伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/03/31

2016-03-31 07:58:06 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 30:1-2
『ラケルは自分がヤコブに子を産まないのを知った時、姉をねたんでヤコブに言った、「わたしに子どもをください。さもないと、わたしは死にます」。 ヤコブはラケルに向かい怒って言った、「あなたの胎に子どもをやどらせないのは神です。わたしが神に代ることができようか」。』

子孫繁栄が祝福のバロメーターと考えられていた古代世界で、いつまで経っても子を授からないラケルの焦りはわからなくもありません。しかし子どもも祝福もすべては神様から授かるものであるとの信仰に立たねばなりません。ヤコブにはそれがわかっていましたが、ラケルには理解できず、自分の努力によって子を得ようと画策します。その結果、子宝戦争ともいうべき家庭内での競争が始まります。

しかしすべてを良きに変えてくださる神様は、この人間の感情から出たことさえも用いて、あなたの子孫を星の数ほど多くしようと約束されたアブラハムとの契約を成就されました。ここに神様の憐れみ深さとそのご計画の深遠さを感じずにはおられません。すべてを神様の御手に委ね、御心のまま自分の身になりますようにと祈り願う私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.30.1-2.ja1955

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創世記 30:14
『さてルベンは麦刈りの日に野に出て、野で恋なすびを見つけ、それを母レアのもとに持ってきた。ラケルはレアに言った、「あなたの子の恋なすびをどうぞわたしにください」。』

当時、妊娠促進効果があると考えられていた恋なすびをレアの子ルベンから奪い取ったラケルでしたが、結果的にはレアが更に子宝に恵まれるという、自分の思いに反する結末となりました。これは人の計画や努力、そして人の知識と物質的な効力に頼り、神様に頼ろうとしなかったラケルの不信仰が招いた結果です。

文明化が進み、高度な科学技術が発展した現代に生きる私たちも、ラケルと同じことをしてはいないかと反省させられます。この世の知恵や豊かさのみに頼ることなく、天地万物を創造し、歴史をもご支配なさる神様にすべてを委ねて、まことの祝福に満ちた人生を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.30.14.ja1955

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創世記 30:22-24
『次に神はラケルを心にとめられ、彼女の願いを聞き、その胎を開かれたので、 彼女は、みごもって男の子を産み、「神はわたしの恥をすすいでくださった」と言って、 名をヨセフと名づけ、「主がわたしに、なおひとりの子を加えられるように」と言った。』

自分で立てた計画も、この世の知恵による努力も、すべて虚しい結果に終わったことを悟ったラケルでしたが、ようやく子どもを授かったとき、人の歩みは神様の御心の内にあることと知り、神様をほめたたえる信仰に至りいました。

私たちにも自分の考える理想的な人生のプランがあるでしょう。しかしすべては神様の御心のままに成就することを忘れてはなりません。常に神様の御心を尋ね求め、自分の計画と異なるならば軌道修正し、後の日に主はすべてを良きに変えて祝福へと導いてくださったと感謝してほめたたえる私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.30.22-24.ja1955

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創世記 30:25-27
『ラケルがヨセフを産んだ時、ヤコブはラバンに言った、「わたしを去らせて、わたしの故郷、わたしの国へ行かせてください。 あなたに仕えて得たわたしの妻子を、わたしに与えて行かせてください。わたしがあなたのために働いた骨折りは、あなたがごぞんじです」。 ラバンは彼に言った、「もし、あなたの心にかなうなら、とどまってください。わたしは主があなたのゆえに、わたしを恵まれるしるしを見ました」。』

子宝競争に結末を得て家庭内不和に解決を得たヤコブは、家族と共に約束の地である生まれ故郷に戻る決断をします。しかし狡猾で強欲な伯父ラバンは、ヤコブの故に神様の祝福に与っていることをわかっていたため、この祝福を手放すまいと引き留め工作に走ります。

この神様の祝福を誰もが認めることとなったのは、決してのほほんと自動的に得られたものではなく、たとい裏切られても、こき使われても、家族のためにただ黙々と自分の責任を果たしたヤコブの忠実さとたゆまぬ努力が実を結んだものです。私たちの信仰生活でも、悔しい思いをしたり、報われぬ努力に悶々と過ごすときがあるかと思いますが、ヤコブのようにただ神様だけを見上げて誠実に歩むならば必ず報われるときが来ます。苦境にも屈することなく、ひがむこともなく、神様の祝福の約束を信じて今日を大切に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.30.25-27.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/31

2016-03-31 06:50:28 | 今日の聖句
ヨハネの黙示録 3:20
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」

今の生活に満足し、束の間の平安に安住して、主イエス様を心の外に締め出していないでしょうか? 心の扉をノックされるイエス様の細き御声に気付き、戸を開いてお迎えし、主と共に生きるまことの平安を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/rev.3.20.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/03/30

2016-03-30 07:52:28 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 29:9-10
「ヤコブがなお彼らと語っている時に、ラケルは父の羊と一緒にきた。彼女は羊を飼っていたからである。 ヤコブは母の兄ラバンの娘ラケルと母の兄ラバンの羊とを見た。そしてヤコブは進み寄って井戸の口から石をころがし、母の兄ラバンの羊に水を飲ませた。」

私たちはともするとヤコブはひ弱なお母さん子というイメージを持ってしまいがちですが、実はヤコブは数人がかりでようやく動かせる大石をもいとも簡単に転がすことのできるほどの怪力の持ち主でした。その飛び抜けた身体能力は、ようやく巡り会えた親族で後の妻となるラケルのために発揮されました。

私たちには必ず神様から与えられた賜物があります。今はまだ開花せず、あるいは隠された賜物に気付かずにいるかもしれませんが、神様は必ずその賜物を用いるチャンスを与えてくださいます。そのときのために授かった賜物に日々磨きを掛けて備えると共に、神様のため、人のために正しく用いる心を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.29.9-10.ja1955

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創世記 29:25-27
『朝になって、見ると、それはレアであったので、ヤコブはラバンに言った、「あなたはどうしてこんな事をわたしにされたのですか。わたしはラケルのために働いたのではありませんか。どうしてあなたはわたしを欺いたのですか」。 ラバンは言った、「妹を姉より先にとつがせる事はわれわれの国ではしません。 まずこの娘のために一週間を過ごしなさい。そうすればあの娘もあなたにあげよう。あなたは、そのため更に七年わたしに仕えなければならない」。』

ヤコブは狡猾な伯父ラバンに騙され、愛する妻ラケルのために14年間もただ働きする羽目に陥りました。これは決して兄エサウを騙したヤコブが当然受けるべき報いだという因果応報の考え方ではなく、人に騙され悔しい思いをする経験を通してヤコブの信仰と人格を成長させるために神様が課した試練と捉えるべきです。

http://bible.com/81/gen.29.25-27.ja1955

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創世記 29:31
「主はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。」

神様の御目は弱い者、虐げられている者の上に注がれます。妹ラケルよりもヤコブの愛を受けることの少なかったラケルでしたが、主の憐れみの故に先に子宝に恵まれました。いつも公平な目で私たちを見て報いてくださる神様の憐れみ深さに感謝する私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.29.31.ja1955

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創世記 29:35
『彼女はまた、みごもって子を産み、「わたしは今、主をほめたたえる」と言って名をユダと名づけた。そこで彼女の、子を産むことはやんだ。』

神様の憐れみの故に子宝に恵まれたラケルでしたが、それを感謝と受け止めることなく、ヤコブの愛を受けたい一心で、まるで出産を妹との競争の道具としてしまいました。しかし4人目のユダを授かってはじめて、神様の御名をほめたたえる信仰に至ることができたのは幸いなことです。

このユダからダビデ王、そして救い主イエス様へと祝福の家系が受け継がれたことは特筆すべきです。神様に感謝し主の栄光をほめたたえるとき、豊かな祝福が注がれることを思い、主の御名を賛美する心を大切にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.29.35.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/30

2016-03-30 07:20:08 | 今日の聖句
ガラテヤ人への手紙 5:13
「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」

私たちが罪の奴隷から解放されたのは、欲望の赴くまま、やりたい放題の人生を歩むためではなく、自分を救い出してくださった神様の愛に応えて御心に適う人生を送るためです。ようやく得た自由を捨てて欲望の虜に陥ることなく、自らの意志で神と人とに仕え、キリストに倣う生涯を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/gal.5.13.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/03/29

2016-03-29 07:44:20 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 28:1-2
『イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。 立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。』

結婚は一生の祝福をも左右する最も大切な人生の選択です。生活の安定を求めて神様を第一としない生活に甘んじるか、たとえ生活は厳しく貧しくとも同じ神様を信じる配偶者と共に平安な日々を過ごすか、どちらを選択すべきでしょうか。もし神様の祝福を心から求めるならば、結果は自明のことです。結婚を通しても人生のすべてを神様に捧げ、神様と共に生きる平安と祝福の生活を第一に求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.28.1-2.ja1955


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創世記 28:8-9
「彼はカナンの娘が父イサクの心にかなわないのを見た。 そこでエサウはイシマエルの所に行き、すでにある妻たちのほかにアブラハムの子イシマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻にめとった。」

これこそエサウの思慮のなさ、場当たり的な生き方の表れです。もしエサウが本当に神様の祝福を求めるならば、偶像の神々を信じるカナン人の妻と別れるべきでしたし、エジプト人の血を継いだイシマエルの家系から妻をめとるべきではなかったはずです。常に神様の御心が何かを尋ね求め、物事の本質を見極めて正しく生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.28.8-9.ja1955

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創世記 28:13-15
『そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。』

生まれてからこの方ずっと父母の庇護の元にいきてきたヤコブにとって、自分を守るものが何一つない荒野をたった一人で旅することは、どれほど心細く不安であったことでしょうか。しかし神様はそんなヤコブに夢を通して現れ、いつも共にいて守ってくださること、必ず祝福してくださることを約束されました。

私たちが試練に会うときにも、神様は聖書の御言葉を通してヤコブと同じ約束の言葉を掛けてくださいます。何があっても必ず共にいて守ってくださる神様に信頼して、人生の荒野を旅する私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.28.13-15.ja1955

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創世記 28:16-19
『ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。』

もしかしたらヤコブは、このとき生まれて初めて神様と直接出会ったのではないでしょうか。父母が信じている神様ではなく、先祖代々の神様でもなく、私の信じる神様と出会う体験はとても貴重なものです。自立した信仰を確立し、自分の人生と正しく向き合うために最も重要な経験を、ヤコブは逃避行ともとれる旅の中で体験しました。

そのことを記念してヤコブは石の柱を立てて神様を礼拝しました。後々ベテルはイスラエルの歴史の中でも重要な地となります。私たちも信仰の原点を忘れることのないよう、記念するときを持つことは重要です。人生の中で何かあったときに、立ち帰ることのできる信仰の原点を大切にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.28.16-19.ja1955


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創世記 28:20-22
『ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。』

神様と直接出会う経験をしたヤコブですが、ここでもまだ自分に益となるならば神様を信じるという打算的な生き方からは抜け切れていませんでした。しかし神様はそんな幼いヤコブの信仰をも喜んで受け入れてくださる寛大なお方です。

そんなヤコブにも良い面がありました。それは祝福は自分で得るものではなく神様がくださるものと理解していたこと、そして神様と約束した十分の一の捧げものを必ず守ったことです。それ故に神様もまたヤコブとの約束を守り、彼の人生を祝福されました。私たちもまた人生の祝福は神様が賜るものと確信し、心からの捧げものをもって神様との約束を果たす者でありたいと願います。

http://bible.com/81/gen.28.20-22.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/29

2016-03-29 06:55:05 | 今日の聖句
テモテヘの第一の手紙 4:8
「からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。」

肉体的なトレーニングはこの世で健康に生きるために有益ですが、霊的なトレーニングで増し加わる信仰は心と体を健全に保ち、この世のみならず天の御国でも有用な、万事に益となる実を結びます。信仰によって約束された永遠のいのちを常に思い、更に信仰の前進に励む私たちでありますように。

http://bible.com/81/1ti.4.8.ja1955
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Blog開設4,400日目

2016-03-28 08:00:15 | Weblog
ということだそうです。
御言葉の黙想を日々続けられている恵みに感謝。

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【COGHCC聖書通読】 2016/03/28

2016-03-28 07:44:22 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 27:1-4
『イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。 イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。 それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、 わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。』

イサクの生涯はアブラハムやヤコブ、ヨセフほど聖書に多く記されていません。それはイサクが従順で温厚、寡黙な人であったからかもしれませんが、霊的に特筆することのない生涯であったからかもしれません。

高齢のためでもあったかと思いますが、目がかすんで見えなくなったイサクは、霊的な目もかすんで見えなくなっていたのではないでしょうか。神様の祝福の継承という大切なことを、自分の好きな鹿の肉の料理と引き替えに、同じく食べ物と引き替えに長子の権利を弟ヤコブに売り渡したエサウに与えようとしていたのは、その表れであったかもしれません。

私たちの信仰の目はイサクのようにかすんで見えなくなっていないでしょうか。霊的な目は開かれているでしょうか。今一度自らを省み、神様と同じ視点に立って、肉体的な目ではなく信仰の目で物事を見、この世の価値基準ではなく聖書の価値基準で判断し、神様の祝福に満ちあふれる人生を歩み続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.27.1-4.ja1955

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創世記 27:22-23
『ヤコブが、父イサクに近寄ったので、イサクは彼にさわってみて言った、「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ」。 ヤコブの手が兄エサウの手のように毛深かったため、イサクはヤコブを見わけることができなかったので、彼を祝福した。』

高齢のため目が見えなくなっていたイサクは、ヤコブの声だと気付きながらも、手の感触でエサウと判断しました。またあれほど執着していた鹿の肉の料理も、ヤギの肉を調理した料理と見分けることもできませんでした。私たちの肉体的な感覚はこれほどまでに不確かで、本物と偽物を見分けることは非常に難しいものです。

老年のイサクが唯一確かだった感覚は、声を聞き分ける耳でした。私たちも、神様の正しい御声と、サタンの欺きの声を聞き分ける信仰の耳を持つ必要があります。「見ゆるところに依らずして信仰によりて歩むべし」との聖歌にもあるように、信仰の感覚を研ぎ澄まして生涯を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.27.22-23.ja1955

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創世記 27:11-14
『ヤコブは母リベカに言った、「兄エサウは毛深い人ですが、わたしはなめらかです。 おそらく父はわたしにさわってみるでしょう。そうすればわたしは父を欺く者と思われ、祝福を受けず、かえってのろいを受けるでしょう」。 母は彼に言った、「子よ、あなたがうけるのろいはわたしが受けます。ただ、わたしの言葉に従い、行って取ってきなさい」。 そこで彼は行ってやぎの子を取り、母の所に持ってきたので、母は父の好きなおいしい食べ物を作った。』

ここにイサクの家に潜むいびつな家庭環境が垣間見られます。信仰に立って家庭を正しく導く難しさを痛感します。母の溺愛を受けて育ったヤコブは、一時は正しい判断をしながらも、母の言葉に逆らうことができず、父と兄を騙すことに同意せざるを得ませんでした。ここからヤコブの過酷な人生が始まることとなります。私たちも人の言葉を受け入れるか、心の叫びを聞き入れるか、細心の注意を払わねばなりません。信仰の秤に従い、常に正しい心で日常の諸々の出来事に対処する私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.27.11-14.ja1955

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創世記 27:37-38
『イサクは答えてエサウに言った、「わたしは彼をあなたの主人とし、兄弟たちを皆しもべとして彼に与え、また穀物とぶどう酒を彼に授けた。わが子よ、今となっては、あなたのために何ができようか」。 エサウは父に言った、「父よ、あなたの祝福はただ一つだけですか。父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」。エサウは声をあげて泣いた。』

この箇所から深く思わされることは、言葉の力と祝福の継承の厳粛さです。たとい欺かれた結果だとしても、一度口から出た言葉は翻すことはできず、継承された祝福も決してやり直しはできません。何でも簡単に水に流すことのできる日本の文化に生きる私たちは、言葉の重さと祝福の重大さをどれほど重く受け止めているでしょうか。

同時にこの結末は、神様からいただいた特権と祝福の重要性を軽んじたエサウの身から出た錆ともいえます。今一度、自分の信仰と生活態度を見直して襟を正す私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.27.37-38.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/28

2016-03-28 06:54:15 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 8:38-39
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」

私たちに対する神様の愛は、この世のいかなる力をもってしても引き離すことのできないほど強く、また深く結びついています。これほどに愛されている恵みに感謝し、決して手放すことなく、しっかりと握りしめて天の御国を目指して歩み続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.8.38-39.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/03/27

2016-03-27 07:38:54 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 26:1-2
『アブラハムの時にあった初めのききんのほか、またききんがその国にあったので、イサクはゲラルにいるペリシテびとの王アビメレクの所へ行った。その時、主は彼に現れて言われた、「エジプトへ下ってはならない。わたしがあなたに示す地にとどまりなさい。」』

飢饉という存亡の危機に遭ったイサクは生まれ育った地を離れましたが、肥沃な土地であるエジプトに下ってはならないとの御言葉に従い、主が示された地に留まりました。

私たちがこの世に生きる限り、試練のときが時折やってきます。そのとき私たちが主の御言葉に従うかどうか、信仰が試されます。主の御心に聞き従わず、この世での安定した豊かな暮らしを求めて生きるならば、祝福の約束に与ることはできません。たとい劣悪な環境に置かれても、いのちの源なる主が必ず守り養ってくださると信じ、主の御言葉に聞き従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.26.1-2.ja1955

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創世記 26:7
『その所の人々が彼の妻のことを尋ねたとき、「彼女はわたしの妹です」と彼は言った。リベカは美しかったので、その所の人々がリベカのゆえに自分を殺すかもしれないと思って、「わたしの妻です」と言うのを恐れたからである。』

生活の安定を求めて、約束の地を離れて異邦人の国に身を寄せたイサクは、父アブラハムと同じ過ちを犯します。それはイサクがその地の人々が自分を殺すかもしれないと恐れたからです。

私たちもまた何度も同じ過ちを繰り返し犯しやすいものですが、その原因の一つが恐れの念です。しかし多くの場合、恐れとは漠然としたもので、恐れた通りになる確率は低いものです。

恐れに打ち勝つ秘訣は、私たちの将来をすべて知っておられ、最善に導いてくださる主を信じて委ねることです。将来に不安を抱えて恐れることなく、主にすべてを委ねて平安の内に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.26.7.ja1955

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創世記 26:10-11
『アビメレクは言った、「あなたはどうしてこんな事をわれわれにされたのですか。民のひとりが軽々しくあなたの妻と寝るような事があれば、その時あなたはわれわれに罪を負わせるでしょう」。 それでアビメレクはすべての民に命じて言った、「この人、またはその妻にさわる者は必ず死ななければならない」。』

真実を明かしたイサクのために、ペリシテの王アビメレクはイサクのいのちを守ると約束し、すべての民に命令を出しました。アビメレクは父アブラハムとの出来事と契約を覚えていたからかもしれません。私たちが信仰を表明するとき、必ず主が守ってくださいます。主の約束を確信して恐れることなく信仰生活を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.26.10-11.ja1955

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創世記 26:12-15
「イサクはその地に種をまいて、その年に百倍の収穫を得た。このように主が彼を祝福されたので、彼は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。またペリシテびとは彼の父アブラハムの時に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸をふさぎ、土で埋めた。」

主に忠実に従う者は、どこにいても何をしても必ず主の祝福が伴います。しかし私たちが多くの祝福を受けるとき、人々に妬まれ、嫌がらせを受けることがあります。イサクもまた同様に主の豊かな祝福の故にその地域の人々の反感を買い、井戸をふさがれるといういのちの危機に瀕しました。ときどのような態度を取るかで、私たちの信仰が試されます。

イサクは争いを好まず、その地を去る決断をしました。このイサクの信仰は平和を愛される主の御心に適い、次の祝福へとつながります。自分の権利を主張して徒に争うことなく、平和を愛し、従順を貫いてまことの平安と祝福を受け継ぐ私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.26.12-15.ja1955

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創世記 26:23-25
『彼はそこからベエルシバに上った。 その夜、主は彼に現れて言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共におって、あなたを祝福し、わたしのしもべアブラハムのゆえにあなたの子孫を増すであろう」。 それで彼はその所に祭壇を築いて、主の名を呼び、そこに天幕を張った。またイサクのしもべたちはそこに一つの井戸を掘った。』

ペリシテ人の執拗な嫌がらせにもかかわらず、イサクは争うことなく新しい地に移り、ただ黙々と井戸を掘り続けました。このイサクの従順と平和を愛する信仰に神様は答えてくださり、イサクと共にいて祝福してくださると約束してくださいました。そして主と出会ったイサクはすぐに祭壇を築いて礼拝し、神様の約束を信じてこの地に定住する信仰の決断をしました。

平和を愛し、無用な争いを避け、神様の示す地に導かれて祝福の約束を与えられた者のさいわいを深く覚えます。一年前の自分の状況と重なり、感慨深くこの箇所を読ませていただきました。

http://bible.com/81/gen.26.23-25.ja1955

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創世記 26:34-35
「エサウは四十歳の時、ヘテびとベエリの娘ユデテとヘテびとエロンの娘バスマテとを妻にめとった。彼女たちはイサクとリベカにとって心の痛みとなった。」

神様を信じない民の中から妻を選んだエサウの愚かな行動が、後々までイサクの家庭に不和をもたらします。人生最大の決断に主の御心を求めず、一時の感情にまかせて結婚したエサウには神様の祝福を受け継ぐ資格はなく、長子であるにもかかわらずアブラハムの系図からついに外されてしまいます。私たちはエサウのこの愚かな行動を決して真似することのないよう肝に銘じ、ただ神様の御心を一心に求めて人生の決断を行い、主の祝福を受け継ぐ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/gen.26.34-35.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/27

2016-03-27 06:21:36 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 11:25-26
『イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。』

イエス様は死の絶望を打ち破ってよみがえられた、永遠のいのちそのものなるお方です。このイエス様を主と信じるならば、私たちもまたよみがえりと永遠のいのちに与ることのできるさいわいに感謝しつつ、喜びをもってイースターの朝を迎えさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/jhn.11.25-26.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/03/26

2016-03-26 07:12:24 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 25:5-6
「アブラハムはその所有をことごとくイサクに与えた。 またそのそばめたちの子らにもアブラハムは物を与え、なお生きている間に彼らをその子イサクから離して、東の方、東の国に移らせた。」

アブラハムにはイサクの他にも子どもを授かりましたが、自ら存命中に資産分割を行い、跡継ぎとなるイサクから離れて住ませせたとあります。おそらくイサクと争いにならぬよう、またイサクを特別に聖別したことの現れです。ここに神様の祝福の系図の厳粛さを思います。

http://bible.com/81/gen.25.5-6.ja1955

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創世記 25:11
「アブラハムが死んだ後、神はその子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイのほとりに住んだ。」

神様はアブラハムに多くの子孫を与えましたが、アブラハムの祝福を受け継いだのは約束の子イサクただ一人でした。私たちが信仰によってこの祝福に与ることができるとは何とさいわいなことでしょうか。ただ神様の選びの恵みに感謝し、信仰の系図を受け継ぐ私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.25.11.ja1955

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創世記 25:28
「イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。」

イサクとリベカに与えられた双子の兄弟エサウとヤコブは、それぞれ父母別々の愛情を受けて育ちました。ここに家庭内不和の元凶があります。私たちは子どもたちに対して分け隔てなく愛情を注いで育てる責任を感じます。

http://bible.com/81/gen.25.28.ja1955

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創世記 25:32-34
『エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。 ヤコブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。 そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。』

イサクの長子エサウの罪は、一時的な欲求を満たすために神様から授かった特権を軽んじたことです。目の前にある魅力的な誘惑に打ち勝つには、永遠のいのちと祝福をどれほど大切に思っているかが鍵となります。弟ヤコブにはその資質がありました。このエサウの行為を反面教師として受け止め、神様から授かる祝福の特権を確実に受け継ぐ私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.25.32-34.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/26

2016-03-26 06:40:14 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 8:11
「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。」

人を生かすものは、やがて滅びる肉体ではなく、いのちの息である御霊です。「わたしはよみがえりであり、命である」とおっしゃった主イエスの御霊を内に宿し、キリストと共に永遠に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.8.11.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/03/25

2016-03-25 07:47:13 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 24:3
「わたしはあなたに天地の神、主をさして誓わせる。あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。」

アブラハムは一人息子イサクの結婚相手として、この地方の土着の宗教に染まった者の中からではなく、同じ神様を信じ畏れる者の中から選ぶようにと、信頼する僕エリエゼルに誓わせて託しました。神様の祝福を受け継ぐ者は、この世の罪と決して交わってはなりません。罪の世にありて罪に汚れず、信仰の聖潔を保つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.24.3.ja1955

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創世記 24:15
「彼がまだ言い終らないうちに、アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘リベカが、水がめを肩に載せて出てきた。」

見ず知らずの地で主人の親戚と出会う可能性は天文学的な確率でしょう。しかし神様はアブラハムの僕エリエゼルの祈りに答えて、最初からアブラハムの兄弟の娘と出会わせてくださいました。私たちの祈りが神様の御心に適うものであるならば、憐れみに富む神様は必ず答えて、最良の結果をもたらしてくださいます。最善以外をなさらない神様の御心をただ一心に求めて祈り願う私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.24.15.ja1955


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創世記 24:50
『ラバンとベトエルは答えて言った、「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません。」』

アブラハムの僕エリエゼルの話を聞いたリベカの父と兄は、リベカと自分たちの身に起こった一切の出来事を天地万物の創り主なる神様の導きであると確信し、自分の意見を挟むことなく、完全に従いました。神様に対して言い訳をしたり、自分の都合を述べ立てることほど愚かな行為はありません。主の御言葉を受けたならば、つべこべ言わずひれ伏して従う信仰を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.24.50.ja1955

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創世記 24:58
『彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。』

神様に従う者の祝福を受ける人生の秘訣は、主の御心に適うことに対して即断・即決・即実行です。イサクとの結婚が神様の御心に適う人生だと確信したリベカは、翌朝には生まれ育った地を離れる決断を行い新しい人生に踏み出しました。私たちもまたリベカの信仰に倣い、主の御心との確信を得たならば、ためらうことなく行動に移して、主に全幅の信頼を置いて従う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/gen.24.58.ja1955

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創世記 24:67
「イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。」

年老いた父母の愛情を一身に受けて育ったイサクにとって、母サラの死は筆舌に耐え難い悲しみであったことでしょう。そんなイサクの前に現れたリベカの存在は、どれほど慰めとなり、また深い愛情を注ぐ人生の最良のパートナーとなったことでしょうか。人の心を誰よりもご存じであられる神様は、悲しみのどん底にある私たちに慰めを与え、また最良の助け手と巡り合わせて再び立ち上がらせてくださいます。

http://bible.com/81/gen.24.67.ja1955
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【今日の聖句】 2016/03/25

2016-03-25 06:55:47 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 5:8
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」

神様は愛される理由のない罪人であった私たちのために、愛してやまない一人子イエス様のいのちと引き替えにするほど限りない愛を私たちに示してくださいました。この大いなる愛と寛容に感謝してイエス様の十字架を見上げ、罪を悔い改めて神様の元に立ち帰り、新しい人生を歩み始める私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.5.8.ja1955
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