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【COGHCC聖書通読】 2019/11/16

2019-11-16 07:45:32 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 3:1-7

「そしてわれわれは身をめぐらして、バシャンの道を上って行ったが、バシャンの王オグは、われわれを迎え撃とうとして、その民をことごとく率い、出てきてエデレイで戦った。 時に主はわたしに言われた、『彼を恐れてはならない。わたしは彼と、そのすべての民と、その地をおまえの手に渡している。おまえはヘシボンに住んでいたアモリびとの王シホンにしたように、彼にするであろう』。 こうしてわれわれの神、主はバシャンの王オグと、そのすべての民を、われわれの手に渡されたので、われわれはこれを撃ち殺して、ひとりをも残さなかった。 その時、われわれは彼の町々を、ことごとく取った。われわれが取らなかった町は一つもなかった。取った町は六十。アルゴブの全地方であって、バシャンにおけるオグの国である。 これらは皆、高い石がきがあり、門があり、貫の木のある堅固な町であった。このほかに石がきのない町は、非常に多かった。 われわれはヘシボンの王シホンにしたように、これらを全く滅ぼし、そのすべての町の男、女および子供をことごとく滅ぼした。 ただし、そのすべての家畜と、その町々からのぶんどり物とは、われわれが獲て自分の物とした。」

アモリ人の王シホンを打ち破ったイスラエルが約束の地に向かう道に進むと、バシャンの王オグが迎撃するために全軍を率いて出てきました。しかし神は、ヘシボンの王シホンと戦って勝利を得させたように、バシャンの王オグもあなたの手に渡したとイスラエルを激励し、彼らを恐れてはならないと励まして、戦いに臨ませました。その結果、イスラエルはここでも大勝利を納めてバシャンの国を制圧し、堅固な城壁のある60もの町々を奪取し、全財産を自らのものとすることができました。私たちが信仰生活を送る中でも、私たちに一方的に敵意を抱いて迎え撃つような人々が現れますが、神の御言葉に全く信頼して前進するならば、神は必ず私たちに味方して大勝利を納めさせてくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.3.1-7.ja1955

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申命記 3:8-17

「その時われわれはヨルダンの向こう側にいるアモリびとのふたりの王の手から、アルノン川からヘルモン山までの地を取った。 (シドンびとはヘルモンをシリオンと呼び、アモリびとはこれをセニルと呼んでいる。) すなわち高原のすべての町、ギレアデの全地、バシャンの全地、サルカおよびエデレイまで、バシャンにあるオグの国の町々をことごとく取った。 (バシャンの王オグはレパイムのただひとりの生存者であった。彼の寝台は鉄の寝台であった。これは今なおアンモンびとのラバにあるではないか。これは普通のキュビト尺で、長さ九キュビト、幅四キュビトである。) その時われわれは、この地を獲た。そしてわたしはアルノン川のほとりのアロエルから始まる地と、ギレアデの山地の半ばと、その町々とは、ルベンびとと、ガドびととに与えた。 わたしはまたギレアデの残りの地と、オグの国であったバシャンの全地とは、マナセの半部族に与えた。すなわちアルゴブの全地方である。(そのバシャンの全地はレパイムの国と唱えられる。 マナセの子ヤイルは、アルゴブの全地方を取って、ゲシュルびとと、マアカびとの境にまで達し、自分の名にしたがって、バシャンをハボテ・ヤイルと名づけた。この名は今日にまでおよんでいる。) またわたしはマキルにはギレアデを与えた。 ルベンびとと、ガドびととには、ギレアデからアルノン川までを与え、その川のまん中をもって境とし、またアンモンびとの境であるヤボク川にまで達せしめた。 またヨルダンを境として、キンネレテからアラバの海すなわち塩の海まで、アラバをこれに与えて、東の方ピスガのふもとに達せしめた。」

バシャンの地とは、現在のゴラン高原のことで、アルノン川とは死海東岸最大の川で、ヘルモン山はイスラエルの最北端に位置する高山です。バシャンの王オグは、その鉄の寝台が長さ9キュビト(約4メートル)、幅4キュビト(約1.8メートル)もあったことからわかるように、巨人族の生き残りでした。イスラエルは鉄を自由に加工できる当時としては高度な技術を持った国の、巨人族と戦って、堅固な要塞都市をすべて征服するという大勝利を収めたのです。これはこの後、ヨルダン川を渡ってカナンの地を征服するイスラエルにとって、大きな励ましとなったことでしょう。このようにしてヨルダン川東岸の広大なアモリ人の領地を得たイスラエルは、この地を自分たちの家畜と家族の居住地としたいと申し出たルベン人とガド人、マナセの半部族の嗣業の地として与えました。ただ神の御言葉に聞き従って、いかなる強敵をも恐れずに、ひるむことなく、逃げることなく勇敢に戦う者は、大きな祝福を勝ち取ることができます。

https://www.bible.com/bible/81/deu.3.8-17.ja1955

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申命記 3:18-22

「その時わたしはあなたがたに命じて言った、『あなたがたの神、主はこの地をあなたがたに与えて、これを獲させられるから、あなたがた勇士はみな武装して、兄弟であるイスラエルの人々に先立って、渡って行かなければならない。 ただし、あなたがたの妻と、子供と、家畜とは、わたしが与えた町々にとどまらなければならない。(わたしはあなたがたが多くの家畜を持っているのを知っている。) 主がすでにあなたがたに与えられたように、あなたがたの兄弟にも安息を与えられて、彼らもまたヨルダンの向こう側で、あなたがたの神、主が与えられる地を獲るようになったならば、あなたがたはおのおのわたしがあなたがたに与えた領地に帰ることができる』。 その時わたしはヨシュアに命じて言った、『あなたの目はあなたがたの神、主がこのふたりの王に行われたすべてのことを見た。主はまたあなたが渡って行くもろもろの国にも、同じように行われるであろう。 彼らを恐れてはならない。あなたがたの神、主があなたがたのために戦われるからである』。」

ルベン族とガド族、マナセの半部族に、ヨルダン川東岸の広大な地を所領として与えるにあたり、モーセは彼らに、神の約束の地を取りに戦う際は、自ら先導して同行するよう、確約させました。自分たちだけ平穏な地に留まり、信仰の同志から離れて安息を貪る者は、神の民に相応しくないばかりか、人々の心を挫き、分裂を生じさせ、不平不満の温床となります。これでは40年前のイスラエルと同じ罪を犯すことになってしまいます。そこでモーセは彼らに、神の約束の地を得るまでは自ら最前線に立って共に戦うことを命じたのです。信仰の戦いを放棄する者は人生の敗北者であり、せっかく手にした神の祝福を失うことにもつながりますから、注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.3.18-22.ja1955

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申命記 3:23-29

「その時わたしは主に願って言った、 『主なる神よ、あなたの大いなる事と、あなたの強い手とを、たった今、しもべに示し始められました。天にも地にも、あなたのようなわざをなし、あなたのような力あるわざのできる神が、ほかにありましょうか。 どうぞ、わたしにヨルダンを渡って行かせ、その向こう側の良い地、あの良い山地、およびレバノンを見ることのできるようにしてください』。 しかし主はあなたがたのゆえにわたしを怒り、わたしに聞かれなかった。そして主はわたしに言われた、『おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。 おまえはピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。おまえはこのヨルダンを渡ることができないからである。 しかし、おまえはヨシュアに命じ、彼を励まし、彼を強くせよ。彼はこの民に先立って渡って行き、彼らにおまえの見る地を継がせるであろう』。 こうしてわれわれはベテペオルに対する谷にとどまっていた。」

ヨルダン川東岸を平定し、いざ神の約束の地に入ろうとするまさにそのとき、モーセは神に向かい、自分もヨルダン川を渡って約束の地を自らの足で踏ませてくださいと申し出ました。しかし神は、モーセの嘆願を聞き入れられなかったばかりか、重ねてそのことを願い出てはならないとお怒りになられました。それはかつてメリバの水の件で、神の命に聞き従わなかった結末であると同時に、神の民イスラエルにヨルダン川を渡らせるのは、どうしてもヨシュアでなければならなかったからです。それはヨシュアという名は「主は救い」という意味があり、主イエス(ヘブル語でイエシュア)と全く同じ名前、すなわちヨシュアはやがて来たる救い主、全人類を罪から救い神の国に導き入れる主イエスの予表だったからです。そのかわり神はモーセに、ピスガの頂から、神の約束の地を見渡すことができるという恵みに与らせました。神は罪に対しては厳しくも、恵みと憐れみに富むお方です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.3.23-29.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/16

2019-11-16 05:30:23 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 3:13 新共同訳

もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。

善行に励む人を悪し様に言うことができないように、義は悪に打ち勝つ力となります。悪をもって悪に報いず、むしろ善をもって悪に対抗することにより、自らの身を助くばかりか、神の喜ばれる平和をこの世に実現する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1pe.3.13.新共同訳
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