民数記 23:1-5
バラムはバラクに言った、「わたしのために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊とを整えなさい」。 バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムとは、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。 バラムはバラクに言った、「あなたは燔祭のかたわらに立っていてください。その間にわたしは行ってきます。主はたぶんわたしに会ってくださるでしょう。そして、主がわたしに示される事はなんでもあなたに告げましょう」。こうして彼は一つのはげ山に登った。 神がバラムに会われたので、バラムは神に言った、「わたしは七つの祭壇を設け、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげました」。 主はバラムの口に言葉を授けて言われた、「バラクのもとに帰ってこう言いなさい」。
イスラエルを呪うために招聘したモアブの王バラクの歓迎を受けたバラムは、ここに7つの祭壇を築き、それぞれに1頭ずつの雄牛と雄羊を用意するように命じました。そして燔祭として捧げると、主の御言葉を求めるために近くの禿げ山に登りました。神は山の頂でバラムに、バラクにこのように言いなさいと御言葉を授けられました。神が私たちに賜る御言葉は、そのまま伝えなければなりません。私たちの口から出る一つ一つの言葉が、神を証するものでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.1-5.ja1955
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民数記 23:6-12
彼がバラクのもとに帰ってみると、バラクはモアブのすべてのつかさたちと共に燔祭のかたわらに立っていた。 バラムはこの託宣を述べた。「バラクはわたしをアラムから招き寄せ、モアブの王はわたしを東の山から招き寄せて言う、『きてわたしのためにヤコブをのろえ、きてイスラエルをのろえ』と。 神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。 岩の頂からながめ、丘の上から見たが、これはひとり離れて住む民、もろもろの国民のうちに並ぶものはない。 だれがヤコブの群衆を数え、イスラエルの無数の民を数え得よう。わたしは義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」。 そこでバラクはバラムに言った、「あなたはわたしに何をするのですか。わたしは敵をのろうために、あなたを招いたのに、あなたはかえって敵を祝福するばかりです」。 バラムは答えた、「わたしは、主がわたしの口に授けられる事だけを語るように注意すべきではないでしょうか」。
バラクとモアブのつかさたちが待っている先に燔祭を捧げた場所に帰ったバラムは、イスラエルを呪ってもらおうと願う彼らの要望通りではなく、神が呪わない者を私がどうして呪うことができるだろうかと、神から託された通りの言葉を語りました。そしてイスラエルの民が神に特別に愛された、他に類を見ない特別な民であり、大いに子孫を増す彼らのように死にたいと、むしろイスラエルをほめたたえる言葉を告げました。この言葉を聞いたバラクが、イスラエルを呪うために招聘したのにイスラエルを呪わないばかりか、どうしてイスラエルを賞賛するのかと怒ると、バラムは、主が自分の口に授けた言葉しか語ることはできないと答えました。私たちもまた人の顔色をうかがって真理を曲げて偽りの言葉を語る者ではなく、神の告げる御言葉の通りに語る者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.6-12.ja1955
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民数記 23:13-24
バラクは彼に言った、「わたしと一緒にほかのところへ行って、そこから彼らをごらんください。あなたはただ彼らの一端を見るだけで、全体を見ることはできないでしょうが、そこからわたしのために彼らをのろってください」。 そして彼はバラムを連れてゾピムの野に行き、ピスガの頂に登って、そこに七つの祭壇を築き、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。 ときにはバラムはバラクに言った、「あなたはここで、燔祭のかたわらに立っていてください。わたしは向こうへ行って、主に伺いますから」。 主はバラムに臨み、言葉を口に授けて言われた、「バラクのもとに帰ってこう言いなさい」。 彼がバラクのところへ行って見ると、バラクは燔祭のかたわらに立ち、モアブのつかさたちも共にいた。バラクはバラムに言った、「主はなんと言われましたか」。 そこでバラムはまたこの託宣を述べた。「バラクよ、立って聞け、チッポルの子よ、わたしに耳を傾けよ。 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。 祝福せよとの命をわたしはうけた、すでに神が祝福されたものを、わたしは変えることができない。 だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。彼らの神、主が共にいまし、王をたたえる声がその中に聞える。 神は彼らをエジプトから導き出された、彼らは野牛の角のようだ。 ヤコブには魔術がなく、イスラエルには占いがない。神がそのなすところを時に応じてヤコブに告げ、イスラエルに示されるからだ。 見よ、この民は雌じしのように立ち上がり、雄じしのように身を起す。これはその獲物を食らい、その殺した者の血を飲むまでは身を横たえない」。
神の告げられた通りにしか語ることはできないとのバラムの言葉を聞いたモアブの王バラクは、場所を変えれば神は異なる言葉を授けるかもしれないと考えて、イスラエルの宿営全体を見渡すことのできるピスガの頂に登って7つの祭壇を築き、それぞれ1頭ずつの雄牛と雄羊を燔祭として捧げて、イスラエルを呪ってくださいとバラムに願いました。バラムが彼らを離れて主にお伺いを立てると、主は再びバラムの口に言葉を授けて、この通りに語りなさいと命じられました。再びバラクの元に戻ったバラムは、神から託された言葉の通り、神は一度定められたことを変えることなく必ず実現されるお方であり、イスラエルの祝福を変えることはできないこと、神がイスラエルと共にいて、占いも魔術もなく、ただ神のご命令に従う民であるが故に、彼らに敵対する者を滅ぼすと、イスラエルの勝利を宣言しました。神はかつてアブラハムそしてヤコブに、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪うと約束された通り、ひとたび約束された言葉を決して変えることのない永遠不変の神、イスラエルを祝福の基として私たちを祝福される神であられますから、イスラエルを呪うことなど言語道断であり、自ら滅びを身に招くこととなりますから注意が必要です。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.13-24.ja1955
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民数記 23:25-30
バラクはバラムに言った、「あなたは彼らをのろうことも祝福することも、やめてください」。 バラムは答えてバラクに言った、「主の言われることは、なんでもしなければならないと、わたしはあなたに告げませんでしたか」。 バラクはバラムに言った、「どうぞ、おいでください。わたしはあなたをほかの所へお連れしましょう。神はあなたがそこからわたしのために彼らをのろうことを許されるかもしれません」。 そしてバラクはバラムを連れて、荒野を見おろすペオルの頂に行った。 バラムはバラクに言った、「わたしのためにここに七つの祭壇を築き、雄牛七頭と、雄羊七頭とを整えなさい」。 バラクはバラムの言ったとおりにし、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。
バラムの告げる言葉に耐えられなくなったバラクは、神の託宣を語ることをやめるようにと願います。しかしバラムは、神が語れという言葉を語らない訳にはいかないと答えました。そこでバラクは、また別の場所に行けば神がイスラエルを呪う言葉を授けるかもしれないと考え、荒野を見下ろすペオル山の頂に連れて行き、再び7つの祭壇を築いて、それぞれ1頭ずつの雄牛と雄羊を燔祭として捧げました。私たちは時折、神の御心を受け入れられずに、自分の頑張りや行動力で何とか打開しようと、様々なことに手を着けたりしますが、神の御心は人の努力によって変わることなく、すべて徒労に終わります。ととえ自分にとっては都合の悪い、耳に痛い言葉であっても、神の御言葉は受け入れなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.25-30.ja1955
バラムはバラクに言った、「わたしのために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊とを整えなさい」。 バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムとは、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。 バラムはバラクに言った、「あなたは燔祭のかたわらに立っていてください。その間にわたしは行ってきます。主はたぶんわたしに会ってくださるでしょう。そして、主がわたしに示される事はなんでもあなたに告げましょう」。こうして彼は一つのはげ山に登った。 神がバラムに会われたので、バラムは神に言った、「わたしは七つの祭壇を設け、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげました」。 主はバラムの口に言葉を授けて言われた、「バラクのもとに帰ってこう言いなさい」。
イスラエルを呪うために招聘したモアブの王バラクの歓迎を受けたバラムは、ここに7つの祭壇を築き、それぞれに1頭ずつの雄牛と雄羊を用意するように命じました。そして燔祭として捧げると、主の御言葉を求めるために近くの禿げ山に登りました。神は山の頂でバラムに、バラクにこのように言いなさいと御言葉を授けられました。神が私たちに賜る御言葉は、そのまま伝えなければなりません。私たちの口から出る一つ一つの言葉が、神を証するものでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.1-5.ja1955
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民数記 23:6-12
彼がバラクのもとに帰ってみると、バラクはモアブのすべてのつかさたちと共に燔祭のかたわらに立っていた。 バラムはこの託宣を述べた。「バラクはわたしをアラムから招き寄せ、モアブの王はわたしを東の山から招き寄せて言う、『きてわたしのためにヤコブをのろえ、きてイスラエルをのろえ』と。 神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。 岩の頂からながめ、丘の上から見たが、これはひとり離れて住む民、もろもろの国民のうちに並ぶものはない。 だれがヤコブの群衆を数え、イスラエルの無数の民を数え得よう。わたしは義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」。 そこでバラクはバラムに言った、「あなたはわたしに何をするのですか。わたしは敵をのろうために、あなたを招いたのに、あなたはかえって敵を祝福するばかりです」。 バラムは答えた、「わたしは、主がわたしの口に授けられる事だけを語るように注意すべきではないでしょうか」。
バラクとモアブのつかさたちが待っている先に燔祭を捧げた場所に帰ったバラムは、イスラエルを呪ってもらおうと願う彼らの要望通りではなく、神が呪わない者を私がどうして呪うことができるだろうかと、神から託された通りの言葉を語りました。そしてイスラエルの民が神に特別に愛された、他に類を見ない特別な民であり、大いに子孫を増す彼らのように死にたいと、むしろイスラエルをほめたたえる言葉を告げました。この言葉を聞いたバラクが、イスラエルを呪うために招聘したのにイスラエルを呪わないばかりか、どうしてイスラエルを賞賛するのかと怒ると、バラムは、主が自分の口に授けた言葉しか語ることはできないと答えました。私たちもまた人の顔色をうかがって真理を曲げて偽りの言葉を語る者ではなく、神の告げる御言葉の通りに語る者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.6-12.ja1955
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民数記 23:13-24
バラクは彼に言った、「わたしと一緒にほかのところへ行って、そこから彼らをごらんください。あなたはただ彼らの一端を見るだけで、全体を見ることはできないでしょうが、そこからわたしのために彼らをのろってください」。 そして彼はバラムを連れてゾピムの野に行き、ピスガの頂に登って、そこに七つの祭壇を築き、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。 ときにはバラムはバラクに言った、「あなたはここで、燔祭のかたわらに立っていてください。わたしは向こうへ行って、主に伺いますから」。 主はバラムに臨み、言葉を口に授けて言われた、「バラクのもとに帰ってこう言いなさい」。 彼がバラクのところへ行って見ると、バラクは燔祭のかたわらに立ち、モアブのつかさたちも共にいた。バラクはバラムに言った、「主はなんと言われましたか」。 そこでバラムはまたこの託宣を述べた。「バラクよ、立って聞け、チッポルの子よ、わたしに耳を傾けよ。 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。 祝福せよとの命をわたしはうけた、すでに神が祝福されたものを、わたしは変えることができない。 だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。彼らの神、主が共にいまし、王をたたえる声がその中に聞える。 神は彼らをエジプトから導き出された、彼らは野牛の角のようだ。 ヤコブには魔術がなく、イスラエルには占いがない。神がそのなすところを時に応じてヤコブに告げ、イスラエルに示されるからだ。 見よ、この民は雌じしのように立ち上がり、雄じしのように身を起す。これはその獲物を食らい、その殺した者の血を飲むまでは身を横たえない」。
神の告げられた通りにしか語ることはできないとのバラムの言葉を聞いたモアブの王バラクは、場所を変えれば神は異なる言葉を授けるかもしれないと考えて、イスラエルの宿営全体を見渡すことのできるピスガの頂に登って7つの祭壇を築き、それぞれ1頭ずつの雄牛と雄羊を燔祭として捧げて、イスラエルを呪ってくださいとバラムに願いました。バラムが彼らを離れて主にお伺いを立てると、主は再びバラムの口に言葉を授けて、この通りに語りなさいと命じられました。再びバラクの元に戻ったバラムは、神から託された言葉の通り、神は一度定められたことを変えることなく必ず実現されるお方であり、イスラエルの祝福を変えることはできないこと、神がイスラエルと共にいて、占いも魔術もなく、ただ神のご命令に従う民であるが故に、彼らに敵対する者を滅ぼすと、イスラエルの勝利を宣言しました。神はかつてアブラハムそしてヤコブに、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪うと約束された通り、ひとたび約束された言葉を決して変えることのない永遠不変の神、イスラエルを祝福の基として私たちを祝福される神であられますから、イスラエルを呪うことなど言語道断であり、自ら滅びを身に招くこととなりますから注意が必要です。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.13-24.ja1955
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民数記 23:25-30
バラクはバラムに言った、「あなたは彼らをのろうことも祝福することも、やめてください」。 バラムは答えてバラクに言った、「主の言われることは、なんでもしなければならないと、わたしはあなたに告げませんでしたか」。 バラクはバラムに言った、「どうぞ、おいでください。わたしはあなたをほかの所へお連れしましょう。神はあなたがそこからわたしのために彼らをのろうことを許されるかもしれません」。 そしてバラクはバラムを連れて、荒野を見おろすペオルの頂に行った。 バラムはバラクに言った、「わたしのためにここに七つの祭壇を築き、雄牛七頭と、雄羊七頭とを整えなさい」。 バラクはバラムの言ったとおりにし、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。
バラムの告げる言葉に耐えられなくなったバラクは、神の託宣を語ることをやめるようにと願います。しかしバラムは、神が語れという言葉を語らない訳にはいかないと答えました。そこでバラクは、また別の場所に行けば神がイスラエルを呪う言葉を授けるかもしれないと考え、荒野を見下ろすペオル山の頂に連れて行き、再び7つの祭壇を築いて、それぞれ1頭ずつの雄牛と雄羊を燔祭として捧げました。私たちは時折、神の御心を受け入れられずに、自分の頑張りや行動力で何とか打開しようと、様々なことに手を着けたりしますが、神の御心は人の努力によって変わることなく、すべて徒労に終わります。ととえ自分にとっては都合の悪い、耳に痛い言葉であっても、神の御言葉は受け入れなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/num.23.25-30.ja1955