伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/12/31

2019-12-31 08:00:38 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 14:1-5

イスラエルの人々が、カナンの地で受けた嗣業の地は、次のとおりである。すなわち、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの人々の部族の首長たちが、これを彼らに分かち、 主がモーセによって命じられたように、くじによって、これを九つの部族と、半ばの部族とに、嗣業として与えた。 これはヨルダンの向こう側で、モーセがすでに他の二つの部族と、半ばの部族とに、嗣業を与えていたからである。ただしレビびとには、彼らの中で嗣業を与えず、 ヨセフの子孫が、マナセと、エフライムの二つの部族となったからである。レビびとには土地の分け前を与えず、ただ、その住むべき町々および、家畜と持ち物とを置くための放牧地を与えたばかりであった。 イスラエルの人々は、主がモーセに命じられたようにおこなって、その地を分けた。

ヨルダン川の西岸に広がる約束の地は、既に東岸に嗣業の地を得たルベン族、ガド族、マナセの半部族を除く、9部族とマナセの残りの部族で、くじ引きにより分割し、嗣業の地としました。このうちレビ族は、何度も繰り返しますが、直接神に仕えることが嗣業であったため、領地としては嗣業の地を持たず、イスラエル12部族の嗣業の地からレビ人のための住居と放牧地が与えられ、人々の間に住むこととなりました。これはレビ人を通して神とのつながりを保ち、御言葉に従って歩むためでもありました。私たちにもまた、神から与えられた嗣業のちとしての使命があります。自分の置かれた場において、神の御言葉に聞き従い、御心に適う生涯を送る者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.14.1-5.ja1955

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ヨシュア記 14:6-12

時に、ユダの人々がギルガルのヨシュアの所にきて、ケニズびとエフンネの子カレブが、ヨシュアに言った、「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしとについて、神の人モーセに言われたことを、あなたはごぞんじです。 主のしもべモーセが、この地を探るために、わたしをカデシ・バルネアからつかわした時、わたしは四十歳でした。そしてわたしは、自分の信ずるところを復命しました。 しかし、共に上って行った兄弟たちは、民の心をくじいてしまいましたが、わたしは全くわが神、主に従いました。 その日モーセは誓って、言いました、『おまえの足で踏んだ地は、かならず長くおまえと子孫との嗣業となるであろう。おまえが全くわが神、主に従ったからである』。 主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。わたしは今日すでに八十五歳ですが、 今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。 それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう」。

ヨシュアが嗣業の地を分け与えようとしたとき、エフンネの子カレブがユダ族の人々と共に進み出て、かつてモーセの命に従ってカデシュ・バルネアから神の約束された地を探るためにヨシュアと共に遣わされたときのことを語り、そのとき目にした巨人族の生き残りが住む山地の堅固な町々を私たちの嗣業の地として分け与えてくださいと申し出ました。カレブは既に85歳と、ヨシュアと同様に年老いていましたが、今もなお健やかで戦いに出られますと語り、神が約束された地を、目の前の敵と困難を撃ち破って自ら勝ち取りに行きますと、勇敢にも申し出たのでした。神の祝福は、棚ぼた式のように、ただ口を開けて待っているだけで手に入るような、生やさしいものではありません。安易な神の祝福を求めることなく、困難を乗り越えて、更に信仰の高みを目指して、神の豊かな祝福を自ら率先して勝ち取りに行く、大胆な信仰の勇者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.14.6-12.ja1955

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ヨシュア記 14:13-15

そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業とさせた。 こうしてヘブロンは、ケニズびとエフンネの子カレブの嗣業となって、今日に至っている。彼が全くイスラエルの神、主に従ったからである。 ヘブロンの名は、もとはキリアテ・アルバといった。アルバは、アナキびとのうちの、最も大いなる人であった。こうしてこの地に戦争はやんだ。

年老いてもなお嗣業の地を自ら勝ち取りに行くと大胆に語ったカレブの信仰の故に、ヨシュアはヘブロンの町を中心とする南側の広大な山地ををレビ族の嗣業の地として与えました。神はカレブと共におられたため、ついに巨人族のアナキ人を撃ち破り、ヘブロンはカレブの嗣業の地となったのです。ヘブロンはダビデの生まれ故郷であり、エルサレムが首都となるまでイスラエルの中心となった町です。このカレブの大胆かつ勇敢な信仰はダビデにも受け継がれ、神の国イスラエルの祝福の土台となったのです。私たちの人生においても、神が共におられることを確信し、困難をものともせず、神の祝福を勝ち取る信仰の生涯を歩ませていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.14.13-15.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/31

2019-12-31 06:40:16 | 今日の聖句
伝道の書 3:11

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

神はその折々に、必要かつ最適な経験を私たちに積ませなさいます。たとい今はその意味が分からなくとも、最善以外をなさらない神に人生のすべてを委ねて、過去の経験をばねに、まだ見ぬ未来に向かって一歩一歩前進させていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/ecc.3.11.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/30

2019-12-30 10:15:36 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 13:1-7

さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。 その残っている地は、次のとおりである。ペリシテびとの全地域、ゲシュルびとの全土、 エジプトの東のシホルから北にのびて、カナンびとに属するといわれるエクロンの境までの地、ペリシテびとの五人の君たちの地、すなわち、ガザ、アシドド、アシケロン、ガテ、およびエクロン。 南のアビびとの地、カナンびとの全地、シドンびとに属するメアラからアモリびとの境にあるアペクまでの部分。 またヘルモン山のふもとのバアルガデからハマテの入口に至るゲバルびとの地、およびレバノンの東の全土。 レバノンからミスレポテ・マイムまでの山地のすべての民、すなわちシドンびとの全土。わたしはみずから彼らをイスラエルの人々の前から追い払うであろう。わたしが命じたように、あなたはその地をイスラエルに分け与えて、嗣業とさせなければならない。 すなわち、その地を九つの部族と、マナセの半部族とに分け与えて、嗣業とさせなければならない」。

神の約束された地をイスラエルの嗣業の地として分け与える一大事業を、モーセから引き継いだヨシュアも年齢が進み、高齢となりました。しかし神は「取るべき地は、なお多く残っている」とヨシュアを激励し、その偉業を完遂させようとされました。11章の時点で大きな戦いはやみ、12章で既に大半の地を獲得したイスラエルでしたが、神の恵みの約束はとどまるところを知りません。小さな成功の積み重ねも大切ですが、途中段階で満足しきってしまうことなく、神の賜る大いなる祝福を取りこぼすことのないよう、常に向上心を保ち続け、更なる祝福を勝ち取らせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/jos.13.1-7.ja1955

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ヨシュア記 13:8-14

マナセの他の半部族と共に、ルベンびとと、ガドびととは、ヨルダンの向こう側、東の方で、その嗣業をモーセから受けた。主のしもべモーセが、彼らに与えたのは、 アルノンの谷のほとりにあるアロエル、および谷の中にある町から、デボンとメデバの間にある高原のすべての地。 ヘシボンで世を治めた、アモリびとの王シホンのすべての町々を含めて、アンモンの人々の境までの地。 ギレアデと、ゲシュルびと、ならびにマアカびとの領地、ヘルモン山の全土、サルカまでのバシャン全体。 アシタロテとエデレイで世を治めたバシャンの王オグの全国。オグはレパイムの生き残りであった。モーセはこれらを撃って、追い払った。 ただし、イスラエルの人々は、ゲシュルびとと、マアカびとを追い払わなかった。ゲシュルびとと、マアカびとは、今日までイスラエルのうちに住んでいる。 ただレビの部族には、ヨシュアはなんの嗣業をも与えなかった。イスラエルの神、主の火祭が彼らの嗣業であるからである。主がヨシュアに言われたとおりである。

昨日も通読した通り、ヨルダン川東岸にイスラエルが得た地は、ルベン族、ガド族、マナセの半部族に分け与えられました。13章では具体的な地名が記されていますが、イスラエルの地理を知らない私たちにとって、イスラエル12部族の嗣業の地は地図で見る方がわかりやすいので添付します。これらの地は、公道を通らせてほしいとのイスラエルの要望を断り、軍勢を率いて交戦を仕掛けた国々から勝ち取った地です。ただし、ゲシュル人とマアカ人は滅びを免れ、イスラエルの所領のうちに住みました。またイスラエル12部族のうち、神に仕えることを嗣業としたレビ人には、嗣業の地は与えられず、ルベン、ガド、マナセの半部族の嗣業の地の中から、のがれの町として分け与えられた場所に、自分たちの家と羊の放牧場を得ました。

https://www.bible.com/bible/81/jos.13.8-14.ja1955

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ヨシュア記 13:15-23

モーセはルベンびとの部族に、その家族にしたがって嗣業を与えたが、 その領域はアルノンの谷のほとりにあるアロエル、および谷の中にある町からメデバのほとりのすべての高原、 ヘシボンおよびその高原のすべての町々、デボン、バモテ・バアル、ベテ・バアル・メオン、 ヤハヅ、ケデモテ、メパアテ、 キリアタイム、シブマ、谷の中の山にあるゼレテ・シャハル、 ベテペオル、ピスガの山腹、ベテエシモテ、 すなわち高原のすべての町々と、ヘシボンで世を治めたアモリびとの王シホンの全国に及んだ。モーセはシホンを、ミデアンのつかさたちエビ、レケム、ツル、ホルおよびレバと共に撃ち殺した。これらはみなシホンの諸侯であって、その地に住んでいた者である。 イスラエルの人々はまたベオルの子、占い師バラムをもつるぎにかけて、そのほかに殺した者どもと共に殺した。 ルベンびとの領域はヨルダンを境とした。これはルベンびとが、その家族にしたがって獲た嗣業であって、その町々と村々とを含む。

ルベン族が得た嗣業の地は、アモリ人の王シホンの領地となっていたヨルダン川東岸の南側の地域一帯でした。シホンが滅ぼされたとき、イスラエルを呪うために呼び寄せられた呪術師バラムも、彼らと共に滅ぼされました。シホンから多額の報酬を得たバラムでしたが、いのちを失っては何一つ価値のないものとなります。私たちが目指すべきものは目先の利益ではなく、神から与えられる永遠の嗣業です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.13.15-23.ja1955

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ヨシュア記 13:24-33

モーセはまたガドの部族、ガドの子孫にも、その家族にしたがって、嗣業を与えたが、 その領域はヤゼル、ギレアデのすべての町々、アンモンびとの地の半ばで、ラバの東のアロエルまでの地。 ヘシボンからラマテ・ミゾパまでの地、およびベトニム、マハナイムからデビルの境までの地。 谷の中ではベテハラム、ベテニムラ、スコテ、およびザポンなど、ヘシボンの王シホンの国の残りの部分。ヨルダンを境として、ヨルダンの東側、キンネレテの湖の南の端までの地。 これはガドびとが、その家族にしたがって獲た嗣業であって、その町々と村々とを含む。 モーセはまたマナセの半部族にも、嗣業を与えたが、それはマナセの半部族が、その家族にしたがって与えられたものである。 その領域はマハナイムからバシャンの全土に及び、バシャンの王オグの全国、バシャンにあるヤイルのすべての町々、すなわちその六十の町。 またギレアデの半ば、バシャンのオグの国の町であるアシタロテとエデレイ。これらはマナセの子マキルの子孫に与えられた。すなわちマキルの子孫の半ばが、その家族にしたがって、それを獲た。 これらはヨルダンの向こう側、エリコの東のモアブの平野で、モーセが分け与えた嗣業である。 ただし、レビの部族には、モーセはなんの嗣業をも与えなかった。イスラエルの神、主がその嗣業だからである。主がモーセに言われたとおりである。

ガド部族にはヨルダン川東岸のモアブの平野の中部地域一帯、かつてのアンモン人の領地と、シホンの統治下にあったいくつかの町々でした。またマナセの半部族にはヨルダン川東岸の北の方、バシャンの王オグの所領であった土地でした。これらの地は、ヨルダン川を渡ることを禁じられたモーセによって分配された地でした。ここでもレビ人の所領嗣について、彼らは何の嗣業の地も得なかったとあります。神に直接献身した者には、神ご自身が嗣業であり、取るべき地、守るべき地です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.13.24-33.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/30

2019-12-30 05:55:55 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙二 5:17 新共同訳

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

キリストにある者は誰でも、キリストの十字架と共に古い自分に死に、キリストのよみがえりと共に新しい自分に生まれ変わった者です。過去の罪はすべて過ぎ去ったものとして振り返ることなく、神に喜ばれる新しい人生をスタートさせる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/2co.5.17.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/29

2019-12-29 22:55:15 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 12:1-6

さてヨルダンの向こう側、日の出の方で、アルノンの谷からヘルモン山まで、および東アラバの全土のうちで、イスラエルの人々が撃ち滅ぼして地を取った国の王たちは、次のとおりである。 まず、アモリびとの王シホン。彼はヘシボンに住み、その領地は、アルノンの谷のほとりにあるアロエル、および谷の中の町から、ギレアデの半ばを占めて、アンモンびととの境であるヤボク川に達し、 東の方ではアラバをキンネレテの湖まで占め、またアラバの海すなわち塩の海の東におよび、ベテエシモテの道を経て、南はピスガの山のふもとに達した。 次にレパイムの生き残りのひとりであったバシャンの王オグ。彼はアシタロテとエデレイとに住み、 ヘルモン山、サレカ、およびバシャンの全土を領したので、ゲシュルびと、およびマアカびとと境を接し、またギレアデの半ばを領したので、ヘシボンの王シホンと境を接していた。 主のしもべモーセと、イスラエルの人々とが、彼らを撃ち滅ぼし、そして主のしもべモーセは、これらの地を、ルベンびと、ガドびと、およびマナセの半部族に与えて所有とさせた。

イスラエルの人々が所領として勝ち取った土地を総括しています。ヨルダン川の東側は、本来は神がイスラエルに与えると約束した地ではありませんでしたが、その地の王たち、アモリ人の王シホンとバシャンの王オグは、ヨルダン川に向かうイスラエルが自国の領地内を通過することすら許さず、むしろ敵対視して攻撃したため、神は彼らを滅ぼされ、モーセによってイスラエルにその地をお与えになりました。神に敵対する者、イスラエルを歓迎しない者、平和を愛することなく戦いを好む者には滅びが待っていることを、私たちは忘れてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jos.12.1-6.ja1955

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ヨシュア記 12:7-24

ヨルダンのこちら側、西の方にあって、レバノンの谷にあるバアルガデから、セイルへ上って行く道のハラク山までの間で、ヨシュアと、イスラエルの人々とが、撃ち滅ぼした国の王たちは、次のとおりである。ヨシュアは彼らの地をイスラエルの部族に、それぞれの分を与えて嗣業とさせた。 これは、山地、平地、アラバ、山腹、荒野、およびネゲブであって、ヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの所領であった。 エリコの王ひとり。ベテルのほとりのアイの王ひとり。 エルサレムの王ひとり。ヘブロンの王ひとり。 ヤルムテの王ひとり。ラキシの王ひとり。 エグロンの王ひとり。ゲゼルの王ひとり。 デビルの王ひとり。ゲデルの王ひとり。 ホルマの王ひとり。アラデの王ひとり。 リブナの王ひとり。アドラムの王ひとり。 マッケダの王ひとり。ベテルの王ひとり。 タップアの王ひとり。ヘペルの王ひとり。 アペクの王ひとり。シャロンの王ひとり。 マドンの王ひとり。ハゾルの王ひとり。 シムロン・メロンの王ひとり。アクサフの王ひとり。 タアナクの王ひとり。メギドの王ひとり。 ケデシの王ひとり。カルメルのヨクネアムの王ひとり。 ドルの高地におるドルの王ひとり。ガリラヤのゴイイムの王ひとり。 テルザの王ひとり。合わせて三十一王である。

次いでヨルダン川の西側、神がイスラエルの父祖アブラハムに与えると約束された地、モーセの遺志を継いだヨシュアに神が共に働いて、31人の王から勝ち取らせた地域一帯の領地が記録されています。ですからこれらの領地は誰が何と言おうとも、古からイスラエルのものなのです。それはイスラエルが強かったからではありません。むしろイスラエルは数も少なく、鍛え抜かれた兵力も、高度な武器も持っていませんでした。何故彼らがこれらの領地を自分の所有とすることができたのか? それは天地万物を造られた神の一方的な憐れみによるものであり、同時に先住民たちの罪が赦されざるほど深かったためでした。私たちが大成功を収めたとき、目標を達成したとき、よくよく注意しなければならないことは、神の権威を無にしてすべての栄光を自分のものとする驕りであり、慢心であり、気の緩みです。この世の栄誉も、権力も、資産も、すべて神から出て、神に帰すべきものであることを忘れてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jos.12.7-24.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/29

2019-12-29 06:35:47 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 1:12 新共同訳

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

言葉は目に見える、実体のあるものではありませんが、語る者の人格が如実に現されます。生ける神の言を受け入れた者は、神を信じた者であり、御子イエスと共に神の子たる身分を授けられた、天に国籍を持つ、永遠のいのちの有資格者とされますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.1.12.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/28

2019-12-28 08:50:47 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 11:1-9

ハゾルの王ヤビンは、これを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、およびアクサフの王、 また北の山地、キンネロテの南のアラバ、平地、西の方のドルの高地におる王たち、 すなわち、東西のカナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、山地のエブスびと、ミヅパの地にあるヘルモンのふもとのヒビびとに使者をつかわした。 そして彼らは、そのすべての軍勢を率いて出てきた。その大軍は浜べの砂のように数多く、馬と戦車も、ひじょうに多かった。 これらの王たちはみな軍を集め、進んできて、共にメロムの水のほとりに陣をしき、イスラエルと戦おうとした。 その時、主はヨシュアに言われた、「彼らのゆえに恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らを皆イスラエルに渡して、ことごとく殺させるであろう。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼かなければならない」。 そこでヨシュアは、すべてのいくさびとを率いて、にわかにメロムの水のほとりにおし寄せ、彼らを襲った。 主は彼らをイスラエルの手に渡されたので、これを撃ち破り、大シドンおよびミスレポテ・マイムまで、これを追撃し、東の方では、ミヅパの谷まで彼らを追い、ついにひとりも残さず撃ちとった。 ヨシュアは主が命じられたとおりに彼らに行い、彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼いた。

イスラエルがヒビ人の軍勢とカナン地方南部一帯を征服したと聞いたはぞるの王ヤビンは、ヘルモン山に至るまでのカナン地方北部の国々と連合軍を組み、馬と戦車を含むおびただしい数の軍勢を率いてイスラエルに総攻撃を仕掛けました。しかし神はヨシュアに、彼らの圧倒的な戦力を恐れてはならない、明日の今頃、わたしは彼らをあなたの手に渡すと告げて、イスラエルを励ましました。主の御言葉をいただいて勇気を得たイスラエル全軍は敵の前に陣を布き、勇敢に彼らと戦ったので、敵を残さず討ち取り、主がヨシュアに命じられた通り、馬の足の筋を切り、戦車を火で焼き払いました。全世界を統べ治められる神の前には、人の力による軍事力など何一つ脅威にすらなりません。私たちは目に見える情勢や人の数を恐れることなく、神が共にいてくださるとの約束に信頼して、心を強くして勇敢にこの世の生涯を戦い抜く者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.11.1-9.ja1955

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ヨシュア記 11:10-15

その時、ヨシュアはひきかえして、ハゾルを取り、つるぎをもって、その王を撃った。ハゾルは昔、これらすべての国々の盟主であったからである。 彼らはつるぎをもって、その中のすべての人を撃ち、ことごとくそれを滅ぼし、息のあるものは、ひとりも残さなかった。そして火をもってハゾルを焼いた。 ヨシュアはこれらの王たちのすべての町々、およびその諸王を取り、つるぎをもって、これを撃ち、ことごとく滅ぼした。主のしもべモーセが命じたとおりであった。 ただし、丘の上に立っている町々をイスラエルは焼かなかった。ヨシュアはただハゾルだけを焼いた。 これらの町のすべてのぶんどり物と家畜とは、イスラエルの人々が戦利品として取ったが、人はみなつるぎをもって、滅ぼし尽し、息のあるものは、ひとりも残さなかった。 主がそのしもべモーセに命じられたように、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりにおこなった。すべて主がモーセに命じられたことで、ヨシュアが行わなかったことは一つもなかった。

カナン地方北部の連合軍を撃ち破ったヨシュアと全イスラエルは、最前線から引き返して彼らの盟主となったハゾルを襲い、その王ヤビンと、連合軍の国々の王を討ち取り、彼らの国々を完全に滅ぼし尽くし、戦利品は各々が取りました。ヨシュアは神がモーセに命じられた通り、何一つ漏らすことなく、すべてのことを実行しました。神の約束を信じる者は、神のご命令を一つとして欠かすことなく実践することが肝心要です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.11.10-15.ja1955

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ヨシュア記 11:16-23

こうしてヨシュアはその全地、すなわち、山地、ネゲブの全地、ゴセンの全地、平地、アラバならびにイスラエルの山地と平地を取り、 セイルへ上って行く道のハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアルガデまでを獲た。そしてそれらの王たちを、ことごとく捕えて、撃ち殺した。 ヨシュアはこれらすべての王たちと、長いあいだ戦った。 ギベオンの住民ヒビびとのほかには、イスラエルの人々と和を講じた町は一つもなかった。町々はみな戦争をして、攻め取ったものであった。 彼らが心をかたくなにして、イスラエルに攻めよせたのは、もともと主がそうさせられたので、彼らがのろわれた者となり、あわれみを受けず、ことごとく滅ぼされるためであった。主がモーセに命じられたとおりである。 その時、ヨシュアはまた行って、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から、アナクびとを断ち、彼らの町々をも共に滅ぼした。 それでイスラエルの人々の地に、アナクびとは、ひとりもいなくなった。ただガサ、ガテ、アシドドには、少し残っているだけであった。 こうしてヨシュアはその地を、ことごとく取った。すべて主がモーセに告げられたとおりである。そしてヨシュアはイスラエルの部族にそれぞれの分を与えて、嗣業とさせた。こうしてその地に戦争はやんだ。

このようにしてヨシュアは、神がイスラエルの父祖アブラハムに約束し、モーセに命じられた通り、カナン地方一帯をイスラエルの所領として勝ち取りました。こうして戦いはやみ、イスラエルに平和が訪れ、主がモーセに命じられた通り、ヨシュアはイスラエルに嗣業の地を分け与えました。これらすべてのことは、神がギベオンの人々を除くカナン地方の先住民たちの心を頑なにしてイスラエルに敵対させ、戦争を仕掛けさせることによって、不当な侵略ではなく正当防衛として、その地を獲得することができるようにさせたのでした。今もなお、イスラエルは中東地域の人々から不当に憎まれ、執拗な攻撃を受け続けていますが、これによって彼らの不義が明らかになり、イスラエルの義こそが明白です。ですから私たちも、彼らの情報操作に騙されてはなりません。イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われることを、私たちは忘れてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jos.11.16-23.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/28

2019-12-28 06:50:33 | 今日の聖句
マタイによる福音書 4:4 新共同訳

イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 と書いてある。」

欲望を満たすために神の力を使わせようとするサタンの誘惑に対し、主イエスは御言葉を用いて打ち勝ちました。自らの欲望やこの世の様々な誘惑に負けて生きるのではなく、永遠の真理である神の御言葉に基づいて真に自分らしく輝いて生きる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.4.4.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/27

2019-12-27 07:55:32 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 10:1-5

エルサレムの王アドニゼデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを全く滅ぼし、さきにエリコとその王とにしたように、アイとその王にもしたこと、またギベオンの住民が、イスラエルと和を講じて、そのうちにおることを聞き、 大いに恐れた。それは、ギベオンが大きな町であって、王の都にもひとしいものであり、またアイより大きくて、そのうちの人々が、すべて強かったからである。 それでエルサレムの王アドニゼデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピラム、ラキシの王ヤピア、およびエグロンの王デビルに人をつかわして言った、 「わたしの所に上ってきて、わたしを助けてください。われわれはギベオンを撃ちましょう。ギベオンはヨシュアおよびイスラエルの人々と和を講じたからです」。 アモリびとの五人の王、すなわちエルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシの王、およびエグロンの王は兵を集め、そのすべての軍勢を率いて上ってきて、ギベオンに向かって陣を取り、それを攻めて戦った。

自分たちよりも大きな町であるギベオンがイスラエルに投降したと聞いたエルサレムの王は非常に恐れ、同様にイスラエルを脅威と感じていたヘブロン、ヤルムテ、ラキシ、エグロンの王と同盟を組んで、報復措置として敵の側についたギベオンの町を攻撃しました。昨日の友は今日の敵とも申しますが、人の心は変わりやすく、同胞でも裏切り者には情け容赦なく、むしろ更に酷く憎むようになります。神の愛で結ばれていない、人間本来の愛憎感情は、実に恐ろしいものです。

https://www.bible.com/bible/81/jos.10.1-5.ja1955

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ヨシュア記 10:6-15

ギベオンの人々は、ギルガルの陣営に人をつかわし、ヨシュアに言った、「あなたの手を引かないで、しもべどもを助けてください。早く、われわれの所に上ってきて、われわれを救い、助けてください。山地に住むアモリびとの王たちがみな集まって、われわれを攻めるからです」。 そこでヨシュアはすべてのいくさびとと、すべての大勇士を率いて、ギルガルから上って行った。 その時、主はヨシュアに言われた、「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手にわたしたからである。彼らのうちには、あなたに当ることのできるものは、ひとりもないであろう」。 ヨシュアは、ギルガルから、よもすがら進みのぼって、にわかに彼らに攻めよせたところ、 主は彼らを、イスラエルの前に、恐れあわてさせられたので、イスラエルはギベオンで彼らをおびただしく撃ち殺し、ベテホロンの上り坂をとおって逃げる彼らを、アゼカとマッケダまで追撃した。 彼らがイスラエルの前から逃げ走って、ベテホロンの下り坂をおりていた時、主は天から彼らの上に大石を降らし、アゼカにいたるまでもそうされたので、多くの人々が死んだ。イスラエルの人々がつるぎをもって殺したものよりも、雹に打たれて死んだもののほうが多かった。 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。 民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。 これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。 こうしてヨシュアはイスラエルのすべての人と共にギルガルの陣営に帰った。

同胞からの攻撃を受けたギペオンの人々は、ギルガルにいるヨシュアの下を訪れて援軍を要請しました。そこでヨシュアは、ギベオンの町を奪回すべく、直ちに軍を整えて夜通し行軍し、アモリ人の連合軍を急襲しました。そして何よりも神がヨシュアとイスラエル全軍を助けて、天から大きな雹を降らせて敵の陣営を討ち、イスラエルが剣にかけて滅ぼした者よりも多くの者が倒れました。更に神はヨシュアの祈りを聞き、敵をすべて撃ち破るまで丸一日、日は傾かず、月もその動きを止めました。このような自然現象は先にも後にもなかったとあります。これは大自然をも司られる神の権威を世に証するためであり、イスラエルの庇護の下にある者は神の守りの内にもあることを示すものです。

https://www.bible.com/bible/81/jos.10.6-15.ja1955

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ヨシュア記 10:16-27

かの五人の王たちは逃げて行って、マッケダのほら穴に隠れたが、 五人の王たちがマッケダのほら穴にかくれているのが見つかったと、ヨシュアに告げる者があったので、 ヨシュアは言った、「ほら穴の口に大石をころがし、そのそばに人を置いて、守らせなさい。 ただし、あなたがたは、そこにとどまらないで、敵のあとを追い、そのしんがりを撃ち、彼らをその町にはいらせてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからである」。 ヨシュアとイスラエルの人々は、大いに彼らを撃ち殺し、ついに彼らを滅ぼしつくしたが、彼らのうちのがれて生き残った者どもは、堅固な町々に逃げこんだので、 民はみな安らかにマッケダの陣営のヨシュアのもとに帰ってきたが、イスラエルの人々にむかって舌を鳴らす者はひとりもなかった。 その時ヨシュアは言った、「ほら穴の口を開いて、ほら穴から、かの五人の王たちを、わたしのもとにひき出しなさい」。 やがて、そのようにして、かの五人の王たち、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシの王、およびエグロンの王を、ほら穴から彼のもとにひき出した。 この王たちをヨシュアのもとにひき出した時、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分と共に行ったいくさびとの長たちに言った、「近寄って、この王たちのくびに足をかけなさい」。そこで近寄って、その王たちのくびに足をかけたので、 ヨシュアは彼らに言った、「恐れおののいてはならない。強くまた雄々しくあれ。あなたがたが攻めて戦うすべての敵には、主がこのようにされるのである」。 そして後ヨシュアは彼らを撃って死なせ、五本の木にかけて、夕暮れまで木の上にさらして置いたが、 日の入るころになって、ヨシュアが命じたので、これを木からおろし、彼らが隠れていたほら穴に投げ入れ、ほら穴の口に大石を置いた。これは今日まで残っている。

ヨシュアに敵対した5人の王はマッケダの洞穴に落ち延びましたが、その逃げ場も暴かれ、自ら逃げ込んだ穴に幽閉される結果となりました。ヨシュアは更に敵の陣営を攻め、彼らの町を滅ぼし尽くしました。そしてマッケダに戻ってくると5人の王を公衆の面前に引きずり出し、イスラエルの軍勢の長たちの足を以て彼らを踏みにじって辱めた上で、神に敵対する者はこのような屈辱を味わうことを人々に示してイスラエル全軍を鼓舞し、彼らを木に掛けて呪い、殺害しました。神の民イスラエルに敵対する者には神ご自身が報いてくださること、いかに敵が強くとも、神が共にいてくださるならば向かうところ敵なしですから感謝いたします。私たちもまた神の側に立つ者として、ヨシュアの如く強く、また雄々しくあって、この世と妥協することなく、義のために勇敢に闘う者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.10.16-27.ja1955

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ヨシュア記 10:28-39

その日ヨシュアはマッケダを取り、つるぎをもって、それと、その王とを撃ち、その中のすべての人を、ことごとく滅ぼして、ひとりも残さず、エリコの王にしたように、マッケダの王にもした。 こうしてヨシュアはイスラエルのすべての人を率いて、マッケダからリブナに進み、リブナを攻めて戦った。 主が、それと、その王をも、イスラエルの手に渡されたので、つるぎをもって、それと、その中のすべての人を撃ち滅ぼして、ひとりもその中に残さず、エリコの王にしたように、その王にもした。 ヨシュアはまたイスラエルのすべての人を率いて、リブナからラキシに進み、これに向かって陣をしき、攻め戦った。 主がラキシをイスラエルの手に渡されたので、ふつか目にこれを取り、つるぎをもって、それと、その中のすべての人を撃ち滅ぼした。すべてリブナにしたとおりであった。 その時、ゲゼルの王ホラムが、ラキシを助けるために上ってきたので、ヨシュアは彼と、その民とを撃ち滅ぼして、ついにひとりも残さなかった。 ヨシュアはまたイスラエルのすべての人を率いて、ラキシからエグロンに進み、これに向かって陣をしき、攻め戦った。 その日これを取り、つるぎをもって、これを撃ち、その中のすべての人を、ことごとくその日に滅ぼした。すべてラキシにしたとおりであった。 ヨシュアはまたイスラエルのすべての人を率いて、エグロンからヘブロンに進み上り、これを攻めて戦い、 それを取って、それと、その王、およびそのすべての町々と、その中のすべての人を、つるぎをもって撃ち滅ぼし、ひとりも残さなかった。すべてエグロンにしたとおりであった。すなわち、それとその中のすべての人を、ことごとく滅ぼした。 またヨシュアはイスラエルのすべての人を率いて、デビルへひきかえし、これを攻めて戦い、 それと、その王、およびそのすべての町々を取り、つるぎをもってそれを撃ち、その中のすべての人を、ことごとく滅ぼし、ひとりも残さなかった。彼がデビルと、その王にしたことは、ヘブロンにしたとおりであり、またリブナと、その王にしたとおりであった。

ヨシュアのイスラエルの軍勢がこの日に滅ぼした町々は、マッケダ、リブナ、ラキシ、エグロン、ヘブロン、デビルでした。そして、彼らを助けるために出陣したゲゼルの王とその町も滅ぼし、すべてエリコにしたように、一人残さず彼らの町々を聖絶しました。ギベオンの人々がイスラエルの神、主とヨシュアを恐れて投降したことをきっかけに、イスラエルに敵対した王たちと町々がすべて、一時に滅ぼされたのです。神に向かって心を頑なにする者もまた、彼らと同様に滅ぼされてしまいます。天地万物の造り主、全知全能の神に打ち勝つことなど到底できないのですから、神に向かって心を開き、和解の道を求めることこそ、自らを救う最も賢い選択です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.10.28-39.ja1955

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ヨシュア記 10:40-43

こうしてヨシュアはその地の全部、すなわち、山地、ネゲブ、平地、および山腹の地と、そのすべての王たちを撃ち滅ぼして、ひとりも残さず、すべて息のあるものは、ことごとく滅ぼした。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。 ヨシュアはカデシ・バルネアからガザまでの国々、およびゴセンの全地を撃ち滅ぼして、ギベオンにまで及んだ。 イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたので、ヨシュアはこれらすべての王たちと、その地をいちどきに取った。 そしてヨシュアはイスラエルのすべての人を率いて、ギルガルの陣営に帰った。

この日たった一日で、ヨシュアは神がイスラエルに賜ると約束された地のうち、その南端にあたるカデシ・バルネアから地中海沿岸のガザ地方一帯、ネゲブ地方の山地、平地、山腹の町々、ギベオンに至るまでのすべての地を滅ぼし尽くし、イスラエルの支配下に収めることとなりました。それはすべて、主がイスラエルのためにヨシュアと共にいて戦ってくださったからに他なりません。神の民が祝福されるのは、すべての栄光を神に帰するためです。この原則を勘違いして、自分の栄光としてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jos.10.40-43.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/27

2019-12-27 05:30:24 | 今日の聖句
コロサイの信徒への手紙 1:16 新共同訳

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

創世記で神は御言葉によって天地万物を創造され、ヨハネの福音書には御言葉が人のかたちとなってこの世に来られたのが御子イエスであると記されていますから、この世のすべては御子によって造られ、御子の栄光を現すために造られたとの説明は真実です。神による被造物である私たちもまた御子イエスの栄光を現すために生きる者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/col.1.16.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/26

2019-12-26 07:40:34 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 9:1-6

さて、ヨルダンの西側の、山地、平地、およびレバノンまでの大海の沿岸に住むもろもろの王たち、すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの王たちは、これを聞いて、 心を合わせ、相集まって、ヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。 しかし、ギベオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイにおこなったことを聞いて、 自分たちも策略をめぐらし、行って食料品を準備し、古びた袋と、古びて破れたのを繕ったぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、 繕った古ぐつを足にはき、古びた着物を身につけた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、砕けていた。 彼らはギルガルの陣営のヨシュアの所にきて、彼とイスラエルの人々に言った、「われわれは遠い国からまいりました。それで今われわれと契約を結んでください」。

主がヨシュアと共に働いてエリコとアイを滅ぼしたことを伝え聞いたヨルダン川西部の国々の先住民たちは、心を合わせてイスラエルと戦うために同盟関係を結びました。しかしギベオンの住民たちは、イスラエルとの戦いを避けるために策略を巡らして、あえてぼろぼろの身なりをし、古びた食料品を携えて、遠い国からはるばるやって来た民を装って、イスラエルに取り入ろうとしました。彼らは民族としての意地や独自性よりも、自らのいのちを守ることを選んだのです。彼らの採った策略は人間的には誉められたものではないかもしれませんが、生き長らえるために神の前に投降したことは特筆すべきことです。

https://www.bible.com/bible/81/jos.9.1-6.ja1955

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ヨシュア記 9:7-15

しかし、イスラエルの人々はそのヒビびとたちに言った、「あなたがたはわれわれのうちに住んでいるのかも知れないから、われわれはどうしてあなたがたと契約が結べましょう」。 彼らはヨシュアに言った、「われわれはあなたのしもべです」。ヨシュアは彼らに言った、「あなたがたはだれですか。どこからきたのですか」。 彼らはヨシュアに言った、「しもべどもはあなたの神、主の名のゆえに、ひじょうに遠い国からまいりました。われわれは主の名声、および主がエジプトで行われたすべての事を聞き、 また主がヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王、すなわちヘシボンの王シホン、およびアシタロテにおったバシャンの王オグに行われたすべてのことを聞いたからです。 それで、われわれの長老たち、および国の住民はみなわれわれに言いました、『おまえたちは旅路の食料を手に携えていって、彼らに会って言いなさい、「われわれはあなたがたのしもべです。それで今われわれと契約を結んでください」』。 ここにあるこのパンは、あなたがたの所に来るため、われわれが出立する日に、おのおの家から、まだあたたかなのを旅の食料として準備したのですが、今はもうかわいて砕けています。 またぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、破れました。われわれのこの着物も、くつも、旅路がひじょうに長かったので、古びてしまいました」。 そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。 そしてヨシュアは彼らと和を講じ、契約を結んで、彼らを生かしておいた。会衆の長たちは彼らに誓いを立てた。

ヨシュアとイスラエルのつかさたちは、遠い国からやって来たと証言するギベオンの住民であるヒビ人に対し、どこから来たのか問い質しましたが、彼らの身なりを見てその言葉を鵜呑みにし、神の御心を求めることをせずに彼らと講和関係を結び、共に食事をして神の御前に誓いを立てました。人は自分の目に映る外面的な情報に惑わされ、目には見えない本質に気付かず、誤った判断をしてしまいがちなものです。何をするにも、いかなるときにも、まず主の御心を求め、人の心の奥底に潜む真相に気付かせていただき、極力過ちを避ける賢さを身に付けさせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.9.7-15.ja1955

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ヨシュア記 9:16-21

契約を結んで三日の後に、彼らはその人々が近くの人々で、自分たちのうちに住んでいるということを聞いた。 イスラエルの人々は進んで、三日目にその町々に着いた。その町々とは、ギベオン、ケピラ、ベエロテおよびキリアテ・ヤリムであった。 ところで会衆の長たちが、すでにイスラエルの神、主をさして彼らに誓いを立てていたので、イスラエルの人々は彼らを殺さなかった。そこで会衆はみな、長たちにむかってつぶやいた。 しかし、長たちは皆、全会衆に言った、「われわれはイスラエルの神、主をさして彼らに誓った。それゆえ今、彼らに触れてはならない。 われわれは、こうして彼らを生かしておこう。そうすれば、われわれが彼らに立てた誓いのゆえに、怒りがわれわれに臨むことはないであろう」。 長たちはまた人々に「彼らを生かしておこう」と言ったので、彼らはついに、全会衆のために、たきぎを切り、水をくむものとなった。長たちが彼らに言ったとおりである。

遠方からはるばるやってきた旅人を装ったギベオンの住民たちと契約を結んで3日後、彼らがギルガルから3日の道程にある町々に住むヒビ人であることが判明しました。しかし既に彼らと講和条約を結んだ後であったため、彼らを殺害せず生かしたままにしておきました。会衆はこのことを不服としてイスラエルのつかさたちを訴えましたが、一度神の御前で誓った契約は、覆すことはできません。そこでイスラエルの人々は、ケニ人をそのいのちを奪う代わりに奴隷として扱うことによって対処することとしました。神の御前で立てた約束や誓いは、たとい人間的には不完全で過ちがあったとしても、必ず守り行わなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jos.9.16-21.ja1955

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ヨシュア記 9:22-27

ヨシュアは彼らを呼び寄せて言った、「あなたがたは、われわれのうちに住みながら、なぜ『われわれはあなたがたからは遠く離れている』と言って、われわれをだましたのか。 それであなたがたは今のろわれ、奴隷となってわたしの神の家のために、たきぎを切り、水をくむものが、絶えずあなたがたのうちから出るであろう」。 彼らはヨシュアに答えて言った、「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この地をことごとくあなたがたに与え、この地に住む民をことごとくあなたがたの前から滅ぼし去るようにと、お命じになったことを、しもべどもは明らかに伝え聞きましたので、あなたがたのゆえに、命が危いと、われわれは非常に恐れて、このことをしたのです。 われわれは、今、あなたの手のうちにあります。われわれにあなたがして良いと思い、正しいと思うことをしてください」。 そこでヨシュアは、彼らにそのようにし、彼らをイスラエルの人々の手から救って殺させなかった。 しかし、ヨシュアは、その日、彼らを、会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で、たきぎを切り、水をくむ者とした。これは今日までつづいている。

自分たちは遠い国からはるばる旅してきたと偽証してイスラエルと講和条約を結んだギベオンの住民たちに対し、ヨシュアはなぜ偽りの証言をしたのかと詰問しました。すると彼らは、主がイスラエルにヨルダン川の西側の地を賜り、先住民たちを滅ぼし尽くすように主が命じられたと聞いて恐れ、このままでは自らのいのちに危険が及ぶと判断し、あえて偽の証言をして平和的な解決を選んだのだと答えました。そして、あなた方が正しいと思うことを自分たちに行ってくださいと、服従の姿勢を見せました。そこでヨシュアと民のつかさたちは、彼らの望み通りそのいのちを救い、イスラエルのために薪を切り水を汲む僕として扱うこととしました。ギベオンの住民であるヒビ人たちは、イスラエルと戦って滅ぼされることよりも、生き長らえるために神の民イスラエルの奴隷となることを選択して、滅びを免れました。私たちもまた、永遠のいのちを得るために神の僕とされた異邦人であることを覚え、生ける限り忠実に神に仕える者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/jos.9.22-27.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/26

2019-12-26 05:00:44 | 今日の聖句
詩編 8:4-5 新共同訳

あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。 月も、星も、あなたが配置なさったもの。 そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。 人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。

どこまでも広がる大空、漆黒の宇宙、雄大な大自然を目の当たりにするとき、人は自分が如何に無力でちっぽけな存在であるかを突きつけられます。しかし天地万物を造られた神はそんな私たちを高価で尊いと仰せられ、目の瞳のように愛し守られます。全能の神に顧みられる存在であることを自覚し、心からの感謝を捧げる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/psa.8.4-5.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/25

2019-12-25 07:50:46 | 今日の聖句
ヨシュア記 8:1-2

主はヨシュアに言われた、「恐れてはならない、おののいてはならない。いくさびとを皆、率い、立って、アイに攻め上りなさい。わたしはアイの王とその民、その町、その地をあなたの手に授ける。 あなたは、さきにエリコとその王にしたとおり、アイとその王とにしなければならない。ただし、ぶんどり物と家畜とは戦利品としてあなたがたのものとすることができるであろう。あなたはまず、町のうしろに伏兵を置きなさい」。

イスラエルの中から滅ぼされるべき者を滅ぼし去ったとき、再び主はヨシュアに現れ、一度は敗北したアイの町の攻略法を授けました。そしてアイの町の戦利品は神に捧げるのではなく、自分たちのものとしてよいと告げられました。私たちの中にあるどんな小さな罪も見逃すことなく、完全に滅ぼし尽くしたとき、神は私たちに現れ、生きる術、勝利の人生の秘訣、更に生活に必要な財産をも授けてくださいます。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.1-2.ja1955

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ヨシュア記 8:3-13

ヨシュアは立って、すべてのいくさびとと共に、アイに攻め上ろうとして、まず大勇士三万人を選び、それを夜のうちにつかわした。 ヨシュアは彼らに命じて言った、「あなたがたは町に向かって、町のうしろに伏せていなければならない。町を遠く離れないで、みな備えをしていなければならない。 わたしとわたしに従う民とは皆共に、町に攻め寄せよう。そして彼らが前のようにわれわれにむかって出てくるとき、われわれは彼らの前から逃げるであろう。 そうすれば彼らはわれわれを追って出てくるであろうから、われわれはついに彼らを町からおびき出すことができる。彼らは言うであろう、『この人々はまた前のように、われわれの前から逃げていく』。こうしてわれわれは彼らの前から逃げるであろう。 その時、あなたがたは伏せている所から立ち上がって、町を取らなければならない。あなたがたの神、主がそれをあなたがたの手に与えられるからである。 あなたがたが、町を取ったならば、町に火を放ち、主が命じられたようにしなければならない。わたしはこう、あなたがたに命じるのである」。 そうしてヨシュアが彼らをつかわしたので、彼らはアイの西方、ベテルとアイの間の待ち伏せする場所に行って身を伏せた。ヨシュアはその夜、民の中に宿った。 ヨシュアは明くる朝、早く起きて、民を集め、イスラエルの長老たちと共に、民に先立って、アイに上っていった。 彼と共にいたいくさびとたちもみな上っていって、町の前に近づき、アイの北に陣を取った。彼らとアイの間には、一つの谷があった。 ヨシュアはおおよそ五千人をとって、町の西方、ベテルとアイの間に、伏せておいた。 こうして民の主力を町の北におき、しんがりを町の西においた。ヨシュアはその夜、谷の中で宿った。

神の言葉を聞いたヨシュアは再び勇気を得て立ち上がり、イスラエルの軍勢3万人を召集し、更に全イスラエルを率いてアイと戦うために進み出ました。先のアイとの戦では3千人を出兵させただけでしたから、その10倍の兵力を注いだことになります。神は何事においても手抜きすることなく、全力で取り組む者に勝利を得させてくださるお方です。またその戦い方においても、神から示されたとおり、伏兵を置いてアイの町を挟み撃ちにするという、エリコとの戦いとは全く異なる戦術を採りました。柳の下に泥鰌はいないとの諺がありますが、神のなさることは二番煎じではなく、そのときそのときに応じて最も適切な方法を採用なさります。一度の成功体験で満足することなく、常に神の御心を尋ね求め、そのとき告げられる神の方法、主の教えに全く従うことこそが、勝利の人生を歩む者の生き方です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.3-13.ja1955

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ヨシュア記 8:14-23

アイの王はこれを見て、すべての民と共に、急いで、早く起き、アラバに行く下り坂に進み出て、イスラエルと戦った。しかし、王は町のうしろに、すきをうかがう伏兵のおることを知らなかった。 ヨシュアはイスラエルのすべての人々と共に、彼らに打ち破られたふりをして、荒野の方向へ逃げだしたので、 その町の民はみな呼ばわり集まって彼らのあとを追い、ヨシュアのあとを追って町からおびき出され、 アイにもベテルにも残っているものはひとりもなく、みな出てイスラエルのあとを追い、町を開け放して、イスラエルのあとを追った。 その時、主はヨシュアに言われた、「あなたの手にあるなげやりを、アイの方にさし伸べなさい。わたしはその町をあなたの手に与えるであろう」。そこでヨシュアが手にしていたなげやりを、アイの方にさし伸べると、 伏兵はたちまちその場所から立ち上がり、ヨシュアが手をのべると同時に、走って町に入り、それを取って、ただちに町に火をかけた。 それでアイの人々が、うしろをふり返って見ると、町の焼ける煙が天に立ちのぼっていたので、こちらへもあちらへも逃げるすべがなかった。荒野へ逃げていった民も身をかえして、追ってきた者に迫った。 ヨシュアとすべてのイスラエルびとは、伏兵が町を取り、町の焼ける煙が立ち上るのを見て、身をかえしてアイの人々を撃った。 また町を取ったものは町を出て彼らに向かったので、彼らは、こちらとあちらとからイスラエルの中にはさまれた。こうしてイスラエルびとが彼らを撃ったので、生き残ったもの、逃げおおせたものは、ひとりもなかった。 そしてアイの王を生けどりにして、ヨシュアのもとへ連れてきた。

アイの王は先の戦での勝利体験から気を大きくしたのでしょうか、背走する振りをしたイスラエルを追いかけて、アイの人々は町を出て、全軍率いて追撃しました。もぬけの殻となったアイの町を見届けた神はヨシュアに、手にしている槍をアイの町に向けて差し伸べて伏兵に合図し、挟み撃ちさせるように命じました。ヨシュアが高く掲げた槍を見た伏兵はアイの町に入って火で焼き払い、その立ち上る煙を見たイスラエル全軍は身を翻してアイに立ち向かったため、アイの人々は逃げ場を失い、一人残らず討ち滅ぼされ、アイの王は生け捕りとされました。神の摂理に心を向けることなく、自分の目に見える状況だけで物事を判断する者は、アイの人々のように人生の破綻、永遠の滅びを招きます。私たちが目を置くべきものは、御言葉に隠された神の真理です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.14-23.ja1955

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ヨシュア記 8:24-29

イスラエルびとは、荒野に追撃してきたアイの住民をことごとく野で殺し、つるぎをもってひとりも残さず撃ち倒してのち、皆アイに帰り、つるぎをもってその町を撃ち滅ぼした。 その日アイの人々はことごとく倒れた。その数は男女あわせて一万二千人であった。 ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼしつくすまでは、なげやりをさし伸べた手を引っこめなかった。 ただし、その町の家畜および、ぶんどり品はイスラエルびとが自分たちの戦利品として取った。主がヨシュアに命じられた言葉にしたがったのである。 こうしてヨシュアはアイを焼いて、永久に荒塚としたが、それは今日まで荒れ地となっている。 ヨシュアはまた、アイの王を夕方まで木に掛けてさらし、日の入るころ、命じて、その死体を木から取りおろし、町の門の入口に投げすて、その上に石の大塚を積み上げさせたが、それは今日まで残っている。

イスラエルが滅ぼしたアイの人々の数は1万2千人であったも記されていますから、イスラエルはその2倍以上の戦力でアイの町を滅ぼしたことになります。数敵にも圧倒的に有利な戦力を率いながらも、主の命によってアイの町に向けて高く掲げられたヨシュアの手は、戦い終えるまで引っ込めなかったとあります。これはおそらく、かつて荒野でアマレクと戦ったヨシュアが、その戦い終えるまで高く掲げられたモーセの手によって勝利を得たことを記憶していたからであると思われます。戦いの間中ずっと高く掲げられた手は、勝利を願う祈りを意味します。神は何事にも祈り心を以て最後まで全力で取り組む者に、勝利を賜ります。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.24-29.ja1955

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ヨシュア記 8:30-35

そしてヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のために一つの祭壇を築いた。 これは主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたことにもとづき、モーセの律法の書にしるされているように、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であって、人々はその上で、主に燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。 その所で、ヨシュアはまたモーセの書きしるした律法を、イスラエルの人々の前で、石に書き写した。 こうしてすべてのイスラエルびとは、本国人も、寄留の他国人も、長老、つかさびと、さばきびとと共に、主の契約の箱をかくレビびとである祭司たちの前で、箱のこなたとかなたに分れて、半ばはゲリジム山の前に、半ばはエバル山の前に立った。これは主のしもべモーセがさきに命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。 そして後、ヨシュアはすべての律法の書にしるされている所にしたがって、祝福と、のろいとに関する律法の言葉をことごとく読んだ。 モーセが命じたすべての言葉のうち、ヨシュアがイスラエルの全会衆および女と子どもたち、ならびにイスラエルのうちに住む寄留の他国人の前で、読まなかったものは一つもなかった。

アイとの戦いにも勝利を収めたヨシュアは、人の手の加えられない自然のままの石を以てエバル山の頂に主のための祭壇を築き、敵への勝利と戦利品を与えられた神に向かい、燔祭と酬恩祭を捧げました。モーセ五書より学んだ通り、燔祭は神への全き献身、酬恩祭は神への感謝を意味します。神の導きによって成功を収めたとき、まず神に感謝を捧げることこそ、神の民のなすべき信仰の姿勢です。そしてヨシュアはモーセに命じられた通り、エバル山とゲリジム山にイスラエル12部族を半々に分け、祭壇の石にモーセの律法の書を書き写し、全イスラエルと、共にいる寄留者たちに読み聞かせ、律法に記された祝福と呪いの言葉を宣言して、イスラエルを祝福しました。私たちの信仰と、祝福の基盤は、永遠に変わることのない神の御言葉、聖書にあります。

https://www.bible.com/bible/81/jos.8.30-35.ja1955
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【今日の聖句】 2019/12/25

2019-12-25 05:30:36 | 今日の聖句
ルカによる福音書 2:11 新共同訳

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

長年イスラエルが待ち望んでいたメシヤの到来を初めて告げられたのは、王や国会議員でもなく、祭司や律法学者でもなく、最も下層階級に属する名もなき羊飼たちでした。神の憐れみを最も必要としている者に現れてくださる救い主イエスの到来を、心から喜び迎えるクリスマスを過ごさせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/luk.2.11.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/12/24

2019-12-24 07:45:25 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 7:1

しかし、イスラエルの人々は奉納物について罪を犯した。すなわちユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物を取ったのである。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。

主はエリコに属する者はすべて聖絶し、貴金属類も自分のものとしてはならないと命じられたにもかかわらず、ユダ部族に属するアカンは神に奉納すべき金の延べ棒と銀と美しい外套を自分のものとして盗み出し、自分のテントの下に隠しました。それ故神はイスラエルに向かって怒りを発せられ、たった一人の罪の故にイスラエル全体が罪に定められました。罪の影響力は甚大で、一点の翳りさえ見逃されることなく、罪があるかないか、ON-OFFで判断されます。聖なる神は罪ある者とは交わることができず、共に歩むこともなされないお方です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.7.1.ja1955

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ヨシュア記 7:2-6

ヨシュアはエリコから人々をつかわし、ベテルの東、ベテアベンの近くにあるアイに行かせようとして、その人々に言った、「上って行って、かの地を探ってきなさい」。人々は上って行って、アイを探ったが、 ヨシュアのもとに帰ってきて言った、「民をことごとく行かせるには及びません。ただ二、三千人を上らせて、アイを撃たせなさい。彼らは少ないのですから、民をことごとくあそこへやってほねおりをさせるには及びません」。 そこで民のうち、おおよそ三千人がそこに上ったが、ついにアイの人々の前から逃げ出した。 アイの人々は彼らのうち、おおよそ三十六人を殺し、更に彼らを門の前からシバリムまで追って、下り坂で彼らを殺したので、民の心は消えて水のようになった。 そのためヨシュアは衣服を裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、ちりをかぶった。

アカンの罪と並行して、ヨシュアもまた過ちを犯しました。難攻不落の要塞都市エリコを攻め取る際には神の御告げを聞く姿勢を取ったにもかかわらず、小さな町アイを攻略する際には、先に町の状況を探りに遣わしたスパイの言葉を鵜呑みにして、神の御心を尋ね求めることなく少数の兵力で出陣して惨敗し、死者を出す結果に終わりました。敗戦を受けてヨシュアは神の御前に進み出て、なぜ敗北したのか、御心を尋ねました。もとより不完全な存在に過ぎない私たち人間は、失敗する生き物です。その事実を踏まえて、失敗を犯したときに大切なことは、神に立ち返って御心を求め、同じ過ちを再び繰り返さないように反省することです。

https://www.bible.com/bible/81/jos.7.2-6.ja1955

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ヨシュア記 7:7-9

ヨシュアは言った、「ああ、主なる神よ、あなたはなにゆえ、この民にヨルダンを渡らせ、われわれをアモリびとの手に渡して滅ぼさせられるのですか。われわれはヨルダンの向こうに、安んじてとどまればよかったのです。 ああ、主よ。イスラエルがすでに敵に背をむけた今となって、わたしはまた何を言い得ましょう。 カナンびと、およびこの地に住むすべてのものは、これを聞いて、われわれを攻めかこみ、われわれの名を地から断ち去ってしまうでしょう。それであなたは、あなたの大いなる名のために、何をしようとされるのですか」。

神の御前に進み出たヨシュアは、神は何故イスラエルにヨルダン川を渡らせ、アナンの地に入植させたのですか?、主がヨルダン川を渡らせた奇跡の故に恐れおののいていたアモリ人たちは、アイでの敗戦を伝え聞いて勇気を出し、イスラエルはひとたまりもなく滅ぼされてしまうでしょう、それは神の御名を汚すことにならないでしょうかと、神の真実に掛けて訴えました。私たちの祈りは、自分の願望や要求をただ並べ立てるだけのものではなく、神の真実、神の本質に訴え掛ける祈りを捧げているでしょうか。神はご自身の名誉に掛けて、祈りに応えてくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.7.7-9.ja1955

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ヨシュア記 7:10-15

主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。 イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じておいた契約を破った。彼らは奉納物を取り、盗み、かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れた。 それでイスラエルの人々は敵に当ることができず、敵に背をむけた。彼らも滅ぼされるべきものとなったからである。あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。 立って、民を清めて言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすのために備えなさい。イスラエルの神、主はこう仰せられる、「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできないであろう」。 それゆえ、あすの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。そして主がくじを当てられる部族は、氏族ごとに進みいで、主がくじを当てられる氏族は、家族ごとに進みいで、主がくじを当てられる家族は、男ひとりびとり進み出なければならない。 そしてその滅ぼされるべきものを持っていて、くじを当てられた者は、その持ち物全部と共に、火で焼かれなければならない。主の契約を破りイスラエルのうちに愚かなことを行ったからである』」。

ヨシュアの祈りに対し、神は、イスラエルの中に神に隠れて罪を犯した者がいるため、その罪の故にイスラエル全体が滅ぼされるべき者となったのだ、と答えられました。ここに罪の影響力の恐ろしさが表されています。たとい神の宝の民とされたイスラエルでさえも、たった一人の人が犯した罪の故に滅ぼされるべき者となったとするならば、まして神を知らず、遠く離れた生活をしてきた異邦人の私たちは、どのようにしたら罪赦され、滅びを免れることができるでしょうか。あなた方の中にある滅ぼされるべきものを除き去るまでは、決して敵と当たることはできない、敗北の人生から抜け出すことができないのです。私たちが自ら罪を徹底的に除き去るまでは、決して勝利の人生は約束されません。罪に対する神の裁きは実に厳粛で、かつ決して例外を認めない、徹底したものです。

https://www.bible.com/bible/81/jos.7.10-15.ja1955

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ヨシュア記 7:16-21

「こうしてヨシュアは朝早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させたところ、ユダの部族がくじに当り、 ユダのもろもろの氏族を進み出させたところ、ゼラびとの氏族が、くじに当った。ゼラびとの氏族を家族ごとに進み出させたところ、ザブデの家族が、くじに当った。 ザブデの家族を男ひとりびとり進み出させたところ、アカンがくじに当った。アカンはユダの部族のうちの、ゼラの子、ザブデの子なるカルミの子である。 その時ヨシュアはアカンに言った、「わが子よ、イスラエルの神、主に栄光を帰し、また主をさんびし、あなたのしたことを今わたしに告げなさい。わたしに隠してはならない」。 アカンはヨシュアに答えた、「ほんとうにわたしはイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。わたしがしたのはこうです。 わたしはぶんどり物のうちに、シナルの美しい外套一枚と銀二百シケルと、目方五十シケルの金の延べ棒一本のあるのを見て、ほしくなり、それを取りました。わたしの天幕の中に、地に隠してあります。銀はその下にあります」。

ヨシュアは神の命令に従い、部族ごと、家族ごとにくじを引かせて、罪を犯した者の特定を行いました。するとユダ部族のアカンにくじが当たり、ヨシュアが問い質すと、アカンは自分の犯した罪を告白しました。罪を告白したのになぜアカンは滅ぼされなければならなかったか、それはアカンが犯した神の所有に対する罪の深さもさることながら、くじに当たるまで罪を告白しなかった隠蔽体質にもあったのではないでしょうか。罪を告白する際は、神に指摘されなくても自らの意志で、自主的に、包み隠さず告白する姿勢が重要です。

https://www.bible.com/bible/81/jos.7.16-21.ja1955

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ヨシュア記 7:22-26

そこでヨシュアは使者たちをつかわした。使者たちが天幕に走っていって見ると、それは彼の天幕に隠してあって、銀もその下にあった。 彼らはそれを天幕の中から取り出して、ヨシュアとイスラエルのすべての人々の所に携えてきたので、それを主の前に置いた。 ヨシュアはすべてのイスラエルびとと共に、ゼラの子アカンを捕え、かの銀と外套と金の延べ棒、および彼のむすこ、娘、牛、ろば、羊、天幕など、彼の持ち物をことごとく取って、アコルの谷へ引いていった。 そしてヨシュアは言った、「なぜあなたはわれわれを悩ましたのか。主は、きょう、あなたを悩まされるであろう」。やがてすべてのイスラエルびとは石で彼を撃ち殺し、また彼の家族をも石で撃ち殺し、火をもって焼いた。 そしてアカンの上に石塚を大きく積み上げたが、それは今日まで残っている。そして主は激しい怒りをやめられたが、このことによって、その所の名は今日までアコルの谷と呼ばれている。

ヨシュアは罪を告白したアカンの証言に基づいて、その証拠を確かめた上で、彼とその家族、家畜、資産に至るまで、石打の刑に処し、火で焼いて、徹底的に罪を滅ぼし尽くしました。そしてアカン一家の亡骸の上に石塚を積み上げ、二度と神への捧げものに対して罪を犯すことのないよう、記念としました。アカンの罪のために家族まで犠牲になったのは残虐ではないかという考えもあるかもしれませんが、それは罪の影響力の恐ろしさを余りにも軽視したお気軽ヒューマニズムに過ぎません。アカンの犯した軽率な行動、欲望に負けた罪の故に、既にアイとの第一戦で、最低36人以上の何の罪もないイスラエル兵のいのちが犠牲になっているのです。罪とは実に恐ろしいもので、神の共同体全体を壊滅させる威力を持っていることを、私たちは常に深く認識しなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/jos.7.22-26.ja1955
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