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【COGHCC聖書通読】 2020/03/31

2020-03-31 17:20:00 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀上 1:1-10

ダビデ王は年がすすんで老い、夜着を着せても暖まらなかったので、 その家来たちは彼に言った、「王わが主のために、ひとりの若いおとめを捜し求めて王にはべらせ、王の付添いとし、あなたのふところに寝て、王わが主を暖めさせましょう」。 そして彼らはあまねくイスラエルの領土に美しいおとめを捜し求めて、シュナミびとアビシャグを得、王のもとに連れてきた。 おとめは非常に美しく、王の付添いとなって王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。 さてハギテの子アドニヤは高ぶって、「わたしは王となろう」と言い、自分のために戦車と騎兵および自分の前に駆ける者五十人を備えた。 彼の父は彼が生れてこのかた一度も「なぜ、そのような事をするのか」と言って彼をたしなめたことがなかった。アドニヤもまた非常に姿の良い人であって、アブサロムの次に生れた者である。 彼がゼルヤの子ヨアブと祭司アビヤタルとに相談したので、彼らはアドニヤに従って彼を助けた。 しかし祭司ザドクと、エホヤダの子ベナヤと、預言者ナタンおよびシメイとレイ、ならびにダビデの勇士たちはアドニヤに従わなかった。 アドニヤはエンロゲルのほとりにある「へびの石」のかたわらで、羊と牛と肥えた家畜をほふって、王の子である自分の兄弟たち、および王の家来であるユダの人々をことごとく招いた。 しかし預言者ナタンと、ベナヤと、勇士たちと、自分の兄弟ソロモンとは招かなかった。

イスラエルを統一し、神を中心とする王国を確立したダビデ王も、年老いて肉体の衰えも進み、夜の就寝時に体温を維持することさえままならなくなりました。すると王位継承の権力争いが始まりました。ダビデの4男にあたるアドニヤは、自ら王になると一方的に言い出して、戦車と騎兵、そして親衛隊50人を備えました。なぜこれが高ぶりなのか? それは神の国イスラエルの王は、立候補でも自己推薦でもなく、神によって選ばれた者が王となるべきだからです。にもかかわらずアドニヤは、彼の兄アブサロムと同じ過ちを犯したのです。その原因として、父ダビデはその子どもたちが間違ったことを行ってもその過ちを咎めたことがなく、甘やかして育てたからだと記されています。またアドニヤもまた兄アブサロムと同じく容姿端麗で、人の目には王の風格を備えた人物であったとあります。アドニヤの一方的な王位継承宣言に同調したのが、相談を受けたイスラエル軍の将ヨアブと祭司アビヤタルでした。アドニヤは自分の兄弟と王の家来たちを招いて宴会を開きましたが、ソロモンと祭司ザドク、エホヤダの子ベナヤ、預言者ナタン、ダビデの勇士たちは、宴席に招きませんでした。自分の意に添わない者を排斥し、仲良しグループだけで政治の中核を固めることは、国家衰退と腐敗の原因となりますから注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/1ki.1.1-10.ja1955

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列王紀上 1:11-27

時にナタンはソロモンの母バテシバに言った、「ハギテの子アドニヤが王となったのをお聞きになりませんでしたか。われわれの主ダビデはそれをごぞんじないのです。 それでいま、あなたに計りごとを授けて、あなたの命と、あなたの子ソロモンの命を救うようにいたしましょう。 あなたはすぐダビデ王のところへ行って、『王わが主よ、あなたは、はしために誓って、おまえの子ソロモンが、わたしに次いで王となり、わたしの位に座するであろうと言われたではありませんか。そうであるのに、どうしてアドニヤが王となったのですか』と言いなさい。 あなたがなお王と話しておられる間に、わたしもまた、あなたのあとから、はいって行って、あなたの言葉を確認しましょう」。 そこでバテシバは寝室にはいって王の所へ行った。(王は非常に老いて、シュナミびとアビシャグが王に仕えていた)。 バテシバは身をかがめて王を拝した。王は言った、「何の用か」。 彼女は王に言った、「わが主よ、あなたは、あなたの神、主をさして、はしために誓い、『おまえの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしの位に座するであろう』と言われました。 そうであるのに、ごらんなさい、今アドニヤが王となりました。王わが主よ、あなたはそれをごぞんじないのです。 彼は牛と肥えた家畜と羊をたくさんほふって、王の子たち、および祭司アビヤタルと、軍の長ヨアブを招きましたが、あなたのしもべソロモンは招きませんでした。 王わが主よ、イスラエルのすべての目はあなたに注がれ、だれがあなたに次いで、王わが主の位に座すべきかを告げられるのを望んでいます。 王わが主が先祖と共に眠られるとき、わたしと、わたしの子ソロモンは謀叛人とみなされるでしょう」。 バテシバがなお王と話しているうちに、預言者ナタンがはいってきた。 人々は王に告げて、「預言者ナタンがここにおります」と言った。彼は王の前にはいり、地に伏して王を拝した。 そしてナタンは言った、「王わが主よ、あなたは、『アドニヤがわたしに次いで王となり、わたしの位に座するであろう』と仰せられましたか。 彼はきょう下っていって、牛と、肥えた家畜と羊をたくさんほふって、王の子たちと、軍の長ヨアブと、祭司アビヤタルを招きました。彼らはアドニヤの前で食い飲みして、『アドニヤ万歳』と言いました。 しかし、あなたのしもべであるわたしと、祭司ザドクと、エホヤダの子ベナヤと、あなたのしもべソロモンを招きませんでした。 この事は王わが主がさせられた事ですか。あなたはしもべたちに、だれがあなたに次いで王わが主の位に座すべきかを告げられませんでした」。

父ダビデの意向を無視して、アドニヤが一方的に王位継承を宣言する動向を察した預言者ナタンは、ソロモンの母バテシバに面会し、後に彼女とソロモンがアドニヤに刃向かう謀反人として処刑されることのないよう、一計を講じました。それは直接ダビデに王位継承の意志を問い質すことでした。そこでバテシバと預言者ナタンはそれぞれ別にダビデ王の元に出向き、アドニヤを次のイスラエルの王とする決断をされたのかと問いました。これはある意味、禁じ手といいますか、ダビデに生前退位を促すことでもあり、現職の王に対して失礼に値しないか躊躇するほどの勇気を要する行為でしたが、今すぐに行動を起こさないと自分たちが抹殺されかねない、緊張関係の中にありました。私たちの人生の中でも、今直ちに行動しないと自分の身に危険が及ぶ、絶体絶命の危機に晒されることがあります。そのとき信仰をもって勇敢に立ち上がる者だけが、いのちを救うことができます。

https://www.bible.com/bible/81/1ki.1.11-27‬.ja1955

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列王紀上 1:28-40

ダビデ王は答えて言った、「バテシバをわたしのところに呼びなさい」。彼女は王の前にはいってきて、王の前に立った。 すると王は誓って言った、「わたしの命をすべての苦難から救われた主は生きておられる。 わたしがイスラエルの神、主をさしてあなたに誓い、『あなたの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしに代って、わたしの位に座するであろう』と言ったように、わたしはきょう、そのようにしよう」。 そこでバテシバは身をかがめ、地に伏して王を拝し、「わが主ダビデ王が、とこしえに生きながらえられますように」と言った。 ダビデは言った、「祭司ザドクと、預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤをわたしの所に呼びなさい」。やがて彼らは王の前にきた。 王は彼らに言った、「あなたがたの主君の家来たちを連れ、わが子ソロモンをわたしの騾馬に乗せ、彼を導いてギホンに下り、 その所で祭司ザドクと預言者ナタンは彼に油を注いでイスラエルの王としなさい。そしてラッパを吹いて、『ソロモン王万歳』と言いなさい。 それから、あなたがたは彼に従って上ってきなさい。彼はきて、わたしの位に座し、わたしに代って王となるであろう。わたしは彼を立ててイスラエルとユダの上に主君とする」。 エホヤダの子ベナヤは王に答えて言った、「アァメン、願わくは、王わが主君の神、主もまたそう仰せられますように。 願わくは、主が王わが主君と共におられたように、ソロモンと共におられて、その位をわが主君ダビデ王の位よりも大きくせられますように」。 そこで祭司ザドクと預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤ、ならびにケレテびとと、ペレテびとは下って行って、ソロモンをダビデ王の騾馬に乗せ、彼をギホンに導いて行った。 祭司ザドクは幕屋から油の角を取ってきて、ソロモンに油を注いだ。そしてラッパを吹き鳴らし、民は皆「ソロモン王万歳」と言った。 民はみな彼に従って上り、笛を吹いて大いに喜び祝った。地は彼らの声で裂けるばかりであった。

バテシバと預言者ナタンの言葉を聞いて緊急事態であると察したダビデは、王位を継承するのはアドニヤではなくソロモンであることを再確認しました。これは歴代志上22章に記されています。アドニヤ側につかなかった祭司ザドク、エホヤダの子ベナヤを召集して、ソロモンを王だけが乗ることのできる騾馬に乗せ、預言者ナタンと共にソロモンに聖なる油を注いでイスラエルの王として任命し、即位式を執り行うようにと命じました。彼らは直ちにソロモンをギホンの谷に連れて行き、エルサレムの民も同席する中で即位式を行い、喜びの声を挙げました。アドニヤが自分のお気に入りの人だけを召集して王位就任を宣言したのとは対照的に、ソロモンの王位継承は祭司によって神の御前に執り行われ、イスラエルの民衆の祝福を受ける中で行われました。これこそが神と人とに喜ばれる真のイスラエルの王の姿です。

https://www.bible.com/bible/81/1ki.1.28-40.ja1955

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列王紀上 1:41-53

アドニヤおよび彼と共にいた客たちは皆食事を終ったとき、これを聞いた。ヨアブはラッパの音を聞いて言った、「町の中のあの騒ぎは何か」。 彼の言葉のなお終らないうちに、そこへ祭司アビヤタルの子ヨナタンがきたので、アドニヤは彼に言った、「はいりなさい。あなたは勇敢な人で、よい知らせを持ってきたのでしょう」。 ヨナタンは答えてアドニヤに言った、「いいえ、主君ダビデ王はソロモンを王とせられました。 王は祭司ザドクと預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤ、ならびにケレテびとと、ペレテびとをソロモンと共につかわされたので、彼らはソロモンを王の騾馬に乗せて行き、 祭司ザドクと預言者ナタンはギホンで彼に油を注いで王としました。そして彼らがそこから喜んで上って来るので、町が騒がしいのです。あなたが聞いた声はそれなのです。 こうしてソロモンは王の位に座し、 かつ王の家来たちがきて、主君ダビデ王に祝いを述べて、『願わくは、あなたの神がソロモンの名をあなたの名よりも高くし、彼の位をあなたの位よりも大きくされますように』と言いました。そして王は床の上で拝されました。 王はまたこう言われました、『イスラエルの神、主はほむべきかな。主はきょう、わたしの位に座するひとりの子を与えて、これをわたしに見せてくださった』と」。 その時アドニヤと共にいた客はみな驚き、立っておのおの自分の道に去って行った。 そしてアドニヤはソロモンを恐れ、立って行って祭壇の角をつかんだ。 ある人がこれをソロモンに告げて言った、「アドニヤはソロモンを恐れ、今彼は祭壇の角をつかんで、『どうぞ、ソロモン王がきょう、つるぎをもってしもべを殺さないとわたしに誓ってくださるように』と言っています」。 ソロモンは言った、「もし彼がよい人となるならば、その髪の毛ひとすじも地に落ちることはなかろう。しかし彼のうちに悪のあることがわかるならば、彼は死ななければならない」。 ソロモンは人をつかわして彼を祭壇からつれて下らせた。彼がきてソロモンを拝したので、ソロモンは彼に「家に帰りなさい」と言った。

アドニヤ側についた人々は、ソロモンがダビデの跡を継ぐイスラエルの王に即位したことを知って驚き慌て、皆そそくさと自宅に帰りました。そしてアドニヤは正式にイスラエルの王となったソロモンを恐れ、主に犠牲を捧げるための青銅の祭壇の角を掴みました。これは当時、主の祭壇の角を掴む者は、逃れの町に逃げ延びた人のように、その罪を放免されると考えられていたからです。ソロモンはアドニヤの命乞いを寛大に受け入れ、自ら王になろうとした野心を撤回し、良い人となるならば、そのいのちを奪われることはないと約束しました。しかしもし再び悪しき野心を抱くならば死ななければならないとも忠告しました。このアドニヤとソロモンの行動から見ても、野心家でありながら小心者のアドニヤと、謝罪する者を寛大に受け入れ過ちを許すソロモンとでは、どちらが王の器に相応しいか、一目瞭然です。私たちもまた人の過ちをあげつらうばかりでなく、罪は罪として厳しく臨みながらも、許しを乞う者を寛容に受け入れる愛の人とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/1ki.1.41-53.ja1955
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【今日の聖句】 2020/03/31

2020-03-31 06:10:30 | 今日の聖句
箴言 序 18:21 新共同訳

死も生も舌の力に支配される。
舌を愛する者はその実りを食らう。

口は災いの元との諺や、舌は火であるとの御言葉にもあるように、人には制しにくい器官です。主に唇をきよめていただいて、自らの発言する言葉をわきまえ、人を傷つけたり大言壮語することなく、愛と知恵に満ちた、人を活かし、希望を与える有意義な言葉を語らせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.18.21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/30

2020-03-30 08:05:56 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 24:1-9

主は再びイスラエルに向かって怒りを発し、ダビデを感動して彼らに逆らわせ、「行ってイスラエルとユダとを数えよ」と言われた。 そこで王はヨアブおよびヨアブと共にいる軍の長たちに言った、「イスラエルのすべての部族のうちを、ダンからベエルシバまで行き巡って民を数え、わたしに民の数を知らせなさい」。 ヨアブは王に言った、「どうぞあなたの神、主が、民を今よりも百倍に増してくださいますように。そして王、わが主がまのあたり、それを見られますように。しかし王、わが主は何ゆえにこの事を喜ばれるのですか」。 しかし王の言葉がヨアブと軍の長たちとに勝ったので、ヨアブと軍の長たちとは王の前を退き、イスラエルの民を数えるために出て行った。 彼らはヨルダンを渡り、アロエルから、すなわち谷の中にある町から始めて、ガドに向かい、ヤゼルに進んだ。 それからギレアデに行き、またヘテびとの地にあるカデシに行き、それからダンに至り、ダンからシドンにまわり、 またツロの要害に行き、ヒビびと、およびカナンびとのすべての町に行き、ユダのネゲブに出てベエルシバへ行った。 こうして彼らは国をあまねく行き巡って、九か月と二十日を経てエルサレムにきた。 そしてヨアブは民の総数を王に告げた。すなわちイスラエルには、つるぎを抜く勇士たちが八十万あった。ただしユダの人々は五十万であった。

サムエル記の締めくくりとなるこの章に、なぜかイスラエルの人口調査のエピソードが記されています。しかもこの発端となったのが、神がイスラエルに向かって怒りを発せられ、ダビデを感動させて人口調査を行ったとされています。同じ出来事が歴代志にも記されていますが、こちらではサタンがダビデに働きかけて人口調査をさせようとしたと記されています。両方の記述を矛盾なく紐解くと、ダビデに対するサタンの誘惑を主が承諾されたという筋書きとなります。人口調査の何が誘惑だったのか、それは、全イスラエルに遣わされたのが軍の将ヨアブであったこと、その結果として報告されたのが軍人の数であったことから、この人口調査の目的は軍事力の把握ということになります。これが何の罪に値するものなのか? それはイスラエルを守るお方は主であるという信仰に立脚した国家理念から、軍事力、人の力に頼って国を建て上げるという王国の理念の変化を意味したものです。ヨアブはいち早くこの調査が主から出たものではないと気付いてダビデを説得しようとしましたが、王の言葉が勝ったとあります。なぜならサタンに心を支配されていたからです。人の忠告に耳を傾けず、心を頑なにして、結果として罪に気付かずに過ちを犯してしまう、これは現代に生きる私たちにも当てはまることですから、注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.24.1-9.ja1955

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サムエル記下 24:10-16

しかしダビデは民を数えた後、心に責められた。そこでダビデは主に言った、「わたしはこれをおこなって大きな罪を犯しました。しかし主よ、今どうぞしもべの罪を取り去ってください。わたしはひじょうに愚かなことをいたしました」。 ダビデが朝起きたとき、主の言葉はダビデの先見者である預言者ガデに臨んで言った、 「行ってダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる、「わたしは三つのことを示す。あなたはその一つを選ぶがよい。わたしはそれをあなたに行うであろう」と』」。 ガデはダビデのもとにきて、彼に言った、「あなたの国に三年のききんをこさせようか。あなたが敵に追われて三か月敵の前に逃げるようにしようか。それとも、あなたの国に三日の疫病をおくろうか。あなたは考えて、わたしがどの答を、わたしをつかわされた方になすべきかを決めなさい」。 ダビデはガデに言った、「わたしはひじょうに悩んでいますが、主のあわれみは大きいゆえ、われわれを主の手に陥らせてください。わたしを人の手には陥らせないでください」。 そこで主は朝から定めの時まで疫病をイスラエルに下された。ダンからベエルシバまでに民の死んだ者は七万人あった。 天の使が手をエルサレムに伸べてこれを滅ぼそうとしたが、主はこの害悪を悔い、民を滅ぼしている天の使に言われた、「もはや、じゅうぶんである。今あなたの手をとどめるがよい」。その時、主の使はエブスびとアラウナの打ち場のかたわらにいた。

全イスラエルの人口調査の結果を聞いたダビデは、そのときはじめて自らの犯した罪に気付きました。そこで直ちに主に向かって悔い改めると、主は翌朝、預言者ガテをダビデの元に遣わして、3ヶ月の飢饉か、3週間の逃亡生活か、3日間の疫病か、3つの裁きから選択しなさいと促されました。ダビデが取った選択は主の使が3日間イスラエルを疫病で撃つという選択肢でした。これは自分には危害が及ばないからと思ったからでしょうか?理由はわかりませんが、その疫病のため全イスラエルにたった1日で7万人の死者が出ました。この疫病は、SARSや新型コロナウィルスの比ではありません。そのため神は途中で悔やみ、神の使いに命じて災いを下すことを止められました。ここに神の民イスラエルを憐れまれる神の愛が表されています。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.24.10-16.ja1955

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サムエル記下 24:17-25

ダビデは民を撃っている天の使を見た時、主に言った、「わたしは罪を犯しました。わたしは悪を行いました。しかしこれらの羊たちは何をしたのですか。どうぞあなたの手をわたしとわたしの父の家に向けてください」。 その日ガデはダビデのところにきて彼に言った、「上って行ってエブスびとアラウナの打ち場で主に祭壇を建てなさい」。 ダビデはガデの言葉に従い、主の命じられたように上って行った。 アラウナは見おろして、王とそのしもべたちが自分の方に進んでくるのを見たので、アラウナは出てきて王の前に地にひれ伏して拝した。 そしてアラウナは言った、「どうして王わが主は、しもべの所にこられましたか」。ダビデは言った、「あなたから打ち場を買い取り、主に祭壇を築いて民に下る災をとどめるためです」。 アラウナはダビデに言った、「どうぞ王、わが主のよいと思われる物を取ってささげてください。燔祭にする牛もあります。たきぎにする打穀機も牛のくびきもあります。 王よ、アラウナはこれをことごとく王にささげます」。アラウナはまた王に、「あなたの神、主があなたを受けいれられますように」と言った。 しかし王はアラウナに言った、「いいえ、代価を支払ってそれをあなたから買い取ります。わたしは費用をかけずに燔祭をわたしの神、主にささげることはしません」。こうしてダビデは銀五十シケルで打ち場と牛とを買い取った。 ダビデはその所で主に祭壇を築き、燔祭と酬恩祭をささげた。そこで主はその地のために祈を聞かれたので、災がイスラエルに下ることはとどまった。

主がイスラエルに下された疫病は、ダンとベエルシバ、イスラエルの最北端と最南端から始まって、神の使はエブスびとアラウナの打ち場、ダビデのいる首都エルサレムにまで及んでいました。ダビデは主の災いを間近に見て、自分の選択した災いが自己保身のためであったと悔い改め、主にこの災いを思いとどめてくださいと祈り求めました。そこで主はダビデに向かい、この場所を買い取り、祭壇を築くようにと命じられました。突然の王の訪問と要請にアラウナはひれ伏し、土地も無償で提供し、犠牲の牛も献上しますと申し上げましたが、ダビデは自ら代価を支払って土地と燔祭の牛を買い、祭壇を築いて犠牲を捧げました。その結果、主は災いをとどめられました。この場所こそ、かつてアブラハムがイサクを捧げようとしたモリヤの山、後にエルサレムの神殿が建てられた場所、そして主イエスが十字架に掛かりすべての人の罪を購われた場所です。ここに主への礼拝の姿勢が表されています。私たちもまた自ら犠牲を払い、罪を悔い改めて心からの礼拝を主に捧げる者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.24.17-25.ja1955
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【今日の聖句】 2020/03/30

2020-03-30 05:30:38 | 今日の聖句
詩編 68:20 新共同訳

主をたたえよ
日々、わたしたちを担い、救われる神を。 〔セラ

主なる神は日々私たちを担い、真の救いへと導き入れてくださるお方です。この偉大なる主の御名をほめたたえ、救いの御業を成し遂げてくださった主に感謝を捧げる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.68.20.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/29

2020-03-29 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 23:1-7

これはダビデの最後の言葉である。エッサイの子ダビデの託宣、すなわち高く挙げられた人、ヤコブの神に油を注がれた人、イスラエルの良き歌びとの託宣。 「主の霊はわたしによって語る、その言葉はわたしの舌の上にある。 イスラエルの神は語られた、イスラエルの岩はわたしに言われた、『人を正しく治める者、神を恐れて、治める者は、 朝の光のように、雲のない朝に、輝きでる太陽のように、地に若草を芽ばえさせる雨のように人に臨む』。 まことに、わが家はそのように、神と共にあるではないか。それは、神が、よろず備わって確かなとこしえの契約をわたしと結ばれたからだ。どうして彼はわたしの救と願いを、皆なしとげられぬことがあろうか。 しかし、よこしまな人は、いばらのようで、手をもって取ることができないゆえ、みな共に捨てられるであろう。 これに触れようとする人は鉄や、やりの柄をもって武装する、彼らはことごとく火で焼かれるであろう」。

この箇所は22篇のように詩篇としてはまとめられていませんが、ダビデがその生涯において最後に歌った讃美の言葉です。まさに自分の人生の総括としてその生涯を振り返り、自らの経験として確かめることができた神への信頼の言葉を述べたものです。神の国イスラエルの王として立てられた自分を支えてくださったのは神ご自身であるとの確信が、ダビデを王たらしめたのです。このダビデ契約の故に、ダビデの子孫としてこの世にお生まれなさった主イエスにより、神は永遠の御国を打ち立ててくださいます。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.23.1-7.ja1955

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サムエル記下 23:8-17

ダビデの勇士たちの名は次のとおりである。タクモンびとヨセブ・バッセベテはかの三人のうちの長であったが、彼はいちじに八百人に向かって、やりをふるい、それを殺した。 彼の次はアホアびとドドの子エレアザルであって、三勇士のひとりである。彼は、戦おうとしてそこに集まったペリシテびとに向かって戦いをいどみ、イスラエルの人々が退いた時、ダビデと共にいたが、 立ってペリシテびとを撃ち、ついに手が疲れ、手がつるぎに着いて離れないほどになった。その日、主は大いなる勝利を与えられた。民は彼のあとに帰ってきて、ただ殺された者をはぎ取るばかりであった。 彼の次はハラルびとアゲの子シャンマであった。ある時、ペリシテびとはレヒに集まった。そこに一面にレンズ豆を作った地所があった。民はペリシテびとの前から逃げたが、 彼はその地所の中に立って、これを防ぎ、ペリシテびとを殺した。そして主は大いなる救を与えられた。 三十人の長たちのうちの三人は下って行って刈入れのころに、アドラムのほら穴にいるダビデのもとにきた。時にペリシテびとの一隊はレパイムの谷に陣を取っていた。 その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、 ダビデは、せつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。 そこでその三人の勇士たちはペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水を汲み取って、ダビデのもとに携えてきた。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、主の前にそれを注いで、 言った、「主よ、わたしは断じて飲むことをいたしません。いのちをかけて行った人々の血を、どうしてわたしは飲むことができましょう」。こうして彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士はこれらのことを行った。

ダビデの生涯は、イスラエルを脅かす近隣諸国の敵たちとの戦いの連続でした。その中でダビデを支えた3勇士と称された、タクモンびとヨセブ・バッセベテ、アホアびとドドの子エレアザル、ハラルびとアゲの子シャンマの名が記されています。彼らは多くの敵を倒しただけでなく、ダビデがアドラムの洞穴で逃亡生活を送っていた最中、故郷ベツレヘムがペリシテ人の手に陥ちていることを嘆き、井戸の水を切望したところ、果敢にも敵陣を突破してダビデのためにベツレヘムの門の傍らにある井戸の水を汲んできました。ダビデは3勇士の命懸けの勇敢な行動を称え、その水を自分で飲むことができず、感謝して神に捧げました。人間的には、せっかくダビデのために汲んできたのになぜ飲まなかったのかと疑問に思うところですが、自分よりも神を第一とする生涯を貫いてきたダビデをよく知る人の視点から見たら、これは何よりの栄誉であるとわかります。私たちは常に神視点、神の祝福を受ける者の視点に立って生きることが大切です。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.23.8-17.ja1955

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サムエル記下 23:18-39

ゼルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイは三十人の長であった。彼は三百人に向かって、やりをふるい、それを殺した。そして、彼は三人と共に名を得た。 彼は三十人のうち最も尊ばれた者で、彼らの長となった。しかし、かの三人には及ばなかった。 エホヤダの子ベナヤはカブジエル出身の勇士であって、多くのてがらを立てた。彼はモアブのアリエルのふたりの子を撃ち殺した。彼はまた雪の日に下っていって、穴の中でししを撃ち殺した。 彼はまた姿のうるわしいエジプトびとを撃ち殺した。そのエジプトびとは手にやりを持っていたが、ベナヤはつえをとってその所に下っていき、エジプトびとの手からやりをもぎとって、そのやりをもって殺した。 エホヤダの子ベナヤはこれらの事をして三勇士と共に名を得た。 彼は三十人のうちに有名であったが、かの三人には及ばなかった。ダビデは彼を侍衛の長とした。 三十人のうちにあったのは、ヨアブの兄弟アサヘル。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。 ハロデ出身のシャンマ。ハロデ出身のエリカ。 パルテびとヘレヅ。テコア出身のイッケシの子イラ。 アナトテ出身のアビエゼル。ホシャびとメブンナイ。 アホアびとザルモン。ネトパ出身のマハライ。 ネトパ出身のバアナの子ヘレブ。ベニヤミンびとのギベアから出たリバイの子イッタイ。 ピラトンのベナヤ。ガアシの谷出身のヒダイ。 アルバテびとアビアルボン。バホリム出身のアズマウテ。 シャルボン出身のエリヤバ。ヤセンの子たち。ヨナタン。 ハラルびとシャンマ。ハラルびとシャラルの子アヒアム。 マアカ出身のアハスバイの子エリペレテ。ギロ出身のアヒトペルの子エリアム。 カルメル出身のヘヅロ。アルバびとパアライ。 ゾバ出身のナタンの子イガル。ガドびとバニ。 アンモンびとゼレク。ゼルヤの子ヨアブの武器を執る者、ベエロテ出身のナハライ。 イテルびとイラ。イテルびとガレブ。 ヘテびとウリヤ。合わせて三十七人である。

ダビデの3勇士の他に、ヨアブの兄弟アビシャイ、エホヤダの子ベナヤという2名の大勇士がおり、更にその他に30人の勇士と呼ばれた人々がいました。ここでダビデの勇士に名の記された人々の名が記されていますが、その人数はダビデの3勇士+それに次ぐ2人の勇士+30とするならば合計35人となるはずで、計算が合いません。これはアサヘルとウリヤが既に亡くなっていたため、2人の欠員を追加して、累計32人の勇士の名を挙げたものであると思われます。いかに優れた、神に選ばれた指導者であっても、それを助け支える人々の存在がなければ、国として、組織として、成り立ちません。私たちもまた神の御国を助け支える信仰の勇士の一人であるとの自覚を持って、主に従う者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.23.18-39.ja1955
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【今日の聖句】 2020/03/29

2020-03-29 06:45:45 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 3:16 新共同訳

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

聖書の中の聖書とも呼ばれる有名なこの箇所の御言葉に、神の愛と永遠の罪の赦しの真髄が凝縮されています。一方的なまでの神の愛を受けて、自らの罪と真摯に向き合い、心から悔い改めて主に立ち返り、永遠の滅びから永遠のいのちへと移されるさいわいに与る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.3.16.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/28

2020-03-28 11:40:40 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 22:1-7

ダビデは主がもろもろの敵の手とサウルの手から、自分を救い出された日に、この歌の言葉を主に向かって述べ、 彼は言った、「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、 わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救の角、わが高きやぐら、わが避け所、わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。 わたしは、ほめまつるべき主に呼ばわって、わたしの敵から救われる。 死の波はわたしをとりまき、滅びの大水はわたしを襲った。 陰府の綱はわたしをとりかこみ、死のわなはわたしに、たち向かった。 苦難のうちにわたしは主を呼び、またわが神に呼ばわった。主がその宮からわたしの声を聞かれて、わたしの叫びはその耳にとどいた。」

この箇所は、詩篇18篇とほぼ同じ内容です。その前文には【指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。主がダビデをすべての敵の手、また、サウルの手から救い出されたとき、彼はこの歌の言葉を主に述べた。】とあります。この冒頭に記された様々な言葉で形容された書き出しは、ダビデがいかに主を頼みとし、全幅の信頼を寄せていたかがわかります。そして何よりも大切なことは、主は自分の叫びの声を必ず聞き届けてくださるとの信仰です。この信仰がなければ、私たちの祈りは実に虚しいものです。目には見えない神を信じるということは、神が確かに存在され、生きて働かれるという信仰なしには生まれません。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.22.1-7.ja1955

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サムエル記下 22:8-20

「その時地は震いうごき、天の基はゆるぎふるえた。彼が怒られたからである。 煙はその鼻からたち上り、火はその口から出て焼きつくし、白熱の炭は彼から燃え出た。 彼は天を低くして下られ、暗やみが彼の足の下にあった。 彼はケルブに乗って飛び、風の翼に乗ってあらわれた。 彼はその周囲に幕屋として、やみと濃き雲と水の集まりとを置かれた。 そのみ前の輝きから炭火が燃え出た。 主は天から雷をとどろかせ、いと高き者は声を出された。 彼はまた矢を放って彼らを散らし、いなずまを放って彼らを撃ち破られた。 主のとがめと、その鼻のいぶきとによって、海の底はあらわれ、世界の基が、あらわになった。 彼は高き所から手を伸べてわたしを捕え、大水の中からわたしを引き上げ、 わたしの強い敵と、わたしを憎む者とからわたしを救われた。彼らはわたしにとって、あまりにも強かったからだ。 彼らはわたしの災の日にわたしに、たち向かった。しかし主はわたしの支柱となられた。 彼はまたわたしを広い所へ引きだされ、わたしを喜ばれて、救ってくださった。」

神の介入は、人の目に見えないかたちで働かれることもあり、目に見える現象で表されることもあります。ダビデの人生の中で、敵との戦いの際に、天変地異や自然現象を通して勝利に導かれたことが度々ありました。それを単なるラッキーと捉えるか、主が自分を助けるために大自然さえも動かしてくださったと捉えるか、私たちの信仰の目が試されます。主が働かれたと考えざるを得ない状況を認める信仰は、常日頃から主に祈り、主の御心を求めつつ生きる敬虔な生活を通してはじめて培われます。いつも気まぐれで行き当たりばったり、出たとこ勝負で結果オーライなハッタリの人生からは、主の御手の介在を見る信仰の目は養われません。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.22.8-20.ja1955

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サムエル記下 22:21-30

「主はわたしの義にしたがってわたしに報い、わたしの手の清きにしたがってわたしに報いかえされた。 それは、わたしが主の道を守り、悪を行わず、わが神から離れたことがないからである。 そのすべてのおきてはわたしの前にあって、わたしはその、み定めを離れたことがない。 わたしは主の前に欠けた所なく、自らを守って罪を犯さなかった。 それゆえ、主はわたしの義にしたがい、その目のまえにわたしの清きにしたがって、わたしに報いられた。 忠実な者には、あなたは忠実な者となり、欠けた所のない人には、あなたは欠けた所のない者となり、 清い者には、あなたは清い者となり、まがった者には、かたいぢな者となられる。 あなたはへりくだる民を救われる、しかしあなたの目は高ぶる者を見てこれをひくくせられる。 まことに、主よ、あなたはわたしのともし火、わが神はわたしのやみを照される。 まことに、あなたによってわたしは敵軍をふみ滅ぼし、わが神によって石がきをとび越えることができる。」

ダビデの生涯を通していくつかの失敗はありましたが、どうして自らを義と公言することができたのでしょうか。それは常に主の御心を求め、過ちを正し、軌道修正しながら生きたという確信があったからです。自らが王となった後も高ぶることなく、神を第一とし、御言葉の教えに聞き従い、人を立て、自らの非を隠し立てすることなく直ちに悔い改めつつ、常に聖なる者とならんとして、主の御前に忠実に歩んだとの自負は、私たちも抱いて良いのではないでしょうか。神と人とに対するダビデの心をわが心とし、神に対して真っ直ぐな、義の王道の真ん中を、右にも左にも逸れず、大胆に歩み続けることのできる者とならせていただきたいと願います。

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サムエル記下 22:31-37

「この神こそ、その道は非のうちどころなく、主の約束は真実である。彼はすべて彼に寄り頼む者の盾である。 主のほかに、だれが神か、われらの神のほか、だれが岩であるか。 この神こそわたしの堅固な避け所であり、わたしの道を安全にされた。 わたしの足をめじかの足のようにして、わたしを高い所に安全に立たせ、 わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓を引くことができる。 あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの助けは、わたしを大いなる者とされた。 あなたはわたしが歩く広い場所を与えられたので、わたしの足はすべらなかった。」

主を頼みとし、わが神として常に前に置き、悩みの時の避け所とする者は、その人生すべてが主に守られ、いかなる試練の中に置かれても平安の内に歩むことができます。この信仰の力こそ、人の力では到底及びも付かないまさに神の力、揺るぎない確信に基づく永遠の約束です。私たちが主の御前に大いなる者とされるのも、あふれるばかりの神の祝福を十二分にいただくことができるのも、すべて真実であられる神への絶対的信頼から生まれます。

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サムエル記下 22:38-51

「わたしは敵を追って、これを滅ぼし、これを絶やすまでは帰らなかった。 わたしは彼らを絶やし、彼らを砕いたので彼らは立つことができず、わたしの足もとに倒れた。 あなたは戦いのために、わたしに力を帯びさせわたしを攻める者をわたしの下にかがませられた。 あなたによって、敵はそのうしろをわたしに向けたので、わたしを憎む者をわたしは滅ぼした。 彼らは見まわしたが、救う者はいなかった。彼らは主に叫んだが、彼らには答えられなかった。 わたしは彼らを地のちりのように細かに打ちくだき、ちまたのどろのように、踏みにじった。 あなたはわたしを国々の民との争いから救い出し、わたしをもろもろの国民のかしらとされた。わたしの知らなかった民がわたしに仕えた。 異国の人たちはきてわたしにこび、わたしの事を聞くとすぐわたしに従った。 異国の人たちは、うちしおれてその城からふるえながら出てきた。 主は生きておられる。わが岩はほむべきかな。わが神、わが救の岩はあがむべきかな。 この神はわたしのために、あだを報い、もろもろの民をわたしの下に置かれた。 またわたしを敵から救い出し、あだの上にわたしをあげ、暴虐の人々からわたしを救い出された。 それゆえ、主よ、わたしはもろもろの国民の中で、あなたをたたえ、あなたの、み名をほめ歌うであろう。 主はその王に大いなる勝利を与え、油を注がれた者に、ダビデとその子孫とに、とこしえに、いつくしみを施される」。

神は私たちの対人関係の中にも働かれます。私たちに敵対する者が現れ、いかに強くとも、最後に勝利するのは神に信頼する者です。敵対関係にある者の存在によって、私たちは何があっても神に信頼し、常に救いを祈り求めることを学ぶことができます。試練は最大のチャンス、敵は勝利の導火線です。神は弱き者の味方、真実な者の助け手、ただ主に信頼する者の力となって、あらゆる人々の前に栄光をお取りになり、ご自身の神であることを顕されます。私たちはただこの神に寄り頼み、その大いなる御業をほめたたえ、この世に神のいますことを証する生涯を送ることが何よりのさいわいです。

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【今日の聖句】 2020/03/28

2020-03-28 07:20:42 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 10:11 新共同訳

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

羊飼いが自分の愛する羊を守るために、命懸けで野獣と戦い、その牙から救い出すように、主イエスは私たちを罪から救い出すために自ら十字架に掛かり、命を捨てられました。すべての人の罪を購う贖罪の子羊となられた主イエスに心から感謝し、罪を悔い改め、主に立ち返る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.10.11.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/27

2020-03-27 07:55:55 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 21:1-6

ダビデの世に、年また年と三年、ききんがあったので、ダビデが主に尋ねたところ、主は言われた、「サウルとその家とに、血を流した罪がある。それはかつて彼がギベオンびとを殺したためである」。 そこで王はギベオンびとを召しよせた。ギベオンびとはイスラエルの子孫ではなく、アモリびとの残りであって、イスラエルの人々は彼らと誓いを立てて、その命を助けた。ところがサウルはイスラエルとユダの人々のために熱心であったので、彼らを殺そうとしたのである。 それでダビデはギベオンびとに言った、「わたしはあなたがたのために、何をすればよいのですか。どんな償いをすれば、あなたがたは主の嗣業を祝福するのですか」。 ギベオンびとは彼に言った、「これはわれわれと、サウルまたはその家との間の金銀の問題ではありません。またイスラエルのうちのひとりでも、われわれが殺そうというのでもありません」。ダビデは言った、「わたしがあなたがたのために何をすればよいと言うのですか」。 かれらは王に言った、「われわれを滅ぼした人、われわれを滅ぼしてイスラエルの領域のどこにもおらせないようにと、たくらんだ人、 その人の子孫七人を引き渡してください。われわれは主の山にあるギベオンで、彼らを主の前に木にかけましょう」。王は言った、「引き渡しましょう」。

ダビデが王として全イスラエルを治めていた最中に、3年間の飢饉に見舞われました。そのときダビデはその原因を主に尋ね求めました。それはダビデが恵みも試練も主が賜るものと信じていたからです。その結果、先代の王サウルがギベオンの人々を虐殺した罪の報いだと示されました。ギベオン人は元々イスラエルの民ではありませんでしたが、エリコとアイを滅ぼしたヨシュアと戦うことを避けて、イスラエルの中に寄留する民となったのでした。サウルの行った罪はギベオンの人々とヨシュアが結んだ不可侵条約を破ることだったのです。この事件はダビデとは直接関係のないことでしたが、ダビデは神の民イスラエルを代表して過去の罪を清算するためにどのようにして償うべきか、ギベオンの人々に問いました。すると彼らは、自分たちに悪を行ったサウルの子孫7人を引き渡し、木に掛けて呪うことによって過去の罪を帳消しにすると答えました。共同体の罪は、誰かが必ず償わなければならないのです。私たちも時折、自分が行った罪ではないのに、一族や組織を代表して謝罪したり償わなければならない場面に遭遇することがあります。そのとき自分には関係ないと拒絶したり、仕方なく嫌々受け止めるのではなく、罪は罪として真摯に謝罪し、償うべきことは償って、いつまでもこの罪を引きずった生き方からいち早く脱却しなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.21.1-6.ja1955

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サムエル記下 21:7-14

しかし王はサウルの子ヨナタンの子であるメピボセテを惜しんだ。彼らの間、すなわちダビデとサウルの子ヨナタンとの間に、主をさして立てた誓いがあったからである。 王はアヤの娘リヅパがサウルに産んだふたりの子アルモニとメピボセテ、およびサウルの娘メラブがメホラびとバルジライの子アデリエルに産んだ五人の子を取って、 彼らをギベオンびとの手に引き渡したので、ギベオンびとは彼らを山で主の前に木にかけた。彼ら七人は共に倒れた。彼らは刈入れの初めの日、すなわち大麦刈りの初めに殺された。 アヤの娘リヅパは荒布をとって、それを自分のために岩の上に敷き、刈入れの初めから、その人々の死体の上に天から雨が降るまで、昼は空の鳥が死体の上にこないようにし、夜は野の獣を近寄らせなかった。 アヤの娘でサウルのめかけであったリヅパのしたことがダビデに聞えたので、 ダビデは行ってサウルの骨とその子ヨナタンの骨を、ヤベシギレアデの人々の所から取ってきた。これはペリシテびとがサウルをギルボアで殺した日に、木にかけたベテシャンの広場から、彼らが盗んでいたものである。 ダビデはそこからサウルの骨と、その子ヨナタンの骨を携えて上った。また人々はそのかけられた者どもの骨を集めた。 こうして彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のゼラにあるその父キシの墓に葬り、すべて王の命じたようにした。この後、神はその地のために、祈を聞かれた。

サウルの子孫をギベオンの人々に引き渡すことを約束したダビデでしたが、ヨナタンの子メピボセテを引き渡すことだけはどうしてもできず、他にサウルの子孫の生き残りがいないか調べさせた結果、サウルの妾だった者の子孫が7人いることが判明しました。そこでダビデはその7人をギベオン人に引き渡し、彼らはサウルの子孫を7名、処刑して木に掛けることによって、過去の怨恨を晴らしました。しかしサウルの妾の子孫だった人々からしたら、突然愛する家族を奪われて悲嘆の中に暮れていました。その一人、アヤの娘リヅパは、ギベオン人に殺害された遺体が野鳥や野獣の餌食にならないよう、大麦の刈り入れの時期から小麦の刈り入れ前に降る後の雨の時期に至るまで、荒布をまとってずっと番をしていました。その出来事がダビデの耳に入り、ダビデはサウル一家を弔うために、ヤベシギレアデの人々が葬ったサウルとヨナタンの遺骨を、故郷の地、ベニヤミン部族の町ゼラにあるサウルの父キシの墓に葬りました。すると神はダビデの祈りを聞かれ、3年続いた飢饉から解放されました。過去の罪を償い、そのために犠牲になった人々の悲しみを癒すことを通して、神は私たちの祈りに答えてくださいます。口先だけの謝罪だけに留まらず、具体的な償いの実践を通して、真の祝福を回復させていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.21.7-14.ja1955

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サムエル記下 21:15-22

ペリシテびとはまたイスラエルと戦争をした。ダビデはその家来たちと共に下ってペリシテびとと戦ったが、ダビデは疲れていた。 時にイシビベノブはダビデを殺そうと思った。イシビベノブは巨人の子孫で、そのやりは青銅で重さ三百シケルあり、彼は新しいつるぎを帯びていた。 しかしゼルヤの子アビシャイはダビデを助けて、そのペリシテびとを撃ち殺した。そこでダビデの従者たちは彼に誓って言った、「あなたはわれわれと共に、重ねて戦争に出てはなりません。さもないと、あなたはイスラエルのともし火を消すでしょう」。 この後、再びゴブでペリシテびととの戦いがあった。時にホシャびとシベカイは巨人の子孫のひとりサフを殺した。 ここにまたゴブで、ペリシテびととの戦いがあったが、そこではベツレヘムびとヤレオレギムの子エルハナンは、ガテびとゴリアテを殺した。そのやりの柄は機の巻棒のようであった。 またガテで再び戦いがあったが、そこにひとりの背の高い人があり、その手の指と足の指は六本ずつで、その数は合わせて二十四本であった。彼もまた巨人から生れた者であった。 彼はイスラエルをののしったので、ダビデの兄弟シメアの子ヨナタンが彼を殺した。 これらの四人はガテで巨人から生れた者であったが、ダビデの手とその家来たちの手に倒れた。

14節までのエピソードと場面は変わって、イスラエルの宿敵ペリシテ人との戦いについて記されています。主はダビデを通してペリシテ人との戦いに勝利をもたらし、イスラエルの平和を保たれましたが、ダビデ自身も年老い、肉体的にも徐々に衰えて、最前線に出て自ら戦うにも疲れを覚える歳に差し掛かってきました。そのときペリシテの巨人族の残党イシビベノブがダビデに襲いかかって殺害しようとしたところを、ヨアブの兄弟アビシャイが助けたため、ダビデは危機一髪でいのちを奪われずに済みました。そこでアビシャイはダビデに、王のいのちは失われてはならない一国の宝であるのだから、これ以上最前線に出て自ら戦わないようにと進言し、ダビデもアビシャイの言葉を受け入れました。私たちもまた、いつまでも自らが先頭に立って陣頭指揮を取ることに固執することなく、運営や現場を次の世代に委ね、自らは背後で支える立場に回る時期が必ず来ます。私たちの信仰はそのようにして先人から代々受け継がれてきた宝であることを覚え、世代交代を前提にした次世代育成を心掛け、その時が来たら素直に身を引く潔さを身に付けなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.21.15-22.ja1955
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【今日の聖句】 2020/03/27

2020-03-27 05:30:30 | 今日の聖句
フィリピの信徒への手紙 4:19 新共同訳

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

恵み豊かなる神は私たちの必要をすべてご存じであられ、その栄光の富の中からあふれるほどに与えてくださる、気前の良いお方です。主イエスの御名によって求めるものはすべて得たりと、先取りの信仰をもって、必要以上を求め過ぎず、与えられているもので満ち足りることを知る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/php.4.19.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/26

2020-03-26 12:10:40 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 20:1-7

さて、その所にひとりのよこしまな人があって、名をシバといった。ビクリの子で、ベニヤミンびとであった。彼はラッパを吹いて言った、「われわれはダビデのうちに分がない。またエッサイの子のうちに嗣業を持たない。イスラエルよ、おのおのその天幕に帰りなさい」。 そこでイスラエルの人々は皆ダビデに従う事をやめて、ビクリの子シバに従った。しかしユダの人々はその王につき従って、ヨルダンからエルサレムへ行った。 ダビデはエルサレムの自分の家にきた。そして王は家を守るために残しておいた十人のめかけたちを取って、一つの家に入れて守り、また養ったが、彼女たちの所には、はいらなかった。彼女たちは死ぬ日まで閉じこめられ一生、寡婦としてすごした。 王はアマサに言った、「わたしのため三日のうちにユダの人々を呼び集めて、ここにきなさい」。 アマサはユダを呼び集めるために行ったが、彼は定められた時よりもおくれた。 ダビデはアビシャイに言った、「ビクリの子シバは今われわれにアブサロムよりも多くの害をするであろう。あなたの主君の家来たちを率いて、彼のあとを追いなさい。さもないと彼は堅固な町々を獲て、われわれを悩ますであろう」。 こうしてヨアブとケレテびととペレテびと、およびすべての勇士はアビシャイに従って出た。すなわち彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シバのあとを追った。

アブサロムによるクーデターが失敗した後、ダビデを再びイスラエルの王としてエルサレムに連れ戻そうとしたユダ部族と、他のイスラエルの部族間で、新たな政権体制下での覇権争いが勃発し、ビクリの子シバは、ユダ部族主導でダビデを王とする動きに反感を抱いたイスラエルの人々を煽動し、ダビデに従うことをやめさせて新たな反乱分子となりました。ここで聖書はシバを「よこしまな人」と紹介していますが、この言葉はヘブル語で「ベリッヤアル」というサタンの別の呼び名と同じ単語が用いられています。この動向に危機感を抱いたダビデは、アブサロムを殺害したヨアブに代えて軍の長としたアマサに、3日の内にユダ族を召集して反逆を抑えようとしましたが、元々アブサロム軍の長であったアマサには期限内に人々を召集することができませんでした。そこでダビデはヨアブの兄弟アビシャイに、ビクリの子シバに従う反逆軍を追撃するようにと命じました。国政だけに限らず、人々の平和と一致を妨げる要因は、一刻も早くその芽を摘み取っておかなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.20.1-7.ja1955

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サムエル記下 20:8-13

彼らがギベオンにある大石のところにいた時、アマサがきて彼らに会った。時にヨアブは軍服を着て、帯をしめ、その上にさやに納めたつるぎを腰に結んで帯びていたが、彼が進み出た時つるぎは抜け落ちた。 ヨアブはアマサに、「兄弟よ、あなたは安らかですか」と言って、ヨアブは右の手をもってアマサのひげを捕えて彼に口づけしようとしたが、 アマサはヨアブの手につるぎがあることに気づかなかったので、ヨアブはそれをもってアマサの腹部を刺して、そのはらわたを地に流し出し、重ねて撃つこともなく彼を殺した。こうしてヨアブとその兄弟アビシャイはビクリの子シバのあとを追った。 時にヨアブの若者のひとりがアマサのかたわらに立って言った、「ヨアブに味方する者、ダビデにつく者はヨアブのあとに従いなさい」。 アマサは血に染んで大路の中にころがっていたので、そのそばに来る者はみな彼を見て立ちどまった。この人は民がみな立ちどまるのを見て、アマサを大路から畑に移し、衣服をその上にかけた。 アマサが大路から移されたので、民は皆ヨアブに従って進み、ビクリの子シバのあとを追った。

ダビデ王の命を受けて反逆の首謀者シバを追ってギベオンに到着したアビシャイとヨアブに、出遅れたアマサがようやく追いつきました。すると自分の地位をアマサに奪われたヨアブは、剣を隠し持って近付き、一突きでアマサを暗殺してしまいました。するとヨアブの従者であった若者が、ダビデにつく者はヨアブに従いなさいと号令を掛け、道の傍らに倒れていたたアマサの遺体を畑にどけて服を被せたので、ユダの人々は皆、ヨアブに従ってビクリの子シバの追撃を続けました。ヨアブは軍人として、また政治的手腕にも長けた有能な人物でしたが、以前にもサウル一族の大将であったアブネルをダビデの意に反して暗殺した、自らの地位を守るためには手段を選ばない危険人物でした。今回の一連の行動にも、ダビデも神も関与していません。私たちも自己実現のために神の御心に反することをしていないか、自らの行動パターンを点検して反省することが必要です。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.20.8-13.ja1955

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サムエル記下 20:14-26

シバはイスラエルのすべての部族のうちを通ってベテマアカのアベルにきた。ビクリびとは皆、集まってきて彼に従った。 そこでヨアブと共にいたすべての人々がきて、彼をベテマアカのアベルに囲み、町に向かって土塁を築いた。それはとりでに向かって立てられた。こうして彼らは城壁をくずそうとしてこれを撃った。 その時、ひとりの賢い女が町から呼ばわった、「あなたがたは聞きなさい。あなたがたは聞きなさい。ヨアブに、『ここにきてください。わたしはあなたに言うことがあります』と言ってください」。 彼がその女に近寄ると、女は「あなたがヨアブですか」と言った。彼は「そうです」と答えた。すると女は彼に「はしための言葉をお聞きください」と言ったので、「聞きましょう」と彼は言った。 そこで女は言った、「昔、人々はいつも、『アベルで尋ねなさい』と言って、事を定めました。 わたしはイスラエルのうちの平和な、忠誠な者です。そうであるのに、あなたはイスラエルのうちで母ともいうべき町を滅ぼそうとしておられます。どうして主の嗣業を、のみ尽そうとされるのですか」。 ヨアブは答えた、「いいえ、決してそうではなく、わたしが、のみ尽したり、滅ぼしたりすることはありません。 事実はそうではなく、エフライムの山地の人ビクリの子、名をシバという者が手をあげて王ダビデにそむいたのです。あなたがたが彼ひとりを渡すならば、わたしはこの町を去ります」。女はヨアブに言った、「彼の首は城壁の上からあなたの所へ投げられるでしょう」。 こうしてこの女が知恵をもって、すべての民の所に行ったので、彼らはビクリの子シバの首をはねてヨアブの所へ投げ出した。そこでヨアブはラッパを吹きならしたので、人々は散って町を去り、おのおの家に帰った。ヨアブはエルサレムにいる王のもとに帰った。 ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。エホヤダの子ベナヤはケレテびと、およびペレテびとの長、 アドラムは徴募人の長、アヒルデの子ヨシャパテは史官、 シワは書記官、ザドクとアビヤタルとは祭司。 またヤイルびとイラはダビデの祭司であった。

ダビデに反旗を翻したビクリの子シバはイスラエル全部族の嗣業の地を行き巡って、自分に付き従う人々を集めてイスラエル北部の町ベテマアカのアベルに砦を築き、籠城しました。一方、シバを追撃したヨアブは全軍を率いてアベルを取り囲み、砦の城壁を崩し始めました。するとアベルにいた一人の賢い女性がヨアブを呼び出し、主の嗣業の地を滅ぼそうとするのか?と問いました。するとヨアブは、自分たちが求めているのは反乱の首謀者であるビクリの子シバただ一人であり、彼の首を渡せば町にも他の人々にも危害を加えないと答えたため、この女性は町の人々を説得してビクリの子シバの首をはね、城壁の外にいるヨアブの前に投げ落としたため、ヨアブは戦いの終結を知らせるラッパを吹き鳴らし、エルサレムにいるダビデの元に帰還しました。このようにして一人の賢い女性の知恵が無駄な戦いを回避し、アベルの町と多くの人々の命を救ったのです。私たちの信じる神は平和を愛されるお方であり、無益な戦いを避け、多くの命が奪われないことを何よりも望んでおられます。私たちもまた知恵を用い、神の御心に適う、平和を作り出す者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.20.14-26.ja1955
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【今日の聖句】 2020/03/26

2020-03-26 05:40:30 | 今日の聖句
マタイによる福音書 5:9 新共同訳

平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。

平和を実現するために労する者は、平和を愛される神の御心を誰よりもよく知る者です。御言葉の教えを守り行い、争いや諍いを避けて、天に平和があるようにこの地上においても神の御心に適う平和な社会を形成する一翼を担う私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.5.9.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/25

2020-03-25 12:45:30 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 19:1-8

時にヨアブに告げる者があって、「見よ、王はアブサロムのために泣き悲しんでいる」と言った。 こうしてその日の勝利はすべての民の悲しみとなった。それはその日、民が、「王はその子のために悲しんでいる」と人の言うのを聞いたからである。 そして民はその日、戦いに逃げて恥じている民がひそかに、はいるように、ひそかに町にはいった。 王は顔をおおった。そして王は大声に叫んで、「わが子アブサロムよ。アブサロム、わが子よ、わが子よ」と言った。 時にヨアブは家にはいり、王のもとにきて言った、「あなたは、きょう、あなたの命と、あなたのむすこ娘たちの命、およびあなたの妻たちの命と、めかけたちの命を救ったすべての家来の顔をはずかしめられました。 それはあなたが自分を憎む者を愛し、自分を愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、軍の長たちをも、しもべたちをも顧みないことを示されました。きょう、わたしは知りました。もし、アブサロムが生きていて、われわれが皆きょう死んでいたら、あなたの目にかなったでしょう。 今立って出て行って、しもべたちにねんごろに語ってください。わたしは主をさして誓います。もしあなたが出られないならば、今夜あなたと共にとどまる者はひとりもないでしょう。これはあなたが若い時から今までにこうむられたすべての災よりも、あなたにとって悪いでしょう」。 そこで王は立って門のうちの座についた。人々はすべての民に、「見よ、王は門に座している」と告げたので、民はみな王の前にきた。さてイスラエルはおのおのその天幕に逃げ帰った。

反乱軍に勝利したものの、首謀者であるアブサロムの死をなりふり構わず嘆き悲嘆に暮れたダビデ王の姿を見た戦士たちは意気消沈し、戦勝を喜び祝うどころか一転、お葬式のように暗い空気に包まれてしまいました。見かねた軍の将ヨアブはダビデの元に出向き、王が泣き叫んでいる姿をさらけ出すことによって、命を懸けて戦った兵士たちの忠誠心を大きく挫き、ダビデに付き従ってきた人々が造反してしまうと指摘し、せめて兵士たちの労にねぎらいの言葉を掛けるようにと諭しました。ヨアブの提言によって我に返ったダビデは、アブサロムのために泣くことをやめ、門に座して民の前に出ました。一国の王たる者、個人的な感情に流されて、民全体に悪影響を与えてはなりません。私たちも同様に、人の気持ちを第一に想い計る者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.19.1-8.ja1955

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サムエル記下 19:9-15

そしてイスラエルのもろもろの部族の中で民はみな争って言った、「王はわれわれを敵の手から救い出し、またわれわれをペリシテびとの手から助け出された。しかし今はアブサロムのために国のそとに逃げておられる。 またわれわれが油を注いで、われわれの上に立てたアブサロムは戦いで死んだ。それであるのに、どうしてあなたがたは王を導きかえることについて、何をも言わないのか」。 ダビデ王は祭司たちザドクとアビヤタルとに人をつかわして言った、「ユダの長老たちに言いなさい、『全イスラエルの言葉が王に達したのに、どうしてあなたがたは王をその家に導きかえる最後の者となるのですか。 あなたがたはわたしの兄弟、わたしの骨肉です。それにどうして王を導きかえる最後の者となるのですか』。 またアマサに言いなさい、『あなたはわたしの骨肉ではありませんか。これから後あなたをヨアブに代えて、わたしの軍の長とします。もしそうしないときは、神が幾重にもわたしを罰してくださるように』」。 こうしてダビデはユダのすべての人の心を、ひとりのように自分に傾けさせたので、彼らは王に、「どうぞあなたも、すべての家来たちも帰ってきてください」と言いおくった。 そこで王は帰ってきてヨルダンまで来ると、ユダの人人は王を迎えるためギルガルにきて、王にヨルダンを渡らせた。

アブサロムの反乱によって真っ二つに分かれたイスラエルの民の心を、再び元通りに戻すことは至難の業でした。イスラエルの多数派が王として立てたアブサロム亡き後、再びダビデを王とするか、部族ごとに意見が分かれました。そこでダビデはエルサレムに留まった祭司ザドクとアビヤタルを通して、自らの出身であるユダ部族に向かい、イスラエル全部族に率先してダビデを王として迎えるようにと促しました。するとユダ族の人々は皆ダビデの復権を心から歓迎し、首都エルサレムへの帰還を要請し、ヨルダン川にほど近いギルガルまで出向いてダビデを迎えました。混乱からの復旧には様々な人の見解の違いもあったりして困難を極めますが、本来あるべき姿に戻すために自ら率先して働きかけ、協力する者でありたいと願います。

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サムエル記下 19:16-23

バホリムのベニヤミンびと、ゲラの子シメイは、急いでユダの人々と共に下ってきて、ダビデ王を迎えた。 一千人のベニヤミンびとが彼と共にいた。またサウルの家のしもべヂバもその十五人のむすこと、二十人のしもべを従えて、王の前にヨルダンに駆け下った。 そして王の家族を渡し、王の心にかなうことをしようと渡し場を渡った。ゲラの子シメイはヨルダンを渡ろうとする時、王の前にひれ伏し、 王に言った、「どうぞわが君が、罪をわたしに帰しられないように。またわが君、王のエルサレムを出られた日に、しもべがおこなった悪い事を思い出されないように。どうぞ王がそれを心に留められないように。 しもべは自分が罪を犯したことを知っています。それゆえ、見よ、わたしはきょう、ヨセフの全家のまっ先に下ってきて、わが主、王を迎えるのです」。 ゼルヤの子アビシャイは答えて言った、「シメイは主が油を注がれた者をのろったので、そのために殺されるべきではありませんか」。 ダビデは言った、「あなたがたゼルヤの子たちよ、あなたがたとなにのかかわりがあって、あなたがたはきょうわたしに敵対するのか。きょう、イスラエルのうちで人を殺して良かろうか。わたしが、きょうイスラエルの王となったことを、どうして自分で知らないことがあろうか」。 こうして王はシメイに、「あなたを殺さない」と言って、王は彼に誓った。

アブサロムの反乱を受けてダビデが都落ちしたとき、サウル一族の無念を身に受けたのだとさんざんダビデを呪ったゲラの子シメイは、サウルの同族であるベニヤミン族の人々千人を引き連れて、ダビデを王として迎えようとするユダ部族の人々と一緒にダビデを迎え、自らの非を認めて陳謝し、その罪に報復しないでくださいと嘆願しました。ダビデの家臣アビシャイは、シメイの行為は死に値すると厳罰に処することを進言しましたが、ダビデは王として復権を果たした良き日に人を殺して良いものだろうかと答え、シメイの非礼を許し、そのいのちを奪うことはしないと約束しました。人が自分に対して悪を働いたとしても、悪を以て悪に報いず、むしろ善によって悪に勝利する私たちでありますように。

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サムエル記下 19:24-30

サウルの子メピボセテは下ってきて王を迎えた。彼は王が去った日から安らかに帰る日まで、その足を飾らず、そのひげを整えず、またその着物を洗わなかった。 彼がエルサレムからきて王を迎えた時、王は彼に言った、「メピボセテよ、あなたはどうしてわたしと共に行かなかったのか」。 彼は答えた、「わが主、王よ、わたしの家来がわたしを欺いたのです。しもべは彼に、『わたしのために、ろばにくらを置け。わたしはそれに乗って王と共に行く』と言ったのです。しもべは足なえだからです。 ところが彼はしもべのことをわが主、王の前に、あしざまに言ったのです。しかし、わが主、王は神の使のようでいらせられます。それで、あなたの良いと思われることをしてください。 わたしの父の全家はわが主、王の前にはみな死んだ人にすぎないのに、あなたはしもべを、あなたの食卓で食事をする人々のうちに置かれました。わたしになんの権利があって、重ねて王に訴えることができましょう」。 王は彼に言った、「あなたはどうしてなおも自分のことを言うのですか。わたしは決めました。あなたとヂバとはその土地を分けなさい」。 メピボセテは王に言った、「わが主、王が安らかに家に帰られたのですから、彼にそれをみな取らせてください」。

再びイスラエルの王として戻ってきたダビデを、ヨナタンの子メピボセテも、不自由な身体をおしてわざわざエルサレムから出てきて歓迎しました。ダビデは、都から脱出するときにどうしてついて来なかったのかとメピボセテを責めましたが、メピボセテは、家来に裏切られ、ロバに鞍を置いて自分を連れ出すようにとの命令に反逆し、かえって自分のことをダビデに悪し様に語ったと、僕であったヂバの裏切りを告げました。メピボセテはダビデが帰還するまで髭も整えず、体も洗わずに待っていたことから、彼が本心からダビデに従おうとしていたことは明白でした。そこでダビデはメピボセテとヂバの主従関係を解き、サウル一族の遺産を分割するようにと勧めたところ、メピボセテは財産はすべてヂバに取らせてくださいと、自らはダビデの庇護の元で生きて行く決意を語りました。私たちもまたこの世の財産に固執して生きるのではなく、たとい貧しくなろうとも永遠の王である神と共に生きるさいわいを選び取ることのできる者でありたいと願います。

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サムエル記下 19:31-39

「さてギレアデびとバルジライはロゲリムから下ってきて、ヨルダンで王を見送るため、王と共にヨルダンに進んだ。 バルジライは、ひじょうに年老いた人で八十歳であった。彼はまた、ひじょうに裕福な人であったので、王がマハナイムにとどまっている間、王を養った。 王はバルジライに言った、「わたしと一緒に渡って行きなさい。わたしはエルサレムであなたをわたしと共におらせて養いましょう」。 バルジライは王に言った、「わたしは、なお何年いきながらえるので、王と共にエルサレムに上るのですか。 わたしは今日八十歳です。わたしに、良いこと悪いことがわきまえられるでしょうか。しもべは食べるもの、飲むものを味わうことができましょうか。わたしは歌う男や歌う女の声をまだ聞くことができましょうか。それであるのに、しもべはどうしてなおわが主、王の重荷となってよろしいでしょうか。 しもべは王と共にヨルダンを渡って、ただ少し行きましょう。どうして王はこのような報いをわたしに報いられなければならないのでしょうか。 どうぞしもべを帰らせてください。わたしは自分の町で、父母の墓の近くで死にます。ただし、あなたのしもべキムハムがここにおります。わが主、王と共に彼を渡って行かせてください。またあなたが良いと思われる事を彼にしてください」。 王は答えた、「キムハムはわたしと共に渡って行かせます。わたしは、あなたが良いと思われる事を彼にしましょう。またあなたが望まれることはみな、あなたのためにいたします」。 こうして民はみなヨルダンを渡った。王は渡った時、バルジライに口づけして、祝福したので、彼は自分の家に帰っていった。

ダビデがアブサロムの手を逃れてヨルダン川の東岸、ギレアデの地マナハイムまで落ち延びたとき、ダビデの窮状を憐れみ、生活に必要な品々を惜しみなく供与して一行を支えた地域豪族のバルジライも、エルサレムに帰還するダビデを見送るためにヨルダン川の岸辺までやって来ました。ダビデはそのときの恩を忘れることができず、何とか恩返ししたいと考え、一緒にエルサレムに上って一生養いましょうと提案しました。しかしバルジライは既に80歳と非常に高齢となっているため、故郷のギレアデで余生を過ごし、父母と同じ墓に葬られたいと答えました。その代わり、僕のキムハムをエルサレムに連れて行ってほしいとダビデに頼みました。ダビデはバルジライの要望に応え、キムハムを連れてエルサレムでその恩に報いると約束しました。苦しいときに助けの手を差し伸べてくれた人の恩を、私たちもまた決して忘れることなく、必ず恩に報いるように心掛けなければなりません。

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サムエル記下 19:40-43

王はギルガルに進んだ。キムハムも彼と共に進んだ。ユダの民はみな王を送り、イスラエルの民の半ばもまたそうした。 さてイスラエルの人々はみな王の所にきて、王に言った、「われわれの兄弟であるユダの人々は、何ゆえにあなたを盗み去って、王とその家族、およびダビデに伴っているすべての従者にヨルダンを渡らせたのですか」。 ユダの人々はみなイスラエルの人々に答えた、「王はわれわれの近親だからです。あなたがたはどうしてこの事で怒られるのですか。われわれが少しでも王の物を食べたことがありますか。王が何か賜物をわれわれに与えたことがありますか」。 イスラエルの人々はユダの人々に答えた、「われわれは王のうちに十の分を持っています。またダビデのうちにもわれわれはあなたがたよりも多くを持っています。それであるのに、どうしてあなたがたはわれわれを軽んじたのですか。われらの王を導き帰ろうと最初に言ったのはわれわれではないのですか」。しかしユダの人々の言葉はイスラエルの人々の言葉よりも激しかった。

王位復権を果たしたダビデがヨルダン川を渡ってギルガルに進んだとき、ユダ部族と、アブサロムを王として担ぎ上げた他のイスラエルの10部族との間に軋轢が生じました。イスラエルの人々はなぜユダ族がダビデ王を担ぎ上げてヨルダン川を渡したのかと非難すると、ユダ族はダビデ王が自分たちと同族なのだから当然だと反論しましたが、イスラエル側は自分たちは10部族分の領地を持っているのだしイスラエルの王として迎えようとしたのは自分たちが先だと、双方一歩も引かずに言葉の応報を交わしました。政治的な駆け引きや権力抗争、利権の奪い合いは、このようにギスギスした人間関係を展開させます。このくだりには一切、神の介在はありません。神の働かれないところに人間関係の醜さが凝縮されます。神と共に歩み、円満な人間関係を率先して築く者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.19.40-43.ja1955
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【今日の聖句】 2020/03/25

2020-03-25 05:45:35 | 今日の聖句
詩編 94:19 新共同訳

わたしの胸が思い煩いに占められたとき
あなたの慰めが
わたしの魂の楽しみとなりました。

思い煩いに心が占有されてしまうと、喜びがなくなり笑顔が消えてしまいます。私たちの胸の内を誰よりもご存じであられる主に心を開き、慰めを受けて、この世のものとは異なる神の平安と喜びに満たされ、笑顔を取り戻させていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.94.19.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/03/24

2020-03-24 08:00:32 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 18:1-8

さてダビデは自分と共にいる民を調べて、その上に千人の長、百人の長を立てた。 そしてダビデは民をつかわし、三分の一をヨアブの手に、三分の一をゼルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイの手に、三分の一をガテびとイッタイの手にあずけた。こうして王は民に言った、「わたしもまた必ずあなたがたと一緒に出ます」。 しかし民は言った、「あなたは出てはなりません。それはわれわれがどんなに逃げても、彼らはわれわれに心をとめず、われわれの半ばが死んでも、われわれに心をとめないからです。しかしあなたはわれわれの一万に等しいのです。それゆえあなたは町の中からわれわれを助けてくださる方がよろしい」。 王は彼らに言った、「あなたがたの最も良いと思うことをわたしはしましょう」。こうして王は門のかたわらに立ち、民は皆あるいは百人、あるいは千人となって出て行った。 王はヨアブ、アビシャイおよびイッタイに命じて、「わたしのため、若者アブサロムをおだやかに扱うように」と言った。王がアブサロムの事についてすべての長たちに命じている時、民は皆聞いていた。 こうして民はイスラエルに向かって野に出て行き、エフライムの森で戦ったが、 イスラエルの民はその所でダビデの家来たちの前に敗れた。その日その所に戦死者が多く、二万に及んだ。 そして戦いはあまねくその地のおもてに広がった。この日、森の滅ぼした者は、つるぎの滅ぼした者よりも多かった。

大軍を率いてダビデ一行を包囲したアブサロムを前に、ダビデは愛するわが子との全面戦争に立ち向かわねばなりませんでした。ダビデに従う数少ない戦士を、百人あるいは千人単位に分けて、軍の将ヨアブ、ヨアブの兄弟アビシャイ、異邦人ながらダビデに従ったガテ人イッタイの3人に預け、自らも戦いに出ると言いました。しかし戦士たちは、アブサロム軍が求めているのは目の前の兵を倒すことよりもダビデただ一人の命を求めていると、ダビデが最前線に出ないようにと嘆願したため、ダビデは本陣に留まり、戦いの行く末を見守ることとしました。そして出陣に当たり、すべての兵士たちの聞いている前で、3人の軍の長に、アブサロムの身の安全を確保するようにと依頼しました。このようにして始まったダビデ軍とアブサロム軍の戦いは、圧倒的人数を誇ったアブサロム軍に2万人の戦死者が出て、ダビデ軍の大勝利に終わりました。それは戦力による勝利ではなく、戦場となったエフライムの森の地理的条件の故に滅ぼされたのです。その第一の要因は、神が共にいてダビデに勝利を与えられたからですが、アブサロム軍は人数は多くとも所詮は烏合の衆に過ぎず、百戦錬磨のダビデ軍の兵士たちとは経験も比べものにならなかったのです。神に選ばれた王であるダビデと、謀略によって王位を奪ったアブサロムとの戦いは、このようにして雌雄を決することとなりました。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.18.1-8.ja1955

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サムエル記下 18:9-18

さてアブサロムはダビデの家来たちに行き会った。その時アブサロムは騾馬に乗っていたが、騾馬は大きいかしの木の、茂った枝の下を通ったので、アブサロムの頭がそのかしの木にかかって、彼は天地の間につりさがった。騾馬は彼を捨てて過ぎて行った。 ひとりの人がそれを見てヨアブに告げて言った、「わたしはアブサロムが、かしの木にかかっているのを見ました」。 ヨアブはそれを告げた人に言った、「あなたはそれを見たというのか。それなら、どうしてあなたは彼をその所で、地に撃ち落さなかったのか。わたしはあなたに銀十シケルと帯一筋を与えたであろうに」。 その人はヨアブに言った、「たといわたしの手に銀千シケルを受けても、手を出して王の子に敵することはしません。王はわれわれが聞いているところで、あなたとアビシャイとイッタイに、『わたしのため若者アブサロムを保護せよ』と命じられたからです。 もしわたしがそむいて彼の命をそこなったのであれば、何事も王に隠れることはありませんから、あなたはみずから立ってわたしを責められたでしょう」。 そこで、ヨアブは「こうしてあなたと共にとどまってはおられない」と言って、手に三筋の投げやりを取り、あのかしの木にかかって、なお生きているアブサロムの心臓にこれを突き通した。 ヨアブの武器を執る十人の若者たちは取り巻いて、アブサロムを撃ち殺した。 こうしてヨアブがラッパを吹いたので、民はイスラエルのあとを追うことをやめて帰った。ヨアブが民を引きとめたからである。 人々はアブサロムを取って、森の中の大きな穴に投げいれ、その上にひじょうに大きい石塚を積み上げた。そしてイスラエルはみなおのおのその天幕に逃げ帰った。 さてアブサロムは生きている間に、王の谷に自分のために一つの柱を建てた。それは彼が、「わたしは自分の名を伝える子がない」と思ったからである。彼はその柱に自分の名をつけた。その柱は今日までアブサロムの碑ととなえられている。

ダビデとの全面戦争の中で、アブサロムは騾馬に乗っていましたが、これはアブサロムの命運を如実に示しているように思えます。騾馬はロバの雄と馬の雌を掛け合わせた動物で、馬の体格とロバの頑丈さを兼ね備えた優れた特性を持ちながら、子を産むことのできない一代限りの動物だそうです。アブサロムもまた人物像としては優れた特質を持ちながら、子を産むことなく滅ぼされました。彼の秀でた特徴である端麗な容姿と長い髪が徒となって、戦場となったエフライムの森に生えた木の枝に引っかかって、アブサロムは宙吊りとなって身動きが取れなくなり、抵抗することもできないまま、ヨアブの手により呆気なく殺されてしまったのです。木に掛かったという状況は、神に呪われた者の象徴でもあります。人の考えによる謀略や人間的な魅力に頼って得た地位も名誉も、神が授けた権威に勝ることはありません。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.18.9-18.ja1955

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サムエル記下 18:19-23

さてザドクの子アヒマアズは言った、「わたしは走って行って、主が王を敵の手から救い出されたおとずれを王に伝えましょう」。 ヨアブは彼に言った、「きょうは、おとずれを伝えてはならない。おとずれを伝えるのは、ほかの日にしなさい。きょうは王の子が死んだので、おとずれを伝えてはならない」。 ヨアブはクシびとに言った、「行って、あなたの見た事を王に告げなさい」。クシびとはヨアブに礼をして走って行った。 ザドクの子アヒマアズは重ねてヨアブに言った、「何事があろうとも、わたしにもクシびとのあとから走って行かせてください」。ヨアブは言った、「子よ、おとずれの報いを得られないのに、どうしてあなたは走って行こうとするのか」。 彼は言った、「何事があろうとも、わたしは走って行きます」。ヨアブは彼に言った、「走って行きなさい」。そこでアヒマアズは低地の道を走って行き、クシびとを追い越した。

ダビデからアブサロムを寛大に扱うようにと命じられていたにもかかわらず、部下の止める声も聞かずに、木に掛かったアブサロムを槍で一突きに殺害したヨアブは、戦いの終結をダビデに知らせるのみで、アブサロムの最期については今日は告げないようにと画策しました。しかし王への伝令役を仰せつかっていた祭司ザドクの子アヒアマズは、その使命を果たすべく、ヨアブの制止を振り切ってダビデの元に急ぎ向かいました。よいことも、悪いことも、言葉は選びながらも、真実を正しく伝える使命が私たちにもあります。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.18.19-23.ja1955

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サムエル記下 18:24-33

時にダビデは二つの門の間にすわっていた。そして見張りの者が城壁の門の屋根にのぼり、目をあげて見ていると、ただひとりで走ってくる者があった。 見張りの者が呼ばわって王に告げたので、王は言った、「もしひとりならば、その口におとずれがあるであろう」。その人は急いできて近づいた。 見張りの者は、ほかにまたひとり走ってくるのを見たので、門の方に呼ばわって言った、「見よ、ほかにただひとりで走って来る者があります」。王は言った、「彼もまたおとずれを持ってくるのだ」。 見張りの者は言った、「まっ先に走って来る人はザドクの子アヒマアズのようです」。王は言った、「彼は良い人だ。良いおとずれを持ってくるであろう」。 時にアヒマアズは呼ばわって王に言った、「平安でいらせられますように」。そして王の前に地にひれ伏して言った、「あなたの神、主はほむべきかな。主は王、わが君に敵して手をあげた人々を引き渡されました」。 王は言った、「若者アブサロムは平安ですか」。アヒマアズは答えた、「ヨアブがしもべをつかわす時、わたしは大きな騒ぎを見ましたが、何事であったか知りません」。 王は言った、「わきへ行って、そこに立っていなさい」。彼はわきへ行って立った。 その時クシびとがきた。そしてそのクシびとは言った、「わが君、王が良いおとずれをお受けくださるよう。主はきょう、すべてあなたに敵して立った者どもの手から、あなたを救い出されたのです」。 王はクシびとに言った、「若者アブサロムは平安ですか」。クシびとは答えた、「王、わが君の敵、およびすべてあなたに敵して立ち、害をしようとする者は、あの若者のようになりますように」。 王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。

戦いの結果、特にアブサロムの行く末を案じていたダビデは居ても立ってもいられず、本陣の門の間に立って、伝令の到着を今か今かと待ち構えていました。そこに最前線からの知らせを伝える二人の人がこちらに向かってくるのが見えました。先に到着したのはザドクの子アヒアマズでした。ダビデは開口一番、アブサロムは無事かとの問いに、アヒアマズは言葉を失い、ただ戦争が勝利の内に終結したと伝えるのみにとどまりました。遅れて到着したクシ人が、アブサロムの死を以て戦争が終結したと伝えると、ダビデは深く悲しみ、アブサロムの死を悼みました。ここに相手の心情を思い計ることができる人と、単に成果を自己主張したいだけの人との違いが出てきます。私たちは人の気持ちを想い、同じ事を伝えるにも言葉を選ぶ愛の知恵を、神からいただくことが必要です。

https://www.bible.com/bible/81/2sa.18.24-33.ja1955
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