使徒行伝 7:1-8
大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。 そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。 そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、 そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。 神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。 それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。 そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。」
ここから長いステパノの説教が続きますが、彼が訴えられた理由は、リベルテン派の人々が、
「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」
「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません 」
と偽証したためでした。そこでステパノは、モーセと律法、神殿の成り立ちについて、イスラエルの歴史から紐解いて、説き始めるに至ったのです。聖書解釈も歴史解釈も、通り一遍の知識に留まっては真理を悟ることはできません。聖霊のよって御言葉を解き明かしていただき、信仰によって神の御心を悟らせていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/act.7.1-8.ja1955
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使徒行伝 7:9-16
「族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、 あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。 時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。 ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、 二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。 ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。 こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、 それから彼らは、シケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。」
6節まではイスラエル12部族の成り立ちについて解き明かし、13節からはイスラエルの間に妬みが入り込んだ歴史が記されています。その結果として、エジプトという国を介して、救いの御業が行われることとなりました。神はイスラエルが犯した罪の結末さえも用いて、罪からの救いの計画を立てられたのです。
http://bible.com/81/act.7.9-16.ja1955
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使徒行伝 7:17-25
「神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。 やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。 この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。 モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、 そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。 モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。 四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。 ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。 彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。」
ここでステパノは、自身が訴えられた理由の一つであるモーセについて解き明かし始めます。モーセは神様がイスラエルの救いの計画を成し遂げるために立てられた器ですが、神の御声に聞かず、肉の思い、人間としての感情にまかせて仕返しをし、救いを成し遂げようとしたところ、同族からも理解されずに、孤立する結果となりました。これが人の正義感の限界です。「復讐するは我にあり」という神の御言葉は、罪に対する裁き、怒りは神に任せて、人が直接手を下して罪を犯すなという戒めです。このことを若きモーセは理解していなかったのです。私たちもまた、悪に対して自分自身で報復することなく、復讐は神に委ねて、自らは善を以て悪に報いる者と、心を整えさせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/act.7.17-25.ja1955
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使徒行伝 7:26-37
「翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。 すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。 君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。 モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。 四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。 彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、 『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。 すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。 わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。 こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。 この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。 この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。」
エジプト王の後継者として育てられながら、40歳にして同族イスラエルのために立ち上がり、救いを成し遂げようとしたところ、同胞からも認められず、傷ついたモーセは、ミデアンの地で隠遁生活を送りました。しかし神は40年を経てシナイ山にてモーセの前に現れ、出エジプトの救いを成し遂げるためにモーセを遣わされました。そして荒野での40年を経てイスラエル人の信仰を練りきよめられ、ついにアブラハムと契約を立てた約束の地に帰還することとなりました。こうしてステパノは自身が訴えられていたモーセについて、イスラエル人と全く同じ信仰を持ち、敬っているいることを弁明したのです。
http://bible.com/81/act.7.26-37.ja1955
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使徒行伝 7:38-43
「この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。 ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、 『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。 そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。 そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。 あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。」
次いでステパノは、イスラエルの反逆の歴史についても解き明かしました。出エジプトにおいて荒野での40年を過ごさなければならなかったのも、神様がモーセに十戒と律法を授けている間に、イスラエルの民がアロンに私たちの神を造ってくださいと嘆願して金の子牛を造ったからであり、約束の地を授かった後も様々な偶像を拝んで神様に背を向け、神の怒りを買ってバビロン捕囚の憂き目に遭ったのもそのためでした。旧約聖書の歴史は、神の救いと祝福の契約と、民の反逆の繰り返しであることに気付くと、新しい救いと祝福の契約である福音の恵みがよくわかります。
http://bible.com/81/act.7.38-43.ja1955
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使徒行伝 7:44-50
「わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。 この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。 ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。 けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。」
次いでステパノは、自身が訴えられた偽証に挙げられていた神殿についての説教を始めます。イスラエルの人々が何よりも大切にしていた神殿は、モーセの幕屋を原型として造られたものでしたが、最初の神殿であるソロモンの神殿が建てられたとき、その願いを神に申し上げたダビデも、神殿を奉献したソロモンも、神様は人の手で造った神殿の中に住まれるほど小さな存在ではなく、天を玉座とし、大地を足台とする壮大なお方であることを認めていました。しかしイスラエルの人は神殿に神様が居られると神格化し、神殿さえあれば自分たちは外敵から守られるといった、いびつな神殿信仰に陥ってしまいました。そのことをステパノは指摘したのです。私たちも、神様ではなく、教会や牧師を大切にする気持ちが高じて、神格化して拝むようなことがあってはなりません。
http://bible.com/81/act.7.44-50.ja1955
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使徒行伝 7:51-60
「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。 あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。 人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。 こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
ステパノを訴えた人々の信仰がいびつであることを指摘し、神に反逆する者であるといったステパノに対して、人々は激しく怒りを覚え、ステパノが御子イエスが天の父の右に立っておられると発言したことを口切りに、人々は耳を塞いでステパノめがけて殺到し、議会の判決を待たずに石打の刑に処して殺害してしまいました。彼らが行ったことは公式の判決に基づかない私刑に他なりません。しかし彼らの行動を指揮していた人物がいます。それが後に大伝道者となるサウロです。しかしイエスの御姿を見つめていたステパノは、自分に石を投げつけている人々の罪をお許しくださいと、イエスご自身が十字架の上で祈られたの全く同じ心で祈りを捧げ続けて、天に召されました。真理の言葉に耳を塞ぐ人と、天のイエスに目を注いでいる人は、こんなにも正反対の行動を取ることになることを、私たちはとくと知り置かなければなりません。
http://bible.com/81/act.7.51-60.ja1955
大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。 そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。 そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、 そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。 神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。 それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。 そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。」
ここから長いステパノの説教が続きますが、彼が訴えられた理由は、リベルテン派の人々が、
「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」
「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません 」
と偽証したためでした。そこでステパノは、モーセと律法、神殿の成り立ちについて、イスラエルの歴史から紐解いて、説き始めるに至ったのです。聖書解釈も歴史解釈も、通り一遍の知識に留まっては真理を悟ることはできません。聖霊のよって御言葉を解き明かしていただき、信仰によって神の御心を悟らせていただく私たちでありますように。
http://bible.com/81/act.7.1-8.ja1955
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使徒行伝 7:9-16
「族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、 あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。 時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。 ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、 二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。 ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。 こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、 それから彼らは、シケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。」
6節まではイスラエル12部族の成り立ちについて解き明かし、13節からはイスラエルの間に妬みが入り込んだ歴史が記されています。その結果として、エジプトという国を介して、救いの御業が行われることとなりました。神はイスラエルが犯した罪の結末さえも用いて、罪からの救いの計画を立てられたのです。
http://bible.com/81/act.7.9-16.ja1955
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使徒行伝 7:17-25
「神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。 やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。 この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。 モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、 そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。 モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。 四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。 ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。 彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。」
ここでステパノは、自身が訴えられた理由の一つであるモーセについて解き明かし始めます。モーセは神様がイスラエルの救いの計画を成し遂げるために立てられた器ですが、神の御声に聞かず、肉の思い、人間としての感情にまかせて仕返しをし、救いを成し遂げようとしたところ、同族からも理解されずに、孤立する結果となりました。これが人の正義感の限界です。「復讐するは我にあり」という神の御言葉は、罪に対する裁き、怒りは神に任せて、人が直接手を下して罪を犯すなという戒めです。このことを若きモーセは理解していなかったのです。私たちもまた、悪に対して自分自身で報復することなく、復讐は神に委ねて、自らは善を以て悪に報いる者と、心を整えさせていただきたいと願います。
http://bible.com/81/act.7.17-25.ja1955
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使徒行伝 7:26-37
「翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。 すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。 君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。 モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。 四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。 彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、 『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。 すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。 わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。 こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。 この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。 この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。」
エジプト王の後継者として育てられながら、40歳にして同族イスラエルのために立ち上がり、救いを成し遂げようとしたところ、同胞からも認められず、傷ついたモーセは、ミデアンの地で隠遁生活を送りました。しかし神は40年を経てシナイ山にてモーセの前に現れ、出エジプトの救いを成し遂げるためにモーセを遣わされました。そして荒野での40年を経てイスラエル人の信仰を練りきよめられ、ついにアブラハムと契約を立てた約束の地に帰還することとなりました。こうしてステパノは自身が訴えられていたモーセについて、イスラエル人と全く同じ信仰を持ち、敬っているいることを弁明したのです。
http://bible.com/81/act.7.26-37.ja1955
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使徒行伝 7:38-43
「この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。 ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、 『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。 そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。 そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。 あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。」
次いでステパノは、イスラエルの反逆の歴史についても解き明かしました。出エジプトにおいて荒野での40年を過ごさなければならなかったのも、神様がモーセに十戒と律法を授けている間に、イスラエルの民がアロンに私たちの神を造ってくださいと嘆願して金の子牛を造ったからであり、約束の地を授かった後も様々な偶像を拝んで神様に背を向け、神の怒りを買ってバビロン捕囚の憂き目に遭ったのもそのためでした。旧約聖書の歴史は、神の救いと祝福の契約と、民の反逆の繰り返しであることに気付くと、新しい救いと祝福の契約である福音の恵みがよくわかります。
http://bible.com/81/act.7.38-43.ja1955
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使徒行伝 7:44-50
「わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。 この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。 ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。 けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。」
次いでステパノは、自身が訴えられた偽証に挙げられていた神殿についての説教を始めます。イスラエルの人々が何よりも大切にしていた神殿は、モーセの幕屋を原型として造られたものでしたが、最初の神殿であるソロモンの神殿が建てられたとき、その願いを神に申し上げたダビデも、神殿を奉献したソロモンも、神様は人の手で造った神殿の中に住まれるほど小さな存在ではなく、天を玉座とし、大地を足台とする壮大なお方であることを認めていました。しかしイスラエルの人は神殿に神様が居られると神格化し、神殿さえあれば自分たちは外敵から守られるといった、いびつな神殿信仰に陥ってしまいました。そのことをステパノは指摘したのです。私たちも、神様ではなく、教会や牧師を大切にする気持ちが高じて、神格化して拝むようなことがあってはなりません。
http://bible.com/81/act.7.44-50.ja1955
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使徒行伝 7:51-60
「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。 あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。 人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。 こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
ステパノを訴えた人々の信仰がいびつであることを指摘し、神に反逆する者であるといったステパノに対して、人々は激しく怒りを覚え、ステパノが御子イエスが天の父の右に立っておられると発言したことを口切りに、人々は耳を塞いでステパノめがけて殺到し、議会の判決を待たずに石打の刑に処して殺害してしまいました。彼らが行ったことは公式の判決に基づかない私刑に他なりません。しかし彼らの行動を指揮していた人物がいます。それが後に大伝道者となるサウロです。しかしイエスの御姿を見つめていたステパノは、自分に石を投げつけている人々の罪をお許しくださいと、イエスご自身が十字架の上で祈られたの全く同じ心で祈りを捧げ続けて、天に召されました。真理の言葉に耳を塞ぐ人と、天のイエスに目を注いでいる人は、こんなにも正反対の行動を取ることになることを、私たちはとくと知り置かなければなりません。
http://bible.com/81/act.7.51-60.ja1955