伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/12/31

2017-12-31 08:35:05 | 一日一章・聖書通読日記
伝道の書 1:1-4
「ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。 世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。」

箴言に続く伝道の書もまたダビデの子ソロモン王の作ですが、箴言の知恵と気力に満ちた語調とは異なり、書き出しから「空の空」と、この世の人生の虚しさを吐露する内容になっています。それは人類最高の知恵と権力と豊かさを神様から授けられたソロモン王が、この世のものに心を奪われて、いつしか心が神様から離れ、信仰的に退廃してしまったからです。私たちの人生は、この世のものでは決して満たされることはありません。ただ神様だけを信頼して生きる人生こそ、日々生きる力が与えられ、どんな苦境にも耐え忍ぶことのできる、真に生き甲斐のある人生です。

http://bible.com/81/ecc.1.1-4.ja1955

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伝道の書 1:5-7
「日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。」

私たちが何をしていても、一日はあっという間に過ぎてしまいます。まさに光陰矢の如しです。どれほど豊かに、豪勢に、自分の思い通りに生きることができても、毎日が同じことの繰り返し、何の変哲もない、既に結末が見えてしまっている人生ほど、つまらない、虚しい人生はありません。生ける屍のような人生とならないためには、主に日々新たな力を与えられる人生、先は見えなくても希望に満ちた信仰の人生を送ることが重要です。

http://bible.com/81/ecc.1.5-7.ja1955

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伝道の書 1:8-9
「すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。」

今も昔も変わらずに、歴史は繰り返されます。人は実に愚かなもので、同じ過ちを繰り返し、同じ結末を迎えて後悔することばかりです。たとい目新しいものを追い求めても、技術は進歩し斬新なものに見えても、その根底にあるものは人の欲望が変わらない限り、表面上の形を変えただけのものに過ぎません。私たちは歴史に学び、先人たちの失敗を反面教師として、永遠の真理であられる神様に聞き従うことこそが、本当に価値ある人生です。

http://bible.com/81/ecc.1.8-9.ja1955

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伝道の書 1:16-18
『わたしは心の中に語って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。 わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。 それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。』

ソロモンは知恵に満ちていたからこそ、真理を求めてこの世のすべてのものを調べ尽くし、結局はこの世の虚しさを深く感じ、さらに深い悩みと憂いに陥ってしまったのかもしれません。実はソロモンは、真理は既に持っていたのです。父から受け継いだ信仰、これこそがソロモンがいつしか忘れ、生涯を掛けて探し求めていたものでした。今持っている信仰を手放してしまうと、私たちもまたソロモンのように虚しい人生で時間の無駄遣いをしてしまいますから注意が必要です。

http://bible.com/81/ecc.1.16-18.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/31

2017-12-31 06:15:43 | 今日の聖句
コリント人への第二の手紙 5:17
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」

日本には大晦日に除夜の鐘を聞いて今年一年の煩悩を祓う風習がありますが、罪はそう簡単に洗い流せるようなものではありません。主イエスを信じる者はただ一度だけ、十字架の血潮による購いを受けて罪きよめられ、古い自分から新しい自分へと造り変えられている恵みに感謝して一年を締めくくりたいと願います。

http://bible.com/81/2co.5.17.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/30

2017-12-30 18:18:20 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 31:1-2
「マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたものである。 わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。わたしが願をかけて得た子よ、何をいおうか。」

今日の箴言も、聖書の中ではこの箇所だけにしか出てこない王の残した言葉、しかも王がまだ胎内にいるときから、その母がわが子に語り聞かせた王たる者の道を教え諭した知恵の言葉です。胎教ともいわれますが、生まれる前からこのように愛され、祈られ、正しい知恵を教えられてきた子は、なんとさいわいなことでしょうか。

http://bible.com/81/pro.31.1-2.ja1955

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箴言 31:3-5
「あなたの力を女についやすな、王をも滅ぼすものに、あなたの道を任せるな。 レムエルよ、酒を飲むのは、王のすることではない、王のすることではない、濃い酒を求めるのは君たる者のすることではない。 彼らは酒を飲んで、おきてを忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げる。」

今日の箴言は女性の目線で語られた貴重な知恵の言葉ですが、その真っ先に女性との関係、特に悪女に心を奪われないように戒めたというのは、同姓ならではの観点であろうと思います。また酒に酔って裁きを曲げてはならないとの教えも、男性ではなかなか真正面から切り出せない、身近な誘惑に対する毅然とした態度の表れです。私たちは自分に甘く、何かと理由を付けて悪癖からなかなか抜け出せないものですが、何が正しいことか、神様が喜ばれることか、基準をしっかりと定めて、公義のためには自分に厳しくありたいと願います。

http://bible.com/81/pro.31.3-5.ja1955

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箴言 31:10-12
「だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。」

王の母は、夫に尽くし、信頼される賢い妻は宝石よりも優れた宝であると、わが子に教え諭しました。良妻賢母という言葉は、一部では死語あるいは女性差別であるとも言われているようですが、真の意味するところは、円満な夫婦関係と理想的な家庭を築く礎となるのではないでしょうか(もちろん夫の側も心から妻を愛し、真実を尽くすことが前提です)。まことの神を恐れ、神の知恵を以て家庭を治める賢い女性と巡り会えたら、本当に幸せ者だと思います。

http://bible.com/81/pro.31.10-12.ja1955

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箴言 31:25-27
「力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。 彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。」

艶やかな服で着飾るよりも、力と気品と知恵の言葉が、賢い女性に相応しい最高の着物となります。家庭を顧み、家事に励む姿を推奨するこれらの知恵の言葉は、女性の視点から語られるからこそ説得力があります。同姓から賞賛されることほど、最高の栄誉であり、素晴らしいことはありません。

http://bible.com/81/pro.31.25-27.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/30

2017-12-30 07:00:08 | 今日の聖句
詩篇 119:114
「あなたはわが隠れ場、わが盾です。わたしはみ言葉によって望みをいだきます。」

天地万物の造り主、全知全能なる神様が、いざというときのシェルターとなってくださるとは、どれほど安心できることでしょうか。万軍の主をわが盾、わが隠れ場とするさいわいに感謝し、永遠に変わることのない主の御言葉に希望を置く私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.114.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/29

2017-12-29 07:50:14 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 30:1-3
「マッサの人ヤケの子アグルの言葉。その人はイテエルに向かって言った、すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った、 わたしは確かに人よりも愚かであり、わたしには人の悟りがない。 わたしはまだ知恵をならうことができず、また、聖なる者を悟ることもできない。」

箴言30章と31章は、ソロモンやヒゼキヤのように他の聖書の箇所に出てくる人物の書き残した言葉ではありません。しかしその内容は実に示唆に満ちた知恵の言葉です。30章のアグルの箴言は、これまでの箴言の語調とは異なり、人を教え諭す言葉というよりも、自らの信仰告白を共有するためにしたためた文体となっています。全体的な内容は、人の無知による愚かさと、神の知恵による素晴らしさを対比させています。無知の知という言葉があるように、何よりもまず自分がいかに無知であるかを悟ることが知恵のはじめです。自分には知恵がある、大丈夫と思っている心、それこそが罪のはじめです。

http://bible.com/81/pro.30.1-3.ja1955

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箴言 30:4-6
「天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かにそれを知っている。 神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。」

天地の境と森羅万象の不思議から、造り主なる神様と御子イエス様の存在を確信することができるのは、なんと素晴らしいことでしょうか。実に聖霊なる神様の導きがなければ到達できない、真理追究の答えです。天地万物の造り主である主を覚え、神様の御言葉は皆、真実であると悟り、自分の考えを差し挟んで付け加えることも消し去ることもなく、ありのまま信じることができるよう、純粋な信仰を持つ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/pro.30.4-6.ja1955

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箴言 30:7-9
「わたしは二つのことをあなたに求めます、わたしの死なないうちに、これをかなえてください。 うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。 飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。」

この御言葉は、清貧という言葉がまさにぴったりと当てはまる信仰告白の祈りです。心から主を畏れ、聖なる主の御名に恥じぬ生き方を送る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/pro.30.7-9.ja1955

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箴言 30:12-14
「世には自分の目にみずからを清い者として、なおその汚れを洗われないものがある。 世にはまた、このような人がある-ああ、その目のいかに高きことよ、またそのまぶたのいかにつりあがっていることよ。 世にはまたつるぎのような歯をもち、刀のようなきばをもって、貧しい者を地の上から、乏しい者を人の中から食い滅ぼすものがある。」

世の中には自らの罪を認めず、その心は驕り高ぶり、残虐で憐れみのかけらもない人々がいます。そのような世の風潮にあっても心から主を畏れ、神の義を堅く守り、愛と憐れみと慈しみの心を失うことのないように、自らの信仰を守り通す者でありたいと願います。

http://bible.com/81/pro.30.12-14.ja1955

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箴言 30:24-31
「この地上に、小さいけれども、非常に賢いものが四つある。 ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。 岩だぬきは強くない種類だが、その家を岩につくる。 いなごは王がないけれども、みな隊を組んでいで立つ。 やもりは手でつかまえられるが、王の宮殿におる。 歩きぶりの堂々たる者が三つある、いや、四つあって、みな堂々と歩く。 すなわち獣のうちでもっとも強く、何ものの前にも退かない、しし、 尾を立てて歩くおんどり、雄やぎ、その民の前をいばって歩く王がそれである。」

世の人々の愚かさと対比させるかのように、小さな虫けらや野生の動物の方がはるかに賢い生き方を送っていると、この箴言の作者は断言します。人はいったい何者なのでしょうか。それほど偉い者なのでしょうか。自らを誇り、高ぶり、自己満足に陥ることなく、かえって己を低くして人の本分を悟る私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.30.24-31.ja1955

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箴言 30:32-33
「あなたがもし愚かであって自ら高ぶり、あるいは悪事を計ったならば、あなたの手を口に当てるがよい。 乳をしめれば凝乳が出る、鼻をしめれば血がでる、怒りをしめれば争いが起る。」

この箴言の作者の答が、まさにこの最後の言葉に凝縮されています。人の考えに従って始めることの結末は、実に悲惨なものです。自らを誇り、驕り高ぶる愚かさを捨て、悪事から離れて心から悔い改めて、主の御前に謙虚に、真実に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.30.32-33.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/29

2017-12-29 06:35:47 | 今日の聖句
マタイによる福音書 28:19-20
「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」

イエス様が地上の生涯で最後に残された言葉は、すべての国民を主の弟子として洗礼を授け、御言葉を守り行うように教えよとの大宣教命令でした。世界中のすべての人々に福音を宣べ伝え、主イエスの弟子として自ら率先して信仰の模範を示すよう励む私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.28.19-20.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/28

2017-12-28 07:30:09 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 29:1
「しばしばしかられても、なおかたくなな者は、たちまち打ち敗られて助かることはない。」

人は叱られることを嫌います。しかし叱責の言葉に一切聞く耳を持たない者は、自分の過ちや欠点を改める機会を失ってしまいます。頑なな心で罪を放置して永遠の滅びに定められることのないよう、人の忠告には素直に聞き従う柔軟な心を持つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.29.1.ja1955

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箴言 29:2, 4
「正しい者が権力を得れば民は喜び、悪しき者が治めるとき、民はうめき苦しむ。

王は公儀をもって国を堅くする、しかし、重税を取り立てる者はこれを滅ぼす。」

国の幸福は為政者の心掛けによって大きく左右されます。リーダーとなる者は、群全体のさいわいを最優先に考え、己の利益のために権力を振るってはなりません。公義を行う王は国を豊かにし、私腹を肥やす王は国を滅ぼすことは、歴史の事実からも明らかです。国のリーダーが正しい判断に基づき政治を行うことのできるように祈り続けることは大切です。

http://bible.com/81/pro.29.2,4.ja1955

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箴言 29:8, 11, 22-23
「あざける人は町を乱し、知恵ある者は怒りを静める。

愚かな者は怒りをことごとく表わし、知恵ある者は静かにこれをおさえる。

怒る人は争いを起し、憤る人は多くの罪を犯す。 人の高ぶりはその人を低くし、心にへりくだる者は誉を得る。」

人は感情を持つ生き物ですが、怒りの感情に身を任せてしまう者は、良い結末を迎えることはできません。最悪の事態を招くことのないよう、主から知恵をいただいて怒りの感情をコントロールし、自ら罪を犯すことのないように心掛ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.29.8,11,22-23.ja1955

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箴言 29:18-19
「預言がなければ民はわがままにふるまう、しかし律法を守る者はさいわいである。 しもべは言葉だけで訓練することはできない、彼は聞いて知っても、心にとめないからである。」

元来、人はわがままで、自分本位の存在です。そのような者が自分よりも相手を優先させることができるようになるためには、真理の御言葉によって心開かれ、主の教えに聞き従う他にありません。口先だけの信仰、聞くだけの信仰にとどまらず、自らの行動規範として、主の戒めを守り行う者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/pro.29.18-19.ja1955

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箴言 29:25-27
「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。 治める者の歓心を得ようとする人は多い、しかし人の事を定めるのは主による。 正しい人は不正を行う人を憎み、悪しき者は正しく歩む人を憎む。」

人目をうかがい、権力者にこびへつらって歓心を買うことばかり気にする八方美人な者は、正義と真理から心離れて自ら罠に陥ります。義のために人から嫌われることを恐れてはなりません。人の歩みは主によって定められることを悟り、ただ主なる神様に聞き従って信頼し、永遠の真理を追究して、義の道を真っ直ぐに歩み続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.29.25-27.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/28

2017-12-28 06:35:12 | 今日の聖句
ヘブル人への手紙 4:16
「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」

人は皆、神様の御前に立たされて裁きを受けなければなりませんが、キリストの十字架を信じて罪購われた私たちには、裁きの場が恵みの御座と変わります。私たちの弁護者となってくださる主イエス様を信頼して寄り頼み、神様の御前に大胆に近付く私たちでありますように。

http://bible.com/81/heb.4.16.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/27

2017-12-27 07:37:00 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 28:1
「悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。」

心にやましいことがある者は、疑心暗鬼になり、人目を避け、常に何かに怯えながら生きるようになります。主の御前に罪を告白して悔い改め、罪赦されきよめられ、何人たりとも恐れることのない、堂々とした人生を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.28.1.ja1955

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箴言 28:2, 12, 15-16
「国の罪によって、治める者は多くなり、さとく、また知識ある人によって、国はながく保つ。

正しい者が勝つときは、大いなる栄えがある、悪しき者が起るときは、民は身をかくす。

貧しい民を治める悪いつかさは、ほえるしし、または飢えたくまのようだ。 悟りのないつかさは残忍な圧制者である、不正の利を憎む者は長命を得る。」

自分の義と幸福だけに目を留めて、国の罪に無関心な者は、結局は国と共に滅びることになります。悪しき者が国を支配しないよう、私たちは常に祈りと執り成しを続けなければなりません。国の行く末に大きく影響を及ぼす為政者たちが、主の御前に正しい政治を行うことができるよう、正しく知恵に満ちたリーダーシップを執ることができるように祈り続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.28.2,12,15-16.ja1955

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箴言 28:5-6, 9
「悪人は正しいことを悟らない、主を求める者はこれをことごとく悟る。 正しく歩む貧しい者は、曲った道を歩む富める者にまさる。

耳をそむけて律法を聞かない者は、その祈でさえも憎まれる。」

罪に満ちたこの世に生きる人々は、何が悪であるかも知らぬまま周囲に見習って罪を犯し続ける悪循環に陥っています。主の御言葉に耳を傾けない者は、その祈りさえも忌み嫌われ、神様から見捨てられる他ありません。主なる神様を求め、義と真理を悟るならば、もはや罪を犯し続けることなどできないでしょう。私たちは正しい罪認識を持つことが重要です。

http://bible.com/81/pro.28.5-6,9.ja1955

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箴言 28:10, 18
「正しい者を悪い道に惑わす者は、みずから自分の穴に陥る、しかし誠実な人は幸福を継ぐ。

正しく歩む者は救を得、曲った道に歩む者は穴に陥る。」

自ら罪の道を歩むだけでなく、周りの人々をも惑わして罪に巻き込む悪しき者は、主の厳しい裁きを免れることはできません。主の備えられた正しい義の道を真っ直ぐに歩ませていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.28.10,18.ja1955

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箴言 28:13-14
「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表わしてこれを離れる者は、あわれみをうける。 常に主を恐れる人はさいわいである、心をかたくなにする者は災に陥る。」

罪を罪と認めても、主の御前に告白して悔い改めることをしない心の頑なな者は、永遠の滅びという災いを免れることはできません。常に主を畏れ敬い、罪に気付いたならば直ちに主に告白して悔い改め、主の憐れみを乞い願い、罪から離れてきよい生き方を保つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.28.13-14.ja1955

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箴言 28:19-20, 22
「自分の田地を耕す者は食糧に飽き、無益な事に従う者は貧乏に飽きる。 忠実な人は多くの祝福を得る、急いで富を得ようとする者は罰を免れない。

欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。」

楽をして富を得ようとする怠惰な者、あぶく銭を追い求める者は主から忌み嫌われる者となり、主の祝福を受ける資格はありません。勤勉で実直な生き方こそが神様に喜ばれる生き方です。

http://bible.com/81/pro.28.19-20,22.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/27

2017-12-27 06:35:30 | 今日の聖句
イザヤ書 40:31
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」

人生という長旅を真に生き生きと生きるために必要な心のエネルギー源は、主なる神様を待ち望む希望です。希望は失望に終わることはないと約束された御言葉を頼りとし、永遠に尽きない力を信仰によって与え続けていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.40.31.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/26

2017-12-26 07:30:09 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 27:1-2
「あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ。 自分の口をもって自らをほめることなく、他人にほめさせよ。自分のくちびるをもってせず、ほかの人にあなたをほめさせよ。」

今を誇る者は、明日の我が身をも省みることのできない思慮の浅い者です。人は野に咲く花のような束の間の存在で、明日は草のようにしおれ、栄枯盛衰を繰り返すに過ぎないことを悟り、自ら誇ることなく、むしろ人々から賞賛を得る者となれるように謙虚に徹する私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.27.1-2.ja1955

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箴言 27:3-4
「石は重く、砂も軽くはない、しかし愚かな者の怒りはこの二つよりも重い。 憤りはむごく、怒りははげしい、しかしねたみの前には、だれが立ちえよう。」

怒り、憤り、ねたみなどの負の感情は、私たちの心を抑圧する重石となります。小さな砂粒も集めて袋に入れればサンドバッグのように重くなり、水を含めば石のように固まります。小さな怒りや憤り、些細なねたみを放置するならば、いつしか砕くことのできない、頑なな心となってしまいます。悪しき感情に支配されることなく、常に柔らかな心を保たせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.27.3-4.ja1955

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箴言 27:5-6, 10
「あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。 愛する者が傷つけるのは、まことからであり、あだの口づけするのは偽りからである。

あなたの友、あなたの父の友を捨てるな、あなたが悩みにあう日には兄弟の家に行くな、近い隣り人は遠くにいる兄弟にまさる。」

「遠い親戚より近くの他人」との諺にもあるように、私たちの周囲にいる人々こそ、いざというときの助けになります。信頼に値する友を多く持つことは、実に素晴らしいことです。そのような友は時に厳しく過ちを指摘することがありますが、それは真実な愛に基づく戒めであり、私たちは忠告に謙虚に聞く耳を持たなければなりません。

http://bible.com/81/pro.27.5-6,10.ja1955

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箴言 27:17, 21
「鉄は鉄をとぐ、そのように人はその友の顔をとぐ。

るつぼによって銀をためし、炉によって金をためす、人はその称賛によってためされる。」

互いに切磋琢磨し合い、高め合える友を持つこともまた、素晴らしい恵みです。私たちは試練や厳しい訓練をも、主から与えられたステップアップのチャンスとして、喜んで受け入れるべきです。己を堕落させる現実逃避や試練回避の風潮に流されることなく、何事も積極的に捉えて自らを成長させる原動力とする私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.27.17,21.ja1955

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箴言 27:23-27
「あなたの羊の状態をよく知り、あなたの群れに心をとめよ。 富はいつまでも続くものではない、どうして位が末代までも保つであろうか。 草が刈り取られ、新しい芽がのび、山の牧草も集められると、 小羊はあなたの衣料を出し、やぎは畑を買う価となり、 やぎの乳は多くて、あなたと、あなたの家のものの食物となり、おとめらを養うのにじゅうぶんである。」

現代は大量消費の時代です。私たちは毎日、どれだけのものをただ消費する一方で過ごしているでしょうか? 今のまま消費し続けるだけならば、いずれは蓄えも底をつき、遅かれ早かれ貧困と困窮が待ちかまえています。私たちは次の糧を生み出すことに、もっと精力的に取り組まなければなりません。再生可能な社会という朧気なスローガンをも自分自身の明日のいのちに関わることとして真剣に受け止め、ただ浪費するだけの生活から脱却し、有益なものを生み出す生産性の高い一日一日を送ることに注力する私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.27.23-27.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/26

2017-12-26 06:35:33 | 今日の聖句
イザヤ書 41:10
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」

恐れるな、と私たちに命じられる神様は、必ず私たちと共にいて、私たちを強め、助け、支えてくださると約束してくださいます。「主、我と共にいます」インマヌエルの恵みに感謝しつつ、今日も主に信頼して、大胆に、力強く、勝利の人生を歩ませていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.41.10.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/25

2017-12-25 07:43:50 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 26:1, 8-9
「誉が愚かな者にふさわしくないのは、夏に雪が降り、刈入れの時に雨が降るようなものだ。

誉を愚かな者に与えるのは、石を石投げにつなぐようだ。 愚かな者の口に箴言があるのは、酔った者が、とげのあるつえを手で振り上げるようだ。」

反面教師、あるいは人の振り見て我が振り直せ、という言葉があります。今日の箴言の箇所は、まさに反面教師の連続です。聖書から真理を学ぶ私たちは、決して神様の御心に反する振る舞いをしてはなりません。神様の御心を尋ね求めようとしない愚かな者に人を教え諭す御言葉を語っても、それはただ人を一方的に攻撃する道具にしかならないという戒めに深く反省しきりです。神様の御心はすべての人が生きるようになることです。夏に雪が降り、刈り入れ時に雨が降るような的外れなことをしないように、自らを律したいと願います。

http://bible.com/81/pro.26.1,8-9.ja1955

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箴言 26:17, 19-21
『自分に関係のない争いにたずさわる者は、通りすぎる犬の耳をとらえる者のようだ。

隣り人を欺いて、「わたしはただ戯れにした」という者は、燃え木または矢、または死を、投げつける気違いのようだ。 たきぎがなければ火は消え、人のよしあしを言う者がなければ争いはやむ。 おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように、争いを好む人は争いの火をおこす。』

私たちの周りにも、何かトラブルが発生するとどこからともなくしゃしゃり出てきて、騒ぎを大きくしては無駄な労力を費やさせる人がよくいます。トラブルは解決することが最優先課題で、戯れ者の無益な愉しみの対象としてはなりません。火種は消すもの、火に油を注ぐような愚か者になることのないよう、知恵を正しく働かせる私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.26.17,19-21.ja1955

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箴言 26:22-25
「人のよしあしをいう者の言葉はおいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。 くちびるはなめらかであっても、心の悪いのは上ぐすりをかけた土の器のようだ。 憎む者はくちびるをもって自ら飾るけれども、心のうちには偽りをいだく。 彼が声をやわらげて語っても、信じてはならない。その心に七つの憎むべきものがあるからだ。」

昔も今も、人が何人か集まると、必ずと言っていいほどその場にいない人の悪口や陰口を叩くようなことが起こります。それが発展して、陰湿ないじめや分派など、人間関係を破壊する要因となります。私たちはそのような悪しき者の力に荷担することなく、むしろすべての人々と相和し、人々の心に平和をもたらす者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/pro.26.22-25.ja1955
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【今日の聖句】 2017/12/25

2017-12-25 06:35:14 | 今日の聖句
イザヤ書 9:6
『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。』

キリストの御降誕は、他の誰のためでもない、私のために与えられた神様の恵みです。人の罪を購う犠牲の子羊として、この世に遣わされたいと高き御子イエス様の御降誕を、単なる昔話ではない、今の自分のためとして受け止めて感謝するクリスマスのときとなりますように。

http://bible.com/81/isa.9.6.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/12/24

2017-12-24 15:37:41 | 一日一章・聖書通読日記
箴言 25:1-3
「これらもまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤに属する人々がこれを書き写した。 事を隠すのは神の誉であり、事を窮めるのは王の誉である。 天の高さと地の深さと、王たる者の心とは測ることができない。」

ヒゼキヤはソロモン王の約250年後に南ユダ王国の王となった人物で、国中から偶像礼拝を取り除き、神様の祝福を受けてソロモン時代に匹敵する領地を拡大した、まさに中興の名君です。彼は神の民イスラエルを治める原則をソロモンの知恵に求め、箴言として編纂したものと思われます。ですから国のリーダーシップを担う王や指導者たちに対する戒めの言葉から始まっていることは興味深いです。神の子とされた私たちも人生の基準を神様の御言葉と箴言に求め、真に知恵に満ちた、祝福に与る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/pro.25.1-3.ja1955

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箴言 25:5-7
『王の前から悪しき者を除け、そうすれば、その位は正義によって堅く立つ。 王の前で自ら高ぶってはならない、偉い人の場に立ってはならない。 尊い人の前で下にさげられるよりは、「ここに上がれ」といわれるほうがましだ。』

この箇所はルカによる福音書14:7-11でイエス様が上座を好む宴席の客たちを戒めた内容と一致します。世の人々は少しでも自分が優位に立つことを願い、自分の真の姿よりも「盛って」見栄を張る傾向がありますが、神様の真理を知る私たちは常に謙遜であるべきです。

http://bible.com/81/pro.25.5-7.ja1955

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箴言 25:16-17
「蜜を得たならば、ただ足るほどにこれを食べよ、おそらくは食べすごして、それを吐き出すであろう。 隣り人の家に足をしげくしてはならない、おそらくは彼は煩わしくなって、あなたを憎むようになろう。」

「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺にもあるように、何事も節度を守ることが重要です。心の赴くままに欲望を満たそうとすると、健康や健全な精神を蝕むこととなります。また対人関係においても、「親しき仲にも礼儀あり」との諺のように、礼節を欠く付き合い方は良好な人間関係を破壊します。日常生活においても神様から知恵をいただいて賢く生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.25.16-17.ja1955

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箴言 25:20-22
「心の痛める人の前で歌をうたうのは、寒い日に着物を脱ぐようであり、また傷の上に酢をそそぐようだ。 もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。 こうするのは、火を彼のこうべに積むのである、主はあなたに報いられる。」

慈しみと憐れみに富む神様の子として、時と場をわきまえることも私たちに必要な信仰の訓練です。神様は悲しむ者、弱さを覚える者の味方ですから、人の気持ちも顧みず自分の感情のままに振る舞ったり、傷口に塩を擦り込むような無慈悲な正義を振り回してはなりません。また敵を愛し迫害する者のために祈れと戒められれたイエス様の御言葉のように、悪をもって悪に報いず、かえって善をもって悪に報いることが神様の祝福を受ける秘訣です。

http://bible.com/81/pro.25.20-22.ja1955

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箴言 25:26-28
「正しい者が悪い者の前に屈服するのは、井戸が濁ったよう、また泉がよごれたようなものだ。 蜜を多く食べるのはよくない、ほめる言葉は控え目にするがよい。 自分の心を制しない人は、城壁のない破れた城のようだ。」

たとい私たちは力のない存在であったとしても、魂を悪に売り渡すようなことは決してしてはなりません。目上の人に対しておべっかを使ったり、過剰なリップサービスなどの八方美人な態度は、私たちには相応しくありません。世の光、地の塩として神の義を証することが、神の子とされた私たちに求められている使命です。

http://bible.com/81/pro.25.26-28.ja1955
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