伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2020/01/31

2020-01-31 07:50:41 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 21:1-3

かつてイスラエルの人々はミヅパで、「われわれのうちひとりもその娘をベニヤミンびとの妻として与える者があってはならない」と言って誓ったので、 民はベテルに行って、そこで夕暮まで神の前に座し、声をあげて激しく泣いて、 言った、「イスラエルの神、主よ、どうしてイスラエルにこのような事が起って、今日イスラエルに一つの部族が欠けるようになったのですか」。

罪を犯し、罪を認めなかったベニヤミンとの戦いに勝利したイスラエルでしたが、そこには喜びはなく、悲しみだけが残りました。なぜなら昨日の通読箇所の最後に、ベニヤミン軍を壊滅状態にしたイスラエル軍は、こともあろうに、刃向かった軍人だけでなく、何の罪もない女性や子どもたちまで皆殺しにしてしまった結果、ベニヤミン族は落ち延びた戦士600人だけになってしまったからです。彼らは義憤を通り越して、感情的な憤りのあまり、行き過ぎた制裁、意味のない殺戮行為に及んでしまったのです。これは神の御心ではなく、人間的な感情に支配された罪の故に起きた悲しい結末でした。たとい義のために憤慨しても、決して怒りに支配されてはなりません。愛は罪を覆うという御言葉を覚え、常に神の御心を問い、冷静な判断と行動を保つ必要があります。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.21.1-3.ja1955

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士師記 21:4-12

翌日、民は早く起きて、そこに祭壇を築き、燔祭と酬恩祭をささげた。 そしてイスラエルの人々は言った、「イスラエルのすべての部族のうちで集会に上って、主のもとに行かなかった者はだれか」。これは彼らがミヅパにのぼって、主のもとに行かない者のことについて大いなる誓いを立てて、「その人は必ず殺されなければならない」と言ったからである。 しかしイスラエルの人々は兄弟ベニヤミンをあわれんで言った、「今日イスラエルに一つの部族が絶えた。 われわれは主をさして、われわれの娘を彼らに妻として与えないと誓ったので、かの残った者どもに妻をめとらせるにはどうしたらよいであろうか」。 彼らはまた言った、「イスラエルの部族のうちで、ミヅパにのぼって主のもとに行かなかったのはどの部族か」。ところがヤベシ・ギレアデからはひとりも陣営にきて集会に臨んだ者がなかった。 すなわち民を集めて見ると、ヤベシ・ギレアデの住民はひとりもそこにいなかった。 そこで会衆は勇士一万二千人をかしこにつかわし、これに命じて言った、「ヤベシ・ギレアデに行って、その住民を、女、子供もろともつるぎをもって撃て。 そしてこのようにしなければならない。すなわち男および男と寝た女はことごとく滅ぼさなければならない」。 こうして彼らはヤベシ・ギレアデの住民のうちで四百人の若い処女を獲た。これはまだ男と寝たことがなく、男を知らない者である。彼らはこれをカナンの地にあるシロの陣営に連れてきた。

自分たちの行き過ぎた制裁と、必要のない誓いのために、ベニヤミン族を断絶の危機に追い込んでしまったイスラエルは、神に御心を問うことなく、自分たちの判断で、更に罪を重ねます。事の発端は、かつてミヅパに集まったときに立てた2つの愚かな誓い、1つは自分たちの中から娘をベニヤミン族に嫁がせてはならないという誓い、もう1つはベニヤミンとの戦いに出なかった者は殺されるという誓いでした。この2つの誓いに反することなく、ベニヤミン族を絶やさないために落ち延びた軍人に嫁がせる娘をどこから連れてくるか、その結果導き出された答えは、この戦いに出なかった部族を殺害し、未婚の娘たちだけを生かしてベニヤミン族に嫁がせればよいという、実に浅薄で愚かな結論でした。こうして戦いに集まらなかったヤベシ・ギレアデに軍を遣わして皆殺しにし、未婚の娘たち400人を強制連行するという、罪に罪を上塗りする残虐な行為に走ったのです。人間的な考えとは如何に愚かで、悲しい結末しか残らないことでしょうか。このようなことにならないためにも、私たちは何事も神の御心を求め、すべてをよきに変えてくださる主に委ねることを実践しなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.21.4-12.ja1955

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士師記 21:13-23

そこで全会衆は人をつかわして、リンモンの岩におるベニヤミンの人々に平和を告げた。 ベニヤミンの人々がその時、帰ってきたので、彼らはヤベシ・ギレアデの女のうちから生かしておいた女をこれに与えたが、なお足りなかった。 こうして民は、主がイスラエルの部族のうちに欠陥をつくられたことのために、ベニヤミンをあわれんだ。 会衆の長老たちは言った、「ベニヤミンの女が絶えたので、かの残りの者どもに妻をめとらせるにはどうしたらよいでしょうか」。 彼らはまた言った、「イスラエルから一つの部族が消えうせないためにベニヤミンのうちの残りの者どもに、あとつぎがなければならない。 しかし、われわれの娘を彼らの妻に与えることはできない。イスラエルの人々が『ベニヤミンに妻を与える者はのろわれる』と言って誓ったからである」。 それで彼らは言った、「年々シロに主の祭がある」。シロはベテルの北にあって、ベテルからシケムにのぼる大路の東、レバナの南にある。 そして彼らはベニヤミンの人々に命じて言った、「あなたがたは行って、ぶどう畑に待ち伏せして、 うかがいなさい。もしシロの娘たちが踊りを踊りに出てきたならば、ぶどう畑から出て、シロの娘たちのうちから、めいめい自分の妻をとって、ベニヤミンの地に連れて行きなさい。 もしその父あるいは兄弟がきて、われわれに訴えるならば、われわれは彼らに、『われわれのために彼らをゆるしてください。戦争のときにわれわれは、彼らおのおのに妻をとってやらなかったし、またあなたがたも彼らに与えなかったからです。もし与えたならば、あなたがたは罪を犯したことになるからでした』と言いましょう」。 ベニヤミンの人々はそのように行い、踊っている者どものうちから自分たちの数にしたがって妻を取り、それを連れて領地に帰り、町々を建てなおして、そこに住んだ。

ヤベシ・ギレアデから400人の未婚の娘たちを獲たイスラエルの人々は、先の戦いに敗れ落ち延びたベニヤミン族に和解の手を差し伸べ、娘たちを嫁がせて民族を再建させようとしましたが、すべてのベニヤミン族の男たちが配偶者を得るためには、それでもなお200人が足りませんでした。そこで彼らは何を考えたのか。事もあろうに、主の会見の幕屋があるシロの町で毎年行われる祭の際に、踊りに出てくる娘たちを誘拐してベニヤミン族に嫁がせるという、更に罪に罪を重ねる、実に愚かな、神をも畏れぬ行為に走ったのです。イスラエル人の提案を受けて、ベニヤミン族の残党はシロから娘を略奪し、各々領地に帰って町を建て直し、民族再建を図りました。神の御心を求めず、自分たちの考えを自己正当化して、身勝手な理屈を振りかざす者は、このような誰の目にも愚かなことさえ平気で行ってしまうものです。常に神の御心を尋ね求め、主の御言葉に聞き従い、その御教えを守り行うことの大切さを、私たちはイスラエルの歴史を反面教師として学び取らなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.21.13-23.ja1955

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士師記 21:24-25

こうしてイスラエルの人々は、その時そこを去って、おのおのその部族および氏族に帰った。すなわちそこを立って、おのおのその嗣業の地に帰った。 そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。

こうしてベニヤミン族断絶の危機を脱したイスラエルの各部族は、それぞれの嗣業の地に帰って行きました。しかしそれは士師の時代を象徴する、神を離れた生活の愚かさを如実に示す、歴史的な汚点として残りました。士師記最後の御言葉である「そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。」という一文が、すべてを物語っています。私たちには王がいます。それは天地万物を造り、この地上を豊かな恵みで満たし、私たちに命を賜ったまことの神、主です。目には見えなくても、私たちには常に王がいるのです。その事実に気が付くことこそがまことの知恵のはじめ、祝福に満ちた豊かな人生を送るための最大の秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.21.24-25.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/31

2020-01-31 05:45:19 | 今日の聖句
テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18 新共同訳‬‬

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

喜び、祈り、感謝の3点セットをいつも身に付けることを、神は私たちに望んでおられます。常日頃から喜び、主イエスの御名によって祈り、何事にも感謝することを通して、神の豊かな恵みに満ちあふれた生涯を送る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1th.5.16-18.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/30

2020-01-30 08:00:40 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 20:1-11

そこでイスラエルの人々は、ダンからベエルシバまで、またギレアデの地からもみな出てきて、その会衆はひとりのようにミヅパで主のもとに集まった。 民の首領たち、すなわちイスラエルのすべての部族の首領たちは、みずから神の民の集合に出た。つるぎを帯びている歩兵が四十万人あった。 ベニヤミンの人々は、イスラエルの人々がミヅパに上ったことを聞いた。イスラエルの人々は言った、「どうして、この悪事が起ったのか、われわれに話してください」。 殺された女の夫であるレビびとは答えて言った、「わたしは、めかけと一緒にベニヤミンに属するギベアへ行って宿りましたが、 ギベアの人々は立ってわたしを攻め、夜の間に、わたしのおる家を取り囲んで、わたしを殺そうと企て、ついにわたしのめかけをはずかしめて、死なせました。 それでわたしはめかけを捕えて断ち切り、それをイスラエルの嗣業のすべての地方にあまねく送りました。彼らがイスラエルにおいて憎むべきみだらなことを行ったからです。 イスラエルの人々よ、あなたがたは皆自分の意見と考えをここに述べてください」。 民は皆ひとりのように立って言った、「われわれはだれも自分の天幕に行きません。まただれも自分の家に帰りません。 われわれが今ギベアに対してしようとする事はこれです。われわれはくじを引いて、ギベアに攻めのぼりましょう。 すなわちイスラエルのすべての部族から百人について十人、千人について百人、万人について千人を選んで、民の糧食をとらせ、民はベニヤミンのギベアに行って、ベニヤミンびとがイスラエルにおいておこなったすべてのみだらな事に対して、報復しましょう」。 こうしてイスラエルの人々は皆集まり、一致結束して町を攻めようとした。

ベニヤミンの地ギベアで起きた不祥事の知らせを受けたベニヤミン族を除くイスラエルの人々は、北はダンから南はベエルシバまで、またヨルダン川東岸のギレアデの地からも皆、ミヅパに集まり、かつて約束の地を取るために入植した日のように、一つの民となって心を合わせました。そしてかのレビ人から事の子細を聞いた人々は、その人数の1/10を戦争に出る要員として出し、ベニヤミンの悪事に報復することを誓いました。神は私たち一人一人の個性を認めつつ、主の御名の下に一致団結することを望んでおられます。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.20.1-11.ja1955

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士師記 20:12-17

イスラエルのもろもろの部族は人々をあまねくベニヤミンの部族のうちにつかわして言わせた、「あなたがたのうちに起ったこの事は、なんたる悪事でしょうか。 それで今ギベアにいるあの悪い人々をわたしなさい。われわれは彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去りましょう」。しかしベニヤミンの人々はその兄弟であるイスラエルの人々の言葉を聞きいれなかった。 かえってベニヤミンの人々は町々からギベアに集まり、出てイスラエルの人々と戦おうとした。 その日、町々から集まったベニヤミンの人々はつるぎを帯びている者二万六千人あり、ほかにギベアの住民で集まった精兵が七百人あった。 このすべての民のうちに左ききの精兵が七百人あって、いずれも一本の毛すじをねらって石を投げても、はずれることがなかった。 イスラエルの人々の集まった者はベニヤミンを除いて、つるぎを帯びている者四十万人あり、いずれも軍人であった。

ベニヤミン族を除くイスラエル11部族の人々は、無用な戦いを避けるために、まずは特使を派遣して、悪事を働いたならず者たちを出すようにと勧めました。しかしベニヤミンの人々はイスラエル11部族の差し伸べた手を断り、かえってギベアに集結して、他のイスラエル11部族と徹底抗戦する構えを見せました。罪を指摘されても悔い改めることなく、むしろ神に逆らう姿勢を見せたベニヤミンの人々は、2万6千人の兵を集めて挙兵し、更に左利きの700人の精兵を集めました。ベニヤミン出身の左利きというと、士師の時代の初期にイスラエルをさばいたさばきづかさ、左利きのエフーを思い浮かべるかもしれません。一方、ベニヤミンを懲らしめるために集まったイスラエルの軍勢は40万人と、圧倒的な数を誇りました。しかし神は民の人数で事の善し悪しも、雌雄を決することもなさらないお方です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.20.12-17.ja1955

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士師記 20:18-25

イスラエルの人々は立ちあがってベテルにのぼり、神に尋ねた、「われわれのうち、いずれがさきにのぼって、ベニヤミンの人々と戦いましょうか」。主は言われた、「ユダがさきに」。 そこでイスラエルの人々は、朝起きて、ギベアに対し陣を取った。 すなわちイスラエルの人々はベニヤミンと戦うために出て行って、ギベアで彼らに対して戦いの備えをしたが、 ベニヤミンの人々はギベアから出てきて、その日イスラエルの人々のうち二万二千人を地に撃ち倒した。 しかしイスラエルの民の人々は奮いたって初めの日に備えをした所にふたたび戦いの備えをした。 そしてイスラエルの人々は上って行って主の前に夕暮まで泣き、主に尋ねた、「われわれは再びわれわれの兄弟であるベニヤミンの人々と戦いを交えるべきでしょうか」。主は言われた、「攻めのぼれ」。 そこでイスラエルの人々は、次の日またベニヤミンの人々の所に攻めよせたが、 ベニヤミンは次の日またギベアから出て、これを迎え、ふたたびイスラエルの人々のうち一万八千人を地に撃ち倒した。これらは皆つるぎを帯びている者であった。

40万の軍勢となったイスラエルの人々はベテルに上り、誰が率先してこの戦いに臨むのかを主に尋ねました。すると主の答えはユダ族でした。しかし2万6千人のベニヤミン族の軍の前に敗れ、2万2千人が戦死しました。翌日、再びベニヤミン族と戦うべきかを主に尋ねると、主は攻め上れと仰せられたので出撃しましたが、更に1万8千人の戦死者を出してしまいました。彼らはなぜベニヤミン族の兵の前に敗れたのか、それはこの戦いが人の考えによって始まったものだったからです。ベニヤミンと戦うべきだと決めて兵を集める前に、まず神に問うべきでした。先に自分たちの取るべき行動を決めておいて、後付けで神に尋ね求めても、神は私たちに勝利を得させてはくれません。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.20.18-25.ja1955

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士師記 20:26-28

これがためにイスラエルのすべての人々すなわち全軍はベテルに上って行って泣き、その所で主の前に座して、その日夕暮まで断食し、燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。 そしてイスラエルの人々は主に尋ね、-そのころ神の契約の箱はそこにあって、 アロンの子エレアザルの子であるピネハスが、それに仕えていた-そして言った、「われわれはなおふたたび出て、われわれの兄弟であるベニヤミンの人々と戦うべきでしょうか。あるいはやめるべきでしょうか」。主は言われた、「のぼれ。わたしはあす彼らをあなたがたの手にわたすであろう」。

圧倒的な人数を誇りながら、少数のベニヤミン族の前に2度も敗北を喫したイスラエル11部族の人々は、ベテルにある神の契約の箱の前に集まり、燔祭と酬恩祭を捧げて、神の祭司であるアロンの子エレアザルの子ピネハスを通して、主の御心を問いました。ヨシュアと同時期に活躍したピネハスがまだ存命中だったということは、この事件は士師の時代の初期に起こったことがわかります。そんな短い期間中に、すでにイスラエルの心は神から遠く離れ、礼拝をなおざりにしていたこともわかります。神に御心を問うとき、私たちがまずしなければならないことは、人の知恵に頼って準備することではなく、まず神に礼拝を捧げ、正しいルートで主に問うことです。そのとき主は私たちの求めに答え、明日あなたがたの手に渡すと、勝利を約束してくださいます。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.20.26-28.ja1955

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士師記 20:29-35

そこでイスラエルはギベアの周囲に伏兵を置き、 そしてイスラエルの人々は三日目にまたベニヤミンの人々のところに攻めのぼり、前のようにギベアに対して備えをした。 ベニヤミンの人々は出て、民を迎えたが、ついに町からおびき出されたので、彼らは前のように大路で民を撃ちはじめ、また野でイスラエルの人を三十人ばかり殺した。その大路は、一つはベテルに至り、一つはギベアに至るものであった。 ベニヤミンの人々は言った、「彼らは初めのように、われわれの前に撃ち破られる」。しかしイスラエルの人々は言った、「われわれは逃げて、彼らを町から大路におびき出そう」。 そしてイスラエルの人々は皆その所から立ってバアル・タマルに備えをした。その間に待ち伏せていたイスラエルの人々がその所から、すなわちゲバの西から現れ出た。 すなわちイスラエルの全軍のうちから精兵一万人がきて、ギベアを襲い、その戦いは激しかった。しかしベニヤミンの人々は災の自分たちに迫っているのを知らなかった。 主がイスラエルの前にベニヤミンを撃ち敗られたので、イスラエルの人々は、その日ベニヤミンびと二万五千一百人を殺した。これらは皆つるぎを帯びている者であった。

神とイスラエルの同族に逆らったベニヤミンの逆賊を明日渡すと神から御告げを受けて、イスラエル11部族の軍勢は再びギベアに対抗して陣を布きました。このとき彼らの採った作戦は、エリコを陥落させた直後、罪の故に大敗北を喫したアイの町との戦いと同じ、伏兵を置いて敵に負けたふりをしておびき寄せ、挟み撃ちにする作戦でした。そして主がベニヤミンを撃ち破られたので、25,100人の兵が倒れました。ここでイスラエルはかつての戦い方、自分たちの力で戦うのではなく、主が戦われる戦い方を取り戻したのです。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.20.29-35.ja1955

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士師記 20:36-48

こうしてベニヤミンの人々は自分たちの撃ち敗られたのを見た。そこでイスラエルの人々はギベアに対して設けた伏兵をたのんで、ベニヤミンびとを避けて退いた。 伏兵は急いでギベアに突き入り、進んでつるぎをもって町をことごとく撃った。 イスラエルの人々と伏兵の間に定めた合図は、町から大いなるのろしがあがるとき、 イスラエルの人々が戦いに転じることであった。さてベニヤミンは初めイスラエルの人々を撃って三十人ばかりを殺したので言った、「まことに彼らは最初の戦いのようにわれわれの前に撃ち敗られる」。 しかし、のろしが煙の柱となって町からのぼりはじめたので、ベニヤミンの人々がうしろを見ると、町はみな煙となって天にのぼっていた。 その時イスラエルの人々が向きを変えたので、ベニヤミンの人々は災が自分たちに迫ったのを見て、うろたえ、 イスラエルの人々の前から身をめぐらして荒野の方に向かったが、戦いが彼らに追い迫り、町から出てきた者どもは、彼らを中にはさんで殺した。 すなわちイスラエルの人々はベニヤミンの人々を切り倒し、追い撃ち、踏みにじって、ノハから東の方ギベアの向かいにまで及んだ。 ベニヤミンの倒れた者は一万八千人で、みな勇士であった。 彼らは身をめぐらして荒野の方、リンモンの岩まで逃げたが、イスラエルの人々は大路でそのうち五千人を切り倒し、なおも追撃してギドムに至り、そのうちの二千人を殺した。 こうしてその日ベニヤミンの倒れた者はつるぎを帯びている者合わせて二万五千人で、みな勇士であった。 しかし六百人の者は身をめぐらして荒野の方、リンモンの岩まで逃げて、四か月の間リンモンの岩に住んだ。 そこでイスラエルの人々はまた身をかえしてベニヤミンの人々を攻め、つるぎをもって人も獣もすべて見つけたものを撃ち殺し、また見つけたすべての町に火をかけた。

ベニヤミンの人々は、圧倒的な人数のイスラエル全軍に2度も勝利したことで、心が高ぶっていたのでしょう。2度あることは3度あるとばかりに、全軍を挙げてイスラエルの主力部隊を追撃した彼らは、伏兵の前に打ち破れ、町は火を放たれて退路を断たれ、一日にして2万6千人の兵のうち2万5千人が倒されるという、壊滅的な代敗北を喫しました。大勝利を手にしたイスラエル11部族の人々は、ここで大きな過ちを犯してしまいます。戦うべき相手は神に反逆して立ち向かった軍人だけでよかったのに、何の罪もない町の人々、女性や子どもたちまで滅ぼしてしまったのです。このようにしてイスラエルの歴史の汚点とさえ呼べるギベアの日は幕を閉じたのでした。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.20.36-48.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/30

2020-01-30 05:40:12 | 今日の聖句
ヤコブの手紙 4:7 新共同訳

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

私たちを罪に陥れるサタンに真正面から立ち向かおうとしても、とても歯が立つ相手ではありません。全知全能なる神の威を借りて、サタンの方から逃げて行くように仕向けることが、サタンに立ち向かう効果的な秘訣です。この世のすべての上に立たれる神に聞き従い、罪とサタンに勝利する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jas.4.7.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/29

2020-01-29 07:55:05 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 19:1-10

そのころ、イスラエルに王がなかった時、エフライムの山地の奥にひとりのレビびとが寄留していた。彼はユダのベツレヘムからひとりの女を迎えて、めかけとしていたが、 そのめかけは怒って、彼のところを去り、ユダのベツレヘムの父の家に帰って、そこに四か月ばかり過ごした。 そこで夫は彼女をなだめて連れ帰ろうと、しもべと二頭のろばを従え、立って彼女のあとを追って行った。彼が女の父の家に着いた時、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。 娘の父であるしゅうとが引き留めたので、彼は三日共におり、みな飲み食いしてそこに宿った。 四日目に彼らは朝はやく起き、彼が立ち去ろうとしたので、娘の父は婿に言った、「少し食事をして元気をつけ、それから出かけなさい」。 そこでふたりは座して共に飲み食いしたが、娘の父はその人に言った、「どうぞもう一晩泊まって楽しく過ごしなさい」。 その人は立って去ろうとしたが、しゅうとがしいたので、ついにまたそこに宿った。 五日目になって、朝はやく起きて去ろうとしたが、娘の父は言った、「どうぞ、元気をつけて、日が傾くまでとどまりなさい」。そこで彼らふたりは食事をした。 その人がついにめかけおよびしもべと共に去ろうとして立ちあがったとき、娘の父であるしゅうとは彼に言った、「日も暮れようとしている。どうぞもう一晩泊まりなさい。日は傾いた。ここに宿って楽しく過ごしなさい。そしてあしたの朝はやく起きて出立し、家に帰りなさい」。 しかし、その人は泊まることを好まないので、立って去り、エブスすなわちエルサレムの向かいに着いた。くらをおいた二頭のろばと彼のめかけも一緒であった。

再び士師の時代にイスラエルに起きたエピソードが綴られています。エフライムの地に寄留していた一人のレビ人が、ユダの地ベツレヘムから側妻として迎えた女性が、怒って実家に帰ってしまったため、彼女をなだめようと迎えに行く場面です。ヘブル語の原文では、彼女は姦淫の罪を犯したという言葉が用いられているようです。そんな彼女をなだめてよりを戻そうとした姿は、深い愛情の現れです。彼女の父が、迎えに来たレビ人を手厚くもてなしたのも理解ができます。最初のうちは勧められるがままに滞在しましたが、5日も経ってしまい、レビ人は帰らなければならないと決意しました。現在のように交通網が整備されておらず、治安も守られていない当時、日が傾き始めてから旅をすることは危険なことでしたが、レビ人はあえて出立し、エルサレムの近くまでやって来ましたが、ここで日は沈んでしまいます。夜の罪の闇が支配する時間帯です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.19.1-10.ja1955

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士師記 19:11-21

彼らがエブスに近づいたとき、日はすでに没したので、しもべは主人に言った、「さあ、われわれは道を転じてエブスびとのこの町にはいって、そこに宿りましょう」。 主人は彼に言った、「われわれは道を転じて、イスラエルの人々の町でない外国人の町に、はいってはならない。ギベアまで行こう」。 彼はまたしもべに言った、「さあ、われわれはギベアかラマか、そのうちの一つに着いてそこに宿ろう」。 彼らは進んで行ったが、ベニヤミンに属するギベアの近くで日が暮れたので、 ギベアへ行って宿ろうと、そこに道を転じ、町にはいって、その広場に座した。だれも彼らを家に迎えて泊めてくれる者がなかったからである。 時にひとりの老人が夕暮に畑の仕事から帰ってきた。この人はエフライムの山地の者で、ギベアに寄留していたのである。ただしこの所の人々はベニヤミンびとであった。 彼は目をあげて、町の広場に旅人のおるのを見た。老人は言った、「あなたはどこへ行かれるのですか。どこからおいでになりましたか」。 その人は言った、「われわれはユダのベツレヘムから、エフライムの山地の奥へ行くものです。わたしはあそこの者で、ユダのベツレヘムへ行き、今わたしの家に帰るところですが、だれもわたしを家に泊めてくれる者がありません。 われわれには、ろばのわらも飼葉もあり、またわたしと、はしためと、しもべと共にいる若者との食物も酒もあって、何も欠けているものはありません」。 老人は言った、「安心しなさい。あなたの必要なものはなんでも備えましょう。ただ広場で夜を過ごしてはなりません」。 そして彼を家に連れていって、ろばに飼葉を与えた。彼らは足を洗って飲み食いした。

日が沈んでしまったので、レビ人の僕はエブス人が住むエルサレムに滞在しようと提案しましたが、レビ人は異邦人の住むまたに宿泊してはならないと答え、その先にあるベニヤミンの地ギベアまでたどり着こうとしました。この判断は律法に適ったことです。日もとっぷり暮れてレビ人一行はようやくギベアに到着しましたが、誰も泊めてくれる人がおらず、広場で野宿するしかありませんでした。これは旅人をもてなしなさいという律法に反することで、この時点でいかにギベアの町が罪深かったかがわかります。しかしこのピンチに、一人の人が救いの手を差し伸べます。このレビ人と同じくエフライムからこの町に滞在していた老人が、広場で夜を過ごしてはならないと言って、家に迎えてくれたのです。そして彼らは手厚いもてなしを受けて、楽しい夜を過ごしていました。いかに罪深い町でも、神の御心を行う正しい人がいることは救いです。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.19.11-21.ja1955

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士師記 19:22-30

彼らが楽しく過ごしていた時、町の人々の悪い者どもがその家を取り囲み、戸を打ちたたいて、家のあるじである老人に言った、「あなたの家にきた人を出しなさい。われわれはその者を知るであろう」。 しかし家のあるじは彼らのところに出ていって言った、「いいえ、兄弟たちよ、どうぞ、そんな悪いことをしないでください。この人はすでにわたしの家にはいったのだから、そんなつまらない事をしないでください。 ここに処女であるわたしの娘と、この人のめかけがいます。今それを出しますから、それをはずかしめ、あなたがたの好きなようにしなさい。しかしこの人にはそのようなつまらない事をしないでください」。 しかし人々が聞きいれなかったので、その人は自分のめかけをとって彼らのところに出した。彼らはその女を犯して朝まで終夜はずかしめ、日ののぼるころになって放し帰らせた。 朝になって女は自分の主人を宿してくれた人の家の戸口にきて倒れ伏し、夜のあけるまでに及んだ。 彼女の主人は朝起きて家の戸を開き、出て旅立とうとすると、そのめかけである女が家の戸口に、手を敷居にかけて倒れていた。 彼は女に向かって、「起きよ、行こう」と言ったけれども、なんの答もなかった。そこでその人は女をろばに乗せ、立って自分の家におもむいたが、 その家に着いたとき、刀を執り、めかけを捕えて、そのからだを十二切れに断ち切り、それをイスラエルの全領域にあまねく送った。 それを見たものはみな言った、「イスラエルの人々がエジプトの地から上ってきた日から今日まで、このような事は起ったこともなく、また見たこともない。この事をよく考え、協議して言うことを決めよ」。

そんな楽しいひとときも束の間、場面は急展開を見せます。この町に住むならず者たちが、老人の家に旅人が来たと知って、彼を辱めようとしたのです。老人は彼らの言葉を拒み、自分の娘を代わりに出すとまで言って旅人を守ろうとしました。これは当時の習慣としては当然の応答でした。しかしならず者たちは聞き入れなかったため、旅人は家の主人に迷惑を掛けまいと、側妻の女性を外に出したのです。するとならず者たちは夜通し彼女をいたぶり辱めて、死に至らしめてしまいました。この場面は、創世記でアブラハムの甥ロトが神の使を出迎えたソドムの町と全く同じです。神の民イスラエルの町で、神が滅ぼせと命じたカナンの先住民の罪と全く同じことが行われていたのです。この問題をイスラエル全体に提起するために、レビ人は彼女の遺体を12に切り分けて、イスラエル全部族に送りつけました。イスラエルに全部族をまとめる王がいなかったこの時代、はじめてイスラエルが一つとなって罪の問題に立ち向かったのです。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.19.22-30.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/29

2020-01-29 05:40:55 | 今日の聖句
ルカによる福音書 16:10 新共同訳

ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

真の忠実さとは、身の回りで日常的に起こる些細なことに取り組む姿勢に現れます。口先ばかりでなく、手を抜くことなく、何事にも真摯に、全力で取り組み、神と人とに信頼される忠実な者とならせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/luk.16.10.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/28

2020-01-28 07:45:50 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 18:1-6

そのころイスラエルには王がなかった。そのころダンびとの部族はイスラエルの部族のうちにあって、その日までまだ嗣業の地を得なかったので自分たちの住むべき嗣業の地を求めていた。 それでダンの人々は自分の部族の総勢のうちから、勇者五人をゾラとエシタオルからつかわして土地をうかがい探らせた。すなわち彼らに言った、「行って土地を探ってきなさい」。彼らはエフライムの山地に行き、ミカの家に着いて、そこに宿ろうとした。 彼らがミカの家に近づいたとき、レビびとである若者の声を聞きわけたので、身をめぐらしてそこにはいって彼に言った、「だれがあなたをここに連れてきたのですか。あなたはここで何をしているのですか。ここになんの用があるのですか」。 若者は彼らに言った、「ミカが、かようかようにしてわたしを雇ったので、わたしはその祭司となったのです」。 彼らは言った、「どうぞ、神に伺って、われわれが行く道にしあわせがあるかどうかを知らせてください」。 その祭司は彼らに言った、「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます」。

士師の時代、イスラエルを全体的な観点に立って導く指導者がなく、さばきづかさの働きも部族を中心とした限定的なものでした。神の御心を問う者もなく、それぞれの部族がバラバラに、自己中心的な部分最適を行っていたのです。ここにダン部族が領土を得たいきさつが挿入されています。ダンの嗣業の地はイスラエル南部の山地から地中海に向かう部分でしたが、ペリシテ人をはじめとする先住民たちを追い出すことができず、ユダ族の嗣業の地の山地部分に追いやられていました。そこでダン部族は自分たちの住む土地を得ようと、勇者5人を遣わして最適な地を探りに行かせたのです。その途中、エフライム族の嗣業の地を通過する際にミカの家に宿泊したとき、そこに祭司がいることに気付いて、彼に道中の安全と旅の目的の成否を問いました。ミカの家のお抱え祭司は、神に問うことなく、旅の祝福を約束しました。ここに安易な祝福の恐ろしさがあります。私たちは簡単に神の平安と祝福を求めがちですが、それが本当に神の御心であるのか、聖書の教えに照らして吟味しなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.18.1-6.ja1955

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士師記 18:7-12

そこで五人の者は去ってライシに行き、そこにいる民を見ると、彼らは安らかに住まい、その穏やかで安らかなことシドンびとのようであって、この国には一つとして欠けたものがなく、富を持ち、またシドンびとと遠く離れており、ほかの民と交わることがなかった。 かくて彼らがゾラとエシタオルにおる兄弟たちのもとに帰ってくると、兄弟たちは彼らに言った、「いかがでしたか」。 彼らは言った、「立って彼らのところに攻め上りましょう。われわれはかの地を見たが、非常に豊かです。あなたがたはなぜじっとしているのですか。ためらわずに進んで行って、かの地を取りなさい。 あなたがたが行けば、安らかにおる民の所に行くでしょう。その地は広く、神はそれをあなたがたの手に賜わるのです。そこには地にあるもの一つとして欠けているものはありません」。 そこでダンの氏族のもの六百人が武器を帯びて、ゾラとエシタオルを出発し、 上って行ってユダのキリアテ・ヤリムに陣を張った。このゆえに、その所は今日までマハネダンと呼ばれる。それはキリアテ・ヤリムの西にある。

ダン族の代表として派遣された5人は、旅を続けて、イスラエル12部族の嗣業の地の最北端の更に北、ライシまで到着しました。そこに住む人々は平穏に暮らしており、何の欠けもなく豊かで、また同族の人々と離れて暮らしていました。そこで5人の先見隊はダンの人々の元に帰還し、今すぐ攻め上ってかの地を取りましょうと報告しました。その際にも、ミカの家の雇われ祭司が彼らに語った安易な平安の言葉を根拠に、神がその地を賜ると、神の御心ではなない約束を民に語り聞かせました。私たちは、聖書の御言葉を自分勝手に解釈して引用し、これが神の御心だなどと勝手にすり替えて、自分の願望を実現するために神を利用する過ちを犯してしまいがちです。正しい聖書解釈に基づき、神に聞く姿勢を貫かなければ、私たちはダン族の人々と同様に、とんでもない罪と過ちを犯してしまいますから注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.18.7-12.ja1955

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士師記 18:13-20

彼らはそこからエフライムの山地に進み、ミカの家に着いた。 かのライシの国をうかがいに行った五人の者はその兄弟たちに言った、「あなたがたはこれらの家にエポデとテラピムと刻んだ像と鋳た像のあるのを知っていますか。それであなたがたは今、なすべきことを決めなさい」。 そこで彼らはその方へ身をめぐらして、かのレビびとの若者の家すなわちミカの家に行って、彼に安否を問うた。 しかし武器を帯びた六百人のダンの人々は門の入口に立っていた。 かの土地をうかがいに行った五人の者は上って行って、そこにはいり、刻んだ像とエポデとテラピムと鋳た像とを取ったが、祭司は武器を帯びた六百人の者と共に門の入口に立っていた。 彼らがミカの家にはいって刻んだ像とエポデとテラピムと鋳た像とを取った時、祭司は彼らに言った、「あなたがたは何をなさいますか」。 彼らは言った、「黙りなさい。あなたの手を口にあてて、われわれと一緒にきて、われわれのために父とも祭司ともなりなさい。ひとりの家の祭司であるのと、イスラエルの一部族、一氏族の祭司であるのと、どちらがよいですか」。 祭司は喜んで、エポデとテラピムと刻んだ像とを取り、民のなかに加わった。

ダンの人々が武装してライシに向かう際に、かの5人が宿泊したミカの家に立ち寄り、ここにエポデとテラピムがあると言って戦いの安否を問うばかりか、ミカの家からエポデとテラピムを奪い取りました。更に、何をするのかと咎めた雇われ祭司に向かい、一人の家の祭司と、一つの部族の祭司と、どちらがよいですかと、自分たちの祭司となるようにヘッドハンティングしたのです。すると雇われ祭司は、より条件の良い、名誉のある、ダン族の祭司となることを選び、ミカの家を捨てました。神の御心を問うことなく自分勝手に安易な神の言葉を語る雇われ祭司は、結局のところ、目先の利益や自分の欲望に従って態度をコロコロ変える、表面的な、見せかけの信仰者の代表です。私たちは彼のような偽りの信仰者となってはなりません。

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士師記 18:21-26

かくて彼らは身をめぐらして去り、その子供たちと家畜と貨財をさきにたてて進んだが、 ミカの家をはるかに離れたとき、ミカは家に近い家の人々を集め、ダンの人々に追いつき、 ダンの人々を呼んだので、彼らはふり向いてミカに言った、「あなたがそのように仲間を連れてきたのは、どうしたのですか」。 彼は言った、「あなたがたが、わたしの造った神々および祭司を奪い去ったので、わたしに何が残っていますか。しかるにあなたがたがわたしに向かって『どうしたのですか』と言われるとは何事ですか」。 ダンの人々は彼に言った、「あなたは大きな声を出さないがよい。気の荒い連中があなたに撃ちかかって、あなたは自分の命と家族の命を失うようになるでしょう」。 こうしてダンの人々は去って行ったが、ミカは彼らの強いのを見て、くびすをかえして自分の家に帰った。

ミカの家からエポデとテラピム、そしてお抱え祭司を奪い去ったダンの人々は、ミカの追撃を予測して、妻子や家畜、財産を先行させて、ライシに向かって行軍しました。すると予想通りミカが近所の人々を伴って、奪われた像と祭司を取り返しに来ましたが、ダン族の人々は軍勢を盾に、逆にミカを脅迫して立ち去らせました。多勢に無勢では、到底勝ち目はないと悟ったミカは、すごすご引き返すしかありませんでした。自分勝手に神を信じているつもりの人の信仰は、いざというとき何の役にも立ちません。

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士師記 18:27-31

さて彼らはミカが造った物と、ミカと共にいた祭司とを奪ってライシにおもむき、穏やかで、安らかな民のところへ行って、つるぎをもって彼らを撃ち、火をつけてその町を焼いたが、 シドンを遠く離れており、ほかの民との交わりがなかったので、それを救うものがなかった。その町はベテレホブに属する谷にあった。彼らは町を建てなおしてそこに住み、 イスラエルに生れた先祖ダンの名にしたがって、その町の名をダンと名づけた。その町の名はもとはライシであった。 そしてダンの人々は刻んだ像を自分たちのために安置し、モーセの孫すなわちゲルショムの子ヨナタンとその子孫がダンびとの部族の祭司となって、国が捕囚となる日にまで及んだ。 神の家がシロにあったあいだ、常に彼らはミカが造ったその刻んだ像を飾って置いた。

ライシに到着したダン族の人々は、平穏無事に暮らしていたライシの人々を剣にかけて殺し、町に火を放って自分たちの領地としてしまいました。ライシの町は同族の住む地から離れていたため、援軍もなく、たちまちのうちに滅ぼされ、ダン族に占領されてしまったのです。そしてその町を族長の名にちなんでダンと名付け、自分たちの領地とし、ミカの家か奪った刻んだ像を安置し、雇われ祭司を任命して、偶像礼拝の中心地とました。聖書の中に「ダンからベエルシバまで」という表現が度々出てきますが、これは最北端の町ダンと、最南端の町ベエルシバを指して、全イスラエルという意味に用いられます。日本で言うならば、北は北海道から南は沖縄まで、という表現と同等です。しかし、このようにしてようやく自らの領地を得たダンの人々の行ったことは、神の御心ではなく、単なる虐殺、残虐な殺戮行為でしかありません。ミカの家にいた雇われ祭司の、安易な平安を約束する言葉が、このような悲劇を生みだしてしまったのです。その結果、やがてイスラエルの歴史の中で、ダン族は北から来たアッシリヤにいち早く滅ぼされてしまいます。自らの行為の報いを受ける結末になったのです。神の御心を求めず、自らの願望を自己実現するために神を利用して、安易な平安、安易な祝福を求める者の行く末は、ダン族のようになってしまいます。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.18.27-31.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/28

2020-01-28 05:25:26 | 今日の聖句
箴言 序 13:6 新共同訳

慈善は完全な道を歩む人を守り
神に逆らうことは罪ある者を滅ぼす。

たとい悪事を働く者が栄えても、隆盛は一時的なもので、その結末は永遠の滅びです。神と人とに喜ばれる善い行いに励み、正義を愛される神の御守りの内に、永遠のいのちに到る道を歩ませていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.13.6.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/27

2020-01-27 07:30:34 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 17:1-6

ここにエフライムの山地の人で、名をミカと呼ぶものがあった。 彼は母に言った、「あなたはかつて銀千百枚を取られたので、それをのろい、わたしにも話されましたが、その銀はわたしが持っています。わたしがそれを取ったのです」。母は言った、「どうぞ主がわが子を祝福されますように」。 そして彼が銀千百枚を母に返したので、母は言った、「わたしはわたしの子のために一つの刻んだ像と、一つの鋳た像を造るためにその銀をわたしの手から主に献納します。それで今それをあなたに返しましょう」。 ミカがその銀を母に返したので、母はその銀二百枚をとって、それを銀細工人に与え、一つの刻んだ像と、一つの鋳た像を造らせた。その像はミカの家にあった。 このミカという人は神の宮をもち、エポデとテラピムを造り、その子のひとりを立てて、自分の祭司とした。 そのころイスラエルには王がなかったので、人々はおのおの自分たちの目に正しいと思うことを行った。

士師の時代最後のさばきづかさサムソン亡き後、イスラエルの民はますます神から離れ、偶像を作り、勝手に祭司を任命して、それぞれの造った家の神々を拝むようになりました。士師記17章以降はこれらの時代を象徴するように、「そのころイスラエルには王がなかったので、人々はおのおの自分たちの目に正しいと思うことを行った。」というフレーズが度々出てきます。今日の通読箇所に出てきたエフライム族のミカという人も、かつて母から盗んだ銀1,000枚を返金した際、その内銀200枚で刻んだ偶像と鋳物の偶像を銀細工人に作らせ、更に神の祭司しか着用を許されないエポデとテラピムを作って、自分の家にある神の宮に安置し、自分の子を祭司として任命しました。すべて神の律法に反することを、あたかも神を礼拝しているかのような気分になって行っています。このような単なる自己満足の信仰は、やがて破綻を来します。自分の思い通りになる神を礼拝するのではなく、神の思い通りになる自分になることこそが、まことの礼拝なのです。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.17.1-6.ja1955

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士師記 17:7-13

さてここにユダの氏族のもので、ユダのベツレヘムからきたひとりの若者があった。彼はレビびとであって、そこに寄留していたのである。 この人は自分の住むべきところを尋ねて、ユダのベツレヘムの町を去り、旅してエフライムの山地のミカの家にきた。 ミカは彼に言った、「あなたはどこからおいでになりましたか」。彼は言った、「わたしはユダのベツレヘムのレビびとですが、住むべきところを尋ねて旅をしているのです」。 ミカは言った、「わたしと一緒にいて、わたしのために父とも祭司ともなってください。そうすれば年に銀十枚と衣服ひとそろいと食物とをさしあげましょう」。 レビびとはついにその人と一緒に住むことを承諾した。そしてその若者は彼の子のひとりのようになった。 ミカはレビびとであるこの若者を立てて自分の祭司としたので、彼はミカの家にいた。 それでミカは言った、「今わたしはレビびとを祭司に持つようになったので、主がわたしをお恵みくださることがわかりました」。

ここで一人のレビ人が、自分の住むべき地を求めて、ユダの地ベツレヘムからエフライムの地にやってきました。神の所有とされたレビ人は嗣業の地を持ちませんでしたから、イスラエル12部族の間でレビ人の居留地に行くこと自体は特に問題ありません。しかしここでは、ミカの作った家庭祭壇の祭司となったことが大間違いなのです。主に犠牲を捧げる祭壇は、当時はシロにあった神の幕屋だけで行うべきものです。そして祭司職はレビ人の内、アロンの子孫だけが代々受け継ぐ世襲制でした。このレビ人は18章にゲルショムの氏族に属する者であったとの記述から、祭司となってはならない者が、個人の家にある偶像の祭壇に仕える個人的な雇われ祭司となったのです。自分だけの祭壇、自分だけの祭司を持つようになったミカは、「主が私をお恵みくださることがわかった」と、これまた自分勝手な解釈をして、自らの偶像礼拝を正当化しようとしています。このようや礼拝のすり替えは、私たちも十分に気を付けなければなりません。技術が進歩し、自宅にいながらにしてテレビやインターネットで礼拝を見ることができるようになった現代、病気や特別な事情がないにもかかわらず、自宅で一人で礼拝をし、ネット送金で献金を捧げ、私は毎週神を礼拝していると思っている人もいるようです。私たちが毎週礼拝を捧げるのは自分が祝福されるためですか? 私たちが祈りが聞かれたと喜ぶのは自分の願望を叶えるためですか? 私たちが礼拝を捧げる対象は、立派な礼拝堂や厳かな礼拝の雰囲気、豪華絢爛な調度品、有名な牧師、見事な讃美の音楽、仲良しグループとの交わりですか? もしそれらのような目に見えるものが礼拝の対象となっているならば、それはミカの行った偶像礼拝と何ら変わりません。私たちが礼拝を捧げるべきものは、人の手によって作られたもの、人の思い通りになる理想の姿ではなく、天地万物を創造し、私たちにいのちを与え、この世の歴史を統べ治められる、目には見えないまことの神、ただお一人です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.17.7-13.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/27

2020-01-27 05:30:39 | 今日の聖句
詩編 19:15 新共同訳

どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない
心の思いが御前に置かれますように。
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

私たちの口から出る言葉も、心の底からわき上がる思いも皆、主の御旨に適うものとなるならば、なんとさいわいなことでしょうか。永遠の思いを授けてくださる主に、身も心も捧げて仕える私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.19.15.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/26

2020-01-26 23:45:25 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 16:1-3

サムソンはガザへ行って、そこでひとりの遊女を見、その女のところにはいった。 「サムソンがここにきた」と、ガザの人々に告げるものがあったので、ガザの人々はその所を取り囲み、夜通し町の門で待ち伏せし、「われわれは朝まで待って彼を殺そう」と言って、夜通し静かにしていた。 サムソンは夜中まで寝たが、夜中に起きて、町の門のとびらと二つの門柱に手をかけて、貫の木もろともに引き抜き、肩に載せて、ヘブロンの向かいにある山の頂に運んで行った。

生まれながら神に捧げられたナジル人として養育されたサムソンでしたが、その言動は実に罪に対して無頓着で、自らの欲望に身を任せたふしだらな生涯を送りました。そしてついに敵地のガザに自ら赴き、遊女の家に入るという、神の民イスラエルのさばきづかさに相応しくない行動に出ます。サムソンが遊女の家にいると知ったガザの人々は、その家の周りを取り囲んで捕らえようとしましたが、サムソンは何食わぬ顔で鍵のかかった町の門柱を引き抜き、ヘブロンまで肩に担ぐという怪力ぶりを見せて難を逃れました。徐々に罪の深みにはまってゆくサムソンの姿は、この程度の罪ならば大丈夫だろうと自分に言い訳をして、罪に対して鈍感になることのないように、反面教師として学ばなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.16.1-3.ja1955

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士師記 16:4-14

この後、サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛した。 ペリシテびとの君たちはその女のところにきて言った、「あなたはサムソンを説きすすめて、彼の大力はどこにあるのか、またわれわれはどうすれば彼に勝って、彼を縛り苦しめることができるかを見つけなさい。そうすればわれわれはおのおの銀千百枚ずつをあなたにさしあげましょう」。 そこでデリラはサムソンに言った、「あなたの大力はどこにあるのか、またどうすればあなたを縛って苦しめることができるか、どうぞわたしに聞かせてください」。 サムソンは女に言った、「人々がもし、かわいたことのない七本の新しい弓弦をもってわたしを縛るなら、わたしは弱くなってほかの人のようになるでしょう」。 そこでペリシテびとの君たちが、かわいたことのない七本の新しい弓弦を女に持ってきたので、女はそれをもってサムソンを縛った。 女はかねて奥のへやに人を忍ばせておいて、サムソンに言った、「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」。しかしサムソンはその弓弦を、あたかも亜麻糸が火にあって断たれるように断ち切った。こうして彼の力の秘密は知れなかった。 デリラはサムソンに言った、「あなたはわたしを欺いて、うそを言いました。どうしたらあなたを縛ることができるか、どうぞ今わたしに聞かせてください」。 サムソンは女に言った、「もし人々がまだ用いたことのない新しい綱をもって、わたしを縛るなら、弱くなってほかの人のようになるでしょう」。 そこでデリラは新しい綱をとり、それをもって彼を縛り、そして彼に言った、「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」。時に人々は奥のへやに忍んでいたが、サムソンはその綱を糸のように腕から断ち落した。 そこでデリラはサムソンに言った、「あなたは今まで、わたしを欺いて、うそを言いましたが、どうしたらあなたを縛ることができるか、わたしに聞かせてください」。彼は女に言った、「あなたがもし、わたしの髪の毛七ふさを機の縦糸と一緒に織って、くぎでそれを留めておくならば、わたしは弱くなってほかの人のようになるでしょう」。そこで彼が眠ったとき、デリラはサムソンの髪の毛、七ふさをとって、それを機の縦糸に織り込み、 くぎでそれを留めておいて、彼に言った、「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」。しかしサムソンは目をさまして、くぎと機と縦糸とを引き抜いた。

遊女の家からも難を逃れたサムソンの欲望に身を任せたふしだらな生活は、ついに落ちるところまで落ちて行きました。サムソンはデリラという女を愛しましたが、彼女はとんだ曲者で、金のためにならば人を平気で欺く悪女でした。しかしサムソンはそんなことはお構いなしに、性的に堕落した生活をやめようとしませんでした。ペリシテ人に買収されたデリラはしきりにサムソンの怪力の秘密を探り出そうとしますが、サムソンは3度もデリラを欺き、その秘密を守りました。しかし3度デリラに騙されようとも、彼女から離れなかったのは、明らかにサムソンの油断、自らの怪力に過信する驕り高ぶる心の現れです。己の怪力は何のために備えられたのか考えることもなく、その根本にある神の御心を正しく受け止めず、神からいただいた賜物をわがもののように自分勝手に用いたサムソンは、自らを滅びに至らしめる罪から抜け出せなくなってしまったのです。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.16.4-14.ja1955

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士師記 16:15-22

そこで女はサムソンに言った、「あなたの心がわたしを離れているのに、どうして『おまえを愛する』と言うことができますか。あなたはすでに三度もわたしを欺き、あなたの大力がどこにあるかをわたしに告げませんでした」。 女は毎日その言葉をもって彼に迫り促したので、彼の魂は死ぬばかりに苦しんだ。 彼はついにその心をことごとく打ち明けて女に言った、「わたしの頭にはかみそりを当てたことがありません。わたしは生れた時から神にささげられたナジルびとだからです。もし髪をそり落されたなら、わたしの力は去って弱くなり、ほかの人のようになるでしょう」。 デリラはサムソンがその心をことごとく打ち明けたのを見、人をつかわしてペリシテびとの君たちを呼んで言った、「サムソンはその心をことごとくわたしに打ち明けましたから、今度こそ上っておいでなさい」。そこでペリシテびとの君たちは、銀を携えて女のもとに上ってきた。 女は自分のひざの上にサムソンを眠らせ、人を呼んで髪の毛、七ふさをそり落させ、彼を苦しめ始めたが、その力は彼を去っていた。 そして女が「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」と言ったので、彼は目をさまして言った、「わたしはいつものように出て行って、からだをゆすろう」。彼は主が自分を去られたことを知らなかった。 そこでペリシテびとは彼を捕えて、両眼をえぐり、ガザに引いて行って、青銅の足かせをかけて彼をつないだ。こうしてサムソンは獄屋の中で、うすをひいていたが、 その髪の毛はそり落された後、ふたたび伸び始めた。

サムソンを欺こうとして3度も騙されたデリラは、泣き落としの戦術に出て、サムソンの心を動かして怪力の秘密を暴こうと、一計を図ります。そんなことを毎日繰り返されたサムソンは、ついに心が傾き、デリラに怪力の秘密を打ち明けてしまいました。今度こそはとサムソンの髪の毛を剃り落とし、ペリシテ人たちを呼び寄せたデリラの裏切りに遭い、サムソンはいつものように怪力を発揮させようとしましたが、すでに神の力は彼から離れてしまっていたため、呆気なくペリシテ人の手に落ち、両目をえぐられ、足枷を掛けられて捕らえられてしまいました。盲目となり、怪力も失い、牢獄で挽き臼を引いていたサムソンは、どれほど自らの半生を後悔したことでしょう。しかし神の恵みはここまでで終わりませんでした。知らず知らずの内に剃り落とされた髪の毛は再び伸び始めていた、この箇所のくだりが神様の憐れみ深さを、実に絶妙に物語っています。どんなに罪深い生活を送っていても、神様から託された使命に背を向けていても、これ以上ないというほど落ちるところまで落ちてしまっても、心から悔い改めるならば、憐れみ深い神は私たちに再起のきっかけを与えてくださるお方です。その機会を掴むかどうかは、私たち次第です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.16.15-22.ja1955

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士師記 16:23-31

さてペリシテびとの君たちは、彼らの神ダゴンに大いなる犠牲をささげて祝をしようと、共に集まって言った、「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」。 民はサムソンを見て、自分たちの神をほめたたえて言った、「われわれの神は、われわれの国を荒し、われわれを多く殺した敵をわれわれの手にわたされた」。 彼らはまた心に喜んで言った、「サムソンを呼んで、われわれのために戯れ事をさせよう」。彼らは獄屋からサムソンを呼び出して、彼らの前に戯れ事をさせた。彼らがサムソンを柱のあいだに立たせると、 サムソンは自分の手をひいている若者に言った、「わたしの手を放して、この家をささえている柱をさぐらせ、それに寄りかからせてください」。 その家には男女が満ち、ペリシテびとの君たちも皆そこにいた。また屋根の上には三千人ばかりの男女がいて、サムソンの戯れ事をするのを見ていた。 サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。 そしてサムソンは、その家をささえている二つの中柱の一つを右の手に、一つを左の手にかかえて、身をそれに寄せ、 「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった。 やがて彼の身内の人たちおよび父の家族の者がみな下ってきて、彼を引き取り、携え上って、ゾラとエシタオルの間にある父マノアの墓に葬った。サムソンがイスラエルをさばいたのは二十年であった。

無力となったサムソンを捕らえたペリシテ人の君たちは、彼らの神ダゴンの前で祝宴を設け、両目をえぐられた惨めなサムソンを見せ物にして一興を演じさせようと、彼を牢獄から引き出しました。戯れ事を命じられ、さんざんからかわれ、嘲笑を浴びたサムソンは、恥をも忍んで柱に寄りかからせてくださいと頼み、神に向かって、もう一度わたしを覚えてくださいと、心からの悔い改めと最後の祈りを託して、両手に力を入れてその身を屈めると、ペリシテ人の君たちを含む要人3,000人ほどが集まっていたその大屋敷はあっという間に倒壊し、サムソンもろとも全員命を落としました。このようにしてサムソンはその死の間際に、活躍していた時期よりもはるかに多い敵を一度に滅ぼして、ようやく神から与えられた使命を全うすることができたのです。サムソンの生涯を通して、改めて神から授かった賜物の正しい用い方と、神の使命に生きることの大切さ、そして何よりも神に喜ばれるきよい生活を送ることの重要性を、身を引き締めて受け止め肝に銘じる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.16.23-31.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/26

2020-01-26 07:05:01 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 15:2 新共同訳

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

主イエスにつながっていなければ、私たちは誰一人として実を結ぶことはできません。主につながり続け、かつ御霊の実を豊かに結び、神の御国に相応しい生きた信仰者とされる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.15.2.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/25

2020-01-25 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 15:1-8

日がたって後、麦刈の時にサムソンは子やぎを携えて妻をおとずれ、「へやにはいって、妻に会いましょう」と言ったが、妻の父ははいることを許さなかった。 そして父は言った、「あなたが確かに彼女をきらったに相違ないと思ったので、わたしは彼女をあなたの客であった者にやりました。彼女の妹は彼女よりもきれいではありませんか。どうぞ、彼女の代りに妹をめとってください」。 サムソンは彼らに言った、「今度はわたしがペリシテびとに害を加えても、彼らのことでは、わたしに罪がない」。 そこでサムソンは行って、きつね三百匹を捕え、たいまつをとり、尾と尾をあわせて、その二つの尾の間に一つのたいまつを結びつけ、 たいまつに火をつけて、そのきつねをペリシテびとのまだ刈らない麦の中に放し入れ、そのたばね積んだものと、まだ刈らないものとを焼き、オリブ畑をも焼いた。ペリシテびとは言った、「これはだれのしわざか」。人々は言った、「テムナびとの婿サムソンだ。そのしゅうとがサムソンの妻を取り返して、その客であった者に与えたからだ」。そこでペリシテびとは上ってきて彼女とその父の家を火で焼き払った。 サムソンは彼らに言った、「あなたがたがそんなことをするならば、わたしはあなたがたに仕返しせずにはおかない」。 そしてサムソンは彼らを、さんざんに撃って大ぜい殺した。こうしてサムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んでいた。

ペリシテ人の女性と結婚したサムソンでしたが、持ちかけた謎掛けを解かれたことに腹を立て、晴れ着を提供するために別の村のペリシテ人を撃って奪い取ったことに警戒を抱いた花嫁の父母は、サムソンの妻とせず、結婚式の参列者に娘をめとらせました。日が経って、花嫁の家と和解をするためにやってきたサムソンは、すでに花嫁は別のペリシテ人の妻となっていたことに立腹し、狐300匹を捕まえて尻尾を結わえ付け、火を放って麦畑を焼き討ちにしてしまいました。サムソンの行為に立腹したペリシテ人が、テムナのサムソンの妻の実家を焼き払うと、今度はそれを口実にサムソンはペリシテ人たちを撃ち殺し、エタムの岩陰に身を潜めました。サムソンの突拍子もない行動は、徐々にペリシテ人たちを追い詰めてゆきます。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.15.1-8.ja1955

*****

士師記 15:9-13

そこでペリシテびとは上ってきて、ユダに陣を取り、レヒを攻めたので、 ユダの人々は言った、「あなたがたはどうしてわれわれのところに攻めのぼってきたのですか」。彼らは言った、「われわれはサムソンを縛り、彼がわれわれにしたように、彼にするために上ってきたのです」。 そこでユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った、「ペリシテびとはわれわれの支配者であることをあなたは知らないのですか。あなたはどうしてわれわれにこんな事をしたのですか」。サムソンは彼らに言った、「彼らがわたしにしたように、わたしは彼らにしたのです」。 彼らはまたサムソンに言った、「われわれはあなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすために下ってきたのです」。サムソンは彼らに言った、「あなたがた自身はわたしを撃たないということを誓いなさい」。 彼らはサムソンに言った、「いや、われわれはただ、あなたを縛って、ペリシテびとの手にわたすだけです。決してあなたを殺しません」。彼らは二本の新しい綱をもって彼を縛って、岩からひきあげた。

サムソンに苦しめられたペリシテ人は、ユダを攻撃してサムソンを引き渡すようにと脅しました。ユダの人々はエタムの岩の裂け目に身を潜めていたサムソンを捕縛し、ペリシテ人に引き渡しました。自分の同族から匿われ守ってもらうこともなかったサムソンは、常に単独行動を取り、孤高の戦士となりました。私たちは神の家族の一員として行動するものでありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.15.9-13.ja1955

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士師記 15:14-20

サムソンがレヒにきたとき、ペリシテびとは声をあげて、彼に近づいた。その時、主の霊が激しく彼に臨んだので、彼の腕にかかっていた綱は火に焼けた亜麻のようになって、そのなわめが手から解けて落ちた。 彼はろばの新しいあご骨一つを見つけたので、手を伸べて取り、それをもって一千人を打ち殺した。 そしてサムソンは言った、「ろばのあご骨をもって山また山を築き、ろばのあご骨をもって一千人を打ち殺した」。 彼は言い終ると、その手からあご骨を投げすてた。これがためにその所は「あご骨の丘」と呼ばれた。 時に彼はひどくかわきを覚えたので、主に呼ばわって言った、「あなたはしもべの手をもって、この大きな救を施されたのに、わたしは今、かわいて死に、割礼をうけないものの手に陥ろうとしています」。 そこで神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれたので、そこから水が流れ出た。サムソンがそれを飲むと彼の霊はもとにかえって元気づいた。それでその名を「呼ばわった者の泉」と呼んだ。これは今日までレヒにある。 サムソンはペリシテびとの時代に二十年の間イスラエルをさばいた。

ユダの同族の手によって捕らえられ引き渡されたサムソンでしたが、神はサムソンに力を与え、捕らわれの縄目を解き、落ちていたロバの顎骨をもってペリシテ人と戦って、一度に1000人も打ち倒しました。戦いを終えるとサムソンは渇きを覚え、主に訴えると、主はレヒの窪地を裂いて水を流れ出させ、サムソンの渇きを癒されました。その水を飲んで、サムソンの霊は元に返って元気を取り戻すことができました。孤高の戦士サムソンをさばきづささとして神は用いられ、イスラエルを20年間さばかせました。人々を導く際に必要なものは、霊の飢え渇きを神によって潤されることです。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.15.14-20.ja1955
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【今日の聖句】 2020/01/25

2020-01-25 08:00:28 | 今日の聖句
箴言 序 19:21 新共同訳

人の心には多くの計らいがある。
主の御旨のみが実現する。

人は多くの計画を心に思い描きますが、実際に現実のものとなるのは神の御心に適う計画のみです。この世の歴史を司られる主にすべてを委ねて、神の祝福に満ちた人生を歩ませていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.19.21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/01/24

2020-01-24 07:40:19 | 一日一章・聖書通読日記
士師記 14:1-4

サムソンはテムナに下って行き、ペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見た。 彼は帰ってきて父母に言った、「わたしはペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見ました。彼女をめとってわたしの妻にしてください」。 父母は言った、「あなたが行って、割礼をうけないペリシテびとのうちから妻を迎えようとするのは、身内の娘たちのうちに、あるいはわたしたちのすべての民のうちに女がないためなのですか」。しかしサムソンは父に言った、「彼女をわたしにめとってください。彼女はわたしの心にかないますから」。 父母はこの事が主から出たものであることを知らなかった。サムソンはペリシテびとを攻めようと、おりをうかがっていたからである。そのころペリシテびとはイスラエルを治めていた。

生まれながら神に捧げられたナジル人として育てられたサムソンですが、不可解な行動を取ります。敵であるペリシテ人の女性を見初めて結婚したいと言い出したのです。当然、父と母は猛反対しますが、サムソンは言うことを聞きません。しかしこれは、主から出たものであり、サムソンはペリシテ人を攻める機会をうかがっていたと聖書は解説しています。人の目には不思議なことであっても、神の視点からは理に適うことがありますから、私たちは近視眼的になってはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.14.1-4.ja1955

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士師記 14:5-9

かくてサムソンは父母と共にテムナに下って行った。彼がテムナのぶどう畑に着くと、一頭の若いししがほえたけって彼に向かってきた。 時に主の霊が激しく彼に臨んだので、彼はあたかも子やぎを裂くようにそのししを裂いたが、手にはなんの武器も持っていなかった。しかしサムソンはそのしたことを父にも母にも告げなかった。 サムソンは下って行って女と話し合ったが、女はサムソンの心にかなった。 日がたって後、サムソンは彼女をめとろうとして帰ったが、道を転じて、かのししのしかばねを見ると、ししのからだに、はちの群れと、蜜があった。 彼はそれをかきあつめ、手にとって歩きながら食べ、父母のもとに帰って、彼らに与えたので、彼らもそれを食べた。しかし、ししのからだからその蜜をかきあつめたことは彼らに告げなかった。

ペリシテ人と結婚するために父母と共にテムナに下っていったサムソンは、ぶどう畑でほえ猛る獅子と出くわしました。すると神の霊が彼に激しく臨んだため、素手で獅子に立ち向かって裂き殺しました。怪力サムソンの誕生です。縁談がまとまったテムナからの帰り道、ぶどう畑の傍らを通り過ぎると、先に裂き殺した獅子の死骸に蜂が巣を作っていたため、彼は蜜をかき集めて歩きながら食べ、父母にも与えました。神のために聖別されたナジル人であるならば、死体に触れてはなりませんから、ここでもサムソンは禁を犯したことになります。彼はこれらの出来事について誰にも告げず、すべて自分の胸の内に秘めておきました。神の掟にも、父母の教えにも従えない者は、自らの行為を隠そうとします。私たちは何事も隠し立てすることなく、公明正大に生きることが肝要です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.14.5-9.ja1955

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士師記 14:10-14

そこで父が下って、女のもとに行ったので、サムソンはそこにふるまいを設けた。そうすることは花婿のならわしであったからである。 人々はサムソンを見ると、三十人の客を連れてきて、同席させた。 サムソンは彼らに言った、「わたしはあなたがたに一つのなぞを出しましょう。あなたがたがもし七日のふるまいのうちにそれを解いて、わたしに告げることができたなら、わたしはあなたがたに亜麻の着物三十と、晴れ着三十をさしあげましょう。 しかしあなたがたが、それをわたしに告げることができなければ、亜麻の着物三十と晴れ着三十をわたしにくれなければなりません」。彼らはサムソンに言った、「なぞを出しなさい。わたしたちはそれを聞きましょう」。 サムソンは彼らに言った、「食らう者から食い物が出、強い者から甘い物が出た」。彼らは三日のあいだなぞを解くことができなかった。

サムソンとペリシテ人の女との結婚式が始まり、祝宴が設けられました。ペリシテ側からは30人の客がやってきて同席しました。するとサムソンは来賓に向かい、謎解きをしようと申し出ました。7日間の祝宴の内に謎が解けるかどうかで晴れ着を賭けたのです。食らう者、強い者とは先にサムソンが倒した獅子、食い物、甘い物とは獅子の死骸にあった蜜のことです。ペリシテ人たちはこの謎解きの意味が分からず、3日間、解くことができませんでした。これはサムソンがペリシテ人に危害を加える口実を作るためでした。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.14.10-14.ja1955

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士師記 14:15-20

四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った、「あなたの夫を説きすすめて、なぞをわたしたちに明かすようにしてください。そうしなければ、わたしたちは火をつけてあなたとあなたの父の家を焼いてしまいます。あなたはわたしたちの物を取るために、わたしたちを招いたのですか」。 そこでサムソンの妻はサムソンの前に泣いて言った、「あなたはただわたしを憎むだけで、愛してくれません。あなたはわたしの国の人々になぞを出して、それをわたしに解き明かしませんでした」。サムソンは彼女に言った、「わたしは自分の父にも母にも解き明かさなかった。どうしてあなたに解き明かせよう」。 彼女は七日のふるまいの間、彼の前に泣いていたが、七日目になって、サムソンはついに彼女に解き明かした。ひどく彼に迫ったからである。そこで彼女はなぞを自分の国の人々にあかした。 七日目になって、日の没する前に町の人々はサムソンに言った、「蜜より甘いものに何があろう。ししより強いものに何があろう」。サムソンは彼らに言った、「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」。 この時、主の霊が激しくサムソンに臨んだので、サムソンはアシケロンに下って行って、その町の者三十人を殺し、彼らからはぎ取って、かのなぞを解いた人々に、その晴れ着を与え、激しく怒って父の家に帰った。 サムソンの妻は花婿付添人であった客の妻となった。

サムソンの出した謎を解くことができなかったペリシテ人たちは、サムソンの妻となった女性に、その答えをサムソンから聞き出すようにと持ちかけ、もし聞き出せなかったらあなたの父の家を焼き払うと脅迫しました。サムソンの妻は必死にサムソンから答えを引き出そうとしました。サムソンも当初は妻の言葉に聞く耳を持ちませんでしたが、祝宴の7日目になってついに折れて、彼女に謎の意味を解き明かしてしまいました。すると彼女は30人の来賓にその謎解きの解を伝えたため、日没前にサムソンの前にやってきて、謎を解き明かしました。父母にも告げなかった秘密をペリシテ人の女性に打ち明けてしまったのは、サムソンの女性に対する弱さの故でした。この弱点が、後にもサムソンを苦しめることになるのです。不完全な存在である私たち人間は誰しも、必ず弱さを抱えています。私たちは己の弱さを潔く認めた上で、神の力によって補い強めていただくことこそが、弱さに対する正しい対処法です。

https://www.bible.com/bible/81/jdg.14.15-20.ja1955
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