伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2021/08/18

2021-08-18 07:30:00 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 46:25-28 新共同訳

万軍の主、イスラエルの神は言われた。 「見よ、わたしはテーベの神アモンを罰する。またファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に頼る者を罰する。 わたしは、命を求める者の手に彼らを渡す。すなわち、バビロンの王ネブカドレツァルとその家来たちの手に。その後、エジプトは昔のように人の住む所となる」と主は言われる。 わたしの僕ヤコブよ、恐れるな。 イスラエルよ、おののくな。 見よ、わたしはお前を遠い地から お前の子孫を捕囚の地から救い出す。 ヤコブは帰って来て、安らかに住む。 彼らを脅かす者はいない。 わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと 主は言われる。 わたしがお前と共にいる。 お前を追いやった国々をわたしは滅ぼし尽くす。 お前を滅ぼし尽くすことはない。 わたしはお前を正しく懲らしめる。 罰せずにおくことは決してない。

神の民イスラエルを懲らしめ、神に立ち返らせるだけのために、主は当時の超大国エジプトとバビロンをも意のままに用いられました。カルケミシュの戦いでエジプトがバビロンに敗北したのも、後の世にバビロンがメディア・ペルシャ帝国に滅ぼされたのも、すべて神の御計画の内にあったのです。国の興亡も、世界の歴史も、私たちの生涯も皆、神の御手の内にあることを覚えるとき、神に逆らう人生がいかに虚しく無駄なことであるかと思い知らされます。神を畏れ、御言葉に聞き従い、御心に適う日々の営みを続けることこそが人の本分であることを悟り、自分の思い通りになる人生を慕い求めることなく、神に喜ばれる人生を送ることに全精力を傾ける私たちでありますように。

https://bible.com/bible/1819/jer.46.25-28.新共同訳
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/20

2021-02-20 09:40:40 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 134:1-3

見よ、夜、主の家に立って主に仕えるすべてのしもべよ、主をほめよ。 聖所にむかってあなたがたの手をあげ、主をほめよ。 どうぞ主、天と地を造られた者、シオンからあなたを祝福されるように。

神はなぜイスラエル民族を愛されるのか? 幾多もの民族滅亡の危機に遭ってもその度に奇跡的に今日まで生き延びてきたのか? それはこの世の全ての民がイスラエルを通して祝福されるため、神の祝福の基であるからです。シオンの山すなわち神が永遠にその御名を置くと言われたエルサレムから、全世界に神の祝福が拡散してゆくのです。すべてこの摂理を知る者は、神の宮に向かい、偉大なる主の御名をほめたたえ、祝福が遍く全地に広がるようにと、世界の祝福と平和のために祈る者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/psa.134.1-3.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/19

2021-02-19 19:15:30 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 133:1-3

見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

この詩篇は主にある兄弟姉妹が心を一つにして平和的に共に生きる、麗しい神の家族像を描いています。罪の支配するこの世では、国や民族間で互いに敵対し、紛争や内戦の絶えない世界となってしまいましたが、神の望まれる世界は、人々が互いに相和する、平和が支配する世の中です。その最も基本となる取り組みが「兄弟が和合して共におる」人間関係を互いに築くことです。それは神が仲立ちとなることによってのみ実現します。神の祝福は人々の間に神の平和がこの世を支配することによってもたらされます。

https://www.bible.com/bible/81/psa.133.1-3.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/18

2021-02-18 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 132:1-7

主よ、ダビデのために、そのもろもろの辛苦をみこころにとめてください。 ダビデは主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てて言いました、「わたしは主のために所を捜し出し、ヤコブの全能者のためにすまいを求め得るまでは、わが家に入らず、わが寝台に上らず、わが目に眠りを与えず、わがまぶたにまどろみを与えません」。 見よ、われらはエフラタでそれを聞き、ヤアルの野でそれを見とめた。 「われらはそのすまいへ行って、その足台のもとにひれ伏そう」。

イスラエル王国を統一したダビデは、シオンの山に主の宮となるべき場所を見出して、長い間放置されていた会見の幕屋を移しました。更にダビデは主のために神殿建築を志しました。その思いは自分の代では実現せず、神に示されて次の王となるソロモンに託しましたが、必要となる建築資材を夥しく集めて準備しました。ダビデほど主の宮を切望し、神との親しい交わりを求めた王はいませんでした。私たちもまたダビデに倣い、教会で礼拝を捧げることを何よりも大切にする心を持つ者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/psa.132.1-7.ja1955

*****

詩篇 132:8-10

主よ、起きて、あなたの力のはこと共に、あなたの安息所におはいりください。 あなたの祭司たちに義をまとわせ、あなたの聖徒たちに喜び呼ばわらせてください。 あなたのしもべダビデのために、あなたの油そそがれた者の顔を、しりぞけないでください。

神の契約の箱をエルサレムにかき登ったダビデは、力を尽くして喜び祝いました。また聖歌隊を編成して、1日24時間体制で讃美を捧げさせました。私たちもまた心の中心にある宮に、喜んで神をお迎えする者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/psa.132.8-10.ja1955

*****

詩篇 132:11-18

主はまことをもってダビデに誓われたので、それにそむくことはない。すなわち言われた、「わたしはあなたの身から出た子のひとりを、あなたの位につかせる。 もしあなたの子らがわたしの教える契約と、あかしとを守るならば、その子らもまた、とこしえにあなたの位に座するであろう」。 主はシオンを選び、それをご自分のすみかにしようと望んで言われた、 「これはとこしえにわが安息所である。わたしはこれを望んだゆえ、ここに住む。 わたしはシオンの糧食を豊かに祝福し、食物をもってその貧しい者を飽かせる。 またわたしはその祭司たちに救を着せる。その聖徒たちは声高らかに喜び呼ばわるであろう。 わたしはダビデのためにそこに一つの角をはえさせる。わたしはわが油そそがれた者のために一つのともしびを備えた。 わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし彼の上にはその冠が輝くであろう」。

何よりも主を求めたダビデの信仰のゆえに、神はその子孫から永遠の王を起こすと約束されました。やがて私たちの罪をすべて贖い、永遠のいのちを賜ると約束された主イエス・キリストは、ダビデの子孫として生まれ、地上の生涯を歩まれました。また神はダビデが神殿を立てると決めたシオンの山に永遠にその御名を置くと約束され、エルサレムから救いを成し遂げると誓われました。エルサレムの平和のために祈ることは、神の約束の成就を待ち望むことに他なりません。

https://www.bible.com/bible/81/psa.132.11-18.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/17

2021-02-17 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 131:1-3

主よ、わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、わたしはわが力の及ばない大いなる事とくすしきわざとに関係いたしません。 かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです。 イスラエルよ、今からとこしえに主によって望みをいだけ。

乳離れした嬰児が母の懐に抱かれるとはどのような意味があるのでしょうか? 乳離れする前の嬰児は母乳を求めますが、乳離れした後の嬰児は母の胸に抱かれる安心感を求めます。すなわち、肉体的な欠乏を満たすためでなく、精神的な飢え渇きを満たすために神を求める姿を描いた詩篇です。主にある望み、主と共にある平安について、見事に表現した詩人の感性に脱帽です。

https://www.bible.com/bible/81/psa.131.1-3.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/16

2021-02-16 17:00:00 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 130:1-4

主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。 主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。 しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。

詩人が深い淵に陥った理由は明確には記されていませんが、自らの犯した罪の故、更に言うならばイスラエル民族が犯した罪の故に懲らしめを受けて、神の祝福から引き離されている状況を嘆いています。たとい罪を犯した責任は自分にあったとしても、赦しを乞い願う私たちの声を神は聞き届けてくださると確信を抱く者はさいわいです。私たちが告白した罪のみならず、認識していない罪さえも赦してくださる主の憐れみに希望を抱く私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.130.1-4.ja1955

*****

詩篇 130:5-8

わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。 わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。 イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。 主はイスラエルをそのもろもろの不義からあがなわれます。

夜通し寝ずの番を担当する夜回りがその任務から解放される日の出の時刻を待ち望むように、告白した罪をことごとく赦してくださる主の憐れみを心から待ち望みます。主が罪を赦してくださる希望にはどのような根拠があるのでしょうか。それは聖書に記された生ける神の御言葉に依るものです。主の御言葉は世の終わりまで変わることなく、一点一画も永遠に廃ることはないと約束されているからです。主の慈しみと贖いを約束する神の御言葉を盾に取り、心に罪の呵責を引き起こし主を疑わせようとされるサタンの策略に騙されることのないよう心を守る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.130.5-8.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/15

2021-02-15 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇‬ 129:1-4

今イスラエルは言え、「彼らはわたしの若い時から、ひどくわたしを悩ました。 彼らはわたしの若い時から、ひどくわたしを悩ました。しかしわたしに勝つことができなかった。 耕す者はわたしの背の上をたがやして、そのうねみぞを長くした」と。 主は正しくいらせられ、悪しき者のなわを断ち切られた。

イスラエルほど何度も超大国の支配下に置かれ、民族存亡の危機に立たされ続けてきた部族はありません。エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ローマ帝国、そしてナチス・ドイツと、存在を脅かしてきた国々は塁挙に暇ありません。しかしその度に不思議な助けがあり、今日まで存続しているのは世界の歴史上の揺るがぬ事実です。何度も他国に蹂躙され、敗北したかのように見えて、実は勝利しているのです。それこそが、主が正しくあられ、悪しき者の縄を断ち切られたとの御言葉の意味するところです。

https://www.bible.com/bible/81/psa.129.1-4.ja1955

*****

詩篇 129:5-8

シオンを憎む者はみな、恥を得て、退くように。 彼らを、育たないさきに枯れる屋根の草のようにしてください。 これを刈る者はその手に満たず、これをたばねる者はそのふところに満たない。 かたわらを過ぎる者は、「主の恵みがあなたの上にあるように。われらは主のみ名によってあなたがたを祝福する」と言わない。

8節の『かたわらを過ぎる者は、「主の恵みがあなたの上にあるように。われらは主のみ名によってあなたがたを祝福する」と言わない。』という翻訳は一見、呪いの言葉で締めくくっているように読めます。しかしこの箇所は『通りがかりの人も、「主の祝福があなたがたにあるように」とは言わない。(しかし)私たちは主の名によってあなたがたを祝福する。』と翻訳するのが原語の意図に忠実であるという解説を読んで、シオンを憎む者が恥を得て退くとの5節からの続きに相応しいと納得しました。まことの神を信じ従う者を苦しめる者の最後は、必ず滅びが待っています。それが私たちの希望であり、神の真実です。

https://www.bible.com/bible/81/psa.129.5-8.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/14

2021-02-14 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 128:1-4

すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。 あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう。 あなたの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んでオリブの若木のようである。 見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。

主を畏れ、神の御言葉に聞き従う正しい道を歩む者が受ける祝福について、理想的な家庭像を思い描くかのように歌われた詩篇です。ぶどうとオリーブはイスラエルにおいて喜び、平和、祝福の象徴でもあります。旧約聖書の時代における神の祝福はこの世の人生において受ける祝福と考えられていました。しかし私たちの現実は、このような順風満帆な生活とはかけ離れたものかもしれません。それでも私たちは神を仰ぎ、やがて天の御国で受ける永遠の祝福を待ち望みつつ日々歩んでいます。なぜなら私たちにはキリストの復活に与る望みが与えられているからです。

https://www.bible.com/bible/81/psa.128.1-4.ja1955

*****

詩篇 128:5-6

主はシオンからあなたを祝福されるように。あなたは世にあるかぎりエルサレムの繁栄を見、 またあなたの子らの子を見るであろう。どうぞ、イスラエルの上に平安があるように。

神を待ち望み、主の道に歩む者の受ける祝福は、エルサレムの繁栄と末代までの子孫の系譜と考えられてきました。エルサレムの平和のために祈れとの御言葉があるように、神が永遠にその御名を置くと約束されたシオンの山から、神の祝福があふれ流れ、イスラエルを起点として全世界に平安がありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.128.5-6.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/11

2021-02-11 05:35:35 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 125:1-3

主に信頼する者は、動かされることなくて、とこしえにあるシオンの山のようである。 山々がエルサレムを囲んでいるように、主は今からとこしえにその民を囲まれる。 これは悪しき者のつえが正しい者の所領にとどまることなく、正しい者がその手を不義に伸べることのないためである。

かつてエルサレムの神殿があったシオンの山は、断崖絶壁に囲まれた天然の要塞都市の中にありました。神の守りの御手の内にある人も同様に、神の鉄壁の防護壁に守られて動かされることがありません。神の完全な守りに囲まれて、身の回りに湧き起こる突然のアクシデントにも、悪しき者共の攻撃にも動揺することなく、平安を保つ私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.125.1-3.ja1955

*****

詩篇 125:4-5

主よ、善良な人と、心の正しい人とに、さいわいを施してください。 しかし転じて自分の曲った道に入る者を主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。

神は心の正しい善良な人々と共にいて味方となってくださいますが、悪を行う者や曲がった道に歩む者からは遠く離れて、関係を断ち切られます。神と共に歩むさいわいに常に身を置くことのできるように、誰からも後ろ指を指されることのない公明正大な生涯を歩ませていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.125.4-5.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/10

2021-02-10 19:00:00 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 124:1-5

今、イスラエルは言え、主がもしわれらの方におられなかったならば、 人々がわれらに逆らって立ちあがったとき、主がもしわれらの方におられなかったならば、 彼らの怒りがわれらにむかって燃えたったとき、彼らはわれらを生きているままで、のんだであろう。 また大水はわれらを押し流し、激流はわれらの上を越え、 さか巻く水はわれらの上を越えたであろう。

もし神と出会ってなかったならば、もし神が自分と共にいてくださらなかったならば、という自問自答は、いかに神が私たちにとって必要不可欠な存在であるかを再認識させるに充分な問いかけです。私たちが今あるはすべて主のおかげ、まことの神なくして今の自分はないことを覚えて、ただ神に感謝を捧げる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.124.1-5.ja1955

*****

詩篇 124:6-8

主はほむべきかな。主はわれらをえじきとして彼らの歯にわたされなかった。 われらは野鳥を捕えるわなをのがれる鳥のようにのがれた。わなは破れてわれらはのがれた。 われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。

私たちの目には見えねども、神は私たちの人生に積極的に介入され、あらゆる人生の危機から逃れさせてくださるお方です。絶体絶命の危機に陥ってもなお、寄り頼むことのできる拠り所がある平安を確信させていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.124.6-8.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/09

2021-02-09 07:10:00 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 123:1-2

天に座しておられる者よ、わたしはあなたにむかって目をあげます。 見よ、しもべがその主人の手に目をそそぎ、はしためがその主婦の手に目をそそぐように、われらはわれらの神、主に目をそそいで、われらをあわれまれるのを待ちます。

私たちが主に向かって目を上げるとき、それは主の憐れみ、慰め、助けを必要としているときではないでしょうか。人の知恵や自分の努力では到底解決できない問題に直面するとき、私たちは天来の存在、すなわち天地万物の造り主、この世を支配しておられるまことの神に目を注ぐことができますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/psa.123.1-2.ja1955

*****

詩篇 123:3-4

主よ、われらをあわれんでください。われらをあわれんでください。われらに侮りが満ちあふれています。 思い煩いのない者のあざけりと、高ぶる者の侮りとは、われらの魂に満ちあふれています。

人はどのような状況におかれたとき、主の憐れみを乞い願うようになるのでしょうか。その要因は嘲りと侮りです。残念ながらこの世には、人の不幸を喜ぶ輩が実に多いものです。そのような人々から心ない言葉を投げ掛けられるとき、心は深く傷付き、計り知れないダメージを受けてしまいます。人を立ち直れないほどに陥れるマイナスの言葉を浴びせ掛けられたとき、私たちに必要なのは主の憐れみです。たとい全人類を敵に回したとしても、私はあなたを決して見捨てず、見放すことをしないと約束してくださった主の憐れみに寄りすがり、傷付いた心を癒し、回復へのステップを歩み出す私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.123.3-4.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/08

2021-02-08 07:50:00 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 122:1-5

人々がわたしにむかって「われらは主の家に行こう」と言ったとき、わたしは喜んだ。 エルサレムよ、われらの足はあなたの門のうちに立っている。 しげくつらなった町のように建てられているエルサレムよ、 もろもろの部族すなわち主の部族が、そこに上って来て主のみ名に感謝することは、イスラエルのおきてである。 そこにさばきの座、ダビデの家の王座が設けられてあった。

神を信じる者の喜びの原点の一つに、共に神を礼拝することを切望する信仰の仲間の存在があります。私たちはたった一人で神を信じているのではありません。神は神を慕い求める者を励ますために「残れる民」を備えてくださるお方です。今は新型コロナウィルス感染対策として「集う礼拝」を一時的に休止している教会も多いかと思いますが、信仰を一つにする同胞と共に主の宮に集い、心からの礼拝を共に捧げるさいわいを味わうことを切望する、この詩篇の作者に心を合わせることのできるよい機会かもしれません。

https://www.bible.com/bible/81/psa.122.1-5.ja1955

*****

詩篇 122:6-9

エルサレムのために平安を祈れ、「エルサレムを愛する者は栄え、 その城壁のうちに平安があり、もろもろの殿のうちに安全があるように」と。 わが兄弟および友のために、わたしは「エルサレムのうちに平安があるように」と言い、 われらの神、主の家のために、わたしはエルサレムのさいわいを求めるであろう。

エルサレムの平和を祈ることは、まことの神、主を信じるすべての者に課せられた使命です。なぜならエルサレムは主が永遠にその尊い御名を置くと定められた聖なる都だからです。これは単なる人の好き嫌いや民族感情を超えた、主のご命令です。社会情勢の問題としてだけでなく、私たちの日常生活においても、エルサレムの平和を祈ることなしに、真の平和はあり得ません。

https://www.bible.com/bible/81/psa.122.6-9.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/07

2021-02-07 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 121:1-4

わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。

己の限界を感じたとき、絶望に打ちひしがれるとき、自力では到底抜け出すことのできない苦境に陥ったとき、人は自然と天を見上げます。山に向かって目を上げるとは、そのような心境の現れでしょうか。ここで詩人が詠った山とは、聖なる都エルサレムです。エルサレムは周囲の低地が海抜マイナス数百メートルもの大地溝帯の中で、海抜800メートルほどの山の上にあります。そしてエルサレムは全地全能の神、主が、永遠にその名を置くと約束された都です。人生のどん底に陥ったとき、天と地を造られた主なる神を見上げ、毎日24時間、絶え間なく、永遠に守ってくださるとの約束に信頼して、すべてを神に委ねる平安を味わわせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.121.1-4.ja1955

*****

詩篇 121:5-8

主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。 主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

太陽や月があなたを撃つとは何を意味しているのでしょうか。あるユダヤ人のラビは、太陽とはエジプトの太陽神ラー、月とはアラビヤ一帯で信じられている月の神であると答えたそうです。イスラエルは周囲を異教の神々を信奉する民族に取り囲まれた、四面楚歌の環境に置かれています。そのような絶体絶命のピンチの中でも「主はあなたを守ってすべての災いを免れさせ、またあなたの命を守られる」と、身の安全を保証してくださるお方です。「出ると入る」とは「出入り」すなわち私たちの日々の生活すべてを指す言葉です。私たちの生涯を永遠に守ると約束してくださる主に心から信頼し、すべてを委ねることのできるさいわいと平安を満喫する日々を送らせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/psa.121.5-8.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/02/06

2021-02-06 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 120:1-4

わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる。 「主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください」。 欺きの舌よ、おまえに何が与えられ、何が加えられるであろうか。 ますらおの鋭い矢と、えにしだの熱い炭とである。

今日の聖句は都もうでの歌の最初の詩篇ですが、その内容は聖なる都エルサレムに巡礼することを歌ったものではなく、今置かれている現状を嘆き、救いを求める心の渇望を歌ったものです。たとい現実は厳しく、自分の思うままにならなかったとしても、私たちには苦しい状況を訴えることのできるお方がいます。そして主は私たちの祈りに答えられ、力強い御腕をもって苦境を打破してくださるお方です。主に祈る時に与えられる平安は単なる気休めではなく、すでに約束が叶えられたと確信する喜びが心に生まれます。主に信頼する者は恥じ入ることがありません。

https://www.bible.com/bible/81/psa.120.1-4.ja1955

*****

詩篇 120:5-7

わざわいなるかな、わたしはメセクにやどり、ケダルの天幕のなかに住んでいる。 わたしは久しく平安を憎む者のなかに住んでいた。 わたしは平安を願う、しかし、わたしが物言うとき、彼らは戦いを好む。

メセクとは小アジア東部の町、ケダルとはシリア北部にある町、天幕の中に住んでいるとはテント暮らし、仮住まいの寄留者、いわば本来の居住地を追われた難民となっていることを意味します。イスラエルの歴史は迫害と離散の連続でした。しかしそれはすべてイスラエルの神、主をないがしろにしたために受けた罰です。彼らの寄留した町は好戦的な民族の住む町、何かにつけてすぐに挑発を受ける平和のない町でした。気の休まる暇もない、常に緊張した状態の中に置かれて心理的に追い込まれ、心も疲れ果ててしまいます。彼らの切望した平安とは、真の平和、シャロームなる神の懐に抱かれることです。それはすなわち神との深い交わりの中に復帰することです。これが都もうで、神を礼拝する上で最も大切な精神です。

https://www.bible.com/bible/81/psa.120.5-7.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【COGHCC聖書通読】 2021/01/21

2021-01-21 07:40:00 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 108:1-5

神よ、わが心は定まりました。わが心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。わが魂よ、さめよ。 立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。 主よ、わたしはもろもろの民の中であなたに感謝し、もろもろの国の中であなたをほめたたえます。 あなたのいつくしみは大きく、天にまでおよびあなたのまことは雲にまで及ぶ。 神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。

この詩篇108篇は詩篇57篇と60篇を抜粋して一つの詩篇として再編纂されたもので、3つのブロックからなっています。第一のブロックは私の心は定まりましたというダビデの信仰告白です。しののめを呼び覚ますとは、夜を徹して神を讃美するという信仰の決意です。事実、ダビデは神の幕屋での礼拝に初めて聖歌隊を結成し、一日24時間、途絶えることなく讃美を捧げさせました。私たちの信仰生活もまた、いつでも、どこでも、何をしていても、讃美に満ちたものとなるならば、神の豊かな恵みが注がれないはずがありません。

https://www.bible.com/bible/81/psa.108.1-5.ja1955

*****

詩篇 108:6-9

あなたの愛される者が助けを得るために、右のみ手をもって救をほどこし、わたしに答えてください。 神はその聖所で言われた、「わたしは大いなる喜びをもってシケムを分かち、スコテの谷を分かち与えよう。 ギレアデはわたしのもの、マナセもわたしのものである。エフライムはわたしのかぶと、ユダはわたしのつえである。 モアブはわたしの足だらい、エドムにはわたしのくつを投げる。ペリシテについては、かちどきをあげる」。

第二のブロックは神の約束です。心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、精神を尽くして主なる神を礼拝したダビデに、神は四方の民族との戦いに勝利しその領地を与えると約束してくださいました。ダビデの生涯は、近隣諸国との戦いに連戦連勝し、イスラエルを統一して王国の基礎を確立しました。しかしダビデはその功績を自分のものとすることなく、神がイスラエルを助けたからであると、すべての栄光を神に帰しました。この謙遜と従順の故に神はダビデの位を確固たるものとし、永遠の王座に就く者とされました。神の約束に信頼して生涯を送る者は、ダビデのように高く引き上げられますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/psa.108.6-9.ja1955

*****

詩篇 108:10-13

だれがわたしを堅固な町に至らせるであろうか。だれがわたしをエドムに導くであろうか。 神よ、あなたはわれらを捨てられたではありませんか。神よ、あなたはわれらの軍勢と共に出て行かれません。 われらに助けを与えて、あだにむかわせてください。人の助けはむなしいからです。 われらは神によって勇ましく働きます。われらのあだを踏みにじる者は神だからです。

ダビデの戦いは連戦連勝といっても、必ずしもすべてが順調なものではありませんでした。神を信頼して戦っていても、すべてが自分の思い通りになるものではありません。時には孤立無援のように挫折感に苛まれ、神に捨てられたと思うような孤独を感じるようなこともあります。そのときどこに立ち帰るべきか? 人に助けを求めるのではなく、神の約束に立ち帰るならば、神は再び共に戦ってくださり、大いなる勝利をもたらされます。自分の思い通りにならないときこそ信仰が試されるときであり、神の大いなる救いと祝福を受け継ぐことができるか否かの岐路に立たされる分岐点です。

https://www.bible.com/bible/81/psa.108.10-13.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする