伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/09/30

2016-09-30 07:57:04 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 2:1-3
「主の使がギルガルからボキムに上って言った、「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れてきて、言った、『わたしはあなたと結んだ契約を決して破ることはない。 あなたがたはこの国の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇をこぼたなければならない』と。しかし、あなたがたはわたしの命令に従わなかった。あなたがたは、なんということをしたのか。 それでわたしは言う、『わたしはあなたがたの前から彼らを追い払わないであろう。彼らはかえってあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたのわなとなるであろう』と」。」

神様はイスラエルに完全な祝福と平安を与えるために、罪を平然と行うカナンの先住民をすべて滅ぼし尽くすようにと命じましたが、イスラエルの人々はいつまでも嗣業の地を取りに行かず、また中途半端に先住民たちと和合して神様のご命令に従わなかったため、ついに神様の怒りを引き起こし、これらの土着の神々がイスラエルの祝福を奪う罠となると宣告されてしまいました。

怠慢と不徹底は、神様に従いきれない罪です。直ちに、徹底的に、最後まで気を緩めずに、神様の御言葉に従い通す者だけが、神様の祝福を受けることができます。ただ神様を信じていると口先で言うだけで具体的な行動を伴わない者は、神様の祝福を受ける資格はありません。イスラエルの不従順の結果を反面教師として、怠惰な者となることなく御言葉を行う者となり、まことの祝福と平安を手にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.2.1-3.ja1955

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士師記 2:7, 10-12
「民はヨシュアの在世中も、またヨシュアのあとに生き残った長老たち、すなわち主がかつてイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見た人々の在世中も主に仕えた。

そしてその時代の者もまたことごとくその先祖たちのもとにあつめられた。その後ほかの時代が起ったが、これは主を知らず、また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった。 イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、 かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起した。」

神様の大いなる御業を自分の目で見たヨシュアとその時代の人々は神様に忠実に仕えましたが、彼らが死ぬと、自分の目で主の御業を見ず体験しなかった後の世代の人々は神様に仕えなくなり、むしろ身近にある異教の神々に仕えるようになりました。それゆえ神様はイスラエルに対して怒りを引き起こし、祝福を切り取り始められました。

信仰の継承は、いつの時代も大きな課題です。聖書の御言葉を読み先人たちの証を聞いても心に感じず、神様を信じることができない者は、イスラエルの人々のように今ある祝福を奪い取られてしまいます。そのような憂き目に遭わないためには、信仰を正しく受け継ぎ、聖書に記された神様の御業を、他人事ではなく自分のものとして体験することが必要です。御言葉を読んでも、礼拝メッセージを聞いても何も感じない鈍感な心になることなく、聖霊様の働きかけと主の細き御声を敏感にキャッチする生きた信仰を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.2.7,10-12.ja1955

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士師記 2:13-15
「すなわち彼らは主を捨てて、バアルとアシタロテに仕えたので、 主の怒りがイスラエルに対して燃え、かすめ奪う者の手にわたして、かすめ奪わせ、かつ周囲のもろもろの敵の手に売られたので、彼らは再びその敵に立ち向かうことができなかった。 彼らがどこへ行っても、主の手は彼らに災をした。これは主がかつて言われ、また主が彼らに誓われたとおりで、彼らはひどく悩んだ。」

自分たちをエジプトの奴隷から救い出し約束の国を得させてくださった神様に従わなくなっただけでなく、偶像の神々に仕えるようになったイスラエルの人々は主の怒りを引き起こし、周囲の国々から攻められても太刀打ちできず、どんどん所有地を奪われて行きました。

まことの神様に従わず、身近にある御利益宗教や流行りの処世術に走る者は、この世の力に対抗できるわけもなく、主の祝福さえも取り去られます。主を捨てた者は主に捨てられ、この世の攻撃に晒されて何もかも奪われてしまうことを肝に銘じ、このような屈辱を味わうことのないよう、ただ神様にのみ仕える私たちでありすまように。

http://bible.com/81/jdg.2.13-15.ja1955

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士師記 2:16-17
「その時、主はさばきづかさを起して、彼らをかすめ奪う者の手から救い出された。 しかし彼らはそのさばきづかさにも従わず、かえってほかの神々を慕ってそれと姦淫を行い、それにひざまずき、先祖たちが主の命令に従って歩んだ道を、いちはやく離れ去って、そのようには行わなかった。」



http://bible.com/81/jdg.2.16-17.ja1955

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士師記 2:18-19
「主が彼らのためにさばきづかさを起されたとき、そのさばきづかさの在世中、主はさばきづかさと共におられて、彼らを敵の手から救い出された。これは彼らが自分をしえたげ悩ました者のゆえに、うめき悲しんだので、主が彼らをあわれまれたからである。 しかしさばきづかさが死ぬと、彼らはそむいて、先祖たちにまさって悪を行い、ほかの神々に従ってそれに仕え、それにひざまずいてそのおこないをやめず、かたくなな道を離れなかった。」

自ら主を捨てたイスラエルではありましたが、憐れみ深い主は愛するイスラエルの民が苦しめられる状況を見るに見かねて、さばきづかさと呼ばれる士師を起こして、主に立ち帰らせようとしました。彼らはさばきづかさが世を治める間は主に立ち帰りましたが、彼らが死ぬと再び主を捨て、偶像の神々に仕えて再び主の怒りを引き起こし、懲らしめを受けて苦難に遭うことの連続でした。この繰り返しが士師記の時代のイスラエルの歴史です。

神様を捨て罪を犯したら懲らしめを受けるのは当然のことです。にもかかわらず心の頑なで目先の利益を追い求める私たちは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の諺の如く、ちょっと平安が訪れるとすぐに気を緩め、神様に従いきることのできない愚かな者です。私たちはこれらの聖書の記録から、まことの信仰者のあり方、まことの祝福に満ちた人生を正しく学ぶ必要があります。

http://bible.com/81/jdg.2.18-19.ja1955
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【今日の聖句】 2016/09/30

2016-09-30 06:50:50 | 今日の聖句
テモテヘの第一の手紙 2:1-2
「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。 それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。」

リーダーシップは主が与え、主が取られるものです。たとえ神をも恐れぬ暴虐で自己中心な君主であっても、人の心をも造り変えて自由自在に用いられる主のご支配が及ぶようにと祈り続け、全世界の平和とすべての人々の平安のための取りなし手となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/1ti.2.1-2.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/09/29

2016-09-29 07:58:03 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 1:1-2, 4-5
『ヨシュアが死んだ後、イスラエルの人々は主に問うて言った、「わたしたちのうち、だれが先に攻め上って、カナンびとと戦いましょうか」。 主は言われた、「ユダが上るべきである。わたしはこの国を彼の手にわたした」。

ユダが上って行くと、主は彼らの手にカナンびととペリジびととをわたされたので、彼らはベゼクで一万人を撃ち破り、 またベゼクでアドニベゼクに会い、彼と戦ってカナンびととペリジびととを撃ち破った。』

士師記はヨシュアの死後から預言者サムエルまでのイスラエルの歴史を記しています。大まかに言うと、1〜2章が全体の総括で、3章〜16章が「士師」あるいは「さばきづかさ」と呼ばれる指導者がどのようにイスラエルを導いたかの記録、17章〜21章がイスラエルの霊的状態を記しています。聖書を読むとき、まず全体像を知って、それから一つ一つの御言葉に隠された神様の摂理を学ぶことが、神様の御心を正しく知り、また自分の信仰生活に適用する秘訣です。

1章の最初に、ヨシュアの死後、ユダ族がイスラエルの指導的立場に立ったことが記されています。これはやがてダビデ王、そして主イエス様がユダ族から出ることの予表です。なぜユダ族が指導者となったのか、それはイスラエルの人々が神様に、ヨシュアに代わって誰が先頭に立ってカナン人と戦うかを問うたことに始まり、神様は約束通りカナン人に対して勝利を得させました。私たちも新たな一歩を踏み出すとき、人生の転機や岐路に立つとき、まず神様に御心を問うことが、勝利の人生の秘訣です。

http://bible.com/81/jdg.1.1-2,4-5.ja1955

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士師記 1:8-10
「ユダの人々はエルサレムを攻めて、これを取り、つるぎをもってこれを撃ち、町に火を放った。 その後、ユダの人々は山地とネゲブと平地に住んでいるカナンびとと戦うために下ったが、 ユダはまずヘブロンに住んでいるカナンびとを攻めて、セシャイとアヒマンとタルマイを撃ち破った。ヘブロンのもとの名はキリアテ・アルバであった。」

ユダの人々は後のイスラエルの中心地となるエルサレム、そしてヘブロンを攻め取りました。神様の御言葉に従い、信仰によって歩む者は、後の歴史に残る最も重要な立場に立つことができます。

http://bible.com/81/jdg.1.8-10.ja1955

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士師記 1:12-13
「時にカレブは言った、「キリアテ・セペルを撃って、これを取る者には、わたしの娘アクサを妻として与えるであろう」。 カレブの弟ケナズの子オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを妻として彼に与えた。」

この箇所は完全にヨシュア記15章の繰り返しとなっています。聖書は必ずしも歴史的な順序通りではなく、霊的な視点に立って編集されています。そしてカレブの言葉に奮い立って勝利を得たオテニエルが、3章ではイスラエル最初の士師となります。神様に信頼して勇敢に立ち振る舞う者は、神様に用いられる尊い器とされます。

http://bible.com/81/jdg.1.12-13.ja1955

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士師記 1:19, 21, 27-30
「主がユダと共におられたので、ユダはついに山地を手に入れたが、平地に住んでいた民は鉄の戦車をもっていたので、これを追い出すことができなかった。

ベニヤミンの人々はエルサレムに住んでいたエブスびとを追い出さなかったので、エブスびとは今日までベニヤミンの人々と共にエルサレムに住んでいる。

マナセはベテシャンとその村里の住民、タアナクとその村里の住民、ドルとその村里の住民、イブレアムとその村里の住民、メギドとその村里の住民を追い出さなかったので、カナンびとは引き続いてその地に住んでいたが、 イスラエルは強くなったとき、カナンびとを強制労働に服させ、彼らをことごとくは追い出さなかった。 またエフライムはゲゼルに住んでいたカナンびとを追い出さなかったので、カナンびとはゲゼルにおいて彼らのうちに住んでいた。 ゼブルンはキテロンの住民およびナハラルの住民を追い出さなかったので、カナンびとは彼らのうちに住んで強制労働に服した。」

ユダ、ベニヤミン、エフライム、ゼブルンの4部族とマナセの半部族は、カナンの各地を攻め取りましたが、先住民を完全には追い出すことができませんでした。神様のご命令は、カナン人を完全に討ち滅ぼし約束の地から罪を完全に除き去ることでしたが、イスラエルの人々は敢行できませんでした。このことが後に罪の誘惑に陥ってイスラエルを苦しめることになります。神様の御言葉に完全に従うことのできない者は、神様の約束をも完全に受けることはできません。

http://bible.com/81/jdg.1.19,21,27-30.ja1955

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士師記 1:31-34
「アセルはアッコの住民およびシドン、アヘラブ、アクジブ、ヘルバ、アピク、レホブの住民を追い出さなかったので、 アセルびとは、その地の住民であるカナンびとのうちに住んでいた。彼らが追い出さなかったからである。 ナフタリはベテシメシの住民およびベテアナテの住民を追い出さずに、その地の住民であるカナンびとのうちに住んでいた。しかしベテシメシとベテアナテの住民は、ついに彼らの強制労働に服した。 アモリびとはダンの人々を山地に追い込んで平地に下ることを許さなかった。」

アセル、ナフタリ部族はカナン人を追い出せなかったばかりか、彼らに主導権を握られ、カナン人の領地の中に住まわせてもらう状況でした。ダン族に至ってはアモリ人から追い込まれ、不便で居住に適しない山地に住む以外にない状況でした。

私たちは人間的には確かに弱い存在かもしれませんが、信仰に堅く立って勇敢に従おうとしない心がないでしょうか。そのような者はますます神様の祝福から離れ、どんどん自分を苦しめることになります。周囲の状況に臆することなく、神様に信頼して勇敢に人生を戦い抜く決意を新たにする私たちでありますように。

http://bible.com/81/jdg.1.31-34.ja1955
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【今日の聖句】 2016/09/29

2016-09-29 07:00:03 | 今日の聖句
エレミヤ書 33:2-3
「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」

人の手で作られたものは、設計図なしに全容を把握することは困難です。ましていかなる精密機械よりも緻密に造られたこの世界のすべてを、人が知ることはできません。天地の造り主なる神様にしかわからない摂理を謙虚に尋ね求め、進むべき道を見誤ることなく、この世の人生を正しく歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.33.2-3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/09/28

2016-09-28 07:55:25 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 24:1-5
「ヨシュアは、イスラエルのすべての部族をシケムに集め、イスラエルの長老、かしら、さばきびと、つかさたちを召し寄せて、共に神の前に進み出た。 そしてヨシュアはすべての民に言った、「イスラエルの神、主は、こう仰せられる、『あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていたが、 わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、川の向こうから連れ出して、カナンの全地を導き通り、その子孫を増した。わたしは彼にイサクを与え、 イサクにヤコブとエサウを与え、エサウにはセイルの山地を与えて、所有とさせたが、ヤコブとその子供たちはエジプトに下った。 わたしはモーセとアロンをつかわし、またエジプトのうちに不思議をおこなって、これに災を下し、その後あなたがたを導き出した。」』

ヨシュアはこの世を去る前にイスラエルの全部族を集め、司たちと共に主の御前に立ち、イスラエルの歴史から語り始めて信仰の継承を確認しました。注目すべきは、神様はアブラハムをもユーフラテス川の向こうから連れ出した、と言われたことです。聖書はイスラエルの歴史の中で、モーセが紅海を渡らせたことと、ヨシュアがヨルダン川を渡らせたことは何度も語られますが、アブラハムがユーフラテス川を渡ってきたことはあまり記されていません。川を渡る、海を渡る、ということは過去を捨て去り新しい生活を始めること、信仰的には罪からの救いを意味することです。信仰の父と呼ばれるアブラハムもまた、過去の罪の生活から離れ、神様に救われたことがわかります。私たちもまたいつまでも罪の生活の中にどっぷり浸っていてはいけません。神様の御言葉に聞き従い、罪と決別し、心を新たにきよい信仰生活を歩み始める私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.24.1-5.ja1955

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ヨシュア記 24:11-13
「そしてあなたがたは、ヨルダンを渡って、エリコにきたが、エリコの人々はあなたがたと戦い、アモリびと、ペリジびと、カナンびと、ヘテびと、ギルガシびと、ヒビびと、およびエブスびとも、あなたがたと戦ったが、わたしは彼らをあなたがたの手に渡した。 わたしは、あなたがたの前に、くまばちを送って、あのアモリびとのふたりの王を、あなたがたの前から追い払った。これはあなたがたのつるぎ、または、あなたがたの弓によってではなかった。 そしてわたしは、あなたがたが自分で労しなかった地を、あなたがたに与え、あなたがたが建てなかった町を、あなたがたに与えた。そしてあなたがたはいまその所に住んでいる。あなたがたはまた自分で作らなかったぶどう畑と、オリブ畑の実を食べている』。」

信仰生活は私たちの頑張りで続けられるものではありません。私たちが主の導きに全く従うとき、私たちではなく主ご自身が敵を追い払い、私たちが労することなく祝福の実を得させてくださいます。私たちのなすべきことは、敵と戦うことでも、土地を耕すことでも、町を建てることでもなく、まことの神様を畏れ、御言葉に聞き従い、主に仕えることだけです。自分たちの考えや努力で解決の道を切り開くのではなく、まず主の御心を求め、主に導きに全く従うことが、祝福の人生の秘訣です。

http://bible.com/81/jos.24.11-13.ja1955

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ヨシュア記 24:14-15
「それゆえ、いま、あなたがたは主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕え、あなたがたの先祖が、川の向こう、およびエジプトで仕えた他の神々を除き去って、主に仕えなさい。 もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。

ヨシュアはイスラエルの歴史を語り聞かせた後、心から主に仕えることを勧め、神様に従うか、異教の神々に仕えるか、今日どちらかを選びなさいと信仰の決断を促しました。私たちが信仰生活を歩み始めるにあたり必要なことは、この信仰の決断です。いつまでも態度を決めかねてどっちつかずの日々を過ごすよりも、心から主に従うことを自ら決断し、信仰告白をすることが、祝福の人生の第一歩です。

http://bible.com/81/jos.24.14-15.ja1955

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ヨシュア記 24:19-22
『しかし、ヨシュアは民に言った、「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神であって、あなたがたの罪、あなたがたのとがを、ゆるされないからである。 もしあなたがたが主を捨てて、異なる神々に仕えるならば、あなたがたにさいわいを下されたのちにも、ひるがえってあなたがたに災をくだし、あなたがたを滅ぼしつくされるであろう」。 民はヨシュアに言った、「いいえ、われわれは主に仕えます」。 そこでヨシュアは民に言った、「あなたがたは主を選んで、主に仕えると言った。あなたがたみずからその証人である」。彼らは言った、「われわれは証人です」。』

「私たちもまた主に仕えます」と信仰を告白したイスラエルの人々に、ヨシュアは意外にも「あなたがたは主に仕えることはできないであろう」と、水を差すような言葉をかけました。しかしイスラエルの民は再び「われわれは主に仕えます」と信仰告白をしました。

私たちもまた勇気を振り絞って信仰告白をしても、本当に大丈夫か?と問われることがあります。それはサタンの囁きかもしれませんし、あるいは大丈夫か?と問われるイエス様の暖かい眼差しかもしれません。しかしこの信仰の決断の再確認が、私たちには必要です。

それは私たちの信仰が大丈夫なのではなく、信じさせてくださる主の導きに委ねる決断が大切なのです。ヨシュアのように「私と私の家族は主に仕えます」と心から信仰を告白して、主に人生のすべてをお委ねする決断を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.24.19-22.ja1955

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ヨシュア記 24:25-27
『こうしてヨシュアは、その日、民と契約をむすび、シケムにおいて、定めと、おきてを、彼らのために設けた。 ヨシュアはこれらの言葉を神の律法の書にしるし、大きな石を取って、その所で、主の聖所にあるかしの木の下にそれを立て、 ヨシュアは、すべての民に言った、「見よ、この石はわれわれのあかしとなるであろう。主がわれわれに語られたすべての言葉を、聞いたからである。それゆえ、あなたがたが自分の神を捨てることのないために、この石が、あなたがたのあかしとなるであろう」。』

主に仕える信仰告白をしたイスラエルの民たちに、ヨシュアは彼らが主を捨て去ることのないようにと、その証となる記念の石碑を建てました。石は決して変わることないものの象徴です。

心変わりしやすく、決断も揺らぎやすい私たちにとって、信仰告白の確かな証拠となるマイルストーン、信仰の決断を行ったことを思い起こさせる記念となるものの存在は、とても重要です。それはたとえば救いの御言葉であり、あるいは記念となる場所の存在かもしれません。私たちの信仰が揺らぐことのないように、確かな証拠となるものを大切にし、忘れずに保ち続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.24.25-27.ja1955
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【今日の聖句】 2016/09/28

2016-09-28 06:48:58 | 今日の聖句
詩篇 100:5
「主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。」

私たちが主の御名をほめたたえるのは、神様が私たちに良いことをしてくれたからではなく、神様ご自身が恵み深く慈しみに富む、真実なお方であるからです。自分の利益のあるなしにかかわらず天地万物の造り主であられる神様の御名をほめたたえ、すべての栄光を主に帰する私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.5.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/09/27

2016-09-27 07:57:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 23:4-5
「見よ、わたしはヨルダンから、日の入る方、大海までの、このもろもろの残っている国々と、すでにわたしが滅ぼし去ったすべての国々を、くじをもって、あなたがたに分け与え、あなたがたの各部族の嗣業とさせた。 あなたがたの前から、その国民を打ち払い、あなたがたの目の前から追い払われるのは、あなたがたの神、主である。そしてあなたがたの神、主が約束されたように、あなたがたは彼らの地を獲るであろう。」

約束の地カナンの先住民を討ち滅ぼし、イスラエル人に嗣業の地として分け与える偉業を成し遂げたヨシュアも年老い、この世の生涯を閉じようとしていました。しかしヨシュアは死に至るまで自分の功績を決して誇ることなく、あくまでも主が成し遂げてくださり、約束を守られたのだと、神様に栄光を帰する姿勢を崩しませんでした。

この世の人々は自らを「盛って」でも、さも自分はものすごい功績を成し遂げたかのように自画自賛と自己主張をしたがりますが、私たちはそのような愚かな偽り者になってはなりません。この世と歴史のすべてを司られる神様の御前に、どこまでも謙虚に、忠実に、真実を尽くして、神様の成し遂げられた御業を証し、すべての栄光を主に帰する私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.23.4-5.ja1955

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ヨシュア記 23:6-8
「それゆえ、あなたがたは堅く立って、モーセの律法の書にしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。それを離れて右にも左にも曲ってはならない。 あなたがたのうちに残っている、これらの国民と交じってはならない。彼らの神々の名を唱えてはならない。それをさして誓ってはならない。またそれに仕え、それを拝んではならない。 ただ、今日までしてきたように、あなたがたの神、主につき従わなければならない。」

どれほど努力を重ねても、必ず成功するわけではありません。世界の歴史に名を残す数々の偉人でさえも、失敗と敗北の日々を送ることが数知れずありました。

祝福と勝利の秘訣はたった一つ、主なる神様を畏れて御言葉に聞き従い、右にも左にも逸れず信仰の道をまっすぐに歩むことです。この世のすべてを統べ治められる神様にすべてを委ねて歩むならば、必ず祝福が約束されていますから感謝いたします。

私たちを誘惑し陥れようとするサタンの声に耳を傾けず、ただ神様につき従い、永遠の天に至る信仰の王道の真ん中をまっすぐに歩み続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.23.6-8.ja1955

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ヨシュア記 23:12-13
「しかし、あなたがたがもしひるがえって、これらの国民の、生き残って、あなたがたの中にとどまる者どもと親しくなり、これと婚姻し、ゆききするならば、 あなたがたは、しかと知らなければならない。あなたがたの神、主は、もはや、これらの国民をあなたがたの前から、追い払うことをされないであろう。彼らは、かえって、あなたがたのわなとなり、網となり、あなたがたのわきに、むちとなり、あなたがたの目に、とげとなって、あなたがたはついに、あなたがたの神、主が賜わったこの良い地から、滅びうせるであろう。」

聖書の中には、姦淫や婚姻などといった言葉がたびたび出てきます。これは神様と私たちの関係を表すために用いられますが、実際の人間関係としての婚姻関係もまた重要な意味合いを持ちます。

結婚は全く異なる家に生まれた男女が一つの家族となることであり、戸籍上の関係のみならず精神的、信仰的にも一つになることを意味します。ですから神様を信じないもの、まして異教の神を信奉する者との結婚は、私たちの正しい信仰を破壊し、神様との関係も閉ざされてしまいます。結婚一つで先祖代々が築き上げてきた祝福の家系がもろくも崩れ去り、破滅と呪いの結末に陥ってしまいます。

ですから私たちは結婚に関しては殊更に慎重に神様の御心を求め、決して一時的な感情に流されることなく、自分と同じ確かな信仰を持つ者と結ばれ、何よりも神様に喜ばれる結婚を求めるべきです。私たちは結婚に関しては決して妥協することなく、安易な結婚、性急な結婚は絶対に避けなければなりません。

http://bible.com/81/jos.23.12-13.ja1955

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ヨシュア記 23:14-16
「見よ、今日、わたしは世の人のみな行く道を行こうとする。あなたがたがみな、心のうちにまた、肝に銘じて知っているように、あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束されたもろもろの良いことで、一つも欠けたものはなかった。みなあなたがたに臨んで、一つも欠けたものはなかった。 しかし、あなたがたの神、主があなたがたについて約束された、もろもろの良いことが、あなたがたに臨んだように、主はまた、もろもろの悪いことをあなたがたに下して、あなたがたの神、主が賜わったこの良い地から、ついに、あなたがたを滅ぼし断たれるであろう。 もし、あなたがたの神、主が命じられたその契約を犯し、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、主はあなたがたにむかって怒りを発し、あなたがたは、主が賜わった良い地から、すみやかに滅びうせるであろう」。

人は自分に都合の良いことだけしか目に入りません。神様の約束も祝福ばかりに目が行きますが、呪いの約束はどれほど注意しているでしょうか。神様の約束は極めて単純です。まことの神様を畏れ従う者は永遠のいのちと祝福を受け、神様を信じず御言葉に聞き従わない者は呪われ永遠の裁きを受ける、たったこれだけです。それなのに人は祝福の約束ばかり喜んで受け入れ、裁きと呪いの約束から目を逸らして自分の都合の良い生き方を送ろうとしています。

神様に聞き従う者に祝福の約束が一つも欠けることなく成就したように、神様に聞き従わない不信仰な者には滅びの約束が一つとして欠けることなく臨むことを、私たちは決して忘れてはなりません。約束を必ず守られる神様の御声に聞き従い、呪いではなく祝福を、破滅ではなく永遠のいのちを選び取る賢い信仰の選択を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.23.14-16.ja1955
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【今日の聖句】 2016/09/27

2016-09-27 06:54:11 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 6:19-20
「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」

この世界は神様から賜わった物であり、自分自身の身体さえも自分の好き勝手には利用できない借り物に過ぎません。私たちの内に宿るきよい御霊の導きに聞き従い、すべての造り主であり真の所有者であられる神様の栄光を身をもって示すことができるよう、日々の信仰生活に励む私たちでありますように。

http://bible.com/81/1co.6.19-20.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/09/26

2016-09-26 07:54:16 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 22:1-3
「時にヨシュアは、ルベンびと、ガドびと、およびマナセの部族の半ばを呼び集めて、 言った、「あなたがたは主のしもべモーセが命じたことを、ことごとく守り、またわたしの命じたすべての事にも、わたしの言葉に聞きしたがいました。 今日まで長い年月の間、あなたがたの兄弟たちを捨てず、あなたがたの神、主の命令を、よく守ってきました。」

ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、既にヨルダン川の東側に嗣業の地を得ていましたが、イスラエル全部族が嗣業の地を獲得するまでカナンの先住民との戦いにも参加し、最後まで行動を共にしました。その従順と献身にヨシュアは彼らをほめ、共に喜びを分かち合いました。

私たちは自分の利益だけを求めてはならず、神の家族、信仰の共同体の一員として、常に全体の益のために行動すべきです。自分さえ祝福されればそれで良しとする利己的、独りよがりの信仰は、神の民に相応しくありません。たとえ困難が伴おうとも最後まで主のご命令に従い、信仰の仲間たちを大切にして行動を共にし喜びを分かち合う、まことの愛の共同体を形成する私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.22.1-3.ja1955

*****

ヨシュア記 22:4-5
「今はすでに、あなたがたの神、主が、あなたがたの兄弟たちに、先に約束されたとおり、安息を賜わるようになりました。それで、あなたがたは身を返して、主のしもべモーセが、あなたがたに与えたヨルダンの向こう側の所有の地に行き、自分たちの天幕に帰りなさい。 ただ主のしもべモーセが、あなたがたに命じた戒めと、律法とを慎んで行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主につき従い、心をつくし、精神をつくして、主に仕えなさい」。

神様のご命令に最後まで忠実に従ったルベン族、ガド族、マナセの半部族に、ヨシュアは戦利品を与え、ヨルダン川の向こう岸にある嗣業の地に帰るように命じました。彼らに最後に命じたことは、ヨルダン川を渡った後もただ主のみを神として心を尽くして仕え、モーセの律法を守るようにとの戒めでした。

今も昔も川は大きな境界線となり、地理的な面のみならず、異なる文化、異なる思想に徐々に染まる傾向があります。そこでヨシュアは彼らに、神様のみを礼拝し、偶像礼拝に傾かないようにと戒めたのです。

私たちも、教会から足が遠のくと信仰が揺らぎます。私たちを罪に引き戻し、神様から遠ざけようとするサタンの闇の力は、私たち自身では逆らうことのできない強力なものです。自分だけは大丈夫、という考え方は特に危険です。罪の世にあって信仰を守り通すには相当の困難が伴うことを決して忘れず、正しい信仰を守り通す決意を日々新たにし、心して主のみをまことの神として信じ仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.22.4-5.ja1955

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ヨシュア記 22:11, 13-14
『イスラエルの人々は、「ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの部族の半ばが、カナンの地の国境、ヨルダンのほとりのイスラエルの人々に属する方で、一つの祭壇を築いた」といううわさを聞いた。

そしてイスラエルの人々は、祭司エレアザルの子ピネハスをギレアデの地のルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの半部族の所につかわし、 イスラエルの各部族のうちから、父祖の家のつかさ、ひとりずつをあげて、合わせて十人のつかさたちを、彼と共に行かせた。これらはみなイスラエルの氏族のうちで、父祖の家のかしらたる人々であった。』

ヨルダン川を渡ったルベン族、ガド族、マナセの半部族は、その対岸に一つの大きな祭壇を築きました。これはヨシュアが最後まで懸念していたことでした。そこでイスラエルの人々は、大祭司の子ピネハスを団長とする全イスラエルの代表者を召集し、ヨルダン川の対岸にいる同族たちの真意を問い質すために派遣しました。

私たちは、噂を聞いてもそのまま信じてはなりません。特に悪い噂については本人に直接その真意を質し、対話する姿勢を持つことが必要です。その時には決して妥協せず、毅然とした態度を示すことが重要です。かつてイスラエルが呪術師バラムの悪巧みによって偶像礼拝に陥りそうになったとき、聖なる怒りに燃えて偶像礼拝に導いたカナンの娘を滅ぼした祭司の子ピネハスが筆頭に選ばれたことは、その象徴です。罪とは決して妥協せず、しかし人に対しては平和的に対話する姿勢を持つことが、私たちの取るべき態度です。

http://bible.com/81/jos.22.11,13-14.ja1955

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ヨシュア記 22:16-20
「主の全会衆はこう言います、『あなたがたがイスラエルの神にむかって、とがを犯し、今日、ひるがえって主に従うことをやめ、自分のために一つの祭壇を築いて、今日、主にそむこうとするのは何事か。 ペオルで犯した罪で、なお足りないとするのか。それがために主の会衆に災が下ったが、われわれは今日もなお、その罪から清められていない。 しかもあなたがたは、今日、ひるがえって主に従うことをやめようとするのか。あなたがたが、きょう、主にそむくならば、あす、主はイスラエルの全会衆にむかって怒られるであろう。 もしあなたがたの所有の地が清くないのであれば、主の幕屋の立っている主の所有の地に渡ってきて、われわれのうちに、所有の地を獲なさい。ただ、われわれの神、主の祭壇のほかに、自分のために祭壇を築いて、主にそむき、またわれわれをそむく者とならせないでください。 ゼラの子アカンは、のろわれた物について、とがを犯し、それがためイスラエルの全会衆に、怒りが臨んだではないか。またその罪によって滅びた者は、彼ひとりではなかった』」。

全イスラエルの代表者の団長ピネハスはヨルダン川の対岸にいる同族たちの元に赴き、そこに彼らか祭壇を築いた真意を問います。そのとき、過去にイスラエルが犯した失敗を例に挙げ、ほんの一部の者が犯した罪と不信仰がイスラエル全体に悪影響を及ぼし、神様から裁かれることを思い起こさせました。

私たちは過去の失敗を教訓として学び、今の自分に適用して自らの信仰を正しく保つことが必要です。聖書に記されたイスラエルの不従順と神様の裁き、そして罪の悔い改めと信仰の回復は、私たちにとって最も参考になる生きた教訓です。聖書の物語を単なる昔話だと侮ることなく、成功例に見習い、失敗例を反面教師として自らの信仰を正す私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.22.16-20.ja1955

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ヨシュア記 22:28-30
「またわれわれは言いました、『のちの日に、われわれ、またわれわれの子孫が、もしそのようなことを言われるならば、その時、われわれは言おう、「われわれの先祖が造った主の祭壇の型をごらんなさい。これは燔祭のためではなく、また犠牲のためでもなく、あなたがたと、われわれとの間の証拠である」。 主にそむき、ひるがえって今日、主に従うことをやめて、われわれの神、主の幕屋の前にある祭壇のほかに、燔祭、素祭、または犠牲をささげるための祭壇を築くようなことは、決していたしません』」。 祭司ピネハス、および会衆のつかさたち、すなわち彼と共に行ったイスラエルの氏族のかしらたちは、ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの子孫が語った言葉を聞いて、それを良しとした。」

祭司ピネハスとイスラエルの司たちは、川向こうの同族たちの築いた祭壇が正しい信仰に基づいていることを知って良しとし、彼らとの対決は不要であることを確認しました。平和を愛される主は、対話と協調を重んじます。私たちは相手の真意を確認せずに無用な戦いを起こすことを極力避けなければなりません。

http://bible.com/81/jos.22.28-30.ja1955
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【今日の聖句】 2016/09/26

2016-09-26 06:42:36 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 13:4-5
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」

まことの愛は自分を捨てて相手を最優先にすることです。自己中心な愛の真似事から脱却し、主イエス様が十字架でそのいのちを捨てるほどに私たちを愛してくださったように、犠牲を厭わずまことの愛を成就する私たちでありますように。

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【COGHCC聖書通読】 2016/09/25

2016-09-25 07:34:15 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 21:1-3
『時にレビの族長たちは、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュアおよびイスラエルの部族の族長たちのもとにきて、 カナンの地のシロで彼らに言った、「主はかつて、われわれに住むべき町々を与えることと、それに属する放牧地を、家畜のために与えることを、モーセによって命じられました」。 それでイスラエルの人々は、主の命にしたがって、自分たちの嗣業のうちから、次の町々と、その放牧地とを、レビびとに与えた。』

イスラエル12部族の嗣業の地と、のがれの町の6ヶ所が定まった後、レビ人たちが住むべき町が定まりました。なぜならレビ人の嗣業は神様に仕えることであり、イスラエルの人々の嗣業の地の内から放牧地を得て住むことが定められていたからです。レビ人たちは自らの分をわきまえ、また物事の順序を守って定住の地を求めたのでした。

そして他のイスラエル人もまた、自分の嗣業の地からレビ人の居住地を分け与えることに誰一人として異論を唱えませんでした。なぜなら神様に仕えるレビ人を養うことは、神の民とされたイスラエル人が当然果たすべき義務であったからです。

これは今の私たちにとっても同様です。神様に仕える聖職者や献身者の生活を支えることは、信徒が責任を持って果たすべきことです。また献身者たちは神様の命じるままに世界に出て行って、すべての人々の間に住み、御言葉を伝え人々を義に導く責任があります。この互いに仕え合い、支え合う姿勢が、神様に救われた者としての責任ある行動と心得るべきです。

http://bible.com/81/jos.21.1-3.ja1955

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ヨシュア記 21:4-7
「まずコハテびとの氏族のために、くじを引いた。祭司アロンの子孫であるこれらのレビびとは、くじによって、ユダの部族、シメオンの部族、およびベニヤミンの部族のうちから、十三の町を獲た。 その他のコハテびとは、くじによって、エフライムの部族の氏族、ダンの部族、およびマナセの半部族のうちから、十の町を獲た。 またゲルションびとは、くじによって、イッサカルの部族の氏族、アセルの部族、ナフタリの部族、およびバシャンにあるマナセの半部族のうちから、十三の町を獲た。 またメラリびとは、その氏族にしたがって、ルベンの部族、ガドの部族、およびゼブルンの部族のうちから、十二の町を獲た。」

レビ人の子孫は、その働きに応じて4つの家系に分かれていました。それは祭司の家系としてアロンの子孫、コハテ人の家系、ゲルション人の家系、メラリ人の家系の4つで、それぞれがイスラエル12部族の3部族ずつの嗣業の地から居住地を分け与えられました。

ここで注目すべきは、祭司アロンの家系には、後のイスラエルの中心地となるユダの地と、エルサレムがあるベニヤミンの地が与えられたことです。イスラエルは神様を中心とする民であり、祭司の住む場所もまたイスラエルの中心地となるのです。私たちもまた神様を中心とし、神様の御側近くに仕える者でありたいと願います。

http://bible.com/81/jos.21.4-7.ja1955

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ヨシュア記 21:13, 21, 27, 32, 36, 38
「祭司アロンの子孫に与えたのは、人を殺した者の、のがれる町であるヘブロンとその放牧地、リブナとその放牧地、

すなわち、その町は、人を殺したものの、のがれる町であるエフライムの山地のシケムとその放牧地、ゲゼルとその放牧地、

ゲルションびとであるレビびとの氏族の一つに与えられた町は、マナセの半部族のうちからは、人を殺した者の、のがれる町であるバシャンのゴランとその放牧地、およびベエシテラとその放牧地など、二つの町である。

ナフタリの部族のうちからは、人を殺した者の、のがれる町であるガリラヤのケデシとその放牧地、ハンモテ・ドルとその放牧地、カルタンとその放牧地など、三つの町である。

ルベンの部族のうちからは、ベゼルとその放牧地、ヤハヅとその放牧地、

ガドの部族のうちからは、人を殺した者の、のがれる町であるギレアデのラモテとその放牧地、マハナイムとその放牧地、」

レビ人の役目は神様に仕えることと同時に、人々に神様の御言葉を教え守らせることでした。そこで注目すべきは、彼らの居住地の中に、前の章で定められたのがれの町の6ヶ所すべてが含まれていることです。のがれの町は、罪なき人を守る場所であり、その人の罪のあるなしを裁く場所でした。そのとき何を根拠に人を裁くのか、それは神様の御言葉です。ですから神様に仕え、御言葉に精通したレビ人が、のがれの町に住むことが必要だったのです。

そして神様に仕えるレビ人の役目は、人の罪のあるなしを判定することだけでなく、人を守ることでした。親族を殺された恨みに逆上し追いかけて来た者から無実の人を守ることは、決してたやすいことではなく、ただ聖書をお勉強するだけの頭でっかちの人にはとてもできない、まさに命懸けの愛の奉仕です。人を守らない者、まして人を利用し使い捨てにする者に、神に仕える者としての資格はありません。私たちもまた、人の罪を指摘するばかりでなく、自らを犠牲にして人を守り、神様の愛をもっていのちに導く者でありたいと願います。

http://bible.com/81/jos.21.13,21,27,32,36,38.ja1955

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ヨシュア記 21:43-45
「このように、主が、イスラエルに与えると、その先祖たちに誓われた地を、ことごとく与えられたので、彼らはそれを獲て、そこに住んだ。 主は彼らの先祖たちに誓われたように、四方に安息を賜わったので、すべての敵のうち、ひとりも彼らに手向かう者はなかった。主が敵をことごとく彼らの手に渡されたからである。 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つとしてたがわず、みな実現した。」

ヨシュア記の中心的なテーマの一つは、神様の約束の成就です。イスラエル人の父祖アブラハムにこの地をあなたの子孫に与えると誓われた神様の約束が、今まさに実現したのです。
しかも、神様が約束された
 ①すべての良いことは、
 ②一つとして違わず、
 ③みな実現した。
と記されています。

神様の祝福の約束は、すべて、間違いなく、必ず実現することこそが、私たちの信仰が決して虚しく終わることのない希望です。聖書に記された神様の約束を確信して、今日も希望を胸に抱いて力強く歩む私たちでありますように。

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【今日の聖句】 2016/09/25

2016-09-25 06:15:13 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 15:58
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」

無駄な労力のために一所懸命になる人はいなくとも、必ず成就する主の業のためならば全力で取り組むべきではないでしょうか。私たちを罪から解放するために十字架の死をも避けて通らなかった主イエスの御業と真正面から向き合い、約束された永遠のいのちに至る真理の道に全力で励む私たちでありますように。

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【COGHCC聖書通読】 2016/09/24

2016-09-24 07:30:02 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 20:1-3
そこで主はヨシュアに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『先にわたしがモーセによって言っておいた、のがれの町を選び定め、 あやまって、知らずに人を殺した者を、そこへのがれさせなさい。これはあなたがたが、あだを討つ者をさけて、のがれる場所となるでしょう。』」

イスラエル12部族すべての嗣業の地が定まったとき、主はヨシュアに、のがれの町を選定するように命じました。過失により人を殺してしまった者に対するこの救済策は、人を殺したら仇を討つのが当たり前であった当時としては画期的なことでした。

人の心の内をすべてご存じであられる神様の愛と憐れみは、誤って罪を犯してしまった者に注がれ、そのいのちを救います。罪人であった私たちもまた、この神様の愛と憐れみにより、主イエス様の十字架というのがれの町にかくまわれ、永遠の裁きと死を免れることができたことを心から感謝します。

http://bible.com/81/jos.20.1-3.ja1955

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ヨシュア記 20:4-5
「その人は、これらの町の一つにのがれて行って、町の門の入口に立ち、その町の長老たちに、そのわけを述べなければならない。そうすれば、彼らはその人を町に受け入れて、場所を与え、共に住ませるであろう。 たとい、あだを討つ者が追ってきても、人を殺したその者を、その手に渡してはならない。彼はあやまって隣人を殺したのであって、もとからそれを憎んでいたのではないからである。」

のがれの町の長老たちは、その人がなぜ自分の町から逃れてきたのか理由を聞いて町に受け入れ、住む場所を与え、後から追いかけてきたいのちを狙う者の手から守る使命を受けました。

こののがれの町の制度は、私たちを罪と永遠の滅びに引き戻そうとするサタンの手から救う、天の御国の予表です。私たちが天の入口で掲げるものは、主イエスを信じ受け入れ心に刻まれた十字架の証印です。この救いの証印を決して手放すことなく、主イエスを隠れ場としていのちを守る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.20.4-5.ja1955

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ヨシュア記 20:7-9
「そこで、ナフタリの山地にあるガリラヤのケデシ、エフライムの山地にあるシケム、およびユダの山地にあるキリアテ・アルバすなわちヘブロンを、これがために選び分かち、 またヨルダンの向こう側、エリコの東の方では、ルベンの部族のうちから、高原の荒野にあるベゼル、ガドの部族のうちから、ギレアデのラモテ、マナセの部族のうちから、バシャンのゴランを選び定めた。 これらは、イスラエルのすべての人々、およびそのうちに寄留する他国人のために設けられた町々であって、すべて、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせ、会衆の前に立たないうちに、あだを討つ者の手にかかって死ぬことのないようにするためである。」

主の命を受けたヨシュアは、ヨルダン川の西側に3つ、東側に3つ、合計6つののがれの町を選び、誤って人を殺めてしまった者のいのちを守る制度を定めました。これは全イスラエルのどの地に住んでいる人も平等に、のがれの町まで逃げることができるようにするためでした。注目すべき点は、イスラエル人だけでなく、イスラエルの内に寄留して住む異邦人に対しても、こののがれの町の制度を受ける資格が与えられていることです。

主の救いの機会は、すべての人に平等に与えられています。今の私たちにとっては、イエス様を救い主として信じ、十字架の購いを受け入れるか否か、ただそれだけです。この素晴らしい救いの機会を逃すことなく、自分のものとして信じ受け入れ、永遠のいのちを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.20.7-9.ja1955
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【今日の聖句】 2016/09/24

2016-09-24 06:40:21 | 今日の聖句
詩篇 139:13-14
「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。 わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。」

手術でもしない限り私たちは自分の内蔵さえ見ることはできませんが、造り主なる神様は、私たちの知らない自分の真の姿をもすべて知っておられるお方です。神様の御前に心の内をすべて明け渡し、傷ついた心は癒され、苦々しい思いはきよめられ、幼子のように純真な心で主の懐に抱かれる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.139.13-14.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/09/23

2016-09-23 07:50:24 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 19:1, 9
「次にシメオンのため、すなわちシメオンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。その嗣業はユダの子孫の嗣業のうちにあった。

シメオンの子孫の嗣業は、ユダの子孫の領域のうちにあった。これはユダの子孫の分が大きかったので、シメオンの子孫が、その嗣業を彼らの嗣業の中に獲たからである。」

ベニヤミン族に続き、シメオン族の嗣業の地がくじ引きで割り当てられました。それはなんと、ユダ族の嗣業の地の中にありました。シメオンはヤコブの次男でユダの兄です。しかし妹のことで逆上したシメオンとレビはヒビ人を騙して虐殺したため、父ヤコブからも「彼らの怒りは激しい故に呪われ…イスラエルのうちに散らそう」と預言された通りになりました。

私たちに必要なものは自制心です。怒りに身を任せて自身をコントロールできない者は、真の祝福に与ることはできません。この世に生きる限り、不当な仕打ちに遭ったり、激しく憤りを感じる出来事は日常茶飯事ですが、一時の怒りの感情に負けて取り返しのつかない失敗を犯すことのないよう、常に聖霊様に心を守っていただき、冷静で平安な心を保つように努める私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.19.1,9.ja1955

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ヨシュア記 19:10, 17, 24, 32, 40
「第三にゼブルンの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。その嗣業の領域はサリデに及び、

第四にイッサカル、すなわちイッサカルの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。

第五に、アセルの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。

第六に、ナフタリの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。

第七に、ダンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。」

ヨシュアは残りの5つの部族のためにもくじを引いて、嗣業の地を割り当てました。彼らの得た地は既に他の部族が嗣業の地を取った後の残りの地、隙間領域や北部の辺境の地でした。

神様の恵みを受けることに消極的な信仰は、残り物のわずかな恵みしか受け取ることができません。多く蒔く者は多くを得、少なく蒔く者はわずかしか得ることができないのが信仰の世界の原則ですから、神様に対して積極的な信仰を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.19.10,17,24,32,40.ja1955

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ヨシュア記 19:49-51
「こうして国の各地域を嗣業として分け与えることを終ったとき、イスラエルの人々は、自分たちのうちに、一つの嗣業を、ヌンの子ヨシュアに与えた。 すなわち、主の命に従って、彼が求めた町を与えたが、それはエフライムの山地にあるテムナテ・セラであって、彼はその町を建てなおして、そこに住んだ。 これらは、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの子孫の部族の族長たちが、シロにおいて会見の幕屋の入口で、主の前に、くじを引いて分け与えた嗣業である。こうして地を分けることを終った。」

イスラエル12部族のすべてに嗣業の地を分け終えたヨシュアは、最後に自分の領地を得ました。それは山地にある小さな町で、自らの手で建て直す必要があるほど、偉業を成し終えた者には余りにもわずかな報酬でした。しかしここに、主の御前に忠実に仕える指導者のあるべき姿があります。

現代社会は、貧富の差がますます激しくなっています。世の指導者は自分のための報酬を多く求め、100人にも満たないほんの一握りの大富豪たちが世界経済の過半数を独占しているとの調査結果も出ているのが現実です。愛なる神様の僕たる私たちは、決してそのようであってはなりません。自分の利益を求めず、何よりもまず隣人の祝福を最優先に求め、日々の糧を与え必ず養ってくださる神様に信頼して、たとい貧しくとも自らの手で祝福に満ちた人生を切り開く私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.19.49-51.ja1955
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