伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/11/30

2016-11-30 07:55:54 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 7:1-3
『さて、王が自分の家に住み、また主が周囲の敵をことごとく打ち退けて彼に安息を賜わった時、 王は預言者ナタンに言った、「見よ、今わたしは、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」。 ナタンは王に言った、「主があなたと共におられますから、行って、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。』

イスラエルを統一して王国を確立し、外敵から守られ平安を得たダビデは、自分は贅沢な香柏の家に住んでいるのに、神の箱はまだ出エジプトの時と変わらず、テントに仮住まいしている状況を憂い、神様のために立派な神殿を建てようと心に決め、預言者ナタンに相談しました。ナタンもまたダビデの心を良しとして、実行に移すように進言しました。

私たちは、神様のことをどれほど大切に思い、神様のために犠牲を厭わず、喜んで捧げているでしょうか。自分の楽しみのためには時間も労力も財産も惜しみなく使っているのに、神様のためには出し惜しみしてはいないでしょうか。自分のことを優先し、神様を後回しにするのは誤った信仰の姿勢です。

神様は、自分の生活を破綻させてまで捧げよとは決して言われません。ダビデもまた、自分の家を持ち、国に平和が訪れてから、神様のための神殿を建てようと考えました。重要なことは、自分は今、神様のために何ができるだろうか?と常々考えて行動することです。いつでも私たちに最善を為してくださる神様のために、今の自分にできる精一杯の最善を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/2sa.7.1-3.ja1955

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サムエル記下 7:4-7
『その夜、主の言葉がナタンに臨んで言った、 「行って、わたしのしもべダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたはわたしの住む家を建てようとするのか。 わたしはイスラエルの人々をエジプトから導き出した日から今日まで、家に住まわず、天幕をすまいとして歩んできた。 わたしがイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、わたしがわたしの民イスラエルを牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」と、言ったことがあるであろうか』。」』

ダビデ王から聞いた神殿建設の構想に賛成した預言者ナタンに、その夜、神様は今まで自分のために神殿を建てよと命令したことは一度もなかった、との御言葉が臨みました。これは神様のために真摯なダビデの心を喜びつつも、天の御国にお住まいになる神様はこの世においては仮住まいであり、この地上に神様は家を必要とされていない、との御心を告げられたのです。

神様は本来、聖なる天の御国に住まわれるお方で、罪に汚れた地上は神様をお入れするに相応しくない場所なのです。にもかかわらず、神様は罪人の私たちを愛するが故に、私たちの住む地上に降りてこられ、一つの場所に固定されることなく、いつでもどこでも共に歩んでくださるのです。その神様が私たちの罪を赦すために御子イエス様を地上にお遣わしになり、十字架の購いにより罪をきよめ、今や聖霊様が私たちの心を神殿として住んでくださるのです。この真理に目が開かれる者は、何とさいわいなことでしょうか。私たちの体をいと高き神の聖なる宮となしてくださる恵みに、心から感謝いたします。

http://bible.com/81/2sa.7.4-7.ja1955

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サムエル記下 7:12-13, 16
『あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。 彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。

あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」。』

神様はダビデの心を喜び、ダビデの家を祝福し、王国を堅く建てると約束されました。そして神様のために一所懸命に尽くそうとするダビデの気持ちを汲んで、次の王となるダビデの子が神殿を建てると答えられました。神様は、主のために喜んでよいことをしようとする私たちの心を、決して無にされるお方ではありません。神様のために自ら進んで最善を行おうとするとき、神様もまた私たちの手の業を助けて祝福してくださいます。

http://bible.com/81/2sa.7.12-13,16.ja1955

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サムエル記下 7:17-20, 28-29
『ナタンはすべてこれらの言葉のように、またすべてこの幻のようにダビデに語った。 その時ダビデ王は、はいって主の前に座して言った、「主なる神よ、わたしがだれ、わたしの家が何であるので、あなたはこれまでわたしを導かれたのですか。 主なる神よ、これはなおあなたの目には小さい事です。主なる神よ、あなたはまたしもべの家の、はるか後の事を語って、きたるべき代々のことを示されました。 ダビデはこの上なにをあなたに申しあげることができましょう。主なる神よ、あなたはしもべを知っておられるのです。

主なる神よ、あなたは神にましまし、あなたの言葉は真実です。あなたはこの良き事をしもべに約束されました。 どうぞ今、しもべの家を祝福し、あなたの前に長くつづかせてくださるように。主なる神よ、あなたがそれを言われたのです。どうぞあなたの祝福によって、しもべの家がながく祝福されますように」。』

預言者ナタンから神様の御告げを聞いたダビデは、直ちに神様の御前に進み出て感謝の祈りを捧げました。どこまでも神様の前に謙虚で真摯なダビデの信仰は、私たちの信仰生活のお手本です。私たちもまた神様の御前に進み出て、日毎の感謝と讃美とを心から捧げ、神様に喜ばれる者となりますように。

http://bible.com/81/2sa.7.17-20,28-29.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/30

2016-11-30 06:55:02 | 今日の聖句
詩篇 119:9
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。」

老若男女を問わず、きよさを保つ秘訣は御言葉に従い、守り行うことです。聖書をどれほど深く研究し知識を蓄えても、自分のこととして実行しなければ単なる暇つぶしに過ぎません。御言葉を聞くだけ、知っているだけで終わらせず、自ら率先して守り行い、罪きよめられた者と認められる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.9.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/29

2016-11-29 08:00:08 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 6:1-2
「ダビデは再びイスラエルのえり抜きの者三万人をことごとく集めた。 そしてダビデは立って、自分と共にいるすべての民と共にバアレ・ユダへ行って、神の箱をそこからかき上ろうとした。この箱はケルビムの上に座しておられる万軍の主の名をもって呼ばれている。」

イスラエルの王となったダビデが最初に行ったことは、放置されていた神の箱を新しい首都エルサレムに迎え入れることでした。そのためにダビデは、イスラエルの中から選りすぐりの人々をかき集めました。新しいことを始めるに際しまず神様をお迎えすること、そのために全力で取り組んだダビデの信仰がここに表されています。私たちも何事を行うにしても、特に新たな一歩を踏み出すとき、まず神様を中心に据えるために全力で取り組む者でありますように。

http://bible.com/81/2sa.6.1-2.ja1955

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サムエル記下 6:3-7
「彼らは神の箱を新しい車に載せて、山の上にあるアビナダブの家から運び出した。 アビナダブの子たち、ウザとアヒオとが神の箱を載せた新しい車を指揮し、ウザは神の箱のかたわらに沿い、アヒオは箱の前に進んだ。 ダビデとイスラエルの全家は琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルとをもって歌をうたい、力をきわめて、主の前に踊った。 彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。牛がつまずいたからである。 すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。」

神の箱をエルサレムに迎えるために、力を極めて踊るほどに心から喜んで全力で取り組んだダビデでしたが、その途上で悲劇が起こります。神の箱を乗せた車を引く牛がつまづいて荷台から落ちそうになったため、手を差し伸べて止めようとしたウザが、主に撃たれて命を落としてしまったのです。しかしこれは、本来、神の箱は祭司たちが四方から棒で担いで運ばなければならないものを、楽をして牛車に引かせたために起きたダビデたちの過ちが招いた結果なのです。

私たちもまた、神様のために一生懸命に取り組んでも、神様の御心に沿わない、もしかしたら神様のご命令に背いたことをしていることに気付かないまま、神様のためにこんなに一生懸命しているのにどうして?と思うようなことがあるかもしれません。しかし神様は、時には悲しいことを通して、私たちの過ちにストップをかけられます。そして自分たちの過ちに気付いたらすぐに悔い改め、何が正しいことかを御言葉から学び、神様の望まれる方法でやり直すことが肝要です。

http://bible.com/81/2sa.6.3-7.ja1955

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サムエル記下 6:8-11
『主がウザを撃たれたので、ダビデは怒った。その所は今日までペレヅ・ウザと呼ばれている。 その日ダビデは主を恐れて言った、「どうして主の箱がわたしの所に来ることができようか」。 ダビデは主の箱をダビデの町に入れることを好まず、これを移してガテびとオベデエドムの家に運ばせた。 神の箱はガテびとオベデエドムの家に三か月とどまった。主はオベデエドムとその全家を祝福された。』

ウザが撃たれたことに恐れを感じたダビデは、神の箱をエルサレムの招き入れることを躊躇し、オベデエドムの家に運び込ませました。しかし神様は、神の箱を招き入れたオベデエドムの全家を祝福されました。神様は、神様と共に生きる者を大いに祝福されるお方です。

http://bible.com/81/2sa.6.8-11.ja1955

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サムエル記下 6:12-15
「しかしダビデ王は、「主が神の箱のゆえに、オベデエドムの家とそのすべての所有を祝福されている」と聞き、ダビデは行って、喜びをもって、神の箱をオベデエドムの家からダビデの町にかき上った。 主の箱をかく者が六歩進んだ時、ダビデは牛と肥えた物を犠牲としてささげた。 そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。 こうしてダビデとイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。」

神の箱の故に、主がオベデエドムの家を祝福されていることを知ったダビデは、再び神の箱をエルサレムに招き入れようとしました。前回の失敗から学んだダビデは、今度は神様の命じられた方法に従い、自らエポデを身に着けて、前回よりも更に力を極めて主の御前に踊り、惜しみなく犠牲を捧げながら、神の箱をエルサレムに担ぎ上りました。私たちも時折熱心の故に失敗することもありますが、だからといって手を抜くことなく、失敗から賢く学び、どんな犠牲をも厭わず、ますます全力で主のために取り組む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2sa.6.12-15.ja1955

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サムエル記下 6:17-19
「人々は主の箱をかき入れて、ダビデがそのために張った天幕の中のその場所に置いた。そしてダビデは燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。 ダビデは燔祭と酬恩祭をささげ終った時、万軍の主の名によって民を祝福した。 そしてすべての民、イスラエルの全民衆に、男にも女にも、おのおのパンの菓子一個、肉一きれ、ほしぶどう一かたまりを分け与えた。こうして民はみなおのおのその家に帰った。」

前回の失敗からダビデは神の箱に関するモーセの教えについて相当深く学んだのでしょう、エルサレムの町に神の箱を置くための天幕を用意し、その中に神の契約の箱を据えました。そして主の前に燔祭と酬恩祭を捧げ、またイスラエルの全会衆に、記念の品々を惜しみなく大盤振る舞いしました。神様を喜ぶことは自分一人だけで終わらせるのではなく、周囲の人々に対しても惜しみなく分け与える寛大な感謝の心を持つことが大切です。

http://bible.com/81/2sa.6.17-19.ja1955

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サムエル記下 6:16, 20-23
『主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ。

ダビデが家族を祝福しようとして帰ってきた時、サウルの娘ミカルはダビデを出迎えて言った、「きょうイスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」。 ダビデはミカルに言った、「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。 わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう。しかしわたしは、あなたがさきに言った、はしためたちに誉を得るであろう」。 こうしてサウルの娘ミカルは死ぬ日まで子供がなかった。』

神の箱を迎え入れるために、力の限りを尽くして、喜び踊りながらエルサレムの町に入ったダビデを、端から冷ややかな目で見ていたのが、サウルの娘ミカルでした。彼女はサウル王と同じく、神様よりも王としての威厳や品位を保つことにこだわる心があったのでしょう。そんなミカルに対し、ダビデは神様を喜ぶ心の欠如した者は祝福を受けられないと宣告しました。果たしてその通り、ミカルは当時の女性にとって最高の祝福とされた子宝を、一生授かることがありませんでした。

クリスチャンの中にも、神様のために一生懸命になっている人を、端から、冷ややかな目で見る人がいます。しかし神様は、そのような冷めた信仰、神様に感謝し喜ぶ心を持たない者に祝福を賜るはずがありません。神様に対して斜に構える姿勢は誤った信仰です。私たちは神様に対して何事も全力で取り組む熱い信仰を保たなければなりません。

http://bible.com/81/2sa.6.16,20-23.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/29

2016-11-29 06:55:43 | 今日の聖句
ペテロの第一の手紙 5:7
「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」

一切を委ねるとは、握っていたものを手放すことから始まります。思い煩いを握りしめてあれこれ悩むよりも、最善を為し給う神様にすべてをお任せして、明日への希望に生きることに注力する私たちでありますように。

http://bible.com/81/1pe.5.7.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/28

2016-11-28 08:00:42 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 5:3-5
「このようにイスラエルの長老たちが皆、ヘブロンにいる王のもとにきたので、ダビデ王はヘブロンで主の前に彼らと契約を結んだ。そして彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。 ダビデは王となったとき三十歳で、四十年の間、世を治めた。 すなわちヘブロンで七年六か月ユダを治め、またエルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。」

イシボセテを擁したサウル王朝が滅び、名実共にイスラエルの指導者に相応しい人物はダビデの他にいなくなりました。そこでイスラエルの長老たちはダビデと契約を結び、油を注いで正式にイスラエルの王とする任命式を執り行いました。これまでの士師の時代とは異なり、ダビデは40年の長きにわたり王として国を治め、イスラエルの全盛期となるダビデ王家がついに確立したのです。

主の選びを確信し、御言葉に忠実に聞き従い、たとえ自分に不利であっても御心に反することは決して行わなかったダビデの信仰に倣うことこそ、真の祝福の人生を送る秘訣です。

http://bible.com/81/2sa.5.3-5.ja1955

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サムエル記下 5:6-9
『王とその従者たちとはエルサレムへ行って、その地の住民エブスびとを攻めた。エブスびとはダビデに言った、「あなたはけっして、ここに攻め入ることはできない。かえって、めしいや足なえでも、あなたを追い払うであろう」。彼らが「ダビデはここに攻め入ることはできない」と思ったからである。 ところがダビデはシオンの要害を取った。これがダビデの町である。 その日ダビデは、「だれでもエブスびとを撃とうとする人は、水をくみ上げる縦穴を上って行って、ダビデが心に憎んでいる足なえやめしいを撃て」と言った。それゆえに人々は、「めしいや足なえは、宮にはいってはならない」と言いならわしている。 ダビデはその要害に住んで、これをダビデの町と名づけた。またダビデはミロから内の周囲に城壁を築いた。』

王となったダビデは、ヨシュアの時代から追い払うことのできなかったエブス人を攻め、断崖絶壁に囲まれた難攻不落の天然の要塞都市シオンの要害、すなわち現在のエルサレムをついに攻め落とすことに成功しました。ダビデ軍はエブス人が考えもしなかった戦法、唯一の入口である井戸の縦穴をよじ登って堅く閉ざされた城壁の中に侵入し、エルサレムを陥落させました。

人が生きるために欠かすことのできない水を得るための井戸は、命をつなぐ道です。私は道であり、真理であり、いのちです、と言われたイエス様は、堅く閉ざされた私たちの心の内にも入ってくださり、罪から解放し永遠のいのちを与えてくださいます。ダビデの末裔としてお生まれになられた主イエス様を心にお迎えし、まことの救いを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/2sa.5.6-9.ja1955

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サムエル記下 5:10-12
「こうしてダビデはますます大いなる者となり、かつ万軍の神、主が彼と共におられた。 ツロの王ヒラムはダビデに使者をつかわして、香柏および大工と石工を送った。彼らはダビデのために家を建てた。 そしてダビデは主が自分を堅く立ててイスラエルの王とされたこと、主がその民イスラエルのためにその王国を興されたことを悟った。」

約束の地の中に取り残されたエルサレムを陥落させたことでダビデの名声はますます広がり、ツロの王ヒラムはダビデと友好関係を結び、彼のために香柏の家を建てました。砂漠地帯のイスラエルで、香柏の家に住むことは富と権威の象徴であり、ダビデは主が王権を確立してくださったことを悟りました。王国の確立に際し、最も大切なことは、主がダビデと共におられたことです。私たちの人生においても、主が共にいてくださるならばその歩みは確かなものとされることを覚えて、主を畏れ、御言葉に従い通す者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2sa.5.10-12.ja1955

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サムエル記下 5:18-19, 22-25
『ペリシテびとはきて、レパイムの谷に広がっていた。 ダビデは主に問うて言った、「ペリシテびとに向かって上るべきでしょうか。あなたは彼らをわたしの手に渡されるでしょうか」。主はダビデに言われた、「上るがよい。わたしはかならずペリシテびとをあなたの手に渡すであろう」。

ペリシテびとが、ふたたび上ってきて、レパイムの谷に広がったので、 ダビデは主に問うたが、主は言われた、「上ってはならない。彼らのうしろに回り、バルサムの木の前から彼らを襲いなさい。 バルサムの木の上に行進の音が聞えたならば、あなたは奮い立たなければならない。その時、主があなたの前に出て、ペリシテびとの軍勢を撃たれるからである」。 ダビデは、主が命じられたようにして、ペリシテびとを撃ち、ゲバからゲゼルに及んだ。』

ダビデが今でもイスラエル最高の王として語り継がれているのは、王権が確立した後も決して慢心せず、何事も神様の御心を求め、生涯を通して主に忠実に聞き従ったからです。宿敵ペリシテ人との戦いにおいても、一度勝利したからといって同じ戦法を取らず、まず主にお伺いを立てて聞き従いました。私たちは過去の経験や自分の知識に頼り、物事を自分の判断で決めてしまう傾向がありますが、何事も、特に人生の分岐点において、まず主の御心を訪ね求め、御言葉に忠実に聞き従うことが、まことの祝福の人生の秘訣です。

http://bible.com/81/2sa.5.18-19,22-25.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/28

2016-11-28 06:55:19 | 今日の聖句
コロサイ人への手紙 2:7
「また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。」

土台のしっかりしている建物はどんな嵐にもびくともしないように、キリストの十字架を土台とする信仰は揺るぐことがありません。キリスト・イエスを基として信仰を確立し、いかなる試練の中でも泉のように湧き上がる感謝が心にあふれる生涯を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/col.2.7.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/27

2016-11-27 10:08:10 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 4:1-2, 7-8
『サウルの子イシボセテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、その力を失い、イスラエルは皆あわてた。 サウルの子イシボセテにはふたりの略奪隊の隊長があった。ひとりの名はバアナ、他のひとりの名はレカブといって、ベニヤミンの子孫であるベロテびとリンモンの子たちであった。(それはベロテもまたベニヤミンのうちに数えられているからである。

彼らが家にはいった時、イシボセテは寝室で床の上に寝ていたので、彼らはそれを撃って殺し、その首をはね、その首を取って、よもすがらアラバの道を行き、 イシボセテの首をヘブロンにいるダビデのもとに携えて行って王に言った、「あなたの命を求めたあなたの敵サウルの子イシボセテの首です。主はきょう、わが君、王のためにサウルとそのすえとに報復されました」。』

アブネル亡き後のサウル王朝は求心力を失い、急速に衰退の一途をたどります。そして略奪隊長のバアナとレカブは、こともあろうに主君であり王であるイシボセテを殺害し、その首を持ってダビデの元に報告に来ます。彼らは主人を敬うことを知らず、ただ自分の利益のためにのみ生きる単なるならず者の略奪者に過ぎなかったのです。ですから、自分の命を狙っていたサウルをも主が立てた王として最後まで敬意を払ったダビデの真意も理解できず、功名心に駆り立てられ、さぞ多くの褒美を貰えるだろうと、自分の利益しか頭になかったのです。私たちは決して彼らのような神様の御心を理解できない愚かな者になってはなりません。

http://bible.com/81/2sa.4.1-2,7-8.ja1955

*****

サムエル記下 4:9-12
『ダビデはベロテびとリンモンの子レカブとその兄弟バアナに答えた、「わたしの命を、もろもろの苦難から救われた主は生きておられる。 わたしはかつて、人がわたしに告げて、『見よ、サウルは死んだ』と言って、みずから良いおとずれを伝える者と思っていた者を捕えてチクラグで殺し、そのおとずれに報いたのだ。 悪人が正しい人をその家の床の上で殺したときは、なおさらのことだ。今わたしが、彼の血を流した罪を報い、あなたがたを、この地から絶ち滅ぼさないでおくであろうか」。 そしてダビデは若者たちに命じたので、若者たちは彼らを殺し、その手足を切り離し、ヘブロンの池のほとりで木に掛けた。人々はイシボセテの首を持って行って、ヘブロンにあるアブネルの墓に葬った。』

イスラエルの王イシボセテを白昼堂々と殺害し、意気揚々とやって来たサウル家の略奪隊長バアナとレカブに対し、ダビデはかつてサウルの死を告げ知らせるためにのこのこやって来たアマレク人の事例を引き合いに出し、自らの手で主君を殺害した愚か者に極刑を下します。神様の御心を悟らず、自分の利益のためには人の道に外れることも平気で犯す者は、厳しい裁きを免れることはできません。やがて天の御国で主の御前に立つとき、神様から永遠の滅びを言い渡されないよう、御言葉を堅く守り行い、主の御心に適う善い業に励む私たちでありますように。

http://bible.com/81/2sa.4.9-12.ja1955

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サムエル記下 4:4
「さてサウルの子ヨナタンに足のなえた子がひとりあった。エズレルからサウルとヨナタンの事の知らせがきた時、彼は五歳であった。うばが彼を抱いて逃げたが、急いで逃げる時、その子は落ちて足なえとなった。その名はメピボセテといった。」

イシボセテの最期の記事の中に、ヨナタンの子メピボセテに関する記述がさりげなく出てきます。これは、神様がサウルの家を、ヨナタンの功績を決して忘れてはいないという慰めの記事です。私たちは一人残らず、神様の御前に覚えられていることに感謝します。

http://bible.com/81/2sa.4.4.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/27

2016-11-27 07:50:19 | 今日の聖句
マラキ書 3:1
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」

神様は私たちの心を主に向けさせるためにパプテスマのヨハネを送り、救い主を迎える道備えをしました。アドヴェント第一週の聖日、正しい信仰を整え、心から主のご来臨を待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/mal.3.1.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/26

2016-11-26 11:01:47 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 3:1, 6
「サウルの家とダビデの家との間の戦争は久しく続き、ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。

サウルの家とダビデの家とが戦いを続けている間に、アブネルはサウルの家で、強くなってきた。」

イスラエルに2人の王が君臨する日々が続きましたが、神様が選んだ王と、人が立てた王では、どちらが優勢になるかは火を見るよりも明らかです。そしてサウル王家ではイシボセテを即位させたアブネルの権力がますます強くなりました。真の王と傀儡政権とでは比べるまでもありません。この世の王にではなく天地万物の主権者であられるまことの王、主イエス様に従う者こそが真の勝利者です。

http://bible.com/81/2sa.3.1,6.ja1955

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サムエル記下 3:9-11
『「主がダビデに誓われたことを、わたしが彼のためになし遂げないならば、神がアブネルをいくえにも罰しられるように。 すなわち王国をサウルの家から移し、ダビデの位をダンからベエルシバに至るまで、イスラエルとユダの上に立たせられるであろう」。 イシボセテはアブネルを恐れたので、ひと言も彼に答えることができなかった。』

イシボセテはアブネルの過ちを指摘しましたが、イスラエル王国をダビデに譲ると脅されて何も言えなくなってしまいました。飾り物の王に過ぎないイシボセテの悲哀を見ることができますが、この世の有力者の前に屈服しなければ身の安全が保障されないようなときにも、神の義を貫く私たちでありますように。

http://bible.com/81/2sa.3.9-11.ja1955

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サムエル記下 3:12, 17-19
『アブネルはヘブロンにいるダビデのもとに使者をつかわして言った、「国はだれのものですか。わたしと契約を結びなさい。わたしはあなたに力添えして、イスラエルをことごとくあなたのものにしましょう」。

アブネルはイスラエルの長老たちと協議して言った、「あなたがたは以前からダビデをあなたがたの王とすることを求めていましたが、 今それをしなさい。主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテびとの手、およびもろもろの敵の手から救い出すであろう』と言われたからです」。 アブネルはまたベニヤミンにも語った。そしてアブネルは、イスラエルとベニヤミンの全家が良いと思うことをみな、ヘブロンでダビデに告げようとして出発した。』

自分が立てた王イシボセテが自分に刃向かうようになったことに怒ったアブネルは、主君であるはずの王を捨てて自らイスラエルの長老たちを説き伏せて、イスラエル王国をダビデに譲るために画策します。確かに傀儡政権に成り下がったサウル王朝でしたが、それでも部下は主人を立て、従うのが務めです。自分が王になり代わって国を動かそうとする傲慢な心は、やがて自らを滅ぼす事態に発展することを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/2sa.3.12,17-19.ja1955

*****

サムエル記下 3:20-21
『アブネルが二十人を従えてヘブロンにいるダビデのもとに行った時、ダビデはアブネルと彼に従っている従者たちのために酒宴を設けた。 アブネルはダビデに言った、「わたしは立って行き、イスラエルをことごとく、わが主、王のもとに集めて、あなたと契約を結ばせ、あなたの望むものをことごとく治められるようにいたしましょう」。こうしてダビデはアブネルを送り帰らせたので彼は安全に去って行った。』

イスラエルの長老たちから、サウル王朝を廃しダビデを王とすることの同意を取り付けたアブネルは、すぐさまダビデの元に和平交渉に出向き、契約を結びました。ダビデもまた平和的解決を望み、アブネルを歓迎して契約を結びました。たとい一時は敵味方に別れても、私たちは可能な限り平和的な問題解決を図ることが大切です。

http://bible.com/81/2sa.3.20-21.ja1955

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サムエル記下 3:22-23, 26-27
『ちょうどその時、ダビデの家来たちはヨアブと共に多くのぶんどり物を携えて略奪から帰ってきた。しかしアブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデが彼を帰らせて彼が安全に去ったからである。 ヨアブおよび彼と共にいた軍勢がみな帰ってきたとき、人々はヨアブに言った、「ネルの子アブネルが王のもとにきたが、王が彼を帰らせたので彼は安全に去った」。

ヨアブはダビデの所から出てきて、使者をつかわし、アブネルを追わせたので、彼らはシラの井戸から彼を連れて帰った。しかしダビデはその事を知らなかった。 アブネルがヘブロンに帰ってきたとき、ヨアブはひそかに語ろうといって彼を門のうちに連れて行き、その所で彼の腹を刺して死なせ、自分の兄弟アサヘルの血を報いた。』

自分の知らない間にダビデが、敵の将軍であり、かつ自分の兄弟アサヘルの仇であるアブネルと契約を結び、安全に去らせたことを不服としたダビデ軍の将軍ヨアブは、アサヘルを呼び戻し、暗殺してしまいました。せっかけイスラエルに平和が回復しそうになった矢先に、再び暗雲が立ちこめます。

自分の思い通りにならない不満、人に対する恨み、仇への憎しみなどの悪しき感情に身を任せてしまうと、祝福が呪いに変わってしまいます。私たちはこれらのマイナスの感情と正しく向き合い、心を治めなければなりません。

http://bible.com/81/2sa.3.22-23,26-27.ja1955

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サムエル記下 3:28-32, 36-37
『その後ダビデはこの事を聞いて言った、「わたしとわたしの王国とは、ネルの子アブネルの血に関して、主の前に永久に罪はない。 どうぞ、その罪がヨアブの頭と、その父の全家に帰するように。またヨアブの家には流出を病む者、重い皮膚病を病む者、つえにたよる者、つるぎに倒れる者、または食物の乏しい者が絶えないように」。 こうしてヨアブとその弟アビシャイとはアブネルを殺したが、それは彼がギベオンの戦いで彼らの兄弟アサヘルを殺したためであった。 ダビデはヨアブおよび自分と共にいるすべての民に言った、「あなたがたは着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前に嘆きながら行きなさい」。そしてダビデ王はその棺のあとに従った。 人々はアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。

民はみなそれを見て満足した。すべて王のすることは民を満足させた。 その日すべての民およびイスラエルは皆、ネルの子アブネルを殺したのは、王の意思によるものでないことを知った。』

和平交渉に来たアブネルを暗殺したヨアブの暴走により、ダビデは卑怯者の汚名を着せられ全イスラエルを敵に回す窮地に立たされます。しかしダビデはアブネルを丁重に葬り、最大級の礼を尽くして喪に服して、アブネルを暗殺した責任が自分にはないことを全イスラエルの民に証明し、ピンチを脱しました。

私たちも、自分のは何一つ非がなくとも周囲の人々の愚かな行動の故に絶体絶命の危機に陥ることがあります。そのようなとき、周囲に当たり散らしたり、自暴自棄になるのではなく、主から知恵をいただいて、冷静に、誠意と礼儀を尽くして事態を打開する私たちでありますように。

http://bible.com/81/2sa.3.28-32,36-37.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/26

2016-11-26 07:10:08 | 今日の聖句
伝道の書 12:13
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」

人類史上最高の知恵と栄華を極め、人が成し得る限りの贅沢と快楽を享受し尽くしたソロモンが最後に行き着いたのが、神を畏れ、その命令を守ることこそが人の本分だとの結論でした。主なる神様を愛し、聖書の御言葉に聞き従い、慎ましくもソロモンの栄華にも勝る最高の喜びの生涯を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/ecc.12.13.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/25

2016-11-25 07:57:27 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 2:1-3
『この後、ダビデは主に問うて言った、「わたしはユダの一つの町に上るべきでしょうか」。主は彼に言われた、「上りなさい」。ダビデは言った、「どこへ上るべきでしょうか」。主は言われた、「ヘブロンへ」。 そこでダビデはその所へ上った。彼のふたりの妻、エズレルの女アヒノアムと、カルメルびとナバルの妻であったアビガイルも上った。 ダビデはまた自分と共にいた人々を、皆その家族と共に連れて上った。そして彼らはヘブロンの町々に住んだ。』

サウル王も王位継承者ヨナタンも死んだ後、イスラエルの王となるべき者はダビデの他にいませんでした。しかしダビデは自ら王となるためにイスラエルに上ることなく、自分はどのように行動すべきか、まず主にお伺いを立て、神様の御心に従ってユダのヘブロンに上りました。

状況的にどれほど好都合であっても、自分の考えに従って先走りすることなく、まず生ける神様の御心を求め、主の御言葉に聞き従うことこそ、道を見誤らない祝福の人生の秘訣です。

http://bible.com/81/2sa.2.1-3.ja1955

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サムエル記下 2:4-6
『時にユダの人々がきて、その所でダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。人々がダビデに告げて、「サウルを葬ったのはヤベシ・ギレアデの人々である」と言ったので、 ダビデは使者をヤベシ・ギレアデの人々につかわして彼らに言った、「あなたがたは、主君サウルにこの忠誠をあらわして彼を葬った。どうぞ主があなたがたを祝福されるように。 どうぞ主がいまあなたがたに、いつくしみと真実を示されるように。あなたがたが、この事をしたので、わたしもまたあなたがたに好意を示すであろう。」』

ユダの人々はダビデを迎えて自分たちの王とし、またヤベシ・ギレアデの人々がサウル王とヨナタンを丁重に葬ったことを報告しました。そこでダビデは、ヤベシ・ギレアデの人々に使者を送り、サウル王に対して尽くした忠誠をほめたたえ、和平を結びました。よいことをした人をほめたたえ、交流を持つことは、平和と祝福をもたらします。人は、他人の欠点にはすぐに気付き、あら探しをしてしまいがちですが、むしろ人の良い点に目を向ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/2sa.2.4-6.ja1955

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サムエル記下 2:8-11
「さてサウルの軍の長、ネルの子アブネルは、さきにサウルの子イシボセテを取り、マハナイムに連れて渡り、 彼をギレアデ、アシュルびと、エズレル、エフライム、ベニヤミンおよび全イスラエルの王とした。 サウルの子イシボセテはイスラエルの王となった時、四十歳であって、二年の間、世を治めたが、ユダの家はダビデに従った。 ダビデがヘブロンにいてユダの家の王であった日数は七年と六か月であった。」

サウル王家の将軍アブネルは、サウル王のいとこに当たる人物です。彼はダビデに対抗して、正当な王位継承者ではない妾の子イシボセテをイスラエルの王として立てました。その結果、イスラエルに2人の王が存在することとなり、国内は内戦状態に陥ります。神様の御心に従わず、自分の利益や既得権を守るために行動すると、悲劇を生み出すことになります。

http://bible.com/81/2sa.2.8-11.ja1955

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サムエル記下 2:18-19, 22-23
『その所にゼルヤの三人の子、ヨアブ、アビシャイ、およびアサヘルがいたが、アサヘルは足の早いこと、野のかもしかのようであった。 アサヘルはアブネルのあとを追っていったが、行くのに右にも左にも曲ることなく、アブネルのあとに走った。

アブネルはふたたびアサヘルに言った、「わたしを追うことをやめて、ほかに向かいなさい。あなたを地に撃ち倒すことなど、どうしてわたしにできようか。それをすれば、わたしは、どうしてあなたの兄ヨアブに顔を合わせることができようか」。 それでもなお彼は、ほかに向かうことを拒んだので、アブネルは、やりの石突きで彼の腹を突いたので、やりはその背中に出た。彼はそこに倒れて、その場で死んだ。そしてアサヘルが倒れて死んでいる場所に来る者は皆立ちとどまった。』

サウル家の将軍アブネルとダビデの将軍ヨアブがついに対決します。激しい戦いの末、ダビデ軍が優勢に立ち、アブネルは背走します。雌雄はほぼ決したにもかかわらず、しかしヨアブの兄弟アサヘルは、自分の足の速さを過信してアブネルを追い詰めようとした結果、反撃を受けて命を落としてしまいました。自分の力を頼みとし、人の忠告に聞く耳を持たない者は、悲劇的な結末を迎えてしまうことを肝に銘じなければなりません。

http://bible.com/81/2sa.2.18-19,22-23.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/25

2016-11-25 06:58:34 | 今日の聖句
詩篇 119:11
「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。」

人生を正しく導き、祝福の泉となる主の御言葉こそ最高の財産です。やがて朽ち果てるこの世の富を追い求める愚かさを捨て、生ける神の御言葉を心に蓄え、永遠に輝きを放つ真のきよさを身に付ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.11.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/24

2016-11-24 07:52:08 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記下 1:1-4
『サウルが死んだ後、ダビデはアマレクびとを撃って帰り、ふつかの間チクラグにとどまっていたが、 三日目となって、ひとりの人が、その着物を裂き、頭に土をかぶって、サウルの陣営からきた。そしてダビデのもとにきて、地に伏して拝した。 ダビデは彼に言った、「あなたはどこからきたのか」。彼はダビデに言った、「わたしはイスラエルの陣営から、のがれてきたのです」。 ダビデは彼に言った、「様子はどうであったか話しなさい」。彼は答えた、「民は戦いから逃げ、民の多くは倒れて死に、サウルとその子ヨナタンもまた死にました」。』

アマレク人から妻子たちを取り戻し、分捕りものを得て喜びを満喫していたダビデの元に、サウルとヨナタンの戦死を知らせる使いがやって来ました。私たちの人生には、喜びの絶頂から突如にして悲しみのどん底に突き落とされるようなことの連続です。何事にもあわてることなく、現実を真正面から受け止めた上で、神様に信頼して前を向いて生きることが私たちクリスチャンに相応しい生き方です。

http://bible.com/81/2sa.1.1-4.ja1955

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サムエル記下 1:5-10
『ダビデは自分と話している若者に言った、「あなたはサウルとその子ヨナタンが死んだのを、どうして知ったのか」。 彼に話している若者は言った、「わたしは、はからずも、ギルボア山にいましたが、サウルはそのやりによりかかっており、戦車と騎兵とが彼に攻め寄ろうとしていました。 その時、彼はうしろを振り向いてわたしを見、わたしを呼びましたので、『ここにいます』とわたしは答えました。 彼は『おまえはだれか』と言いましたので、『アマレクびとです』と答えました。 彼はまたわたしに言いました、『そばにきて殺してください。わたしは苦しみに耐えない。まだ命があるからです』。 そこで、わたしはそのそばにいって彼を殺しました。彼がすでに倒れて、生きることのできないのを知ったからです。そしてわたしは彼の頭にあった冠と、腕につけていた腕輪とを取って、それをわが主のもとに携えてきたのです」。』

どうしてサウル王とヨナタンが死んだことを知っているのか?とのダビデの問いかけに、自分はアマレク人であり、自害を試みるも死にきれず苦しんでいたサウルに頼まれて最期のとどめを刺したのだと答えました。しかし彼の情け深いようにも見える動機の背後には、主が立てた王を殺すことを恐れない不遜と、サウルに命を狙われていたダビデに報告すれば何か褒美でももらえるだろうとの下心がありました。私たちは慈悲を装った冷酷、謙遜を装った不遜、合理的思考を装った利己心に陥らないよう、細心の注意を払わなければなりません。

http://bible.com/81/2sa.1.5-10.ja1955

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サムエル記下 1:11-12
「そのときダビデは自分の着物をつかんでそれを裂き、彼と共にいた人々も皆同じようにした。 彼らはサウルのため、またその子ヨナタンのため、また主の民のため、またイスラエルの家のために悲しみ泣いて、夕暮まで食を断った。それは彼らがつるぎに倒れたからである。」

サウルの最期を告げたアマレク人の報告に、ダビデはその場で衣を裂き、断食してサウルとヨナタン、主の民イスラエルのために悲しみ嘆きました。私たちは自分さえ幸せであればよいという無慈悲な他人事のような考え方を捨て、悲しむ者と共に悲しみ、泣く者と共に泣く、人の悲しみ苦しみを自分のこととして受け止め寄り添う憐れみ深い者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2sa.1.11-12.ja1955

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サムエル記下 1:13-16
『ダビデは自分と話していた若者に言った、「あなたはどこの人ですか」。彼は言った、「アマレクびとで、寄留の他国人の子です」。 ダビデはまた彼に言った、「どうしてあなたは手を伸べて主の油を注がれた者を殺すことを恐れなかったのですか」。 ダビデはひとりの若者を呼び、「近寄って彼を撃て」と言った。そこで彼を撃ったので死んだ。 ダビデは彼に言った、「あなたの流した血の責めはあなたに帰する。あなたが自分の口から、『わたしは主の油を注がれた者を殺した』と言って、自身にむかって証拠を立てたからである」。』

サウルとヨナタンの戦死をダビデに報告したのは、残忍な卑怯者で神をも恐れぬイスラエルの敵、アマレク人でした。ダビデは、主がイスラエルの王として立てたサウルを殺害した罪に報いるために、このアマレク人を撃ち殺すよう命じました。たとい自分の命を狙っていた悪しき王であったとしても、主が立てられた権威に私たちは畏れる心をもって従うべきです。

http://bible.com/81/2sa.1.13-16.ja1955

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サムエル記下 1:17, 23, 26-27
『ダビデはこの悲しみの歌をもって、サウルとその子ヨナタンのために哀悼した。-

「サウルとヨナタンとは、愛され、かつ喜ばれた。彼らは生きるにも、死ぬにも離れず、わしよりも早く、ししよりも強かった。

わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためわたしは悲しむ。あなたはわたしにとって、いとも楽しい者であった。あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、女の愛にもまさっていた。 ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた」。』

ダビデはサウルとヨナタンの戦死を悼む悲しみを、哀歌をもって表しました。特にヨナタンについては、彼が自分のいのちにも勝ってダビデを愛し、苦しみの時に励ましてくれたことを思い起こして悲しみの歌を歌いました。私たちもまた、自分のためにいのち懸けで愛してくれる信仰の友のために、祈り、また喜びも悲しみも自分のこととして共有する者でありたいと願います。

http://bible.com/81/2sa.1.17,23,26-27.ja1955
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【今日の聖句】 2016/11/24

2016-11-24 06:42:29 | 今日の聖句
詩篇 100:4
「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。」

感謝と讃美をもって主の御前に集う者こそ、神様に喜ばれる真の礼拝者です。門前払いとなることなく主の大庭に入るさいわいに感謝して、心から主をほめたたえて礼拝する私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.4.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2016/11/23

2016-11-23 10:00:40 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 31:1-2
「さてペリシテびとはイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテびとの前から逃げ、多くの者は傷ついてギルボア山にたおれた。 ペリシテびとはサウルとその子らに攻め寄り、そしてペリシテびとはサウルの子ヨナタン、アビナダブ、およびマルキシュアを殺した。」

強大な敵ペリシテ人の総攻撃の前に、イスラエルの軍勢は為す術もなく背走し、王の一族を守る者も次々と倒され、サウルたちの身に迫ってきました。そしてついにヨナタンと兄弟たちも戦死してしまいました。悲しい事実ですが、いかにきよい心と健全な信仰を持っていても、愚かな指導者に仕える者は、ついに滅びてしまいます。指導者の責任はそれほど重いものであることを、私たちは忘れてはなりません。

http://bible.com/81/1sa.31.1-2.ja1955

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サムエル記上 31:3-5
「戦いは激しくサウルに迫り、弓を射る者どもがサウルを見つけて、彼を射たので、サウルは射る者たちにひどい傷を負わされた。 そこでサウルはその武器を執る者に言った、「つるぎを抜き、それをもってわたしを刺せ。さもないと、これらの無割礼の者どもがきて、わたしを刺し、わたしをなぶり殺しにするであろう」。しかしその武器を執る者は、ひじょうに恐れて、それに応じなかったので、サウルは、つるぎを執って、その上に伏した。 武器を執る者はサウルが死んだのを見て、自分もまたつるぎの上に伏して、彼と共に死んだ。」

王の護衛兵を失い、ヨナタンと子どもたちも戦死し、ペリシテ人の標的はサウル一人に集中します。雨のごとく射られた弓矢を浴びて瀕死の重傷を負ったサウルは、敵の手に掛かって死ぬよりはと太刀持ちの従者にとどめを刺すようにと命じましたが、従者は王に手をかけることを恐れたため、ついにサウルは自害して命を落としました。最後まで王の威厳を保つことにこだわって死に至ったサウルの哀れな結末から、プライドや体面を保つことと、遜り悔い改めていのちを保つことと、どちらが大切か、私たちは正しく学ばなければなりません。

http://bible.com/81/1sa.31.3-5.ja1955

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サムエル記上 31:6
「こうしてサウルとその三人の子たち、およびサウルの武器を執る者、ならびにその従者たちは皆、この日共に死んだ。」

口寄せの女を通して語られたサムエルの預言通り、サウルとその子たち、および王の従者たちは、たった一日のうちに全員滅びてしまいました。これもすべて、最後まで神様の御前に遜ることを拒み、御言葉に聞き従わなかったサウルの不信仰の故です。高慢と不従順は自らを滅ぼす大きな罪であることを、私たちは忘れてはなりません。

http://bible.com/81/1sa.31.6.ja1955

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サムエル記上 31:8-10
「あくる日、ペリシテびとは殺された者から、はぎ取るためにきたが、サウルとその三人の子たちがギルボア山にたおれているのを見つけた。 彼らはサウルの首を切り、そのよろいをはぎ取り、ペリシテびとの全地に人をつかわして、この良い知らせを、その偶像と民とに伝えさせた。 また彼らは、そのよろいをアシタロテの神殿に置き、彼のからだをベテシャンの城壁にくぎづけにした。」

戦い終えて意気揚々と略奪に来たペリシテ人たちは、サウルの遺体を見つけて、王の首を切り、鎧をはぎ取り、体を城壁に釘付けにして、見せしめの晒し者としました。最期まで王の威厳を保つことにこだわったサウルでしたが、死んでしまえば何の意味もありません。一時の恥を忍んでも神様の御前にへりくだり、生きながらえて、敵からあざけられ呪われる者とならないよう、肝に銘じる私たちでありますように。

http://bible.com/81/1sa.31.8-10.ja1955

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サムエル記上 31:11-13
「ヤベシ・ギレアデの住民たちは、ペリシテびとがサウルにした事を聞いて、 勇士たちはみな立ち、夜もすがら行って、サウルのからだと、その子たちのからだをベテシャンの城壁から取りおろし、ヤベシにきて、これをそこで焼き、 その骨を取って、ヤベシのぎょりゅうの木の下に葬り、七日の間、断食した。」

サウルがイスラエルの王となった頃、アンモン人から救ってもらったヤベシ・ギレアデの人々は、サウルに対する恩を忘れることなく、ベテシャンの城壁に晒し者とされていたサウルとその子たちの遺骸を取り下ろすために徹夜で出向き、丁重に葬った後、7日間断食して喪に服しました。後にダビデも、このヤベシ・ギレアデの人々の忠義を褒めました。これこそが真の救いを経験した者の取るべき態度です。主イエス様の十字架により罪赦され救われた私たちもまた同様に、その恩を決して忘れることなく、生涯をかけて忠義を尽くす者でありたいと願います。

http://bible.com/81/1sa.31.11-13.ja1955
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