民数記 35:1-3
『エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野で、主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に命じて、その獲た嗣業のうちから、レビびとに住むべき町々を与えさせなさい。また、あなたがたは、その町々の周囲の放牧地をレビびとに与えなければならない。 その町々は彼らの住む所、その放牧地は彼らの家畜と群れ、およびすべての獣のためである。」』
イスラエル人のうちレビ人だけは嗣業の土地を与えられませんでした。なぜならレビ人は神様に仕えることが嗣業だからです。地を得られない代わりに、レビ人の居住地と所有している家畜を飼う場所を、イスラエルの他の部族から与えるようにと神様は命じられました。
今日の私たちにとっても、神様のために仕える牧師や直接献身者は、私たち信徒が支えるべきです。喜んで捧げ、惜しみなく与える愛の関係を、特に専任で神様のために働く献身者の生活のために守り行う私たちでありますように。
http://bible.com/81/num.35.1-3.ja1955
*****
民数記 35:6-7
「あなたがたがレビびとに与える町々は六つで、のがれの町とし、人を殺した者がのがれる所としなければならない。なおこのほかに四十二の町を与えなければならない。 すなわちあなたがたがレビびとに与える町は合わせて四十八で、これをその放牧地と共に与えなければならない。」
神様はイスラエルの人々に、6つの町を「のがれの町」として選び、過失の罪を負った者が報復を避けて生きながらえることのできるようにと定められました。のがれの町を守る者はレビ人です。すなわち、神様のために仕える者が、過失の罪を負う者を受け入れ、共に住むことを意味しています。神様は、故意の罪でないならば、どんな人に対しても生きる権利を保障してくださる、憐れみ深いお方です。
http://bible.com/81/num.35.6-7.ja1955
*****
民数記 35:8
「あなたがたがイスラエルの人々の所有のうちからレビびとに町々を与えるには、大きい部族からは多く取り、小さい部族からは少なく取り、おのおの受ける嗣業にしたがって、その町々をレビびとに与えなければならない」。
レビ人の居住地と放牧地は部族間の偏りがないように、全イスラエルの中から各々の力に応じて供出するようにと命じられました。この精神は、多く与えられた者は多く捧げると共に、わずかなものしか与えられない人も、その収入に応じて捧げるべきことをも意味します。同じ神様を信じる私たちの間では、富の集中や、貧しい者からの搾取があってはなりません。より多くの祝福を求める者は、率先して多く捧げる心を持つべきです。
http://bible.com/81/num.35.8.ja1955
*****
民数記 35:9-12
『主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、 あなたがたのために町を選んで、のがれの町とし、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせなければならない。 これはあなたがたが復讐する者を避けてのがれる町であって、人を殺した者が会衆の前に立って、さばきを受けないうちに、殺されることのないためである。」』
ここでは先の節で少し触れた「のがれの町」について、より詳しく説明されています。いのちを大切にされる神様は、報復の連鎖を食い止めようと、誤って人を殺めてしまった場合のために「のがれの町」を備えてくださいました。この町に逃れた者は、正当な裁判を受ける機会が与えられます。
気付かぬうちに罪を犯してしまう私たちにとって、イエス様こそがのがれの町、イエス様こそが正しい裁きを行ってくださるという希望と慰めがありますから、感謝いたします。
http://bible.com/81/num.35.9-12.ja1955
*****
民数記 35:16-21
「もし人が鉄の器で、人を打って死なせたならば、その人は故殺人である。故殺人は必ず殺されなければならない。
…
またもし恨みのために人を突き、あるいは故意に人に物を投げつけて死なせ、 あるいは恨みによって手で人を打って死なせたならば、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は故殺人だからである。血の復讐をする者は、その故殺人に出会うとき殺すことができる。」
過失の罪には寛容な神様も、故意の罪に対しては厳しい態度で臨まれます。私たちは決して人に対して殺意や恨みなどを抱いてはなりません。もし万が一そのような心が起こるならば、自分もまた人から殺されるべきことを思い起こし、自ら心を制しなければなりません。人に対して決して悪意や恨みを抱かず、むしろ愛と寛容の心をもって接する私たちでありますように。
http://bible.com/81/num.35.16-21.ja1955
*****
民数記 35:22-24
「しかし、もし恨みもないのに思わず人を突き、または、なにごころなく人に物を投げつけ、 あるいは人のいるのも見ずに、人を殺せるほどの石を投げつけて死なせた場合、その人がその敵でもなく、また害を加えようとしたのでもない時は、 会衆はこれらのおきてによって、その人を殺した者と、血の復讐をする者との間をさばかなければならない。」
神様は故意の殺人に対しては報復を許可されましたが、過失の殺人に対しては、私たち同士の間で必ず正当な裁判を行うようにと命じられました。これは明らかな罪ではない対人関係の問題を、私たちの手に委ねられたことを意味します。その裁きは、神様と人との前に公明正大なものであり、その判決の基準は神様から与えられた律法、すなわち聖書の御言葉です。
私たちは、日々の生活の中で起こり来る様々な問題を、神様の御前に持ち出す前に、聖書の基準に照らして、私たち自身で解決を図らなければなりません。そのためには日頃から聖書を良く読み、その精神を身に付ける必要があります。決して自分の都合の良いように解釈することなく、正しい心で判断を下すことのできるように、聖霊様の助けをいただきながら、聖書の御言葉に親しむ私たちでありますように。
http://bible.com/81/num.35.22-24.ja1955
*****
民数記 35:33-34
「あなたがたはそのおる所の地を汚してはならない。流血は地を汚すからである。地の上に流された血は、それを流した者の血によらなければあがなうことができない。 あなたがたは、その住む所の地、すなわちわたしのおる地を汚してはならない。主なるわたしがイスラエルの人々のうちに住んでいるからである」。
神様が殺人の罪を厳しく戒められる理由は、神の民イスラエルに与えた約束の地を血で汚すことのないようにするためでした。これは人類最初の殺人者カインの罪を思い起こさせます。カインは弟アベルを恨んで殺し、その地を血で汚したために、神様と共に住んでいたエデンの園を追放されました。
イスラエルも、また私たちも、カインと同じく神様の御前から強制退去させられることのないように、肉の思いや一時の感情に支配されて人に対して恨みを抱くことなく、人を愛し、人を許す、神様の大きな愛のご支配の中に生かされる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/num.35.33-34.ja1955
『エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野で、主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に命じて、その獲た嗣業のうちから、レビびとに住むべき町々を与えさせなさい。また、あなたがたは、その町々の周囲の放牧地をレビびとに与えなければならない。 その町々は彼らの住む所、その放牧地は彼らの家畜と群れ、およびすべての獣のためである。」』
イスラエル人のうちレビ人だけは嗣業の土地を与えられませんでした。なぜならレビ人は神様に仕えることが嗣業だからです。地を得られない代わりに、レビ人の居住地と所有している家畜を飼う場所を、イスラエルの他の部族から与えるようにと神様は命じられました。
今日の私たちにとっても、神様のために仕える牧師や直接献身者は、私たち信徒が支えるべきです。喜んで捧げ、惜しみなく与える愛の関係を、特に専任で神様のために働く献身者の生活のために守り行う私たちでありますように。
http://bible.com/81/num.35.1-3.ja1955
*****
民数記 35:6-7
「あなたがたがレビびとに与える町々は六つで、のがれの町とし、人を殺した者がのがれる所としなければならない。なおこのほかに四十二の町を与えなければならない。 すなわちあなたがたがレビびとに与える町は合わせて四十八で、これをその放牧地と共に与えなければならない。」
神様はイスラエルの人々に、6つの町を「のがれの町」として選び、過失の罪を負った者が報復を避けて生きながらえることのできるようにと定められました。のがれの町を守る者はレビ人です。すなわち、神様のために仕える者が、過失の罪を負う者を受け入れ、共に住むことを意味しています。神様は、故意の罪でないならば、どんな人に対しても生きる権利を保障してくださる、憐れみ深いお方です。
http://bible.com/81/num.35.6-7.ja1955
*****
民数記 35:8
「あなたがたがイスラエルの人々の所有のうちからレビびとに町々を与えるには、大きい部族からは多く取り、小さい部族からは少なく取り、おのおの受ける嗣業にしたがって、その町々をレビびとに与えなければならない」。
レビ人の居住地と放牧地は部族間の偏りがないように、全イスラエルの中から各々の力に応じて供出するようにと命じられました。この精神は、多く与えられた者は多く捧げると共に、わずかなものしか与えられない人も、その収入に応じて捧げるべきことをも意味します。同じ神様を信じる私たちの間では、富の集中や、貧しい者からの搾取があってはなりません。より多くの祝福を求める者は、率先して多く捧げる心を持つべきです。
http://bible.com/81/num.35.8.ja1955
*****
民数記 35:9-12
『主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、 あなたがたのために町を選んで、のがれの町とし、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせなければならない。 これはあなたがたが復讐する者を避けてのがれる町であって、人を殺した者が会衆の前に立って、さばきを受けないうちに、殺されることのないためである。」』
ここでは先の節で少し触れた「のがれの町」について、より詳しく説明されています。いのちを大切にされる神様は、報復の連鎖を食い止めようと、誤って人を殺めてしまった場合のために「のがれの町」を備えてくださいました。この町に逃れた者は、正当な裁判を受ける機会が与えられます。
気付かぬうちに罪を犯してしまう私たちにとって、イエス様こそがのがれの町、イエス様こそが正しい裁きを行ってくださるという希望と慰めがありますから、感謝いたします。
http://bible.com/81/num.35.9-12.ja1955
*****
民数記 35:16-21
「もし人が鉄の器で、人を打って死なせたならば、その人は故殺人である。故殺人は必ず殺されなければならない。
…
またもし恨みのために人を突き、あるいは故意に人に物を投げつけて死なせ、 あるいは恨みによって手で人を打って死なせたならば、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は故殺人だからである。血の復讐をする者は、その故殺人に出会うとき殺すことができる。」
過失の罪には寛容な神様も、故意の罪に対しては厳しい態度で臨まれます。私たちは決して人に対して殺意や恨みなどを抱いてはなりません。もし万が一そのような心が起こるならば、自分もまた人から殺されるべきことを思い起こし、自ら心を制しなければなりません。人に対して決して悪意や恨みを抱かず、むしろ愛と寛容の心をもって接する私たちでありますように。
http://bible.com/81/num.35.16-21.ja1955
*****
民数記 35:22-24
「しかし、もし恨みもないのに思わず人を突き、または、なにごころなく人に物を投げつけ、 あるいは人のいるのも見ずに、人を殺せるほどの石を投げつけて死なせた場合、その人がその敵でもなく、また害を加えようとしたのでもない時は、 会衆はこれらのおきてによって、その人を殺した者と、血の復讐をする者との間をさばかなければならない。」
神様は故意の殺人に対しては報復を許可されましたが、過失の殺人に対しては、私たち同士の間で必ず正当な裁判を行うようにと命じられました。これは明らかな罪ではない対人関係の問題を、私たちの手に委ねられたことを意味します。その裁きは、神様と人との前に公明正大なものであり、その判決の基準は神様から与えられた律法、すなわち聖書の御言葉です。
私たちは、日々の生活の中で起こり来る様々な問題を、神様の御前に持ち出す前に、聖書の基準に照らして、私たち自身で解決を図らなければなりません。そのためには日頃から聖書を良く読み、その精神を身に付ける必要があります。決して自分の都合の良いように解釈することなく、正しい心で判断を下すことのできるように、聖霊様の助けをいただきながら、聖書の御言葉に親しむ私たちでありますように。
http://bible.com/81/num.35.22-24.ja1955
*****
民数記 35:33-34
「あなたがたはそのおる所の地を汚してはならない。流血は地を汚すからである。地の上に流された血は、それを流した者の血によらなければあがなうことができない。 あなたがたは、その住む所の地、すなわちわたしのおる地を汚してはならない。主なるわたしがイスラエルの人々のうちに住んでいるからである」。
神様が殺人の罪を厳しく戒められる理由は、神の民イスラエルに与えた約束の地を血で汚すことのないようにするためでした。これは人類最初の殺人者カインの罪を思い起こさせます。カインは弟アベルを恨んで殺し、その地を血で汚したために、神様と共に住んでいたエデンの園を追放されました。
イスラエルも、また私たちも、カインと同じく神様の御前から強制退去させられることのないように、肉の思いや一時の感情に支配されて人に対して恨みを抱くことなく、人を愛し、人を許す、神様の大きな愛のご支配の中に生かされる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/num.35.33-34.ja1955