伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/04/30

2018-04-30 23:55:16 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 35:1-4
ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの時、主からエレミヤに臨んだ言葉。 「レカブびとの家に行って、彼らと語り、彼らを主の宮の一室に連れてきて、酒を飲ませなさい」。 そこでわたしはハバジニヤの子エレミヤの子であるヤザニヤと、その兄弟と、そのむすこたち、およびレカブびとの全家を連れ、 これを主の宮にあるハナンの子たちの室に連れてきた。ハナンはイグダリヤの子であって神の人であった。その室は、つかさたちの室の次にあって、門を守るシャルムの子マアセヤの室の上にあった。

レカブ人とはモーセのしゅうとエテロの子孫にあたる遊牧民でしたが、バビロンの侵略を受けてイスラエルに身を寄せていました。彼らは先祖代々受け継がれてきたライフスタイルを忠実に守っていた人々で、その一つがぶどう酒を飲まないという決まりでした。ですからエレミヤがレカブ人に飲酒を勧めたのは、彼らが断ることを知っていながら、イスラエル人に対する教訓として敢えて行ったものです。神様は時折、私たちの信仰を試みることがあります。そのときに誘惑を退け、信仰のテストをパスすることができますように。

http://bible.com/81/jer.35.1-4.ja1955

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エレミヤ書 35:5-7
わたしはレカブびとの前に酒を満たしたつぼと杯を置き、彼らに、「酒を飲みなさい」と言ったが、 彼らは答えた、「われわれは酒を飲みません。それは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じて、『あなたがたとあなたがたの子孫はいつまでも酒を飲んではならない。 また家を建てず、種をまかず、またぶどう畑を植えてはならない。またこれを所有してはならない。あなたがたは生きながらえる間は幕屋に住んでいなさい。そうするならば、あなたがたはその宿っている地に長く生きることができると言ったからです』。」

飲酒を勧められたレカブ人たちは、案の定エレミヤの勧めを断りました。そして飲酒だけでなく、彼らが先祖代々、固く守ってきた民族としての掟をすべて守っていることを証しました。彼らがそれらの掟を固く守り通してきた理由として挙げたのは、掟を守ることによって遊牧民として長く生きることができるという、先祖ヨナダブが言い残した祝福の原則でした。レカブ人たちがヨナダブの言葉を固く守ってきたように、イスラエル人にとってはモーセの十戒を守ることこそが祝福の原則でした。私たちは祝福の原則である聖書の御言葉を、果たしてどれほど守っているだろうかと、ただ反省することしきりです。

http://bible.com/81/jer.35.5-7.ja1955

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エレミヤ書 35:8-11
「こうしてわれわれは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがすべて命じた言葉に従って、われわれも、妻も、むすこ娘も生きながらえる間、酒を飲まず、 住む家を建てず、ぶどう畑も畑も種も持たないで、 幕屋に住み、すべてわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じたところに従い、そのように行いました。 しかしバビロンの王ネブカデレザルがこの地に上ってきた時、われわれは言いました、『さあ、われわれはエルサレムへ行こう。カルデヤびとの軍勢とスリヤびとの軍勢が恐ろしい』と。こうしてわれわれはエルサレムに住んでいるのです」。

南ユダ王国に難民として寄留者となっていた彼らが、エルサレムの主の宮の中にある、つかさたちが使う部屋で接待を受けている場で飲酒の勧めを断るとは、ともすると民族間紛争にもなりかねない、重大な局面です。にもかかわらず、自分たちが固く守り通してきた掟を破ることをしなかった彼らの忠実さは、筋金入りのものです。このときのレカブ人たちのように、今の平穏無事な生活を取るか、紛争になりかねない究極の選択を迫られたとき、私たちは自分の信仰の立場を守り、立派に証を立てるすることができるだろうか?と問われているように思います。

http://bible.com/81/jer.35.8-11.ja1955

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エレミヤ書 35:12-14
その時、主の言葉がエレミヤに臨んだ、 「万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、行って、ユダの人々とエルサレムに住む者とに告げよ。主は仰せられる、あなたがたはわたしの言葉を聞いて教を受けないのか。 レカブの子ヨナダブがその子孫に酒を飲むなと命じた言葉は守られてきた。彼らは今日に至るまで酒を飲まず、その先祖の命に従ってきた。ところがあなたがたはわたしがしきりに語ったけれども、わたしに聞き従わなかった。」

神様がエレミヤに敢えてレカブ人に飲酒を勧めさせたのは、彼らの筋金入りの忠実さを、南ユダ王国とエルサレムに住む人々に学ばせるための教訓としてでした。私たちにとって立場の違う人たち、異国の人たち、ときには信仰を持たない人々の立派な行いからも、神様は私たちに教訓を得させようとします。そのとき神様の真意を熟考し、柔軟な心で受け止め、自らの教訓として昇華させて、更なる信仰の高みを目指す私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.35.12-14.ja1955

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エレミヤ書 35:15-17
「わたしはまた、わたしのしもべである預言者たちを、しきりにあなたがたにつかわして言わせた、『あなたがたは今おのおのその悪い道を離れ、その行いを改めなさい。ほかの神々に従い仕えてはならない。そうすれば、あなたがたはわたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの地に住むことができる』と。しかしあなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。 レカブの子ヨナダブの子孫は、その先祖が彼らに命じた命令を守っているのである。しかしこの民はわたしに従わなかった。 それゆえ万軍の神、主、イスラエルの神はこう仰せられる、見よ、わたしはユダとエルサレムに住む者とに、わたしが彼らの上に宣告した災を下す。わたしが彼らに語っても聞かず、彼らを呼んでも答えなかったからである」。

いにしえの時代から神様はこの世に預言者たちを送り、主の御言葉を伝えさせ、人々を教え、戒め、義の道に導くためにあらゆる手を尽くして来られました。にもかかわらず南ユダ王国とエルサレムの人々は、預言者たち語る真理の御言葉に聞く耳を持たず、むしろ彼らを軽んじ、迫害し、ときには惨殺し、主の御言葉をないがしろにし続けて来ました。そこでついに神様も彼らを滅ぼす他はないと、災いを宣告せざるを得なくなってしまいました。日本にも「仏の顔も三度」という諺があるように、いくら神様が愛なるお方だからといって、自分たちの良いように好き勝手三昧を続けていることは、果たして良いことでしょうか。聖書に記されたイスラエル人たちの歴史から賢く学び、永遠の滅びを免れ、まことの祝福を得させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.35.15-17.ja1955

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エレミヤ書 35:18-19
ところでエレミヤはレカブびとの家の人々に言った、「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなたがたは先祖ヨナダブの命に従い、そのすべての戒めを守り、彼があなたがたに命じた事を行った。 それゆえ、万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」。

神様はエレミヤに命じて、先祖代々の掟を守り通したレカブ人たちに、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることがないと預言の言葉を授けて、永遠の守りと祝福を約束されました。今置かれている立場や安定した生活を捨てなければならない状況になっても、主の御言葉に聞き従い、忠実に守り通す者は、永遠の守りと祝福が約束されています。私たちもまた目の前のことに左右されず、神様の永遠の約束を勝ち取ることができますように。

http://bible.com/81/jer.35.18-19.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/30

2018-04-30 07:10:23 | 今日の聖句
フィリピの信徒への手紙 2:13 新共同訳
「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」

神様は私たちが一人でも永遠の滅びから救われることを願い、まことの救いを得たいとの望みを抱かせ、御心を行わせるように私たちの内面に働きかけておられます。聖霊なる神様の内なる細き御声に聞き従い、永遠のいのちの希望を自分のものとする私たちでありますように。

http://bible.com/1819/php.2.13.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/29

2018-04-29 08:25:10 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 34:1-3
バビロンの王ネブカデレザルがその全軍と、彼に従っている地のすべての国の人々、およびもろもろの民を率いて、エルサレムとその町々を攻めて戦っていた時に、主からエレミヤに臨んだ言葉、 「イスラエルの神、主はこう言われる、行ってユダの王ゼデキヤに告げて言いなさい、『主はこう言われる、見よ、わたしはこの町をバビロンの王の手に渡す。彼は火でこれを焼く。 あなたはその手をのがれることはできない、必ず捕えられてその手に渡される。あなたはまのあたりバビロンの王を見、顔と顔を合わせて彼と語る。それからバビロンへ行く』。」

神様はエレミヤを南ユダ王国最後の王ゼデキヤの元に遣わし、エルサレム陥落と第三期バビロン捕囚について預言の言葉を伝えさせました。果たしてその預言の通り、エルサレムの街に火がつけられたとき、ゼデキヤは逃亡を図りましたが、バビロンの兵士たちによって取り押さえられ、捕らわれの身となってバビロン王ネブカデネザルの前に引き出され、バビロンに連行されました。どれほど神様の御言葉から逃げようとあがいても、私たちは神様の御手の中で右往左往するだけですから、最初から神様に聞き従ってさいわいを得る方が私たちにとって得策に決まっています。

http://bible.com/81/jer.34.1-3.ja1955

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エレミヤ書 34:7-11
「その時バビロンの王の軍勢はエルサレム、および残っているユダのすべての町、すなわちラキシとアゼカを攻めて戦っていた。それはユダの町々のうちに、これらの堅固な町がなお残っていたからである。 ゼデキヤ王がエルサレムにいるすべての民と契約を立てて、彼らに釈放のことを告げ示した後に、主からエレミヤに臨んだ言葉。 その契約はすなわち人がおのおのそのヘブルびとである男女の奴隷を解放し、その兄弟であるユダヤ人を奴隷としないことを定めたものであった。 この契約をしたつかさたちと、すべての民は人がおのおのその男女の奴隷を解放し、再びこれを奴隷としないということに聞き従って、これを解放したが、 後に心を翻し、解放した男女の奴隷をひきかえさせ、再びこれを従わせて奴隷とした。」

ラキシとアゼカは、堅固な城壁で守られた、エルサレムの南に位置する要塞都市でした。バビロンは北から南ユダ王国に攻め込んだのですから、南の町が最後の砦として残されたということは、すでにエルサレムへの総攻撃が間近であることを意味しています。そのときにゼデキヤ王が採った政策は、律法の掟に従ってユダヤ人の奴隷を解放するという、神様の御心に従う契約の施行でした。しかしゼデキヤ王とすべての人々は、バビロンの総攻撃が一時的に弱まったとき、舌の根も乾かないうちにこの契約を破棄し、再び奴隷として徴用してしまいました。私たちは苦しいときの神頼み的に、自分にとって不都合なこと、苦しい目に遭っている最中には神様に聞き従おうとしますが、苦しみが取り去られると心を翻し、元通りの利己的な態度を取ってしまう者です。私たちは一度神様に聞き従う決断をしたならば、首尾一貫して聞き従わなければなりません。

http://bible.com/81/jer.34.7-11.ja1955

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エレミヤ書 34:17-20
「それゆえに、主はこう仰せられる、あなたがたがわたしに聞き従わず、おのおのその兄弟とその隣に釈放のことを告げ示さなかったので、見よ、わたしはあなたがたのために釈放を告げ示して、あなたがたをつるぎと、疫病と、ききんとに渡すと主は言われる。わたしはあなたがたを地のもろもろの国に忌みきらわれるものとする。 わたしの契約を破り、わたしの前に立てた契約の定めに従わない人々を、わたしは彼らが二つに裂いて、その二つの間を通った子牛のようにする。- すなわち二つに分けた子牛の間を通ったユダのつかさたち、エルサレムのつかさたちと宦官と祭司と、この地のすべての民を、 わたしはその敵の手と、その命を求める者の手に渡す。その死体は空の鳥と野の獣の食物となる。」

当時の中近東で行われていた契約の儀式として、犠牲の牛を真っ二つに裂いて地面に並べて置き、契約を交わす当事者双方がその間を歩いて通過して、もし契約を破ったらこの裂いた牛のように相手を殺すという慣わしがありました。神様との間で祝福の契約を交わしたイスラエル人たちも、もしその契約を破ったら、すなわちモーセの律法に代表される御言葉の戒めに聞き従わなかったならば、その結末は永遠の滅びと死が待ち受けるのみでした。特に一度は御言葉に聞き従う態度を見せながら、後になって心を翻し、契約を反故にした者の受ける裁きは決定的でした。私たちは気分次第で神様に聞き従ったり、御言葉に反することをしたりする、極めて不安定な信仰の持ち主であるという事実を認め、聖霊なる神様に心を支配していただき、安定的に神様に聞き従い続けることのできるよう、日々の歩みを導いていただきたいと切に願います。

http://bible.com/81/jer.34.17-20.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/29

2018-04-29 06:05:12 | 今日の聖句
マタイによる福音書 11:28 新共同訳
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

人生の重荷を負って疲れ果ててしまった者は誰でもわたしのもとに来なさいと、主イエスの招きは分け隔てなく門戸が開かれています。魂の安息を得るために主イエスの御許に行くか行かないかは、すべて私たちの決断に委ねられています。心を頑なにせず、恥も外聞も捨てて主の御許に集う私たちでありますように。

http://bible.com/1819/mat.11.28.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/28

2018-04-28 08:05:12 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 33:1-3
エレミヤがなお監視の庭に閉じ込められている時、主の言葉はふたたび彼に臨んだ、 「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、 わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」

牢獄に捕らわれの身となっていたエレミヤは、再び神様の預言を授かりました。それは私たちが心を素直にして天地万物を造られた主なる神様に呼び求めるならば、私たちの知らない隠されたこと、すなわち神様の摂理を私たちに示してくださるとの約束でした。私たちは一寸先をも見通すことのできない、将来に不安を抱えたままの存在ですが、主なる神様に寄り頼んで呼び求める者には、聖書の御言葉を通して、これから先に起こるべきことを解き明かしてくださいますから、備えあれば憂いなし、私たちは将来に不安を抱く必要はありません。

http://bible.com/81/jer.33.1-3.ja1955

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エレミヤ書 33:8-9
「わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。 この町は地のもろもろの民の前に、わたしのために喜びの名となり、誉となり、栄えとなる。彼らはわたしがわたしの民に施すもろもろの恵みのことを聞く。そして、わたしがこの町に施すもろもろの恵みと、もろもろの繁栄のために恐れて身をふるわす。」

義であられる神様は、罪に満ちたこの世を放置することができず、それぞれの罪に報いて懲らしめられますが、同時に愛であられる神様は、この世を滅ぼし尽くされたまま見捨てることなく、罪を悔い改めて主に立ち帰る人々のために、その罪を赦し、犯した咎をきよめて必ず元の繁栄を回復されます。そのとき私たちは全地の誉れとなり、栄光を受けるに相応しい者とされますから感謝いたします。神様の限りない愛による恵みと回復の御業を聞く者たちが、羨望のまなざしで私たちを見るようになるとの約束を抱き、主に立ち帰り、御言葉に従い続ける者でありたいと願います。

http://bible.com/81/jer.33.8-9.ja1955

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エレミヤ書 33:14-18
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。 主はこう仰せられる、イスラエルの家の位に座する人がダビデの子孫のうちに欠けることはない。 またわたしの前に燔祭をささげ、素祭を焼き、つねに犠牲をささげる人が、レビびとである祭司のうちに絶えることはない」。

預言書の中で「その日」というのは世の終わりのときを指します。切り倒された切り株からも新しい芽が吹くように、罪のために一度は倒されたダビデ王朝の末裔として、一つの正しい枝、すなわち私たちの主イエス・キリストが世を治めるときが来るのです。主イエスの救いによりこの地は正義と公平で満たされ、聖なる都エルサレムは平安の街となります。そして私たちは毎日、心を尽くして常に主に礼拝を捧げるようになります。これが来たるべき世、キリストの支配する新天新地の姿です。主イエスが永遠の王として統べ治められる天の御国、正義と平安の都に入れられるさいわいに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.33.14-18.ja1955

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エレミヤ書 33:23-26
主の言葉はエレミヤに臨んだ、 「あなたはこの民が、『主は自ら選んだ二つのやからを捨てた』といっているのを聞かないか。彼らはこのようにわたしの民を侮って、これを国とみなさないのである。 主はこう言われる、もしわたしが昼と夜とに契約を立てず、また天地のおきてを定めなかったのであれば、 わたしは、ヤコブとわたしのしもべダビデとの子孫を捨てて、再び彼の子孫のうちからアブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ばない。わたしは彼らを再び栄えさせ、彼らにあわれみをたれよう」。

この箇所は難解な御言葉ですが、これはイスラエル独特の言い回しで、逆説的な文章表現になっていると気付くと理解しやすくなります。この世の人々が、神様はご自身の民とされた二つの国、北イスラエル王国と南ユダ王国を自ら捨て去るようなことをしたと、侮って言う言葉を聞くでしょう。しかしそれは世の人々がイスラエルを侮っているからであって、イスラエルを国家として認めたくないからだというのです。今なおイスラエルの建国も独立を認めようとしない人々が、特にパレスチナ地方の国々に根強くあります。しかし神様はもしイスラエルとの契約を立てなかったならば彼らの子孫を捨てると、ここが逆説的な言い回しで、神様はイスラエルとの間に永遠の約束を定められたのだから、彼らの子孫を必ず憐れみ、繁栄させるという意味です。イスラエルは神様の祝福の基として特別に選ばれた民だという聖書の原則を認め、イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われる、との神様の約束の重みを受け止め、イスラエルの平安のために祈り続ける者とさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/jer.33.23-26.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/28

2018-04-28 06:50:38 | 今日の聖句
箴言 29:25
‬‬「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」

私たちは人目を気にするあまり、自分本来の姿を見失いがちな心の弱い者です。天地万物を支配される主権者であられるまことの神、主に全幅の信頼を寄せ、人を恐れることなく、主の力強い御手に守られる安心感に包まれて、平安の日々を過ごさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.29.25.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/27

2018-04-27 07:55:09 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 32:1-5
ユダの王ゼデキヤの十年、すなわちネブカデレザルの十八年に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。 その時、バビロンの王の軍勢がエルサレムを攻め囲んでいて、預言者エレミヤはユダの王の宮殿にある監視の庭のうちに監禁されていた。 ユダの王ゼデキヤが彼を閉じ込めたのであるが、王は言った、「なぜあなたは預言して言うのか、『主はこう仰せられる、見よ、わたしはこの町をバビロンの王の手に渡し、彼はこれを取る。 またユダの王ゼデキヤはカルデヤびとの手をのがれることなく、かならずバビロンの王の手に渡され、顔と顔を合わせて彼と語り、目と目は相まみえる。 そして彼はゼデキヤをバビロンに引いていき、ゼデキヤは、わたしが彼を顧みる時まで、そこにいると主は言われる。あなたがたは、カルデヤびとと戦っても勝つことはできない』と」。

時は南ユダ王国最後の王ゼデキヤの10年目、彼の治世は11年間でしたから、今まさにエルサレムがバビロンの大軍に包囲され、人々がエルサレムに籠城して2年目となったところです。このときエルサレムでは深刻な飢饉に瀕し、人々は自分の命を守るために略奪し合い、殺し合うような悲惨な状況で、既に敗色濃厚な、末期的な状態に陥っていました。エレミヤはゼデキヤ王に捕らえられ、獄中に監禁されていましたが、王自らエレミヤのいる場所に出向いて、なぜ彼がエルサレムはバビロンに滅ぼされ、人々は連れ去られると預言するのかと問い質しました。人はもう後がない、決定的な状況に置かれても、正しい言葉に耳を塞ぎ、自分の過ちを認めようとしない、実に愚かで哀れな者です。真理を知る私たちは決してそのような頑なな愚か者となってはなりません。

http://bible.com/81/jer.32.1-5.ja1955

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エレミヤ書 32:6-10
エレミヤは言った、「主の言葉がわたしに臨んで言われる、 『見よ、あなたのおじシャルムの子ハナメルがあなたの所に来て言う、「アナトテにあるわたしの畑を買いなさい。それは、これを買い取り、あがなう権利があなたにあるから」と』。 はたして主の言葉のように、わたしのいとこであるハナメルが監視の庭のうちにいるわたしの所に来て言った、『ベニヤミンの地のアナトテにあるわたしの畑を買ってください。所有するのも、あがなうのも、あなたの権利なのです。買い取ってあなたの物にしてください。これが主の言葉であるのをわたしは知っていました』。 そこでわたしは、いとこのハナメルからアナトテにある畑を買い取り、銀十七シケルを量って彼に支払った。 すなわち、わたしはその証書をつくって、これに記名し、それを封印し、証人を立て、はかりをもって銀を量って与えた。」

ゼデキヤ王がエレミヤの元に来たとき、彼は不思議な行動に出ます。それは彼のおじハナメルからベニヤミンの地アナトテにある土地を買いなさいという預言で、果たしてその通り、おじハナメルが彼の元にやって来て、エレミヤは王と人々の見ている中で正規の土地売買の手続きを取り、代価を支払って、彼らを証人としてアナトテの土地を買いました。もし南ユダ王国がバビロンに滅ぼされるならば、彼の買った土地の権利も失われてしまいますから、全く無意味な、無駄なことになります。しかし神様はこの不思議な行動を通して、エレミヤに対しても、ゼデキヤ王とエルサレムの人々に対しても、神様の壮大なご計画を示そうとされたのです。神様のなさることは時に腑に落ちない、納得できないことが多々ありますが、神様のなさることは人の理解も歴史も超えて実に素晴らしく、無意味なことなど何一つありません。

http://bible.com/81/jer.32.6-10.ja1955

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エレミヤ書 32:11-15
「そしてわたしはその約定をしるして封印した買収証書と、封印のない写しとを取り、 いとこのハナメルと、買収証書に記名した証人たち、および監視の庭にすわっているすべてのユダヤ人の前で、その証書をマアセヤの子であるネリヤの子バルクに与え、 彼らの前で、わたしはバルクに命じて言った、 『万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、これらの証書すなわち、この買収証書の封印したものと、封印のない写しとを取り、これらを土の器に入れて、長く保存せよ。 万軍の主、イスラエルの神がこう言われるからである、「この地で人々はまた家と畑とぶどう畑を買うようになる」と』。」

神様の示そうとされた預言は、一度はイスラエルの地は敵国バビロンの手に渡っても、多くの歳月を経て必ずイスラエルの手に戻り、人々は再びこの地で土地を売り買いするようになる、というものでした。土の器に入れた土地の権利証書とは、20世紀最大の発見ともいわれる死海文書が数千年もの時を越えて保管されていた状態と全く同じ、永遠に残る契約のしるしです。神様の約束は決して変わることなく、また廃れることはないことを、私たちは聖書の御言葉から、歴史的事実から、知ることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/jer.32.11-15.ja1955

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エレミヤ書 32:20-23
「あなたは、しるしと、不思議なわざとをエジプトの地に行い、また今日に至るまでイスラエルと全人類のうちに行い、そして今日のように名をあげられました。 あなたは、しるしと、不思議なわざと、強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事をもって、あなたの民イスラエルをエジプトの地から導き出し、 この地を彼らに賜わりました。これはあなたが彼らの先祖たちに与えようと誓われた乳と蜜の流れる地です。 こうして彼らは、はいってこれを獲たのですが、あなたの声に聞き従わず、あなたの律法を行わず、すべてあなたがせよと命じられたことをしなかったので、あなたはこの災を彼らの上にお下しになりました。」

エレミヤはイスラエルの歴史をかいつまんで話し、エルサレムが今まさにバビロンによって滅ぼされようとされているのは、神様から賜ったこの地を神様の御心に適うようにではなく、むしろ神様に背いて自分たちの好き勝手に振る舞ったために、神様の怒りが下ったのであると語りました。私たちの人生も、手にある所有も、すべて神様からいただいた恵みであるという事実を忘れて、自分の好き勝手な人生を送っている事実に、私たちは気付いて悔い改めなければなりません。

http://bible.com/81/jer.32.20-23.ja1955

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エレミヤ書 32:31-35
「この町はそれが建った日からきょうまで、わたしの怒りと憤りとをひき起してきたので、わたしの前からこれを除き去るのである。 それは、イスラエルの民とユダの民とが、もろもろの悪を行って、わたしを怒らせたことによるのである。-彼らの王たちと、そのつかさたち、祭司たち、預言者たち、またユダの人々とエルサレムの住民たちが皆そうである。 彼らはその背中をわたしに向けて顔をわたしに向けず、わたしがたゆまず教えたにもかかわらず、彼らは教を聞かず、またうけないのである。 彼らは憎むべき物を、わが名をもって呼ばれている家にすえつけて、そこを汚し、 またベンヒンノムの谷にバアルの高き所を築いて、むすこ娘をモレクにささげた。わたしは彼らにこのようなことを命じたことはなく、また彼らがこの憎むべきことを行って、ユダに罪を犯させようとは考えもしなかった。」

神様が永遠にその御名を置くといわれた聖なる都エルサレムを、どうして神様がバビロンによって滅ぼし尽くし、火で焼いて徹底的に破壊されることを許されたのかは、人の考えでは到底理解できません。しかしそれは人々がエルサレムの街で公然と偶像礼拝を行い、神様が忌み嫌われる人身御供などの忌まわしい慣わしを行ってエルサレムの街を汚したからこそ、神様は徹底的にエルサレムをきよめるために火で焼き、再び立て直すために破壊し尽くされることを許されたのです。神様がいるならどうしてこんなひどいことが起こるのかと思うとき、それらはすべて自分たち人間の罪によって招いた結果だと気付かなければなりません。

http://bible.com/81/jer.32.31-35.ja1955

*****

エレミヤ書 32:36-41‬
「それゆえ今イスラエルの神、主は、この町、すなわちあなたがたが、『つるぎと、ききんと、疫病のためにバビロンの王の手に渡される』といっている町についてこう仰せられる、 見よ、わたしは、わたしの怒りと憤りと大いなる怒りをもって、彼らを追いやったもろもろの国から彼らを集め、この所へ導きかえって、安らかに住まわせる。 そして彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 わたしは彼らに一つの心と一つの道を与えて常にわたしを恐れさせる。これは彼らが彼ら自身とその後の子孫の幸を得るためである。わたしは彼らと永遠の契約を立てて、彼らを見捨てずに恵みを施すことを誓い、またわたしを恐れる恐れを彼らの心に置いて、わたしを離れることのないようにしよう。 わたしは彼らに恵みを施すことを喜びとし、心をつくし、精神をつくし、真実をもって彼らをこの地に植える。」

神様はイスラエルの人々とエルサレムの罪を一旦リセットするためにバビロンによって滅ぼしましたが、神様は滅ぼしたままで終わらせるようなお方ではなく、再び立て直し、散らされたイスラエルの人々をエルサレムに集め、元の繁栄を回復される、恵みと憐れみに富む主です。神様は常にプラス思考、前向きなお方であることを私たちは決して忘れることなく、たとい今は辛く悲しい現実に置かれていたとしても、私たちの将来は実に明るく希望に満ちたものであることを確信して、永遠の喜びを自分のものとさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/jer.32.36-41‬.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/27

2018-04-27 06:35:12 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙二 3:17‬ ‭新共同訳
ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。

私たちの神様は、時空を越えて自由に働かれる霊なるお方であり、私たちを罪の縄目から解き放って自由を得させてくださいました。この自由をもって主をわが神とし、神の僕として忠実に仕える人生の選択を行う私たちでありますように。

http://bible.com/1819/2co.3.17.新共同訳
‬‬
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/26

2018-04-26 07:52:57 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 31:1-3
「主は言われる、その時わたしはイスラエルの全部族の神となり、彼らはわたしの民となる」。 主はこう言われる、「つるぎをのがれて生き残った民は、荒野で恵みを得た。イスラエルが安息を求めた時、 主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」

エルサレムに留まった民は皆、バビロンの総攻撃によって虐殺されてしまいましたが、捕囚として強制連行された民は、屈辱を受けながらも生き延びることができました。彼らは聖なる都エルサレムから遠く離れて暮らしていましたが、罪を悔い改めてその地で主を呼び求めるようになるとき、神様は遠くからイスラエルに現れてくださるとの約束が与えられました。なぜなら神様は限りない愛をもって神の民イスラエルを愛し、絶えず真実を尽くしてくださるお方だからです。この世での私たちの人生が苦難と屈辱の連続であっても、心から神様を呼び求めるならば、主は私たちの神となってくださり、永遠の祝福を約束してくださいますから感謝いたします。

http://bible.com/81/jer.31.1-3.ja1955

*****

エレミヤ書 31:6-9
「見守る者がエフライムの山の上に立って呼ばわる日が来る。『立って、シオンに上り、われわれの神、主に、もうでよう』と」。主はこう仰せられる、「ヤコブのために喜んで声高く歌い、万国のかしらのために叫び声をあげよ。告げ示し、ほめたたえて言え、『主はその民イスラエルの残りの者を救われた』と。 見よ、わたしは彼らを北の国から連れ帰り、彼らを地の果から集める。彼らのうちには、盲人やあしなえ、妊婦、産婦も共にいる。彼らは大きな群れとなって、ここに帰ってくる。 彼らは泣き悲しんで帰ってくる。わたしは慰めながら彼らを導き帰る。彼らがつまずかないように、まっすぐな道により、水の流れのそばを通らせる。それは、わたしがイスラエルの父であり、エフライムはわたしの長子だからである。」

エフライムとはヤコブの子ヨセフの次男でしたが、ヤコブの長子として神様の特別な祝福を受け継ぐ部族となりました。彼らはユダの北側に広大な嗣業の地を受け継ぎ、人口もイスラエル12部族の中で最も多かった民でした。しかし彼らはイスラエル王国分裂の際に北イスラエル王国に属し、サマリヤ地方における偶像礼拝の故に南ユダ王国より先にアッシリヤによって滅ぼされました。エフライムはイスラエル民族全体の象徴です。イスラエルの罪の結末は、北からやってくる大国によって異郷の地に連行されたのですが、神様は世の終わりにはすべての捕囚をイスラエルの地に帰還させると約束してくださいました。今なお流浪の民となっているイスラエル民族ですが、彼らが近年どんどんイスラエルに帰還し始めている現状は、世の終わりが近いことを意味します。私たちはイスラエルを通して世界の歴史を見通すことができますから、神様のときを見誤ることのないよう、常に信仰の目を覚ましていなければなりません。

http://bible.com/81/jer.31.6-9.ja1955

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エレミヤ書 31:23-26
万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、「わたしが彼らを再び栄えさせる時、人々はまたユダの地とその町々でこの言葉を言う、『正義のすみかよ、聖なる山よ、どうか主がおまえを祝福してくださるように』。 ユダとそのすべての町の人、および農夫と群れを飼って歩き回る者は共にそこに住む。 わたしが疲れた魂を飽き足らせ、すべて悩んでいる魂を慰めるからである」。 ここでわたしは目をさましたが、わたしの眠りは、ここちよかった。

神様は回復の主であると昨日も学びましたが、罪を悔い改めたイスラエルが祖国に帰還し、祝福が元に返される幻を見たエレミヤの心は実に晴れやかで、心地よかったと率直な感想を記しました。神様の裁きのメッセージばかり預言してきたエレミヤの心は、決してイスラエルを憎んでいたわけではなく、イスラエルを愛するが故の心の痛みを伴う、断腸の思いばかりだったでしょう。しかし最後まで神様に忠実に従い通すならば、必ず平安を得ることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/jer.31.23-26.ja1955

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エレミヤ書 31:27-30
「主は言われる、見よ、わたしが人の種と獣の種とをイスラエルの家とユダの家とにまく日が来る。 わたしは彼らを抜き、砕き、倒し、滅ぼし、悩まそうと待ちかまえていたように、また彼らを建て、植えようと待ちかまえていると主は言われる。 その時、彼らはもはや、『父がすっぱいぶどうを食べたので、子どもの歯がうく』とは言わない。 人はめいめい自分の罪によって死ぬ。すっぱいぶどうを食べる人はみな、その歯がうく。」

この御言葉は聖書の重要なメッセージです。憐れみ深い神様は主に聞き従う者に恵みを施して先代にまで及ぶと約束されましたが、同時に主に聞き従わない者は呪いを受けて3,4代に及ぶともいわれました。今ここで神様が与えられた新しい契約、すなわち新約聖書の教えでは、子が親の罪によって滅ぼされることはなく、自らの罪によって裁かれるというものです。これはアダムから脈々と続く罪の呪いからの解放を意味すると同時に、自分の犯した罪の責任は自分が負うべきという意味でもあります。親の信仰、家族の信仰のおこぼれをいただくのではなく、自らの信仰を確立して祝福を受け継ぐ者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.31.27-30.ja1955

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エレミヤ書 31:31-34
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

新しい契約とは、モーセの律法に基づく旧約聖書の時代から、イエス・キリストの十字架に基づく新約聖書の時代に入ることを意味しています。すなわち、石の板に記された律法と犠牲の動物の血による救いではなく、心に刻まれた御言葉、あるいは私たちの内に住んでくださる聖なる御霊に導かれるきよい信仰生活による救いと祝福の成就です。神様との契約の証書が神殿の聖所のように自分の外にあるのではなく、肌身離さず自分の心の内側に存在するということ、神様との関係が自らの存在と切っても切れない関係になったということです。この素晴らしい恵みに心から感謝し、神様との新しい契約を受け入れて常に主と近しい関係であり続けさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.31.31-34.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/26

2018-04-26 06:35:05 | 今日の聖句
箴言 16:9
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」

私たちはそれぞれ理想の人生像を心に思い描きますが、なかなか自分の思い通りにはならないのが実状です。理想と現実のギャップに思い悩むとき、人生の導き手であられる神様にすべてを委ね、何事も御心と受け止めて心に平安を得させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.16.9.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/25

2018-04-25 08:00:11 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 30:1-3
主からエレミヤに臨んだ言葉。 「イスラエルの神、主はこう仰せられる、わたしがあなたに語った言葉を、ことごとく書物にしるしなさい。 主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。主がこれを言われる。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる」。

神様はエレミヤに、主がエレミヤに授けた預言の言葉をことごとく書物に記すように命じられました。それは神様の御言葉が一つとして地に落ちることなく、すべて成就することを、後の人々が悟るようになるためでした。私たちの手元に、生ける神の御言葉である聖書が、今日に至るまで残されていることは素晴らしいことです。御言葉から真理を学び、神様の約束の確かであることを信じさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.30.1-3.ja1955

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エレミヤ書 30:12-15
「主はこう仰せられる、あなたの痛みはいえず、あなたの傷は重い。 あなたの訴えを支持する者はなく、あなたの傷をつつむ薬はなく、あなたをいやすものもない。 あなたの愛する者は皆あなたを忘れてあなたの事を心に留めない。それは、あなたのとがが多く、あなたの罪がはなはだしいので、わたしがあだを撃つようにあなたを撃ち、残忍な敵のように懲らしたからだ。 なぜ、あなたの傷のために叫ぶのか、あなたの悩みはいえることはない。あなたのとがが多く、あなたの罪がはなはだしいので、これらの事をわたしはあなたにしたのである。」

アッシリヤに滅ぼされた北イスラエル王国に続き、南ユダ王国もバビロンによって滅ぼされ、聖なる都エルサレムは火で焼かれ、神殿は破壊し尽くされ、籠城していた人々は無惨にも虐殺されました。これらの悲惨な出来事、痛みと傷を身に負うたのは、すべてイスラエル人が自らまことの神を捨て、先住民たちの悪しき慣習に倣って偶像礼拝を行い、主に憎まれる甚だしい罪から離れなかったからでした。義なる神様は、義を貫くことには決して人を分け隔てなさいませんから、こと信仰において、私たちに甘えは禁物です。

http://bible.com/81/jer.30.12-15.ja1955

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エレミヤ書 30:20-24
「その子らは、いにしえのようになり、その会衆はわたしの前に堅く立つ。すべて彼らをしえたげる者をわたしは罰する。 その君は彼ら自身のうちのひとりであり、そのつかさは、そのうちから出る。わたしは彼をわたしに近づけ、彼はわたしに近づく。だれか自分の命をかけてわたしに近づく者があろうかと主は言われる。 あなたがたは、わたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」。 見よ、主の暴風がくる。憤りと、つむじ風が出て、悪人のこうべをうつ。 主の激しい怒りは、み心に思い定められたことを行って、これを遂げるまで、退くことはない。末の日にあなたがたはこれを悟るのである。

イスラエルに対する神様の裁きは一時的なもので、罪を悔い改め主に立ち帰るならば元の祝福と繁栄が回復されると約束してくださっています。罪を罰するために神様に用いられた敵国も、神様に栄光を帰することなく驕り高ぶったがために、神様から罰せられ、自ら滅びを招く結果となりました。悪しき者が裁かれるのは、神様を信じる者も、信じない者も一緒です。そしてこの御言葉は、やがて起こるべき世のおわりのときの裁きについても言及しています。「自分の命をかけて私に近付く者」とは、十字架に命を捨てられたイエス様を暗示する言葉です。主イエスの十字架の購いを信じる者は「あなたがたは、わたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」との約束が与えられ、「末の日」すなわち主の再臨の日には、神の裁きを免れることを悟るのです。聖書に記された歴史と約束の御言葉から学び、私たちが今取るべき態度を思い定めることができますように。

http://bible.com/81/jer.30.20-24.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/25

2018-04-25 06:40:38 | 今日の聖句
申命記 31:6 新共同訳‬‬
「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」

神様が私たちに強く雄々しくあれと命じられるのは、空元気を出しなさいという意味ではなく、主ご自身が共にいてくださる保証付きの約束です。弱い私たちを見放すことも見捨てすこともしないと約束された主に信頼し、人生の嵐をも恐れることなく大胆に歩ませていただく者でありたいと願います。

http://bible.com/1819/deu.31.6.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/24

2018-04-24 07:52:32 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 29:4-7
「万軍の主、イスラエルの神は、すべて捕え移された者、すなわち、わたしがエルサレムから、バビロンに捕え移させた者に、こう言う、 あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。 妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。 わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。」

この手紙は、エレミヤがバビロンの地で捕囚となっているイスラエルの民たちに向かって書かれたもので、その内容は、異境の地バビロンで安定した生活を営むようにとの主のご命令でした。これはバビロン捕囚からの解放にはまだ年月が掛かることを予告すると共に、寄留者としての生活をも神様は祝福してくださるとの約束でもありました。私たちの人生は必ずしも理想通りのものではなく、試練のときがあり、辛酸を嘗めるときもありますが、その時々においても神様は平安を祈り求める者のためにその地の生活を平安なものとしてくださいます。

http://bible.com/81/jer.29.4-7.ja1955

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エレミヤ書 29:10-11
「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」

この箇所はあまりにも有名な聖句です。神様のご計画は実に巧妙なもので、時が来れば必ず成就します。バビロン捕囚はイスラエルの人々にとって極めて屈辱的なものであり、災いとしか思えないような現実でしたが、神様は70年が満ちるならばと条件を付けて、必ず彼らをエルサレムに帰還させるとの希望の約束が与えられていることは幸いです。ですから今の生活が自分の理想とはかけ離れていたとしても、自分の置かれた場所での平安を祈り求め、主が約束してくださった祝福の将来に希望を抱き、腰を据えて誠実に毎日を過ごす私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.29.10-11.ja1955

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エレミヤ書 29:15-19
「あなたがたは、『主はバビロンでわれわれのために預言者たちを起された』と言ったが、- 主はダビデの位に座している王と、この町に住むすべての民で、あなたがたと共に捕え移されなかった兄弟たちについて、こう言われる、 『万軍の主はこう言われる、見よ、わたしは、つるぎと、ききんと、疫病を彼らに送り、彼らを悪くて食べられない腐ったいちじくのようにしてしまう。 わたしはつるぎと、ききんと、疫病をもって彼らのあとを追い、また彼らを地の万国に忌みきらわれるものとなし、わたしが彼らを追いやる国々で、のろいとなり、恐れとなり、物笑いとなり、はずかしめとならせる。 それは彼らがわたしの言葉に聞き従わなかったからであると主は言われる。わたしはこの言葉を、わたしのしもべである預言者たちによって、しきりに送ったが、あなたがたは聞こうともしなかったと主は言われる』。-」

エルサレムに住んでいた人々にとって、バビロン捕囚は実に不本意な、到底受け入れられない屈辱であり、エルサレムに留まっていた方が良かったと思っていましたが、実はエルサレムに残された者は戦乱と飢饉と疫病によって非常な苦しみを味わう、実に悲惨な、地獄絵図のような日々を送ることになりました。それは彼らが預言者を通して語られた神様の御言葉に聞き従わず、いつまでも自分たちの思いのままに生きようとする頑なな態度を改めなかったからでした。私たちの考える理想と、神様の与えられる祝福は必ずしも一致しません。むしろ私たちが理想と思っていることは、実はとんでもなく悲惨な現実であることは、当事者になってみなければわからないことだらけです。自分の考え方、やり方にこだわって呪いと破滅を招くか、柔軟な心で神様に聞き従い希望とまことの祝福を受けるかは、すべて自分の決断に委ねられています。私たちは賢い人生の選択をしなければなりません。

http://bible.com/81/jer.29.15-19.ja1955
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【今日の聖句】 2018/04/24

2018-04-24 06:35:20 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 3:16 新共同訳‬‬
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

神様は、自ら造られたこの世界と神のかたちに造られた私たちを愛するあまり、御子イエスのいのちさえも惜しまずに与えてくださいました。この神様の愛に応えて主イエスの購いの御業を信じ、永遠の滅びを免れて永遠のいのちを得させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/jhn.3.16.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/04/23

2018-04-23 07:45:19 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 28:1-4
その年、すなわちユダの王ゼデキヤの治世の初め、その第四年の五月、ギベオン出身の預言者であって、アズルの子であるハナニヤは、主の宮で祭司とすべての民の前でわたしに語って言った、 「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、わたしはバビロンの王のくびきを砕いた。 二年の内に、バビロンの王ネブカデネザルが、この所から取ってバビロンに携えて行った主の宮の器を、皆この所に帰らせる。 わたしはまたユダの王エホヤキムの子エコニヤと、バビロンに行ったユダのすべての捕われ人をこの所に帰らせる。それは、わたしがバビロンの王のくびきを、砕くからであると主は言われる」。

南ユダ王国最後の王ゼデキヤの治世第4年目にハナニヤという偽預言者が現れ、今後2年のうちにバビロンの支配下から解放され、捕らわれていった先代の王と民たち、そして主の宮の聖なる器は返還されるとの言葉を、主の御名によって語りました。しかしこれは神様の名を騙る偽りの預言であり、主の御心とは全く正反対の、人々の歓心を買うだけの気休めの言葉でしかありませんでした。私たちが主の名によって語られるメッセージを聞くとき、それが神様からのものであるか、人の願望に過ぎないものか、聖書の御言葉と照らし合わせて吟味する必要があります。そのためにも私たちは常日頃から聖書に親しみ、御心を知るために神様と一対一で交わるデボーションのときを持つことが大切です。

http://bible.com/81/jer.28.1-4.ja1955

*****

エレミヤ書 28:5-9
そこで預言者エレミヤは主の宮のうちに立っている祭司とすべての民の前で、預言者ハナニヤに言った。 すなわち預言者エレミヤは言った、「アァメン。どうか主がこのようにしてくださるように。どうかあなたの預言した言葉が成就して、バビロンに携えて行った主の宮の器とすべての捕われ人を、主がバビロンから再びこの所に帰らせてくださるように。 ただし、今わたしがあなたとすべての民の聞いている所で語るこの言葉を聞きなさい。 わたしと、あなたの先に出た預言者は、むかしから、多くの地と大きな国について、戦いと、ききんと、疫病の事を預言した。 平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」。

偽預言者ハナニヤの言葉を受けて、エレミヤは神様の命に従い、主の宮にいるすべての祭司たちと民の前で、これまで主から遣わされた預言者たちが何と語ってきたかを思い起こさせ、預言者の真価はその言葉が成就したかどうかで判断されるべきことを告げました。エレミヤも、好き好んで厳しい裁きの預言を語ってきたわけではありません。バビロンに捕らわれて行った国の主だった人々が解放される日をどれほど待ち望んだことでしょうか。しかし神様は、今はそのときではない、悔い改めの最後のチャンスであると、エレミヤに告げられました。私たちは常に神様に対して真実に行動しなければなりません。

http://bible.com/81/jer.28.5-9.ja1955

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エレミヤ書 28:10-11
そこで預言者ハナニヤは預言者エレミヤの首から、くびきを取って、それを砕いた。 そしてハナニヤは、すべての民の前で語り、「主はこう仰せられる、『わたしは二年のうちに、このように、万国民の首からバビロンの王ネブカデネザルのくびきを離して砕く』」と言った。預言者エレミヤは去って行った。

偽預言者ハナニヤは、エレミヤの言葉を聞いても悔い改めることをせず、相変わらずの自己主張の言葉を並べ立てて、すべての会衆の面前でエレミヤの首に掛けられていた木の首枷を壊し、2年の内にバビロンから解放されるとの偽りの預言を繰り返し語りました。エレミヤは彼と徹底的に直接対決することを避け、身を翻して彼の元を離れました。私たちが主の御言葉を語るとき、反対者は必ず出てきます。しかし彼らと議論で論破して物事の善し悪しに白黒つけることに注力するよりも、むしろ彼らの元を離れ、結果を主に委ねることが大切な心構えです。

http://bible.com/81/jer.28.10-11.ja1955

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エレミヤ書 28:15-17
預言者エレミヤはまた預言者ハナニヤに言った、「ハナニヤよ、聞きなさい。主があなたをつかわされたのではない。あなたはこの民に偽りを信じさせた。 それゆえ主は仰せられる、『わたしはあなたを地のおもてから除く。あなたは主に対する反逆を語ったので、今年のうちに死ぬのだ』と」。 預言者ハナニヤはその年の七月に死んだ。

更にエレミヤは、偽りの預言を語り主の民の心を誤った方向に導いたハナニヤは地の面から取り除かれ、年内に死ぬべきことを預言しました。果たしてエレミヤの言葉の通り、偽預言者ハナニヤはその年の7月、すなわち2年の内にバビロンから解放されるとの偽りの預言を語ったたった2ヶ月後に息絶えました。自分一人だけでなく、周囲の人々を巻き込んで過ちを犯させる者は、最も厳しい裁きを免れることはできません。公に言葉を発する者は、特に御言葉を語る者は、相応の責任が伴うことを心に刻み、常に己の口から出る言葉に注意を払わねばなりません。

http://bible.com/81/jer.28.15-17.ja1955
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