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【COGHCC聖書通読】 2019/11/28

2019-11-28 07:45:00 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 15:1-8

「あなたは七年の終りごとに、ゆるしを行わなければならない。 そのゆるしのしかたは次のとおりである。すべてその隣人に貸した貸主はそれをゆるさなければならない。その隣人または兄弟にそれを督促してはならない。主のゆるしが、ふれ示されたからである。 外国人にはそれを督促することができるが、あなたの兄弟に貸した物はゆるさなければならない。 しかしあなたがたのうちに貧しい者はなくなるであろう。(あなたの神、主が嗣業として与えられる地で、あなたを祝福されるからである。) ただ、あなたの神、主の言葉に聞き従って、わたしが、きょう、あなたに命じることの戒めを、ことごとく守り行うとき、そのようになるであろう。 あなたの神、主が約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国びとに貸すようになり、借りることはないであろう。またあなたは多くの国びとを治めるようになり、彼らがあなたを治めることはないであろう。 あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。 必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。」

第7日目にすべての業を終えて安息日を造られた神は、安息日を聖なる日として守るのと同様に、7年毎の安息年を定められました。安息日は私たちの罪を赦しいのちを賜る神を礼拝するための日であると同時に、神から受けた祝福を家族一同と共に喜び祝う日でもあります。同様に、安息年は神の祝福に応えて、憐れみ深い神に倣い、隣人に対して憐れみを施す日、すべての負債を許し、自由と解放を与え、共に喜び祝う日として定められました。もし憐れみを施さないならば、神は私たちの手から祝福を取り去られます。主イエスもまた、ただで受けたのだからただで与えなさい、と教えられました。限りない恵みと祝福を注いでくださる神は、惜しみなく施す者を更に豊かに祝福してくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.1-8.ja1955

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申命記 15:9-11

「あなたは心に邪念を起し、『第七年のゆるしの年が近づいた』と言って、貧しい兄弟に対し、物を惜しんで、何も与えないことのないように慎まなければならない。その人があなたを主に訴えるならば、あなたは罪を得るであろう。 あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与える時は惜しんではならない。あなたの神、主はこの事のために、あなたをすべての事業と、手のすべての働きにおいて祝福されるからである。 貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない』。」

神がその民に7年毎にすべての負債を許すようにと命じられたからといって、それを理由に貸し渋りをしてはならないと主は仰せられます。私たちはなぜ貸すのか? それは返してもらうためにではなく、困窮している人を助け支援するためです。目的を履き違えてはなりません。神が私たちに対して憐れみ深くあるように、私たちもまた隣人に対して憐れみ深くある、そのために人に親切を尽くし、日々の必要を補う。神は惜しみなく与える心、憐れみ深い心を持つことを命じられているのです。神の祝福の原則は、まず与えることから始まります。与えることを惜しむケチな心の持ち主は、決して神の祝福に与ることはできません。隣人に何かを貸すときにも、この原則が適応されます。与えたものと思って貸す、もし神の御心ならば返ってくる、返ってこないことを損と思わない、なぜなら元々それらは神からただで受けたのだから、これが神の民に相応しい貸し借りの原則です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.9-11.ja1955

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申命記 15:12-18

「もしあなたの兄弟であるヘブルの男、またはヘブルの女が、あなたのところに売られてきて、六年仕えたならば、第七年には彼に自由を与えて去らせなければならない。 彼に自由を与えて去らせる時は、から手で去らせてはならない。 群れと、打ち場と、酒ぶねのうちから取って、惜しみなく彼に与えなければならない。すなわちあなたの神、主があなたを恵まれたように、彼に与えなければならない。 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主があなたをあがない出された事を記憶しなければならない。このゆえにわたしは、きょう、この事を命じる。 しかしその人があなたと、あなたの家族を愛し、あなたと一緒にいることを望み、『わたしはあなたを離れて去りたくありません』と言うならば、 あなたは、きりを取って彼の耳を戸に刺さなければならない。そうすれば、彼はいつまでもあなたの奴隷となるであろう。女奴隷にもそうしなければならない。 彼に自由を与えて去らせる時には、快く去らせなければならない。彼が六年間、賃銀を取る雇人の二倍あなたに仕えて働いたからである。あなたがそうするならば、あなたの神、主はあなたが行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。」

神の民イスラエルの間では、主従関係はないことが原則です。なぜなら私たちは皆、神の御前に等しい存在だからです。私たちの主は神ただお一人だけ、私たちは皆、同じ神の僕です。ですから神の民の間では、借金を返済する替わりに勤労によって弁済する場合、7年毎の安息年にすべての返済を免除し、自由と安息を施すようにと神は命じられました。更に神は、僕の身分から解放するときにはただで帰してはならない、その手に勤労の実を持たせて去らせるようにと命じられました。それによって、解放された人は生計を立て直す機会を得るからです。しかしその人が仕えた者の下から離れたくないと申し出る場合は、キリで耳を刺し通してその証とするようにと命じられました。これは、自ら志願して神の僕となる者の雛形です。私たちもまた自身の自由な意志により、神の下を離れたくないと申し出てキリストの僕となりました。神の僕となることは、強制労働のような外的要因によって貸せられる義務ではなく、あくまでも自発的な志願によるものです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.12-18.ja1955

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申命記 15:19-23

「牛、羊の産む雄のういごは皆あなたの神、主に聖別しなければならない。牛のういごを用いてなんの仕事をもしてはならない。また羊のういごの毛を切ってはならない。 あなたの神、主が選ばれる所で、主の前にあなたは家族と共に年ごとにそれを食べなければならない。 しかし、その獣がもし傷のあるもの、すなわち足なえまたは、盲目など、すべて悪い傷のあるものである時は、あなたの神、主にそれを犠牲としてささげてはならない。 町の内でそれを食べなければならない。汚れた人も、清い人も、かもしかや、雄じかと同様にそれを食べることができる。 ただし、その血は食べてはならない。水のようにそれを地にそそがなければならない。」

神は家畜の初子を、自分たちの所有とすることなく、神に捧げるために聖別するようにと命じられました。初子を聖別することによって、その後に生まれる家畜の子が豊かに祝福を受けるためです。まず神に捧げる、これが祝福の原則です。神の国と神の義をまず求めなさい、そうすれば、すべてのものは添えて与えられるとの御言葉の原則が、ここにも生きています。しかしその初子が傷のあるものであるならば、神に捧げてはならないというのは、神のきよさ、神聖を冒さないための行動です。神のきよさは実に全きものであることを忘れてはなりません。血を食べてはならないとの定めは、いのちを尊ばれる神の本質を守ることです。神の定められたすべての掟を矛盾することなく守ることが、神の民に相応しい行動規範です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.15.19-23.ja1955
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【今日の聖句】 2019/11/28

2019-11-28 05:25:38 | 今日の聖句
歴代誌上 16:34 新共同訳

恵み深い主に感謝せよ
慈しみはとこしえに。

私たちの主なる神は実に恵み深いお方、永遠に変わることなく、慈しみに富むお方です。私たちの必要を満たし、いのちを与える神の大いなる愛に感謝し、その御名をほめたたえる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1ch.16.34.新共同訳
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