馬を多く持ってはならないという教えは、戦争によって国を治めるのではないことを、エジプトに降ってはならないとの教えは、神を畏れぬ列強諸国に頼るのではなくただ神にのみ頼るべきことを、多くの妻を持ってはならないとの教えは、異教や罪の誘惑を避けるための、神の国イスラエルの王たる者が守るべき戒めでした。これらの戒めをことごとく守ったイスラエルの王はダビデ王だけでした。それ故、神はダビデを高く引き上げ、その子孫から全人類のまことの王となる主イエスを生まれさせたのです。私たちもこの教えに倣い、子々孫々に至るまで永遠の祝福を受けるために、神の御言葉を守り行うことに注力する者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/deu.17.14-20.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/30

2019-11-30 07:25:25 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 12:21 新共同訳

悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

悪をもって悪を征するは、さらなる悪の連鎖を招くのみです。十字架の貴い犠牲をもって罪にも死にも勝利を収められた主イエスに倣い、神と人とに喜ばれる善をもってこの世の悪に勝利する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.12.21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/29

2019-11-29 07:50:02 | 今日の聖句
申命記 16:1-8

「あなたはアビブの月を守って、あなたの神、主のために過越の祭を行わなければならない。アビブの月に、あなたの神、主が夜の間にあなたをエジプトから導き出されたからである。 主がその名を置くために選ばれる場所で、羊または牛をあなたの神、主に過越の犠牲としてほふらなければならない。 種を入れたパンをそれと共に食べてはならない。七日のあいだ、種入れぬパンすなわち悩みのパンを、それと共に食べなければならない。あなたがエジプトの国から出るとき、急いで出たからである。こうして世に生きながらえる日の間、エジプトの国から出てきた日を常に覚えなければならない。 その七日の間は、国の内どこにもパン種があってはならない。また初めの日の夕暮にほふるものの肉を、翌朝まで残しておいてはならない。 あなたの神、主が賜わる町の内で、過越の犠牲をほふってはならない。 ただあなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、夕暮の日の入るころ、あなたがエジプトから出た時刻に、過越の犠牲をほふらなければならない。 そしてあなたの神、主が選ばれる場所で、それを焼いて食べ、朝になって天幕に帰らなければならない。 六日のあいだ種入れぬパンを食べ、七日目にあなたの神、主のために聖会を開かなければならない。なんの仕事もしてはならない。」

アビブの月とは、古代イスラエルの暦で一月を表します。現在ではニサンの月と呼ばれます。イスラエルの一年は、今もなお過越の祭が行われる月から始まるのです。それは出エジプトの出来事を永遠に記念するため、神がいかにイスラエルを愛し、その苦しみを覚えて、救い出してくださったかを示す確かな証だからです。過越の祭と種入れぬパンの祭はセットで行われます。エジプトとパン種は罪の象徴ですから、罪の中から救われた神の民は、完全に罪のない状態を保つことが求められています。年の始めに過越の祭と種入れぬパンの祭を守り行うことを通して、この一年、神に喜ばれるきよい生活をスタートする信仰の姿勢に倣う者でありたいと思います。

https://www.bible.com/bible/81/deu.16.1-8.ja1955

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申命記 16:9-12

「また七週間を数えなければならない。すなわち穀物に、かまを入れ始める時から七週間を数え始めなければならない。 そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。 こうしてあなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、ならびにあなたがたのうちにおる寄留の他国人と孤児と寡婦と共に、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。 あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚え、これらの定めを守り行わなければならない。」

過越の祭から50日後に行われる7週の祭はシャブオットと呼ばれ、春の新穀、大麦と小麦の収穫を感謝する祭です。これは神がイスラエルをエジプトから救い出し、約束の地に導き入れて、豊かな恵みを注いでくださったことよ感謝する祭です。そのときには自分たちの家族だけでなく、奴隷も、嗣業の地を持たないレビ人も、寄留者も、寡婦や孤児も、共に収穫の恵みに与り、感謝を捧げます。今日の教会では、聖霊が注がれたペンテコステにあたります。すべての人に神の恵みと祝福が注がれる日です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.16.9-12.ja1955

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申命記 ‭16:13-17

「打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。 その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。 主が選ばれる場所で七日の間、あなたの神、主のために祭を行わなければならない。あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない。 あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。 あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。」

スコットと呼ばれる仮庵の祭は秋の収穫に感謝する祭です。ぶどうや果物、その他の地の産物を豊かに実らせてくださった神に感謝を捧げます。同時に仮庵の祭りは、出エジプトの際に荒野を放浪した歴史を記念する祭です。多くの試練を経て神がイスラエルに約束された乳と蜜の流れる地に導き入れてくださり、すべての手の業を祝福してくださる神の豊かな恵みに感謝を捧げる祭です。このようにしてユダヤの三大祭、過越の祭、7週の祭、仮庵の祭は、イスラエルのすべての男子に、年に三度、神の御前に進み出て神を礼拝することを命じられました。神を礼拝する際には、から手で進み出てはならない、すなわち神が祝福された結果もたらされた経済力に応じて、捧げものを携えるべきことを命じられました。礼拝と捧げものは一対です。神への感謝なしに礼拝はあり得ないのです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.16.13-17.ja1955

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申命記 16:18-22

「あなたの神、主が賜わるすべての町々の内に、部族にしたがって、さばきびとと、つかさびととを、立てなければならない。そして彼らは正しいさばきをもって民をさばかなければならない。 あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。 ただ公義をのみ求めなければならない。そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜わる地を所有するにいたるであろう。 あなたの神、主のために築く祭壇のかたわらに、アシラの木像をも立ててはならない。 またあなたの神、主が憎まれる柱を立ててはならない。」

イスラエルが約束の地に入り、それぞれ嗣業の地を得たら、部族ごとに裁判人と長を選任し、神の正義が行われるようにすることを命じられました。正しい政治を行うには、偏見や賄賂によってねじ曲げられてはなりません。ただ神の定められた律法と戒めに照らして公義を行うとに、神の祝福が注がれます。また神の忌み嫌われる偶像や柱を置いてはならないとの教えは、神以外のものを神とすることを防ぐばかりか、神が追い払われた先住民の風習を微塵たりとも取り入れてはならないことを意味します。神の御言葉にのみ聞き従うことこそが、真に祝福された生活の基盤となります。

https://www.bible.com/bible/81/deu.16.18-22.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/29

2019-11-29 05:35:34 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 3:17 新共同訳

神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

罪を裁くことのできるお方が、世を裁くためでなく救うために御子イエスを遣わされたのは、ひとえに私たちを愛するが故、滅びゆく人々を惜しまれた大いなる憐れみの故です。神の大いなる愛と憐れみに感謝し、まだ間に合う内に、裁きの座に立たされる前に、神の救いを受け入れる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.3.17.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/28

2019-11-28 07:45:00 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 15:1-8

「あなたは七年の終りごとに、ゆるしを行わなければならない。 そのゆるしのしかたは次のとおりである。すべてその隣人に貸した貸主はそれをゆるさなければならない。その隣人または兄弟にそれを督促してはならない。主のゆるしが、ふれ示されたからである。 外国人にはそれを督促することができるが、あなたの兄弟に貸した物はゆるさなければならない。 しかしあなたがたのうちに貧しい者はなくなるであろう。(あなたの神、主が嗣業として与えられる地で、あなたを祝福されるからである。) ただ、あなたの神、主の言葉に聞き従って、わたしが、きょう、あなたに命じることの戒めを、ことごとく守り行うとき、そのようになるであろう。 あなたの神、主が約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国びとに貸すようになり、借りることはないであろう。またあなたは多くの国びとを治めるようになり、彼らがあなたを治めることはないであろう。 あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。 必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。」

第7日目にすべての業を終えて安息日を造られた神は、安息日を聖なる日として守るのと同様に、7年毎の安息年を定められました。安息日は私たちの罪を赦しいのちを賜る神を礼拝するための日であると同時に、神から受けた祝福を家族一同と共に喜び祝う日でもあります。同様に、安息年は神の祝福に応えて、憐れみ深い神に倣い、隣人に対して憐れみを施す日、すべての負債を許し、自由と解放を与え、共に喜び祝う日として定められました。もし憐れみを施さないならば、神は私たちの手から祝福を取り去られます。主イエスもまた、ただで受けたのだからただで与えなさい、と教えられました。限りない恵みと祝福を注いでくださる神は、惜しみなく施す者を更に豊かに祝福してくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.1-8.ja1955

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申命記 15:9-11

「あなたは心に邪念を起し、『第七年のゆるしの年が近づいた』と言って、貧しい兄弟に対し、物を惜しんで、何も与えないことのないように慎まなければならない。その人があなたを主に訴えるならば、あなたは罪を得るであろう。 あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与える時は惜しんではならない。あなたの神、主はこの事のために、あなたをすべての事業と、手のすべての働きにおいて祝福されるからである。 貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない』。」

神がその民に7年毎にすべての負債を許すようにと命じられたからといって、それを理由に貸し渋りをしてはならないと主は仰せられます。私たちはなぜ貸すのか? それは返してもらうためにではなく、困窮している人を助け支援するためです。目的を履き違えてはなりません。神が私たちに対して憐れみ深くあるように、私たちもまた隣人に対して憐れみ深くある、そのために人に親切を尽くし、日々の必要を補う。神は惜しみなく与える心、憐れみ深い心を持つことを命じられているのです。神の祝福の原則は、まず与えることから始まります。与えることを惜しむケチな心の持ち主は、決して神の祝福に与ることはできません。隣人に何かを貸すときにも、この原則が適応されます。与えたものと思って貸す、もし神の御心ならば返ってくる、返ってこないことを損と思わない、なぜなら元々それらは神からただで受けたのだから、これが神の民に相応しい貸し借りの原則です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.9-11.ja1955

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申命記 15:12-18

「もしあなたの兄弟であるヘブルの男、またはヘブルの女が、あなたのところに売られてきて、六年仕えたならば、第七年には彼に自由を与えて去らせなければならない。 彼に自由を与えて去らせる時は、から手で去らせてはならない。 群れと、打ち場と、酒ぶねのうちから取って、惜しみなく彼に与えなければならない。すなわちあなたの神、主があなたを恵まれたように、彼に与えなければならない。 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主があなたをあがない出された事を記憶しなければならない。このゆえにわたしは、きょう、この事を命じる。 しかしその人があなたと、あなたの家族を愛し、あなたと一緒にいることを望み、『わたしはあなたを離れて去りたくありません』と言うならば、 あなたは、きりを取って彼の耳を戸に刺さなければならない。そうすれば、彼はいつまでもあなたの奴隷となるであろう。女奴隷にもそうしなければならない。 彼に自由を与えて去らせる時には、快く去らせなければならない。彼が六年間、賃銀を取る雇人の二倍あなたに仕えて働いたからである。あなたがそうするならば、あなたの神、主はあなたが行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。」

神の民イスラエルの間では、主従関係はないことが原則です。なぜなら私たちは皆、神の御前に等しい存在だからです。私たちの主は神ただお一人だけ、私たちは皆、同じ神の僕です。ですから神の民の間では、借金を返済する替わりに勤労によって弁済する場合、7年毎の安息年にすべての返済を免除し、自由と安息を施すようにと神は命じられました。更に神は、僕の身分から解放するときにはただで帰してはならない、その手に勤労の実を持たせて去らせるようにと命じられました。それによって、解放された人は生計を立て直す機会を得るからです。しかしその人が仕えた者の下から離れたくないと申し出る場合は、キリで耳を刺し通してその証とするようにと命じられました。これは、自ら志願して神の僕となる者の雛形です。私たちもまた自身の自由な意志により、神の下を離れたくないと申し出てキリストの僕となりました。神の僕となることは、強制労働のような外的要因によって貸せられる義務ではなく、あくまでも自発的な志願によるものです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.12-18.ja1955

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申命記 15:19-23

「牛、羊の産む雄のういごは皆あなたの神、主に聖別しなければならない。牛のういごを用いてなんの仕事をもしてはならない。また羊のういごの毛を切ってはならない。 あなたの神、主が選ばれる所で、主の前にあなたは家族と共に年ごとにそれを食べなければならない。 しかし、その獣がもし傷のあるもの、すなわち足なえまたは、盲目など、すべて悪い傷のあるものである時は、あなたの神、主にそれを犠牲としてささげてはならない。 町の内でそれを食べなければならない。汚れた人も、清い人も、かもしかや、雄じかと同様にそれを食べることができる。 ただし、その血は食べてはならない。水のようにそれを地にそそがなければならない。」

神は家畜の初子を、自分たちの所有とすることなく、神に捧げるために聖別するようにと命じられました。初子を聖別することによって、その後に生まれる家畜の子が豊かに祝福を受けるためです。まず神に捧げる、これが祝福の原則です。神の国と神の義をまず求めなさい、そうすれば、すべてのものは添えて与えられるとの御言葉の原則が、ここにも生きています。しかしその初子が傷のあるものであるならば、神に捧げてはならないというのは、神のきよさ、神聖を冒さないための行動です。神のきよさは実に全きものであることを忘れてはなりません。血を食べてはならないとの定めは、いのちを尊ばれる神の本質を守ることです。神の定められたすべての掟を矛盾することなく守ることが、神の民に相応しい行動規範です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.19-23.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/28

2019-11-28 05:25:38 | 今日の聖句
歴代誌上 16:34 新共同訳

恵み深い主に感謝せよ
慈しみはとこしえに。

私たちの主なる神は実に恵み深いお方、永遠に変わることなく、慈しみに富むお方です。私たちの必要を満たし、いのちを与える神の大いなる愛に感謝し、その御名をほめたたえる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1ch.16.34.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/27

2019-11-27 07:40:03 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 14:1-2

「あなたがたはあなたがたの神、主の子供である。死んだ人のために自分の身に傷をつけてはならない。また額の髪をそってはならない。 あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。」

歴史のはじめから世の終わりまで生きておられる神は、生きている者の神です。ですから私たちは死んだ者のために生きてはなりません。死者のために自分の身に傷を付けたり髪を剃ったりするという行為は、カナン地方土着の民が行っていた死者崇拝です。人が死ぬと神になるという考え方は日本にもありますが、天地万物を造られたまことの神に救われ、主の聖なる民とされた私たちは、そのような偽りの神々を拝んではなりません。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.1-2.ja1955

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申命記 14:3-21

「忌むべき物は、どんなものでも食べてはならない。 あなたがたの食べることができる獣は次のとおりである。すなわち牛、羊、やぎ、 雄じか、かもしか、こじか、野やぎ、くじか、おおじか、野羊など、 獣のうち、すべて、ひずめの分れたもの、ひずめが二つに切れたもので、反芻するものは食べることができる。 ただし、反芻するものと、ひずめの分れたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、野うさぎ、および岩だぬき、これらは反芻するけれども、ひずめが分れていないから汚れたものである。 また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。 水の中にいるすべての物のうち、次のものは食べることができる。すなわち、すべて、ひれと、うろこのあるものは、食べることができる。 すべて、ひれと、うろこのないものは、食べてはならない。これは汚れたものである。 すべて清い鳥は食べることができる。 ただし、次のものは食べてはならない。すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、 黒とび、はやぶさ、とびの類。 各種のからすの類。 だちょう、夜たか、かもめ、たかの類。 ふくろう、みみずく、むらさきばん、 ペリカン、はげたか、う、 こうのとり、さぎの類。やつがしら、こうもり。 またすべて羽があって這うものは汚れたものである。それを食べてはならない。 すべて翼のある清いものは食べることができる。 すべて自然に死んだものは食べてはならない。町の内におる寄留の他国人に、それを与えて食べさせることができる。またそれを外国人に売ってもよい。あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。子やぎをその母の乳で煮てはならない。」

コーシャと呼ばれるイスラエルの食物規定は最も厳格だと言われていますが、神が食物規定を設けられたのは、忌むべきもの、汚れたものを食べてはならないという理由から来たものです。聖なる神に属する聖なる民は、いっさいの汚れから遠ざかり、神の忌み嫌われるすべてのものから隔絶された生き方を、神は求めておられます。聖という言葉には、取り分けられた、分離された、隔絶された、という意味があります。ですから私たちは忌まわしいもの、俗悪なもの、自分を汚れさせるあらゆる罪と悪から遠ざかり、聖なる神の民に相応しく、この世のものから分離された、聖なる者となることが求められています。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.3-21.ja1955

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申命記 14:22-26

「あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。 そしてあなたの神、主の前、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一と、牛、羊のういごを食べ、こうして常にあなたの神、主を恐れることを学ばなければならない。 ただし、その道があまりに遠く、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、非常に遠く離れていて、あなたの神、主があなたを恵まれるとき、それを携えて行くことができないならば、 あなたはその物を金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行き、 その金をすべてあなたの好む物に換えなければならない。すなわち牛、羊、ぶどう酒、濃い酒など、すべてあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない。」

十分の一の捧げものに関するの教えの中で、モーセはイスラエルの民に、約束の地で得たすべての産物の十分の一を取り分けなさいと勧めています。これは自分の所得のうち、自分のため、日々の必要のために使った残り物を神に捧げるのではなく、まず神に捧げるべき十分の一を取り分け、その余りを自分のために使いなさいというお勧めです。今日の私たちが捧げる什一献金についても、まず神に捧げるべき分を取り分けて献金を捧げ、残りの9割で日々の必要をまかなうことが、神への感謝を表す捧げものに対する姿勢です。このようにして神に捧げ、家族と共に主の前に喜び祝うことが、神に祝福された生活を送るための秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.22-26.ja1955

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申命記 14:27-29

「町の内におるレビびとを捨ててはならない。彼はあなたがたのうちに分がなく、嗣業を持たない者だからである。 三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、 あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。」

レビ人は自分たちのための嗣業の地を持ちませんでした。それは全イスラエルのういごの身代わりに、神がレビ人を神の所有として取られたからです。レビ人の使命は神に直接仕えることで、自分たちの生計を立てるために働くのではなかったのです。ですから神は、全イスラエルを代表して神に仕えるレビ人の生活を、全イスラエルが支えるのは当然であると定められました。具体的には、3年毎に産物の十分の一を蓄え、レビ人のために備えるようにというものです。同時に主は、寄留者、寡婦、孤児も、備蓄から養うようにも勧めました。このような社会福祉の精神は、当時としては画期的な、ありえない定めでした。日本と比べ欧米諸国では社会福祉が充実していますが、それはこの聖書の精神が根底に流れているからです。私たちもまた自分だけが祝福を受け、恵まれればそれで良いという利己的な考え方を改め、常に周囲の人々の幸福に心を配り、私たちのために神に直接仕える聖職者、献身者を経済的に支え、支援を必要としている社会的弱者のために喜んで捧げる者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.27-29.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/27

2019-11-27 06:35:27 | 今日の聖句
詩編 100:4 新共同訳

感謝の歌をうたって主の門に進み
賛美の歌をうたって主の庭に入れ。
感謝をささげ、御名をたたえよ。

感謝と讃美は神の恵みの内に留まる秘訣です。神に感謝し、その御名をほめたたえる讃美を歌いつつ、主の宮に入り礼拝できることほど、さいわいなことはありません。常に私たちの心が感謝と讃美で満ちあふれる日々となりますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.100.4.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/26

2019-11-26 07:30:12 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 13:1-5

「あなたがたのうちに預言者または夢みる者が起って、しるしや奇跡を示し、 あなたに告げるそのしるしや奇跡が実現して、あなたがこれまで知らなかった『ほかの神々に、われわれは従い仕えよう』と言っても、 あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、このようにあなたがたを試みられるからである。 あなたがたの神、主に従って歩み、彼を恐れ、その戒めを守り、その言葉に聞き従い、彼に仕え、彼につき従わなければならない。 その預言者または夢みる者を殺さなければならない。あなたがたをエジプトの国から導き出し、奴隷の家からあがなわれたあなたがたの神、主にあなたがたをそむかせ、あなたの神、主が歩めと命じられた道を離れさせようとして語るゆえである。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。」

人は神秘的なもの、魔術的なもの、驚くべき奇跡を目の当たりにすると、いとも簡単に心を引きつけられてしまいます。そのような人間の弱さ、愚かさを熟知しているサタンは、巧妙に人の心を騙し、神から離れさせようとします。しかしそのようなサタンの悪しき働きさえ、神はすべてを掌握されていて、神の民の信仰を試み、練りきよめるために用いられます。信仰は見えない事実を確信することです。目に見える現象や奇跡に惑わされるのは、人の弱さを突くサタンの攻略法にまんまと引っかかるからです。神はこのようにして人々の信仰を篩に掛け、何があっても揺るぐことなく、ただ神にのみ信頼するまことの信仰者を探しておられます。奇跡や神秘的現象などに騙されることなく、むしろ彼らの悪を暴き、神から離れさせようとする悪しき霊の働きを断ち切り、正しい信仰を保ち続ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/deu.13.1-5.ja1955

*****

申命記 13:6-11

「同じ母に生れたあなたの兄弟、またはあなたのむすこ、娘、またはあなたのふところの妻、またはあなたと身命を共にする友が、ひそかに誘って『われわれは行って他の神々に仕えよう』と言うかも知れない。これはあなたも先祖たちも知らなかった神々、 すなわち地のこのはてから、地のかのはてまで、あるいは近く、あるいは遠く、あなたの周囲にある民の神々である。 しかし、あなたはその人に従ってはならない。その人の言うことを聞いてはならない。その人をあわれんではならない。その人を惜しんではならない。その人をかばってはならない。 必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、あなたがまず彼に手を下し、その後、民がみな手を下さなければならない。 彼はエジプトの国、奴隷の家からあなたを導き出されたあなたの神、主からあなたを離れさせようとしたのであるから、あなたは石をもって彼を撃ち殺さなければならない。 そうすればイスラエルは皆聞いて恐れ、重ねてこのような悪い事を、あなたがたのうちに行わないであろう。」

人はまた情に流されやすい者、近親の者の誘いを断りづらい優しい心を持っています。そのような情け深さをもサタンは用いて、私たちを神から離れさせようとします。しかし私たちは決して流されてはなりません。サタンの悪巧みを見抜く信仰の目を見開いて、神に逆らおうとさせる者を取り除く、義の心をも兼ね備える必要があります。そのためにも私たちは神の基準である聖書に精通し、その教えを耳学問としてではなく、実際に自分の身の回りに起こる事ごとに適用して、何が正しいか、何が間違っているかを即座に判断し、罪と悪を徹底的に自ら取り除く行動力を備えさせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/deu.13.6-11.ja1955

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申命記 13:12-18

「あなたの神、主があなたに与えて住まわせられる町の一つで、 よこしまな人々があなたがたのうちに起って、あなたがたの知らなかった『ほかの神々に、われわれは行って仕えよう』と言って、その町に住む人々を誘惑したことを聞くならば、 あなたはそれを尋ね、探り、よく問いたださなければならない。そして、そのような憎むべき事があなたがたのうちに行われた事が、真実で、確かならば、 あなたは必ず、その町に住む者をつるぎの刃にかけて撃ち殺し、その町と、そのうちにおるすべての者、およびその家畜をつるぎの刃にかけて、ことごとく滅ぼさなければならない。 またそのすべてのぶんどり物は、町の広場の中央に集め、火をもってその町と、すべてのぶんどり物とを、ことごとく焼いて、あなたの神、主にささげなければならない。これはながく荒塚となって、再び建て直されないであろう。 そののろわれた物は一つもあなたの手に留めおいてはならない。主が激しい怒りをやめ、あなたに慈悲を施して、あなたをあわれみ、先祖たちに誓われたように、あなたの数を多くされるためである。 あなたの神、主の言葉に聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り、あなたの神、主が正しいと見られる事を行うならば、このようになるであろう。」

組織は内部から崩されることが最も手痛い被害を被ります。外部からの攻撃に対しては鉄壁の守りを誇っても、内部崩壊に対しては日頃から注意を払わなければ守りきることはできません。信仰の共同体である神の家族、教会もまた例外ではありません。今も神の教会の中に入り込み、信仰を骨抜きにしようとする異端や悪しき霊の誘惑があることを覚え、常日頃から聖書の基準に照らして自己点検を怠らず、信仰のチェック機能を働かせて悪を取り除き、その影響を受けたものは火で焼き捨てるほどに完全に滅ぼし尽くし、神にきよめていただいて、正しい信仰を守り通す私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/deu.13.12-18.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/26

2019-11-26 05:15:06 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙二 12:9 新共同訳

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

すべて自分の思い通りになることが神の恵みではありません。持病を取り去ってくださいと3度祈ったパウロに、主は、むしろその弱さの故に神の力が働くのだと答えられました。私たちの弱点さえも良きに変えてくださる神に感謝し、日々祈りつつ主の恵みを求め続ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/2co.12.9.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/25

2019-11-25 07:45:35 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 12:1-7

「これはあなたの先祖たちの神、主が所有として賜わる地で、あなたがたが世に生きながらえている間、守り行わなければならない定めと、おきてである。 あなたがたの追い払う国々の民が、その神々に仕えた所は、高い山にあるものも、丘にあるものも、青木の下にあるものも、ことごとくこわし、 その祭壇をこぼち、柱を砕き、アシラ像を火で焼き、また刻んだ神々の像を切り倒して、その名をその所から消し去らなければならない。 ただし、あなたがたの神、主にはそのようにしてはならない。 あなたがたの神、主がその名を置くために、あなたがたの全部族のうちから選ばれる場所、すなわち主のすまいを尋ね求めて、そこに行き、 あなたがたの燔祭と、犠牲と、十分の一と、ささげ物と、誓願の供え物と、自発の供え物および牛、羊のういごをそこに携えて行って、 そこであなたがたの神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労して獲るすべての物を喜び楽しまなければならない。これはあなたの神、主の恵みによって獲るものだからである。」

神がイスラエルに約束されたカナンの地の先住民たちを追い払われるのは、彼らが神の嫌われる忌むべきこと、すなわち偶像礼拝をを行っていたからです。アシラ像を打ち壊すように命じられたのは、カナンの人々はアシラ女神像の前で公然と売春行為を行い、その結果生まれた赤子を灼熱した祭壇の上に載せて焼き殺すことによって五穀豊穣と子孫繁栄を祈願していたとされます。そのような性的乱交と幼児虐待、いのちの尊厳を毀損する行為を、義なる神が見過ごされるはずがありません。だからこそ、イスラエルがカナン地方土着の風習に感化されて主の忌み嫌われる行為に走らないよう、アシラ像を火で焼き、アシラの子とされる偶像の神々の像を打ち砕き、その名を神の約束の地から消し去らなければならないと命じられたのです。そしてまことの神にのみ犠牲を捧げ、その名を置くと約束された場所で礼拝を捧げ、家族と共に地の産物を喜び祝うようにと命じられました。そのようにして呪いの地を祝福の地に変えることが神の御心です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.12.1-7.ja1955

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申命記 12:8-14

「そこでは、われわれがきょうここでしているように、めいめいで正しいと思うようにふるまってはならない。 あなたがたはまだ、あなたがたの神、主から賜わる安息と嗣業の地に、はいっていないのである。 しかし、あなたがたがヨルダンを渡り、あなたがたの神、主が嗣業として賜わる地に住むようになり、さらに主があなたがたの周囲の敵をことごとく除いて、安息を与え、あなたがたが安らかに住むようになる時、 あなたがたの神、主はその名を置くために、一つの場所を選ばれるであろう。あなたがたはそこにわたしの命じる物をすべて携えて行かなければならない。すなわち、あなたがたの燔祭と、犠牲と、十分の一と、ささげ物およびあなたがたが主に誓ったすべての誓願の供え物とを携えて行かなければならない。 そしてあなたがたのむすこ、娘、しもべ、はしためと共にあなたがたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。また町の内におるレビびととも、そうしなければならない。彼はあなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないからである。 慎んで、すべてあなたがよいと思う場所で、みだりに燔祭をささげないようにしなければならない。 ただあなたの部族の一つのうちに、主が選ばれるその場所で、燔祭をささげ、またわたしが命じるすべての事をしなければならない。」

モーセがイスラエルにこの言葉を語っているときは、まだヨルダン川を渡る前、約束の地に入る前のことです。荒野での放浪生活の中にある今は自分たちの好き勝手に振る舞っているかもしれないが、神の約束の地に入り、主がその敵を追い払い、定住して神の祝福を豊かに受けるようになるとき、神が定められた一つの場所で神に犠牲を捧げるようにと命じられました。そして神が賜った地の産物、豊かな実りを、家族と共に、僕たちと共に、また神に直接仕えるレビ人と共に、喜び楽しむようにと命じられました。なぜならそれらはイスラエルが努力して得たものではなく、すべて神からの祝福のギフト、贈り物だからです。神の御前に定められた犠牲を捧げ、その喜びの輪に加わることが、同じ神を信じ仕える神の家族、信仰の共同体の麗しい姿です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.12.8-14.ja1955

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申命記 12:15-27

「しかし、あなたの神、主が賜わる恵みにしたがって、すべて心に好む獣を、どの町ででも殺して、その肉を食べることができる。すなわち、かもしかや雄じかの肉と同様にそれを、汚れた人も、清い人も、食べることができる。 ただし、その血は食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。 あなたの穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一および牛、羊のういご、ならびにあなたが立てる誓願の供え物と、自発の供え物およびささげ物は、町の内で食べることはできない。 あなたの神、主が選ばれる場所で、あなたの神、主の前でそれを食べなければならない。すなわちあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、および町の内におるレビびとと共にそれを食べ、手を労して獲るすべての物を、あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。 慎んで、あなたが世に生きながらえている間、レビびとを捨てないようにしなければならない。 あなたの神、主が約束されたように、あなたの領域を広くされるとき、あなたは肉を食べたいと願って、『わたしは肉を食べよう』と言うであろう。その時、あなたはほしいだけ肉を食べることができる。 もしあなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、遠く離れているならば、わたしが命じるように、主が賜わる牛、羊をほふり、門の内で、ほしいだけ食べることができる。 かもしかや、雄じかを食べるように、それを食べることができる。すなわち汚れた人も、清い人も一様にそれを食べることができる。 ただ堅く慎んで、その血を食べないようにしなければならない。血は命だからである。その命を肉と一緒に食べてはならない。 あなたはそれを食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。 あなたはそれを食べてはならない。こうして、主が正しいと見られる事を行うならば、あなたにも後の子孫にも、さいわいがあるであろう。 ただあなたのささげる聖なる物と、誓願の物とは、主が選ばれる場所へ携えて行かなければならない。 そして燔祭をささげる時は、肉と血とをあなたの神、主の祭壇の上にささげなければならない。犠牲をささげる時は、血をあなたの神、主の祭壇にそそぎかけ、肉はみずから食べることができる。」

神はイスラエルの民に動物の肉を食べることを良しとされましたが、血は食べてはならないときつく厳命されました。なぜなら、血はいのちだからです。いのちは神だけが賜ることのできる最大の祝福であり、最も尊いものだからです。血がいのちであるからこそ、いのちを滅ぼす罪を購うことができるのです。血をその肉と共に神の御前の聖なる祭壇に捧げることによって、私たちの罪が赦されるということが、旧約時代の神への礼拝の中心的儀式でした。だからこそ、血は決して食べてはならないと堅く命じられたのです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.12.15-27.ja1955

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申命記 12:28-32

「あなたはわたしが命じるこれらの事を、ことごとく聞いて守らなければならない。こうしてあなたの神、主が見て良いとし、正しいとされる事を行うならば、あなたにも後の子孫にも、長くさいわいがあるであろう。 あなたの神、主が、あなたの行って追い払おうとする国々の民を、あなたの前から断ち滅ぼされ、あなたがついにその国々を獲て、その地に住むようになる時、 あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。 あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって行い、むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。 あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」

神の命じられた律法の言葉をことごとく守ることによって、神の賜る祝福と安息と平安を満喫することができます。もし神を礼拝せず、土着の神々を慕い求め、神の忌み嫌われる偶像礼拝に心を傾けるようになるならば、それは彼らの罠となり、その地は呪われたものとなり、神の祝福を受けられなくなると、モーセはあらかじめ警告を発しました。また、神が命じられたこと戒めと掟の言葉に、付け加えることも、取り除くことも禁じられました。それは、神の命じられた定めを不完全な人間が勝手に改変することになり、完全、不変、永続なる神の契約が損なわれるからです。聖書を他国語に翻訳する際も、この命令を忠実に守ることがなされています。私たちは聖書に勝手な解釈を付け加えたり、選り好みするようになるならば、神の定められた掟を破ることと同然ですから、注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.12.28-32.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/25

2019-11-25 05:45:28 | 今日の聖句
箴言 序 13:20 新共同訳‬‬

知恵ある者と共に歩けば知恵を得
愚か者と交われば災いに遭う。

良き友に優る宝なしとも言われますが、人は共の影響を受けやすいものです。愚かな友に同調して品位を下げ、結果的に自ら災いを招いてしまわぬよう、神を畏れる賢い知恵ある者と共に過ごす私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.13.20.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/24

2019-11-24 23:59:23 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 11:1-9

「それゆえ、あなたの神、主を愛し、常にそのさとしと、定めと、おきてと、戒めとを守らなければならない。 あなたがたは、きょう、次のことを知らなければならない。わたしが語るのは、あなたがたの子供たちに対してではない。彼らはあなたがたの神、主の訓練と、主の大いなる事と、その強い手と、伸べた腕とを知らず、また見なかった。 また彼らは主がエジプトで、エジプト王パロとその全国に対して行われたしるしと、わざ、 また主がエジプトの軍勢とその馬と戦車とに行われた事、すなわち彼らがあなたがたのあとを追ってきた時に、紅海の水を彼らの上にあふれさせ、彼らを滅ぼされて、今日に至った事、 またあなたがたがこの所に来るまで、主が荒野で、あなたがたに行われた事、 およびルベンの子のエリアブの子、ダタンとアビラムとにされた事、すなわちイスラエルのすべての人々の中で、地が口を開き、彼らと、その家族と、天幕と、彼らに従うすべてのものを、のみつくした事などを彼らは知らず、また見なかった。 しかし、あなたがたは主が行われたこれらの大いなる事を、ことごとく目に見たのである。 ゆえに、わたしが、きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守らなければならない。そうすればあなたがたは強くなり、渡って行って取ろうとする地にはいって、それを取ることができ、 かつ、主が先祖たちに誓って彼らとその子孫とに与えようと言われた地、乳と蜜の流れる国において、長く生きることができるであろう。」

なぜ神がモーセを通して授けた律法を守り行わなければならないのか、その答えをあなた方は見ているだろうと、モーセは出エジプト第二世代のイスラエルの民に語りました。第三世代は荒野を旅している間に生まれた子どもたちですから、イスラエルがエジプトを脱出したときのこと、紅海を分けて渡ったことなどを見てはいません。しかし第二世代はそのとき生まれていましたから、神がイスラエルのためにしてくださったすべてのことを、ダタンとアビラムが神に逆らったために滅ぼされたことも含めて、すべて目の当たりにして育ちました。何もない荒野の40年間、イスラエルを養ってくださった神が、約束の地に導き入れてくださった後もあふれるばかりの祝福で満たしてくださらないはずがないのですから、神との契約の証である律法を守り行うことは当然のことです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.11.1-9.ja1955

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申命記 11:10-17

「あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。 しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。 その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、 主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、 また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。 あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。 おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。」

エジプトも砂漠地帯でしたから、自分たちで潅漑して田畑を手入れしなければ、農作物は育ちませんでした。しかし神が導き入れてくださる約束の地は、天から雨が降る潤った肥沃な地ですから、自分たちで水をまかなくても神が春にも秋にも雨を降らせ、豊かな実りを待つだけで済むのです。天が閉ざされたら、私たちは神の祝福に与ることができません。だからこそ、天の水源を開かれる神に感謝して律法を守り行うのです。常に目を注いでくださる神に自ら応答するのです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.11.10-17.ja1955

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申命記 11:18-25

「それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。 そうすれば、主が先祖たちに与えようと誓われた地に、あなたがたの住む日数およびあなたがたの子供たちの住む日数は、天が地をおおう日数のように多いであろう。 もしわたしがあなたがたに命じるこのすべての命令をよく守って行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、主につき従うならば、 主はこの国々の民を皆、あなたがたの前から追い払われ、あなたがたはあなたがたよりも大きく、かつ強い国々を取るに至るであろう。 あなたがたが足の裏で踏む所は皆、あなたがたのものとなり、あなたがたの領域は荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテから西の海に及ぶであろう。 だれもあなたがたに立ち向かうことのできる者はないであろう。あなたがたの神、主は、かつて言われたように、あなたがたの踏み入る地の人々が、あなたがたを恐れおののくようにされるであろう。」

神の御言葉を守り行い、額の間に置くように常に心に留め、家の門口に掲げてその子孫に神に聞き従うべきことを代々受け継がせる者に、神は農作物を豊かに実らせるだけでなく、そのいのちを長らえさせ、更に近隣諸国との関係をも守って領地を大きく広げてくださるとも約束されました。今なおそうですが、昔からカナン地方一帯は、バビロンをはじめとするユーフラテス川流域の大国と、ナイル川流域のエジプト王国との間に挟まれて、民族紛争、領土問題の絶えない地域でした。そのような他国との難しい関係をも、神がその威光によって解決されるとおっしゃるのです。神は個人の祝福のみならず、対人関係、周囲との関係にまで秩序を保ち、好意を抱かせ、平和的な解決を与えてくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.11.18-25.ja1955

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申命記 11:26-32

「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。 もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。 もしあなたがたの神、主の命令に聞き従わず、わたしが、きょう、あなたがたに命じる道を離れ、あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば、のろいを受けるであろう。 あなたの神、主が、あなたの行って占領する地にあなたを導き入れられる時、あなたはゲリジム山に祝福を置き、エバル山にのろいを置かなければならない。 これらの山はヨルダンの向こう側、アラバに住んでいるカナンびとの地で、日の入る方の道の西側にあり、ギルガルに向かいあって、モレのテレビンの木の近くにあるではないか。 あなたがたはヨルダンを渡り、あなたがたの神、主が賜わる地にはいって、それを占領しようとしている。あなたがたはそれを占領して、そこに住むであろう。 それゆえ、わたしが、きょう、あなたがたに授ける定めと、おきてをことごとく守って行わなければならない。」

神はイスラエルの前に、祝福と、呪いを置くとおっしゃいました。神に聞き従って祝福を得るか、神に言い逆らって呪いを受けるか、私たちの人生の選択肢は、二者択一です。ゲリジム山とエバル山とは、アブラハムが妻サラの遺骨を納めるために唯一手にした土地であるモレのテレビンの木の墓所がある谷間を見下ろす二つの山で、南にゲリジム山、北にエバル山があります。この場所は後にマナセ族とエフライム族の地境でもあるようです。アブラハムの子孫にこの地を与えると約束されたイスラエルの信仰の原点を境に、祝福と呪いを置き、どちらの生き方を取るか選択しなさいと、神は信仰の決断を迫るのです。私たちも神の御言葉に聞き従って祝福を選び取るか、神に言い逆らって呪いを受けるか、人生の決断をしなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/deu.11.26-32.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/24

2019-11-24 06:35:40 | 今日の聖句
ヨハネの手紙一 3:16 新共同訳

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。

死ぬ気になれば何でもできると言われますが、主イエスは実際に十字架にいのちを捨てられ、私たちが罪赦されるために購いの犠牲となって、神の大いなる愛を示してくださいました。私たちもまた愛する友のために、一つ信仰に立つ兄弟姉妹のために、命懸けで愛を示す者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/1jn.3.16.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/11/23

2019-11-23 07:10:28 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 10:1-5

「その時、主はわたしに言われた、『おまえは、前のような石の板二枚を切って作り、山に登って、わたしのもとにきなさい。また木の箱一つを作りなさい。 さきにおまえが砕いた二枚の板に書いてあった言葉を、わたしはその板に書きしるそう。おまえはそれをその箱におさめなければならない』。 そこでわたしはアカシヤ材の箱一つを作り、また前のような石の板二枚を切って作り、その二枚の板を手に持って山に登った。 主はかつて、かの集会の日に山で火の中からあなたがたに告げられた十誡を書きしるされたように、その板に書きしるし、それを主はわたしに授けられた。 それでわたしは身をめぐらして山から降り、その板を、わたしが作った箱におさめた。今なおその中にある。主がわたしに命じられたとおりである。」

金の子牛を造って神として拝み、戯れたイスラエルの民の愚行を目の当たりにしたモーセは、怒りのあまり神から授かった十戒の記された二枚の石の板を粉々に砕いて、一度賜った神との契約を破棄しました。その後、モーセの必死の執り成しを聞かれた神は、再びイスラエルの民との契約を結ぶために、先に賜った石の板と同様の板を持参して再びシナイ山に登るようにと命じられました。同時に神は、十戒の刻まれた石の板を持ち運ぶための木の箱を造るようにと命じられました。これはイスラエルが荒野を旅する間、ずっと神の契約を覚えるためのものでした。私たちも神の約束の御言葉を肌身離さず保ち続け、常に神と共にこの世の生涯を歩む者でありますように。

https://www.bible.com/bible/81/deu.10.1-5.ja1955

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申命記 10:6-11

「(こうしてイスラエルの人々はベエロテ・ベネ・ヤカンを出立してモセラに着いた。アロンはその所で死んでそこに葬られ、その子エレアザルが彼に代って祭司となった。 またそこを出立してグデゴダに至り、グデゴダを出立してヨテバタに着いた。この地には多くの水の流れがあった。 その時、主はレビの部族を選んで、主の契約の箱をかつぎ、主の前に立って仕え、また主の名をもって祝福することをさせられた。この事は今日に及んでいる。 そのためレビは兄弟たちと一緒には分け前がなく、嗣業もない。あなたの神、主が彼に言われたとおり、主みずからが彼の嗣業であった。) わたしは前の時のように四十日四十夜、山におったが、主はその時にもわたしの願いを聞かれた。主はあなたを滅ぼすことを望まれなかった。 そして主はわたしに『おまえは立ちあがり、民に先立って進み行き、わたしが彼らに与えると、その先祖に誓った地に彼らをはいらせ、それを取らせよ』と言われた。」

イスラエルの民から要請されたとはいえ、金の子牛を造ったアロンは、約束の地を見ることなく荒野で死に、その子エレアザルが大祭司となりました。そしてモーセが再び神から授かった契約の石の板を運ぶために、神はレビ族を選び、神に仕える部族として購われました。40日40夜、シナイ山の頂で神から律法を授けられたモーセは、イスラエルの民を約束の地へと導き入れ、その地を自分たちのものとして取らせるようにと命じられました。神の御言葉こそ私たちの人生を導くものであり、神の永遠の約束を自分のものとして手にするための切符です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.10.6-11.ja1955

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申命記 10:12-16

「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、 また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。 見よ、天と、もろもろの天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。 そうであるのに、主はただあなたの先祖たちを喜び愛し、その後の子孫であるあなたがたを万民のうちから選ばれた。今日見るとおりである。 それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。」

このようにして約束の地を目の前にしたイスラエルの民に神が望まれたことは、ただ神のみを畏れ、すべての義の道を歩んで神を愛し、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして神に仕え、その律法の言葉を守り行って、神の賜る祝福を手にすることでした。そのためにイスラエルに必要なものは、すべてのイスラエルの男子が生まれて8日後に身に受ける、目に見える契約のしるしとしての割礼ではなく、心に割礼を施し、頑なな心を打ち砕くことでした。神の民としての私たちが持つべきアイデンティティーは、心に刻まれた割礼としての信仰、神に対する絶対的な信頼と服従、頑なな心を打ち砕き、ただ神にのみ仕える従順です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.10.12-16.ja1955

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申命記 10:17-22

「あなたがたの神である主は、神の神、主の主、大いにして力ある恐るべき神にましまし、人をかたより見ず、また、まいないを取らず、 みなし子とやもめのために正しいさばきを行い、また寄留の他国人を愛して、食物と着物を与えられるからである。 それゆえ、あなたがたは寄留の他国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で寄留の他国人であった。 あなたの神、主を恐れ、彼に仕え、彼に従い、その名をさして誓わなければならない。 彼はあなたのさんびすべきもの、またあなたの神であって、あなたが目に見たこれらの大いなる恐るべき事を、あなたのために行われた。 あなたの先祖たちは、わずか七十人でエジプトに下ったが、いま、あなたの神、主はあなたを天の星のように多くされた。」

神はイスラエルに、神の愛を実践する者となるように命じられました。神がすべての人を偏り見ず平等に取り扱い、正しい裁きを行い、弱い者の味方となって守り、寄留の民にも日々の必要を備えられました。それはかつてエジプトの地に寄留していたイスラエルが神の恵みによって、たった70人から60万人にも及ぶ大いなる民とされたことを覚え、私たちもまた隣人に対して愛をもって接し、神の愛と憐れみを実践して、神の祝福を周囲の人々にもたらす祭司としての役割を果たす者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/deu.10.17-22.ja1955
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