歴代志下 16:1-6
アサの治世の三十六年にイスラエルの王バアシャはユダに攻め上り、ユダの王アサの所にだれをも出入りさせないためにラマを築いた。 そこでアサは主の宮と王の家の宝蔵から金銀を取り出し、ダマスコに住んでいるスリヤの王ベネハダデに贈って言った、 「わたしの父とあなたの父の間のように、わたしとあなたの間に同盟を結びましょう。わたしはあなたに金銀を贈ります。行って、あなたとイスラエルの王バアシャとの同盟を破り、彼をわたしから撤退させてください」。 ベネハダデはアサ王の言うことを聞き、自分の軍勢の長たちをつかわしてイスラエルの町々を攻め、イヨンとダンとアベル・マイムおよびナフタリのすべての倉の町を撃った。 バアシャはこれを聞いて、ラマを築くことをやめ、その工事を廃した。 そこでアサ王はユダの全国の人々を引き連れ、バアシャがラマを建てるために用いた石と木材を運んでこさせ、それをもってゲバとミヅパを建てた。
当初はイスラエルの神、主に心を尽くして信頼したアサ王でしたが、在位36年目に北イスラエル王国の王バアシャが南ユダ王国に攻め入り、国民がユダに亡命しないように国境に関所の町ラマを築きました。するとアサは直接イスラエルと対決するのではなく、スリヤの王ベネハダデに金銀を贈り、同盟を結んでイスラエルを北から攻めるように申し入れました。そこでベネハダデはアサの要請を受け入れ、軍を派遣してイスラエルに攻め込ませたために、バアシャはラマの建設を諦めてスリヤとの戦いに応戦する他ありませんでした。そのときバアシャがラマに残した建築資材を奪ったアサは、それを用いてゲバとミヅパを建てました。アサがスリヤに贈った金銀の出所は、自分が主の宮に捧げたものでした。あれほど徹底して宗教改革を行ったアサともあろう者が、どうしてこのような行動に出たのか、理解に苦しみます。治世が長くなるに連れて、自分の力で何とかしようとする心が出てきたのでしょうか。神に対する態度を一生の間保ち続けることの難しさを痛感させられます。
https://www.bible.com/bible/81/2ch.16.1-6.ja1955
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歴代志下 16:7-10
そのころ先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った、「あなたがスリヤの王に寄り頼んで、あなたの神、主に寄り頼まなかったので、スリヤ王の軍勢はあなたの手からのがれてしまった。 かのエチオピヤびとと、リビアびとは大軍で、その戦車と騎兵は、はなはだ多かったではないか。しかしあなたが主に寄り頼んだので、主は彼らをあなたの手に渡された。 主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では、あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう」。 するとアサはその先見者を怒って、獄屋に入れた。この事のために激しく彼を怒ったからである。アサはまたそのころ民のある者をしえたげた。
北イスラエル王国に対抗するためスリヤと同盟を結んだ一連の行動を受けて、予見者ハナニはアサの元を訪れ、神に頼らずスリヤの王に寄り頼んだことを嘆き、かつてエチオピア連合軍と戦ったときの主への信頼はどこに行ってしまったのかと、アサを責めました。予見者とは、神の教えや様々な学問に照らして王にアドバイスを送る相談役、顧問のような存在です。にもかかわらずアサは先見者ハナニの言葉を受け入れなかったばかりか、事もあろうに投獄して足に枷をはめてしまいました。また一部の国民を虐げたとも記されています。いかにアサが高慢な態度を取るように変わってしまったかがわかります。私たちは常に神と人との前にへりくだり、忠告に耳を傾け、自らを低くする、素直で従順な心を失ってはなりません。
https://www.bible.com/bible/81/2ch.16.7-10.ja1955
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歴代志下 16:11-14
見よ、アサの始終の行為は、ユダとイスラエルの列王の書にしるされている。 アサはその治世の三十九年に足を病み、その病は激しくなったが、その病の時にも、主を求めないで医者を求めた。 アサは先祖たちと共に眠り、その治世の四十一年に死んだ。 人々は彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に葬り、製香の術をもって造った様々の香料を満たした床に横たえ、彼のためにおびただしく香をたいた。
在位36年目にして、神に頼らず、スリヤ王と同盟を結ぶ失策を演じたアサは、その3年後に足の病気を患い、重病化してしまいましたが、そのときも神に頼らず医者に頼ったと聖書は記しています。その2年後、アサは死んで墓に葬られました。最初の35年間は主に寄り頼み、神の守りと祝福を受けて平和を保ちましたが、その晩年は神よりも人の力を頼ったため、残念な結末を迎えることとなりました。終わりよければすべて良し、との諺の如く、私たちの人生も竜頭蛇尾となることなく、天の神に召されるその日まで、全き信仰を堅く保たせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/2ch.16.11-14.ja1955
アサの治世の三十六年にイスラエルの王バアシャはユダに攻め上り、ユダの王アサの所にだれをも出入りさせないためにラマを築いた。 そこでアサは主の宮と王の家の宝蔵から金銀を取り出し、ダマスコに住んでいるスリヤの王ベネハダデに贈って言った、 「わたしの父とあなたの父の間のように、わたしとあなたの間に同盟を結びましょう。わたしはあなたに金銀を贈ります。行って、あなたとイスラエルの王バアシャとの同盟を破り、彼をわたしから撤退させてください」。 ベネハダデはアサ王の言うことを聞き、自分の軍勢の長たちをつかわしてイスラエルの町々を攻め、イヨンとダンとアベル・マイムおよびナフタリのすべての倉の町を撃った。 バアシャはこれを聞いて、ラマを築くことをやめ、その工事を廃した。 そこでアサ王はユダの全国の人々を引き連れ、バアシャがラマを建てるために用いた石と木材を運んでこさせ、それをもってゲバとミヅパを建てた。
当初はイスラエルの神、主に心を尽くして信頼したアサ王でしたが、在位36年目に北イスラエル王国の王バアシャが南ユダ王国に攻め入り、国民がユダに亡命しないように国境に関所の町ラマを築きました。するとアサは直接イスラエルと対決するのではなく、スリヤの王ベネハダデに金銀を贈り、同盟を結んでイスラエルを北から攻めるように申し入れました。そこでベネハダデはアサの要請を受け入れ、軍を派遣してイスラエルに攻め込ませたために、バアシャはラマの建設を諦めてスリヤとの戦いに応戦する他ありませんでした。そのときバアシャがラマに残した建築資材を奪ったアサは、それを用いてゲバとミヅパを建てました。アサがスリヤに贈った金銀の出所は、自分が主の宮に捧げたものでした。あれほど徹底して宗教改革を行ったアサともあろう者が、どうしてこのような行動に出たのか、理解に苦しみます。治世が長くなるに連れて、自分の力で何とかしようとする心が出てきたのでしょうか。神に対する態度を一生の間保ち続けることの難しさを痛感させられます。
https://www.bible.com/bible/81/2ch.16.1-6.ja1955
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歴代志下 16:7-10
そのころ先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った、「あなたがスリヤの王に寄り頼んで、あなたの神、主に寄り頼まなかったので、スリヤ王の軍勢はあなたの手からのがれてしまった。 かのエチオピヤびとと、リビアびとは大軍で、その戦車と騎兵は、はなはだ多かったではないか。しかしあなたが主に寄り頼んだので、主は彼らをあなたの手に渡された。 主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では、あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう」。 するとアサはその先見者を怒って、獄屋に入れた。この事のために激しく彼を怒ったからである。アサはまたそのころ民のある者をしえたげた。
北イスラエル王国に対抗するためスリヤと同盟を結んだ一連の行動を受けて、予見者ハナニはアサの元を訪れ、神に頼らずスリヤの王に寄り頼んだことを嘆き、かつてエチオピア連合軍と戦ったときの主への信頼はどこに行ってしまったのかと、アサを責めました。予見者とは、神の教えや様々な学問に照らして王にアドバイスを送る相談役、顧問のような存在です。にもかかわらずアサは先見者ハナニの言葉を受け入れなかったばかりか、事もあろうに投獄して足に枷をはめてしまいました。また一部の国民を虐げたとも記されています。いかにアサが高慢な態度を取るように変わってしまったかがわかります。私たちは常に神と人との前にへりくだり、忠告に耳を傾け、自らを低くする、素直で従順な心を失ってはなりません。
https://www.bible.com/bible/81/2ch.16.7-10.ja1955
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歴代志下 16:11-14
見よ、アサの始終の行為は、ユダとイスラエルの列王の書にしるされている。 アサはその治世の三十九年に足を病み、その病は激しくなったが、その病の時にも、主を求めないで医者を求めた。 アサは先祖たちと共に眠り、その治世の四十一年に死んだ。 人々は彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に葬り、製香の術をもって造った様々の香料を満たした床に横たえ、彼のためにおびただしく香をたいた。
在位36年目にして、神に頼らず、スリヤ王と同盟を結ぶ失策を演じたアサは、その3年後に足の病気を患い、重病化してしまいましたが、そのときも神に頼らず医者に頼ったと聖書は記しています。その2年後、アサは死んで墓に葬られました。最初の35年間は主に寄り頼み、神の守りと祝福を受けて平和を保ちましたが、その晩年は神よりも人の力を頼ったため、残念な結末を迎えることとなりました。終わりよければすべて良し、との諺の如く、私たちの人生も竜頭蛇尾となることなく、天の神に召されるその日まで、全き信仰を堅く保たせていただきたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/2ch.16.11-14.ja1955