民数記 26:1-14
疫病の後、主はモーセと祭司アロンの子エレアザルとに言われた、 「イスラエルの人々の全会衆の総数をその父祖の家にしたがって調べ、イスラエルにおいて、すべて戦争に出ることのできる二十歳以上の者を数えなさい」。 そこでモーセと祭司エレアザルとは、エリコに近いヨルダンのほとりにあるモアブの平野で彼らに言った、 「主がモーセに命じられたように、あなたがたのうちの二十歳以上の者を数えなさい」。エジプトの地から出てきたイスラエルの人々は次のとおりである。 ルベンはイスラエルの長子である。ルベンの子孫は、ヘノクからヘノクびとの氏族が出、パルからパルびとの氏族が出、 ヘヅロンからヘヅロンびとの氏族が出、カルミからカルミびとの氏族が出た。 これらはルベンびとの氏族であって、数えられた者は四万三千七百三十人であった。 またパルの子はエリアブ。 エリアブの子はネムエル、ダタン、アビラムである。このダタンとアビラムとは会衆のうちから選び出された者で、コラのともがらと共にモーセとアロンとに逆らって主と争った時、 地は口を開いて彼らとコラとをのみ、その仲間は死んだ。その時二百五十人が火に焼き滅ぼされて、戒めの鏡となった。 ただし、コラの子たちは死ななかった。 シメオンの子孫は、その氏族によれば、ネムエルからネムエルびとの氏族が出、ヤミンからヤミンびとの氏族が出、ヤキンからヤキンびとの氏族が出、 ゼラからゼラびとの氏族が出、シャウルからシャウルびとの氏族が出た。 これらはシメオンびとの氏族であって、数えられた者は二万二千二百人であった。
疫病がやんだ後というのは、先の章でミデアン人の女性との不純な関係を持ち、偶像の神々を拝んだために神の怒りを招いて、疫病によって24,000人が主に撃たれた後のことです。主はモーセに、再びイスラエルの人口調査をせよと命じられました。これは40年前にエジプトを出立し、約束の地に向かって歩み出した当初に行われた人口調査以来のことで、これからいざ約束の地に入植するにあたり、平等に土地を配分するための指標ともなる調査でした。ここで40年前の人口調査の結果と比較することで、特にルベン族とシメオン族に、驚くべきことがわかります。
ルベン族 46,500人
→43,730人
----------------
- 2,770人
シメオン族 59,300人
→22,200人
----------------
-37,100人
なんと人口が増えるどころか、両部族とも人数が減っています。特にシメオン族は半数以下と、極めて顕著です。その理由が、きちんと聖書に記されています。ルベン族は、かつてモーセに逆らったコラたちの反乱の際、神の呼び出しに応じずに宿営から出てこなかったダタンとアビラムは、地が裂けて生きながらにして陰府に下り、同時に主の前から出た火によって250人が滅ぼされた出来事が、戒めの鏡として改めて記されています。そしてシメオン族は、冒頭にも出てきたミデアン人の女性による誘惑にまんまと引っかかって、エレアザルの子ピネハスに滅ぼされたジムリが、シメオン族のつかさであったことからも、疫病によって滅ぼされた大多数はシメオン族であったものと推測できます。
この箇所から私たちが学び取ることは、罪の結果は死であるという法則は真実であるということです。具体的な数字で見せられると、それがより確かな証拠として実感することができるでしょう。私たちはイスラエルの失敗の歴史から、多くの教訓を自分のこととして学ばなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.26.1-14.ja1955
*****
民数記 26:15-47
ガドの子孫は、その氏族によれば、ゼポンからゼポンびとの氏族が出、ハギからハギびとの氏族が出、シュニからシュニびとの氏族が出、 オズニからオズニびとの氏族が出、エリからエリびとの氏族が出、 アロドからアロドびとの氏族が出、アレリからアレリびとの氏族が出た。 これらはガドの子孫の氏族であって、数えられた者は四ジムリ五百人であった。 ユダの子らはエルとオナンとであって、エルとオナンとはカナンの地で死んだ。 ユダの子孫は、その氏族によれば、シラからシラびとの氏族が出、ペレヅからペレヅびとの氏族が出、ゼラからゼラびとの氏族が出た。 ペレヅの子孫は、ヘヅロンからヘヅロンびとの氏族が出、ハムルからハムルびとの氏族が出た。 これらはユダの氏族であって、数えられた者は七万六千五百人であった。 イッサカルの子孫は、その氏族によれば、トラからトラびとの氏族が出、プワからプワびとの氏族が出、 ヤシュブからヤシュブびとの氏族が出、シムロンからシムロンびとの氏族が出た。 これらはイッサカルの氏族であって、数えられた者は六万四千三百人であった。 ゼブルンの子孫は、その氏族によれば、セレデからセレデびとの氏族が出、エロンからエロンびとの氏族が出、ヤリエルからヤリエルびとの氏族が出た。 これらはゼブルンびとの氏族であって、数えられた者は六万五百人であった。 ヨセフの子らは、その氏族によれば、マナセとエフライムとであって、 マナセの子孫は、マキルからマキルびとの氏族が出た。マキルからギレアデが生れ、ギレアデからギレアデびとの氏族が出た。 ギレアデの子孫は次のとおりである。イエゼルからイエゼルびとの氏族が出、ヘレクからヘレクびとの氏族が出、 アスリエルからアスリエルびとの氏族が出、シケムからシケムびとの氏族が出、 セミダからセミダびとの氏族が出、ヘペルからヘペルびとの氏族が出た。 ヘペルの子ゼロペハデには男の子がなく、ただ女の子のみで、ゼロペハデの女の子の名はマアラ、ノア、ホグラ、ミルカ、テルザといった。 これらはマナセの氏族であって、数えられた者は五万二千七百人であった。 エフライムの子孫は、その氏族によれば、次のとおりである。シュテラからはシュテラびとの氏族が出、ベケルからベケルびとの氏族が出、タハンからタハンびとの氏族が出た。 またシュテラの子孫は次のとおりである。すなわちエランからエランびとの氏族が出た。 これらはエフライムの子孫の氏族であって、数えられた者は三万二千五百人であった。以上はヨセフの子孫で、その氏族によるものである。 ベニヤミンの子孫は、その氏族によれば、ベラからベラびとの氏族が出、アシベルからアシベルびとの氏族が出、アヒラムからアヒラムびとの氏族が出、 シュパムからシュパムびとの氏族が出、ホパムからホパムびとの氏族が出た。 ベラの子はアルデとナアマンとであって、アルデからアルデびとの氏族が出、ナアマンからナアマンびとの氏族が出た。 これらはベニヤミンの子孫であって、その氏族によれば数えられた者は四万五千六百人であった。 ダンの子孫は、その氏族によれば、次のとおりである。シュハムからシュハムびとの氏族が出た。これらはダンの氏族であって、その氏族によるものである。 シュハムびとのすべての氏族のうち、数えられた者は六万四千四百人であった。 アセルの子孫は、その氏族によれば、エムナからエムナびとの氏族が出、エスイからエスイびとの氏族が出、ベリアからベリアびとの氏族が出た。 ベリアの子孫のうちヘベルからヘベルびとの氏族が出、マルキエルからマルキエルびとの氏族が出た。 アセルの娘の名はサラといった。 これらはアセルの子孫の氏族であって、数えられた者は五万三千四百人であった。 ナフタリの子孫は、その氏族によれば、ヤジエルからヤジエルびとの氏族が出、グニからグニびとの氏族が出、 エゼルからエゼルびとの氏族が出、シレムからシレムびとの氏族が出た。 これらはナフタリの氏族であって、その氏族により、数えられた者は四万五千四百人であった。 これらはイスラエルの子孫の数えられた者であって、六十万一千七百三十人であった。
残りの10部族については、一気に比較表を見てみましょう。
ガド族 45,650人
→40,500人
----------------
- 5,150人
ユダ族 74,600人
→76,500人
----------------
+ 1,900人
イッサカル族 54,400人
→64,300人
----------------
+ 9,900人
ゼブルン族 57,500人
→60,500人
----------------
+ 3,000人
マナセ族 32,200人
→52,700人
----------------
+20,300人
エフライム族 40,500人
→32,500人
----------------
- 8,000人
ベニヤミン族 35,400人
→45,600人
----------------
+10,200人
ダン族 62,700人
→64,400人
----------------
+ 1,700人
アセル族 41,500人
→53,400人
----------------
+11,900人
ナフタリ族 53,400人
→45,400人
----------------
- 8,000人
この結果から、人口が増えた部族もあれば、減少した部族もあることがわかります。基本的には、神に対してつぶやいた者は、荒野での40年の放浪の中で篩に掛けられ、人数が減っていることがわかります。そしてイスラエル全体で見分けると、神に聞き従うならば大いに祝福され、神に言い逆らうならば滅び行くことです。そしてイスラエル全体の集計結果は、
合計 603,550人
→601,730人
----------------
- 1,820人
と、減少に転じています。これは「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と人にお命じになった神の望まれた姿と大きく異なるものであり、神の約束を信じず、罪を犯し、またつぶやいた人々は皆、荒野を放浪した40年間によって死に絶えるという、実に厳しい結果をもたらしました。私たちはこの教訓から学び、神の祝福を受け継ぐ者となるために、神を信じ、御言葉に忠実に聞き従うことを徹底しなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.26.15-51.ja1955
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民数記 26:52-65
主はモーセに言われた、 「これらの人々に、その名の数にしたがって地を分け与え、嗣業とさせなさい。 大きい部族には多くの嗣業を与え、小さい部族には少しの嗣業を与えなさい。すなわち数えられた数にしたがって、おのおのの部族にその嗣業を与えなければならない。 ただし地は、くじをもって分け、その父祖の部族の名にしたがって、それを継がなければならない。 すなわち、くじをもってその嗣業を大きいものと、小さいものとに分けなければならない」。 レビびとのその氏族にしたがって数えられた者は次のとおりである。ゲルションからゲルションびとの氏族が出、コハテからコハテびとの氏族が出、メラリからメラリびとの氏族が出た。 レビの氏族は次のとおりである。すなわちリブニびとの氏族、ヘブロンびとの氏族、マヘリびとの氏族、ムシびとの氏族、コラびとの氏族であって、コハテからアムラムが生れた。 アムラムの妻の名はヨケベデといって、レビの娘である。彼女はエジプトでレビに生れた者であるが、アムラムにとついで、アロンとモーセおよびその姉妹ミリアムを産んだ。 アロンにはナダブ、アビウ、エレアザルおよびイタマルが生れた。 ナダブとアビウは異火を主の前にささげた時に死んだ。 その数えられた一か月以上のすべての男子は二万三千人であった。彼らはイスラエルの人々のうちに嗣業を与えられなかったため、イスラエルの人々のうちに数えられなかった者である。 これらはモーセと祭司エレアザルが、エリコに近いヨルダンのほとりにあるモアブの平野で数えたイスラエルの人々の数である。 ただしそのうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエルの人々を数えた時に数えられた者はひとりもなかった。 それは主がかつて彼らについて「彼らは必ず荒野で死ぬであろう」と言われたからである。それで彼らのうちエフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほか、ひとりも残った者はなかった。
神は人口調査を終えたモーセに、部族ごとの人数に応じて、くじにより公平に、約束の地を分配するようにと命じられました。ただし、レビ部族だけは、生後一ヶ月以上の男子が人口調査の対象となりました。なぜならレビ族は、イスラエルの長子の代わりに神のものとされ、神に仕えることが嗣業となったからです。こうしてモアブの平野で人数を数えられた者は、エフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアの他は、約束の地に入ることができなかったことが、確かな記録として残されました。神に信頼する者は祝福を受けますが、神に向かってつぶやく者の行く末は死という厳しい現実を、私たちは直視しなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.26.52-65.ja1955
疫病の後、主はモーセと祭司アロンの子エレアザルとに言われた、 「イスラエルの人々の全会衆の総数をその父祖の家にしたがって調べ、イスラエルにおいて、すべて戦争に出ることのできる二十歳以上の者を数えなさい」。 そこでモーセと祭司エレアザルとは、エリコに近いヨルダンのほとりにあるモアブの平野で彼らに言った、 「主がモーセに命じられたように、あなたがたのうちの二十歳以上の者を数えなさい」。エジプトの地から出てきたイスラエルの人々は次のとおりである。 ルベンはイスラエルの長子である。ルベンの子孫は、ヘノクからヘノクびとの氏族が出、パルからパルびとの氏族が出、 ヘヅロンからヘヅロンびとの氏族が出、カルミからカルミびとの氏族が出た。 これらはルベンびとの氏族であって、数えられた者は四万三千七百三十人であった。 またパルの子はエリアブ。 エリアブの子はネムエル、ダタン、アビラムである。このダタンとアビラムとは会衆のうちから選び出された者で、コラのともがらと共にモーセとアロンとに逆らって主と争った時、 地は口を開いて彼らとコラとをのみ、その仲間は死んだ。その時二百五十人が火に焼き滅ぼされて、戒めの鏡となった。 ただし、コラの子たちは死ななかった。 シメオンの子孫は、その氏族によれば、ネムエルからネムエルびとの氏族が出、ヤミンからヤミンびとの氏族が出、ヤキンからヤキンびとの氏族が出、 ゼラからゼラびとの氏族が出、シャウルからシャウルびとの氏族が出た。 これらはシメオンびとの氏族であって、数えられた者は二万二千二百人であった。
疫病がやんだ後というのは、先の章でミデアン人の女性との不純な関係を持ち、偶像の神々を拝んだために神の怒りを招いて、疫病によって24,000人が主に撃たれた後のことです。主はモーセに、再びイスラエルの人口調査をせよと命じられました。これは40年前にエジプトを出立し、約束の地に向かって歩み出した当初に行われた人口調査以来のことで、これからいざ約束の地に入植するにあたり、平等に土地を配分するための指標ともなる調査でした。ここで40年前の人口調査の結果と比較することで、特にルベン族とシメオン族に、驚くべきことがわかります。
ルベン族 46,500人
→43,730人
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- 2,770人
シメオン族 59,300人
→22,200人
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-37,100人
なんと人口が増えるどころか、両部族とも人数が減っています。特にシメオン族は半数以下と、極めて顕著です。その理由が、きちんと聖書に記されています。ルベン族は、かつてモーセに逆らったコラたちの反乱の際、神の呼び出しに応じずに宿営から出てこなかったダタンとアビラムは、地が裂けて生きながらにして陰府に下り、同時に主の前から出た火によって250人が滅ぼされた出来事が、戒めの鏡として改めて記されています。そしてシメオン族は、冒頭にも出てきたミデアン人の女性による誘惑にまんまと引っかかって、エレアザルの子ピネハスに滅ぼされたジムリが、シメオン族のつかさであったことからも、疫病によって滅ぼされた大多数はシメオン族であったものと推測できます。
この箇所から私たちが学び取ることは、罪の結果は死であるという法則は真実であるということです。具体的な数字で見せられると、それがより確かな証拠として実感することができるでしょう。私たちはイスラエルの失敗の歴史から、多くの教訓を自分のこととして学ばなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.26.1-14.ja1955
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民数記 26:15-47
ガドの子孫は、その氏族によれば、ゼポンからゼポンびとの氏族が出、ハギからハギびとの氏族が出、シュニからシュニびとの氏族が出、 オズニからオズニびとの氏族が出、エリからエリびとの氏族が出、 アロドからアロドびとの氏族が出、アレリからアレリびとの氏族が出た。 これらはガドの子孫の氏族であって、数えられた者は四ジムリ五百人であった。 ユダの子らはエルとオナンとであって、エルとオナンとはカナンの地で死んだ。 ユダの子孫は、その氏族によれば、シラからシラびとの氏族が出、ペレヅからペレヅびとの氏族が出、ゼラからゼラびとの氏族が出た。 ペレヅの子孫は、ヘヅロンからヘヅロンびとの氏族が出、ハムルからハムルびとの氏族が出た。 これらはユダの氏族であって、数えられた者は七万六千五百人であった。 イッサカルの子孫は、その氏族によれば、トラからトラびとの氏族が出、プワからプワびとの氏族が出、 ヤシュブからヤシュブびとの氏族が出、シムロンからシムロンびとの氏族が出た。 これらはイッサカルの氏族であって、数えられた者は六万四千三百人であった。 ゼブルンの子孫は、その氏族によれば、セレデからセレデびとの氏族が出、エロンからエロンびとの氏族が出、ヤリエルからヤリエルびとの氏族が出た。 これらはゼブルンびとの氏族であって、数えられた者は六万五百人であった。 ヨセフの子らは、その氏族によれば、マナセとエフライムとであって、 マナセの子孫は、マキルからマキルびとの氏族が出た。マキルからギレアデが生れ、ギレアデからギレアデびとの氏族が出た。 ギレアデの子孫は次のとおりである。イエゼルからイエゼルびとの氏族が出、ヘレクからヘレクびとの氏族が出、 アスリエルからアスリエルびとの氏族が出、シケムからシケムびとの氏族が出、 セミダからセミダびとの氏族が出、ヘペルからヘペルびとの氏族が出た。 ヘペルの子ゼロペハデには男の子がなく、ただ女の子のみで、ゼロペハデの女の子の名はマアラ、ノア、ホグラ、ミルカ、テルザといった。 これらはマナセの氏族であって、数えられた者は五万二千七百人であった。 エフライムの子孫は、その氏族によれば、次のとおりである。シュテラからはシュテラびとの氏族が出、ベケルからベケルびとの氏族が出、タハンからタハンびとの氏族が出た。 またシュテラの子孫は次のとおりである。すなわちエランからエランびとの氏族が出た。 これらはエフライムの子孫の氏族であって、数えられた者は三万二千五百人であった。以上はヨセフの子孫で、その氏族によるものである。 ベニヤミンの子孫は、その氏族によれば、ベラからベラびとの氏族が出、アシベルからアシベルびとの氏族が出、アヒラムからアヒラムびとの氏族が出、 シュパムからシュパムびとの氏族が出、ホパムからホパムびとの氏族が出た。 ベラの子はアルデとナアマンとであって、アルデからアルデびとの氏族が出、ナアマンからナアマンびとの氏族が出た。 これらはベニヤミンの子孫であって、その氏族によれば数えられた者は四万五千六百人であった。 ダンの子孫は、その氏族によれば、次のとおりである。シュハムからシュハムびとの氏族が出た。これらはダンの氏族であって、その氏族によるものである。 シュハムびとのすべての氏族のうち、数えられた者は六万四千四百人であった。 アセルの子孫は、その氏族によれば、エムナからエムナびとの氏族が出、エスイからエスイびとの氏族が出、ベリアからベリアびとの氏族が出た。 ベリアの子孫のうちヘベルからヘベルびとの氏族が出、マルキエルからマルキエルびとの氏族が出た。 アセルの娘の名はサラといった。 これらはアセルの子孫の氏族であって、数えられた者は五万三千四百人であった。 ナフタリの子孫は、その氏族によれば、ヤジエルからヤジエルびとの氏族が出、グニからグニびとの氏族が出、 エゼルからエゼルびとの氏族が出、シレムからシレムびとの氏族が出た。 これらはナフタリの氏族であって、その氏族により、数えられた者は四万五千四百人であった。 これらはイスラエルの子孫の数えられた者であって、六十万一千七百三十人であった。
残りの10部族については、一気に比較表を見てみましょう。
ガド族 45,650人
→40,500人
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- 5,150人
ユダ族 74,600人
→76,500人
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+ 1,900人
イッサカル族 54,400人
→64,300人
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+ 9,900人
ゼブルン族 57,500人
→60,500人
----------------
+ 3,000人
マナセ族 32,200人
→52,700人
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+20,300人
エフライム族 40,500人
→32,500人
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- 8,000人
ベニヤミン族 35,400人
→45,600人
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+10,200人
ダン族 62,700人
→64,400人
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+ 1,700人
アセル族 41,500人
→53,400人
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+11,900人
ナフタリ族 53,400人
→45,400人
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- 8,000人
この結果から、人口が増えた部族もあれば、減少した部族もあることがわかります。基本的には、神に対してつぶやいた者は、荒野での40年の放浪の中で篩に掛けられ、人数が減っていることがわかります。そしてイスラエル全体で見分けると、神に聞き従うならば大いに祝福され、神に言い逆らうならば滅び行くことです。そしてイスラエル全体の集計結果は、
合計 603,550人
→601,730人
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- 1,820人
と、減少に転じています。これは「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と人にお命じになった神の望まれた姿と大きく異なるものであり、神の約束を信じず、罪を犯し、またつぶやいた人々は皆、荒野を放浪した40年間によって死に絶えるという、実に厳しい結果をもたらしました。私たちはこの教訓から学び、神の祝福を受け継ぐ者となるために、神を信じ、御言葉に忠実に聞き従うことを徹底しなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.26.15-51.ja1955
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民数記 26:52-65
主はモーセに言われた、 「これらの人々に、その名の数にしたがって地を分け与え、嗣業とさせなさい。 大きい部族には多くの嗣業を与え、小さい部族には少しの嗣業を与えなさい。すなわち数えられた数にしたがって、おのおのの部族にその嗣業を与えなければならない。 ただし地は、くじをもって分け、その父祖の部族の名にしたがって、それを継がなければならない。 すなわち、くじをもってその嗣業を大きいものと、小さいものとに分けなければならない」。 レビびとのその氏族にしたがって数えられた者は次のとおりである。ゲルションからゲルションびとの氏族が出、コハテからコハテびとの氏族が出、メラリからメラリびとの氏族が出た。 レビの氏族は次のとおりである。すなわちリブニびとの氏族、ヘブロンびとの氏族、マヘリびとの氏族、ムシびとの氏族、コラびとの氏族であって、コハテからアムラムが生れた。 アムラムの妻の名はヨケベデといって、レビの娘である。彼女はエジプトでレビに生れた者であるが、アムラムにとついで、アロンとモーセおよびその姉妹ミリアムを産んだ。 アロンにはナダブ、アビウ、エレアザルおよびイタマルが生れた。 ナダブとアビウは異火を主の前にささげた時に死んだ。 その数えられた一か月以上のすべての男子は二万三千人であった。彼らはイスラエルの人々のうちに嗣業を与えられなかったため、イスラエルの人々のうちに数えられなかった者である。 これらはモーセと祭司エレアザルが、エリコに近いヨルダンのほとりにあるモアブの平野で数えたイスラエルの人々の数である。 ただしそのうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエルの人々を数えた時に数えられた者はひとりもなかった。 それは主がかつて彼らについて「彼らは必ず荒野で死ぬであろう」と言われたからである。それで彼らのうちエフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほか、ひとりも残った者はなかった。
神は人口調査を終えたモーセに、部族ごとの人数に応じて、くじにより公平に、約束の地を分配するようにと命じられました。ただし、レビ部族だけは、生後一ヶ月以上の男子が人口調査の対象となりました。なぜならレビ族は、イスラエルの長子の代わりに神のものとされ、神に仕えることが嗣業となったからです。こうしてモアブの平野で人数を数えられた者は、エフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアの他は、約束の地に入ることができなかったことが、確かな記録として残されました。神に信頼する者は祝福を受けますが、神に向かってつぶやく者の行く末は死という厳しい現実を、私たちは直視しなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.26.52-65.ja1955