伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

正しくは…

2016-05-31 22:00:07 | ギター・音楽関係
「1996年製のHD-28V」と書いていましたが、正しくは「HD-28VR」なのだそうです。

「VR」とは「Vintage Re-issue」つまりヴィンテージ・ギターの復刻版ということで1996年から生産開始され、その後、1999年から「HD-28V」と呼ぶようになったそうです。いろいろ勉強になります。
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【COGHCC聖書通読】 2016/05/31

2016-05-31 08:00:09 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 1:1-2
『主はモーセを呼び、会見の幕屋からこれに告げて言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたのうちだれでも家畜の供え物を主にささげるときは、牛または羊を供え物としてささげなければならない。』

今日からレビ記について学びます。出エジプト記は罪からの救いについて、レビ記からは救われた人がどのように主と共に歩むべきかについて記されています。

神様に罪赦され救われた人がまず第一になすべきことは、罪の悔い改めと購いの犠牲を捧げることです。これは今日では礼拝にあたります。この箇所は、新改訳聖書では、あなた方が供え物を捧げるときには自分の家畜の中から、と訳されています。野生の動物ではないのは、狩猟によって得たものは神様の所有を自分のために奪ったことになるからです。購いの供え物は、自分が手塩にかけて育て、また貴重な財産である家畜の中から捧げるのです。

これは私たちの礼拝に対する基本姿勢です。自分の所有の中から痛みをもって、しかし惜しむ心からではなく自ら進んで神様の御前に差し出すものが真の捧げ物です。人の物を奪って捧げたからとて、神様が喜ばれるはずがありません。捧げものは私たちの心です。私たちが自らの手で苦労して得た生活の糧の中から捧げる姿勢が、神様の喜ばれるまことの礼拝であると肝に銘じて信仰生活を歩ませていただきたいと願います。

http://bible.com/81/lev.1.1-2.ja1955

*****

レビ記 1:3-4
「もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。 彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。」

まずは牛の燔祭についてです。牛は最も高価な家畜です。その中でも傷のない全き雄牛をすべて火で焼き尽くして、その香りを神様に捧げます。そのとき捧げる人は牛の頭に手を置きます。これは牛と一体化し、自分の罪をすべて燔祭の雄牛に転嫁して、自分の身代わりに跡形もなく火で焼き尽くすのです。これが購いの意味です。また購いの犠牲が主に受け入れられるように、とあります。身勝手で一方的な捧げ物は主に受け入れられません。

私たちが主の御前に罪の悔い改めをするとき、どんな犠牲をもいとわず、全き心で、すべてを主の御前に注ぎ出して、火で焼き尽くすほどに徹底して罪を悔い改めることが必要です。そのとき主はその祈りに応えて、私たちの罪を完全に消し去り、購ってくださいます。

http://bible.com/81/lev.1.3-4.ja1955

*****

レビ記 1:5
「彼は主の前でその子牛をほふり、アロンの子なる祭司たちは、その血を携えてきて、会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、その血を注ぎかけなければならない。」

犠牲を捧げるとき、雄牛に手をかけるのは祭司ではなく、捧げる本人です。購いの犠牲として、罪のない全き雄牛のいのちを自らの手で奪う痛みを感じることが、罪の悔い改めには必要です。これは罪を決して他人事として処理するのではなく、自分のこととして、当事者として、心から罪を悔い改めるべきことを意味します。

また聖書の中で血はいのちの象徴です。罪の悔い改めと赦しは命懸けで行うものです。燔祭の牛の血と同様、主イエス様が十字架で流された血潮が私たちの罪を赦します。この尊い犠牲の上に私たちは罪赦され、永遠のいのちを得させていただいたことを心から感謝して受け止める者でありたいと願います。

http://bible.com/81/lev.1.5.ja1955

*****

レビ記 1:10, 13
「もしその燔祭の供え物が群れの羊または、やぎであるならば、雄の全きものをささげなければならない。

その内臓と足とは水で洗わなければならない。こうして祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて燔祭としなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである。」

次いでレビ記では燔祭のいけにえとして羊を捧げる場合について記しています。羊は愛情を注いで育てた家畜であり、また牛ほど高価ではありませんが立派な財産です。この羊を燔祭として主に捧げるときの手続きは、牛の燔祭のときと全く同じです。神様への捧げものは、高価であるかどうかに依らず、その捧げ方、捧げる者の主に対する信仰の姿勢に依ることを意味しています。私たちの捧げ物も同じく、心から喜んで、また罪の痛みを感じつつ、主の御前に捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/lev.1.10,13.ja1955

*****

レビ記 1:14
「もし主にささげる供え物が、鳥の燔祭であるならば、山ばと、または家ばとのひなを、その供え物としてささげなければならない。」

牛も羊も捧げることのできない貧しい人たちに対しても、主は購いの犠牲を捧げる手段を定められました。これはすべての人に対する配慮であると同時に、人は皆、罪の悔い改めが必要であることを意味しています。捧げものの価に依らず、また罪の痛みを感じつつ、主に受け入れられる捧げものを心から喜んで捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/lev.1.14.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/31

2016-05-31 06:23:00 | 今日の聖句
イザヤ書 48:17
『あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。」』

主なる神様は、何事においても私たちの益になるようにと常に考えて教え導いてくださる、実に配慮に満ちたお方です。最善以外をなさらない神様の導きに間違いはないと確信し、主の戒めを人生の指標としてどこまでも主に付き従い、天の御国に至る祝福に満ちた生涯を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.48.17.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/05/30

2016-05-30 08:04:25 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 40:1-5
『主はモーセに言われた。 「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。 そして、その中にあかしの箱を置き、垂幕で、箱を隔て隠し、 また、机を携え入れ、それに並べるものを並べ、燭台を携え入れて、そのともしびをともさなければならない。 あなたはまた金の香の祭壇を、あかしの箱の前にすえ、とばりを幕屋の入口にかけなければならない。」』

一年の計は元旦にありといいます。年の始まりにあたり、何を一番とするかが問われます。エジプトを脱出してちょうど一年目の元日に、神様はモーセに幕屋を建てることを命じられました。ここに神様を第一とする信仰生活の基本的姿勢があります。

私たちもまた何をスタートラインとするかが問われます。一年の始まりのみならず、物事の始まりにあたり、神様を礼拝し仕えることから始めることは何よりも大切で、私たちの祝福の基となります。

http://bible.com/81/exo.40.1-5.ja1955

*****

出エジプト記 40:9-10
「そして注ぎ油をとって、幕屋とその中のすべてのものに注ぎ、それとそのもろもろの器とを聖別しなければならない、こうして、それは聖となるであろう。 あなたはまた燔祭の祭壇と、そのすべての器に油を注いで、その祭壇を聖別しなければならない。こうして祭壇は、いと聖なるものとなるであろう。」

幕屋建設は、支柱を立て、幕で仕切って聖具を運び入れたら、それで終わりではありません。最も大切なことは、聖なる油を注いで幕屋を聖別することです。この注ぎ油は聖霊を表します。聖霊に満たされてはじめて神の幕屋はきよめられ、罪の世と隔絶されて、いと聖なる神様の御臨在なさる場所となります。

とかく日本人は形から入ることを好み、外見だけ整えて満足しがちですが、こと神様を礼拝することに関しては、聖霊様の注ぎによるきよめなしには絶対にあり得ません。それは教会のみならず、神の宮とされた私たちの心も同じです。見かけ倒しの教会、形ばかりのクリスチャンとなることなく、聖霊様によって満たされ、きよめられることを何よりも大切にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.40.9-10.ja1955

*****

出エジプト記 40:11-15
「また洗盤と、その台とに油を注いで、これを聖別し、 アロンとその子たちを会見の幕屋の入口に連れてきて、水で彼らを洗い、 アロンに聖なる服を着せ、これに油を注いで聖別し、祭司の務をさせなければならない。 また彼の子たちを連れてきて、これに服を着せ、 その父に油を注いだように、彼らにも油を注いで、祭司の務をさせなければならない。彼らが油そそがれることは、代々ながく祭司職のためになすべきことである」。

油注ぎによるきよめが必要とされたのは幕屋だけではなく、神の幕屋に仕える祭司たちもまた、きよい者とならなければなりません。そのためにはまず祭司たちが体を洗う洗盤をきよめ、次いで祭司たちが水で自らの体の汚れを洗い落とし、祭司の服を着た後に油注がれてきよめられ、祭司の職に任ぜられました。

神様の御前に立つ者は、一点の汚れもないように徹底的にきよめられる必要がありました。神の僕として仕える者とされた私たちもまた、徹底的なきよめが必要です。まず自分の置かれた環境から不品行や悪習慣などを断ち切り、悔い改めて身についた罪を洗いきよめ、その上で聖霊様の満たしを求めて徹底的にきよめていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.40.11-15.ja1955

*****

出エジプト記 40:16-17, 20-21
「モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。 第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。

彼はまたあかしの板をとって箱に納め、さおを箱につけ、贖罪所を箱の上に置き、 箱を幕屋に携え入れ、隔ての垂幕をかけて、あかしの箱を隠した。主がモーセに命じられたとおりである。」

モーセは神様から命じられた通りに出エジプトの翌年の元日に神の幕屋を建て上げ、神様から授けられた契約の証である十戒の石の板を神の箱に収め、罪を購う贖罪所で封印して、幕屋の奥の至聖所に人の目に触れないように隠しました。これはいと聖なる神様に、罪深い人間が触れてはならないことを意味し、モーセもまたこれ以降、神の箱に直接手を触れることはありませんでした。

神のきよさは、罪深い私たち人間の目では直視できないほどきよく、栄光に包まれたものですから、私たちは神様の聖を決して冒してはなりません。いと聖なる神様を畏れ、神様の領域にみだりに手を触れることなく、最大級の畏敬の念をもって神様に仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.40.16-17,20-21.ja1955

*****

出エジプト記 40:33-35
「また幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけた。このようにしてモーセはその工事を終えた。 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。 モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」

神の幕屋が建てられたとき、主の栄光が雲となって幕屋の内に満ち、神様と直接語り合ったモーセですら会見の幕屋に入ることができませんでした。それほどまでに神様の御臨在は人間の入る余地のない、いと聖なるものです。

「栄光の雲が宮に満ちて」という讃美がありますが、神様の御臨在はしばしば光り輝く雲として現されます。私たちの教会にも、私たちの心にも、罪にまみれた私たち自身が入る余地のないほどに主の栄光の雲が満ちて、徹底的にきよめていただきたいと願います。

http://bible.com/81/exo.40.33-35.ja1955

*****

出エジプト記 40:36-38
「雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。 しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。 すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。」

主の栄光の雲が幕屋に留まっていることは、神様がイスラエルと共にいてくださる証となりました。そして雲が幕屋から立ち上るとき、イスラエルは神様と共に歩み始めました。そして神様の御臨在の雲は、昼は幕屋の上にあってイスラエルの民たちを強い日差しから守る陰を作り、夜は外敵から守る火となりました。

これは私たちの人生の歩み方を教える教訓です。自分の都合に合わせて思い通りの人生を歩むのではなく、神様がこの道に歩めと命じられる通りに歩み、神様が留まれと言われるときには忍耐をもって留まるとき、神様は昼も夜も私たちから離れることなく、その歩みを守ってくださいます。今日も神様の御臨在に感謝して、主の備えられた道を真っ直ぐに歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.40.36-38.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/30

2016-05-30 05:30:32 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 3:18
「彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。」

罪の根本原因は私たちと神様との関係に亀裂が生じている状態にありますから、御子イエス様の御名を信じる者は罪に定められることなく、信じない者は罪人として裁かれます。信じない者にならないで信じる者となり、神様との関係を修復して、永遠の裁きから救いへと移される私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.3.18.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/05/29

2016-05-29 07:33:32 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 39:1
「彼らは青糸、紫糸、緋糸で、聖所の務のための編物の服を作った。またアロンのために聖なる服を作った。主がモーセに命じられたとおりである。」

ベザレルとアホリアブは最後に、祭司が聖所で務めをなすための服を、主が命じられた通りに造りました。いかに幕屋の造りは立派で荘厳であっても、日々幕屋で務めをなす者が整えられていなければ神様に喜ばれることはありません。その祭司の服装は幕屋の幕と同じ材料で作られました。なぜなら祭司は神様の御前に仕える聖なる者であるべきだからです。

今日の私たちの礼拝も、形ばかり立派な見栄えを装うことに熱心でも、仕える者が本当にきよめられ整えられているか、吟味する必要があります。神様の御言葉に忠実に従い、主の御前にきよめられ、日々私たちのためにとりなす勤めを果たすことができるよう、教会の牧師や聖職者、献身者、奉仕者のために祈り、また自らも主の御前にきよめられ、整えられた信仰生活を送ることに注力する私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.39.1.ja1955

*****

出エジプト記 39:32-33, 41
「こうして会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事が終った。イスラエルの人々はすべて主がモーセに命じられたようにおこなった。 彼らは幕屋と天幕およびそのもろもろの器をモーセのもとに携えてきた。すなわち、その鉤、その枠、その横木、その柱、その座、

聖所で務をなす編物の服、すなわち祭司の務をなすための祭司アロンの聖なる服およびその子たちの服。」

ベザレルとアホリアブは、主がモーセに命じられた通りに幕屋の工事を終えて、すべてのものをモーセの元に携えてきました。その一つ一つが詳細に聖書に記されていますが、彼らがいかに忠実に役目を果たしたか伺い知ることができます。

私たちの手の業も、一つ一つが主の御前に覚えられています。やがて神様の御前に進み出るとき、忠かつ義なる僕よ良くやったとお褒めの言葉に与ることができるよう、御言葉に忠実に仕え、すべてのことに全力で取り組む私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.39.32-33,41.ja1955

*****

出エジプト記 39:42-43
「イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたように、そのすべての工事をした。 モーセがそのすべての工事を見ると、彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、モーセは彼らを祝福した。」

幕屋のための工事で作られたものを最後にモーセが点検し、すべて主が命じられた通りに作られていることを確認しました。そこでモーセは工事に携わった者たちを祝福しました。彼らが受けた主の祝福とは、すべての人々に注がれる神様の恵みをはるかに上回る格別な恵みです。

この神様の祝福は、主の命じられた通りに成し遂げた者に注がれます。日々神様の御言葉に忠実に従う信仰生活を送り、主の格別な祝福を豊かに注いでいただく恵みに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.39.42-43.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/29

2016-05-29 06:35:20 | 今日の聖句
エペソ人への手紙 5:25-27
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。」

イエス様が教会を愛して十字架にいのちを捧げられたように、夫たる者は妻を愛して身を粉にして働き、命懸けで守り、世の罪に染まらないきよい家庭を築く責任があります。家庭内暴力や家庭崩壊が蔓延する現代社会にあって、きよく円満な夫婦関係を通してキリストの愛をこの世に証する私たちでありますように。

http://bible.com/81/eph.5.25-27.ja1955
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内蔵ピックアップのケーブル

2016-05-28 14:30:03 | ギター・音楽関係
昨日、修理から上がってきた HD-28V を、朝から弾き込んでみました。6弦3フレットあたりのビリつきはだいぶ解消してました。ホッと一安心。

一通りフィンガーピッキングとコードストロークで弾いた後、もう一度フィンガーピッキングで弾いてみたところ、今までにない大きなビリつき音が…。しかも6弦3フレット付近だけでなく、低音弦を弾くとビリつきます。

これは明らかにおかしいと思い、サウンドホールの中を覗いて見たところ、内蔵ピックアップのケーブルを固定する金具が2つ、完全に剥がれてぶら下がっていました。

ブレーシングを修理する際、ピックアップのコントローラーは外して接着し直したと聞いていましたが、まさかケーブル固定金具が剥がれるとは…。いったん弦を外して手探りで元の固定場所を探り、しっかりと押し付けて固定し直しました。

原因は不明ですが、演奏中に再び金具が剥がれて異音がしてしまっては台無しです。ギター本体にダメージを与えず、ボディの豊かな響きに影響を与えることなく、しっかり固定するにはどうしたら良いでしょうかね…。
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【COGHCC聖書通読】 2016/05/28

2016-05-28 08:00:42 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 38:1-3
「またアカシヤ材で燔祭の祭壇を造った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。 その四すみの上に、その一部とし、それの角を造り、青銅で祭壇をおおった。 また祭壇のもろもろの器、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉叉、火皿を造った。そのすべての器を青銅で造った。」

聖所の中にある聖具は神の栄光ときよさを表す金で造られましたが、聖所の外に置かれた祭壇と燔祭のための聖具は神の裁きを表す青銅で造られました。燔祭は私たちの罪を購うために、動物を犠牲として私たちの身代わりに裁かれることを意味しています。そのための器具なので神の裁きを表す青銅で造られたのです。

神様の命じられることには、事細かな部分にまで深い意味を持っています。私たちは何気なく読み過ごしてしまうこともありますが、御言葉を詳細に調べながら読むとき、神様の深い御心を味わい知ることができます。神様のなさることには何一つ無駄なことはないと信じ、聖書の御言葉一つ一つにも驚きと発見を見出す私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.38.1-3.ja1955

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出エジプト記 38:8
「また洗盤と、その台を青銅で造った。すなわち会見の幕屋の入口で務をなす女たちの鏡をもって造った。」

女性にとって、身だしなみを整える鏡は生活必需品です。その鏡を神様のために捧げたことは、自分の外見を飾ることよりも、内面からきよめていただくことを何よりの喜びとして乞い願った証です。

今日でも内面から輝く美しい女性が世の中にはたくさんいます。高価な宝飾品で美しく着飾ることよりも、心の内側から光り輝く、生き生きとした美しい生涯を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.38.8.ja1955

*****

出エジプト記 38:21, 24
「幕屋、すなわちあかしの幕屋に用いた物の総計は次のとおりである。すなわちモーセの命に従い、祭司アロンの子イタマルがレビびとを用いて量ったものである。

聖所のもろもろの工作に用いたすべての金、すなわち、ささげ物なる金は聖所のシケルで、二十九タラント七百三十シケルであった。」

モーセは祭司アロンの子イタマルに命じて神の幕屋のために造られた聖具の記録を残しました。これは約束の地に着くまで移動生活をしたイスラエル人たちが、出立にあたり幕屋を運ぶ際に忘れ物のないよう、チェックリストとして機能したに違いありません。

幕屋のために捧げられた金は、今の重さの単位で約1トンにもなりました。これほどまでに高価な捧げものを、イスラエルの人々は喜んで神様の御前に差し出しました。私たちもまた神様のために惜しみなく捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/exo.38.21,24.ja1955

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出エジプト記 38:22-23
「ユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルは、主がモーセに命じられた事をことごとくした。 ダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブは彼と共にあって彫刻、浮き織をなし、また青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸で、縫取りをする者であった。」

ベザレルとアホリアブは、モーセの命に従い、神様から指示された通りに幕屋のための様々な聖具類を造り上げました。彼らは心を尽くし、細心の注意を払って御心を成し遂げた人たちでした。私たちもまた神様の御言葉に従い、御心を成し遂げるために用いられる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/exo.38.22-23.ja1955

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出エジプト記 38:25-26
「会衆のうちの数えられた者のささげた銀は聖所のシケルで、百タラント千七百七十五シケルであった。 これはひとり当り一ベカ、すなわち聖所のシケルの半シケルであって、すべて二十歳以上で数えられた者が六十万三千五百五十人であったからである。」

イスラエルの会衆は、罪の購いのために成人男性一人当たり半シケルの銀を代価として主に捧げることを命じられました。その総量は、今の重さの単位で約3.4トンにもなりました。この銀は神の幕屋の外側を仕切る幕を吊り下げるためにカーテンレールのようにして用いられました。

罪の購いの代価として捧げられた銀が、神の幕屋を支えるために用いられたように、私たちの捧げる献金が教会を支えるために用いられます。罪の奴隷から神様の僕となった信仰告白と共に、心からの捧げものをもって主の教会の働きを支える私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.38.25-26.ja1955

*****

出エジプト記 38:29-31
「ささげ物なる青銅は七十タラント二千四百シケルであった。 これを用いて会見の幕屋の入口の座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および祭壇のもろもろの器を造った。 また庭の周囲の座、庭の門の座、および幕屋のもろもろの釘と、庭の周囲のもろもろの釘を造った。」

先にも説明したように、青銅は主に女性たちからの捧げものでした。これらの青銅は罪を購う犠牲を捧げる祭壇や聖具として、あるいは神の幕屋を下支えする台座や、それぞれを組み合わせる釘として用いられました。

今日でも、教会では婦人会の担う役割は大きいもので、目立つことはなくても気付かぬところで教会の働きを下支えする大事な役目を果たしています。男女間の差別という意味ではなく分業として受け止め、それぞれの賜物に応じて神様から託された役割を忠実に果たし、共に支え合い、一致協力して教会を建て上げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.38.29-31.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/28

2016-05-28 06:05:05 | 今日の聖句
ヘブル人への手紙 12:11
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」

健康な肉体を保つために訓練が必要なように、健全な信仰を保つためには試練が必要です。たとい試練の最中にある今は苦しくとも、後の日の平安と義の結実に希望を抱いて堪え忍び、いかなる苦境にも揺るぐことのない信仰へと鍛え上げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/heb.12.11.ja1955
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HD-28V 退院

2016-05-27 20:52:35 | ギター・音楽関係
先週末にブレーシング剥がれが見つかり、入院していた HD-28V の修理が上がったと連絡が入ったので、会社の帰りに受け取りに行ってきました。

修理を依頼したときに見つかったトップ板サウンドホールやや上のXブレーシング剥がれの他にも、サイド板のクラックにもパッチを当てて修理されていました。

店頭でざっと音のチェックをしましたが、じっくりと弾き込んで確認してみたいと思います。今夜はもうこの時間なので無理ですが、明日の朝が楽しみです。
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【COGHCC聖書通読】 2016/05/27

2016-05-27 07:55:07 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 37:1-5
「ベザレルはアカシヤ材の箱を造った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半である。 純金で、内そとをおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。 また金の環四つを鋳て、その四すみに取りつけた。すなわち二つの環をこちら側に、二つの環をあちら側に取りつけた。 またアカシヤ材のさおを造り、金でこれをおおい、 そのさおを箱の側面の環に通して、箱をかつぐようにした。」

幕屋の最も中心となる神の箱の製作は、神様から指名され知恵を授けられたベザレルが担当しました。彼は木工と金の細工に長けており、神様に命じられた通りに神の箱を造り上げました。契約の石板を入れる神の箱は純金で覆われ、直接手を触れることなく運ぶことができるように金の輪が取り付けられました。これは神様の契約は永遠に光り輝き、イスラエルの歩みと共にいてくださること、また人は聖なる神様の領域に触れてはならないことを意味します。

私たちの信仰に中心にも約束の御言葉があるでしょう。その御言葉は今日も光り輝いているでしょうか。今も生きておられる主が私たちの日々の歩みと共にいてくださるでしょうか。神様の御心に疑念を抱き、自分の思い通りに神様を動かそうとしていないでしょうか。今一度自らの信仰を見つめ直し、神様を中心としたライフスタイルを築く私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.37.1-5.ja1955

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出エジプト記 37:6-9
「また純金で贖罪所を造った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半である。 また金で、二つのケルビムを造った。すなわち、これを打物造りとし、贖罪所の両端に置いた。 一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に置いた。すなわちケルビムを贖罪所の一部として、その両端に造った。 ケルビムは翼を高く伸べ、その翼で贖罪所をおおい、顔は互に向かい合った。すなわちケルビムの顔は贖罪所に向かっていた。」

次いでベザレルは純金で贖罪所とケルビムを造りました。贖罪所は神の箱を覆う蓋の上に置かれ、神様の御側近くに仕える天使ケルビムが向かい合わせとなるように贖罪所を覆いました。これは私たちの罪を覆い隠し、購いの犠牲により罪赦されることを意味しているのではないでしょうか。

天使に命じて罪深い私たちを覆い隠してくださり、心からの悔い改めと十字架の購いにより罪を赦してくださる神様の憐れみに感謝して礼拝を捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.37.6-9.ja1955

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出エジプト記 37:10-12
「またアカシヤ材で、机を造った。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半である。 純金でこれをおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。 またその周囲に手幅の棧を造り、その周囲の棧に金の飾り縁を造った。」

至聖所に置かれる神の箱と贖罪所とケルビムに続いて、隔ての幕の手前側にある聖所に置かれる諸々の聖具がベザレルの手によって造られました。最初に造られたのは日々の捧げものを備える机です。神の幕屋に仕える祭司たちは日々聖所に入り、この机の上に神様への供えものを絶やしませんでした。これらは私たちの日々の祈りであり、また主に仕える生活の原型です。私たちの信仰を神様の御前に備える台も、純金で覆われるようにきよめられ、神様の栄光に輝くものでありますように。

http://bible.com/81/exo.37.10-12.ja1955

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出エジプト記 37:16-17, 24
「また机の上の器、すなわちその皿、乳香を盛る杯および灌祭を注ぐための鉢と瓶とを純金で造った。 また純金の燭台を造った。すなわち打物造りで燭台を造り、その台、幹、萼、節、花を一つに連ねた。

すなわち純金一タラントをもって、燭台とそのすべての器とを造った。」

神様に仕えるための聖なる器具に用いられた純金の重さは1タラント、今の単位でおよそ34キログラムに相当するそうです。神様への礼拝は、これほどに莫大な価値があるものです。

http://bible.com/81/exo.37.16-17,24.ja1955

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出エジプト記 37:29
「また香料を造るわざにしたがって、聖なる注ぎ油と純粋の香料の薫香とを造った。」

香料の調合は今日でも最も精密な技術と繊細な感覚が必要とされます。なぜならたった数ミリグラムの違いで良い香りにも異臭にも激変してしまう、ほんのわずかな誤差さえも許されないものだからです。聖書にはたった数行でさらっと記されていますが、当時の技術でこれを行うことは相当神経をすり減らす作業であったことでしょう。

神様に供える注ぎ油は聖霊の満たし、薫香は日々の祈りと讃美です。私たちの祈りも讃美も、香料を調合するように精神を尽くし、私たちにできる最良のものを、心を込めて神様の御前に捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/exo.37.29.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/27

2016-05-27 06:42:35 | 今日の聖句
テモテヘの第一の手紙 6:12
「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。」

どんな競技でも、途中棄権してしまったならば勝利することはできません。信仰の戦いにおいても最後まで戦い抜き、世の人々の前で大胆にキリストを証して、永遠のいのちという輝かしい栄冠を手にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/1ti.6.12.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/05/26

2016-05-26 07:40:28 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 36:2
「そこで、モーセはベザレルとアホリアブおよびすべて心に知恵ある者、すなわち、その心に主が知恵を授けられた者、またきて、その工事をなそうと心に望むすべての者を召し寄せた。」

神様から命じられた通りに聖所の幕屋を作るために、モーセは神様から直接指名されたベザレルとアホリアブの他に、彼らの工事を助ける者を召し寄せました。その助け手たちが選ばれた基準は、主に知恵を授けられた者であり、工事をなす志を与えられた者たちでした。

主の御業を行うためには、神様から直接献身者として召された者だけでなく、献身者を助ける者が必要です。神様から知恵を授けていただき、志に燃える信仰を備えて、神様の御心を成し遂げるために共に主の業を担う私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.36.2.ja1955

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出エジプト記 36:3
「彼らは聖所の組立ての工事をするために、イスラエルの人々が携えてきたもろもろのささげ物を、モーセから受け取ったが、民はなおも朝ごとに、自発のささげ物を彼のもとに携えてきた。」

幕屋を作るために召された者たちはモーセから必要な資材を受け取りましたが、イスラエルの民たちはなおも神の幕屋を作るために、自発的に捧げものを携えてきました。

私たちが神様のために捧げるとき、惜しみながら捧げるのではなく、自発的に、喜んで捧げる心が大切です。経済的に余裕のある誰かが捧げるだろうと傍観者となることなく、自ら進んで捧げものを携え来て、主に対する感謝の心を具体的に表す私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.36.3.ja1955

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出エジプト記 36:6-7
『モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。 材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからである。』

イスラエルの民たちが毎日朝ごとに自発的な捧げものを携えてきたため、幕屋の工事に携わった者たちはその手を休め、もはや捧げものはしなくても良いとふれ回るようモーセに懇願するほどに、充分な必要が満たされました。

自らの信仰を省みるとき、果たして自分はここまで神様に捧げていただろうかと疑わざるを得ません。私たちに有り余るほどの恵みを賜る神様に、私たちもまた有り余るほどの感謝を捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/exo.36.6-7.ja1955

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出エジプト記 36:8
「すべて工作をする者のうちの心に知恵ある者は、十枚の幕で幕屋を造った。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で造り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出した。」

ここから具体的な幕屋の工事が始まります。まずは幕屋の外側を建て上げる様々な種類の幕と、それらの幕を支える枠組みの工事です。この工事に携わった者は心に知恵のある者だと記されています。この知恵とは神様から授けられた知恵、すなわち御言葉に精通し、神様の御心を知る知恵であり、かつ忠実に守り行う心です。単に能力のある者、技術に長けた者、手先が器用な者というだけでは、幕屋を建て上げるには相応しくありません。

新約聖書に、イエス様の十字架を信じ受け入れた者は皆、自分自身が神の幕屋とされているとあります。ですから私たちもまた神様から授けられた知恵が必要です。日々御言葉に親しみ、主を知る知恵で満たしていただき、心に刻みつけて守り行い、自ら神の幕屋となるに相応しくきよい信仰生活を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.36.8.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/26

2016-05-26 06:38:23 | 今日の聖句
詩篇 94:12-13
「主よ、あなたによって懲らされる人、あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。 あなたはその人を災の日からのがれさせ、悪しき者のために穴が掘られるまでその人に平安を与えられます。」

神様は私たちが罪の裁きを免れることができるよう、今日という日があるうちに主の掟を教え、誤った道に進もうとする者を懲らしめられます。やがて訪れる裁きの日に永遠の滅びに定められることのないよう、神様の愛の懲らしめに自らの生き様を改め、平安に満ちた生涯を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.94.12-13.ja1955
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