伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/04/30

2017-04-30 08:25:34 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 12:1, 22-23, 26
「シャルテルの子ゼルバベルおよびエシュアと一緒に上ってきた祭司とレビびとは次のとおりである。すなわちセラヤ、エレミヤ、エズラ、

レビびとについては、エリアシブ、ヨイアダ、ヨハナンおよびヤドアの時代に、その氏族の長たちが登録された。また祭司たちもペルシャ王ダリヨスの治世まで登録された。 レビの子孫で氏族の長たる者は、エリアシブの子ヨハナンの世まで歴代志の書にしるされている。

これらはヨザダクの子エシュアの子ヨアキムの時代、また総督ネヘミヤおよび学者である祭司エズラの時代にいた人々である。」

ユダヤ人は系図を重んじます。なぜなら自分が神の祝福の民であるとの正統性を証明しうる唯一のものだからです。旧約聖書も新約聖書も、その書き出しが系図から始まっているのはそのような理由からです。ですからユダヤ人はマタイによる福音書の冒頭の部分を読んで、イエスこそがキリストであると理解したならば簡単に福音を信じ受け入れるそうです。

私たちも信仰の系譜を大切にしなければなりません。これは誰の子どもかというものではなく、神の御子イエスを自分の救い主として信じているか、神様と自分との関係がしっかりしているか、ということです。そして正しい信仰を保つために正統的な教会に通い、間違った神学や異端に惑わされることなく、聖書の御言葉を正しく学ぶことが重要です。

http://bible.com/81/neh.12.1,22-23,26.ja1955

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ネヘミヤ記 12:27-29
「さてエルサレムの城壁の落成式に当って、レビびとを、そのすべての所から招いてエルサレムにこさせ、感謝と、歌と、シンバルと、立琴と、琴とをもって喜んで落成式を行おうとした。 そこで、歌うたう人々はエルサレムの周囲の地方、ネトパびとの村々から集まってきた。 またベテギルガルおよびゲバとアズマウテの地方からも集まってきた。この歌うたう者たちはエルサレムの周囲に自分の村々を建てていたからである。」

エルサレムの城壁再建を成し終えたネヘミヤは、城壁の落成式を行うにあたり、まず聖歌隊であるレビ人たちを召集しました。なぜなら讃美は神様に感謝し、主の栄光を喜び祝うために欠かせないものだからです。そしてレビ人たちはネヘミヤの呼び掛けに応じて、直ちにエルサレムに集合しました。なぜなら彼らはエルサレムの周辺の村々に住んでいたからです。「いざ鎌倉」の故事のように、神様からの召集に直ちに応じる姿勢と、すぐ主の御前に集まれるように神様の側近くに留まる生活こそ、神様に喜ばれる、私たちクリスチャンが模範とすべきライフスタイルです。

http://bible.com/81/neh.12.27-29.ja1955

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ネヘミヤ記 12:30-31, 37-39
「そして祭司とレビびとたちは身を清め、また民およびもろもろの門と城壁とを清めた。 そこでわたしはユダのつかさたちを城壁の上にのぼらせ、また感謝する者の二つの大きな組を作って、行進させた。その一つは城壁の上を右に糞の門をさして進んだ。

彼らは泉の門を経て、まっすぐに進み、城壁の上り口で、ダビデの町の階段から上り、ダビデの家の上を過ぎて東の方、水の門に至った。 他の一組の感謝する者は左に進んだ。わたしは民の半ばと共に彼らのあとに従った。そして城壁の上を行き、炉の望楼の上を過ぎて、城壁の広い所に至り、 エフライムの門の上を通り、古い門を過ぎ、魚の門およびハナネルの望楼とハンメアの望楼を過ぎて、羊の門に至り、近衛の門に立ち止まった。」

城壁の落成式にあたり、祭司とレビ人たちはまず自ら身をきよめ、次に城壁と門をきよめ、イスラエルの民たちをきよめて備えました。神様を喜び祝う日には、身も心もきよめて備えることが重要です。

そしてネヘミヤは祭司と聖歌隊を二手に分け、ネヘミヤと民たちは彼らの後に続き、一方は右回りに、もう一方は左回りに、城壁の上を行進しました。聖歌隊が先導してイスラエルの民が続くこの行列は、かつてダビデが神の契約の箱をエルサレムにかき上ったときの姿を呼び起こす、神の都エルサレムに永遠に主が住まわれることを喜び祝うに相応しいものです。私たちの人生においても、神様への感謝と讃美に導かれ、日々喜びをもって歩む者でありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.12.30-31,37-39.ja1955

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ネヘミヤ記 12:40, 43, 45
「こうして二組の感謝する者は神の宮にはいって立った。わたしもそこに立ち、つかさたちの半ばもわたしと共に立った。

こうして彼らはその日、大いなる犠牲をささげて喜んだ。神が彼らを大いに喜び楽しませられたからである。女子供までも喜んだ。それでエルサレムの喜びの声は遠くまで聞えた。

彼らはダビデおよびその子ソロモンの命令に従って、神の勤めおよび清め事の勤めをした。歌うたう者および門を守る者もそのように行った。」

「心に感謝を持ちながら」という讃美のように、喜びと讃美をもって主の宮に入ることは大いなる恵みであり、私たちの人生の原動力です。そして主の宮に入ったネヘミヤとエルサレムの民は、神様の御前に大いなる犠牲を捧げ、城壁の完成を喜び祝うその声が遠くまで聞こえたとあります。ました。これはダビデとソロモンが定めた命令に従って行われたものです。私たちもまた大いなる讃美のいけにえを主の御前に捧げ、神様を礼拝できる喜び、神様と共に住まい、主の御手に守られるさいわいに心から感謝を捧げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.12.40,43,45.ja1955

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ネヘミヤ記 12:46-47
「昔ダビデおよびアサフの日には、歌うたう者のかしらがひとりいて、神にさんびと感謝をささげる事があった。 またゼルバベルの日およびネヘミヤの日には、イスラエルびとはみな歌うたう者と門を守る者に日々の分を与え、またレビびとに物を聖別して与え、レビびとはまたこれを聖別してアロンの子孫に与えた。」

主のために身を捧げて労する者、巧みな歌と楽器の音をもって人々を代表して主の御前に感謝を捧げる者が受ける報いは麗しいものです。ネヘミヤとエルサレムの民は、ダビデの時代と同様に、レビ人たちの生活の必要のために尊い捧げものを捧げ、レビ人はまた自分が受けた捧げものの中から祭司たちのために捧げものを捧げました。私たちは決して自分一人で生きているのではなく、自分のために生きるのでもなく、人々と共に生き、殊に自分たちを代表して神様の御前に仕える献身者のために、その生活の必要を満たし祝福を分かち合う、麗しい愛の関係を築き上げる者でありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.12.46-47.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/30

2017-04-30 06:12:42 | 今日の聖句
箴言 22:6
「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」

鉄は熱いうちに打てとの諺の如く、若き日に人生の指針を身に付けることが重要です。神様から授かったわが子に、幼いうちから主の戒めを座右の銘としてその心に刻みつけ、義と愛と輝きに満ちた、神と人とに喜ばれる生涯を送る者として育てる私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.22.6.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/29

2017-04-29 07:45:06 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 11:1-2
「民のつかさたちはエルサレムに住み、その他の民はくじを引いて、十人のうちからひとりずつを、聖都エルサレムに来て住ませ、九人を他の町々に住ませた。 またすべてみずから進みでてエルサレムに住むことを申し出た人々は、民はこれを祝福した。」

主の宮と城壁が再建されても、エルサレムの町に住む人がいなければゴーストタウンのままで、真の復興はありません。東日本大震災の被災地が、もう6年以上経った今でも元の家のあった場所に戻る人が少ないのは、町が町としての機能を果たしていないことが一番の原因です。

そこでイスラエルの民のつかさたちは自分の嗣業の地ではなくエルサレムの町に住むこととし、くじ引きでエルサレムに住む者を選抜してエルサレムの町の復興を推進しました。更に、自ら率先してエルサレムに住むと申し出た者を、他のイスラエルの民たちは賞賛し、祝福しました。

神様のために仕えることには困難が伴います。生計を立てることもままならないと知った上で、自ら不便な生活を選択した彼らの勇敢さには私たちも見習わなければなりません。自分さえよければと安穏な生活を望むことなく、主のためにならばと率先して苦難の道を歩み、信仰によって祝福を自ら切り開く開拓者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/neh.11.1-2.ja1955

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ネヘミヤ記 11:18, 22-23
「聖都におるレビびとは合わせて二百八十四人であった。

エルサレムにおるレビびとの監督はウジである。ウジはバニの子、バニはハシャビヤの子、ハシャビヤはマッタニヤの子、マッタニヤはミカの子である。ミカは歌うたう者なるアサフの子孫である。ウジは神の宮のわざを監督した。 彼らについては王からの命令があって、歌うたう者に日々の定まった分を与えさせた。」

聖なる都エルサレムに留まったレビ人たちの日々の生活を支えるために、ネヘミヤは王の命令を取り付けて彼らの生活に必要な分を与えました。神様の御側近くにいて直接仕える献身者の生活を支えることは、私たち信徒にとって最も重要な主のご命令です。私たちが世に遣わされているのは、自分の生活のためだけでなく、主の業を支えるためです。その尊い使命をしっかりと認識し、手に職をつけてしっかりと働き、自ら得た収入の中から神様のために、献身者のために、惜しみなく捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/neh.11.18,22-23.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/29

2017-04-29 06:50:08 | 今日の聖句
ピリピ人への手紙 4:8
「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」

愛と義と栄光に満ちた神様の特質に心を留めて、自ら実践することが、神の僕に相応しい、主の御心に適う生き方です。日常生活の中で率先してよい業に励み、己の生き様を通して主を証する私たちでありますように。

http://bible.com/81/php.4.8.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/28

2017-04-28 07:42:53 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 10:1, 28-29
「印を押した者はハカリヤの子である総督ネヘミヤ、およびゼデキヤ、

その他の民、祭司、レビびと、門を守る者、歌うたう者、宮に仕えるしもべ、ならびにすべて国々の民と離れて神の律法に従った者およびその妻、むすこ、娘などすべて知識と悟りのある者は、 その兄弟である尊い人々につき従い、神のしもべモーセによって授けられた神の律法に歩み、われわれの主、主のすべての戒めと、おきてと、定めとを守り行うために、のろいと誓いとに加わった。」

ネヘミヤは自ら率先してモーセの律法を守るとの契約を神様の御前に交わすと、祭司やレビ人、民のつかさたち、そして心から主に従う決意を固めた知恵と悟りのある人々がこの契約に加わりました。真のリーダーは自分一人で何でも自己完結させてしまうのではなく、自ら模範を示して人々に正しい道を教え、共に歩むことを働きかけ、人々が自発的に義の道を選択することのできるように導く者です。

http://bible.com/81/neh.10.1,28-29.ja1955

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ネヘミヤ記 10:30-33
「われわれはこの地の民らにわれわれの娘を与えず、われわれのむすこに彼らの娘をめとらない。 またこの地の民らがたとい品物または穀物を安息日に携えて来て売ろうとしても、われわれは安息日または聖日にはそれを買わない。また七年ごとに耕作をやめ、すべての負債をゆるす。 われわれはまたみずから規定を設けて、われわれの神の宮の用のために年々シケルの三分の一を出し、 供えのパン、常素祭、常燔祭のため、安息日、新月および定めの祭の供え物のため、聖なる物のため、イスラエルのあがないをなす罪祭、およびわれわれの神の宮のもろもろのわざのために用いることにした。」

ネヘミヤとイスラエルの民が神様の御前に交わした契約は、罪を犯し続けた結果バビロン捕囚という厳しい裁きを下された先祖たちを反面教師として正しく学び、モーセの律法に記されている戒めをことごとく忠実に守り行うことを自らに課する、自発的な意志に基づくものでした。人から言われて、規則だからと仕方なく守るのではなく、自分の意志で、自発的に御言葉に聞き従うことを、神様は何よりも喜ばれます。

http://bible.com/81/neh.10.30-33.ja1955

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ネヘミヤ記 10:34-35, 37, 39
「またわれわれ祭司、レビびとおよび民はくじを引いて、律法にしるされてあるようにわれわれの神、主の祭壇の上にたくべきたきぎの供え物を、年々定められた時に氏族にしたがって、われわれの神の宮に納める者を定めた。 またわれわれの土地の初なり、および各種の木の実の初なりを、年々主の宮に携えてくることを誓い、

われわれの麦粉の初物、われわれの供え物、各種の木の実、ぶどう酒および油を祭司のもとに携えて行って、われわれの神の宮のへやに納め、またわれわれの土地の産物の十分の一をレビびとに与えることにした。レビびとはわれわれのすべての農作をなす町において、その十分の一を受くべき者だからである。

すなわちイスラエルの人々およびレビの子孫は穀物、ぶどう酒、および油の供え物を携えて行って、聖所の器物および勤めをする祭司、門衛、歌うたう者たちのいるへやにこれを納めなければならない。こうしてわれわれは、われわれの神の宮をなおざりにしない。」

自発的な信仰は、神様に喜ばれることを自分の何よりの喜びとします。捧げものの精神は、神様に喜んでいただきたいと心から願う気持ちです。神様の御前にモーセの律法に聞き従うとの契約を交わしたイスラエルの民たちは、自分たちの得た者の中から一番よいもの、初生りのもの、収入の1/10を主の御前に捧げて、神様を決してなおざりとしないことを誓いました。

財産やお金の使い方に、その人の本心が表れます。自分の楽しみや趣味のためには惜しげもなくお金を使いながら、神様への捧げものは渋々出すような心の持ち主は、果たして神様に喜ばれるでしょうか? 神様の祝福は、最もよいものを、心から喜んで、惜しみなく捧げる者に豊かに注がれます。イスラエルの民たちが交わした聖なる誓いのように、同じ神様を信じる私たちもまた、決して神様をなおざりにしない心を、惜しみなく捧げる尊い捧げものをもって神様の御前に誓う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.10.34-35,37,39.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/28

2017-04-28 06:55:03 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 1:5
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」

闇の支配するこの世にも、必ずまことの光が輝いています。なぜならこの光なるお方こそ、この世を造られた真の支配者だからです。闇を照らす真理の光なる主を見上げ、罪の支配を打ち破る勝利者の一員に加わらせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.1.5.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/27

2017-04-27 08:08:37 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 9:1-3
「その月の二十四日にイスラエルの人々は集まって断食し、荒布をまとい、土をかぶった。 そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした。 彼らはその所に立って、その日の四分の一をもってその神、主の律法の書を読み、他の四分の一をもってざんげをなし、その神、主を拝した。」

仮庵の祭を祝ったエルサレムの民は、過去の罪を悔い改めるために再び集まりました。断食と、荒布をまとうことと、灰や塵をかぶることは、ユダヤ人にとって心の底から罪を悔い改める姿勢を自らの態度で表すものです。そして一日の1/4すなわち6時間かけて律法を読んで学び、さらに6時間かけて懺悔と礼拝の時を過ごしました。一日の半分を聖書の学びと罪の悔い改めに費やす姿に、彼らの徹底ぶりが如実に表されています。

なぜ彼らは、仮庵の祭の直後に再び集まり、徹底して罪を告白し悔い改めたのでしょうか? それは律法を学ぶことを通して自らの罪深さに改めて気付かされたからです。私たちは罪赦された罪人ですが、罪が全くなかったことになるのではなく、悔い改めない罪は決して赦されることはありません。真摯な罪の悔い改めがあってはじめて、私たちはその罪を赦されます。そのためには御言葉をよく読んで正しく学び、どんな小さな罪をも見逃さないように信仰の感性を研ぎ澄まして徹底して悔い改めることが、きよめを求めるクリスチャンの基本姿勢です。

http://bible.com/81/neh.9.1-3.ja1955

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ネヘミヤ記 9:6-8
『またエズラは言った、「あなたは、ただあなたのみ、主でいらせられます。あなたは天と諸天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、これをことごとく保たれます。天の万軍はあなたを拝します。 あなたは主、神でいらせられます。あなたは昔アブラムを選んでカルデヤのウルから導き出し、彼にアブラハムという名を与え、 彼の心があなたの前に忠信なのを見られて、彼と契約を結び、その子孫にカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、エブスびとおよびギルガシびとの地を与えると言われたが、ついにあなたはその約束を成就されました。あなたは正しくいらせられるからです。」』

律法を学び罪を悔い改めるために集まったエルサレムの民を代表して、エズラが祈りを捧げました。それはアブラハムの時代に遡ってイスラエルの歴史を振り返り、過去の罪を洗いざらい出して悔い改める祈りでした。祈りの冒頭は、神様がアブラハムを選んで乳と密の流れる麗しい嗣業の地を与えると約束されたアブラハムの原契約の成就するまでを思い起こさせるものでした。なぜ神様はアブラハムを選ばれたのでしょうか?それは彼の心が忠信であったからです。まことの神様を畏れ、その御言葉にどこまでも聞き従うこと、それがクリスチャンのあるべき姿、本分です。

http://bible.com/81/neh.9.6-8.ja1955

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ネヘミヤ記 9:25-26, 30-31
「それで彼らは堅固な町々および肥えた地を取り、もろもろの良い物の満ちた家、掘池、ぶどう畑、オリブ畑および多くの果樹を獲、食べて飽き、肥え太り、あなたの大いなる恵みによって楽しみました。 それにもかかわらず彼らは不従順で、あなたにそむき、あなたの律法を後に投げ捨て、彼らを戒めて、あなたに立ち返らせようとした預言者たちを殺し、大いに汚し事を行いました。

それでもあなたは年久しく彼らを忍び、あなたの預言者たちにより、あなたのみたまをもって彼らを戒められましたが、彼らは耳を傾けなかったので、彼らを国々の民の手に渡されました。 しかしあなたは大いなるあわれみによって彼らを絶やさず、また彼らを捨てられませんでした。あなたは恵みあり、あわれみある神でいらせられるからです。」

神様はアブラハムとの契約を守り、彼の子孫であるイスラエルの民に嗣業の地を与え、大いなる祝福を授けました。にもかかわらず彼らは主の恵みを当たり前に受け止めるようになると不従順になり、律法を捨て、主の遣わされた預言者たちを殺し、徹底的に神様に反抗しました。神様の恵みを当たり前と思う心は堕落の始まりですから注意が必要です。

しかし神様はアブラハムとの契約を忘れることなく、長く忍耐してイスラエルの民が主に立ち帰る日を待ち望んでいましたが、彼らは一向に悔い改めなかったため、ついに彼らを異教の民の手に渡し、神様の祝福から引き離されてしまいました。それでも神様はイスラエルを滅ぼし尽くすことをしなかったのは、ひとえに神様の憐れみの故であると、エズラは祈りました。中東地域では反逆者は皆殺しが原則です。しかし神様はアブラハムとの契約に真実であるが故に、イスラエルを皆殺しにはせず、異教の王の下に服従させることを通して、彼らが神様の憐れみ深さに気付き、主に立ち帰る日を待ち望んでおられたのです。これは今の私たちにも注がれている神様の憐れみです。私たちもまた神様に立ち帰り、アブラハム契約の内に入れていただく者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/neh.9.25-26,30-31.ja1955

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ネヘミヤ記 9:32-37
『「それゆえ、われわれの神、契約を保ち、いつくしみを施される大いにして力強く、恐るべき神よ、アッスリヤの王たちの時から今日まで、われわれとわれわれの王たち、つかさたち、祭司たち、預言者たち、先祖たち、およびあなたのすべての民に臨んだもろもろの苦難を小さい事と見ないでください。 われわれに臨んだすべての事について、あなたは正しいのです。あなたは誠実をもって行われたのに、われわれは悪を行ったのです。 われわれの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちはあなたの律法を行わず、あなたがお与えになった命令と戒めとに聞き従いませんでした。 すなわち彼らはおのれの国におり、あなたが下さった大きな恵みのうちにおり、またあなたがお与えになった広い肥えた地におりながら、あなたに仕えず、また自分の悪いわざをやめることをしませんでした。 われわれは今日奴隷です。あなたがわれわれの先祖に与えて、その実とその良き物とを食べさせようとされた地で、われわれは奴隷となっているのです。 そしてこの地はわれわれの罪のゆえに、あなたがわれわれの上に立てられた王たちのために多くの産物を出しています。かつ彼らはわれわれの身をも、われわれの家畜をも意のままに左右することができるので、われわれは大いなる苦難のうちにあるのです」。』

エズラは今のイスラエルが置かれている苦境を神様に訴え、すべては自分たちの罪の故に引き起こされたものであると悔い改めました。私たちは罪の責任を人や環境のせいにしてはなりません。正しい現状認識と罪の悔い改めなしに、信仰と祝福の回復はあり得ません。

http://bible.com/81/neh.9.32-37.ja1955

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ネヘミヤ記 9:38
「このもろもろの事のためにわれわれは堅い契約を結んで、これを記録し、われわれのつかさたち、レビびとたち祭司たちはこれに印を押した。」

エズラとエルサレムの民たちは、主に立ち帰るとの新しい契約を堅く交わし、つかさたちとレビ人たち、祭司たちの前で証印を押しました。これは今の私たちにとって神と人との前で交わす信仰告白と洗礼に等しいものです。神様の憐れみにより罪赦され契約の民となったことを堅く保ち続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/neh.9.38.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/27

2017-04-27 06:58:42 | 今日の聖句
伝道の書 12:13
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」

数多の知恵の言葉を書き連ねたソロモンは、人生の究極の目的は造り主なる神を畏れ、御言葉に聞き従うこと、ただこの一言に尽きると結論づけました。自分が自分であるために人としての本分を果たす、すなわち、まことの神を畏れ敬い、主の戒めを守り行う、ただこの一点に集中する私たちでありますように。

http://bible.com/81/ecc.12.13.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/26

2017-04-26 08:00:01 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 8:1-3
「その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。」

城壁再建を果たしたエルサレムの住民たちは皆、心を一つにして水の門の前の広場に集まり、祭司であり律法によく通じた学者であるエズラにモーセの律法の書を解き明かしてほしいと願い出ました。今のキリスト教会でいうと聖会を開いたのです。水の門はエルサレム神殿の南側に位置し、誰でも自由に出入りすることのできる神殿に最も近い場所でした。また水というのはエルサレムの水源であるギホンの泉を意味し、イスラエルの民が飢え渇くように御言葉を慕い求めたことを象徴しています。

聖会に集まった人々は「男女および悟ることのできる人々」とありますから、おそらく小学生以上の年齢から老若男女の別なく、夜明けから正午まで、エズラの朗読する聖書の御言葉に一心に耳を傾けました。これほど熱心に御言葉を求める姿勢に、私たちも見習わなければなりません。

http://bible.com/81/neh.8.1-3.ja1955

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ネヘミヤ記 8:5-6
『エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。』

エズラはすべての民の前に立ち、モーセの律法を読み聞かせました。エズラが律法の書を開くとイスラエルの民は一斉に起立し、エズラが主をほめたたえると民は一斉に手を挙げてアーメンと答え、地にひれ伏して主を礼拝しました。

儀式的にも見える彼らの行動は、心から神様を畏れ敬い、心を一つにして神様を讃美しほめたたえ、絶対的服従の姿勢を自らの行動をもって表明するものです。今の教会でいうならば信仰告白、礼拝の中で一同起立して使徒信条を朗読することの本質的な意味がここにあります。私たちも当時のエルサレムの民のように、毎週の礼拝の中で教会員一同心を合わせて信仰告白し、神様に畏敬の念と感謝と従順の心を表明する者でありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.8.5-6.ja1955

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ネヘミヤ記 8:8-10, 12
『彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。

すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。』

エズラとレビ人たちはエルサレムの民にモーセの律法を明瞭に朗読すると共に、その内容を解き明かして、律法の精神、本質的な意味を彼らに悟らせました。今の私たちに当てはめるならば、私たちが聖書を開いて読むとき、心の中に住まわれる聖霊なる神様が私たちにその意味を解き明かしてくださるのです。聖書の御言葉を読むことは大切ですが、その意味を悟らず、単なる昔の物語として読むだけで終わってしまったならば、その価値は半減してしまいます。私たちは心を神様に向けて、祈り心をもって聖書の御言葉に親しむとき、聖霊様が助けてくださって、その時々に最も必要な御言葉の解き明かしをしてくださいます。

そして御言葉の本質を悟った彼らは、自分たちが犯してきた罪の深さに気付き、涙を流して心から悔い改めました。しかしエズラとレビ人たちはそんなエルサレムの民たちに対し、こんな罪深い私たちを赦してくださった神様の恵み深さを喜びなさいと奨めました。そのとき語られたのが「主を喜ぶことはあなた方の力です」との有名な御言葉です。罪を後悔して泣くだけならば誰でもできます。しかしクリスチャンはさらにその先、罪からの赦しを得ているのです!この神様の深い憐れみに心から感謝し、御言葉の約束に確信を得て、主なる神様に一生仕え従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/neh.8.8-10,12.ja1955

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ネヘミヤ記 8:13-14, 16-18
「次の日、すべての民の氏族の長たち、祭司、レビびとらは律法の言葉を学ぶために学者エズラのもとに集まってきて、 律法のうちに主がモーセに命じられたこと、すなわちイスラエルの人々は七月の祭の間、仮庵の中に住むべきことがしるされているのを見いだした。

それで民は出て行って、それを持って帰り、おのおのその家の屋根の上、その庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場などに仮庵を造った。 捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。 エズラは初めの日から終りの日まで、毎日神の律法の書を読んだ。人々は七日の間、祭を行い、八日目になって、おきてにしたがって聖会を開いた。」

7月1日の聖会によってモーセの律法を深く学び、罪からの解放を喜んだイスラエルの族長たち、レビ人、祭司たちは、次の日も御言葉を学ぶためにエズラの元に集まってきました。そこで彼らは仮庵の祭のことを改めて知ることとなりました。仮庵の祭は、エジプトの奴隷から解放されたイスラエルが約束の地に入ったとき、荒野の試練の生活を思い起こすために行われた祭でしたから、バビロン捕囚から帰還し、エルサレムの神殿と城壁を再建して安住の地を得た彼らに最も相応しい祭でした。彼らは直ちにバビロン捕囚から帰還した全イスラエルの民に仮庵の祭を行う準備を整えさせ、ヨシュア時代以来の盛大な仮庵の祭が開かれました。その期間中もエズラは民たちに律法を教え続け、ペルシャ王アルタシャスタから受けた「イスラエルの民に天の神の律法を教えよ」との使命を、エズラはようやく果たすことができました。神様はその時その時に最も相応しい御心を必ず成し遂げてくださるお方です。

http://bible.com/81/neh.8.13-14,16-18.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/26

2017-04-26 06:45:28 | 今日の聖句
詩篇 119:11
「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。」

将来の生活への備えとして銀行に預金を貯蓄するように、罪との戦いに備えて心に御言葉を蓄えることはクリスチャンにとって最も重要な貯蓄です。いつ襲撃されるかわからないサタンの攻撃に御言葉の剣によって立ち向かうことができるよう、常日頃から聖書に親しみ、信仰の戦いに備える私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.119.11.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/25

2017-04-25 07:57:37 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 7:1-2
「城壁が築かれて、とびらを設け、さらに門衛、歌うたう者およびレビびとを任命したので、 わたしは、わたしの兄弟ハナニと、城のつかさハナニヤに命じて、エルサレムを治めさせた。彼は多くの者にまさって忠信な、神を恐れる者であったからである。」

城壁再建を果たしたネヘミヤは、自らエルサレムを統治することなく、自分の兄弟ハナニと、城のつかさハナニヤをエルサレムの首領として選び、彼らにエルサレムの統治を委ねました。真のリーダーは、何でもかんでも自分一人で完結する正義のヒーロー気取りの者ではなく、後継者を選び、育て、委ねることのできる人です。

そして彼らが選ばれた理由は、自分の身内だからとか能力があるからとかではなく、すべての人にまさって忠信な者であり、かつまことの神を畏れる者であったからです。神を畏れることは知識のはじめ、神と人とに忠実であることはキリスト者の真のリーダーに相応しい者です。

http://bible.com/81/neh.7.1-2.ja1955

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ネヘミヤ記 7:5-7, 66
「時に神はわたしの心に、尊い人々、つかさおよび民を集めて、家系によってその名簿をしらべようとの思いを起された。わたしは最初に上って来た人々の系図を発見し、その中にこのようにしるしてあるのを見いだした。バビロンの王ネブカデネザルが捕え移した捕囚のうち、ゆるされてエルサレムおよびユダに上り、おのおの自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。 彼らはゼルバベル、エシュア、ネヘミヤ、アザリヤ、ラアミヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネホム、バアナと一緒に帰ってきた者たちである。そのイスラエルの民の人数は次のとおりである。

会衆は合わせて四万二千三百六十人であった。」

ネヘミヤは、主なる神が永遠にその名を置くと言われた都エルサレムには、真のイスラエル人、すなわち異教の民と交わることなく純潔を保った人が住むべきであると考え、人々の系図を調べたいとの願いが起こされました。これは単なる行き当たりばったりの思いつきとは異なり、聖なる目的を持った、神様の御心に適う計画です。すると、かつてエズラが調査したエルサレムの住人の系図が見つかり、氏族ごとにその数も記されていました。それはエズラ記の系図とは若干異なりますが、ネヘミヤのエルサレム帰還がエズラの十数年後ですから、その間に人口の変動もあったかと思われます。

いずれにせよ、神の都エルサレムに住むべき人とは系図によって証明された真のイスラエル人であるように、天の御国に住む者もまた尊くきよい信仰を堅く保ち続け、いのちの書にその名を記されたまことのクリスチャンであるべきです。主イエス・キリストの十字架で購われ、天にその名が記されている私たちは、キリストの血潮によって神の民の系図に加えられていることを心から喜びましょう。

http://bible.com/81/neh.7.5-7,66.ja1955

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ネヘミヤ記 7:70-72
「氏族の長のうち工事のためにささげ物をした人々があった。総督は金一千ダリク、鉢五十、祭司の衣服五百三十かさねを倉に納めた。 また氏族の長のうちのある人々は金二万ダリク、銀二千二百ミナを工事のために倉に納めた。 その他の民の納めたものは金二万ダリク、銀二千ミナ、祭司の衣服六十七かさねであった。」

ここで改めて城壁再建のために捧げられた捧げもののリストが記されていますが、総督すなわちネヘミヤが率先して多くの捧げものをしたことがわかります。自ら率先して人々に模範を示し、恵み豊かな神様のように惜しみなく捧げる者こそ、真のリーダーに相応しい者です。

http://bible.com/81/neh.7.70-72.ja1955

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ネヘミヤ記 7:73
「こうして祭司、レビびと、門衛、歌うたう者、民のうちのある人々、宮に仕えるしもべたち、およびイスラエルびとは皆その町々に住んだ。イスラエルの人々はその町々に住んで七月になった。」

神の都エルサレムを守る城壁が完成し、その町の中に住むべき者も定まって7月を迎えました。イスラエルの暦で7月は仮庵の祭がある大切な月です。仮庵の祭とは、出エジプトでの荒野の生活を思い起こすために仮設の掘っ建て小屋に住み、嗣業の地を与えられた神様の恵みに感謝する祭ですから、エルサレムの町の再建を果たした彼らにとって最も相応しい祝いのときです。私たちもまたときに応じて、神様の恵みを思い起こす記念の機会を設けることが大切です。教会歴を重んじ、形式的になることなくその本質に思いを馳せ、心から喜んで神様に感謝を捧げる私たちでありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.7.73.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/25

2017-04-25 06:50:48 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 3:16
「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」

ご自身のいのちさえも惜しまずに与えてくださった主イエスの愛を受けた私たちは、まことの愛とはいのちよりも尊く、具体的な行動を伴うことを知っているはずです。日常生活の中で、目の前にいる兄弟姉妹たちのために、全身全霊を傾けてまことの愛を実践する私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.3.16.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/24

2017-04-24 07:57:46 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 6:1-3
『サンバラテ、トビヤ、アラビヤびとガシムおよびその他のわれわれの敵は、わたしが城壁を築き終って、一つの破れも残らないと聞いた。(しかしその時にはまだ門のとびらをつけていなかったのである。) そこでサンバラテとガシムはわたしに使者をつかわして言った、「さあ、われわれはオノの平野にある一つの村で会見しよう」と。彼らはわたしに危害を加えようと考えていたのである。 それでわたしは彼らに使者をつかわして言わせた、「わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。どうしてこの工事をさしおいて、あなたがたの所へ下って行き、その間、工事をやめることができようか」。』

サマリヤ人サンバラテとアラビヤ人ガシムは、エルサレムの城壁がほぼ完成したと知って、ネヘミヤの元に使者を送り、和睦のための会合を開こうと持ちかけました。その実、彼らはネヘミヤをおびき出して暗殺するつもりでした。ネヘミヤは彼らの魂胆を見抜き、正当な理由を付けて彼らの申し出を断り、誘いには乗りませんでした。今日でも中東情勢は騙し合いの連続で、まさに神様とサタンの戦いを目の当たりにするようなものです。

サタンの得意技は人を騙すこと、神様の御心を疑わせることです。狡猾な彼らの謀略を見抜き、災いを未然に防ぐには、人の経験や知恵、自分の考えで物事を表面的に判断せず、常に神様に御心を求め続ける以外にありません。そして神様と人との前に正々堂々と行動し、神の義を貫く勇気が必要です。

http://bible.com/81/neh.6.1-3.ja1955

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ネヘミヤ記 6:5-6, 8-9
『ところが、サンバラテは五度目にそのしもべを前のようにわたしにつかわした。その手には開封の手紙を携えていた。 その中に次のようにしるしてあった、「諸国民の間に言い伝えられ、またガシムも言っているが、あなたはユダヤ人と共に反乱を企て、これがために城壁を築いている。またその言うところによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。

そこでわたしは彼に人をつかわして言わせた、「あなたの言うようなことはしていません。あなたはそれを自分の心から造り出したのです」と。 彼らはみな「彼らの手が弱って工事をやめるようになれば、工事は成就しないだろう」と考えて、われわれをおどそうとしたのである。しかし神よ、どうぞいまわたしの手を強めてください。』

ネヘミヤ暗殺計画が失敗に終わったことを悟ったサンバラテとガシムは、今度は公開の書状を送り、ネヘミヤが自らイスラエルの王になろうとし、ペルシャ帝国に反逆して戦うために城壁を築いているのだと言いふらしました。これは情報戦略、平たく言えば悪い噂を流してネヘミヤを窮地に陥れようとしたのです。ネヘミヤは彼らに対抗して、それらの噂は彼らの作り話であることを表明しました。

今日でもアラブ諸国は海外メディアを巧みに利用して、自らの攻撃はひた隠しにしつつ、イスラエルが一方的に残虐な行為を働いていると国際的な世論に訴えかけています。今も昔も変わらない呆れた謀略の民たちです。私たちは真実を確かめることなく人の噂を信じては決してなりません。そして悪い噂に打ち勝つ方法はただ一つ、真実な神様に訴えて勇気を得ることです。たとい全世界が敵となっても、神様だけは私たちの味方となって必ず守ってくださいますから、私たちは主に確信して動かされることなく、公明正大な言動を徹底する人生こそが勝利の秘訣です。

http://bible.com/81/neh.6.5-6,8-9.ja1955

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ネヘミヤ記 6:10-14
『さてわたしはメヘタベルの子デラヤの子シマヤの家に行ったところ、彼は閉じこもっていて言った、「われわれは神の宮すなわち神殿の中で会合し、神殿の戸を閉じておきましょう。彼らはあなたを殺そうとして来るからです。きっと夜のうちにあなたを殺そうとして来るでしょう」。 わたしは言った、「わたしのような者がどうして逃げられよう。わたしのような者でだれが神殿にはいって命を全うすることができよう。わたしははいらない」。 わたしは悟った。神が彼をつかわされたのではない。彼がわたしにむかってこの預言を伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したためである。 彼が買収されたのはこの事のためである。すなわちわたしを恐れさせ、わたしにこのようにさせて、罪を犯させ、わたしに悪名をきせて侮辱するためであった。 わが神よ、トビヤ、サンバラテおよび女預言者ノアデヤならびにその他の預言者など、すべてわたしを恐れさせようとする者たちをおぼえて、彼らが行ったこれらのわざに報いてください。』

敵は身内にありとも言いますが、ネヘミヤにとっても同じでした。家に閉じこもっていたデラヤの子シマヤの元に行ったネヘミヤは、今夜の内にも敵が自分たちを殺害しに来るから主の神殿に入って閉じこもろうと誘いました。しかしネヘミヤは彼の言葉が嘘であることを直ちに見抜きました。なぜなら主の宮には祭司のほか誰も入ってはならないことは、イスラエル人ならば誰でも知っていることだからです。そして自分の命を守るために主の御前に罪を犯すことはできないと答えました。

私たちは自らの保身のために、どんな小さな罪も決して犯してはなりません。常に神の義を行い、人から後ろ指を指されるような後ろめたいことを決して行わないことが、自らの身を守る唯一の方法です。またこの世の富に目がくらみ、買収されて人に罪を犯させるようなことを、私たちは決してしてはなりません。そのような者は、たとい主の預言者であっても、ネヘミヤの祈りのように主の呪いを受け、その汚名を後世まで語り継がれることを忘れてはなりません。

http://bible.com/81/neh.6.10-14.ja1955

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ネヘミヤ記 6:15-16
「こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。 われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである。」

ネヘミヤの勇気と知恵と的確な判断に基づいたリーダーシップにより、度重なる執拗な妨害工作にもかかわらず、エルサレムの城壁はたった52日という極めて異例の短期間で再建されました。この驚異のスピードに、敵も、周囲の異邦人たちもイスラエルを恐れ、妨害者たちは大いに面目を失いました。しかしそれはネヘミヤの指導力によるのではなく、ネヘミヤの背後におられた神様の助けがあったことを、神様を信じない異邦人たちにも知れ渡ることとなりました。私たちは自分たちの言動と成果を通して、自らが栄光を受けることなく、主の御名があがめられ、全地に神様の御業が言い伝えられるようになるために、全力を尽くして御心と正義を行わなければなりません。

http://bible.com/81/neh.6.15-16.ja1955
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【今日の聖句】 2017/04/24

2017-04-24 06:50:07 | 今日の聖句
ヘブル人への手紙 10:23
「また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、」

告白するとは本当の気持ちを自分の口ではっきりと言い表すことです。真実な神様は救いの約束を私たちが心の底から望むならば必ず叶えてくださいますから、何事があっても揺るぐことなく信仰告白し、永遠のいのちの希望を確信して保ち続ける者でありたいと願います。

http://bible.com/81/heb.10.23.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/04/23

2017-04-23 08:25:52 | 一日一章・聖書通読日記
ネヘミヤ記 5:1, 5-6
『さて、ここに民がその妻と共に、その兄弟であるユダヤ人に向かって大いに叫び訴えることがあった。

「現にわれわれの肉はわれわれの兄弟の肉に等しく、われわれの子供も彼らの子供に等しいのに、見よ、われわれはむすこ娘を人の奴隷とするようにしいられています。われわれの娘のうちには、すでに人の奴隷になった者もありますが、われわれの田畑も、ぶどう畑も他人のものになっているので、われわれにはどうする力もありません」。 わたしは彼らの叫びと、これらの言葉を聞いて大いに怒った。』

エルサレムの城壁を再建する工事中も、人々は生計を立てなければ生きてゆけません。しかし中には日々の糧を得るために、あるいは税金を納めるために、自分たちの所有の地を同族であるユダヤ人に売り、あるいは子どもたちを奴隷として売らざるを得なかったと、窮状を訴える人々がいました。

ネヘミヤはこの訴えを聞いて非常に怒りました。なぜならモーセの律法に、同族であるイスラエル人の嗣業の地を抵当に入れて金を貸したり、そのために利息を取ったり、奴隷にしてはならないと戒められているからです。

私たちの行動基準は聖書の御言葉です。御言葉に反する行為をして私腹を肥やしたり、隣人を憐れまない者は、神様の厳しい裁きを決して免れることはできません。

http://bible.com/81/neh.5.1,5-6.ja1955

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ネヘミヤ記 5:8-10
『彼らに言った、「われわれは異邦人に売られたわれわれの兄弟ユダヤ人を、われわれの力にしたがってあがなった。しかるにあなたがたは自分の兄弟を売ろうとするのか。彼らはわれわれに売られるのか」。彼らは黙してひと言もいわなかった。 わたしはまた言った、「あなたがたのする事はよくない。あなたがたは、われわれの敵である異邦人のそしりをやめさせるために、われわれの神を恐れつつ事をなすべきではないか。 わたしもわたしの兄弟たちも、わたしのしもべたちも同じく金と穀物とを貸しているが、われわれはこの利息をやめよう。」』

ネヘミヤは私腹を肥やしていた人々を集めて、彼らの行ってきた行為を厳しく非難しました。そして彼らが貧しい人々に課していた利息をやめるように提案しました。その理由は、神の愛を知らぬ異邦人のような無慈悲な行為を真似ることなく、神様の憐れみによってバビロン捕囚から解放された者同士、自分たちも憐れみ深い者となって、互いに愛と施しを行うべきだと言うことです。

私たちはキリストの十字架によって罪赦され購われた者、すなわち神様の所有となっているのですから、同じキリスト者同士、人を食い物にするようなことをしてはなりません。残念ながら、教会の中にも兄弟姉妹を金儲けの手段とするような不届き者がいますが、そのような愚かな行為を厳しく戒め、また私たち自身、決してそのようなことをしてはなりません。

http://bible.com/81/neh.5.8-10.ja1955

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ネヘミヤ記 5:14-15, 17-19
「またわたしは、ユダの地の総督に任ぜられた時から、すなわちアルタシャスタ王の第二十年から第三十二年まで、十二年の間、わたしもわたしの兄弟たちも、総督としての手当を受けなかった。 わたしより以前の総督らは民に重荷を負わせ、彼らから銀四十シケルのほかにパンとぶどう酒を取り、また彼らのしもべたちも民を圧迫した。しかしわたしは神を恐れるので、そのようなことはしなかった。

またわたしの食卓にはユダヤ人と、つかさたち百五十人もあり、そのほかに、われわれの周囲の異邦人のうちからきた人々もあった。 これがために一日に牛一頭、肥えた羊六頭を備え、また鶏をもわたしのために備え、十日ごとにたくさんのぶどう酒を備えたが、わたしはこの民の労役が重かったので、総督としての手当を求めなかった。 わが神よ、わたしがこの民のためにしたすべての事を覚えて、わたしをお恵みください。」

イスラエルの主だった人々、富裕層に向かって、同族から利子を取ったり資産を担保に取るような金貸しはやめるように戒めたネヘミヤ自身は、更に厳しく自らを律していました。彼はなんと城壁再建の任に就いた12年もの長きにわたり、自らの報酬をいっさい受けずに、むしろ共に働く同労者のために一日あたり牛一頭、肥えた羊6頭、多くの鶏を提供してその労を労い養いました。ここまで大盤振る舞いの生活を12年間も続けたというのは、どれほど尊い捧げものだったでしょうか。天に宝を積むというのは、まさにこのネヘミヤのような行動です。

その動機をネヘミヤは、自分が神を畏れるが故、また同族の厳しい労働に報いるためであると告白しています。なぜなら天の父なる神様は、私たちに無償で大自然の豊かな恵みを与え、御子イエスのいのちという貴い犠牲を払ってまで、限りない愛を私たちに注いでくださっているからです。その神様の豊かな恵みと憐れみを受けている私たちもまた、ネヘミヤのように神様のために、教会のために、同じ主を信じ福音のために共に働く兄弟姉妹たちのために、惜しみなく捧げ、仕え、徹底して神様の愛と憐れみに応える生き方を貫く者でありたいと願います。

http://bible.com/81/neh.5.14-15,17-19.ja1955
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