伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/01/31

2017-01-31 07:55:56 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 23:1-3
「そこで王は人をつかわしてユダとエルサレムの長老たちをことごとく集めた。 そして王はユダのもろもろの人々と、エルサレムのすべての住民および祭司、預言者ならびに大小のすべての民を従えて主の宮にのぼり、主の宮で見つかった契約の書の言葉をことごとく彼らに読み聞かせた。 次いで王は柱のかたわらに立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、心をつくし精神をつくして、主の戒めと、あかしと、定めとを守り、この書物にしるされているこの契約の言葉を行うことを誓った。民は皆その契約に加わった。」

ヨシヤ王はユダとエルサレムの長老たちをはじめ、国中の人々を従えて主の宮に上り、神殿修繕の際に発見されたモーセの契約の書をすべての民に読み聞かせ、自ら率先して主と契約を立て、心を尽くし精神を尽くして主の御言葉を守り行うことを誓いました。ユダとエルサレムの民たちもまたヨシヤ王に倣い、主の契約に加わりました。真のリーダーとは、すべての民を正しく導くために、自ら率先して罪を悔い改め、聖書に記された義の戒めを守り行うことを堅く誓い、人々に模範を示す人です。私たちもまた神の義を守り行うキリスト者として人々の前に証を立て、世の人々を罪の悔い改めへと導く者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.23.1-3.ja1955

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列王紀下 23:4-7, 10-12
「こうして王は大祭司ヒルキヤと、それに次ぐ祭司たちおよび門を守る者どもに命じて、主の神殿からバアルとアシラと天の万象とのために作ったもろもろの器を取り出させ、エルサレムの外のキデロンの野でそれを焼き、その灰をベテルに持って行かせた。 また、ユダの町々とエルサレムの周囲にある高き所で香をたくためにユダの王たちが任命した祭司たちを廃し、またバアルと日と月と星宿と天の万象とに香をたく者どもをも廃した。 彼はまた主の宮からアシラ像を取り出し、エルサレムの外のキデロン川に持って行って、キデロン川でそれを焼き、それを打ち砕いて粉とし、その粉を民の墓に投げすてた。 また主の宮にあった神殿男娼の家をこわした。そこは女たちがアシラ像のために掛け幕を織る所であった。

王はまた、だれもそのむすこ娘を火に焼いて、モレクにささげ物とすることのないように、ベンヒンノムの谷にあるトペテを汚した。 またユダの王たちが太陽にささげて主の宮の門に置いた馬を、境内にある侍従ナタンメレクのへやのかたわらに移し、太陽の車を火で焼いた。 また王はユダの王たちがアハズの高殿の屋上に造った祭壇と、マナセが主の宮の二つの庭に造った祭壇とをこわして、それを打ち砕き、砕けたものをキデロン川に投げすてた。」

主の御言葉を堅く守り行うことを誓ったヨシヤ王は、口先だけの信仰ではなく、有言実行する真のリーダーでした。彼は直ちにユダの国中から偶像礼拝と異教の神々を取り除き、再び民が主の前に罪を犯すことのないように徹底的に破壊して火で焼き払いました。御言葉を聞いたならば、言い訳せず直ちに実行することが私たちに必要な真の信仰者としての態度です。

http://bible.com/81/2ki.23.4-7,10-12.ja1955

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列王紀下 23:8, 15, 19
「彼はまたユダの町々から祭司をことごとく召しよせ、また祭司が香をたいたゲバからベエルシバまでの高き所を汚し、また門にある高き所をこわした。これらの高き所は町のつかさヨシュアの門の入口にあり、町の門にはいる人の左にあった。

また、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムが造った高き所、すなわちその祭壇と高き所とを彼はこわし、その石を打ち砕いて粉とし、かつアシラ像を焼いた。

またイスラエルの王たちがサマリヤの町々に造って、主を怒らせた高き所の家も皆ヨシヤは取り除いて、彼がすべてベテルに行ったようにこれに行った。」

ヨシヤ王の信仰刷新は徹底的で、ダビデ王以降のすべてのイスラエルとユダの王たちが為し得なかった高き所での礼拝、すなわち神様の定められた方法とは異なる礼拝をも完全に取り除きました。現代のキリスト教界では、コンビニ礼拝とも呼ばれる、自分にとって都合の良い方法で神様を礼拝することが当たり前のように行われている現実があります。たとえばアメリカでは、病気や高齢で体が動かないわけでもないのに自ら教会に出掛けるのではなく、リビングで寝そべりながらテレビ放送を見るだけで礼拝した気分になっている人も多いそうです。そのような都合の良い礼拝を、神様が喜ばれるでしょうか。私たちは教会で礼拝を捧げることの大切さを決して疎かにしてはなりません。

http://bible.com/81/2ki.23.8,15,19.ja1955

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列王紀下 23:21-25
「そして王はすべての民に命じて、「あなたがたはこの契約の書にしるされているように、あなたがたの神、主に過越の祭を執り行いなさい」と言った。 さばきづかさがイスラエルをさばいた日からこのかた、またイスラエルの王たちとユダの王たちの世にも、このような過越の祭を執り行ったことはなかったが、 ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越の祭を主に執り行ったのである。 ヨシヤはまた祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物にしるされている律法の言葉を確実に行うために、口寄せと占い師と、テラピムと偶像およびユダの地とエルサレムに見られるもろもろの憎むべき者を取り除いた。 ヨシヤのように心をつくし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法にしたがい、主に寄り頼んだ王はヨシヤの先にはなく、またその後にも彼のような者は起らなかった。」

ヨシヤ王は更に、士師の時代以降、誰も行わなかったほどの大規模な過越の祭を行いました。ここでヨシヤが執り行ったのが、単なる燔祭でも、酬恩祭でも、感謝祭でもなく、罪からの解放を記念する過越の祭りであったことが重要です。これは今の教会で言うならば主イエス様の十字架による罪の購いです。私たちの一番大切な信仰は十字架です。この信仰の故にヨシヤ王は、彼に並ぶほど心を尽くして主の御心に従った王は後にも先にも起こらなかったと記されています。私たちもまた神様の目に、ヨシヤ王のように心を尽くして従った者はなかったと呼ばれるほどの信仰者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.23.21-25.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/31

2017-01-31 06:50:51 | 今日の聖句
詩篇 55:22
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」

たとい人に裏切られても、私たちの肩には重すぎる荷を委ねることのできる主が共にいてくださいますから感謝いたします。悪しき者とくびきを共にせず正義を愛される主の戒めを堅く守り行い、主の御手に支えられて揺るぐことのない確かな生涯を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.55.22.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/01/30

2017-01-30 07:55:23 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 22:1-2
「ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。 ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。」

南ユダ王国は、主に聞き従う善王と、主に逆らい偶像礼拝を行う悪王が交互に出てくる、不思議な歴史をたどります。これは黙示録に記されている世の終わりの兆候にも似ているように思えます。善王ヒゼキヤの後、南ユダ王国を偶像礼拝とあらゆる罪で満たした悪王マナセとアモンを経て、再び主に全き心で聞き従うヨシヤ王が立てられました。ヨシヤは幼くして王となりましたが、主の目に適うことを行い、ダビデのような心で右にも左にも曲がらない信仰の持ち主でした。世の終わりに必要なものは、世の罪に染まることなく主の御言葉を忠実に守り行うきよい信仰です。

http://bible.com/81/2ki.22.1-2.ja1955

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列王紀下 22:3-5, 7
『ヨシヤ王の第十八年に王はメシュラムの子アザリヤの子である書記官シャパンを主の宮につかわして言った、 「大祭司ヒルキヤのもとへのぼって行って、主に宮にはいってきた銀、すなわち門を守る者が民から集めたものの総額を彼に数えさせ、 それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡させ、彼らから主の宮で工事をする者にそれを渡して、宮の破れを繕わせなさい。

ただし彼らは正直に事を行うから、彼らに渡した銀については彼らと計算するに及ばない」。』

ヨシヤ王が成人し、その治世が確立したとき、マナセ王によって荒らされた主の宮の修復に取りかかりました。主イエス様の十字架を信じて救われても、心の中にある主の宮は罪の生活で荒らされたままになっていないでしょうか。私たちは自分の生活が安定すればそれで良しとする利己的な自己満足に陥ることなく、主の御名が置かれる教会と、自らの心の内に住まう聖霊様の留まる主の宮を繕い、守り続けなければなりません。

そして宮大工たちはヨアシ王の神殿修復のときと変わらず、経費を偽ることなく正直に仕事をしました。私たちも神様の御前に誠実に歩み、主から全幅の信頼を寄せられる信仰生活を送る者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.22.3-5,7.ja1955

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列王紀下 22:8
『その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。』

ヨシヤ王の神殿修復の際に、主の宮からモーセの律法の書が発見されました。これはおそらくレビ記か申命記ではないかといわれています。驚くべきことは、神の国であるイスラエルで、それまで長い間、律法の書がその存在すら知られないまま放置されていたことです。私たちにとっても、聖書は持っていても、読まずに本棚に積まれたまま、あるいは鞄の中に入りっ放しになっていては、それこそ宝の持ち腐れです。私たちは生ける神の御言葉である聖書を、もっと真剣に読まなければなりません。

http://bible.com/81/2ki.22.8.ja1955

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列王紀下 22:8, 11-13
『王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。 そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。』

律法の書を読み聞かされたヨシヤ王は、その場で衣を引き裂いて悔い改め、主の御心を尋ね求めるために、祭司と、家臣と、国政を司る重鎮たちを、直ちに預言者の下に遣わしました。聖書の御言葉は聞く者に霊的覚醒をもたらす力があります。御言葉を聞いたならば直ちに悔い改め、主の御心を尋ね、憐れみを乞い求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.22.11-13.ja1955

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列王紀下 22:14-17
「そこで祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャパンおよびアサヤはシャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。シャルムはハルハスの子であるテクワの子で、衣装べやを守る者であった。その時ホルダはエルサレムの下町に住んでいた。彼らがホルダに告げたので、 ホルダは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。 主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災をこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。 彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう』。」

女預言者ホルダは、ヨシヤ王から遣わされた国の要人たちに、マナセ王の悪行によって決定的となったユダ王国に対する裁きは変わらないことを告げました。ここで重要なことは、神様はその人の社会的地位や階級、貧富の差、性別に関係なく、へりくだって主の御言葉に聞き従う者を用いられるということです。自分の置かれた立場に安住することなく、常にへりくだった心で神様の権威の前にひざまづく私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.22.14-17.ja1955

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列王紀下 22:18-20
「ただし主に尋ねるために、あなたがたをつかわしたユダの王にはこう言いなさい、『あなたが聞いた言葉についてイスラエルの神、主はこう仰せられます、 あなたは、わたしがこの所と、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いた時、心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ、わたしもまたあなたの言うことを聞いたのであると主は言われる。 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう』」。彼らはこの言葉を王に持ち帰った。

女預言者ホルダは、律法の書を読んで悔い改め、直ちに神様の御心を問うために重臣たちを遣わしたヨシヤ王に対して、ユダの国に対する裁きはその治世の間はとどめることを約束されました。神様はへりくだって主の御言葉に聞き従う者に対しては裁きを行われない、憐れみ深いお方です。

http://bible.com/81/2ki.22.18-20.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/30

2017-01-30 06:48:13 | 今日の聖句
マルコによる福音書 11:24
「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」

主イエスの御名による祈りには、希望を現実に変える力があります。空しい理想を追い求める夢想家になるのではなく、まだ実現していない事実を必ず起こると信じて祈り続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/mrk.11.24.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/01/29

2017-01-29 09:42:55 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 21:1-2
「マナセは十二歳で王となり、五十五年の間、エルサレムで世を治めた。母の名はヘフジバといった。 マナセは主がイスラエルの人々の前から追い払われた国々の民の憎むべきおこないにならって、主の目の前に悪をおこなった。」

南ユダ王国の中興の名君ヒゼキヤの子マナセは、父の行った数々の義に逆らい、むしろ父の善い行いを帳消しにするほどの大罪をユダ王国にもたらしました。マナセは12歳で王となったとありますから、もしヒゼキヤが神様の定められたように不治の病にかかって死に、その齢を15年延ばしていただかなかったならば、ユダ王国の歴史上、最悪の王マナセは生まれてこなかったのです。ですからこれは、この世のいのちにこだわり、自分の願望を叶えるために自らの功績を訴えて祈り、自分の生きている間だけ平安であればよいと考えたヒゼキヤ王の身勝手が引き起こした結果とも言えます。私たちは決して自己満足の信仰に陥ることなく、ただ神様の御心に従い、自分の栄光よりも永遠の祝福を心から願い求める者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.21.1-2.ja1955

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列王紀下 21:3-6
「彼は父ヒゼキヤがこわした高き所を建て直し、またイスラエルの王アハブがしたようにバアルのために祭壇を築き、アシラ像を造り、かつ天の万象を拝んで、これに仕えた。 また主の宮のうちに数個の祭壇を築いた。これは主が「わたしの名をエルサレムに置こう」と言われたその宮である。 彼はまた主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。 またその子を火に焼いてささげ物とし、占いをし、魔術を行い、口寄せと魔法使を用い、主の目の前に多くの悪を行って、主の怒りを引き起した。」

マナセの行った罪の数々が記されています。彼は父ヒゼキヤが打ち壊した高き所での誤った礼拝を建て直したばかりか、北イスラエル王国で最悪の王として名高いアハブに倣ってバアルの祭壇とアシラ像を築き、事もあろうに主の宮に異教の祭壇を築き、主がイスラエルの前から追いやられたカナンの先住民たちに倣ってその子を火に焼いたり、占いや魔術、死者の霊を呼び起こすなどの悪行の限りを尽くしたため、主はマナセに対して怒りを引き起こされました。

マナセの行った罪の数々、神様がついに怒りを引き起こした悪しき行いの数々を見て、これらはまさに今の日本の状況と全く同じではないでしょうか。八百万の偶像の神々が祀られるばかりか、この世での繁栄と幸せだけを追求する新興宗教が続々と起こり、教会の中にまで祝福や癒しを追い求める風潮が蔓延し、幼児虐待、占い、スピリチュアルと称する魔術もどきやオカルトが横行する今の日本に危機感を抱かざるを得ません。この国がこれ以上罪を重ねないよう、今こそクリスチャンが真剣に祈り、福音を広く宣べ伝えなければなりません。

http://bible.com/81/2ki.21.3-6.ja1955

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列王紀下 21:7-9
『彼はまたアシラの彫像を作って主の宮に置いた。主はこの宮についてダビデとその子ソロモンに言われたことがある、「わたしはこの宮と、わたしがイスラエルのすべての部族のうちから選んだエルサレムとに、わたしの名を永遠に置く。 もし、彼らがわたしが命じたすべての事、およびわたしのしもべモーセが命じたすべての律法を守り行うならば、イスラエルの足を、わたしが彼らの先祖たちに与えた地から、重ねて迷い出させないであろう」。 しかし彼らは聞きいれなかった。マナセが人々をいざなって悪を行ったことは、主がイスラエルの人々の前に滅ぼされた国々の民よりもはなはだしかった。』

ソロモンが神殿を建てた際、その栄光ある御名を置くと言われた主の宮に、マナセはアシラ像を置いて、自分のみならずイスラエルの民衆にも偶像礼拝を奨励して広く行わせた罪は、イスラエルによって滅ぼされたどの国々よりも甚だしい悪となりました。罪からの救いを経験し、主の御言葉と戒めを知る者が再び罪を犯すならば、主の御言葉を知らない人々が罪を犯すよりもはるかにその罪は大きいことを、私たちは忘れてはなりません。

http://bible.com/81/2ki.21.7-9.ja1955

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列王紀下 21:10-14
『そこで主はそのしもべである預言者たちによって言われた、 「ユダの王マナセがこれらの憎むべき事を行い、彼の先にあったアモリびとの行ったすべての事よりも悪い事を行い、またその偶像をもってユダに罪を犯させたので、 イスラエルの神、主はこう仰せられる、見よ、わたしはエルサレムとユダに災をくだそうとしている。これを聞く者は、その耳が二つながら鳴るであろう。 わたしはサマリヤをはかった測りなわと、アハブの家に用いた下げ振りをエルサレムにほどこし、人が皿をぬぐい、これをぬぐって伏せるように、エルサレムをぬぐい去る。 わたしは、わたしの嗣業の民の残りを捨て、彼らを敵の手に渡す。彼らはもろもろの敵のえじきとなり、略奪にあうであろう。」』

マナセがユダに犯させた罪の大きさの故に、主はかつて北イスラエル王国が主に従わなかったためにアッスリヤ帝国に滅ぼされたように、南ユダ王国を捨て去って裁くことに定められたことを預言者の口を通して警告されました。ユダの人々に向かって預言者たちが罪のもたらす悲劇的な結末を語ったように、聖書は私たちにも罪を犯し続ける者は必ず裁かれることを明確に告げています。今、悔い改めの機会があるうちに自らの信仰の状態を見つめ直し、罪を離れて御言葉に聞き従う人生へと方向転換する私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.21.10-14.ja1955

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列王紀下 21:16-17
「マナセはまた主の目の前に悪を行って、ユダに罪を犯させたその罪のほかに、罪なき者の血を多く流して、エルサレムのこの果から、かの果にまで満たした。 マナセのその他の事績と、彼がおこなったすべての事およびその犯した罪は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。」

列王記の中で、その王の犯した罪が、歴代志に記されていると書き残されているのは、後にも先にもマナセだけです。それほどまでにマナセの罪は神様の御前に重く、ユダの国を滅亡に追いやる原因となりました。私たちは決してマナセの二の轍を踏まぬよう、神様から罪人と永遠に書き残されないよう、むしろいのちの書にその名が記される光栄に与るように努めたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.21.16-17.ja1955

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列王紀下 21:19-24
「アモンは王となった時二十二歳であって、エルサレムで二年の間、世を治めた。母はヨテバのハルツの娘で、名をメシュレメテといった。 アモンはその父マナセのおこなったように、主の目の前に悪を行った。 すなわち彼はすべてその父の歩んだ道に歩み、父の仕えた偶像に仕えて、これを拝み、 先祖たちの神、主を捨てて、主の道に歩まなかった。 アモンの家来たちはついに彼に敵して徒党を結び、王をその家で殺したが、 国の民は、アモン王に敵して徒党を結んだ者をことごとく撃ち殺した。そして国の民はアモンの子ヨシヤを王としてアモンに代らせた。」

マナセの子アモンもまた父に倣って多くの罪を犯し続け、主の道に歩まなかったため、ついに彼は家来たちによって殺されてしまう憂き目に遭いました。しかしユダの国のさいわいなことは、この主君殺しの罪を犯した家来たちを黙って放置せず、自ら滅ぼしてダビデの家系にある王族の子ヨシヤを王として立てたことです。たとい国の指導者が罪を犯したとしても、国民がその罪を取り除くために立ち上がるならば、主はその義を喜ばれ、大いに報いてくださいます。

私たちもまた、もし国が過ちを犯したとき、その罪に屈することなく、むしろまことの神様に従うクリスチャンとして、その罪をすすぐ自浄作用を発揮するために勇気をもって立ち上がる者でありますように。

http://bible.com/81/2ki.21.19-24.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/29

2017-01-29 06:45:16 | 今日の聖句
詩篇 121:1-2
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。」

目の前に山のような壁が立ちふさがったとしても、その山を含む天地万物を創造され、山よりもはるか高い天におられる主が私たちを助けてくださいますから、何者をも恐れる必要はありません。全世界を統べ治められる主に寄り頼み、いかなる困難をも乗り越えて力強く歩ませていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.121.1-2.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/01/28

2017-01-28 08:54:28 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 20:3-6
『「ああ主よ、わたしが真実を真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。 イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、 「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。 かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。』

神様の御前に正しく歩み、南ユダ王国の宗教改革を行ったヒゼキヤ王でさえも、病と死を免れることはできません。預言者イザヤを通して神様から死を宣告されたヒゼキヤは、自分がどれほど主の目に適うことを行ったか思い出してくださいと、涙を流して主に祈りました。すると神様はヒゼキヤの涙を覚えて3日後には主の宮に上ることができるように病を癒し、更にアッスリヤからエルサレムの町を救い、ダビデの町を守るために寿命を15年延ばすと告げられました。

私たちがこの世に生を受けたのは、自分のために生きるためではなく、神様を礼拝するため、神様から与えられた使命を果たすために生きるためです。永遠のいのちもまた、神様を賛美し、主に栄光を帰するために与えられたものです。私たちはいのちの用い方を誤ってはなりません。

http://bible.com/81/2ki.20.3-6.ja1955

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列王紀下 20:8-11
『ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。 イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。 そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。』

ヒゼキヤは、神様から死と癒しの相対する預言を受けて、どちらが神様の御心で本当に癒されるのか確証が持てなかったのでしょうか、癒されるしるしを求めました。するとイザヤは、神様からのしるしとして日時計の影を10度進めるか、退かせるかを選びなさいとヒゼキヤに言いました。この10度を角度と考えると40分に相当します。日時計を進めるのも退かせるのも、どちらも太陽と地球の動きを通常とは変えることですから、宇宙全体に天変地異が起きなければ、決してあり得ないことです。しかしヒゼキヤは、10度進めるのはたやすいことですと、神様には何でもできるとの信仰を告白しました。アッスリヤの大軍勢18万5000人が一晩の内に滅ぼされた奇跡を経験したヒゼキヤにとっては、神様は時間をもたやすく、意のままに動かされることを確信していたのです。ヒゼキヤのように、神様は宇宙も、歴史も、この世のすべてを統べ治められることを確信する私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.20.8-11.ja1955

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列王紀下 20:12-13
「そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。」

神様の奇跡によって死に至る病を癒されたヒゼキヤは、当時の新興国バビロンから見舞いに来た使者たちを大歓迎し、財宝から軍事力に至るまで一つ残らず、ユダの国のすべてを彼らに見せびらかしました。これはヒゼキヤがアッスリヤに勝利し、病も癒されたことによって心が高ぶり、自分の功績を得意げに自慢していたことを意味します。しかしこの高慢な振る舞いがやがてユダの国を滅亡に追いやることを、このときのヒゼキヤは理解できませんでした。私たちは少しばかりの成功ですぐに驕り高ぶり、図に乗ってしまう心の弱い存在です。成功や繁栄は自分自身の努力や能力によるものではなく、すべて神様からの賜物であると心を制し、高慢に陥らないように自らを戒める私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.20.12-13.ja1955

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列王紀下 20:14, 16-19
『その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。

そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、 『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。』

ヒゼキヤ王の高慢な振る舞いを見た預言者イザヤは、やがてバビロン帝国によってユダの国が滅ぼされるとの主の預言を伝えました。しかしヒゼキヤ王はそこで悔い改めることなく、自分の生きている間が平安であればそれでよいと、極めて身勝手で刹那的な考えで、主の御言葉を聞き流してしまいました。ここにヒゼキヤ王が、永遠の祝福を願ったダビデ王に並ぶことのできなかった弱さがあります。自分さえ幸せで平安であれはそれでよいという自己中心な思いに陥ることなく、自分の周囲や後の世代の人々にまで至る、広範かつ永遠の祝福を願い求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.20.14,16-19.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/28

2017-01-28 06:55:13 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 10:9-10
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」

罪の救いは自動的に与えられるものではなく、自分の口で告白し、自分の心で信じなければ、自分のものとすることはできません。信仰において神様と自分との個人的な関係を確立し、主イエスの十字架により義とされ、永遠のいのちを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.10.9-10.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/01/27

2017-01-27 07:54:06 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 19:1-2, 5-7
『ヒゼキヤ王はこれを聞いて、衣を裂き、荒布を身にまとって主に宮に入り、 宮内卿エリアキムと書記官セブナおよび祭司のうちの年長者たちに荒布をまとわせて、アモツの子預言者イザヤのもとにつかわした。

ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、 イザヤは彼らに言った、「あなたがたの主君にこう言いなさい、『主はこう仰せられる、アッスリヤの王の家来たちが、わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。 見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、一つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう』」。』

アッスリヤ王の家来ラブシャケがエルサレムの民に向かって、ヒゼキヤの言葉を信じて神に寄り頼むことは愚かだと語ったことを聞いたヒゼキヤ王は、衣を裂き荒布をまとって主に宮に入り、家来たちを預言者イザヤのもとに遣わして、この危機に瀕して対抗する力のない私たちのために祈ってくださいと要請しました。するとイザヤは、一つの霊を送り彼らを自分の国に帰らせて剣に倒れさせるので彼らの言うことを恐れる必要はないと、ヒゼキヤ王に告げるように答えました。

サタンの戦略は、私たちの主に信頼する心を揺るがして引き離すことです。なぜなら神様の庇護の元にいる内は、サタンは私たちに指一本触れることもできないからです。たとい私たちに敵対する者が私たちのみならず神様をもそしっても、彼らの言葉を恐れる必要はありません。どんな苦境に陥っても主に信頼する心を堅く保ち、神様の助けを確信して、祈り求め続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.19.1-2,5-7.ja1955

*****

列王紀下 19:14-19
『ヒゼキヤは使者の手から手紙を受け取ってそれを読み、主の宮にのぼっていって、主の前にそれをひろげ、 そしてヒゼキヤは主の前に祈って言った、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。 主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください。セナケリブが生ける神をそしるために書き送った言葉をお聞きください。 主よ、まことにアッスリヤの王たちはもろもろの民とその国々を滅ぼし、 またその神々を火に投げ入れました。それらは神ではなく、人の手の作ったもので、木や石だから滅ぼされたのです。 われわれの神、主よ、どうぞ、今われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆、主であるあなただけが神でいらせられることを知るようになるでしょう」。』

アッスリヤ王の使者からまことの神様を呪った手紙を受け取ったヒゼキヤ王は、主の宮に上ってその手紙を主の御前に広げ、彼らの言葉をありのまま神様に告げました。そして、アッスリヤに滅ぼされた国々は人の手によって作り出された偶像に頼ったからであり、今こそユダ王国を救って主こそまことの神であることを世界中の国々に証明してくださいと祈りました。

私たちが神様に捧げる祈りは、単に自分の願望を叶えてくださいという言葉ではなく、現状をありのまま伝え、ただ神様に信頼して主の真実に訴えることです。私たちの心の内を吐露する真摯な祈りに、主もまた真摯に答えてくださることを体験させていただきたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.19.14-19.ja1955

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列王紀下 19:20, 22, 25, 28, 32-34
『その時アモツの子イザヤは人をつかわしてヒゼキヤに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられる、『アッスリヤの王セナケリブについてあなたがわたしに祈ったことは聞いた』。

あなたはだれをそしり、だれをののしったのか。あなたはだれにむかって声をあげ、目を高くあげたのか。イスラエルの聖者にむかってしたのだ。

あなたは聞かなかったか、昔わたしがこれを定めたことを。堅固な町々をあなたが荒塚とすることも、いにしえの日からわたしが計画して今これをおこなうのだ。

あなたがわたしにむかって怒り叫んだことと、あなたの高慢がわたしの耳にはいったため、わたしはあなたの鼻に輪をつけ、あなたの口にくつわをはめて、あなたをもときた道へ引きもどすであろう』。

それゆえ、主はアッスリヤの王について、こう仰せられる、『彼はこの町にこない、またここに矢を放たない、盾をもってその前に来ることなく、また塁を築いてこれを攻めることはない。 彼は来た道を帰って、この町に、はいることはない。主がこれを言う。 わたしは自分のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう』」。』

ヒゼキヤの真実な祈りを聞かれた神様は預言者イザヤを通して、主が自ら彼らの高慢を裁き、まことの神を侮辱した罪に報いて、エルサレムをアッスリヤの手から救い出すと答えられました。たとい私たちが苦しみに遭うとも、すべては神様のご計画の内にあることです。今も生きておられる神様は、私たちの真実な祈りに耳を傾け、主と主に信頼する者を侮る者に報いて、主こそまことの神であることを自ら証してくださいます。私たちはただ主に対する確信を堅く保ち、希望を失うことなく主の救いの日を待ち望む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.19.20,22,25,28,32-34.ja1955

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列王紀下 19:35-37
「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた。 アッスリヤの王セナケリブは立ち去り、帰って行ってニネベにいたが、 その神ニスロクの神殿で礼拝していた時、その子アデランメレクとシャレゼルが、つるぎをもって彼を殺し、ともにアララテの地へ逃げて行った。そこでその子エサルハドンが代って王となった。」

ヒゼキヤの祈りを聞かれた神様は、主の御使いを送って、エルサレムを包囲していた185,000人ものアッスリヤの大軍を、たった一夜で撃ち滅ぼされました。この奇跡を目の当たりにしたアッスリヤの王セナケリブは首都ニネベに逃げ帰りましたが、偶像の神の神殿で礼拝を捧げているときに、自分の子どもたちの剣にかかって、あっけなく殺されてしまいました。自らの力に頼み、まことの神を侮る愚か者の末路は、実に空しく哀れです。私たちは皆、主の御手の内にあることを覚え、まことの神様にのみ信頼する者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.19.35-37.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/27

2017-01-27 06:45:20 | 今日の聖句
テサロニケ人への第二の手紙 3:3
「しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。」

この世には正しい者を苦しめることを喜びとする悪しき者が存在することも事実です。しかし神様はその真実さの故に、主に忠実に従う者を必ず悪から守ってくださいます。たといこの世では報いを受けなくとも耐え忍んで心から主に仕え、やがて天の御国で永遠の祝福を受ける希望に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/2th.3.3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/01/26

2017-01-26 08:00:28 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 18:1-4
「イスラエルの王エラの子ホセアの第三年にユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。 彼は王となった時二十五歳で、エルサレムで二十九年の間、世を治めた。その母はゼカリヤの娘で、名をアビといった。 ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、 高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。人々はこれをネホシタンと呼んだ。」

北イスラエル王国の末期、南ユダ王国に中興の名君ヒゼキヤ王が誕生しました。ヒゼキヤはダビデ王に次ぐ熱心な正しい信仰の持ち主で、なすことすべて主の目に適い、ユダとイスラエルの代々の王も成し得なかった徹底した宗教改革を行いました。ヒゼキヤ神様のご命令に則らない高き所での礼拝をやめさせ、出エジプトの記念として残されたモーセが作った青銅の蛇さえも、偶像礼拝の対象にならないようにと粉々に打ち砕きました。

私たちは常に信仰の刷新が必要です。習慣化した信仰、形骸化した信仰、いつのまにか方向を間違えた信仰、一見正しいように見えても偶像礼拝となりうる信仰は、すべてきれいさっぱり打ち捨てて、原点に立ち返り、神様の目に適う正しい信仰を保ち続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/2ki.18.1-4.ja1955

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列王紀下 18:5-8
「ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。 すなわち彼は固く主に従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。 主が彼と共におられたので、すべて彼が出て戦うところで功をあらわした。彼はアッスリヤの王にそむいて、彼に仕えなかった。 彼はペリシテびとを撃ち敗って、ガザとその領域にまで達し、見張台から堅固な町にまで及んだ。」

ヒゼキヤは代々のユダの王たちの中でも特筆に値する、及ぶ者のない正統な信仰者でした。彼はアッスリヤ帝国に仕えることをせず、ただ主にのみ信頼し、モーセの律法をことごとく守り行い、主に従って離れることがありませんでした。主がヒゼキヤと共におられたため、その手のなす業は大いに祝福され、ペリシテ人を撃ち破って、ガザに至るまで広大な領地を取り戻しました。神様以外の何者にも頼らず、主に全く信頼する者に、神様は必ず共にいてくださり、為すことすべて祝福し、行く先々で勝利を得させてくださいます。

http://bible.com/81/2ki.18.5-8.ja1955

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列王紀下 18:9-12
「ヒゼキヤ王の第四年すなわちイスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッスリヤの王シャルマネセルはサマリヤに攻め上って、これを囲んだが、 三年の後ついにこれを取った。サマリヤが取られたのはヒゼキヤの第六年で、それはイスラエルの王ホセアの第九年であった。 アッスリヤの王はイスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々に置いた。 これは彼らがその神、主の言葉にしたがわず、その契約を破り、主のしもべモーセの命じたすべての事に耳を傾けず、また行わなかったからである。」

大宗教改革を行い、アハズの行った諸々の罪と、先祖代々除くことのできなかった高き所さえも取り除いたヒゼキヤ王の治める南ユダ王国とは対照的に、まことの神様を打ち捨てた北イスラエル王国はついにアッスリヤ帝国によって滅ぼされてしまいました。その理由は、彼らが主の御言葉に従わず、神様と交わした祝福の契約を打ち捨てて、モーセの戒めに耳を傾けず、守り行わなかったからです。聖書の教えは、神様を畏れ御言葉に聞き従う者は祝福され、神様を忘れ御言葉を守り行わない者は滅びるという、至って明快なものです。

http://bible.com/81/2ki.18.9-12.ja1955

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列王紀下 18:13-16
「ヒゼキヤ王の第十四年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取ったので、 ユダの王ヒゼキヤは人をラキシにつかわしてアッスリヤの王に言った、「わたしは罪を犯しました。どうぞ引き上げてください。わたしに課せられることはなんでもいたします」。アッスリヤの王は銀三百タラントと金三十タラントをユダの王ヒゼキヤに課した。 ヒゼキヤは主の宮と王の家の倉とにある銀をことごとく彼に与えた。 この時ユダの王ヒゼキヤはまた主の神殿の戸および柱から自分が着せた金をはぎ取って、アッスリヤの王に与えた。」

北イスラエル王国滅亡の後、ヒゼキヤ王もまた圧倒的なアッスリヤ帝国の軍事力の前に、すべての町々が取られ、神の都エルサレムも完全に包囲されて、アッスリヤの要求を飲まざるを得ない窮地に陥りました。

たとい私たちが主に信頼し、御言葉を堅く守り行っていても、サタンは私たち人間よりもはるかに強大で、とても太刀打ちできる相手ではありません。時にはサタンの要求に屈服し、従わざるを得ない屈辱を味わうことが私たちの人生に襲いかかります。しかし最後まで主に希望を置く者は必ず救われることを、私たちは決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/2ki.18.13-16.ja1955

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列王紀下 18:19-20, 22, 25
『ラブシャケは彼らに言った、「ヒゼキヤに言いなさい、『大王、アッスリヤの王はこう仰せられる。あなたが頼みとする者は何か。 口先だけの言葉が戦争をする計略と力だと考えるのか。あなたは今だれにたよって、わたしにそむいたのか。

しかしあなたがもし「われわれは、われわれの神、主を頼む」とわたしに言うのであれば、その神はヒゼキヤがユダとエルサレムに告げて、「あなたがたはエルサレムで、この祭壇の前に礼拝しなければならない」と言って、その高き所と祭壇とを除いた者ではないか。

わたしがこの所を滅ぼすために上ってきたのは、主の許しなしにしたことであろうか。主がわたしにこの地に攻め上ってこれを滅ぼせと言われたのだ』」。』

アッスリヤ王の使者ラブシャケの語った言葉には一理あります。というのはアッスリヤが北イスラエル王国を滅ぼしたのは、最後まで神様に聞き従わなかった裁きの結果だからです。しかしアッスリヤとて、神様の許しなしには何事もすることはできないこともまた事実です。ここに至ってアッスリヤは、まことの神様を侮るという高慢に陥りました。まさにサタンのなす業そのものです。最後にサタンは神様によって滅ぼされることを私たちは知っていますから、決してサタンに屈服することなく、最後まで罪と戦い続ける希望に生きる者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.18.19-20,22,25.ja1955

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列王紀下 18:28-30, 35-36
『そしてラブシャケは立ちあがり、ユダヤの言葉で大声に呼ばわって言った。「大王、アッスリヤの王の言葉を聞け。 王はこう仰せられる、『あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。彼はあなたがたをわたしの手から救いだすことはできない。 ヒゼキヤが「主は必ずわれわれを救い出される。この町はアッスリヤ王の手に陥ることはない」と言っても、あなたがたは主を頼みとしてはならない』。

国々のすべての神々のうち、その国をわたしの手から救い出した者があったか。主がどうしてエルサレムをわたしの手から救い出すことができよう』」。 しかし民は黙して、ひと言も彼に答えなかった。王が命じて「彼に答えてはならない」と言っておいたからである。』

ラブシャケは大いに神を侮った後、ユダの人々にヒゼキヤの言葉を信じるなと、わざわざユダヤの言葉で語りかけました。サタンは私たちの心を神様から離れさせようと、様々な手を尽くして誘惑してきますが、私たちは決してサタンの言葉に耳を傾けてはなりません。誘惑に打ち勝つ最大の秘策は、サタンの言葉を聞き流して、返事すらしないことです。最後まで堅く信仰を守り続ける者に、神様は必ず勝利を与えてくださいます。

http://bible.com/81/2ki.18.28-30,35-36.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/26

2017-01-26 06:55:37 | 今日の聖句
箴言 16:24
「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。」

砂糖よりも甘く、即効性のエネルギー源を多く含む蜂蜜のように、生きる希望と力を与える真理の御言葉を語ることができるよう、御霊の実できよく甘い味付けを施していただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.16.24.ja1955
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真に心に残るものとは?

2017-01-26 01:02:28 | Weblog
先ほどEテレで再放送していた「達人達」という対談番組の中で語られた、作家・宮本輝さんの「書きたいことを書かずに書く」、映画監督・行定勲さんの「目には見えない空気を撮る」という言葉が心に残りました。

人の心に響く・残る作品とは、直接目に見せるものではなく、目には見えない世界を見た人の心の中に鮮やかに描き出すものなのではないかと思わされました。

http://www4.nhk.or.jp/switch-int/x/2017-01-21/31/31946/2037137/
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【COGHCC聖書通読】 2017/01/25

2017-01-25 07:55:41 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 17:1-5
「ユダの王アハズの第十二年にエラの子ホセアが王となり、サマリヤで九年の間、イスラエルを治めた。 彼は主の目の前に悪を行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。 アッスリヤの王シャルマネセルが攻め上ったので、ホセアは彼に隷属して、みつぎを納めたが、 アッスリヤの王はホセアがついに自分にそむいたのを知った。それはホセアが使者をエジプトの王ソにつかわし、また年々納めていたみつぎを、アッスリヤの王に納めなかったからである。そこでアッスリヤの王は彼を監禁し、獄屋につないだ。 そしてアッスリヤの王は攻め上って国中を侵し、サマリヤに上ってきて三年の間、これを攻め囲んだ。」

北イスラエル王国最後の王となったホセアは、それまでの王たちほどには悪を行わなかったとありますが、主の御前にはほどほどの悪も、徹底した悪も、罪には変わりありません。ホセアは一時的にはアッスリヤに隷属しましたが、エジプトと二股掛けて都合の良い方に向く風見鶏のような政策を採ったため、アッスリヤ帝国に攻め込まれて監禁され、北イスラエル王国はついに滅びました。

私たちも、自分の都合の良いように、ほどほどの信仰生活を送っていないでしょうか。黙示録に記されたラオデキヤ教会のように、熱くもなく、冷たくもない、生ぬるい信仰者は、主から吐き出されてしまいます。私たちは決して彼らのようにではなく、御言葉を忠実に守り行い、神様に熱心に仕える、主に喜ばれるクリスチャンでありたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.17.1-5.ja1955

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列王紀下 17:6-8
「ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに捕えていって、ハラと、ゴザンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。 この事が起ったのは、イスラエルの人々が、自分たちをエジプトの地から導き上って、エジプトの王パロの手をのがれさせられたその神、主にむかって罪を犯し、他の神々を敬い、 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人のならわしに従って歩み、またイスラエルの王たちが定めたならわしに従って歩んだからである。」

北イスラエル王国が滅んだのは、アッスリヤ帝国が強大だったからではなく、イスラエルの民が主に向かって罪を犯し、神様が追い払われたカナンの先住民たちの忌むべき慣わしに従って他の神々に仕え、自分たちで好き勝手に決めた方法で信仰生活を送っていたからだと総括しています。その結果、せっかくエジプトの奴隷から解放されて神様の祝福の地に入れられたのに、他国の支配下に置かれて見知らぬ地に強制移住させられてしまいました。信仰の逆戻りは空しい結末に終わります。私たちは最後まで徹底して神に仕え続け、永遠のいのちに至る切符を手放すことなく、まことの祝福を受けることができますように。

http://bible.com/81/2ki.17.6-8.ja1955

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列王紀下 17:15-18
「そして彼らは主の定めを捨て、主が彼らの先祖たちと結ばれた契約を破り、また彼らに与えられた警告を軽んじ、かつむなしい偶像に従ってむなしくなり、また周囲の異邦人に従った。これは主が、彼らのようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。 彼らはその神、主のすべての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、 またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。 それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった。」

北イスラエル王国の行った愚かな行為の数々が記されていますが、これらは現代社会に生きる私たちに対する神様からの警告でもあります。今の日本にも、同じようなことが満ちあふれていないでしょうか。いつまで経ってもクリスチャン人口が1%にも満たず、物質的・経済的な豊かさ至上主義、テレビや雑誌で占いを目にしない日はなく、愛が冷え憎み合い殺し合う神様の御心に適わない世の中。私たちはこのような世界に生きる中で、世の光、地の塩となって、自らの信仰を堅く保つと共に、何とかして一人でも多くの滅び行く人々に福音を伝えなければなりません。

http://bible.com/81/2ki.17.15-18.ja1955

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列王紀下 17:19-20, 22-23
「ところがユダもまたその神、主の戒めを守らず、イスラエルが定めたならわしに歩んだので、 主はイスラエルの子孫をことごとく捨て、彼らを苦しめ、彼らを略奪者の手にわたして、ついに彼らをみ前から打ちすてられた。

イスラエルの人々がヤラベアムのおこなったすべての罪をおこない続けて、それを離れなかったので、 ついに主はそのしもべである預言者たちによって言われたように、イスラエルをみ前から除き去られた。こうしてイスラエルは自分の国からアッスリヤに移されて今日に至っている。」

アハズ王によって、北イスラエル王国のみならず南ユダ王国まで主の戒めを捨てて歩んだために、ついに主は北イスラエル王国をアッスリヤ帝国によって滅ぼし、主だった住人たちを強制移民させて南ユダ王国への警告とされました。これは決して過去の出来事ではなく、聖書を読んでいる私たちに対しても同様に主は警告されています。私たちはイスラエルの歴史を学びつつ、自らの信仰生活に適用して、同じ過ちを繰り返して自らの身に及ばないように努めたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.17.19-20,22-23.ja1955

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列王紀下 17:24-29, 33-34
『かくてアッスリヤの王はバビロン、クタ、アワ、ハマテおよびセパルワイムから人々をつれてきて、これをイスラエルの人々の代りにサマリヤの町々におらせたので、その人々はサマリヤを領有して、その町々に住んだ。 彼らがそこに住み始めた時、主を敬うことをしなかったので、主は彼らのうちにししを送り、ししは彼らのうちの数人を殺した。 そこで人々はアッスリヤの王に告げて言った、「あなたが移してサマリヤの町々におらせられたあの国々の民は、その地の神のおきてを知らないゆえに、その神は彼らのうちにししを送り、ししは彼らを殺した。これは彼らが、その地の神のおきてを知らないためです」。 アッスリヤの王は命じて言った、「あなたがたがあそこから移した祭司のひとりをあそこへ連れて行きなさい。彼をあそこへやって住まわせ、その国の神のおきてをその人々に教えさせなさい」。 そこでサマリヤから移された祭司のひとりが来てベテルに住み、どのように主を敬うべきかを彼らに教えた。 しかしその民はおのおの自分の神々を造って、それをサマリヤびとが造った高き所の家に安置した。民は皆住んでいる町々でそのようにおこなった。

このように彼らは主を敬ったが、また彼らが出てきた国々のならわしにしたがって、自分たちの神々にも仕えた。 今日に至るまで彼らは先のならわしにしたがっておこなっている。彼らは主を敬わず、また主がイスラエルと名づけられたヤコブの子孫に命じられた定めにも、おきてにも、律法にも、戒めにも従わない。』

北イスラエル王国の人々が強制移民させられたのと同時に、他の国々からサマリヤの地に移住させられた人々もいました。主を敬うことなく生活していた彼らの前に獅子が現れて被害を及ぼしたところ、彼らはイスラエルの神に従う生き方をしていなかったからだと悟りました。しかし残念なことに彼らはサマリヤの祭司に学んだため、かつての北イスラエル王国のように自分勝手な信仰生活を送ることになりました。私たちもまた主の御心に適う信仰生活を送るためには、主の御言葉を正しく学ぶ必要があります。

http://bible.com/81/2ki.17.24-29,33-34.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/25

2017-01-25 06:55:15 | 今日の聖句
伝道の書 7:9
「気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである。」

怒りで心が支配されてしまうと、気が動転して、取り返しのつかない過ちを犯す罠に陥ります。神の戒めと忍耐によって心を正しく治め、いかなる時も平常心を保って、平安に満ちた信仰生活を営む私たちでありますように。

http://bible.com/81/ecc.7.9.ja1955
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