伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/10/31

2019-10-31 07:55:02 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 23:1-5

バラムはバラクに言った、「わたしのために、ここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊とを整えなさい」。 バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムとは、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。 バラムはバラクに言った、「あなたは燔祭のかたわらに立っていてください。その間にわたしは行ってきます。主はたぶんわたしに会ってくださるでしょう。そして、主がわたしに示される事はなんでもあなたに告げましょう」。こうして彼は一つのはげ山に登った。 神がバラムに会われたので、バラムは神に言った、「わたしは七つの祭壇を設け、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげました」。 主はバラムの口に言葉を授けて言われた、「バラクのもとに帰ってこう言いなさい」。

イスラエルを呪うために招聘したモアブの王バラクの歓迎を受けたバラムは、ここに7つの祭壇を築き、それぞれに1頭ずつの雄牛と雄羊を用意するように命じました。そして燔祭として捧げると、主の御言葉を求めるために近くの禿げ山に登りました。神は山の頂でバラムに、バラクにこのように言いなさいと御言葉を授けられました。神が私たちに賜る御言葉は、そのまま伝えなければなりません。私たちの口から出る一つ一つの言葉が、神を証するものでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/num.23.1-5.ja1955

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民数記 23:6-12

彼がバラクのもとに帰ってみると、バラクはモアブのすべてのつかさたちと共に燔祭のかたわらに立っていた。 バラムはこの託宣を述べた。「バラクはわたしをアラムから招き寄せ、モアブの王はわたしを東の山から招き寄せて言う、『きてわたしのためにヤコブをのろえ、きてイスラエルをのろえ』と。 神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。 岩の頂からながめ、丘の上から見たが、これはひとり離れて住む民、もろもろの国民のうちに並ぶものはない。 だれがヤコブの群衆を数え、イスラエルの無数の民を数え得よう。わたしは義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」。 そこでバラクはバラムに言った、「あなたはわたしに何をするのですか。わたしは敵をのろうために、あなたを招いたのに、あなたはかえって敵を祝福するばかりです」。 バラムは答えた、「わたしは、主がわたしの口に授けられる事だけを語るように注意すべきではないでしょうか」。

バラクとモアブのつかさたちが待っている先に燔祭を捧げた場所に帰ったバラムは、イスラエルを呪ってもらおうと願う彼らの要望通りではなく、神が呪わない者を私がどうして呪うことができるだろうかと、神から託された通りの言葉を語りました。そしてイスラエルの民が神に特別に愛された、他に類を見ない特別な民であり、大いに子孫を増す彼らのように死にたいと、むしろイスラエルをほめたたえる言葉を告げました。この言葉を聞いたバラクが、イスラエルを呪うために招聘したのにイスラエルを呪わないばかりか、どうしてイスラエルを賞賛するのかと怒ると、バラムは、主が自分の口に授けた言葉しか語ることはできないと答えました。私たちもまた人の顔色をうかがって真理を曲げて偽りの言葉を語る者ではなく、神の告げる御言葉の通りに語る者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/num.23.6-12.ja1955

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民数記 23:13-24

バラクは彼に言った、「わたしと一緒にほかのところへ行って、そこから彼らをごらんください。あなたはただ彼らの一端を見るだけで、全体を見ることはできないでしょうが、そこからわたしのために彼らをのろってください」。 そして彼はバラムを連れてゾピムの野に行き、ピスガの頂に登って、そこに七つの祭壇を築き、祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。 ときにはバラムはバラクに言った、「あなたはここで、燔祭のかたわらに立っていてください。わたしは向こうへ行って、主に伺いますから」。 主はバラムに臨み、言葉を口に授けて言われた、「バラクのもとに帰ってこう言いなさい」。 彼がバラクのところへ行って見ると、バラクは燔祭のかたわらに立ち、モアブのつかさたちも共にいた。バラクはバラムに言った、「主はなんと言われましたか」。 そこでバラムはまたこの託宣を述べた。「バラクよ、立って聞け、チッポルの子よ、わたしに耳を傾けよ。 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。 祝福せよとの命をわたしはうけた、すでに神が祝福されたものを、わたしは変えることができない。 だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。彼らの神、主が共にいまし、王をたたえる声がその中に聞える。 神は彼らをエジプトから導き出された、彼らは野牛の角のようだ。 ヤコブには魔術がなく、イスラエルには占いがない。神がそのなすところを時に応じてヤコブに告げ、イスラエルに示されるからだ。 見よ、この民は雌じしのように立ち上がり、雄じしのように身を起す。これはその獲物を食らい、その殺した者の血を飲むまでは身を横たえない」。

神の告げられた通りにしか語ることはできないとのバラムの言葉を聞いたモアブの王バラクは、場所を変えれば神は異なる言葉を授けるかもしれないと考えて、イスラエルの宿営全体を見渡すことのできるピスガの頂に登って7つの祭壇を築き、それぞれ1頭ずつの雄牛と雄羊を燔祭として捧げて、イスラエルを呪ってくださいとバラムに願いました。バラムが彼らを離れて主にお伺いを立てると、主は再びバラムの口に言葉を授けて、この通りに語りなさいと命じられました。再びバラクの元に戻ったバラムは、神から託された言葉の通り、神は一度定められたことを変えることなく必ず実現されるお方であり、イスラエルの祝福を変えることはできないこと、神がイスラエルと共にいて、占いも魔術もなく、ただ神のご命令に従う民であるが故に、彼らに敵対する者を滅ぼすと、イスラエルの勝利を宣言しました。神はかつてアブラハムそしてヤコブに、あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪うと約束された通り、ひとたび約束された言葉を決して変えることのない永遠不変の神、イスラエルを祝福の基として私たちを祝福される神であられますから、イスラエルを呪うことなど言語道断であり、自ら滅びを身に招くこととなりますから注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/num.23.13-24.ja1955

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民数記 23:25-30

バラクはバラムに言った、「あなたは彼らをのろうことも祝福することも、やめてください」。 バラムは答えてバラクに言った、「主の言われることは、なんでもしなければならないと、わたしはあなたに告げませんでしたか」。 バラクはバラムに言った、「どうぞ、おいでください。わたしはあなたをほかの所へお連れしましょう。神はあなたがそこからわたしのために彼らをのろうことを許されるかもしれません」。 そしてバラクはバラムを連れて、荒野を見おろすペオルの頂に行った。 バラムはバラクに言った、「わたしのためにここに七つの祭壇を築き、雄牛七頭と、雄羊七頭とを整えなさい」。 バラクはバラムの言ったとおりにし、その祭壇ごとに雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。

バラムの告げる言葉に耐えられなくなったバラクは、神の託宣を語ることをやめるようにと願います。しかしバラムは、神が語れという言葉を語らない訳にはいかないと答えました。そこでバラクは、また別の場所に行けば神がイスラエルを呪う言葉を授けるかもしれないと考え、荒野を見下ろすペオル山の頂に連れて行き、再び7つの祭壇を築いて、それぞれ1頭ずつの雄牛と雄羊を燔祭として捧げました。私たちは時折、神の御心を受け入れられずに、自分の頑張りや行動力で何とか打開しようと、様々なことに手を着けたりしますが、神の御心は人の努力によって変わることなく、すべて徒労に終わります。ととえ自分にとっては都合の悪い、耳に痛い言葉であっても、神の御言葉は受け入れなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.23.25-30.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/31

2019-10-31 05:30:59 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 1:17 新共同訳

福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

神の義は、キリスト・イエスの十字架により罪の赦しを得させる福音の中に啓示され、この神の約束を信じる者は皆救われます。信仰により義と認められ、神と共に永遠に生きるさいわいに与る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.1.17.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/30

2019-10-30 08:15:05 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 22:1-8

さて、イスラエルの人々はまた道を進んで、エリコに近いヨルダンのかなたのモアブの平野に宿営した。 チッポルの子バラクはイスラエルがアモリびとにしたすべての事を見たので、 モアブは大いにイスラエルの民を恐れた。その数が多かったためである。モアブはイスラエルの人々をひじょうに恐れたので、 ミデアンの長老たちに言った、「この群衆は牛が野の草をなめつくすように、われわれの周囲の物をみな、なめつくそうとしている」。チッポルの子バラクはこの時モアブの王であった。 彼はアンモンびとの国のユフラテ川のほとりにあるペトルに使者をつかわし、ベオルの子バラムを招こうとして言わせた、「エジプトから出てきた民があり、地のおもてをおおってわたしの前にいます。 どうぞ今きてわたしのためにこの民をのろってください。彼らはわたしよりも強いのです。そうしてくだされば、われわれは彼らを撃って、この国から追い払うことができるかもしれません。あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることをわたしは知っています」。 モアブの長老たちとミデアンの長老たちは占いの礼物を手にして出発し、バラムのもとへ行って、バラクの言葉を告げた。 バラムは彼らに言った、「今夜ここに泊まりなさい。主がわたしに告げられるとおりに、あなたがたに返答しましょう」。それでモアブのつかさたちはバラムのもとにとどまった。

アモリ人の王シホンとバシャンの王オグを打ち破ったイスラエルの民がモアブの平原に宿営する様子を見て、モアブの王バラクは非常に恐れを抱きました。彼はイスラエルとまともに戦っても勝ち目はないと悟り、霊的な戦い、イスラエルを呪うことによって勝利することができるのではないかと考えて、同族の住むユーフラテス川のほとりの町ペトルにいる呪術師バラムを招聘しようとして、モアブとミデアンの長老たちを遣わしました。使者を迎えたバラムは、主が語られる通りに答えましょうと言って一晩を過ごします。この世における私たちの戦いは、目に見える世界における戦いだけではなく、目には見えない霊の世界の戦いがあることを、私たちは常に意識しなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.22.1-8.ja1955

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民数記 22:9-20

ときに神はバラムに臨んで言われた、「あなたのところにいるこの人々はだれですか」。 バラムは神に言った、「モアブの王チッポルの子バラクが、わたしに人をよこして言いました。 『エジプトから出てきた民があり、地のおもてをおおっています。どうぞ今きてわたしのために彼らをのろってください。そうすればわたしは戦って、彼らを追い払うことができるかもしれません』」。 神はバラムに言われた、「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。またその民をのろってはならない。彼らは祝福された者だからである」。 明くる朝起きて、バラムはバラクのつかさたちに言った、「あなたがたは国にお帰りなさい。主はわたしがあなたがたと一緒に行くことを、お許しになりません」。 モアブのつかさたちは立ってバラクのもとに行って言った、「バラムはわたしたちと一緒に来ることを承知しません」。 バラクはまた前の者よりも身分の高いつかさたちを前よりも多くつかわした。 彼らはバラムのところへ行って言った、「チッポルの子バラクはこう申します、『どんな妨げをも顧みず、どうぞわたしのところへおいでください。 わたしはあなたを大いに優遇します。そしてあなたがわたしに言われる事はなんでもいたします。どうぞきてわたしのためにこの民をのろってください』」。 しかし、バラムはバラクの家来たちに答えた、「たといバラクがその家に満ちるほどの金銀をわたしに与えようとも、事の大小を問わず、わたしの神、主の言葉を越えては何もすることができません。 それで、どうぞ、あなたがたも今夜ここにとどまって、主がこの上、わたしになんと仰せられるかを確かめさせてください」。 夜になり、神はバラムに臨んで言われた、「この人々はあなたを招きにきたのだから、立ってこの人々と一緒に行きなさい。ただしわたしが告げることだけを行わなければならない」。

モアブの使者たちを迎えたバラムに、神はその夜、この人たちと一緒に行ってはならないと告げられました。なぜなら彼らがバラムに呪ってもらおうとしているイスラエルは神の祝福された民であるからです。神の祝福された者を呪う者は、その呪いが自らに降りかかります。そのことを知っているバラムは、一旦はモアブの使者たちを帰しますが、モアブの王バラクが再び、更に位の高い使者たちを派遣して厚遇を約束すると、欲に目がくらんだバラムは、もう一度神に確かめると答えました。神は一度定められたことは変えることなどなさらないことを知っていながら、再び神の御心を問うと答えたバラムは、この時すでに神の御心に従うことよりも、目に見えるこの世の富と名誉に心を奪われていたのです。それで神はバラムの心変わりを許容され、バラクの使者たちと一緒に行きなさいと答えられたのです。神は私たちの意思を尊重されるお方です。神の警告を無視して欲望の虜となり、罪に手を染め滅びに向かうことさえも、神は許容されるのです。私たちは神の御心を正しく悟り、自らの意志で聞き従わなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.22.9-20.ja1955

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民数記 22:21-31

明くる朝起きてバラムは、ろばにくらをおき、モアブのつかさたちと一緒に行った。 しかるに神は彼が行ったために怒りを発せられ、主の使は彼を妨げようとして、道に立ちふさがっていた。バラムは、ろばに乗り、そのしもべふたりも彼と共にいたが、 ろばは主の使が、手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見、道をそれて畑にはいったので、バラムは、ろばを打って道に返そうとした。 しかるに主の使はまたぶどう畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。道の両側には石がきがあった。 ろばは主の使を見て、石がきにすり寄り、バラムの足を石がきに押しつけたので、バラムは、また、ろばを打った。 主の使はまた先に進んで、狭い所に立ちふさがっていた。そこは右にも左にも、曲る道がなかったので、 ろばは主の使を見てバラムの下に伏した。そこでバラムは怒りを発し、つえでろばを打った。 すると、主が、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。 バラムは、ろばに言った、「お前がわたしを侮ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」。 ろばはまたバラムに言った、「わたしはあなたが、きょうまで長いあいだ乗られたろばではありませんか。わたしはいつでも、あなたにこのようにしたでしょうか」。バラムは言った、「いや、しなかった」。 このとき主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使が手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。

バラムは翌朝早く起きて、ロバに鞍を乗せ、バラクの使者たちと共にモアブの地に向かいます。すると神は、警告を無視してモアブの誘いに乗ったバラムに怒りを発し、主の使を遣わしてその行く手を阻みました。主の使が抜き身の剣を手にして立ちはだかっているのを見たロバは、道を逸れて畑に入ったり、石垣に身をすり寄せて制止しようとしたり、その場に身を伏せて先に進もうとしませんでしたが、欲に目がくらんだバラムには主の使の姿は見えず、ロバを3度も打ち叩いて先に進もうとしました。バラムを守るために先に進まなかったのに3度も打ち叩かれたロバの口を主が開き、私が何をしたのですか、今まであなたの命令に従わなかったことがありますかとロバに言われて、ようやくバラムは主の使が行く手を阻んで立っていることに気付きました。 動物が人間の言葉を話すという奇跡は、聖書の中でも滅多に出てきません。そこまでして神がバラムに警告を発せられたのは、バラムの欲深さの故に、正しい判断力と心を完全に見失っていたからです。神の制止を振り切ろうとする行為は、私たちを破滅に導きます。私たちは神の声を聞く耳を、神の御心を伝える聖霊の導きを見て悟る心の目を、決して失ってはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.22.21-31.ja1955

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民数記 22:32-35

主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。 ろばはわたしを見て三度も身を巡らしてわたしを避けた。もし、ろばが身を巡らしてわたしを避けなかったなら、わたしはきっと今あなたを殺して、ろばを生かしておいたであろう」。 バラムは主の使に言った、「わたしは罪を犯しました。あなたがわたしをとどめようとして、道に立ちふさがっておられるのを、わたしは知りませんでした。それで今、もし、お気に召さないのであれば、わたしは帰りましょう」。 主の使はバラムに言った、「この人々と一緒に行きなさい。ただし、わたしが告げることのみを述べなければならない」。こうしてバラムはバラクのつかさたちと一緒に行った。

主の使はバラムに、なぜ神の制止を伝えようとしたロバを3度も打ち叩いたのかと、バラムを責めました。そして悔い改めたバラムに、これからバラクの元に行き、神から授かる言葉だけを語るようにと厳しく命じられました。ここでバラムが出会った神の使は、受肉前の主イエスご自身であったと考えられます。なぜならバラムに「わたしが告げることのみを述べなければならない」と、神と同格であることを示しているからです。聖書の中でひらがなで「わたし」と記されている箇所は、神あるいは主イエスがご自身を指すときだけに用いられる言葉です。聖書を読むとき、言葉に注意しながら読み解くことが、正しく神の御言葉を悟る助けとなります。

https://www.bible.com/bible/81/num.22.32-35.ja1955

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民数記 22:36-41

さて、バラクはバラムがきたと聞いて、国境のアルノン川のほとり、国境の一端にあるモアブの町まで出て行って迎えた。 そしてバラクはバラムに言った、「わたしは人をつかわしてあなたを招いたではありませんか。あなたはなぜわたしのところへきませんでしたか。わたしは実際あなたを優遇することができないでしょうか」。 バラムはバラクに言った、「ごらんなさい。わたしはあなたのところにきています。しかし、今、何事かをみずから言うことができましょうか。わたしはただ神がわたしの口に授けられることを述べなければなりません」。 こうしてバラムはバラクと一緒に行き、キリアテ・ホゾテにきたとき、 バラクは牛と羊とをほふって、バラムおよび彼と共にいたバラムを連れてきたつかさたちに贈った。 明くる朝バラクはバラムを伴ってバモテバアルにのぼり、そこからイスラエルの民の宿営の一端をながめさせた。

モアブの王バラクは、国境の町まで自らで向いてバラムの到着を歓迎しました。しかしバラムは、ただ神が自分の口に授ける言葉だけを語ると、あらかじめバラクに釘を刺しました。それは、神の御心がバラクの要望通りにイスラエルを呪うことではなく、イスラエルを祝福することだったからです。呪術師さえも神を畏れ神の言葉に従うのですから、神を信じ従う私たちは尚更、神の語られる御言葉に従うのは当然のことです。この世の富や名誉にも、あらゆる誘惑にも、いかなる脅迫にも屈することなく、ただ神の御言葉だけを守り行い、神の御心をこの世に証する者となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/num.22.36-41.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/30

2019-10-30 05:35:15 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 15:5-6 新共同訳‬‬

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、 心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。

人は皆、神の栄光を表すために造られた者です。人それぞれ、様々な考えを抱き、異なる生き方を送る中で、キリストにあって心を合わせ、声を揃えて父なる神をほめたたえさせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.15.5-6.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/29

2019-10-29 08:00:33 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 21:1-3

時にネゲブに住んでいたカナンびとアラデの王は、イスラエルがアタリムの道をとおって来ると聞いて、イスラエルを攻撃し、そのうちの数人を捕虜にした。 そこでイスラエルは主に誓いを立てて言った、「もし、あなたがこの民をわたしの手にわたしてくださるならば、わたしはその町々をことごとく滅ぼしましょう」。 主はイスラエルの言葉を聞きいれ、カナンびとをわたされたので、イスラエルはそのカナンびとと、その町々とをことごとく滅ぼした。それでその所の名はホルマと呼ばれた。

縁戚にあたるエドム人の領地を迂回することとしたイスラエルの民の前に、ネゲブの住民であったカナン人アラデの王が立ちはだかり、先制攻撃を仕掛けて数人を捕虜としてしまいました。そこでイスラエルは神に誓願を立てて、神が与えてくださるならばアラデの人々を滅ぼすと、御心を問いました。神はイスラエルの願いを聞き届け、アラデの町々をイスラエルの手に渡しました。私たちが突然の攻撃や苦難、試練に遭うことがあっても、神の御心を求め、神の御言葉に聞き従って歩むならば、私たちの人生に必ず輝かしい勝利が伴います。

https://www.bible.com/bible/81/num.21.1-3.ja1955


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民数記 21:4-9

民はホル山から進み、紅海の道をとおって、エドムの地を回ろうとしたが、民はその道に堪えがたくなった。 民は神とモーセとにむかい、つぶやいて言った、「あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく、水もありません。わたしたちはこの粗悪な食物はいやになりました」。 そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。 民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。 そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。 モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。

荒野での40年間、戦争など経験していなかったイスラエル人にとって、エドム人の領地を迂回する道は険しいものでした。ついにイスラエルの民は我慢ができなくなり、モーセに向かって怒りを爆発させます。しかし怒りの感情は、かえって私たちを窮地に追い込みます。そして怒りにまかせて、言ってはならないことさえも口にしてしまいます。なんと彼らは、これまで荒野の40年間、自分たちのいのちを支えてきた天からのパン、マナを「粗悪な食物」と言い放ってしまったのです。すると神は彼らに向かって怒りを発し、火の蛇を送り、彼らを咬んで多くの者が死に絶えました。するとイスラエルの民は自らの過ちに気付いて悔い改め、モーセに執り成しの祈りを求めました。神はモーセの祈りを聞き、モーセに向かって青銅で蛇を作って木に掛け、それを仰ぎ見るようにとイスラエルの民に命じました。モーセの言葉を信じて青銅の蛇を見上げた者は生き延びることができ、見なかった者は死んでしまいました。青銅は罪の購いを意味するもの、そして木に掛けられた青銅の蛇はイエスの十字架による救いの予表です。私たちもまた罪を犯したとき、悔い改めてイエスの十字架を仰ぎ見る者だけが救われるのです。

https://www.bible.com/bible/81/num.21.4-9.ja1955

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民数記 21:10-20

イスラエルの人々は道を進んでオボテに宿営した。 またオボテから進んで東の方、モアブの前にある荒野において、イエアバリムに宿営した。 またそこから進んでゼレデの谷に宿営し、 さらにそこから進んでアルノン川のかなたに宿営した。アルノン川はアモリびとの境から延び広がる荒野を流れるもので、モアブとアモリびととの間にあって、モアブの境をなしていた。 それゆえに、「主の戦いの書」にこう言われている。「スパのワヘブ、アルノンの谷々、 谷々の斜面、アルの町まで傾き、モアブの境に寄りかかる」。 彼らはそこからベエルへ進んで行った。これは主がモーセにむかって、「民を集めよ。わたしはかれらに水を与えるであろう」と言われた井戸である。 その時イスラエルはこの歌をうたった。「井戸の水よ、わきあがれ、人々よ、この井戸のために歌え、 笏とつえとをもってつかさたちがこの井戸を掘り、民のおさたちがこれを掘った」。そして彼らは荒野からマッタナに進み、 マッタナからナハリエルに、ナハリエルからバモテに、 バモテからモアブの野にある谷に行き、荒野を見おろすピスガの頂に着いた。

ここにはイスラエルが約束の地に向かう全行程が記されています。彼らはヨルダン川の東側、モアブ人とアモリ人の領地を迂回して通り、そしてついに約束の地を見下ろすことのできるピスガの頂に到達しました。その間、神はイスラエルの人々が生きることのできるように、ベエルの井戸をも与えられました。荒野の旅路は険しくもありますが、背後で支える神の御手が共にある経験を実感することのできる、恵みのときでもあります。

https://www.bible.com/bible/81/num.21.10-20.ja1955

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民数記 21:21-30

ここでイスラエルはアモリびとの王シホンに使者をつかわして言わせた、 「わたしにあなたの国を通らせてください。わたしたちは畑にもぶどう畑にも、はいりません。また井戸の水も飲みません。わたしたちはあなたの領地を通り過ぎるまで、ただ王の大路を通ります」。 しかし、シホンはイスラエルに自分の領地を通ることを許さなかった。そしてシホンは民をことごとく集め、荒野に出て、イスラエルを攻めようとし、ヤハズにきてイスラエルと戦った。 イスラエルは、やいばで彼を撃ちやぶり、アルノンからヤボクまで彼の地を占領し、アンモンびとの境に及んだ。ヤゼルはアンモンびとの境だからである。 こうしてイスラエルはこれらの町々をことごとく取った。そしてイスラエルはアモリびとのすべての町々に住み、ヘシボンとそれに附属するすべての村々にいた。 ヘシボンはアモリびとの王シホンの都であって、シホンはモアブの以前の王と戦って、彼の地をアルノンまで、ことごとくその手から奪い取ったのである。 それゆえに歌にうたわれている。「人々よ、ヘシボンにきたれ、シホンの町を築き建てよ。 ヘシボンから火が燃え出し、シホンの都から炎が出て、モアブのアルを焼き尽し、アルノンの高地の君たちを滅ぼしたからだ。 モアブよ、お前はわざわいなるかな、ケモシの民よ、お前は滅ぼされるであろう。彼は、むすこらを逃げ去らせ、娘らをアモリびとの王シホンの捕虜とならせた。 彼らの子らは滅び去った、ヘシボンからデボンまで。われわれは荒した、火はついてメデバに及んだ」。

ピスガの頂から約束の地に入るには、アモリ人の領地を通過しなければなりませんでした。そこでモーセはアモリ人の王シホンに使者を遣わし、王の道と呼ばれる国際通路を通過させてほしいと申し出ました。しかしシホンはイスラエルの平和的な要請を拒み、軍を率いてイスラエルを攻撃し、戦争を仕掛けました。現在もイスラエル周辺の情勢は戦争が絶えませんが、今も昔も戦争の構図は、先に反イスラエルの国々が戦争を仕掛けています。イスラエルの戦争は常に正当防衛から始まるのです。神は常に正しい者の味方ですから、イスラエルを援護し、先に攻撃を仕掛けた国を滅ぼされます。それをあたかもイスラエルが悪であるかのように国際社会に訴えるのが、彼らの常套手段です。この戦争の構図を正しく理解せず、メディアの情報を鵜呑みにすると、中東情勢を見誤りますから注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/num.21.21-30.ja1955

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民数記 21:31-35

こうしてイスラエルはアモリびとの地に住んだが、 モーセはまた人をつかわしてヤゼルを探らせ、ついにその村々を取って、そこにいたアモリびとを追い出し、 転じてバシャンの道に上って行ったが、バシャンの王オグは、その民をことごとく率い、エデレイで戦おうとして出迎えた。 主はモーセに言われた、「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその民とその地とを、ことごとくあなたの手にわたす。あなたはヘシボンに住んでいたアモリびとの王シホンにしたように彼にもするであろう」。 そこで彼とその子とすべての民とを、ひとり残らず撃ち殺して、その地を占領した。

アモリ人と戦いその領地を占領したイスラエルの民に、更にバシャンの王オグも戦争を仕掛けてきます。神はイスラエルがアモリ人の王シホンを打ち破ったように、バシャンの王オグをも打ち破らせなさいました。これは神の義を現すための戦いだったからです。神は義のために戦う者に、悪を恐れるなと常に声を掛けてくださっています。私たちは神の約束をただ信じて、現実逃避することなく、勇敢に立ち向かうことが大切です。

https://www.bible.com/bible/81/num.21.31-35.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/29

2019-10-29 05:40:16 | 今日の聖句
イザヤ書 64:8

されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。

陶器師が意のままに様々な器を形作るように、神は私たちを御心のままに造り、生きる目的を与えます。神が私たちの人生に与えられたご計画を尋ね求め、自己実現のためにではなく神の御心に適う者となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/isa.64.8.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/28

2019-10-28 07:40:59 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 20:1-5

イスラエルの人々の全会衆は正月になってチンの荒野にはいった。そして民はカデシにとどまったが、ミリアムがそこで死んだので、彼女をそこに葬った。 そのころ会衆は水が得られなかったため、相集まってモーセとアロンに迫った。 すなわち民はモーセと争って言った、「さきにわれわれの兄弟たちが主の前に死んだ時、われわれも死んでいたらよかったものを。 なぜ、あなたがたは主の会衆をこの荒野に導いて、われわれと、われわれの家畜とを、ここで死なせようとするのですか。 どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導き入れたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」。

この章のストーリーは正月から始まりますが、モーセの姉ミリアムの死の時期から、歴史的には荒野での40年間の放浪を終えてから新年を迎えたときのことと考えられます。かつてイスラエルの全会衆は、このチンの荒野の、カデシュバルネアから約束の地に12人の斥候を送った一連の事件によって、荒野での40年間の放浪を余儀なくされました。そして再び約束の地に入る一歩手前まで、いわば振り出しに戻ったことになります。そしてイスラエルの会衆は、荒野を放浪し始めた40年前と全く同様に、飲み水がないとつぶやいてモーセとアロンに詰め寄りました。40年経っても彼らの心はまだエジプト時代を慕い求め、神の祝福の約束よりも目の前の困難しか見ることができなかったのです。私たちの人生もまた荒野を旅するような、試練と困難の連続です。そのとき神の約束に希望を置いて日々を歩むことができるか、それとも目の前の困難に目を奪われて罪の生活に戻ろうとするか、私たちの信仰が試されます。

https://www.bible.com/bible/81/num.20.1-5.ja1955

*****

民数記 20:6-13

そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現れ、 主はモーセに言われた、 「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。 モーセは命じられたように主の前にあるつえを取った。 モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。 モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。 そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。 これがメリバの水であって、イスラエルの人々はここで主と争ったが、主は自分の聖なることを彼らのうちに現された。

飲み水がないと苦情を申し立てるイスラエルの民のつぶやきを聞いたモーセとアロンは、会見の幕屋の前に行き、神の御前にひれ伏して御心を求めました。すると神は、契約の箱の前に置いてある杖、すなわちアロンの祭司職の正統性を示した、芽を吹きアーモンドの実を実らせたアロンの杖をとって、岩に命じて水を出させるようにと命じられました。しかしモーセとアロンは、ここで痛恨の失敗を犯してしまいます。アロンの杖を取ってイスラエルの全会衆を集めたところまでは良かったのですが、「われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」と言って、神の命に反し、岩を杖で打って、しかも二度も打つことにより、岩から水を出させたのです。このたった一度の不従順により、モーセもアロンも約束の地に入ることはできないと、神から告知されてしまいました。これがメリバの水と呼ばれる事件の一部始終です。これまで40年もの間、不平不満ばかりぶつけるイスラエルの民を忍耐をもってここまで導いてきたのに、たった一度の失敗で神の約束の地に入ることはできないとは、神は厳しいお方だと、人間的には感じるかもしれません。しかし彼らの犯した罪は、怒りの感情に支配されて神の御言葉に聞き従わず、神の聖なることを民に証せず、自ら行うパフォーマンスによって、民衆の欲望を満たそうとする、自分が神になり代わろうとする罪を犯してしまったところにあります。更にこの事件は、救いの岩である主イエス・キリストの十字架の購いがただ一度だけで完成されるという神の御業を否定したものと、後にパウロはその書簡の中で説明しています。私たちは常に自分に死に、神の命じられたことに徹底的に聞き従う者となることが求められています。

https://www.bible.com/bible/81/num.20.6-13.ja1955

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民数記 20:14-21

さて、モーセはカデシからエドムの王に使者をつかわして言った、「あなたの兄弟、イスラエルはこう申します、『あなたはわたしたちが遭遇したすべての患難をご存じです。 わたしたちの先祖はエジプトに下って行って、わたしたちは年久しくエジプトに住んでいましたが、エジプトびとがわたしたちと、わたしたちの先祖を悩ましたので、 わたしたちが主に呼ばわったとき、主はわたしたちの声を聞き、ひとりの天の使をつかわして、わたしたちをエジプトから導き出されました。わたしたちは今あなたの領地の端にあるカデシの町におります。 どうぞ、わたしたちにあなたの国を通らせてください。わたしたちは畑もぶどう畑も通りません。また井戸の水も飲みません。ただ王の大路を通り、あなたの領地を過ぎるまでは右にも左にも曲りません』」。 しかし、エドムはモーセに言った、「あなたはわたしの領地をとおってはなりません。さもないと、わたしはつるぎをもって出て、あなたに立ちむかうでしょう」。 イスラエルの人々はエドムに言った、「わたしたちは大路を通ります。もしわたしたちとわたしたちの家畜とが、あなたの水を飲むことがあれば、その価を払います。わたしは徒歩で通るだけですから何事もないでしょう」。 しかし、エドムは「あなたは通ることはなりません」と言って、多くの民と強い軍勢とを率い、出て、これに立ちむかってきた。 このようにエドムはイスラエルに、その領地を通ることを拒んだので、イスラエルはエドムからほかに向かった。

カデシュバルネアから神の約束された地に向かうにあたり、前回失敗した死海の西側からではなく、南東側の山地を通る「王の道」と呼ばれる道を進もうとしました。しかしそこにはヤコブの兄エサウの子孫であるエドム人が住んでおり、神は親族にあたるエドム人と争ってはならないと厳しく命じられていたので、まず使者を送って領地内に入る許可を得ようとしました。しかしエドム人はこの要請を拒んだため、イスラエルは他の道を通ることとしました。私たちは可能な限りすべての人と平和的な関係を保つ努力を惜しんではなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.20.14-21.ja1955

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民数記 20:22-29

こうしてイスラエルの人々の全会衆はカデシから進んでホル山に着いた。 主はエドムの国境に近いホル山で、モーセとアロンに言われた、 「アロンはその民に連ならなければならない。彼はわたしがイスラエルの人々に与えた地に、はいることができない。これはメリバの水で、あなたがたがわたしの言葉にそむいたからである。 あなたはアロンとその子エレアザルを連れてホル山に登り、 アロンに衣服を脱がせて、それをその子エレアザルに着せなさい。アロンはそのところで死んで、その民に連なるであろう」。 モーセは主が命じられたとおりにし、連れだって全会衆の目の前でホル山に登った。 そしてモーセはアロンに衣服を脱がせ、それをその子エレアザルに着せた。アロンはその山の頂で死んだ。そしてモーセとエレアザルは山から下ったが、 全会衆がアロンの死んだのを見たとき、イスラエルの全家は三十日の間アロンのために泣いた。

エドムの領地を避けて約束の地に向かったイスラエルの民は、ついに国境に近いホル山までたどり着きました。しかしここで神はアロンに、この場所での死を宣告します。それはメリバの水の一件で、アロンもモーセも約束の地に入ることはできないと定められていたからです。神は大祭司であるアロンに代わり、その子エレアザルに大祭司の職を継承させるために、モーセと共に3人でホル山に登って、その頂で大祭司の装束をアロンから脱がせ、エレアザルに着させました。こうしてアロンはホル山の頂で死に、新たな大祭司としてエレアザルに世代交代しました。私たちもまた神の約束された永遠の御国への道を歩んでいる者ですが、私たちの地上の生涯の中で、主の再臨の日が来るかどうかはわかりません。そのときが来るまで、私たちは次の世代へと信仰を受け継がせる責務があります。

https://www.bible.com/bible/81/num.20.22-29.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/28

2019-10-28 05:00:50 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 12:1 新共同訳

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

まことの礼拝者とは、毎週の礼拝の時間だけ神に捧げることではなく、まさに今この瞬間にも自分自身を神に捧げ尽くす者です。年間365日、一日24時間のすべてを、自らの生き様を通して神を証することのできる、自己犠牲を厭わずに身も心も神に捧げる者とならせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.12.1.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/27

2019-10-27 14:00:08 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 19:1-10

主はモーセとアロンに言われた、 「主の命じられた律法の定めは次のとおりである。すなわち『イスラエルの人々に告げて、完全で、傷がなく、まだくびきを負ったことのない赤い雌牛を、あなたのもとに引いてこさせ、 これを祭司エレアザルにわたして、宿営の外にひき出させ、彼の前でこれをほふらせなければならない。 そして祭司エレアザルは、指をもってその血を取り、会見の幕屋の表に向かって、その血を七たびふりかけなければならない。 ついでその雌牛を自分の目の前で焼かせ、その皮と肉と血とは、その汚物と共に焼かなければならない。 そして祭司は香柏の木と、ヒソプと、緋の糸とを取って雌牛の燃えているなかに投げ入れなければならない。 そして祭司は衣服を洗い、水に身をすすいで後、宿営に、はいることができる。ただし祭司は夕まで汚れる。 またその雌牛を焼いた者も水で衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼も夕まで汚れる。 それから身の清い者がひとり、その雌牛の灰を集め、宿営の外の清い所にたくわえておかなければならない。これはイスラエルの人々の会衆のため、汚れを清める水をつくるために備えるものであって、罪を清めるものである。 その雌牛の灰を集めた者は衣服を洗わなければならない。その人は夕まで汚れる。これはイスラエルの人々と、そのうちに宿っている他国人との、永久に守るべき定めとしなければならない。」

民数記19章に記されたきよめの水に関する規定は異質です。ここではなぜか祭司アロンではなく、その息子エレアザルがきよめの水を付ける役割に関与しています。また赤い完全な雌牛と、毛並みの色まで規定されているのも他の律法には見られない特徴です。この赤毛の完全な雌牛とは、十字架で血潮を流された主イエスを予表するものだそうです。傷のないとは罪のないことを意味するもの、くびきを負ったことのないというのは罪の奴隷となったことがない状態を意味するもの、宿営の外で雌牛を焼く際に投げ込まれた杉の木は十字架を、緋色の糸は流された血潮を意味するもの、すなわちこの雌牛に該当するお方は主イエスしかないというのです。そして汚れを受けてはならない大祭司アロンに代わって、息子のエレアザルが代表となって汚れを身に受けながら、罪に汚れた人々をきよめる水を作って宿営の外に常備したのです。現代の私たちはキリストの血潮によってすべての罪からきよめていただく特権に与っていますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/num.19.1-10.ja1955

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民数記 19:11-13

「すべて人の死体に触れる者は、七日のあいだ汚れる。 その人は三日目と七日目とに、この灰の水をもって身を清めなければならない。そうすれば清くなるであろう。しかし、もし三日目と七日目とに、身を清めないならば、清くならないであろう。 すべて死人の死体に触れて、身を清めない者は主の幕屋を汚す者で、その人はイスラエルから断たれなければならない。汚れを清める水がその身に注ぎかけられないゆえ、その人は清くならず、その汚れは、なお、その身にあるからである。」

この戒めが定められたときは、コラなちによる反乱と、続く不信仰の行動によって、イスラエルの宿営の中で多数の死者が出たときのことです。至る所に死体が転がっている状態では、ほとんどの人が汚れた者となりました。そこで神は死体に触れて汚れた多数の者をきよめるための規定を定められたのです。罪と汚れは私たちの内に放置してはならず、直ちにきよめを受ける必要があります。それは決して過去の出来事ではなく、罪に満ちた現代に生きる私たちも同様に罪からのきよめを受けなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.19.11-13.ja1955

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民数記 19:14-22

「人が天幕の中で死んだ時に用いる律法は次のとおりである。すなわち、すべてその天幕にはいった者、およびすべてその天幕にいた者は七日のあいだ汚れる。 ふたで上をおおわない器はみな汚れる。 つるぎで殺された者、または死んだ者、または人の骨、または墓などに、野外で触れる者は皆、七日のあいだ汚れる。 汚れた者があった時には、罪を清める焼いた雌牛の灰を取って器に入れ、流れの水をこれに加え、 身の清い者がひとりヒソプを取って、その水に浸し、これをその天幕と、すべての器と、そこにいた人々と、骨、あるいは殺された者、あるいは死んだ者、あるいは墓などに触れた者とにふりかけなければならない。 すなわちその身の清い人は三日目と七日目とにその汚れたものに、それをふりかけなければならない。そして七日目にその人は身を清め、衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。そうすれば夕になって清くなるであろう。 しかし、汚れて身を清めない人は主の聖所を汚す者で、その人は会衆のうちから断たれなければならない。汚れを清める水がその身に注ぎかけられないゆえ、その人は汚れているからである。 これは彼らの永久に守るべき定めとしなければならない。すなわち汚れを清める水をふりかけた者は衣服を洗わなければならない。また汚れを清める水に触れた者も夕まで汚れるであろう。 すべて汚れた人の触れる物は汚れる。またそれに触れる人も夕まで汚れるであろう』」。

天幕の中で人が死んだ場合、すなわち家庭内に死の汚れが発生した場合についてここで規定されています。このとき死体と同じ空気に触れたもの、蓋をせずに置いてあったものは、死体に触れていなくても汚れたものとされました。あたかも伝染病のように、罪の感染力は絶大で、同じ環境にあるものすべてを汚れさせます。私たちは罪から遠く離れ、家庭内に罪の要因を持ち込むことのないよう細心の注意を払う必要があると同時に、もし罪を身に受けたならば徹底的にその要素を取り除き、完全にきよめることが、私たちの罪に対して取るべき態度です。

https://www.bible.com/bible/81/num.19.14-22.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/27

2019-10-27 07:05:57 | 今日の聖句
マタイによる福音書 10:16 新共同訳

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」

私たちがこの世で生きることは、狼の群の中に羊が送り込まれるような、非常に危険を伴うことです。罪の攻撃を敏感に察知し自らを守るために賢く振る舞い、神の御言葉に素直に従う従順を併せ持つことにより、罪の支配するこの世に遣わされてきよさを保つ秘訣と心得る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.10.16.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/26

2019-10-26 08:10:56 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 18:1-7

そこで、主はアロンに言われた、「あなたとあなたの子たち、およびあなたの父祖の家の者は、聖所に関する罪を負わなければならない。また、あなたとあなたの子たちとは、祭司職に関する罪を負わなければならない。 あなたはまた、あなたの兄弟なるレビの部族の者、すなわち、あなたの父祖の部族の者どもを、あなたに近づかせ、あなたに連なり、あなたに仕えさせなければならない。ただし、あなたとあなたの子たちとは、共にあかしの幕屋の前で仕えなければならない。 彼らは、あなたの務と、すべての幕屋の務とを守らなければならない。ただし、聖所の器と、祭壇とに近づいてはならない。彼らもあなたがたも、死ぬことのないためである。 彼らはあなたに連なって、会見の幕屋の務を守り、幕屋のもろもろの働きをしなければならない。ほかの者は、あなたがたに近づいてはならない。 このように、あなたがたは、聖所の務と、祭壇の務とを守らなければならない。そうすれば、主の激しい怒りは、かさねてイスラエルの人々に臨まないであろう。 わたしはあなたがたの兄弟たるレビびとを、イスラエルの人々のうちから取り、主のために、これを賜物として、あなたがたに与え、会見の幕屋の働きをさせる。 あなたとあなたの子たちは共に祭司職を守って、祭壇と、垂幕のうちのすべての事を執り行い、共に勤めなければならない。わたしは祭司の職務を賜物として、あなたがたに与える。ほかの人で近づく者は殺されるであろう」。

アロンの祭司職について、神はこの職務を賜物として与えると約束されました。聖なる神に仕えることのできる特権は、神からの賜物であると、改めて教えられました。だからこそ神はアロンに連なる祭司の家系に対し、聖所に関する罪を負わなければならないと告げ、その職務の重大さを再確認させたのではないかと思います。私たちの神に対する奉仕もまた神から特別に与えられた賜物であると自覚するとき、身の引き締まる思いで誠心誠意、この務めに臨みたいと切に願います。

https://www.bible.com/bible/81/num.18.1-7.ja1955

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民数記 18:8-14

主はまたアロンに言われた、「わたしはイスラエルの人々の、すべての聖なる供え物で、わたしにささげる物の一部をあなたに与える。すなわち、わたしはこれをあなたと、あなたの子たちに、その分け前として与え、永久に受くべき分とする。 いと聖なる供え物のうち、火で焼かずに、あなたに帰すべきものは次のとおりである。すなわち、わたしにささげるすべての供え物、素祭、罪祭、愆祭はみな、いと聖なる物であって、あなたとあなたの子たちに帰するであろう。 いと聖なる所で、それを食べなければならない。男子はみな、それを食べることができる。それはあなたに帰すべき聖なる物である。 またあなたに帰すべきものはこれである。すなわち、イスラエルの人々のささげる供え物のうち、すべて揺祭とするものであって、これをあなたとあなたのむすこ娘に与えて、永久に受くべき分とする。あなたの家の者のうち、清い者はみな、これを食べることができる。 すべて油の最もよい物、およびすべて新しいぶどう酒と、穀物の最も良い物など、人々が主にささげる初穂をあなたに与える。 国のすべての産物の初物で、人々が主のもとに携えてきたものは、あなたに帰するであろう。あなたの家の者のうち、清い者はみな、これを食べることができる。 イスラエルのうちの奉納物はみな、あなたに帰する。」

神の働きに専念する祭司に対し、神はご自身に捧げられたいと聖なる捧げものの一部を、あなた方の分け前とすると定められました。神に仕える者は、民が捧げた最もよきものに与る特権をもいただいたのです。これは、神に仕える者が神によって養われることを具体的に示すものであり、私たちに代わり神に仕える聖職者を、私たちの捧げものによって支えるべき基本的な教えです。直接献身は神からの賜物であると先に学びましたが、その召しをいただかなかった者は捧げものをもって神に仕えるべきです。神に捧げるために生き、神に捧げる責務を果たすために一所懸命に働き、神に仕える者を支えることを自分の召しと自覚する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/num.18.8-14.ja1955

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民数記 18:15-19

「すべて肉なる者のういごであって、主にささげられる者はみな、人でも獣でも、あなたに帰する。ただし、人のういごは必ずあがなわなければならない。また汚れた獣のういごも、あがなわなければならない。 人のういごは生後一か月で、あがなわなければならない。そのあがない金はあなたの値積りにより、聖所のシケルにしたがって、銀五シケルでなければならない。一シケルは二十ゲラである。 しかし、牛のういご、羊のういご、やぎのういごは、あがなってはならない。これらは聖なるものである。その血を祭壇に注ぎかけ、その脂肪を焼いて火祭とし、香ばしいかおりとして、主にささげなければならない。 その肉はあなたに帰する。それは揺祭の胸や右のももと同じく、あなたに帰する。 イスラエルの人々が、主にささげる聖なる供え物はみな、あなたとあなたのむすこ娘とに与えて、永久に受ける分とする。これは主の前にあって、あなたとあなたの子孫とに対し、永遠に変らぬ塩の契約である」。

神の民イスラエルに生まれた初子はすべて神の所有であると定められましたが、その中から人の初子、牛の初子、羊の初子、やぎの初子を除いた他は、祭司の受ける分となりました。人の初子は聖所のシケルで銀5シケルで購い、牛の初子、羊の初子も、最も尊い血と、最もよい脂肪は神のものとして捧げられた後、残りの肉は祭司のものとなりました。これが神と祭司との間に交わされた永遠に変わらない塩の契約でした。この塩の契約とは、神が特別に直接アロンに語られた、永遠不変の契約、不可侵の契約、特別な堅い契約を意味するものです。神に仕える者は神が養うこと、神に捧げられた最も良きものをいただく特権に与ること、これらの契約を永遠不変の塩の契約として神から約束されたことは、どれほど素晴らしいことでしょうか。

https://www.bible.com/bible/81/num.18.15-19.ja1955

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民数記 18:20-24

主はまたアロンに言われた、「あなたはイスラエルの人々の地のうちに、嗣業をもってはならない。また彼らのうちに、何の分をも持ってはならない。彼らのうちにあって、わたしがあなたの分であり、あなたの嗣業である。 わたしはレビの子孫にはイスラエルにおいて、すべて十分の一を嗣業として与え、その働き、すなわち、会見の幕屋の働きに報いる。 イスラエルの人々は、かさねて会見の幕屋に近づいてはならない。罪を得て死なないためである。 レビびとだけが会見の幕屋の働きをしなければならない。彼らがその罪を負うであろう。彼らがイスラエルの人々のうちに、嗣業の地を持たないことをもって、あなたがたの代々ながく守るべき定めとしなければならない。 わたしはイスラエルの人々が供え物として主にささげる十分の一を、レビびとに嗣業として与えた。それで『彼らはイスラエルの人々のうちに、嗣業の地を持ってはならない』と、わたしは彼らに言ったのである」。

神はイスラエルの民に与えると約束された地を、レビ人には嗣業として与えませんでした。それはレビ人が全イスラエルの初子の代わりにご自身のものとされ、神に直接仕えるために召し出されたために、神に仕えることが嗣業となったからです。そしてこの嗣業は世襲的にレビ人だけが与ることのできる特権で、イスラエルの他の部族は決してこの務めに与ることはできませんでした。神ご自身が嗣業となるということは、神に誠心誠意仕えるべき義務と共に、神が必ず養ってくださるという恵みの約束です。この契約に基づいた神に対する直接献身に専念することが、レビ人の永遠の嗣業となったのです。ですからやがてヨシュアによってイスラエル12部族の嗣業の地が定められたときも、レビという名の地はありませんでした。イスラエルの内にあって神に仕えることがレビ人の嗣業となったように、私たちもまたこの世にあって神に仕え、人に仕えることが、先に救われたクリスチャンの受くべき嗣業です。

https://www.bible.com/bible/81/num.18.20-24.ja1955

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民数記 18:25-32

主はモーセに言われた、 「レビびとに言いなさい、『わたしがイスラエルの人々から取って、嗣業として与える十分の一を受ける時、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主にささげなければならない。 あなたがたのささげ物は、打ち場からの穀物や、酒ぶねからのぶどう酒と同じように見なされるであろう。 そのようにあなたがたもまた、イスラエルの人々から受けるすべての十分の一の物のうちから、主に供え物をささげ、主にささげたその供え物を、祭司アロンに与えなければならない。 あなたがたの受けるすべての贈物のうちから、その良いところ、すなわち、聖なる部分を取って、ことごとく供え物として、主にささげなければならない』。 あなたはまた彼らに言いなさい、『あなたがたが、そのうちから良いところを取ってささげる時、その残りの部分はレビびとには、打ち場の産物や、酒ぶねの産物と同じように見なされるであろう。 あなたがたと、あなたがたの家族とは、どこでそれを食べてもよい。これは会見の幕屋であなたがたがする働きの報酬である。 あなたがたが、その良いところをささげるときは、それによって、あなたがたは罪を負わないであろう。あなたがたはイスラエルの人々の聖なる供え物を汚してはならない。死をまぬかれるためである』」。

神に直接仕えるレビ人もまた、神に捧げることに対しては、免除されたわけではありません。イスラエルの民が捧げた什一の捧げものの中から、レビ人としての捧げものとしてその什一を神に捧げるようにと定められました。また、自分たちの分け前として受けた贈り物の中から、最も良きものは神と祭司に捧げるようにとも命じられました。神に仕えるレビ人が神に捧げることについて特別扱いされなかったように、神に仕える者とされた献身者もまた、神に捧げることについては什一献金を守るべきことが定められました。むしろ、すべての人に対する証として、人々の模範として、率先して、喜んで什一献金を捧げることが、神に仕えるクリスチャンの果たすべき使命です。

https://www.bible.com/bible/81/num.18.25-32.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/26

2019-10-26 06:45:27 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙一 16:13-14 新共同訳‬‬

目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。 何事も愛をもって行いなさい。

人は眠っているときには無防備で、何もすることができないように、常に信仰の目を覚ましていないと、サタンの攻撃に立ち向かうことも、誘惑に打ち勝つこともできません。信仰に基づいて雄々しく立ち、強く、愛をもって生きるために、常に信仰の目を呼び覚ます私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1co.16.13-14.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/25

2019-10-25 07:25:12 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 17:1-5

主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に告げて、彼らのうちから、おのおのの父祖の家にしたがって、つえ一本ずつを取りなさい。すなわち、そのすべてのつかさたちから、父祖の家にしたがって、つえ十二本を取り、その人々の名を、おのおのそのつえに書きしるし、 レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。 そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。 わたしの選んだ人のつえには、芽が出るであろう。こうして、わたしはイスラエルの人々が、あなたがたにむかって、つぶやくのをやめさせるであろう」。

コラたちの反逆によって乱れた秩序を回復させるために、神はイスラエル12部族からその族長の名を記した杖を御前に出させ、レビの部族にはアロンの名を記して、会見の幕屋の神の箱の前に置くようにと命じました。この杖から芽が出る部族こそ、神が祭司として選んだ部族であると人々の前に立証して、イスラエルの会衆が神が選んだ器に向かってつぶやくことをやめさせるための配慮でした。杖はもちろん生木ではなく、根もないのですから、芽を出すはずがありません。神は誰の目にも奇跡としか考えられない大いなる御業によって、神の定められたことに聞き従う心を、人々に植え付けさせようとなさいました。私たちもまた神の意志決定に逆らい、神の選ばれた器に向かってつぶやくことのないよう、従順で謙虚な心を備える者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/num.17.1-5.ja1955

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民数記 17:6-9

モーセが、このようにイスラエルの人々に語ったので、つかさたちはみな、その父祖の家にしたがって、おのおの、つえ一本ずつを彼に渡した。そのつえは合わせて十二本。アロンのつえも、そのつえのうちにあった。 モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。 その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。 モーセがそれらのつえを、ことごとく主の前から、イスラエルのすべての人の所に持ち出したので、彼らは見て、おのおの自分のつえを取った。

神の言葉に従い、それぞれの族長の名を記した12本の杖を、あかしの幕屋の神の箱の前に置いた翌日、モーセが会見の幕屋に入ると、なんとアロンの名が記された杖だけが芽を吹き、つぼみを出し、花が咲いて、アーモンドの実を結んでいました。根も葉もない枯れ木の杖から芽が出るだけでも奇跡なのに、一日にして花が咲き、更に実まで結ぶとは、奇跡を越えた奇跡です。神はこのようにしてアロンの祭司職の正統性、神が選ばれた器であることを、イスラエル全会衆の目に実際に見せて立証されたのです。主イエスは、あなたは見て信じたのか、見ないで信じる者はさいわいですと、疑い深い弟子トマスに教えられましたが、私たちは神の奇跡を自らの目で見なくても神の御言葉を信じる、純粋な信仰を持つ者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/num.17.6-9.ja1955

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民数記 17:10-13

主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。こうして、彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。 モーセはそのようにして、主が彼に命じられたとおりに行った。 イスラエルの人々は、モーセに言った、「ああ、わたしたちは死ぬ。破滅です、全滅です。 主の幕屋に近づく者が、みな死ぬのであれば、わたしたちは死に絶えるではありませんか」。

一夜にして芽を吹き実を結ばせたアロンの杖をイスラエル全会衆に見せた後、神はモーセに、この杖を神の箱の中に保存して、後の世代の人々がアロンの祭司職に疑念を抱くことのないように立証するために、また主に対するつぶやきをやめさせて死に至ることのないようにされました。神に向かってつぶやく罪は、死に至る重罪です。私たちはどれほど神を疑い、つぶやいていたことでしょうか。イスラエルの人々が、モーセの言葉を聞いて、私たちは死んでしまうと嘆いたのも無理はありません。事実、荒野で放浪した40年間に、主に向かってつぶやいた者は一人残らず、約束の地に入ることなく荒野で死に絶え、神に向かってつぶやかなかったヨシュアとカレブの2人と、主に対する徹底的な従順を学んだ第二世代の者だけが、約束の地に入ることができました。荒野のようなこの世の生涯を通して私たちが学ばなければならないことは、主に向かってつぶやくことなく、御言葉に徹底的に従う従順を身に付けることです。

https://www.bible.com/bible/81/num.17.10-13.ja1955
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【今日の聖句】 2019/10/25

2019-10-25 05:30:15 | 今日の聖句
箴言 29:4

王は公儀をもって国を堅くする、
しかし、重税を取り立てる者はこれを滅ぼす。

ソロモン王の治世はその知恵によって絶大な繁栄をもたらしましたが、重税の故に民は苦しみ、イスラエル分裂の原因となりました。愛と憐れみを伴わない義を振りかざすことのないよう、自らを省み戒める私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/pro.29.4.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2019/10/24

2019-10-24 08:00:52 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 16:1-11

ここに、レビの子コハテの子なるイヅハルの子コラと、ルベンの子なるエリアブの子ダタンおよびアビラムと、ルベンの子なるペレテの子オンとが相結び、 イスラエルの人々のうち、会衆のうちから選ばれて、つかさとなった名のある人々二百五十人と共に立って、モーセに逆らった。 彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」。 モーセはこれを聞いてひれ伏した。 やがて彼はコラと、そのすべての仲間とに言った、「あす、主は、主につくものはだれ、聖なる者はだれであるかを示して、その人をみもとに近づけられるであろう。すなわち、その選んだ人を、みもとに近づけられるであろう。 それで、次のようにしなさい。コラとそのすべての仲間とは、火ざらを取り、 その中に火を入れ、それに薫香を盛って、あす、主の前に出なさい。その時、主が選ばれる人は聖なる者である。レビの子たちよ、あなたがたこそ、分を越えている」。 モーセはまたコラに言った、「レビの子たちよ、聞きなさい。 イスラエルの神はあなたがたをイスラエルの会衆のうちから分かち、主に近づかせて、主の幕屋の務をさせ、かつ会衆の前に立って仕えさせられる。これはあなたがたにとって、小さいことであろうか。 神はあなたとあなたの兄弟なるレビの子たちをみな近づけられた。あなたがたはなお、その上に祭司となることを求めるのか。 あなたとあなたの仲間は、みなそのために集まって主に敵している。あなたがたはアロンをなんと思って、彼に対してつぶやくのか」。

自らの不信仰の故に、神が導こうとされた約束の地に入ることができなくなったことに不満を持つ者が出てきました。そして神に仕えるレビ人のコハテ族からコラと、ルベン族のダタン、アビラム、オンが共に相謀り、イスラエルのつかさとなった者250人を引き連れて、モーセとアロンに反逆しました。彼らの言い分は、神の民イスラエルはすべて聖なる者であるのだから、モーセとアロンだけが特別に人々の上に立つのはおかしい、というものでした。これは一見もっともな理由に見えて、神が任命された器に対する神の選びを疑う罪であり、自分たちが人の上に立とうとする出世心をベールに包んだだけの欲望に他なりません。モーセは彼らの言い分をまずは受け止めた上で、レビ族として神に仕えることのできるさいわいを否定する彼らの思い上がりを指摘し、神がどちらの主張を正しいとされるのか、どちらを聖なる者として選ばれるのかを見るようにと促しました。モーセとアロンは常に、たとい自分たちが正当な理由なく非難されても、まず人の意見を謙虚に聞いた上で、神の御心を尋ね求める姿勢を崩しませんでした。私たちもまた人々から不当な理由で非難されても、感情にまかせて反論することなく、神の意志決定に聞き従う態度を保たなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.16.1-11.ja1955

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民数記 16:12-19

モーセは人をやって、エリアブの子ダタンとアビラムとを呼ばせたが、彼らは言った、「わたしたちは参りません。 あなたは乳と蜜の流れる地から、わたしたちを導き出して、荒野でわたしたちを殺そうとしている。これは小さいことでしょうか。その上、あなたはわたしたちに君臨しようとしている。 かつまた、あなたはわたしたちを、乳と蜜の流れる地に導いて行かず、畑と、ぶどう畑とを嗣業として与えもしない。これらの人々の目をくらまそうとするのですか。わたしたちは参りません」。 モーセは大いに怒って、主に言った、「彼らの供え物を顧みないでください。わたしは彼らから、ろば一頭をも取ったことなく、また彼らのひとりをも害したことはありません」。 そしてモーセはコラに言った、「あなたとあなたの仲間はみなアロンと一緒に、あす、主の前に出なさい。 あなたがたは、おのおの火ざらを取って、それに薫香を盛り、おのおのその火ざらを主の前に携えて行きなさい。その火ざらは会わせて二百五十。あなたとアロンも、おのおの火ざらを携えて行きなさい」。 彼らは、おのおの火ざらを取り、火をその中に入れ、それに薫香を盛り、モーセとアロンも共に、会見の幕屋の入口に立った。 そのとき、コラは会衆を、ことごとく会見の幕屋の入口に集めて、彼らふたりに逆らわせようとしたが、主の栄光は全会衆に現れた。

モーセとアロンは使者を遣わして、ルベン族のダタンとアビラムを主の御前に来るように促しましたが、彼らは自己主張を押し通してその命令に聞き従わず、むしろモーセもアロンもイスラエルの民を約束の地に導き入れずに荒野で死に絶えさせようとしていると、自分たちの非を棚に上げて自らの宿営に居座りました。これは明らかに単なる逆ギレに過ぎません。その言葉を聞いたモーセは義憤に満ち、反逆したコラをはじめとする250人のつかさたちに、火皿に薫香を盛って主の御前に立ち、コラとアロンもまた火皿に薫香を盛って共に主の御前に立つとき、どちらの薫香を神が受け入れられるか主に答えていただくこととしました。人々が集まったとき、コラたちは群衆を扇動してモーセとアロンに逆らわせようとしましたが、そのとき主の栄光が現れました。

https://www.bible.com/bible/81/num.16.12-19.ja1955

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民数記 16:20-33

主はモーセとアロンに言われた、 「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに彼らを滅ぼすであろう」。 彼らふたりは、ひれ伏して言った、「神よ、すべての肉なる者の命の神よ、このひとりの人が、罪を犯したからといって、あなたは全会衆に対して怒られるのですか」。 主はモーセに言われた、 「あなたは会衆に告げて、コラとダタンとアビラムのすまいの周囲を去れと言いなさい」。 モーセは立ってダタンとアビラムのもとに行ったが、イスラエルの長老たちも、彼に従って行った。 モーセは会衆に言った、「どうぞ、あなたがたはこれらの悪い人々の天幕を離れてください。彼らのものには何にも触れてはならない。彼らのもろもろの罪によって、あなたがたも滅ぼされてはいけないから」。 そこで人々はコラとダタンとアビラムのすまいの周囲を離れ去った。そして、ダタンとアビラムとは、妻、子、および幼児と一緒に出て、天幕の入口に立った。 モーセは言った、「あなたがたは主がこれらのすべての事をさせるために、わたしをつかわされたこと、またわたしが、これを自分の心にしたがって行うものでないことを、次のことによって知るであろう。 すなわち、もしこれらの人々が、普通の死に方で死に、普通の運命に会うのであれば、主がわたしをつかわされたのではない。 しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。 モーセが、これらのすべての言葉を述べ終ったとき、彼らの下の土地が裂け、 地は口を開いて、彼らとその家族、ならびにコラに属するすべての人々と、すべての所有物をのみつくした。 すなわち、彼らと、彼らに属するものは、皆生きながら陰府に下り、地はその上を閉じふさいで、彼らは会衆のうちから、断ち滅ぼされた。

神はモーセとアロンに、滅ぼすと定められたコラたち反逆者一同から離れるようにと命じました。するとモーセは、すべてのイスラエル人が巻き添えにならないように主に懇願したところ、主は、宿営に居座り続けたダタンとアビラムに同調しないイスラエル人もまた彼らから離れるようにと命じられました。会衆が彼らの宿営から離れた後、モーセはイスラエルの全会衆に向かい、もし彼らが通常の死に方をするならば彼らの主張が正しくモーセが神から遣わされた者ではないこと、しかし主が奇跡を起こして地が裂けて彼らを飲み込むならば、彼らが主を侮った証明であると知り置きなさいと語りました。すると直ちに大地が避け、コラと反逆者たち一同を家族諸共飲み込んだ後、地は元通り閉じました。彼らは主によって神の民から絶ち滅ぼされ、生きながらにして陰府に下らせられたのです。神に不平不満を持ち、己の分を越えて神に反逆して悔い改めない者は、神の民から抹消され、永遠のいのちに与ることができないばかりか、サタンと同様、陰府に下って、永遠の滅びを免れることはできません。

https://www.bible.com/bible/81/num.16.20-33.ja1955

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民数記 16:34-40

この時、その周囲にいたイスラエルの人々は、みな彼らの叫びを聞いて逃げ去り、「恐らく地はわたしたちをも、のみつくすであろう」と言った。 また主のもとから火が出て、薫香を供える二百五十人をも焼きつくした。 主はモーセに言われた、 「あなたは祭司アロンの子エレアザルに告げて、その燃える火の中から、かの火ざらを取り出させ、その中の火を遠く広くまき散らさせなさい。それらの火ざらは聖となったから、 罪を犯して命を失った人々の、これらの火ざらを、広い延べ板として、祭壇のおおいとしなさい。これは主の前にささげられて、聖となったからである。こうして、これはイスラエルの人々に、しるしとなるであろう」。 そこで祭司エレアザルは、かの焼き殺された人々が供えた青銅の火ざらを取り、これを広く打ち延ばして、祭壇のおおいとし、 これをイスラエルの人々の記念の物とした。これはアロンの子孫でないほかの人が、主の前に近づいて、薫香をたくことのないようにするため、またその人がコラ、およびその仲間のようにならないためである。すなわち、主がモーセによってエレアザルに言われたとおりである。

コラとダタン、アビラムが生きながらにして地に飲み込まれた奇跡を目の当たりにしたイスラエルの会衆は、自分たちもまた滅ぼされてしまうと恐れを抱き、逃げまといました。また同時に、主の前に薫香を盛った火皿を手にしていた、コラの反逆に同調した250人のつかさたちは、主の御前から出た火によって焼き尽くされて、彼らもまた死に絶えました。神はアロンの子エレアザルに命じて、彼らの手にしていた金の火皿を取り、それを薄く打ち延ばして祭壇を覆う金の板とすることにより、イスラエルの民が再び分を越えて思い上がり、アロンの祭司職を神が定められたものと疑うことのないよう、コラたちと同様に滅ぼされることのないようにするための記念とするように命じました。私たちは、過去の人々が神に対して犯した罪を決して忘れることのないように、二の轍を踏まないように心掛けなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.16.34-40.ja1955

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民数記 16:41-50

その翌日、イスラエルの人々の会衆は、みなモーセとアロンとにつぶやいて言った、「あなたがたは主の民を殺しました」。 会衆が集まって、モーセとアロンとに逆らったとき、会見の幕屋を望み見ると、雲がこれをおおい、主の栄光が現れていた。 モーセとアロンとが、会見の幕屋の前に行くと、 主はモーセに言われた、 「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに彼らを滅ぼそう」。そこで彼らふたりは、ひれ伏した。 モーセはアロンに言った、「あなたは火ざらを取って、それに祭壇から取った火を入れ、その上に薫香を盛り、急いでそれを会衆のもとに持って行って、彼らのために罪のあがないをしなさい。主が怒りを発せられ、疫病がすでに始まったからです」。 そこで、アロンはモーセの言ったように、それを取って会衆の中に走って行ったが、疫病はすでに民のうちに始まっていたので、薫香をたいて、民のために罪のあがないをし、 すでに死んだ者と、なお生きている者との間に立つと、疫病はやんだ。 コラの事によって死んだ者のほかに、この疫病によって死んだ者は一万四千七百人であった。 アロンは会見の幕屋の入口にいるモーセのもとに帰った。こうして疫病はやんだ。

その翌日、イスラエルの人々は、モーセとアロンがコラたち一同を殺したと申し立ててつぶやきました。すると再び神の栄光が現れ、会見の幕屋を神の御臨在の象徴である雲が覆い隠していました。それを見たモーセが会見の幕屋に近付くと、神はモーセとアロンにイスラエルの民から離れるようにと命じられました。神に不平不満をつぶやいた民を神が滅ぼそうとしていることを察知したモーセは、ひれ伏して神の御前に執り成し、アロンに火皿に薫香を盛って民の間に立ち、罪の購いをするようにと命じました。すでに疫病が始まっていたため、アロンは死者と生きている者の間に立って罪の購いを捧げると、ようやく疫病は止まりました。結果的に、14,700人あまりの人がこの疫病によって死んでしまいました。彼らは神が選ばれた器であるモーセを一人の人としてしか見ていなかったため、モーセの行ったことを神のなされたことと信じなかったのです。神が授けた権威を侮る者もまた、神に反逆する罪を犯しているのだということを、私たちは肝に銘じなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/num.16.41-50.ja1955
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