伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2019/11/27

2019-11-27 07:40:03 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 14:1-2

「あなたがたはあなたがたの神、主の子供である。死んだ人のために自分の身に傷をつけてはならない。また額の髪をそってはならない。 あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。」

歴史のはじめから世の終わりまで生きておられる神は、生きている者の神です。ですから私たちは死んだ者のために生きてはなりません。死者のために自分の身に傷を付けたり髪を剃ったりするという行為は、カナン地方土着の民が行っていた死者崇拝です。人が死ぬと神になるという考え方は日本にもありますが、天地万物を造られたまことの神に救われ、主の聖なる民とされた私たちは、そのような偽りの神々を拝んではなりません。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.1-2.ja1955

*****

申命記 14:3-21

「忌むべき物は、どんなものでも食べてはならない。 あなたがたの食べることができる獣は次のとおりである。すなわち牛、羊、やぎ、 雄じか、かもしか、こじか、野やぎ、くじか、おおじか、野羊など、 獣のうち、すべて、ひずめの分れたもの、ひずめが二つに切れたもので、反芻するものは食べることができる。 ただし、反芻するものと、ひずめの分れたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、野うさぎ、および岩だぬき、これらは反芻するけれども、ひずめが分れていないから汚れたものである。 また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。 水の中にいるすべての物のうち、次のものは食べることができる。すなわち、すべて、ひれと、うろこのあるものは、食べることができる。 すべて、ひれと、うろこのないものは、食べてはならない。これは汚れたものである。 すべて清い鳥は食べることができる。 ただし、次のものは食べてはならない。すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、 黒とび、はやぶさ、とびの類。 各種のからすの類。 だちょう、夜たか、かもめ、たかの類。 ふくろう、みみずく、むらさきばん、 ペリカン、はげたか、う、 こうのとり、さぎの類。やつがしら、こうもり。 またすべて羽があって這うものは汚れたものである。それを食べてはならない。 すべて翼のある清いものは食べることができる。 すべて自然に死んだものは食べてはならない。町の内におる寄留の他国人に、それを与えて食べさせることができる。またそれを外国人に売ってもよい。あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。子やぎをその母の乳で煮てはならない。」

コーシャと呼ばれるイスラエルの食物規定は最も厳格だと言われていますが、神が食物規定を設けられたのは、忌むべきもの、汚れたものを食べてはならないという理由から来たものです。聖なる神に属する聖なる民は、いっさいの汚れから遠ざかり、神の忌み嫌われるすべてのものから隔絶された生き方を、神は求めておられます。聖という言葉には、取り分けられた、分離された、隔絶された、という意味があります。ですから私たちは忌まわしいもの、俗悪なもの、自分を汚れさせるあらゆる罪と悪から遠ざかり、聖なる神の民に相応しく、この世のものから分離された、聖なる者となることが求められています。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.3-21.ja1955

*****

申命記 14:22-26

「あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。 そしてあなたの神、主の前、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一と、牛、羊のういごを食べ、こうして常にあなたの神、主を恐れることを学ばなければならない。 ただし、その道があまりに遠く、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、非常に遠く離れていて、あなたの神、主があなたを恵まれるとき、それを携えて行くことができないならば、 あなたはその物を金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行き、 その金をすべてあなたの好む物に換えなければならない。すなわち牛、羊、ぶどう酒、濃い酒など、すべてあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない。」

十分の一の捧げものに関するの教えの中で、モーセはイスラエルの民に、約束の地で得たすべての産物の十分の一を取り分けなさいと勧めています。これは自分の所得のうち、自分のため、日々の必要のために使った残り物を神に捧げるのではなく、まず神に捧げるべき十分の一を取り分け、その余りを自分のために使いなさいというお勧めです。今日の私たちが捧げる什一献金についても、まず神に捧げるべき分を取り分けて献金を捧げ、残りの9割で日々の必要をまかなうことが、神への感謝を表す捧げものに対する姿勢です。このようにして神に捧げ、家族と共に主の前に喜び祝うことが、神に祝福された生活を送るための秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.22-26.ja1955

*****

申命記 14:27-29

「町の内におるレビびとを捨ててはならない。彼はあなたがたのうちに分がなく、嗣業を持たない者だからである。 三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、 あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。」

レビ人は自分たちのための嗣業の地を持ちませんでした。それは全イスラエルのういごの身代わりに、神がレビ人を神の所有として取られたからです。レビ人の使命は神に直接仕えることで、自分たちの生計を立てるために働くのではなかったのです。ですから神は、全イスラエルを代表して神に仕えるレビ人の生活を、全イスラエルが支えるのは当然であると定められました。具体的には、3年毎に産物の十分の一を蓄え、レビ人のために備えるようにというものです。同時に主は、寄留者、寡婦、孤児も、備蓄から養うようにも勧めました。このような社会福祉の精神は、当時としては画期的な、ありえない定めでした。日本と比べ欧米諸国では社会福祉が充実していますが、それはこの聖書の精神が根底に流れているからです。私たちもまた自分だけが祝福を受け、恵まれればそれで良いという利己的な考え方を改め、常に周囲の人々の幸福に心を配り、私たちのために神に直接仕える聖職者、献身者を経済的に支え、支援を必要としている社会的弱者のために喜んで捧げる者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/deu.14.27-29.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2019/11/27

2019-11-27 06:35:27 | 今日の聖句
詩編 100:4 新共同訳

感謝の歌をうたって主の門に進み
賛美の歌をうたって主の庭に入れ。
感謝をささげ、御名をたたえよ。

感謝と讃美は神の恵みの内に留まる秘訣です。神に感謝し、その御名をほめたたえる讃美を歌いつつ、主の宮に入り礼拝できることほど、さいわいなことはありません。常に私たちの心が感謝と讃美で満ちあふれる日々となりますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.100.4.新共同訳
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする