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伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/07/31

2016-07-31 08:12:02 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 35:1-3
『エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野で、主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に命じて、その獲た嗣業のうちから、レビびとに住むべき町々を与えさせなさい。また、あなたがたは、その町々の周囲の放牧地をレビびとに与えなければならない。 その町々は彼らの住む所、その放牧地は彼らの家畜と群れ、およびすべての獣のためである。」』

イスラエル人のうちレビ人だけは嗣業の土地を与えられませんでした。なぜならレビ人は神様に仕えることが嗣業だからです。地を得られない代わりに、レビ人の居住地と所有している家畜を飼う場所を、イスラエルの他の部族から与えるようにと神様は命じられました。

今日の私たちにとっても、神様のために仕える牧師や直接献身者は、私たち信徒が支えるべきです。喜んで捧げ、惜しみなく与える愛の関係を、特に専任で神様のために働く献身者の生活のために守り行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.35.1-3.ja1955
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民数記 35:6-7
「あなたがたがレビびとに与える町々は六つで、のがれの町とし、人を殺した者がのがれる所としなければならない。なおこのほかに四十二の町を与えなければならない。 すなわちあなたがたがレビびとに与える町は合わせて四十八で、これをその放牧地と共に与えなければならない。」

神様はイスラエルの人々に、6つの町を「のがれの町」として選び、過失の罪を負った者が報復を避けて生きながらえることのできるようにと定められました。のがれの町を守る者はレビ人です。すなわち、神様のために仕える者が、過失の罪を負う者を受け入れ、共に住むことを意味しています。神様は、故意の罪でないならば、どんな人に対しても生きる権利を保障してくださる、憐れみ深いお方です。

http://bible.com/81/num.35.6-7.ja1955

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民数記 35:8
「あなたがたがイスラエルの人々の所有のうちからレビびとに町々を与えるには、大きい部族からは多く取り、小さい部族からは少なく取り、おのおの受ける嗣業にしたがって、その町々をレビびとに与えなければならない」。

レビ人の居住地と放牧地は部族間の偏りがないように、全イスラエルの中から各々の力に応じて供出するようにと命じられました。この精神は、多く与えられた者は多く捧げると共に、わずかなものしか与えられない人も、その収入に応じて捧げるべきことをも意味します。同じ神様を信じる私たちの間では、富の集中や、貧しい者からの搾取があってはなりません。より多くの祝福を求める者は、率先して多く捧げる心を持つべきです。

http://bible.com/81/num.35.8.ja1955

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民数記 35:9-12
『主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、 あなたがたのために町を選んで、のがれの町とし、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせなければならない。 これはあなたがたが復讐する者を避けてのがれる町であって、人を殺した者が会衆の前に立って、さばきを受けないうちに、殺されることのないためである。」』

ここでは先の節で少し触れた「のがれの町」について、より詳しく説明されています。いのちを大切にされる神様は、報復の連鎖を食い止めようと、誤って人を殺めてしまった場合のために「のがれの町」を備えてくださいました。この町に逃れた者は、正当な裁判を受ける機会が与えられます。

気付かぬうちに罪を犯してしまう私たちにとって、イエス様こそがのがれの町、イエス様こそが正しい裁きを行ってくださるという希望と慰めがありますから、感謝いたします。

http://bible.com/81/num.35.9-12.ja1955

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民数記 35:16-21
「もし人が鉄の器で、人を打って死なせたならば、その人は故殺人である。故殺人は必ず殺されなければならない。

またもし恨みのために人を突き、あるいは故意に人に物を投げつけて死なせ、 あるいは恨みによって手で人を打って死なせたならば、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は故殺人だからである。血の復讐をする者は、その故殺人に出会うとき殺すことができる。」

過失の罪には寛容な神様も、故意の罪に対しては厳しい態度で臨まれます。私たちは決して人に対して殺意や恨みなどを抱いてはなりません。もし万が一そのような心が起こるならば、自分もまた人から殺されるべきことを思い起こし、自ら心を制しなければなりません。人に対して決して悪意や恨みを抱かず、むしろ愛と寛容の心をもって接する私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.35.16-21.ja1955

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民数記 35:22-24
「しかし、もし恨みもないのに思わず人を突き、または、なにごころなく人に物を投げつけ、 あるいは人のいるのも見ずに、人を殺せるほどの石を投げつけて死なせた場合、その人がその敵でもなく、また害を加えようとしたのでもない時は、 会衆はこれらのおきてによって、その人を殺した者と、血の復讐をする者との間をさばかなければならない。」

神様は故意の殺人に対しては報復を許可されましたが、過失の殺人に対しては、私たち同士の間で必ず正当な裁判を行うようにと命じられました。これは明らかな罪ではない対人関係の問題を、私たちの手に委ねられたことを意味します。その裁きは、神様と人との前に公明正大なものであり、その判決の基準は神様から与えられた律法、すなわち聖書の御言葉です。

私たちは、日々の生活の中で起こり来る様々な問題を、神様の御前に持ち出す前に、聖書の基準に照らして、私たち自身で解決を図らなければなりません。そのためには日頃から聖書を良く読み、その精神を身に付ける必要があります。決して自分の都合の良いように解釈することなく、正しい心で判断を下すことのできるように、聖霊様の助けをいただきながら、聖書の御言葉に親しむ私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.35.22-24.ja1955

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民数記 35:33-34
「あなたがたはそのおる所の地を汚してはならない。流血は地を汚すからである。地の上に流された血は、それを流した者の血によらなければあがなうことができない。 あなたがたは、その住む所の地、すなわちわたしのおる地を汚してはならない。主なるわたしがイスラエルの人々のうちに住んでいるからである」。

神様が殺人の罪を厳しく戒められる理由は、神の民イスラエルに与えた約束の地を血で汚すことのないようにするためでした。これは人類最初の殺人者カインの罪を思い起こさせます。カインは弟アベルを恨んで殺し、その地を血で汚したために、神様と共に住んでいたエデンの園を追放されました。

イスラエルも、また私たちも、カインと同じく神様の御前から強制退去させられることのないように、肉の思いや一時の感情に支配されて人に対して恨みを抱くことなく、人を愛し、人を許す、神様の大きな愛のご支配の中に生かされる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.35.33-34.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/31

2016-07-31 06:42:02 | 今日の聖句
ペテロの第二の手紙 3:9
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」

神様は、すべての人が救われるようにと願い、裁きの日を先延ばしにして待っておられます。それを「神はいない」などと勘違いして、放縦生活に身を投じてはなりません。やがて再臨の日が突然やって来ても慌てることのないよう、日々信仰生活に励み、一人でも多くの人に福音を宣べ伝える私たちでありますように。

http://bible.com/81/2pe.3.9.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/30

2016-07-30 12:48:36 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 34:1-3, 12
『主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に命じて言いなさい。あなたがたがカナンの地にはいるとき、あなたがたの嗣業となるべき地はカナンの地で、その全域は次のとおりである。 南の方はエドムに接するチンの荒野に始まり、南の境は、東は塩の海の端に始まる。

またその境はヨルダンに下り、塩の海に至って尽きる。あなたがたの国の周囲の境は以上のとおりである」。』

神様はモーセに、イスラエル人に約束の地として与えるカナンの地の国境を示されました。それはヨルダン川の西側、北は今のシリア付近から、南はカデシュ・バルネアまで、この広大な領地こそ、まさにアブラハムに神様が約束した永遠の嗣業の地です。

神様が私たちになされた約束は必ず成し遂げてくださいます。その約束を受けられるか否かは、私たちの信仰にかかってきます。約束が成就するときを待ちきれず、神様に頼らずに先走って自分の力で得ようとする者は、決して手にすることはできません。最後まで神様の約束を信じて御言葉に聞き従い、永遠の希望を抱いて祝福の成就を見させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.34.1-3,12.ja1955

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民数記 34:13-15
『モーセはイスラエルの人々に命じて言った、「これはあなたがたが、くじによって継ぐべき地である。主はこれを九つの部族と半部族とに与えよと命じられた。 それはルベンの子孫の部族とガドの子孫の部族とが共に父祖の家にしたがって、すでにその嗣業を受け、またマナセの半部族もその嗣業を受けていたからである。 この二つの部族と半部族とはエリコに近いヨルダンのかなた、すなわち東の方、日の出る方で、その嗣業を受けた」。』

神様が約束された嗣業の地は、あくまでもヨルダン川の西側でした。ルベン族とガド族、マナセの半部族は、神様が与えようとされた約束の地よりも自分の目に適うヨルダン川の東側の地を選び取りました。これは今なお戦争が繰り返されるゴラン高原の辺りです。果たしてここが祝福の地と言えるでしょうか。

私たちの人生は毎日が選択の連続です。そのとき私たちの判断基準は、自分の願望か神様の御心か、目先の利益か永遠の希望か、どちらに従うべきでしょうか。目に見える一時的な繁栄に心奪われることなく、永遠の祝福を掴み取る私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.34.13-15.ja1955

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民数記 34:16-19, 29
『主はまたモーセに言われた、 「あなたがたに、嗣業として地を分け与える人々の名は次のとおりである。すなわち祭司エレアザルと、ヌンの子ヨシュアとである。 あなたがたはまた、おのおの部族から、つかさひとりずつを選んで、地を分け与えさせなければならない。 その人々の名は次のとおりである。すなわちユダの部族ではエフンネの子カレブ、

カナンの地でイスラエルの人々に嗣業を分け与えることを主が命じられた人々は以上のとおりである」。』

神様はモーセにイスラエルの嗣業の地を示されたと共に、嗣業の地を分け与える者としてモーセの後継者ヨシュアと祭司エレアザルを、そして嗣業の地を受ける者の筆頭にユダ族のカレブの名を挙げられました。彼らは神様のご命令に従って荒野の40年の旅路を生き抜いた、神様の御心に適う忠実な僕でした。

私たちもまた主の御言葉に最後まで聞き従う忠実な僕となり、神様が約束された永遠の祝福を受けるさいわいに与る者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/num.34.16-19,29.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/30

2016-07-30 06:42:45 | 今日の聖句
詩篇 119:1-3
「おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。 主のもろもろのあかしを守り心をつくして主を尋ね求め、 また悪を行わず、主の道に歩む者はさいわいです。」

さいわいな人生を送る秘訣は、生ける神の御言葉を指針として歩む生き方を全うすることです。心から主を求め、その戒めを忠実に守り、天の御国に至る神の義の王道を、右にも左にも逸れず真っ直ぐに歩み続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.1-3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/29

2016-07-29 07:47:04 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 33:1-2
「イスラエルの人々が、モーセとアロンとに導かれ、その部隊に従って、エジプトの国を出てから経た旅路は次のとおりである。 モーセは主の命により、その旅路にしたがって宿駅を書きとめた。その宿駅にしたがえば旅路は次のとおりである。」

神様はモーセに命じて、エジプトを出てから約束の地カナンに至るまでの道程を記録させました。それはイスラエル人たちが歩んできた40年間の荒野の旅路を振り返って、いつも共にいてくださった神様の恵みと過去の失敗から学び、将来への教訓を得るためです。

神様の視点は、常に将来に向けられています。たとい過ちを犯しても、悔い改めて神様に立ち返り、御心に適う人生へと軌道修正する私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.33.1-2.ja1955

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民数記 33:3-4
「彼らは正月の十五日にラメセスを出立した。すなわち過越の翌日イスラエルの人々は、すべてのエジプトびとの目の前を意気揚々と出立した。 その時エジプトびとは、主に撃ち殺されたすべてのういごを葬っていた。主はまた彼らの神々にも罰を加えられた。」

約束の地への旅路は、エジプトでの奴隷生活からの脱出から始まります。聖書の中で、エジプトはこの世の富や欲望、罪の象徴です。エジプトからの脱出に先立ち、イスラエル人は過越の祭を行い、神の民としてのアイデンティティーを確立しました。私たちもまた神の民とされるには、主を唯一の神とする信仰と、罪からの解放、この世の誘惑からの脱却からスタートします。エジプトを出るイスラエル人たちが意気揚々と出立したように、明日への希望に満たされて喜びの人生を歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.33.3-4.ja1955

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民数記 33:5-9
「こうしてイスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに宿営し、 スコテを出立して荒野の端にあるエタムに宿営し、 エタムを出立してバアル・ゼポンの前にあるピハヒロテに引き返してミグドルの前に宿営し、 ピハヒロテを出立して、海のなかをとおって荒野に入り、エタムの荒野を三日路ほど行って、メラに宿営し、 メラを出立し、エリムに行って宿営した。エリムには水の泉十二と、なつめやし七十本とがあった。」

エジプトを出たイスラエル人は、神様の命じられるままに、水も食料もない荒野を旅しました。しかし神様はその時々に応じて天からのマナを降らせ、荒野に泉を湧き出させて、イスラエルの民を養われました。神様と共に歩むとき、私たちにも日毎に御言葉のマナが与えられ、魂の渇きを癒すいのちの水が湧き出ます。

http://bible.com/81/num.33.5-9.ja1955

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民数記 33:37-39
「カデシを出立してエドムの国の端にあるホル山に宿営した。 イスラエルの人々がエジプトの国を出て四十年目の五月一日に、祭司アロンは主の命によりホル山に登って、その所で死んだ。 アロンはホル山で死んだとき百二十三歳であった。」

40年の荒野の旅を経ていよいよ約束の地カナンに近付いたとき、指導者の一人であったアロンは神様に召されました。私たちのいのちはすべて神様の御手の中にあります。神様から与えられた使命に生き、最後まで神様の御心に従う生涯を貫く私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.33.37-39.ja1955

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民数記 33:50-53
『エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野で、主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、すべての石像をこぼち、すべての鋳像をこぼち、すべての高き所を破壊しなければならない。 またあなたがたはその地の民を追い払って、そこに住まなければならない。わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである。」』

カナンの地を目前にして、神様はモーセを通してイスラエルの人々に、先住民たちを追い出し、土着の神々を祀る場所を破壊し尽くすことを命じられました。それは、まことの神様を信じる信仰から離れさせる要素を徹底的に排除することを意味します。私たちが神様の祝福に満ちた信仰生活を送るためには、神様以外のものを神とする偶像礼拝を完全に根絶やしにしなければなりません。

http://bible.com/81/num.33.50-53.ja1955

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民数記 33:55-56
「しかし、その地の住民をあなたがたの前から追い払わないならば、その残して置いた者はあなたがたの目にとげとなり、あなたがたの脇にいばらとなり、あなたがたの住む国において、あなたがたを悩ますであろう。 また、わたしは彼らにしようと思ったとおりに、あなたがたにするであろう」。

もし私たちが偶像礼拝を排除しなかったらどうなるでしょうか。それは私たち自身が神様から追い払われる身となることを意味します。神様が私たちに期待しておられることは、ただ神様のみを信じ、他の神々に仕えることなく、聖書の御言葉に忠実に従う人生です。私たちを神様から離れさせるものを徹底的に取り除き、神様の御心に適う祝福の人生を自分のものとする私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.33.55-56.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/29

2016-07-29 06:48:19 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 1:17
『神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。』

人の義は自分の欲望を満たすだけにとどまりますが、神の義は人を生かし永遠のいのちに至らしめます。天地万物の創造主にして真の主権者であられる主を神と信じ従う信仰により、やがて滅び行くこの世の欲望を追い求める虚しさを捨て、まことの義と永遠のいのちに与る希望に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.1.17.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/28

2016-07-28 07:55:55 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 32:1-5
『ルベンの子孫とガドの子孫とは非常に多くの家畜の群れを持っていた。彼らがヤゼルの地と、ギレアデの地とを見ると、そこは家畜を飼うのに適していたので、 ガドの子孫とルベンの子孫とがきて、モーセと、祭司エレアザルと、会衆のつかさたちとに言った、 「アタロテ、デボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシボン、エレアレ、シバム、ネボ、ベオン、 すなわち主がイスラエルの会衆の前に撃ち滅ぼされた国は、家畜を飼うのに適した地ですが、しもべらは家畜を持っています」。 彼らはまた言った、「それでもし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください」。』

約束の地を目前にして、ルベン族とガド族が驚くべき行動に出ました。それは自分たちは約束に地に入らず、すでに滅ぼしたヨルダン川の東側の地を領地として定住したいと申し出たのです。それは家畜を多く所有していた彼らは、今、目の前に広がる地を放牧に適していると自分たちで判断したからです。

私たち人間が犯しやすい過ちは、目先の利益を求めて安住することです。せっかく神様がもっと大きな祝福を与えようとされているのに、目先の小さな幸せに心の目が遮られて誤った判断を下し、将来の希望を捨ててしまうことです。

私たちは神様の祝福を受け継ぐ約束の民とされた者です。自らの価値基準に従って手近な祝福にとどまることなく、目には見えない神様の約束を確信して永遠の祝福を自分のものとする私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.32.1-5.ja1955

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民数記 32:6-7
『モーセはガドの子孫とルベンの子孫とに言った、「あなたがたは兄弟が戦いに行くのに、ここにすわっていようというのか。 どうしてあなたがたはイスラエルの人々の心をくじいて、主が彼らに与えられる地に渡ることができないようにするのか。』

今いる地に定住したいと申し出たルベン族とガド族を、モーセは厳しく叱責しました。その理由は「イスラエルの人々の心をくじく」行為だったからです。彼らの身勝手な言い分がイスラエル全体に及ぼす影響を考えてのことでした。

もし彼らがこの地に留まって約束の地に行かないならば、他の部族も自分たちの好き勝手な理由をつけて、誰一人として約束の地に入ることができなくなってしまうからです。そうしたら神様はどのようになさるでしょうか。出エジプト以降のイスラエルの歴史を見ても、神様の約束を軽んじた者は必ず滅ぼされることは火を見るよりも明らかです。

私たちは自分の視点で物事を考えがちですが、モーセのように神様の視点に立って物事を捉え、御心が何であるかを最優先に考えて判断することが大切です。

http://bible.com/81/num.32.6-7.ja1955

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民数記 32:8-12
「あなたがたの先祖も、わたしがカデシ・バルネアから、その地を見るためにつかわした時に、同じようなことをした。 すなわち彼らはエシコルの谷に行って、その地を見たとき、イスラエルの人々の心をくじいて、主が与えられる地に行くことができないようにした。 そこでその時、主は怒りを発し、誓って言われた、 『エジプトから出てきた人々で二十歳以上の者はひとりもわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従わなかったからである。 ただケニズびとエフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアとはそうではない。このふたりは全く主に従ったからである』。」

モーセはルベン族とガド族の申し出に対し、かつて約束の地を目前にしてその地に入ることを拒んだ40年前の出来事を思い起こさせました。神様の御心に従わなかった者は40年荒野を放浪する間に死に絶え、神様の御心に従ったカレブとヨシュアだけが生き残っていることがその証拠でした。

何が神様の御心で、何が神様の約束か、私たちは聖書の歴史から賢く学ばなければなりません。

http://bible.com/81/num.32.8-12.ja1955

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民数記 32:16-19
『彼らはモーセのところへ進み寄って言った、「われわれはこの所に、群れのために羊のおりを建て、また子供たちのために町々を建てようと思います。 しかし、われわれは武装してイスラエルの人々の前に進み、彼らをその所へ導いて行きましょう。ただわれわれの子供たちは、この地の住民の害をのがれるため、堅固な町々に住ませておかなければなりません。 われわれはイスラエルの人々が、おのおのその嗣業を受けるまでは、家に帰りません。 またわれわれはヨルダンのかなたで彼らとともには嗣業を受けません。われわれはヨルダンのこなた、すなわち東の方で嗣業を受けるからです」。』

モーセに厳しく戒められても、ルベン族とガド族は自分たちの主張を曲げず、すでに定住計画まで立てて、そのためには戦争に共に出て行っても、約束の地では嗣業を受けないとまで言って我を通そうとしました。ここまで自己主張を続ける彼らに、これ以上、心を変えるようにと説得することはできません。神様の約束を待てず、自分の立てた計画通りに物事を進めようとする心に、私たちは気を付けなければなりません。

http://bible.com/81/num.32.16-19.ja1955

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民数記 32:20-24
『モーセは彼らに言った、「もし、あなたがたがそのようにし、みな武装して主の前に行って戦い、 みな武装して主の前に行ってヨルダン川を渡り、主がその敵を自分の前から追い払われて、 この国が主の前に征服されて後、帰ってくるならば、あなたがたは主の前にも、イスラエルの前にも、とがめはないであろう。そしてこの地は主の前にあなたがたの所有となるであろう。 しかし、そうしないならば、あなたがたは主にむかって罪を犯した者となり、その罪は必ず身に及ぶことを知らなければならない。 あなたがたは子供たちのために町々を建て、羊のために、おりを建てなさい。しかし、あなたがたは約束したことは行わなければならない」。』

先の章で、神様の前に誓約をすることについて定められた直後に、ルベン族とガド族の身勝手な申し出が出てきたことは、何という皮肉でしょうか。モーセは彼らに、神様の前に誓約したことは必ず守るようにと厳しく戒めました。もし誓約を破るならば、その罪科が自分の身に及ぶことを、私たちは決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/num.32.20-24.ja1955

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民数記 32:31-33
「ガドの子孫と、ルベンの子孫とは答えて言った、「しもべらは主が言われたとおりにいたします。 われわれは武装して、主の前にカナンの地へ渡って行きますが、ヨルダンのこなたで、われわれの嗣業をもつことにします」。 そこでモーセはガドの子孫と、ルベンの子孫と、ヨセフの子マナセの部族の半ばとに、アモリびとの王シホンの国と、バシャンの王オグの国とを与えた。すなわち、その国およびその領内の町々とその町々の周囲の地とを与えた。」

モーセはルベン族とガド族、そしてマナセの半部族に、約束の地をすべて勝ち取るまでは共に戦うこと、そしてヨルダン川の東側の地を彼らに与え、カナンの地には嗣業を持たないことを、主と全イスラエルの前で誓約させました。

神様の前で一度立てた誓約は、必ず守らなければなりません。確かに彼らは最後までその誓約を守りました。しかし神様の祝福の約束を軽んじた彼らがその後どうなったか、イスラエルの歴史を見れば明らかです。ヨルダン川の東の地は、今やイスラエルではありません。バビロン捕囚のはるか前にアッシリヤに滅ぼされ、イエス様の時代には悪霊の住む町となっていました。

私たちは聖書の歴史から、これから私たちがどのように生きるべきか、どのように物事を捉え、判断すべきか、賢く学んで、永遠の神様の約束を手にする者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.32.31-33.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/28

2016-07-28 06:40:08 | 今日の聖句
詩篇 33:4-5
「主のみことばは直く、そのすべてのみわざは真実だからである。 主は正義と公平とを愛される。地は主のいつくしみで満ちている。」

今の世界情勢や国々に起こる出来事を見るとき、神様は本当にいるのだろうかと疑いたくなるような事件や戦争の数々に胸が痛みます。正義と公平を愛される主の御心に適うこの世界となるようと祈り、全地に神様の恵みと慈しみが満たされるように心から願ってやみません。

http://bible.com/81/psa.33.4-5.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/27

2016-07-27 08:00:17 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 31:1-2
『さて主はモーセに言われた、 「ミデアンびとにイスラエルの人々のあだを報いなさい。その後、あなたはあなたの民に加えられるであろう」。』

神様はモーセに最後の使命を与えます。それは約束の地を目前にしてイスラエルの人々に偶像礼拝をさせる謀略を働いたミデアン人を聖絶することでした。罪を忌み嫌われる神様は、モーセ亡き後にイスラエルが再び罪に陥る危険性をなくすために、罪の根元を絶ち滅ぼそうとされたのです。

聖なる神の民とされた私たちにとって、罪は死活問題です。罪の世にあって罪に汚れることのないように、罪に近付かないこと、誘惑を避けること、私たちを罪に陥れる可能性をすべて遮断することは最も重要です。

http://bible.com/81/num.31.1-2.ja1955

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民数記 31:3-6
『モーセは民に言った、「あなたがたのうちから人を選んで戦いのために武装させ、ミデアンびとを攻めて、主のためミデアンびとに復讐しなさい。

モーセは各部族から千人ずつを戦いにつかわし、また祭司エレアザルの子ピネハスに、聖なる器と吹き鳴らすラッパとを執らせて、共に戦いにつかわした。』

ミデアン人と戦うために、モーセはイスラエルの成人男性の中から精鋭部隊を召集して武装させ、祭司エレアザルの子ピネハスと共に遣わしました。ピネハスはかつて、イスラエル人を誘惑したミデアン人の女を、聖なる怒りに燃えて撃ち殺した者です。

罪と戦うには、戦う側にも相応の覚悟と備えが必要です。なぜなら罪は人の最大の敵で、安易に勝てる相手ではないからです。この世にあってきよさを保つために、常に罪と戦う覚悟をもって心に備えをする私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.31.3-6.ja1955

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民数記 31:7-8
「彼らは主がモーセに命じられたようにミデアンびとと戦って、その男子をみな殺した。 その殺した者のほかにまたミデアンの王五人を殺した。その名はエビ、レケム、ツル、フル、レバである。またベオルの子バラムをも、つるぎにかけて殺した。」

イスラエルの精鋭部隊は、ミデアン軍と勇敢に戦って全滅させ、ミデアン地の王5人をも撃ち殺しました。その中に謀略をもってイスラエルを罪に陥れたバラムも含まれていました。

この世の生活の中で、私たちに対して悪しき働きかけをする者が必ずいますが、その最後は必ず滅ぼされます。私たちにできることは、私たちを神様から離そうとする、罪を犯させることに対して、徹底的に抵抗して耐え抜くことです。そうすれば必ず神様ご自身が敵に報いてくださいます。

http://bible.com/81/num.31.7-8.ja1955

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民数記 31:9-12
「またイスラエルの人々はミデアンの女たちとその子供たちを捕虜にし、その家畜と、羊の群れと、貨財とをことごとく奪い取り、 そのすまいのある町々と、そのとを、ことごとく火で焼いた。 こうして彼らはすべて奪ったものと、かすめたものとは人をも家畜をも取り、 その生けどった者と、かすめたものと、奪ったものとを携えて、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野の宿営におるモーセと祭司エレアザルとイスラエルの人々の会衆のもとへもどってきた。」

ミデアン軍を殲滅させたイスラエル軍はその後ミデアンの地を攻め、多くの捕虜と家畜と略奪品を取って、イスラエルの宿営に戻ってきました。しかしこれは、神様の御心に完全に適うものではありませんでした。なぜ彼らは御心に従うことができなかったのでしょうか。それは人間の欲です。金銭を愛し、自分にとって魅力的なものを惜しむ心です。

私たちは、何でも安易にもったいないと考えてはなりません。たとえ高額なものでも、惜しくても、私たちを神様から離れさせるもの、罪を犯させるものは完全に捨て去らなければなりません。神様の御心に完全に従うために、信仰をもって惜しむ心を断ち切る私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.31.9-12.ja1955

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民数記 31:13-16
『ときにモーセと祭司エレアザルと会衆のつかさたちはみな宿営の外に出て迎えたが、 モーセは軍勢の将たち、すなわち戦場から帰ってきた千人の長たちと、百人の長たちに対して怒った。 モーセは彼らに言った、「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。 彼らはバラムのはかりごとによって、イスラエルの人々に、ペオルのことで主に罪を犯させ、ついに主の会衆のうちに疫病を起すに至った。」』

神様のご命令は、イスラエルを罪に陥れる可能性を全滅させることです。ですからイスラエルを誘惑して偶像礼拝をさせた女たちは捕虜とせず、滅ぼさなければならなかったのです。モーセはその過ちを指摘し、ミデアン人の成人女性を聖絶するように命じました。

いくら戦いに勝利しても、成功しても、成果を上げても、神の聖なる民とされた私たちは、神様の御心に適わないことは決して行ってはなりません。誘惑に目が眩むことなく、人の欲に心奪われることなく、ただ神様の御心に適うことのみを初志貫徹する私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.31.13-16.ja1955

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民数記 31:19
「そしてあなたがたは七日のあいだ宿営の外にとどまりなさい。あなたがたのうちすべて人を殺した者、およびすべて殺された者に触れた者は、あなたがた自身も、あなたがたの捕虜も共に、三日目と七日目とに身を清めなければならない。」

神様のご命令であったとしても、罪深い敵であったとしても、人のいのちを奪ったことには変わりありません。ですから神様はミデアン人と戦った戦士たちに、7日の間、宿営の外できよめの期間を設けました。これは罪と汚れがイスラエル全体に及ぶことのないようにとの神様の御心です。

私たちもまた罪や不品行、汚れを持ち込まないように格別の注意を払い、徹底してきよめを求め、聖潔を保つ者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.31.19.ja1955

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民数記 31:25-28
『主はモーセに言われた、 「あなたと祭司エレアザルおよび会衆の氏族のかしらたちは、その生けどった人と家畜の獲物の総数を調べ、 その獲物を戦いに出た勇士と、全会衆とに折半しなさい。 そして戦いに出たいくさびとに、人または牛、またはろば、または羊を、おのおの五百ごとに一つを取り、みつぎとして主にささげさせなさい。」』

ミデアン人と戦った勇士たちと、宿営にいたイスラエルの全会衆に、神様は分捕り物を折半して与えました。しかし同時に、その中から神様への捧げものも忘れずに捧げさせました。なぜならこの勝利は神様のご命令に従って勝ち取ることができたものだからです。

神様は私たちの働きに報いてくださるお方です。しかしそれは私たちだけの成果ではなく、背後に神様の守りと祝福があることを忘れてはなりません。私たちが手にするものすべてに、神様への感謝を決して忘れない者でありますように。

http://bible.com/81/num.31.25-28.ja1955

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民数記 31:48-51
『時に軍勢の将であったものども、すなわち千人の長たちと百人の長たちとがモーセのところにきて、 モーセに言った、「しもべらは、指揮下のいくさびとを数えましたが、われわれのうち、ひとりも欠けた者はありませんでした。 それで、われわれは、おのおの手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主に携えてきて供え物とし、主の前にわれわれの命のあがないをしようと思います」。 モーセと祭司エレアザルとは、彼らから細工を施した金の飾り物を受け取った。』

ミデアン人と戦ったイスラエル軍の長たちは、自分たちの命が守られたことに感謝して、自発的に自分たちが得た戦利品の中から神様への捧げものを携えてきました。この信仰の行為を神様はとても喜ばれ、後々までの記念として幕屋の中に保管させました。

私たちは常に神様への感謝を忘れてはなりません。当たり前のように思えても、今日もいのちが与えられ日常生活を営めること、すべてに対して神様に感謝し、その感謝の心を自発的に捧げものとして主の御前に捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.31.48-51.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/27

2016-07-27 06:45:31 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 2:9
『しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。』

すべての人の罪を赦すために神の一人子イエスがその命を捨てるなど、誰が考えられたでしょうか。しかしこの十字架の購いこそが、罪を憎み人を愛する神の義と愛を完全に全うする唯一の手段だったのです。人知を越えた計り知れない神の知恵と愛の御業に感謝し、信仰をもって受け入れる私たちでありますように。

http://bible.com/81/1co.2.9.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/26

2016-07-26 07:30:20 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 30:1-2
『モーセはイスラエルの人々の部族のかしらたちに言った、「これは主が命じられた事である。 もし人が主に誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようと誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。口で言ったとおりにすべて行わなければならない。」』

この章では誓願について取り上げて、神の民の掟とされています。キリスト教は言葉の宗教であると言われます。なぜなら神様は言をもって天地万物を創造され、人を造り、いのちを与えられたからです。ですから私たちもまた、自分の口から出た言葉に責任を負わなければなりません。特に主の御名にかけて誓った誓願や物絶ちの誓約は、必ず果たさなければなりません。

日本では口から出た話し言葉は書面とは異なり、証拠がないから守らなくてもよいという風潮がありますが、神様の御前には、口頭であれ書面であれ、一度出た言葉は永遠に有効です。神様は私たちの言葉をすべて覚えておられますから、決して安易に誓約したり、心にもないことを口走ってはなりません。そのときの感情や雰囲気に流されることなく、自らを律し、唇を制する私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.30.1-2.ja1955

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民数記 30:3-5
「またもし女がまだ若く、父の家にいて、主に誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようとする時、 父が彼女の誓願、または彼女の身に断った物断ちのことを聞いて、彼女に何も言わないならば、彼女はすべて誓願を行い、またその身に断った物断ちをすべて守らなければならない。 しかし、彼女の父がそれを聞いた日に、それを承認しない時は、彼女はその誓願、またはその身に断った物断ちをすべてやめることができる。父が承認しないのであるから、主は彼女をゆるされるであろう。」

次に未婚の女性が行った誓約に対する掟について記されています。未婚の女性は家長である父親の責任のもとにありますから、誓約や物絶ちも父親の承認が必要とされます。これは当時、社会的、経済的に弱い立場にある女性に対する、神様の特別なご配慮と受け止めるべきです。神様はその人その人の状況に応じて、守られるべき立場の人を守る社会的な仕組みとして掟を定められた、愛と憐れみに富むお方です。

http://bible.com/81/num.30.3-5.ja1955

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民数記 30:6-8
「またもし夫のある身で、みずから誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようと、軽々しく口で言った場合、 夫がそれを聞き、それを聞いた日に彼女に何も言わないならば、彼女はその誓願を行い、その身に断った物断ちを守らなければならない。 しかし、もし夫がそれを聞いた日に、それを承認しないならば、夫はその女がかけた誓願、またはその身に物断ちをしようと、軽々しく口に言ったことをやめさせることができる。主はその女をゆるされるであろう。」

次いで既婚の女性の立てた誓願に対する掟について記されています。彼女を守るべき立場の者は夫です。ですから夫は、妻の誓約についても責任を負うべき存在とされます。妻は夫が承認した誓願は果たさねばなりません。しかし夫が承認しない誓願は、果たすべき責任を解かれます。

その理由は、女性はそのときの感情やその場の雰囲気に流されやすい面が多々あるからです。それが「軽々しく」という御言葉の表現に表されています。その分、物事を客観的、理性的に考える能力に長けた男性が、女性の弱さを補うべきことが、これらの掟の背景にあります。神様は、その人その人の性別や性格についても配慮されるお方です。

http://bible.com/81/num.30.6-8.ja1955

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民数記 30:13-15
「すべての誓願およびすべてその身を悩ます物断ちの誓約は、夫がそれを守らせることができ、または夫がそれをやめさせることができる。 もし夫が彼女に何も言わずに日を送るならば、彼は妻がした誓願、または物断ちをすべて認めたのである。彼はそれを聞いた日に妻に何も言わなかったのだから、それを認めたのである。 しかし、もし夫がそれを聞き、あとになって、それを認めないならば、彼は妻の罪を負わなければならない」。

妻の誓願は夫の承認が必要とされることが記されていますが、その分、夫に対しては、物事を理性的、客観的に判断すべきことが求められます。しかも、妻から誓約のことを聞いたその日の内に判断しなければ、その罪は夫が負うという厳しい条件が貸せられます。女性に対しては手厚い庇護が、男性に対しては責任と共に、即断・即決・即実行が求められているのです。

男女平等が叫ばれる昨今ですが、平等と公平は、均等や一律とは異なります。神様のなさる公平は、その人その人の性質や性別、置かれた状況や立場など、微に細に至るまで、深い愛と知恵とご配慮をもって定められたものであることを感謝して受け止めたいと思います。

http://bible.com/81/num.30.13-15.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/26

2016-07-26 06:25:57 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 10:13
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」

神様が与える試練は、罪に対する懲らしめとは異なり、私たちを成長させるために課するものですから、決して耐えきれないものではなく、乗り越える道もまた備えられています。信仰と忍耐をもって試練を克服し、神様が与えようとする祝福を自分のものとして手にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/1co.10.13.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/25

2016-07-25 07:37:20 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 29:1-2, 6
「七月には、その月の第一日に聖会を開かなければならない。なんの労役をもしてはならない。これはあなたがたがラッパを吹く日である。 あなたがたは燔祭をささげて、主に香ばしいかおりとしなければならない。すなわち若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の全き小羊七頭をささげなければならない。

これは新月の燔祭とその素祭、常燔祭とその素祭、および灌祭のほかのものであって、これらのものの定めにしたがい、香ばしいかおりとして、主に火祭としなければならない。」

ユダヤ暦の7月はその大半を聖会のために費やす月です。その7月の始めの第1日目に毎月と同様に新月の祭が行われますが、ラッパを吹き鳴らすところが他の月と異なる点です。

ラッパは神様からイスラエル全会衆への召集を意味します。この月を覚えて主を礼拝しなさいと告げ知らす音です。私たちの毎週の礼拝も、何気なく習慣として教会に行くのではなく、神様から礼拝に招かれていることを覚えて、喜びをもって神様の御前に進み出る者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.29.1-2,6.ja1955

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民数記 29:7-8, 11
「またその七月の十日に聖会を開き、かつあなたがたの身を悩まさなければならない。なんの仕事もしてはならない。 あなたがたは主に燔祭をささげて、香ばしいかおりとしなければならない。すなわち若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の小羊七頭をささげなければならない。これらはみな全きものでなければならない。

また雄やぎ一頭を罪祭としてささげなければならない。これらは贖罪の罪祭と常燔祭とその素祭、および灌祭のほかのものである。」

ユダヤ暦の7月10日は大贖罪日と呼ばれます。この日、大祭司が年に一度だけ幕屋の一番奥にある至聖所に入り、イスラエル全会衆の罪を購うための贖罪の儀式を執り行います。その間イスラエルの人々は、身を悩ます、すなわち罪を悔い改め、神様に罪の赦しを乞い願います。新約の時代に生きる私たちもまた、定期的に罪を悔い改める機会を設けることが大切です。

http://bible.com/81/num.29.7-8,11.ja1955

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民数記 29:12-13, 17, 20, 23, 26, 29, 32-34
「七月の十五日に聖会を開かなければならない。なんの労役もしてはならない。七日のあいだ主のために祭をしなければならない。 あなたがたは燔祭をささげて、主に香ばしいかおりの火祭としなければならない。すなわち若い雄牛十三頭、雄羊二頭、一歳の雄の小羊十四頭をささげなければならない。これらはみな全きものでなければならない。

第二日には若い雄牛十二頭、雄羊二頭、一歳の雄の全き小羊十四頭をささげなければならない。

第三日には雄牛十一頭、雄羊二頭、一歳の雄の全き小羊十四頭をささげなければならない。

第四日には雄牛十頭、雄羊二頭、一歳の雄の全き小羊十四頭をささげなければならない。

第五日には雄牛九頭、雄羊二頭、一歳の雄の全き小羊十四頭をささげなければならない。

第六日には雄牛八頭、雄羊二頭、一歳の雄の全き小羊十四頭をささげなければならない。

第七日には雄牛七頭、雄羊二頭、一歳の雄の全き小羊十四頭をささげなければならない。 その雄牛と雄羊と小羊とのための素祭と灌祭とは、その数にしたがって定めのようにささげなければならない。 また雄やぎ一頭を罪祭としてささげなければならない。これらは常燔祭とその素祭および灌祭のほかのものである。」

長い箇所ですが、ユダヤ暦の7月15日から7日間は、仮庵の祭と呼ばれます。これはイスラエル人がエジプトから脱出して荒野を旅したことを記念する一週間です。その間、イスラエル人は今でも家の庭に仮の住まいを造り、その中で生活して、荒野を放浪した歴史を偲びます。

イスラエルの人々は荒野の旅を通して、神様だけを頼り、神様の御言葉の通りに生きることを徹底して学びました。その信仰の基本を世代を越えて思い起こさせるために、仮庵の祭が定められました。私たちもまた、過去の歴史から賢く学ぶことが大切です。

http://bible.com/81/num.29.12-13,17,20,23,26,29,32-34.ja1955

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民数記 29:35-38
「第八日にはまた集会を開かなければならない。なんの労役をもしてはならない。 あなたがたは燔祭をささげて主に香ばしいかおりの火祭としなければならない。すなわち雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の全き小羊七頭をささげなければならない。 その雄牛と雄羊と小羊とのための素祭と灌祭とは、その数にしたがって定めのようにささげなければならない。 また雄やぎ一頭を罪祭としてささげなければならない。これらは常燔祭とその素祭および灌祭のほかのものである。」

イスラエルの人々は、仮庵の祭が終わった後の第8日目にもまた、聖会を開いて神様を礼拝します。今日ではこの日は律法が与えられた記念日とされています。荒野の旅を通して神様に全く従うことを体験して学び、律法すなわち神様の御言葉を通して理性的に神様の愛と憐れみを学びます。神様を畏れ敬い、御言葉に従うべきことを、体験と学習により信仰の両輪として身に付ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.29.35-38.ja1955

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民数記 29:39-40
『あなたがたは定めの祭の時に、これらのものを主にささげなければならない。これらはあなたがたの誓願、または自発の供え物としてささげる燔祭、素祭、灌祭および酬恩祭のほかのものである』」。 モーセは主が命じられた事をことごとくイスラエルの人々に告げた。』

荒野の旅を終えて約束の地に入植するにあたり、神様は今一度モーセを通して、神様を礼拝すべき日とその手順をイスラエルの人々に告げ知らされました。

私たちの祝福の生活の基本は、まず神様を礼拝することです。約束の地を何一つ手にしていなくても、まず神様を礼拝すべきことを徹底して学んだイスラエルのように、神様を礼拝することを何よりも大切にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.29.39-40.ja1955
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【今日の聖句】 2016/07/25

2016-07-25 06:40:16 | 今日の聖句
詩篇 139:23-24
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」

神を愛し、罪を憎んで義を行う者は、この祈りのように大胆に永遠のいのちを求めることができます。言動と心に裏表のない、きよく潔い信仰をもって、神様の御前に大胆に近付くことのできる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/psa.139.23-24.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/07/24

2016-07-24 07:14:08 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 28:1-2
『主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々に命じて言いなさい、『あなたがたは香ばしいかおりとしてわたしにささげる火祭、すなわち、わたしの供え物、わたしの食物を定めの時にわたしにささげることを怠ってはならない』。

いよいよ約束の地に入る直前に、神様はモーセを通して、定められたときに神様に捧げものを備えることを怠ってはならないと、イスラエルの民に命じられました。それはイスラエルが神の民であることの証、神様を中心とした生活が祝福の基であることを認識するためでした。

今の私たちに当てはめると、日々祈りを捧げ、毎週礼拝を守ることが信仰生活の基本となります。それらを単なる義務として捉えるのではなく、私たちが神の民であることを常に認識し、祝福を受けるために必要なことと受け止めて、喜びをもって感謝の祈りと礼拝を捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.28.1-2.ja1955

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民数記 28:3-6
『また彼らに言いなさい、『あなたがたが主にささぐべき火祭はこれである。すなわち一歳の雄の全き小羊二頭を毎日ささげて常燔祭としなければならない。 すなわち一頭の小羊を朝にささげ、一頭の小羊を夕にささげなければならない。 また麦粉一エパの十分の一に、砕いて取った油一ヒンの四分の一を混ぜて素祭としなければならない。 これはシナイ山で定められた常燔祭であって、主に香ばしいかおりとしてささげる火祭である。」』

イスラエルの民は毎日、全き子羊を朝と夕に燔祭として、麦粉と油混ぜた素祭と共に主の御前に香ばしい香りとして捧げることを常としました。これらは今の私たちにとって感謝と祈りに相当します。日々祈りを捧げることを常とし、神様に感謝する機会を設けることは、私たちの祝福の源泉となります。

http://bible.com/81/num.28.3-6.ja1955

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民数記 28:9-10
「また安息日には一歳の雄の全き小羊二頭と、麦粉一エパの十分の二に油を混ぜた素祭と、その灌祭とをささげなければならない。 これは安息日ごとの燔祭であって、常燔祭とその灌祭とに加えらるべきものである。」

安息日には、日々の常燔祭に加えて、燔祭と素祭と灌祭を捧げるように命じられました。これは安息日は特別な日であるだけでなく、日々なすべきことは怠ってはならないことを意味します。日曜日に礼拝を捧げたらその日は祈らなくても良いと思うのではなく、日々の祈りと感謝に加えて聖日礼拝を守ることが私たちに必要なことを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/num.28.9-10.ja1955

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民数記 28:15-18
「また常燔祭とその灌祭とのほかに、雄やぎ一頭を罪祭として主にささげなければならない。 正月の十四日は主の過越の祭である。 またその月の十五日は祭日としなければならない。七日のあいだ種入れぬパンを食べなければならない。 その初めの日には聖会を開かなければならない。なんの労役をもしてはならない。」

日々の常燔祭、安息日の捧げもののみならず、神様は年に一度、罪の購いとして過越の祭と新年の聖会を守ることを命じられました。これは私たちが罪から救い出されたことを決して忘れないように記念するために必要なことです。なぜなら私たち人間は忘れやすい存在だからです。

年に一度でも救われた経験を思い起こして信仰を新たにすることが、神様への感謝を色褪せさせないために必要なことです。日々の祈りと毎週の礼拝だけで満足することなく、新年聖会など機会を見つけて聖会に行き、信仰をリフレッシュして新鮮に保つ努力を怠らない者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.28.15-18.ja1955

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民数記 28:26-31
「あなたがたは七週の祭、すなわち新しい素祭を主にささげる初穂の日にも聖会を開かなければならない。なんの労役をもしてはならない。

あなたがたは常燔祭とその素祭とその灌祭とのほかに、これらをささげなければならない。これらはみな、全きものでなければならない。」

神様は過越の祭と新年の聖会のほかに、初穂の聖会も定められました。これは過越の祭から7週目の週の始めの日であり、今の教会暦では聖霊降臨節、すなわちペンテコステに当たります。

日本では、ペンテコステはクリスマスやイースターほど広く認識されていませんが、クリスチャンにとっては最も大切な記念日です。なぜなら天に帰られたイエス様に代わり、私たちの心の中に聖霊様が住んでくださるようになった記念日だからです。

神の民であるイスラエル人が神様の定められたときを大切に守っているように、私たちもまた教会暦の記念日を大切に守る者でありたいと願います。

http://bible.com/81/num.28.26,31.ja1955
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