伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/05/31

2017-05-31 07:35:43 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 20:1-3
『そこでナアマびとゾパルは答えて言った、 「これによって、わたしは答えようとの思いを起し、これがために心中しきりに騒ぎ立つ。 わたしはわたしをはずかしめる非難を聞く、しかし、わたしの悟りの霊がわたしに答えさせる。」』

ヨブから非難されたゾパルは心中穏やかではなくなり、再び口を開いて反論しました。しかし彼の主張は「わたしの悟りの霊」とあるように個人的な見解に過ぎず、ヨブが尋ね求めた神の摂理の解き明かしとはほど遠いものでした。

私たちはよく「常識」という言葉を使って人の言葉を否定することがあります。しかしこの「常識」という言葉こそ曲者で、単に自分の考えや、自分と同じ考えを持つ人々の間でしか通用しない理念を人に押しつけるだけものに過ぎません。

私たちの陥りやすい過ちは、自分の考えを神様の御心とすり替えて、自分の価値基準で、上から目線で人を裁く罪です。しかし私たちが土台とする価値基準は、世の始めから終わりまで一貫して変わることのない生ける神の御言葉、普遍的な価値基準である聖書に基づくものであるべきです。

http://bible.com/81/job.20.1-3.ja1955

*****

ヨブ記 20:4-8
「あなたはこの事を知らないのか、昔から地の上に人の置かれてよりこのかた、 悪しき人の勝ち誇はしばらくであって、神を信じない者の楽しみはただつかのまであることを。 たといその高さが天に達し、その頭が雲におよんでも、 彼はおのれの糞のように、とこしえに滅び、彼を見た者は言うであろう、『彼はどこにおるか』と。 彼は夢のように飛び去って、再び見ることはない。彼は夜の幻のように追い払われるであろう。」

ゾパルは様々な比喩や詩的表現を用いて言葉巧みに語りましたが、つまるところ神をも恐れぬ悪人は滅びるという、子どもでも知っているようなごく当たり前のことを言っただけに過ぎませんでした。聞く相手の状況や求めを顧みず一方的に自分の意見を語るゾパルの姿は、単なる自己陶酔に過ぎない、端から見ると実に哀れな姿です。私たちは自己満足のために生きているのではなく、神の栄光を現し、人の徳を高めるためにこの世に遣わされていることを自覚して行動せねばなりません。

http://bible.com/81/job.20.4-8.ja1955

*****

ヨブ記 20:23, 26-27, 29
「彼がその腹を満たそうとすれば、神はその激しい怒りを送って、それを彼の上に降り注ぎ、彼の食物とされる。

もろもろの暗黒が彼の宝物のためにたくわえられ、人が吹き起したものでない火が彼を焼きつくし、その天幕に残っている者を滅ぼすであろう。 天は彼の罪をあらわし、地は起って彼を攻めるであろう。

これが悪しき人の神から受ける分、神によって定められた嗣業である」。

ゾパルの語った言葉は決して間違いではありませんが、場違いであり、的外れでした。もし同じ言葉を神を恐れぬ悪人に対して語ったならば、罪に気付かせ悔い改めに導くことができたかもしれませんが、自分の知らないところで罪を犯したかもしれないと燔祭を捧げることを常としていたヨブにとっては全く意味のない言葉でした。これが自分の考えで行動を起こす人の限界です。

「彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。」マタイによる福音書 10:19-20

とあるように、‬ 私たちの語るべき言葉は人の言葉ではなく、その都度主に御心を求め、主から授けられた言葉だけを語る者でありたいと願います。

http://bible.com/81/job.20.23,26-27,29.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/31

2017-05-31 06:35:22 | 今日の聖句
ルカによる福音書 6:27-28
「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。」

人の愛にとどまっているうちは、自分に対して悪を働く者を愛し、親切にし、祝福を祈ることなどできません。神の愛を授けていただき、党派心も憎しみも越えて誰に対しても等しく善をもって接することのできるキリストの心を持つ者へと整えていただきたいと願います。

http://bible.com/81/luk.6.27-28.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/30

2017-05-30 07:57:24 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 19:1-6
『そこでヨブは答えて言った、 「あなたがたはいつまでわたしを悩まし、言葉をもってわたしを打ち砕くのか。 あなたがたはすでに十度もわたしをはずかしめ、わたしを悪くあしらってもなお恥じないのか。 たといわたしが、まことにあやまったとしても、そのあやまちは、わたし自身にとどまる。 もしあなたがたが、まことにわたしに向かって高ぶり、わたしの恥を論じるならば、 『神がわたしをしえたげ、その網でわたしを囲まれたのだ』と知るべきだ。」』

友人たちとの不毛な議論に疲れ果てたヨブは、いつまで自分を罪人に仕立て上げて辱めるのかと反論しました。そして、もし自分が過ちを犯したとしても、既に悔い改めているのだから罪の問題は解決済だと答えました。その上で、あなた方は高ぶって人のあら探しをするように私の恥を数え挙げているけれど、そのような愚かなことに時間を費やすよりも、ヨブは神様から責められているのだと悟りなさいと勧めました。

私たち人間は、人の過ちを挙げつらってスケープゴートにしてしまいがちな愚かな存在です。現代社会に巣喰ういじめや虐待などの諸問題もその一端です。しかし人の罪を責め立てたところで、自分の罪の問題は解決しません。人の振り見てわが振り直せ、との諺の如く、人の罪をあれこれ指摘する暇があるなら、自分の罪の問題を解決することに注力すべきです。

http://bible.com/81/job.19.1-6.ja1955

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ヨブ記 19:13-14, 17-19
「彼はわたしの兄弟たちをわたしから遠く離れさせられた。わたしを知る人々は全くわたしに疎遠になった。 わたしの親類および親しい友はわたしを見捨て、

わたしの息はわが妻にいとわれ、わたしは同じ腹の子たちにきらわれる。 わらべたちさえもわたしを侮り、わたしが起き上がれば、わたしをあざける。 親しい人々は皆わたしをいみきらい、わたしの愛した人々はわたしにそむいた。」

金の切れ目は縁の切れ目、ではないですが、この世の祝福を奪われ、自らも病に冒されたヨブに対し、人々は疎遠になり、親しい人々から嫌われ、愛する家族からも見捨てられ、何の関係もない子どもたちにさえ嘲られるほど落ちぶれた、実に惨めな存在になってしまいました。

しかしこのときのヨブと同じ状況に立たされた方がおられます。それは十字架に向かうイエス様のお姿です。たとい私たちは人々から見捨てられても、同じ経験をされたイエス様は決して私たちを見捨てることなどありませんから感謝いたします。

http://bible.com/81/job.19.13-14,17-19.ja1955

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ヨブ記 19:21-22, 28-29
「わが友よ、わたしをあわれめ、わたしをあわれめ、神のみ手がわたしを打ったからである。 あなたがたは、なにゆえ神のようにわたしを責め、わたしの肉をもって満足しないのか。

あなたがたがもし『われわれはどうして彼を責めようか』と言い、また『事の根源は彼のうちに見いだされる』と言うならば、 つるぎを恐れよ、怒りはつるぎの罰をきたらすからだ。これによって、あなたがたは、さばきのあることを知るであろう」。

ヨブは自分を責め立てた友人たちに、自ら口にした言葉をもって神様から裁かれることを警告しました。人を裁く言葉の剣は、やがて自分自身に突き立てられます。私たちは神になり代わって人を裁く愚かな罪を犯すことのないように自戒しなければなりません。

http://bible.com/81/job.19.21-22,28-29.ja1955

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ヨブ記 19:25-27
「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。 しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。」

この世のすべての祝福を失い、愛する家族から見捨てられ、友人たちからも責め立てられ、まさに四面楚歌の状況に陥ったヨブは、ついに購い主を待ち望む信仰に至りました。この世の生涯はなかなか自分の思い通りにはならず、むしろ何故このような目に遭わなければならないのかという苦難の連続です。しかし私たちには天の救い主を見上げる希望が与えられていますから感謝いたします。この世の生涯を終えるときに手放さなければならない地上の繁栄に執着することなく、朽ちず錆びず虫も喰わない天に積まれた宝に目を留めて、魂を救い永遠のいのちを与えてくださるまことの神、主に希望を置く私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.19.25-27.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/30

2017-05-30 06:45:13 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 4:18
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」

神の愛を知り、私たちの内に愛が全うされているならば、裁きを恐れることなく主の御前に立つことのできます。罪の入り込む余地など微塵もないほど完全に神の愛で満たしていただき、恐れから解放され、平安の内に主の日を待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.4.18.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/29

2017-05-29 07:45:06 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 18:1-4
『そこでシュヒびとビルダデは答えて言った、 「あなたはいつまで言葉にわなを設けるのか。あなたはまず悟るがよい、それからわれわれは論じよう。 なぜ、われわれは獣のように思われるのか。なぜ、あなたの目に愚かな者と見えるのか。 怒っておのが身を裂く者よ、あなたのために地は捨てられるだろうか。岩はその所から移されるだろうか。」』

自分は罪を犯していないのに誰もわかってくれないと嘆いたヨブに対し、第二の友ビルダデが、己の非を認めず友人たちを分からず屋だと主張するとは何事だと反論しました。今日の私たちもいわゆる「炎上」に多くの時間を無駄に費やしていますが、売り言葉に買い言葉のような激しい言葉の応報に問題解決の糸口などありません。むしろ言葉を慎み、義の塩で味付けられた柔和な言葉を語ることを通して、物事の本質を捉え、根本解決に至るまことの知恵をいただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.18.1-4.ja1955

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ヨブ記 18:5-10
「悪しき者の光は消え、その火の炎は光を放たず、 その天幕のうちの光は暗く、彼の上のともしびは消える。 その力ある歩みはせばめられ、その計りごとは彼を倒す。 彼は自分の足で網にかかり、また落し穴の上を歩む。 わなは彼のかかとを捕え、網わなは彼を捕える。 輪なわは彼を捕えるために地に隠され、張り網は彼を捕えるために道に設けられる。」

ビルダデの言葉は、悪しき人は自ら罠に掛かり、一時的な繁栄など消え失せてしまうという、ごく当たり前のことの繰り返しに過ぎませんでした。同じ主張を何度も繰り返すループ現象は、愚かな者の浅はかな知恵です。自己主張を曲げずに堂々巡りに陥るこの世の人々のようにではなく、問題発生の都度、神様に知恵を求め、真理への近道を通らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.18.5-10.ja1955

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ヨブ記 18:11-15, 20-21
「恐ろしい事が四方にあって彼を恐れさせ、その歩みにしたがって彼を追う。 その力は飢え、災は彼をつまずかすために備わっている。 その皮膚は病によって食いつくされ、死のういごは彼の手足を食いつくす。 彼はその頼む所の天幕から引き離されて、恐れの王のもとに追いやられる。 彼に属さない者が彼の天幕に住み、硫黄が彼のすまいの上にまき散らされる。

西の者は彼の日について驚き、東の者はおじ恐れる。 まことに、悪しき者のすまいはこのようであり、神を知らない者の所はこのようである」。

小学校の社会のグループ学習で、鎌倉市内の寺社を訪れて調べたことを模造紙にまとめて報告する研究発表の授業がありました。そのとき私たちのグループは、学校からほど近い円応寺というお寺について調べたのですが、そこは人の死後の地獄で裁く閻魔大王をご本尊として祀るお寺でした。昔の人々はこのように、悪いことをしたら罰が当たって死んだ後も苦しめられるという恐怖心を煽って、人に悪事を働かないようにと教えていたのです。

ビルダデもまた悪しき者が裁かれる状況を詳しく語るのみで、まるで閻魔大王の教えと何一つ変わりませんでした。人の罪を指摘し裁くのみで、救いの道を提示しない者は、まことの神を知る者の取るべき態度としては不適切です。私たちに委ねられている福音の本質は、断罪ではなく罪からの解放です。人を悔い改めさせることを目的としてしまわぬよう自戒し、罪赦された喜びに生きることを宣べ伝えさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.18.11-15,20-21.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/29

2017-05-29 06:40:04 | 今日の聖句
ペテロの第一の手紙 5:7
「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」

一人で思い悩んでも堂々巡りに陥るだけです。天地万物を統べ治められる神様に顧みられているさいわいに感謝し、すべての思い煩いを主に委ねることのできる恵みに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/1pe.5.7.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/28

2017-05-28 06:50:14 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 17:1-3
「わが霊は破れ、わが日は尽き、墓はわたしを待っている。 まことにあざける者どもはわたしのまわりにあり、わが目は常に彼らの侮りを見る。 どうか、あなた自ら保証となられるように。ほかにだれがわたしのために保証となってくれる者があろうか。」

友人たちから取り囲まれて侮られ、この世の生涯に何の希望もなく死ぬ日を待つばかりのヨブは、主ご自身が私の保証人となってくださるようにと願い求めました。これは私たちと同じくキリストを待ち望む信仰者の姿です。たとい世の人々から捨てられても、主イエス様は決して私たちを見捨てることなく、神様の御前に保証人となってくださいますから感謝いたします。

http://bible.com/81/job.17.1-3.ja1955

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ヨブ記 17:6-9
「彼はわたしを民の笑い草とされた。わたしは顔につばきされる者となる。 わが目は憂いによってかすみ、わがからだはすべて影のようだ。 正しい者はこれに驚き、罪なき者は神を信ぜぬ者に対して憤る。 それでもなお正しい者はその道を堅く保ち、潔い手をもつ者はますます力を得る。」

人々から嘲られ、顔に唾をかけられた姿は、まるで十字架でイエス様が受けた侮辱を預言しているかのようです。しかしイエス様は彼らの嘲笑に言い返すことをせず、むしろ「父よ彼らをおゆるしください、彼らは自分が何をしているかわからずにいるのです」と、十字架の苦しみの中で執り成しの祈りを捧げて正しい者の道を貫かれました。私たちもまた主イエス様に倣い、悪をもって悪に報いることなく、むしろ善をもって悪に勝利する者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.17.6-9.ja1955

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ヨブ記 17:11, 13-16
「わが日は過ぎ去り、わが計りごとは敗れ、わが心の願いも敗れた。

わたしがもし陰府をわたしの家として望み、暗やみに寝床をのべ、 穴に向かって『あなたはわたしの父である』と言い、うじに向かって『あなたはわたしの母、わたしの姉妹である』と言うならば、 わたしの望みはどこにあるか、だれがわたしの望みを見ることができようか。 これは下って陰府の関門にいたり、われわれは共にちりに下るであろうか」。

この世の人生の計画も願望もことごとく敗れ去り、生きることに希望を失ったヨブは、もはや死んで陰府に下り、肉体は朽ち果て土に還ることを覚悟しました。この世の生涯でどれほど繁栄して自分の望み通りの人生を送っても、土から生まれ、元の土に還るだけの私たちの生涯に何の希望を見出すことができるでしょうか。

人は必ず死にます。死ぬために生きているのだともいえる私たち人間の生きる目的は、好き勝手な人生を送るためではなく、いかに生きたかが大切なことです。神様から与えられたいのちを自分のためだけに用いて何も残らない虚しい人生ではなく、神様のために用いて主の御心をこの世に成し遂げたという記録を、天にあるいのちの書に残すことのできる人生を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.17.11,13-16.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/28

2017-05-28 06:05:58 | 今日の聖句
エレミヤ書 1:5
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。

神様はまだ母の胎に宿る前から私たちを覚え、一人一人の人生に使命を与えておられます。そして御言葉を伝える使命は預言者だけに与えられたものではありません。言葉には出さずとも日々の生活を通して主なる神様を証し、自分らしく福音の使命を果たす私たちでありますように。

http://bible.com/81/jer.1.5.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/27

2017-05-27 07:00:04 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 16:1-3, 6
『そこでヨブは答えて言った、 「わたしはこのような事を数多く聞いた。あなたがたは皆人を慰めようとして、かえって人を煩わす者だ。 むなしき言葉に、はてしがあろうか。あなたは何に激して答をするのか。

たといわたしは語っても、わたしの苦しみは和らげられない。たといわたしは忍んでも、どれほどそれがわたしを去るであろうか。」』

激しい言葉の応報に深く傷つき疲れ果てたヨブは、あなたがたと議論しても心を煩わすだけだと、これ以上語り合っても意味のないことを悟りました。自らの義を主張するばかりで人の徳を立てることのない虚しい議論は、決して人を慰めることはできません。人の心を煩わすだけで何の益もなく終わらぬように言葉を慎み、人を生かし、慰め、励ます、まことの愛の言葉を語らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.16.1-3,6.ja1955

*****

ヨブ記 16:10-13
「人々はわたしに向かって口を張り、侮ってわたしのほおを打ち、ともに集まってわたしを攻める。 神はわたしをよこしまな者に渡し、悪人の手に投げいれられる。 わたしは安らかであったのに、彼はわたしを切り裂き、首を捕えて、わたしを打ち砕き、わたしを立てて的とされた。 その射手はわたしを囲む。彼は無慈悲にもわたしの腰を射通し、わたしの肝を地に流れ出させられる。」

誰一人として自分の心境を理解しようとせず、かえって周りから取り囲まれて責め立てられたヨブは、神様は私を悪人の手に陥らせ、まるで射撃訓練の標的のようにさらし者にされたと、四面楚歌の状況を嘆き悲しみました。人を断罪しズタズタに傷つける無慈悲な言葉の矢は、人を失望と悲しみに陥らせます。私たちの口から出る言葉はそうであってはなりません。むしろ愛と憐れみの言葉で人の心を潤すことのできるよう、唇をきよめていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.16.10-13.ja1955

*****

ヨブ記 16:16-17, 19-21
「わたしの顔は泣いて赤くなり、わたしのまぶたには深いやみがある。 しかし、わたしの手には暴虐がなく、わたしの祈は清い。

見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。 わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。 どうか彼が人のために神と弁論し、人とその友との間をさばいてくれるように。」

ヨブは悲しみのあまり泣きはらし、心の苦しみにより一点の光明も見ることができなくなってしまいました。自分を罪に定めようとする友人たちに取り囲まれたヨブは、自ら罪のないことの証人となってくれるお方を地上にではなく天に求めました。これはまさに救い主を求める信仰です。私たちには既に十字架に掛かられ、罪を購ってくださった主イエス様がいてくださいますから感謝いたします。たとい人から見捨てられ責め立てられても、私たちには主イエス様が共にいて弁護してくださることを確信して、慰めと平安の内にこの世の生涯を送らせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.16.16-17,19-21.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/27

2017-05-27 06:10:44 | 今日の聖句
ルカによる福音書 6:37
「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」

私たちが身に付けるべき徳は、裁く義ではなく、許す愛です。憐れみのない自己中心の正義を振りかざして神様から罪に定められることのないように身を慎み、むしろ寛容と柔和な心をもって人と接する包容力豊かな者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/luk.6.37.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/26

2017-05-26 07:58:51 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 15:1-6‬
『そこでテマンびとエリパズは答えて言った、 「知者はむなしき知識をもって答えるであろうか。東風をもってその腹を満たすであろうか。 役に立たない談話をもって論じるであろうか。無益な言葉をもって争うであろうか。 ところがあなたは神を恐れることを捨て、神の前に祈る事をやめている。あなたの罪はあなたの口を教え、あなたは悪賢い人の舌を選び用いる。 あなたの口みずからあなたの罪を定める、わたしではない。あなたのくちびるがあなたに逆らって証明する。」』

ヨブの友のうち一番の年長者であるエリパズが口火を切って、何故私が苦しみに遭わなければならないのですかと神様に問いかけるヨブに反論しました。エリパズの論拠は、祈りを忘れて虚しい言葉を語っているヨブの言葉こそが罪の証拠だというものです。しかし前の章のヨブの言葉を冷静に読めば、私たちの心の苦しみを素直に神様に打ち明ける哀歌の形を取っていることは自明です。この哀歌をエリパズは祈りと受け止められなかったところがエリパズの心の狭さです。

聖歌「いつくしみ深き」の歌詞に「心の嘆きをつつまず述べて、などかは下ろさぬ負える重荷を」とあるように、私たちには心の嘆きや叫びを神様に直接訴える祈りが許されています。私たちの悲しみの祈りを神様の御前で執り成してくださる主イエス様に心から感謝いたします。

http://bible.com/81/job.15.1-6‬.ja1955

*****

ヨブ記 15:7, 10, 17-18
「あなたは最初に生れた人であるのか。山よりも先に生れたのか。

われわれの中にはしらがの人も、年老いた人もあって、あなたの父よりも年上だ。

わたしはあなたに語ろう、聞くがよい。わたしは自分の見た事を述べよう。 これは知者たちがその先祖からうけて、隠す所なく語り伝えたものである。」

エリパズの論拠の中にあるものは、年長者の知恵こそが正しいという思想です。私はヨブの父親よりも年上なのだから、黙って自分の言うことに聞き従いなさいということです。しかしこの態度こそ、人の経験や知恵に頼って神様の御言葉を無にする、実に傲慢で不信仰な罪そのものであることに、エリパズは気付いていませんでした。

ともすると私たちもまた、自分の経験や知恵に頼って物事を判断してしまうことがあります。しかし私たちは、先人たちから受け継いできた人生訓や処世術がいかに優れていたとしても、神様の御心を求めることよりも優先させてしまってはなりません。特に年長者や上の立場にいる者は、人生経験のあるなしを判断基準にして人を裁くことのないように注意しなければなりません。

http://bible.com/81/job.15.7,10,17-18.ja1955

*****

ヨブ記 15:20-21, 24-26, 29, 34-35
「悪しき人は一生の間、もだえ苦しむ。残酷な人には年の数が定められている。 その耳には恐ろしい音が聞え、繁栄の時にも滅ぼす者が彼に臨む。

悩みと苦しみとが彼を恐れさせ、戦いの備えをした王のように彼に打ち勝つ。 これは彼が神に逆らってその手を伸べ、全能者に逆らって高慢にふるまい、 盾の厚い面をもって強情に、彼にはせ向かうからだ。

彼は富める者とならず、その富はながく続かない、また地に根を張ることはない。

神を信じない者のやからは子なく、まいないによる天幕は火で焼き滅ぼされるからだ。 彼らは害悪をはらみ、不義を生み、その腹は偽りをつくる」。

エリパズの語った言葉は、単にヨブの置かれている現状を物語っているだけで、それ以上の深い洞察はありません。そして目に見える不幸を並べ立てて、これは罪人に下る神の裁きに他ならないと短絡的に断定しているだけです。何故苦しみに遭わなければならないのかというヨブの訴えに対して、人の教えや経験、因果応報の思想に基づいて、単に自分の考えを押しつけているだけの短絡的な答えに過ぎません。

神様の御心を求めることなしに、私たちの人生の諸問題に対する真の解決はありません。私たちもまた悩み悲しみの中にある人々に対してエリパズのような高圧的な態度で接することのないよう、共に神様の御心を尋ね求める慰めと励ましの器とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.15.20-21,24-26,29,34-35.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/26

2017-05-26 06:50:35 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 10:10
「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」

欠けだらけの罪人に過ぎない私たちがどれほど善行を積んだとしても、神の義の基準には到底届きません。ですから人は十字架の購いを信じ、イエスをわが主と告白しなければ救われないのです。自己満足の義に救いを求めず、へりくだって神の憐れみを求める信仰告白により真の救いに至る私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.10.10.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/25

2017-05-25 07:57:09 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 14:1-3, 5-6
「女から生れる人は日が短く、悩みに満ちている。 彼は花のように咲き出て枯れ、影のように飛び去って、とどまらない。 あなたはこのような者にさえ目を開き、あなたの前に引き出して、さばかれるであろうか。

その日は定められ、その月の数もあなたと共にあり、あなたがその限りを定めて、越えることのできないようにされたのだから、 彼から目をはなし、手をひいてください。そうすれば彼は雇人のように、その日を楽しむことができるでしょう。」

理由もわからずに試練の中に落ち込んだヨブは、人の人生の空しさを語ります。人のいのちには限りがあって、光陰矢の如し、世界の歴史と比べたらほんの束の間に過ぎません。そのような瞬きのようにわずかな人生でも、神様は見過ごすことなく御前に引き出して裁かれるのですかと神様に問いかけ、こんな取るに足らない人の生涯など見過ごしてください、そうすれば宵越しの金は持たない日雇い労働者のように、明日のことは考えずその日一日を存分に楽しんで生きるでしょうと語りました。

私たちもまたヨブのように、将来に対する漠然とした不安にさいなまれて生きています。この世の空しさを感じるとき、自暴自棄になって、今さえよければと、この世の快楽に溺れて不安から逃れようとする人もいます。しかし神様はそのような人のことも決して忘れることなく、一人一人御心に留めてじっと見つめておられます。たとい束の間の生涯であったとしても、私たちは神様の御許しの内に生かされていることを忘れることなく、自分の人生に込められた神様の御心を尋ね求めて従う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/job.14.1-3,5-6.ja1955

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ヨブ記 14:7-13
「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない。 たといその根が地の中に老い、その幹が土の中に枯れても、 なお水の潤いにあえば芽をふき、若木のように枝を出す。 しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか。 水が湖から消え、川がかれて、かわくように、 人は伏して寝、また起きず、天のつきるまで、目ざめず、その眠りからさまされない。 どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。」

ヨブは人の不条理な人生と対比させて、見た目は枯れてしまった木のようであっても、再び芽を出し葉を茂らせる若枝のような希望を持つことができると羨望のまなざしを傾けました。そして人は一度死んでしまったら再び生き返ることができないと、空しさを覚えて嘆きました。

しかし地中に埋もれた木の根が脈々と流れる地下水脈から水を得るように、いのちの御言葉につながっていれば、私たちもまた枯れた切り株のような現状から再び若枝を吹き、生きる力を得ることができます。目に見える地上の現実に心を奪われることなく、人の目には隠された神様の摂理に目を留めて力を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.14.7-13.ja1955

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ヨブ記 14:14-17
「人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。 あなたがお呼びになるとき、わたしは答えるでしょう。あなたはみ手のわざを顧みられるでしょう。 その時あなたはわたしの歩みを数え、わたしの罪を見のがされるでしょう。 わたしのとがは袋の中に封じられ、あなたはわたしの罪を塗りかくされるでしょう。」

復活の望みと十字架の福音が知らされていなかった旧約聖書時代の世界観では、人は死ねばそれで終わり、その生き様に従って裁かれるまででした。しかしヨブは、先の章で神と人との間に立つ仲裁者を求めたように、罪の購いと赦しを求めました。これは人の罪を赦すためにやがて来られるキリストを見上げる信仰の告白です。私たちには既にこの福音が知らされているのですから、ヨブのようにこの世の苦難をただ嘆くだけで終わることなく、キリストを見上げて希望を抱き、苦難の日々を乗り越えさせていただいただきたいと願います。

http://bible.com/81/job.14.14-17.ja1955
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【今日の聖句】 2017/05/25

2017-05-25 06:45:41 | 今日の聖句
民数記 6:24-26
「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。 願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」。

私たちは神様の守りと恵みと平安がなければ生きてゆけない存在です。アロンの祝祷にあるように、天地万物を造られた神様の御顔が向けられていることに感謝し、主の賜る祝福と憐れみと平安の内に生かされる私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.6.24-26.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/05/24

2017-05-24 07:40:34 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 13:1-5
「見よ、わたしの目は、これをことごとく見た。わたしの耳はこれを聞いて悟った。 あなたがたの知っている事は、わたしも知っている。わたしはあなたがたに劣らない。 しかしわたしは全能者に物を言おう、わたしは神と論ずることを望む。 あなたがたは偽りをもってうわべを繕う者、皆、無用の医師だ。 どうか、あなたがたは全く沈黙するように。これがあなたがたの知恵であろう。」

罪のない者がどうして苦しみに遭わなければならないのかという本質的な問いかけに対し、あなたが何か罪を犯しているからだと問いつめる友人たちの答えに、ヨブは失望しました。そして罪を犯した者が裁かれることなど私も知っていると反論し、これ以上、人と対話していても埒が明かないと、神様に直接伺いたいと希望しました。

神様だけにしかわからない摂理や御心について、人の経験や知恵に基づく議論にどれほど時間を割いても、何の解決にもなりません。無意味な論戦に人生を無駄遣いすることなく、神様の御心を伺うことに専心する私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.13.1-5.ja1955

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ヨブ記 13:7-9, 12-13
「あなたがたは神のために不義を言おうとするのか。また彼のために偽りを述べるのか。 あなたがたは彼にひいきしようとするのか。神のために争おうとするのか。 神があなたがたを調べられるとき、あなたがたは無事だろうか。あなたがたは人を欺くように彼を欺くことができるか。

あなたがたの格言は灰のことわざだ。あなたがたの盾は土の盾だ。 黙して、わたしにかかわるな、わたしは話そう。何事でもわたしに来るなら、来るがよい。」

いかに立派な格言であっても、真理の源である神様を否定する言葉には何の存在意義もありません。ヨブの友人たちのように、神様を持ち出して持論を展開することは、自らが神となろうとするサタンの罪と何一つ違いません。ですから私たちクリスチャンは、御言葉を持ち出すときに特別な注意を払わなければなりません。神様の権威を振りかざして人の知恵を押しつける愚かな行為に陥ることのないよう、常に御心を求め、御霊の導きに身を委ね、きよめられた唇をもって真理を語らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.13.7-9,12-13.ja1955

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ヨブ記 13:15-18
「見よ、彼はわたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。 これこそわたしの救となる。神を信じない者は、神の前に出ることができないからだ。 あなたがたはよくわたしの言葉を聞き、わたしの述べる所を耳に入れよ。 見よ、わたしはすでにわたしの立ち場を言い並べた。わたしは義とされることをみずから知っている。」

死は絶望です。なぜなら人は死ぬと神様の御前に引き出され、裁きを受けなければならないからです。しかし主の御教えを堅く守って神様の御前に進み出ることのできる者、神様の前に自らの義を弁明できる者はさいわいです。たとい私たち自身には何の勲功もなくても、私たちの身代わりに十字架に掛かられたイエス様が弁護人となって、私たちの義とされたことを証明してくださいますから感謝いたします。自らの罪を認めて悔い改めないまま神様の御前に引き出されることなく、義とされた喜びと感謝に満たされて平安の内に神様の御前に進み出させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/job.13.15-18.ja1955

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ヨブ記 13:20-23
「ただわたしに二つの事を許してください。そうすれば、わたしはあなたの顔をさけて隠れることはないでしょう。 あなたの手をわたしから離してください。あなたの恐るべき事をもってわたしを恐れさせないでください。 そしてお呼びください、わたしは答えます。わたしに物を言わせて、あなたご自身、わたしにお答えください。 わたしのよこしまと、わたしの罪がどれほどあるか。わたしのとがと罪とをわたしに知らせてください。」

ヨブは神様に2つのことを許してくださいと願い求めました。それは神様の裁きの御手を離して恐れから解放してくださいということと、神様と直接対話して自分のどこに罪があるのかを聞かせてくださいとの願いでした。さいわいも災いも神様から来ることを確信していたヨブの心は、人にではなく神様に向けられていました。私たちもまた神様に向けて心の目を上げ、目の前の現実のはるか向こうにある神様の約束を目標として人生を歩ませていただく者でありますように。

http://bible.com/81/job.13.20-23.ja1955
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