マタイによる福音書 4:1-4
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
バプテスマを受けたイエス様は、その直後に荒野で40日40夜の試練を受けられました。これはイエス様が旧約聖書の出エジプトを追体験されたことを意味します。ヨハネから受けた水によるバプテスマはイスラエルが紅海を渡ったことを意味し、その後の40日の試練は、イスラエルが荒野を40年間さまよい続けた歴史を意味します。イスラエルの人々を荒野の40年間ずっと養ったものは、天から降ってきた不思議な食物、マナでした。イスラエルは荒野で食べ物がないと不満を神様にぶつけましたが、イエス様はサタンに試みられたときに、人はパンだけで生きるのではなく神様の御言葉によって生きるのだと答えられ、サタンの第一の誘惑を退けられました。出エジプトでイスラエルが学んだこと、すなわち天から降って来られたマナであられるイエス様の御言葉によって養われることを私たちも学ばせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/mat.4.1-4.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:5-11
それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて 言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
サタンはなおも聖書の御言葉を引用してイエス様を試みられましたが、イエス様は他の聖書の箇所を引用して神様を試すようなことをしてはならないと退けられました。私たちも聖書を断片的に読むのではなく、神様の御心は何であるかを問いつつ、総合的に読むことの大切さを学ばされます。最後の試みは、この世の栄誉と引き換えにサタンに魂を売ることをしてはならない、まことの神以外の何者をも神としてはならないとの戒めです。私たちがこの世を生き抜く中で、様々なこの世の誘惑との戦いを避けて通ることはできませんが、その度に神様を第一とする正しい御言葉信仰に基づき、誘惑に勝利する私たちでありますように。
http://bible.com/81/mat.4.5-11.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:12-17
さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。 そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。 これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。 「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。 この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
サタンの試みに勝利されたイエス様は、人口の多いイスラエルの首都であり神の宮のあるエルサレムからではなく、北部の片田舎ガリラヤのカペナウムから宣教を始められました。これもまた旧約聖書を成就するためのことでしたが、神様の恵みはこの世の中心にいる支配者階層ではなく、世間から低く見られている者、追いやられた者、社会的弱者にまず向けられています。そして私たちの心の中にある暗闇にスポットライトが当てられ、罪が明るみに出されることによって悔い改めが促されることから、まことの救いが到来するのです。
http://bible.com/81/mat.4.12-17.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:18-22
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、 すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
イエス様の宣教活動の初期から召された弟子たちは、ガリラヤ湖の漁師であったシモン・ペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの2組の兄弟たちでした。彼らを弟子に召したときに語られた呼びかけが「人を漁る漁師にする」との有名な御言葉でした。彼らに共通していたことは、イエス様からかけられた召命の言葉に直ちに従ったこと、今の安定した生活を打ち捨てて従ったことでした。神様に聞き従うに際して、主のご命令を後回しにする信仰、今手にしているものを惜しむ信仰は主の僕に相応しくありません。神様が私たちに求めておられる信仰は、今、直ちに従えるかどうかです。
http://bible.com/81/mat.4.18-22.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:23-25
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
イエス様の働きは、第一に会堂で教えること、第二に福音を宣べ伝えること、第三に病を癒すことでした。イエス様の宣教活動の評判は瞬く間にシリヤ全地に広まり、イスラエル北部のガリラヤだけにとどまらず、その南東にあるデカポリス地方、首都エルサレムを中心とするユダヤ地方、ヨルダンの向こう岸にある東部の地域にまで及び、人々は病人や悩み苦しんでいる者をイエス様の元にお連れして癒していただき、おびただしい群衆がイエスに従ったと記されています。イエス様は、健康な者に医者はいらない、必要なのは病人であると言われましたが、イエス様のまなざしはこの世の権力者、有力者、富裕層の人々は目もくれないような苦しんでいる人たちに当てられました。イエス様は常に弱い者の味方です。
http://bible.com/81/mat.4.23-25.ja1955
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
バプテスマを受けたイエス様は、その直後に荒野で40日40夜の試練を受けられました。これはイエス様が旧約聖書の出エジプトを追体験されたことを意味します。ヨハネから受けた水によるバプテスマはイスラエルが紅海を渡ったことを意味し、その後の40日の試練は、イスラエルが荒野を40年間さまよい続けた歴史を意味します。イスラエルの人々を荒野の40年間ずっと養ったものは、天から降ってきた不思議な食物、マナでした。イスラエルは荒野で食べ物がないと不満を神様にぶつけましたが、イエス様はサタンに試みられたときに、人はパンだけで生きるのではなく神様の御言葉によって生きるのだと答えられ、サタンの第一の誘惑を退けられました。出エジプトでイスラエルが学んだこと、すなわち天から降って来られたマナであられるイエス様の御言葉によって養われることを私たちも学ばせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/mat.4.1-4.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:5-11
それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて 言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
サタンはなおも聖書の御言葉を引用してイエス様を試みられましたが、イエス様は他の聖書の箇所を引用して神様を試すようなことをしてはならないと退けられました。私たちも聖書を断片的に読むのではなく、神様の御心は何であるかを問いつつ、総合的に読むことの大切さを学ばされます。最後の試みは、この世の栄誉と引き換えにサタンに魂を売ることをしてはならない、まことの神以外の何者をも神としてはならないとの戒めです。私たちがこの世を生き抜く中で、様々なこの世の誘惑との戦いを避けて通ることはできませんが、その度に神様を第一とする正しい御言葉信仰に基づき、誘惑に勝利する私たちでありますように。
http://bible.com/81/mat.4.5-11.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:12-17
さて、イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。 そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。 これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。 「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。 この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
サタンの試みに勝利されたイエス様は、人口の多いイスラエルの首都であり神の宮のあるエルサレムからではなく、北部の片田舎ガリラヤのカペナウムから宣教を始められました。これもまた旧約聖書を成就するためのことでしたが、神様の恵みはこの世の中心にいる支配者階層ではなく、世間から低く見られている者、追いやられた者、社会的弱者にまず向けられています。そして私たちの心の中にある暗闇にスポットライトが当てられ、罪が明るみに出されることによって悔い改めが促されることから、まことの救いが到来するのです。
http://bible.com/81/mat.4.12-17.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:18-22
さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、 すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
イエス様の宣教活動の初期から召された弟子たちは、ガリラヤ湖の漁師であったシモン・ペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの2組の兄弟たちでした。彼らを弟子に召したときに語られた呼びかけが「人を漁る漁師にする」との有名な御言葉でした。彼らに共通していたことは、イエス様からかけられた召命の言葉に直ちに従ったこと、今の安定した生活を打ち捨てて従ったことでした。神様に聞き従うに際して、主のご命令を後回しにする信仰、今手にしているものを惜しむ信仰は主の僕に相応しくありません。神様が私たちに求めておられる信仰は、今、直ちに従えるかどうかです。
http://bible.com/81/mat.4.18-22.ja1955
*****
マタイによる福音書 4:23-25
イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
イエス様の働きは、第一に会堂で教えること、第二に福音を宣べ伝えること、第三に病を癒すことでした。イエス様の宣教活動の評判は瞬く間にシリヤ全地に広まり、イスラエル北部のガリラヤだけにとどまらず、その南東にあるデカポリス地方、首都エルサレムを中心とするユダヤ地方、ヨルダンの向こう岸にある東部の地域にまで及び、人々は病人や悩み苦しんでいる者をイエス様の元にお連れして癒していただき、おびただしい群衆がイエスに従ったと記されています。イエス様は、健康な者に医者はいらない、必要なのは病人であると言われましたが、イエス様のまなざしはこの世の権力者、有力者、富裕層の人々は目もくれないような苦しんでいる人たちに当てられました。イエス様は常に弱い者の味方です。
http://bible.com/81/mat.4.23-25.ja1955