伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2019/11/14

2019-11-14 07:50:13 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 1:1-8

これはヨルダンの向こうの荒野、パランと、トペル、ラバン、ハゼロテ、デザハブとの間の、スフの前にあるアラバにおいて、モーセがイスラエルのすべての人に告げた言葉である。 ホレブからセイル山の道を経て、カデシ・バルネアに達するには、十一日の道のりである。 第四十年の十一月となり、その月の一日に、モーセはイスラエルの人々にむかって、主が彼らのため彼に授けられた命令を、ことごとく告げた。 これはモーセがヘシボンに住んでいたアモリびとの王シホン、およびアシタロテとエデレイとに住んでいたバシャンの王オグを殺した後であった。 すなわちモーセはヨルダンの向こうのモアブの地で、みずから、この律法の説明に当った、そして言った、 「われわれの神、主はホレブにおいて、われわれに言われた、『あなたがたはすでに久しく、この山にとどまっていたが、 身をめぐらして道に進み、アモリびとの山地に行き、その近隣のすべての所、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海べ、カナンびとの地、またレバノンに行き、大川ユフラテにまで行きなさい。 見よ、わたしはこの地をあなたがたの前に置いた。この地にはいって、それを自分のものとしなさい。これは主が、あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた所である』。」

今日から申命記の通読に入ります。申命記はモーセ五書の最後を締めくくる、いわばモーセの遺言、告別説教ともいえる書物です。その執筆時期は出エジプト第40年目の11月1日、アモリ人の王シホンとバシャンの王オグを滅ぼした後、その場所は約束の地をはるかに見ることのできるモアブの平原です。「申命」とは「重ねて命令する」という意味で、出エジプト記から民数記にかけて記されたイスラエルの荒野の放浪の40年間に、主がモーセを通して語られた律法の言葉を整理して、神の約束の地に入る前に、出エジプト第二世代となったイスラエルの民に改めて語り聞かせ、モーセ亡き後、自ら神の祝福を勝ち取りに行くように勧めたものです。神が重ねて二度命令されるということは、それが非常に重要であることを意味します。神の律法を学ぶことは、現代に生きる私たちにとっても正しい信仰生活の基本であり、礼拝の精神として身に付けるべきことです。

https://www.bible.com/bible/81/deu.1.1-8.ja1955

*****

申命記 1:9-18

「あの時、わたしはあなたがたに言った、『わたしはひとりであなたがたを負うことができない。 あなたがたの神、主はあなたがたを多くされたので、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。 -どうぞ、あなたがたの先祖の神、主があなたがたを、今あるより千倍も多くし、またあなたがたに約束されたように、あなたがたを恵んでくださるように。- わたしひとりで、どうして、あなたがたを負い、あなたがたの重荷と、あなたがたの争いを処理することができようか。 あなたがたは、おのおの部族ごとに、知恵があり、知識があって、人に知られている人々を選び出しなさい。わたしはその人々を、あなたがたのかしらとするであろう』。 その時、あなたがたはわたしに答えた、『あなたがしようと言われることは良いことです』。 そこで、わたしは、あなたがたのうちから、知恵があり、人に知られている人々を取って、あなたがたのかしらとした。すなわち千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とし、また、あなたがたの部族のつかさびととした。 また、あのとき、わたしはあなたがたのさばきびとたちに命じて言った、『あなたがたは、兄弟たちの間の訴えを聞き、人とその兄弟、または寄留の他国人との間を、正しくさばかなければならない。 あなたがたは、さばきをする時、人を片寄り見てはならない。小さい者にも大いなる者にも聞かなければならない。人の顔を恐れてはならない。さばきは神の事だからである。あなたがたで決めるのにむずかしい事は、わたしのところに持ってこなければならない。わたしはそれを聞くであろう』。 わたしはまた、あの時、あなたがたがしなければならないことを、ことごとく命じた。」

この箇所は出エジプトの初期に、モーセ一人がイスラエルのすべての民の苦情を聞き、神にお伺いを立てていたことを見かねたミデアンの祭司であり舅のエテロが、部族ごとに民の内から知恵に満ちた信頼できるつかさを選び、軽度な判断は彼らに任せるように進言したことを指しています。正しい裁きを行うに当たり、人を偏り見ず、地位や民族や歳の差も分け隔てすることなく、人の顔色を窺うことなく、ただ神の言葉に従うべきことを改めて語り聞かせました。やがて天に召されるモーセ亡き後も、申命記に記された神の律法の言葉に従って、正しい判断を行うための基本姿勢を身に付けさせるためです。私たちもまた日常生活において聖書の基準に照らして善悪を判断し、自らの過ちを素直に認めて、改めるべき点は改め、償うべきことは償い、また神と人とを愛し、神に喜ばれる善を行い、御心に適う信仰生活を送るための指針とすることが肝要です。

https://www.bible.com/bible/81/deu.1.9-18.ja1955

*****

申命記 1:19-33

「われわれの神、主が命じられたように、われわれは、ホレブを出立して、あなたがたが見た、あの大きな恐ろしい荒野を通り、アモリびとの山地へ行く道によって、カデシ・バルネアにきた。 その時わたしはあなたがたに言った、『あなたがたは、われわれの神、主がお与えになるアモリびとの山地に着いた。 見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの前に置かれた。あなたの先祖の神、主が告げられたように、上って行って、これを自分のものとしなさい。恐れてはならない。おののいてはならない』。 あなたがたは皆わたしに近寄って言った、『われわれは人をさきにつかわして、その地を探らせ、どの道から上るべきか、どの町々に入るべきかを、復命させましょう』。 このことは良いと思ったので、わたしはあなたがたのうち、おのおのの部族から、ひとりずつ十二人の者を選んだ。 彼らは身をめぐらして、山地に上って行き、エシコルの谷へ行ってそれを探り、 その地のくだものを手に取って、われわれのところに持って下り、復命して言った、『われわれの神、主が賜わる地は良い地です』。 しかし、あなたがたは上って行くことを好まないで、あなたがたの神、主の命令にそむいた。 そして天幕でつぶやいて言った。『主はわれわれを憎んでアモリびとの手に渡し、滅ぼそうとしてエジプトの国から導き出されたのだ。 われわれはどこへ上って行くのか。兄弟たちは、「その民はわれわれよりも大きくて、背も高い。町々は大きく、その石がきは天に届いている。われわれは、またアナクびとの子孫をその所で見た」と言って、われわれの心をくじいた』。 その時、わたしはあなたがたに言った、『彼らをこわがってはならない。また恐れてはならない。 先に立って行かれるあなたがたの神、主はエジプトにおいて、あなたがたの目の前で、すべてのことを行われたように、あなたがたのために戦われるであろう。 あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった』。 このように言っても、あなたがたはなお、あなたがたの神、主を信じなかった。 主は道々あなたがたの先に立って行き、あなたがたが宿営する場所を捜し、夜は火のうちにあり、昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示された。」

ここでモーセは、かつて40年前にカデシュ・バルネアで、神の約束された地を偵察に遣わしたものの、神の祝福を確認しながらも、その地に先住民がおり、巨人族の子孫も残っていると聞いて、心が挫けてエジプトに帰還したいとつぶやいて、神とモーセに反逆した歴史を思い起こさせています。このモーセの言葉を聞いているのは第二世代、当時の人々の子どもたちですから、自分の親たちが何をしたのか、成人した今、自分の耳で改めて聞くことによって、自ら神の基準に照らして考えさせるための説教でした。彼らの中には幼いながらも、どうしてこんなに苦しい目に遭わなければならないのかと思っていた人々もいたでしょう。しかしこの苦しみは自らの親たちの不信仰と不従順の故であり、神は決していたずらに苦しみに遭わせるお方ではないことを、彼らに理解させるための説教でした。温故知新、過去の経験、殊に先人の失敗の記録から、自分たちがこれから何をなすべきか、何をしてはならないかを学ぶことは、私たちが真に祝福された人生を送るための大切な知恵となります。

https://www.bible.com/bible/81/deu.1.19-33.ja1955

*****

申命記 1:34-46

「主は、あなたがたの言葉を聞いて怒り、誓って言われた、 『この悪い世代の人々のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもないであろう。 ただエフンネの子カレブだけはそれを見ることができるであろう。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えるであろう。彼が全く主に従ったからである』。 主はまた、あなたがたのゆえに、わたしをも怒って言われた、『おまえもまた、そこにはいることができないであろう。 おまえに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこにはいるであろう。彼を力づけよ。彼はイスラエルにそれを獲させるであろう。 またあなたがたが、かすめられるであろうと言ったあなたがたのおさなごたち、およびその日にまだ善悪をわきまえないあなたがたの子供たちが、そこにはいるであろう。わたしはそれを彼らに与える。彼らはそれを所有とするであろう。 あなたがたは身をめぐらし、紅海の道によって、荒野に進んで行きなさい』。 しかし、あなたがたはわたしに答えて言った、『われわれは主にむかって罪を犯しました。われわれの神、主が命じられたように、われわれは上って行って戦いましょう』。そして、おのおの武器を身に帯びて、かるがるしく山地へ上って行こうとした。 その時、主はわたしに言われた、『彼らに言いなさい、「あなたがたは上って行ってはならない。また戦ってはならない。わたしはあなたがたのうちにいない。おそらく、あなたがたは敵に撃ち敗られるであろう」』。 このようにわたしが告げたのに、あなたがたは聞かないで主の命令にそむき、ほしいままに山地へ上って行ったが、 その山地に住んでいるアモリびとが、あなたがたに向かって出てきて、はちが追うように、あなたがたを追いかけ、セイルで撃ち敗って、ホルマにまで及んだ。 あなたがたは帰ってきて、主の前で泣いたが、主はあなたがたの声を聞かず、あなたがたに耳を傾けられなかった。 こうしてあなたがたは、日久しくカデシにとどまった。あなたがたのそこにとどまった日数のとおりである。」

先ほどのカデシュ・バルネアでの出来事の続きです。神の約束に信頼せず、人の目による判断基準に従って、神の約束を勝ち取ることのできなかった当時の人々は皆、荒野で死に絶えた今、そのとき神の約束に信頼して約束の地を取りに行こうと立ち上がったエフンネの子カレブとヌンの子ヨシュアだけが、今、現実に、彼らの前に生き残って約束の地に入れることを、モーセは改めて第二世代の人々に証しました。彼らはまさにイスラエルの歴史、荒野の試練の40年間の意味を後の世代に知らしめる、信仰の生き証人でした。ただ神に信頼し、御言葉を守り通して、神の栄冠を掴み取った信仰の大先輩たちが、今なお私たちの周りに多くいることでしょう。それらの人々の生き様から賢く学び、神の約束の確かなことを、信仰の醍醐味を、自分のものとして身に付ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/deu.1.34-46.ja1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【今日の聖句】 2019/11/14

2019-11-14 05:25:15 | 今日の聖句
ナホム書 1:7 新共同訳

主は恵み深く、苦しみの日には砦となり
主に身を寄せる者を御心に留められる。

恵み深い主は、苦難の中にある私たちをあらゆる攻撃から守る堅固な砦の如く、主に寄り頼む者を御心に留めてくださいます。主の鉄壁の守りの内に身を寄せて永遠の安らぎを得させていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/nam.1.7.新共同訳
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする