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【COGHCC聖書通読】 2016/04/27

2016-04-27 08:00:08 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 7:1-2
『主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする。あなたの兄弟アロンはあなたの預言者となるであろう。 あなたはわたしが命じることを、ことごとく彼に告げなければならない。そしてあなたの兄弟アロンはパロに告げて、イスラエルの人々をその国から去らせるようにさせなければならない。」』

神様はモーセをパロに対して神のごとき者とし、アロンをモーセの預言者とすると言われ、神様の権威をモーセに授けました。人が神様の御言葉を取り次ぐ預言者となることはあっても、神様の代理人になるなど、普通では考えられないことです。しかし神様はそこまでモーセを信頼し、権威を授けられたのです。

神様の代理人となったモーセ、そして預言者となったアロンに貸せられた使命は、神様のご命令に全く従い、告げられた御言葉を余すことなく取り次ぐことです。彼らはその通りに、人の考えでは到底理解も納得もできないような神様のご命令すべてに完全に従いました。私たちもまた、世の人々に対して神様の御言葉を伝える使命を託されています。モーセとアロンのように神様のご命令に愚直に従い、福音宣教の愚かさを恥とせず、救霊と伝道の業に励む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/exo.7.1-2.ja1955

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出エジプト記 7:3-5
『「しかし、わたしはパロの心をかたくなにするので、わたしのしるしと不思議をエジプトの国に多く行っても、 パロはあなたがたの言うことを聞かないであろう。それでわたしは手をエジプトの上に加え、大いなるさばきをくだして、わたしの軍団、わたしの民イスラエルの人々を、エジプトの国から導き出すであろう。 わたしが手をエジプトの上にさし伸べて、イスラエルの人々を彼らのうちから導き出す時、エジプトびとはわたしが主であることを知るようになるであろう」。』

神様の御心は、モーセとアロンの言葉にパロが素直に従うことではなく、むしろパロの心を頑なにして、イスラエル人たちに不当な奴隷生活を強いたエジプトに裁きを下すことにありました。その通りパロとエジプト人たちは神様の御言葉に最後まで聞き従うことをせず、イスラエル人たちがエジプトを去るにあたって初めて神様の存在を認めるようになりました。

神様の御言葉を聞いても悔い改めることをしない頑なな心は、パロの姿と一致します。最後まで神様の御言葉を拒絶し、自らの罪を認めない者は、神様の裁きを免れることはできません。私たちはパロのようになりたいですか? それとも罪を悔い改めて永遠の裁きを免れたいですか? 今すぐに神様を認めようとしない罪を悔い改め、恥も、外聞も、プライドも、頑なな心と共に捨て去って、罪からの解放と永遠の救いを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.7.3-5.ja1955

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出エジプト記 7:10-12
「それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。 そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。 すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。」

モーセもアロンは神様の言葉に従い、パロの目の前で杖をへびに変える奇跡を行います。しかし心の頑ななパロはエジプトの魔術師を呼び寄せ、同じように杖をへびに変える奇跡を行わせて神様に対抗しました。ここで注目すべきは、アロンのへびは魔術師たちのへびを飲み尽くした、と記されていることです。人の力で神様に対抗しようとしても、神様には決して敵うはずがありません。

私たちも同じようなことをしていないでしょうか。人の力に頼り、科学や文明の利器を駆使して、自分の念願を果たそうと空しい努力をしていないでしょうか。神様の御心に従わずに努力することは、単なる自己満足に過ぎません。私たちに必要なことは、神様から託されたことに集中してベストを尽くすことです。自分の思いではなく神様の思いに沿うこと、それが私たちに求められている信仰生活の要だと忘れないでください。

http://bible.com/81/exo.7.10-12.ja1955

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出エジプト記 7:20-22
「モーセとアロンは主の命じられたようにおこなった。すなわち、彼はパロとその家来たちの目の前で、つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変った。 それで川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことができなくなった。そしてエジプト全国にわたって血があった。 エジプトの魔術師らも秘術をもって同じようにおこなった。しかし、主の言われたように、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。」

へびの奇跡を見て更に心を頑なにしたパロに対し、神様は今度はナイル川の水を地に換える奇跡を行います。エジプト人にとってナイル川は聖なる川であり、自分たちの命をつなぐ生命線でもありました。ですからナイル川を血に変える奇跡とは、エジプトに対する裁き以外の何物でもありません。

しかし心を頑なにしたパロは、同じ奇跡を行うよう魔術師たちに命じます。自分たちの聖なるものを汚れたものとし、自ら生命線を捨てる、これほどの馬鹿げた矛盾はあるでしょうか。ここに、心の頑なな者の愚かさを見ることができます。

私たちも同様に、心を頑なにしてはいないでしょうか。神様の御言葉や、親しい人からの忠告に耳を貸さず、自分の考えに凝り固まって、自分の首を絞める愚かな行為をしてはいないでしょうか。心の頑なな者は神の国を受け継ぐことはできません。堅く閉ざされた心の扉を神様の御前に大きく開き、真の自由と祝福の人生に踏み出す私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.7.20-22.ja1955

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出エジプト記 7:23-25
「パロは身をめぐらして家に入り、またこのことをも心に留めなかった。 すべてのエジプトびとはナイル川の水が飲めなかったので、飲む水を得ようと、川のまわりを掘った。 主がナイル川を打たれてのち七日を経た。」

二度目の奇跡を見て更に心を頑なにしたパロは怒って家に帰り、自分の不都合なことから目をそらして心にも留めようとしませんでした。その間、エジプト人たちは飲み水に困り、何とか命をつなごうと必死の努力を強いられました。そして7という数字は聖書では完全を表す数ですから、7日を経たというのは神様の裁きの徹底を意味します。

自国の民を苦しめてまで自分の過ちを認めないパロの姿を反面教師として、正しい人生のあり方をよく考える必要があります。私たちは人間ですから、過ちを犯さないということはありません。しかし過ちを認めず放置することは自滅につながります。過ちに気付いたら直ちに悔い改める、それが私たちの取るべき態度です。パロのように心を頑なにせず、素直な心に立ち返って、赦しを与えてくださる神様の御前に悔い改める私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.7.23-25.ja1955
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2 コメント

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ご無沙汰しております。 (新田賢二)
2016-04-27 09:13:34
こちらの主さんは、私の存じ上げている伊藤先生ですか?
お元気ですか?
お会いしてお話したいです。
返信する
Re:ご無沙汰しております。 (itoh-family)
2016-04-28 08:08:01
新田さま

おはようございます。こちらこそ大変ご無沙汰しております。

機会がありましたら、またお会いしたいですね。
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