ネヘミヤ記 12:1, 22-23, 26
「シャルテルの子ゼルバベルおよびエシュアと一緒に上ってきた祭司とレビびとは次のとおりである。すなわちセラヤ、エレミヤ、エズラ、
…
レビびとについては、エリアシブ、ヨイアダ、ヨハナンおよびヤドアの時代に、その氏族の長たちが登録された。また祭司たちもペルシャ王ダリヨスの治世まで登録された。 レビの子孫で氏族の長たる者は、エリアシブの子ヨハナンの世まで歴代志の書にしるされている。
…
これらはヨザダクの子エシュアの子ヨアキムの時代、また総督ネヘミヤおよび学者である祭司エズラの時代にいた人々である。」
ユダヤ人は系図を重んじます。なぜなら自分が神の祝福の民であるとの正統性を証明しうる唯一のものだからです。旧約聖書も新約聖書も、その書き出しが系図から始まっているのはそのような理由からです。ですからユダヤ人はマタイによる福音書の冒頭の部分を読んで、イエスこそがキリストであると理解したならば簡単に福音を信じ受け入れるそうです。
私たちも信仰の系譜を大切にしなければなりません。これは誰の子どもかというものではなく、神の御子イエスを自分の救い主として信じているか、神様と自分との関係がしっかりしているか、ということです。そして正しい信仰を保つために正統的な教会に通い、間違った神学や異端に惑わされることなく、聖書の御言葉を正しく学ぶことが重要です。
http://bible.com/81/neh.12.1,22-23,26.ja1955
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ネヘミヤ記 12:27-29
「さてエルサレムの城壁の落成式に当って、レビびとを、そのすべての所から招いてエルサレムにこさせ、感謝と、歌と、シンバルと、立琴と、琴とをもって喜んで落成式を行おうとした。 そこで、歌うたう人々はエルサレムの周囲の地方、ネトパびとの村々から集まってきた。 またベテギルガルおよびゲバとアズマウテの地方からも集まってきた。この歌うたう者たちはエルサレムの周囲に自分の村々を建てていたからである。」
エルサレムの城壁再建を成し終えたネヘミヤは、城壁の落成式を行うにあたり、まず聖歌隊であるレビ人たちを召集しました。なぜなら讃美は神様に感謝し、主の栄光を喜び祝うために欠かせないものだからです。そしてレビ人たちはネヘミヤの呼び掛けに応じて、直ちにエルサレムに集合しました。なぜなら彼らはエルサレムの周辺の村々に住んでいたからです。「いざ鎌倉」の故事のように、神様からの召集に直ちに応じる姿勢と、すぐ主の御前に集まれるように神様の側近くに留まる生活こそ、神様に喜ばれる、私たちクリスチャンが模範とすべきライフスタイルです。
http://bible.com/81/neh.12.27-29.ja1955
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ネヘミヤ記 12:30-31, 37-39
「そして祭司とレビびとたちは身を清め、また民およびもろもろの門と城壁とを清めた。 そこでわたしはユダのつかさたちを城壁の上にのぼらせ、また感謝する者の二つの大きな組を作って、行進させた。その一つは城壁の上を右に糞の門をさして進んだ。
…
彼らは泉の門を経て、まっすぐに進み、城壁の上り口で、ダビデの町の階段から上り、ダビデの家の上を過ぎて東の方、水の門に至った。 他の一組の感謝する者は左に進んだ。わたしは民の半ばと共に彼らのあとに従った。そして城壁の上を行き、炉の望楼の上を過ぎて、城壁の広い所に至り、 エフライムの門の上を通り、古い門を過ぎ、魚の門およびハナネルの望楼とハンメアの望楼を過ぎて、羊の門に至り、近衛の門に立ち止まった。」
城壁の落成式にあたり、祭司とレビ人たちはまず自ら身をきよめ、次に城壁と門をきよめ、イスラエルの民たちをきよめて備えました。神様を喜び祝う日には、身も心もきよめて備えることが重要です。
そしてネヘミヤは祭司と聖歌隊を二手に分け、ネヘミヤと民たちは彼らの後に続き、一方は右回りに、もう一方は左回りに、城壁の上を行進しました。聖歌隊が先導してイスラエルの民が続くこの行列は、かつてダビデが神の契約の箱をエルサレムにかき上ったときの姿を呼び起こす、神の都エルサレムに永遠に主が住まわれることを喜び祝うに相応しいものです。私たちの人生においても、神様への感謝と讃美に導かれ、日々喜びをもって歩む者でありたいと願います。
http://bible.com/81/neh.12.30-31,37-39.ja1955
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ネヘミヤ記 12:40, 43, 45
「こうして二組の感謝する者は神の宮にはいって立った。わたしもそこに立ち、つかさたちの半ばもわたしと共に立った。
…
こうして彼らはその日、大いなる犠牲をささげて喜んだ。神が彼らを大いに喜び楽しませられたからである。女子供までも喜んだ。それでエルサレムの喜びの声は遠くまで聞えた。
…
彼らはダビデおよびその子ソロモンの命令に従って、神の勤めおよび清め事の勤めをした。歌うたう者および門を守る者もそのように行った。」
「心に感謝を持ちながら」という讃美のように、喜びと讃美をもって主の宮に入ることは大いなる恵みであり、私たちの人生の原動力です。そして主の宮に入ったネヘミヤとエルサレムの民は、神様の御前に大いなる犠牲を捧げ、城壁の完成を喜び祝うその声が遠くまで聞こえたとあります。ました。これはダビデとソロモンが定めた命令に従って行われたものです。私たちもまた大いなる讃美のいけにえを主の御前に捧げ、神様を礼拝できる喜び、神様と共に住まい、主の御手に守られるさいわいに心から感謝を捧げる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/neh.12.40,43,45.ja1955
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ネヘミヤ記 12:46-47
「昔ダビデおよびアサフの日には、歌うたう者のかしらがひとりいて、神にさんびと感謝をささげる事があった。 またゼルバベルの日およびネヘミヤの日には、イスラエルびとはみな歌うたう者と門を守る者に日々の分を与え、またレビびとに物を聖別して与え、レビびとはまたこれを聖別してアロンの子孫に与えた。」
主のために身を捧げて労する者、巧みな歌と楽器の音をもって人々を代表して主の御前に感謝を捧げる者が受ける報いは麗しいものです。ネヘミヤとエルサレムの民は、ダビデの時代と同様に、レビ人たちの生活の必要のために尊い捧げものを捧げ、レビ人はまた自分が受けた捧げものの中から祭司たちのために捧げものを捧げました。私たちは決して自分一人で生きているのではなく、自分のために生きるのでもなく、人々と共に生き、殊に自分たちを代表して神様の御前に仕える献身者のために、その生活の必要を満たし祝福を分かち合う、麗しい愛の関係を築き上げる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/neh.12.46-47.ja1955
「シャルテルの子ゼルバベルおよびエシュアと一緒に上ってきた祭司とレビびとは次のとおりである。すなわちセラヤ、エレミヤ、エズラ、
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レビびとについては、エリアシブ、ヨイアダ、ヨハナンおよびヤドアの時代に、その氏族の長たちが登録された。また祭司たちもペルシャ王ダリヨスの治世まで登録された。 レビの子孫で氏族の長たる者は、エリアシブの子ヨハナンの世まで歴代志の書にしるされている。
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これらはヨザダクの子エシュアの子ヨアキムの時代、また総督ネヘミヤおよび学者である祭司エズラの時代にいた人々である。」
ユダヤ人は系図を重んじます。なぜなら自分が神の祝福の民であるとの正統性を証明しうる唯一のものだからです。旧約聖書も新約聖書も、その書き出しが系図から始まっているのはそのような理由からです。ですからユダヤ人はマタイによる福音書の冒頭の部分を読んで、イエスこそがキリストであると理解したならば簡単に福音を信じ受け入れるそうです。
私たちも信仰の系譜を大切にしなければなりません。これは誰の子どもかというものではなく、神の御子イエスを自分の救い主として信じているか、神様と自分との関係がしっかりしているか、ということです。そして正しい信仰を保つために正統的な教会に通い、間違った神学や異端に惑わされることなく、聖書の御言葉を正しく学ぶことが重要です。
http://bible.com/81/neh.12.1,22-23,26.ja1955
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ネヘミヤ記 12:27-29
「さてエルサレムの城壁の落成式に当って、レビびとを、そのすべての所から招いてエルサレムにこさせ、感謝と、歌と、シンバルと、立琴と、琴とをもって喜んで落成式を行おうとした。 そこで、歌うたう人々はエルサレムの周囲の地方、ネトパびとの村々から集まってきた。 またベテギルガルおよびゲバとアズマウテの地方からも集まってきた。この歌うたう者たちはエルサレムの周囲に自分の村々を建てていたからである。」
エルサレムの城壁再建を成し終えたネヘミヤは、城壁の落成式を行うにあたり、まず聖歌隊であるレビ人たちを召集しました。なぜなら讃美は神様に感謝し、主の栄光を喜び祝うために欠かせないものだからです。そしてレビ人たちはネヘミヤの呼び掛けに応じて、直ちにエルサレムに集合しました。なぜなら彼らはエルサレムの周辺の村々に住んでいたからです。「いざ鎌倉」の故事のように、神様からの召集に直ちに応じる姿勢と、すぐ主の御前に集まれるように神様の側近くに留まる生活こそ、神様に喜ばれる、私たちクリスチャンが模範とすべきライフスタイルです。
http://bible.com/81/neh.12.27-29.ja1955
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ネヘミヤ記 12:30-31, 37-39
「そして祭司とレビびとたちは身を清め、また民およびもろもろの門と城壁とを清めた。 そこでわたしはユダのつかさたちを城壁の上にのぼらせ、また感謝する者の二つの大きな組を作って、行進させた。その一つは城壁の上を右に糞の門をさして進んだ。
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彼らは泉の門を経て、まっすぐに進み、城壁の上り口で、ダビデの町の階段から上り、ダビデの家の上を過ぎて東の方、水の門に至った。 他の一組の感謝する者は左に進んだ。わたしは民の半ばと共に彼らのあとに従った。そして城壁の上を行き、炉の望楼の上を過ぎて、城壁の広い所に至り、 エフライムの門の上を通り、古い門を過ぎ、魚の門およびハナネルの望楼とハンメアの望楼を過ぎて、羊の門に至り、近衛の門に立ち止まった。」
城壁の落成式にあたり、祭司とレビ人たちはまず自ら身をきよめ、次に城壁と門をきよめ、イスラエルの民たちをきよめて備えました。神様を喜び祝う日には、身も心もきよめて備えることが重要です。
そしてネヘミヤは祭司と聖歌隊を二手に分け、ネヘミヤと民たちは彼らの後に続き、一方は右回りに、もう一方は左回りに、城壁の上を行進しました。聖歌隊が先導してイスラエルの民が続くこの行列は、かつてダビデが神の契約の箱をエルサレムにかき上ったときの姿を呼び起こす、神の都エルサレムに永遠に主が住まわれることを喜び祝うに相応しいものです。私たちの人生においても、神様への感謝と讃美に導かれ、日々喜びをもって歩む者でありたいと願います。
http://bible.com/81/neh.12.30-31,37-39.ja1955
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ネヘミヤ記 12:40, 43, 45
「こうして二組の感謝する者は神の宮にはいって立った。わたしもそこに立ち、つかさたちの半ばもわたしと共に立った。
…
こうして彼らはその日、大いなる犠牲をささげて喜んだ。神が彼らを大いに喜び楽しませられたからである。女子供までも喜んだ。それでエルサレムの喜びの声は遠くまで聞えた。
…
彼らはダビデおよびその子ソロモンの命令に従って、神の勤めおよび清め事の勤めをした。歌うたう者および門を守る者もそのように行った。」
「心に感謝を持ちながら」という讃美のように、喜びと讃美をもって主の宮に入ることは大いなる恵みであり、私たちの人生の原動力です。そして主の宮に入ったネヘミヤとエルサレムの民は、神様の御前に大いなる犠牲を捧げ、城壁の完成を喜び祝うその声が遠くまで聞こえたとあります。ました。これはダビデとソロモンが定めた命令に従って行われたものです。私たちもまた大いなる讃美のいけにえを主の御前に捧げ、神様を礼拝できる喜び、神様と共に住まい、主の御手に守られるさいわいに心から感謝を捧げる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/neh.12.40,43,45.ja1955
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ネヘミヤ記 12:46-47
「昔ダビデおよびアサフの日には、歌うたう者のかしらがひとりいて、神にさんびと感謝をささげる事があった。 またゼルバベルの日およびネヘミヤの日には、イスラエルびとはみな歌うたう者と門を守る者に日々の分を与え、またレビびとに物を聖別して与え、レビびとはまたこれを聖別してアロンの子孫に与えた。」
主のために身を捧げて労する者、巧みな歌と楽器の音をもって人々を代表して主の御前に感謝を捧げる者が受ける報いは麗しいものです。ネヘミヤとエルサレムの民は、ダビデの時代と同様に、レビ人たちの生活の必要のために尊い捧げものを捧げ、レビ人はまた自分が受けた捧げものの中から祭司たちのために捧げものを捧げました。私たちは決して自分一人で生きているのではなく、自分のために生きるのでもなく、人々と共に生き、殊に自分たちを代表して神様の御前に仕える献身者のために、その生活の必要を満たし祝福を分かち合う、麗しい愛の関係を築き上げる者でありたいと願います。
http://bible.com/81/neh.12.46-47.ja1955