伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/06/30

2018-06-30 18:45:20 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 39:1-5
「人の子よ、ゴグに向かって預言して言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。 わたしはあなたを引きもどし、あなたを押しやり、北の果から上らせ、イスラエルの山々に導き、 あなたの左の手から弓を打ち落し、右の手から矢を落させる。 あなたとあなたのすべての軍隊およびあなたと共にいる民たちは、イスラエルの山々に倒れる。わたしはあなたを、諸種の猛禽と野獣とに与えて食わせる。 あなたは野の面に倒れる。わたしがこれを言ったからであると、主なる神は言われる。」

ゴグによる北からの脅威は、イスラエルにとって危機的な状況に陥るに等しいことでした。しかし神様はイスラエルを攻めに来たゴグの武器を無効化し、イスラエルの地に次々と倒れると預言されました。私たちは試練や艱難が来るとどうしてこのような目に遭うのかと嘆き疑います。しかしそれらはすべて神様のご計画の内にあり、主の偉大なる御業を目の当たりにして、すべての人がまことの神の存在を知るようになるために起こるのです。主がこれを行うのだと言われたら、その通りになるのです。私たちは自分だけの視点から物事を判断するときに、御心がわからずに動揺し、あるいは自力で何とか解決しようと無駄にもがき苦しみ、ついには過ちを犯してしまう、愚かな存在です。すべてを主に委ねるとき、そのような過ちからから解放され、主ご自身が完全な解決へと導いてくださいますから、私たちはただ主の御言葉に信頼して聞き従うのみです。

http://bible.com/81/ezk.39.1-5.ja1955

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エゼキエル書 39:6-10
「わたしはゴグと、海沿いの国々に安らかに住む者に対して火を送り、彼らにわたしが主であることを悟らせる。 わたしはわが聖なる名を、わが民イスラエルのうちに知らせ、重ねてわが聖なる名を汚させない。諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る。 主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。 イスラエルの町々に住む者は出て来て、武器すなわち大盾、小盾、弓、矢、手やり、およびやりなどを燃やし、焼き、七年の間これを火に燃やす。 彼らは野から木を取らず、森から木を切らず、武器で火を燃やし、自分をかすめた者をかすめ、自分の物を奪った者を奪うと、主なる神は言われる。」

イスラエルを攻め立てるゴグと、同盟関係を結んでいた海沿いの国々は、かえって安全だと思っていた祖国が火で焼かれ、大きな被害を受けることになります。そしてイスラエルの人々は彼らが持ち込んだ武器を火で燃やし尽くすために7年を要すると記されています。これは完全数である7年という年月をもって、ゴグの武器を完全に根絶やしにすることを象徴しています。平和を愛される神様は、この世の武器を根絶やしにするためにいったんイスラエルに軍隊を集め、すべての武器を完全に無効化するためにイスラエルを用いようとされます。それが成就するのはいつの日か私たちにはわかりませんが、神様のご計画は必ず成ると信じます。

http://bible.com/81/ezk.39.6-10.ja1955

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エゼキエル書 39:11-16
「その日、わたしはイスラエルのうちに、墓地をゴグに与える。これは旅びとの谷にあって海の東にある。これは旅びとを妨げる。そこにゴグとその民衆を埋めるからである。これをハモン・ゴグの谷と名づける。 イスラエルの家はこれを埋めて、地を清めるために七か月を費す。 国のすべての民はこれを埋め、これによって名を高める。これはわが栄えを現す日であると、主なる神は言われる。 彼らは人々を選んで、絶えず国の中を行きめぐらせ、地のおもてに残っている者を埋めて、これを清めさせる。七か月の終りに彼らは尋ねる。 国を行きめぐる者が行きめぐって、人の骨を見る時、死人を埋める者が、これをハモン・ゴグの谷に埋めるまで、そのかたわらに、標を建てて置く。 (ハモナの町もそこにある。)こうして彼らはその国を清める。」

イスラエルと戦って神に撃たれた死者を海の東、すなわち死海の東岸に埋葬するのにも7ヶ月かかると記されています。戦争で戦った敵の遺体を埋葬することは普通は行いませんから、このことによってイスラエルは他の国々から賞賛されるとあります。憐れみ深い神様の民とされた私たちは、敵を愛し迫害する者のために祈れと言われた主イエス様の御言葉に従い、人に対する尊厳の気持ちを決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/ezk.39.11-16.ja1955

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エゼキエル書 39:21-25
「わたしはわが栄光を諸国民に示す。すべての国民はわたしが行ったさばきと、わたしが彼らの上に加えた手とを見る。 この日から後、イスラエルの家はわたしが彼らの神、主であることを悟るようになる。 また諸国民はイスラエルの家が、その悪によって捕え移されたことを悟る。彼らがわたしにそむいたので、わたしはわが顔を彼らに隠し、彼らをその敵の手に渡した。それで彼らは皆つるぎに倒れた。 わたしは彼らの汚れと、とがとに従って、彼らを扱い、わたしの顔を彼らに隠した。 それゆえ、主なる神はこう言われる、いまわたしはヤコブの幸福をもとに返し、イスラエルの全家をあわれみ、わが聖なる名のために、ねたみを起す。」

世の終わりに起こるべきゴグとの戦いが終結することによって、すべての国民が神様が生きて働かれるお方であり、悪に報いて裁きを成し遂げられることを見るようになると言われます。そしてイスラエルがその神、主に背いたために祖国を失い、敵の手に渡されて流浪の民となったことを悟るようになるとも預言されました。このときこそ、イスラエルに真の復興が始まり、元の祝福を取り戻すようになります。それは一神様の憐れみの故であり、主がその聖なる御名に掛けて成し遂げられる一方的な神様の恵みです。私たちは自分の想定をはるかに越えたことが起こると、にわかには信じることも受け入れることもできない者ですが、万軍の主の熱心が成し遂げられる現実を真正面から受け止める心の備えを怠らないように努めたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.39.21-25.ja1955

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エゼキエル書 39:26-29
「彼らは、その国に安らかに住み、だれもこれを恐れさせる者がないようになった時、自分の恥と、わたしに向かってなした反逆とを忘れる。 わたしが彼らを諸国民の中から帰らせ、その敵の国から呼び集め、彼らによって、わたしの聖なることを、多くの国民の前に示す時、 彼らは、わたしが彼らの神、主であることを悟る。これはわたしが彼らを諸国民のうちに移し、またこれをその国に呼び集めたからである。わたしはそのひとりをも、国々のうちに残すことをしない。 わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時、重ねてわが顔を彼らに隠さないと、主なる神は言われる」。

世の終わりにイスラエルの人々が祖国に住むようになり平和が訪れたとき、長い年月、母国を持たない流浪の民として生きてきた過去の憂き目も、神様に逆らった歴史も忘れるようになると主は言われます。そして全世界に散らされた状況から再びイスラエルの地に帰還するようになるとき、この奇跡的な回復を成し遂げられた主を、わが神と悟るようになると預言されました。今から70年前のイスラエル建国はその第一歩であり、続々とイスラエルへと帰還者が終結している現状は、全世界の人々に神様の生きて働かれることをまざまざと見せつける証拠です。そして最終的に主はその霊をイスラエルの上に注ぎ、彼らはまことの神、主に立ち帰るようになり、神様もまた御顔をイスラエルに向けられます。その日が近付きつつある今という時を見る目を、信仰によって開かせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.39.26-29.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/30

2018-06-30 07:50:01 | 今日の聖句
フィリピの信徒への手紙 4:4, 7 新共同訳

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

真の平和をもたらすものは、善行を積む以前に、まず自分の心と思いとを整えることから始まります。悪しき思いやマイナスの感情に心を支配されないように、キリストにあって常に喜び感謝する私たちでありますように。

http://bible.com/1819/php.4.4,7.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/29

2018-06-29 07:50:29 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 38:1-6

主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、 言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。 わたしはあなたを引きもどし、あなたのあごにかぎをかけて、あなたと、あなたのすべての軍勢と、馬と、騎兵とを引き出す。彼らはみな武具をつけ、大盾、小盾を持ち、すべてつるぎをとる者で大軍である。 ペルシャ、エチオピヤ、プテは彼らと共におり、みな盾とかぶとを持つ。 ゴメルとそのすべての軍隊、北の果のベテ・トガルマと、そのすべての軍隊など、多くの民もあなたと共におる。」

エゼキエル書38章は解釈の難しい箇所で、一歩間違えると非常に危険な思想に陥りますので詳しくは述べませんが、いずれにせよ37章までのようなイスラエル周辺の国々だけではなく、ゴグと呼ばれる闇の勢力が「北の果て」から大軍を率いてイスラエルを攻撃することが預言されてきます。すなわち反イスラエルの動きが近隣諸国だけでなく、その背後にある大国の支援を受けて、国際的規模で攻撃されるということです。私たちは聖書の解釈を、今の時代と無理矢理結びつけて決め付けて判断してはなりません。ただ聖書の記述を注意深く読み、最後の審判のときが来る予兆を敏感にキャッチする信仰のアンテナを張り巡らして、キリストの再臨に備えることが重要です。

http://bible.com/81/ezk.38.1-6.ja1955

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エゼキエル書 38:7-9

「あなたは備えをなせ。あなたとあなたの所に集まった軍隊は、みな備えをなせ。そしてあなたは彼らの保護者となれ。 多くの日の後、あなたは集められ、終りの年にあなたは戦いから回復された地、すなわち多くの民の中から、人々が集められた地に向かい、久しく荒れすたれたイスラエルの山々に向かって進む。その人々は国々から導き出されて、みな安らかに住んでいる。 あなたはそのすべての軍隊および多くの民を率いて上り、暴風のように進み、雲のように地をおおう。」

ようやく安住の地として約束の地に移り住んだイスラエル人たちが、突如として敵国の攻撃を受けることになります。平穏無事な日々を過ごしている私たち日本人には、この感覚がわからないかもしれません。しかしイスラエルを取り巻く環境は、一日たりとも防衛の手を緩めることのできない厳しさの中にいるのです。私たちは自分さえ平和であればそれでよいと考えるのではなく、イスラエルの平和のために、そして世界の平和のために、祈り続けることが肝要です。

http://bible.com/81/ezk.38.7-9.ja1955

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エゼキエル書 38:14-16
「それゆえ、人の子よ、ゴグに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民イスラエルの安らかに住むその日に、あなたは立ちあがり、 北の果のあなたの所から来る。多くの民はあなたと共におり、みな馬に乗り、その軍隊は大きく、その兵士は強い。 あなたはわが民イスラエルに攻めのぼり、雲のように地をおおう。ゴグよ、終りの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。」

神様がこの世の終わりにゴグと彼に同調する国々の大群によって北の果てからイスラエルを攻められる目的は、イスラエルの平安を乱すためではなく、裁きのためでもなく、この世に神の聖なることを広く知らしめるためだと聖書は預言しています。世界的に反イスラエル的な動きが活発になればなるほど、イスラエルに対する注目度が上がり、関与する国々も多くなります。そこで諸国民は、イスラエルの神こそまことの神であることを、神をも恐れぬ人々、神の存在を否定する人々に対しても、嫌というほど認めざるを得なくなるのです。神様の究極の目的は、神に造られた人間が、造り主なる神を再び知り、畏れるようになることです。

http://bible.com/81/ezk.38.14-16.ja1955

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エゼキエル書 38:17-20

「主なる神はこう言われる、わたしが昔、わがしもべイスラエルの預言者たちによって語ったのは、あなたのことではないか。すなわち彼らは、そのころ年久しく預言して、わたしはあなたを送って、彼らを攻めさせると言ったではないか。 しかし主なる神は言われる、その日、すなわちゴグがイスラエルの地に攻め入る日に、わが怒りは現れる。 わたしは、わがねたみと、燃えたつ怒りとをもって言う。その日には必ずイスラエルの地に、大いなる震動があり、 海の魚、空の鳥、野の獣、すべての地に這うもの、地のおもてにあるすべての人は、わが前に打ち震える。また山々はくずれ、がけは落ち、すべての石がきは地に倒れる。」

この世に起こるすべてのことをご存じであられる神様は、これから起こるべきことを隠して不意打ちのように成し遂げられるお方ではなく、常に聖書の御言葉を通して、必ず事前に告げ知らされます。聖書を読めば、この世の終わりの記述が何度も繰り返し語られていることがわかります。この箇所も、ほぼ同じ内容で、新約聖書のヨハネの黙示録にも記されています。これらを単なる昔話の夢物語ととらえるか、神様の警告ととらえるか、選択するのは自分自身です。

http://bible.com/81/ezk.38.17-20.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/29

2018-06-29 06:35:14 | 今日の聖句
イザヤ書 26:3 新共同訳

「堅固な思いを、
 あなたは平和に守られる
 あなたに信頼するゆえに、
 平和に。」

平和を愛される神様は、揺るぎない信仰を以て主に寄り頼む者を、鉄壁の防御壁となって、全き平安のうちに守ってくださるお方です。何事にも動揺することなく、ただ主に堅く信頼して平和の日々を待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/1819/isa.26.3.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/28

2018-06-28 07:45:01 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 37:1-6

主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。 彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。 彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。

エゼキエルは再び主の霊に満たされて引き上げられ、枯れた骨で埋まった谷に連れて行かれました。そこで主は、これらの骨は再び生き返ることができるか?とエゼキエルに問いかけました。この谷とはイスラエルを滅ぼしたバビロン、枯れた骨とは絶望のどん底に落とされたイスラエル民族を指しています。神様は、祖国を失い遠く捕囚の地で希望を見失ったイスラエル12部族を顧み、希望を与えようとしてエゼキエルを骨の満ちた谷に連れて行かれたのでした。私たちもまた失意のどん底に落とされたとき、再び立ち上がる気力も失ってしまいます。しかし神様はそんな私たちに生きる希望を与え、再び立ち上がる力を授けてくださいますから感謝いたします。

http://bible.com/81/ezk.37.1-6.ja1955

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エゼキエル書 37:7-10

わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。 わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。

エゼキエルが枯れた骨に向かって預言すると、天から声が下って骨同士が組み合わさり、その上に肉体が表れましたが、そこには息がありませんでした。神様は再びエゼキエルに、息に預言してこれらの形作られた肉体に吹き、生かせと命じられました。エゼキエルがその通りに預言すると、息が肉体に入って生きる者となりました。これは天地創造の折、神様が人間を造られた手順と同じです。私たちが生きているのは、肉体が存在するだけでなく、その内にいのちの息、すなわち霊が入ってはじめて、私たちは真の生きた者となることができます。

http://bible.com/81/ezk.37.7-10.ja1955

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エゼキエル書 37:11-14

そこで彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う、『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と。 それゆえ彼らに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民よ、見よ、わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓からとりあげて、イスラエルの地にはいらせる。 わが民よ、わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓からとりあげる時、あなたがたは、わたしが主であることを悟る。 わたしがわが霊を、あなたがたのうちに置いて、あなたがたを生かし、あなたがたをその地に安住させる時、あなたがたは、主なるわたしがこれを言い、これをおこなったことを悟ると、主は言われる」。

神様はエゼキエルに枯れた骨の幻の意味を教えられました。それは祖国を失い、希望すら絶えてしまったイスラエル全家が再び国家を樹立し、復興することを指した預言でした。それは主イエスの再臨の時に成就します。エゼキエルの幻から数千年の時を経た今、奇跡的にイスラエルという国家は形成されましたが、まだ息の入っていない、枯れた骨の組み合わさった肉体だけの状態です。彼らが神の霊を受けたとき、真のイスラエルの復興が成し遂げられます。私たちは時代の証人となり、神様の御言葉が必ず成ることを目の当たりにするかもしれません。

http://bible.com/81/ezk.37.11-14.ja1955

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エゼキエル書 37:15-19

主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。 あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。 あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時は、 これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」

エゼキエルは再び預言的行動を通して、神様の御心を示すようにと命じられました。ここで出てくる2本の杖とはもちろん、ソロモン王の死後に分断された北イスラエル王国と南ユダ王国を指しています。それら2本の杖がエゼキエルの手の中で一本の杖となるとは、神様ご自身がイスラエル統一を成し遂げるとの預言です。ですから私たちは処世術や政治力などで真のイスラエル建国を強引に引き寄せてはなりません。私たちに必要なことは、御言葉を疑わずに信じて、ただ神の時を待つことです。

http://bible.com/81/ezk.37.15-19.ja1955

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エゼキエル書 37:20-23

「あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、 あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、 その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。 彼らはまた、その偶像と、その憎むべきことどもと、もろもろのとがとをもって、身を汚すことはない。わたしは彼らを、その犯したすべての背信から救い出して、これを清める。そして彼らはわが民となり、わたしは彼らの神となる。」

ローマ帝国によるエルサレム陥落の後、イスラエルの民は世界中に散らされ、約2,000年もの間、祖国を持たない流浪の民として生き残りました。数々の迫害を経てもなお国を持たぬ民族として存続し続けたことも奇跡ですが、遠い過去のものとなったイスラエルが再び建国し、今や世界中から続々と帰還している現実を、誰が想像し得たことでしょうか。聖書に記された約束の預言は、たとい人々が忘れ去ってしまっても多くの時を経て必ず成就することを、私たちが今垣間見させていただいているのは、実に神様の恵みです。歴史を越えて御心を成し遂げるまことの神の存在を、否定することはできません。

http://bible.com/81/ezk.37.20-23.ja1955

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エゼキエル書 37:24-28

「わがしもべダビデは彼らの王となる。彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ。彼らはわがおきてに歩み、わが定めを守って行う。 彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らの永遠の契約となる。わたしは彼らを祝福し、彼らをふやし、わが聖所を永遠に彼らの中に置く。 わがすみかは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわが民となる。 そしてわが聖所が永遠に、彼らのうちにあるようになるとき、諸国民は主なるわたしが、イスラエルを聖別する者であることを悟る」。

ここに出てくるダビデとはやがて来たるべきメシヤ、すなわち聖霊によってダビデの家系に生まれた神の御子、イエス・キリストです。主イエスが再びこの世に再臨されるとき、神の国である真のイスラエルが建国され、主イエスはイスラエルの王として永遠にこの世を治められます。そのとき世界中の人々が、イスラエルが神によって聖別された祝福の民であること、そしてイエスこそまことの神、永遠の王であられることを悟るようになります。聖書に約束された預言を信じる者は、神の御言葉の証人となります。

http://bible.com/81/ezk.37.24-28.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/28

2018-06-28 06:35:03 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 8:6-8 新共同訳

「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。 なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。 肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。」

肉の思い、すなわち欲望の赴くままに生きる者は、神に敵対し、いのちの律法に従うことができません。霊の思い、すなわち義なる神様の御言葉に忠実に従って生きる者となり、永遠のいのちに与り、この世に平和を造り出す者とならせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/rom.8.6-8.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/27

2018-06-27 07:45:02 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 36:1-7
「人の子よ、イスラエルの山々に預言して言え。イスラエルの山々よ、主の言葉を聞け。 主なる神はこう言われる、敵はあなたがたについて言う、『ああ、昔の高き所が、われわれのものとなった』と。 それゆえ、あなたは預言して言え。主なる神はこう言われる、彼らはあなたがたを荒し、四方からあなたがたを打ち滅ぼしたので、あなたがたは他の国民の所有となり、また民の悪いうわさとなった。 それゆえ、イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。主なる神は、山と、丘と、くぼ地と、谷と、滅びた荒れ跡と、人の捨てた町々、すなわちその周囲にある諸国民の残った者にかすめられ、あざけられるようになったものに、こう言われる。主なる神はこう言われる、わたしはねたみの炎をもって、他の国民とエドム全国とに対して言う、彼らは心ゆくまで喜び、心に誇ってわが地を自分の所有とし、これを奪い、かすめた者である。 それゆえ、あなたはイスラエルの地の事を預言し、山と、丘と、くぼ地と、谷とに言え。主なる神はこう言われる、見よ、あなたがたは諸国民のはずかしめを受けたので、わたしはねたみと怒りとをもって語る。 それゆえ、主なる神はこう言われる、わたしは誓って言う、あなたがたの周囲の諸国民は必ずはずかしめを受ける。」

エゼキエルがこの預言を語ったときは、既に南ユダ王国はバビロンによって滅ぼされ、エルサレムは完全に廃墟と化した後のことです。生き残ったイスラエル人のほとんどはバビロンに捕囚となって強制移住させられ、残された土地の管理を委ねられた総督ゲダリヤは暗殺され、首謀者たちは残った民を引き連れてエジプトに逃れて行きました。住む人のいなくなったイスラエルの土地に、周辺諸国の人々が「これは自分たちの所有地となった」と言って住み着きました。ユダの国を征服したバビロンはもちろん、その地に住んでも良いなどとはと誰からも認められていないのに、略奪と既成事実化を一方的に進めたのです。それ故神様は、イスラエルの土地を略奪したエドム人をはじめとする周辺諸国の人々に対し、誰からも許可を得ていないのにイスラエルの所有地をかすめ奪った罪の故に、あなたがたは必ず辱めを受けると預言されました。事実、エドム人は後の時代にペルシャによって征服され、政策的にユダヤ人と同化させられてしまいました。今はエドムという国も民族もありません。神様が定められたイスラエルの所有を侵害する者は、必ずこのように辱めを受けることになります。

http://bible.com/81/ezk.36.1-7.ja1955

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エゼキエル書 36:8-12
「しかしイスラエルの山々よ、あなたがたは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。この事の成るのは近い。 見よ、わたしはあなたがたに臨み、あなたがたを顧みる。あなたがたは耕され、種をまかれる。 わたしはあなたがたの上に人をふやす。これはことごとくイスラエルの家の者となり、町々には人が住み、荒れ跡は建て直される。 わたしはあなたがたの上に人と獣とをふやす。彼らはふえて、子を生む。わたしはあなたがたの上に、昔のように人を住ませ、初めの時よりも、まさる恵みをあなたがたに施す。その時あなたがたは、わたしが主であることを悟る。 わたしはわが民イスラエルの人々をあなたがたの上に歩ませる。彼らはあなたがたを所有し、あなたがたはその嗣業となり、あなたがたは重ねて彼らに子のない嘆きをさせない。」

イスラエルの領地を侵し、後の世にユダヤ人の同化させられてしまったエドム人ですが、しかしそれはむしろ彼らにとっては祝福となったのです。なぜならこの世はすべてイスラエルによって祝福されるからです。神様のなさることは人間の頭には時に理解不能ですが、後の日にはそれが大いなる祝福の基となることは、世界の歴史を見ても明らかなことです。

http://bible.com/81/ezk.36.8-12.ja1955

*****

エゼキエル書 36:16-20
主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、昔、イスラエルの家が、自分の国に住んだとき、彼らはおのれのおこないとわざとをもって、これを汚した。そのおこないは、わたしの前には、汚れにある女の汚れのようであった。 彼らが国に血を流し、またその偶像をもって、国を汚したため、わたしはわが怒りを彼らの上に注ぎ、 彼らを諸国民の中に散らしたので、彼らは国々の中に散った。わたしは彼らのおこないと、わざとにしたがって、彼らをさばいた。 彼らがその行くところの国々へ行ったとき、わが聖なる名を汚した。これは人々が彼らについて『これは主の民であるが、その国から出た者である』と言ったからである。」

イスラエルは神様に選ばれた約束の民です。しかし神様から心離れて、選民思想という自己満足に陥ってしまうならば、もはや聖なる神の民とはほど遠い姿となり果てます。残念ながら多くのユダヤ人たちはまだこの事実に気付いていません。神の民であることを自認し、なおかつこの世に対して聖なる神の祭司としての役目を果たさなければ、神の民たる所以はありません。この神の法則を忘れてしまった南ユダ王国の人々は神様によって裁かれ、神の民でありながら神の国から追い出されたと言われて辱めを受けました。主イエスの十字架を信じ、神の民の一員に加えられた私たちもまた、聖なる神の祭司としての役目を果たさなければ、天の御国に入ることはできません。過去のイスラエルの失敗を反面教師として、神様の御名を汚すことのないよう、自らの信仰と生活態度を顧みる私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.36.16-20.ja1955

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エゼキエル書 36:21-23
「しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。」

バビロンに滅ぼされ流浪の民となったイスラエル人は辱めを受け、神様の御名を汚すこととなってしまいましたが、神様はその聖なる御名の名誉に掛けて、失墜した権威を取り戻すと約束されました。私たちは過ちを犯しやすい、聖なる御名を汚すような愚かな者ですが、神様は自ら栄光の輝きを回復されるお方です。この神様の御心に従い、聖なる御名に掛けて、その名誉挽回に努めさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.36.21-23.ja1955

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エゼキエル書 36:24-28
「わたしはあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる。 わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住んで、わが民となり、わたしはあなたがたの神となる。」

神様は一度散らされたイスラエルを世界中から集め、その土地と人々を罪汚れからきよめ、再び神の国を建て上げられます。石のように頑なな私たちの罪の心が取り除かれ、代わりに霊の心が新たにイスラエルに授けられるとき、神の国、真のイスラエルは再び建て上げられます。それは究極的には主イエスの再臨の日に成就しますが、今、世界中から続々とイスラエル人が祖国に帰還しつつある現状を見るときに、その日が近付きつつあることを認めます。私たちは人間の信条や感情論によって近視眼的にこの世の中の動向を見るのではなく、聖書に約束された神様の視点で世界情勢を見るときに、真理に目が開かれ、やがて起こるべきことを見ることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/ezk.36.24-28.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/27

2018-06-27 06:35:08 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 3:20-21 新共同訳
「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

罪の生活から離れられない者は、悪しき行いが白日の下に曝されること常に恐れつつ日々を過ごさねばなりません。罪を認めて悔い改め、御子イエスの十字架によってきよめられた者は、裁きの恐れから解放され、真理の光であられる神様の御許に大胆に近付くことができますから感謝いたします。

http://bible.com/1819/jhn.3.20-21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/26

2018-06-26 07:27:26 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 35:1-4
主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたの顔をセイル山に向け、これに対して預言し、 これに言え。主なる神はこう言われる、セイル山よ、見よ、わたしはあなたを敵とし、わたしの手をあなたに向かって伸べ、あなたを全く荒し、 あなたの町々を滅ぼす。あなたは荒れはてる。そしてわたしが主であることを悟る。」

セイル山とは死海の南側にある山地で、イスラエル12部族の父祖ヤコブの兄エサウの子孫にあたるエドム人の領地でした。なぜ神様はイスラエルと血縁関係にあるエドム人を敵とし、その領地を荒らし、滅ぼすと預言されたのでしょうか?それは今まで学んできたように、彼らは近しい親族であるはずのイスラエルの繁栄を妬み、執拗に憎み続けたからでした。憎しみや妬みの心を抱く者は、祝福を奪われ、滅びを招きます。人を憎み続けるならば、むしろ自分の首を絞めることになります。もし憎しみや妬みなど人に対するマイナスの感情があるならば、直ちに主にきよめていただいて、滅びを免れさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.35.1-4.ja1955

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エゼキエル書 35:5-9
「あなたは限りない敵意をいだいて、イスラエルの人々をその災の時、終りの刑罰の時に、つるぎの手に渡した。 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしはあなたを血にわたす。血はあなたを追いかける。あなたには血のとががあるゆえ、血はあなたを追いかける わたしはセイル山を全く荒し、そこに行き来する者を断ち、 その山々を殺された者で満たす。つるぎで殺された者が、あなたのもろもろの丘、もろもろの谷、もろもろのくぼ地に倒れる。 わたしはあなたを、永遠の荒れ地とし、あなたの町々には住む者がなくなる。そしてあなたがたは、わたしが主であることを悟る。」

エドム人が滅ぼされた理由は、バビロンによるエルサレム陥落の際にその滅亡を喜び、更に難を逃れた人々を虐殺したからでした。それら故なく殺されたイスラエル人の血の責任を取らせると、神様は厳しい裁きの預言をエゼキエルに語られたのです。今のセイル山地方は、当時の街々は廃墟と化し、住む人のない荒れ地となっています。神様の預言はその通りに成就したのです。まだ見ぬ遠い先に起こるべきことさえも予告される、権威あるお方です。この神様から裁きの預言を授かるか、永遠の祝福の預言をいただくか、選択肢は私たち人間の側にあります。

http://bible.com/81/ezk.35.5-9.ja1955

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エゼキエル書 35:10-12
「あなたは言う、『これら二つの国民、二つの国はわたしのもの、われわれはこれを獲よう』と。しかし主はそこにおられる。 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたが彼らを憎んで、彼らに示した怒りと、ねたみにしたがって、わたしはあなたを扱う。わたしがあなたをさばく時、わたし自身をあなたに示す。 あなたがイスラエルの山々に向かって、『これは荒れはてて、われわれの食となる』と言ったもろもろのそしりを、主なるわたしが聞いたことをあなたは悟る。」

ここでいう二つの国民、二つの国とは、北イスラエル王国と南ユダ王国の2つを意味しています。エドム人はエルサレム滅亡の後、イスラエルとユダの領地が自分のものであると主張し、実際に略奪を働きました。これらの行為に対して主は、エドム人の主張した通りのことを彼らの頭に帰すると答え、彼らがイスラエルに対して行った情け容赦ない行為に主が自ら報いられると告げられたのです。自分の口から発した言葉は、必ず自分に返ってきます。人を呪うならば自分が呪われ、人を憎むならば自分が憎まれ、人から略奪するならば自分が略奪されます。裏を返せば、人を愛するならば自分が愛され、人を祝福するならば自分が祝福され、人に惜しみなく与えるならば自分もまた惜しみなく与えられます。悪の連鎖に身を置くか、善の連鎖に身を置くか、選択するのは自分です。

http://bible.com/81/ezk.35.10-12.ja1955

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エゼキエル書 35:13-15
「あなたがたは、わたしに対して口をもって誇り、またわたしに対して、あなたがたの言葉を多くした。わたしはそれを聞いた。 主なる神はこう言われる、全地の喜びのために、わたしはあなたを荒れ地とする。 あなたが、イスラエルの家の嗣業の荒れるのを喜んだように、わたしはあなたに、そのようにする。セイル山よ、あなたは荒れ地となる。エドムもすべてそのようになる。そのとき彼らは、わたしが主であることを悟るようになる。」

エドムの罪はイスラエルに対する憎しみだけにとどまらず、イスラエルの神、主に対してまで汚し言を語り、自ら誇り高ぶって罪を重ねました。それ故主はエドムの罪を裁き、イスラエルの荒廃を喜んだエドムが廃墟と化すことを世界中が喜ぶと告げられ、そのことによってまことの神、主の存在を世界中が認めることになると預言されました。人に対する罪は真摯に謝罪するならば許されますが、神を汚す罪は決して赦されることはありません。神の裁きを免れるためには自ら悔い改めて主に立ち帰る他にありません。

http://bible.com/81/ezk.35.13-15.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/26

2018-06-26 06:35:04 | 今日の聖句
ヤコブの手紙 1:5 新共同訳
「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」

学校の勉強や資格試験などの知識は自ら学ばなければ習得できませんが、真理を悟る知恵は真摯に神様に願い求めるなら誰にでも与えられます。何のために生まれ、何のために生きるのか、人生の意味を知るために惜しみなく知恵を与え給う主に願い求め、満ち足りた人生を歩ませていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/jas.1.5.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/25

2018-06-25 07:45:22 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 34:1-6
主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して彼ら牧者に言え、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。牧者は群れを養うべき者ではないか。 ところが、あなたがたは脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふるが、群れを養わない。 あなたがたは弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、彼らを手荒く、きびしく治めている。 彼らは牧者がないために散り、野のもろもろの獣のえじきになる。 わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない。」

羊飼いの役目は羊を養うことです。なぜなら強い角や速い足など身を守る術を持たない羊は、人間の庇護の元でしか生き残ることができないからです。しかしイスラエルを義の道に導くはずの王や指導者たちが私腹を肥やすことに心を傾けた結果、国民を守るどころかむしろ搾取するようになり、国全体の利益を考えなくなってしまった様子を神様は嘆かれました。地に散らされた羊とはもちろん、一義的には世界中に散らされたイスラエルを意味します。そして当時のイスラエルも同様、私利私欲に走る国の指導者たちが絶えない現代社会に生きる私たちもまた、飼う者のない羊のように置き去りにされて途方に暮れるしかない現実があります。経済的には豊かであっても世界一自殺率の多い日本の人々は、人生の道を見失って路頭に迷う羊のようですから、今日の御言葉は私たちに対する慰めともなります。

http://bible.com/81/ezk.34.1-6.ja1955

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エゼキエル書 34:7-12
「それゆえ、牧者よ、主の言葉を聞け。 主なる神は言われる、わたしは生きている。わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。 それゆえ牧者らよ、主の言葉を聞け。 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め、彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ、再び牧者自身を養わせない。またわが羊を彼らの口から救って、彼らの食物にさせない。 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。 牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。」

神様はイスラエルの指導書たちに対し、羊を自らの食い物とする羊飼いなど必要ないと退けられました。それが南ユダ王国とエルサレムが滅ぼされた理由です。そして今度は、主が自ら散らされた羊を探し出して養うと預言されました。この御言葉の成就が、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。」と約束された主イエスの到来です。イエス様はエゼキエル書でも羊を養う羊飼いとして預言されたのです。

http://bible.com/81/ezk.34.7-12.ja1955

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エゼキエル書 34:13-22
「わたしは彼らをもろもろの民の中から導き出し、もろもろの国から集めて、彼らの国に携え入れ、イスラエルの山の上、泉のほとり、また国のうちの人の住むすべての所でこれを養う。 わたしは良き牧場で彼らを養う。その牧場はイスラエルの高い山にあり、その所で彼らは良い羊のおりに伏し、イスラエルの山々の上で肥えた牧場で草を食う。 わたしはみずからわが羊を飼い、これを伏させると主なる神は言われる。 わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。主なる神はこう言われる、あなたがた、わが群れよ、見よ、わたしは羊と羊との間、雄羊と雄やぎとの間をさばく。 あなたがたは良き牧場で草を食い、その草の残りを足で踏み、また澄んだ水を飲み、その残りを足で濁すが、これは、あまりのことではないか。 わが羊はあなたがたが、足で踏んだものを食い、あなたがたの足で濁したものを、飲まなければならないのか。 それゆえ、主なる神はこう彼らに言われる、見よ、わたしは肥えた羊と、やせた羊との間をさばく。 あなたがたは、わきと肩とをもって押し、角をもって、すべて弱い者を突き、ついに彼らを外に追い散らした。 それゆえ、わたしはわが群れを助けて、再びかすめさせず、羊と羊との間をさばく。」

この箇所は有名な詩篇23篇を思い起こさせる御言葉です。人を造られた神様が自ら人を義の道に導く主となって養ってくださるとは、何たる恵みでしょうか。羊飼いはただ羊を養うだけでなく、良い羊と悪い羊を見分けて裁くとは、どういう意味でしょうか。これは神様に捧げられる傷も染みもないきよい羊を、傷や斑のためにきよくないとされた羊から聖別されることを意味しているのではないでしょうか。聖なる神様の御前に捧げられるのは、きよい羊だけです。そして羊と山羊の間を裁くとはもちろん、神様の御心を行う義人を顧み、主の御心を知りながら行わず私腹を肥やすために人々から搾取した罪人を裁くという意味です。残念ながら羊の中にも、弱い者を角で突き追い出そうとした羊がいたようです。それは他人の苦しみを見ながら助けの手を伸べず、見殺しにする愛のない人々を指すのではないでしょうか。そのような憐れみの心のない者も、神様は裁くと言われます。私たちは自分は主の牧場の羊だと自負しながら、神様の恵みを独占するために他の羊を追い出して、かえって神様から裁かれる者とならないように注意しなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.34.17-22.ja1955

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エゼキエル書 34:23-31
「わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。 主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。 わたしは彼らと平和の契約を結び、国の内から野獣を追い払う。彼らは心を安んじて荒野に住み、森の中に眠る。 わたしは彼らおよびわが山の周囲の所々を祝福し、季節にしたがって雨を降らす。これは祝福の雨となる。 野の木は実を結び、地は産物を出す。彼らは心を安んじてその国におり、わたしが彼らのくびきの棒を砕き、彼らを奴隷とした者の手から救い出す時、彼らはわたしが主であることを悟る。彼らは重ねて、もろもろの国民にかすめられることなく、地の獣も彼らを食うことはない。彼らは心を安んじて住み、彼らを恐れさせる者はない。 わたしは彼らのために、良い栽培所を与える。彼らは重ねて、国のききんに滅びることなく重ねて諸国民のはずかしめを受けることはない。 彼らはその神、主なるわたしが彼らと共におり、彼らイスラエルの家が、わが民であることを悟ると、主なる神は言われる。 あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。

神様は良き羊飼いの代表格としてダビデの名を挙げました。その通りダビデほど生涯を通して神様の御心に忠実に従い、国民のことを思って行動した王はいませんでした。しかしダビデ王はとうの昔に死んで葬られています。ここで指すダビデとは、ダビデの末裔としてこの世にお生まれになるメシヤ、すなわち主イエス様を指しています。イエス様は一度この世に来られ、私たちの罪の奴隷から解放し購うために十字架で死なれた後、よみがえられて天に戻られ、今は神の右に座しておられますが、再び地上に来られると約束してくださっています。このイエス様こそ私たちの羊飼いであると信じ、神の牧場である永遠の天に憩い場を得させていただく希望を抱いて、日々主の御言葉に聞き従う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.34.23-31.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/25

2018-06-25 06:35:06 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 5:8-9 新共同訳

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。」

私たちの戦うべき相手は、目の前にいる人に対してではなく、その背後で糸を引く闇の勢力、サタンの支配です。神を信じ救われた者の人生は必ずしも薔薇色ではなく、必ず苦難が待ち受けていますが、信仰に堅く立ち、罪の誘惑と堕落を促す悪魔に最後まで抵抗して、神の栄光を世に証する私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1pe.5.8-9.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/24

2018-06-24 23:40:30 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 33:1-9‬

主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、あなたの民の人々に語って言え、わたしがつるぎを一つの国に臨ませる時、その国の民が彼らのうちからひとりを選んで、これを自分たちの見守る者とする。 彼は国につるぎが臨むのを見て、ラッパを吹き、民を戒める。 しかし人がラッパの音を聞いても、みずから警戒せず、ついにつるぎが来て、その人を殺したなら、その血は彼のこうべに帰する。 彼はラッパの音を聞いて、みずから警戒しなかったのであるから、その血は彼自身に帰する。しかしその人が、みずから警戒したなら、その命は救われる。 しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。 それゆえ、人の子よ、わたしはあなたを立てて、イスラエルの家を見守る者とする。あなたはわたしの口から言葉を聞き、わたしに代って彼らを戒めよ。 わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。 しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。」

神様はエゼキエルに、あなたをイスラエルの家の「見守る者」として任命すると託されました。見守る者は、人々の罪を指摘して戒める損な役回りです。しかし見守る者がその責任を果たさなければ、誰一人として救われることなくただ滅び行くところを見過ごすだけです。神様は見守る者に、罪を指摘しなかった責任を負わせると言われました。それは当時のイスラエルに対するエゼキエルに対してだけでなく、現代に生きる私たち、一足先に救いに与ったクリスチャンに対しても、神様はその責任ある役割を託しておられます。私たちが福音宣教に励むべき理由も、そこにあります。自分だけ救われればそれでいい、平安な日々を過ごせれば充分と、身勝手な、愛の冷えた心で漫然と日々を過ごすのではなく、救霊の熱い想いを胸に抱いて、この日本の、そして世界の救いのために祈り、御言葉を宣べ伝える使命に燃える私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.33.1-9‬.ja1955

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エゼキエル書 33:10-11

「それゆえ、人の子よ、イスラエルの家に言え、あなたがたはこう言った、『われわれのとがと、罪はわれわれの上にある。われわれはその中にあって衰えはてる。どうして生きることができようか』と。 あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。」

神様はどうしてエゼキエルに預言者あるいは見守る者としての過酷な使命を与えられたのでしょうか。それは神様が何人たりとも罪の中にあるまま死に行くことなく、悪の道を離れて生きることを切に望んでおられるからです。神様の御心は、神の民イスラエルが心を翻して悪から離れ、生きよ、死んではならない、との嘆願とも呻きともとれる切なる願いです。この神様の御心を知った私たちもまた、神様の御思いと心を一つにして、一人でも多くの人が罪を悔い改めて救いに与ることができるようにと、自分の担うべき十字架を負って主にお従いする者でありたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.33.10-11.ja1955

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エゼキエル書 33:12-20

「人の子よ、あなたの民の人々に言え、義人の義は、彼が罪を犯す時には、彼を救わない。悪人の悪は、彼がその悪を離れる時、その悪のために倒れることはない。義人は彼が罪を犯す時、その義のために生きることはできない。 わたしが義人に、彼は必ず生きると言っても、もし彼が自分の義をたのんで、罪を犯すなら、彼のすべての義は覚えられない。彼はみずから犯した罪のために死ぬ。 また、わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼がその罪を離れ、公道と正義とを行うならば、 すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。 彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。彼は公道と正義とを行ったのであるから、必ず生きる。あなたの民の人々は『主の道は公平でない』と言う。しかし彼らの道こそ公平でないのである。 義人がその義を離れて、罪を犯すならば、彼はこれがために死ぬ。 悪人がその悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼はこれによって生きる。 それであるのに、あなたがたは『主の道は公平でない』と言う。イスラエルの家よ、わたしは各自のおこないにしたがって、あなたがたをさばく」。

どんなに正しく生きてきた人であっても、ひとたび罪を犯したら永遠のいのちに与ることはできません。しかしどんなに悪を重ねてきた人であっても、その罪を離れ、償い、公義を行うならば、決して死ぬことなく、必ず生きると神様は告げられました。すなわち、罪を離れて主に従って生きるならば、誰にでも救いの道が目の前に備えられているのです。なんと素晴らしい恵みでしょうか。今すでに救われている者はその道を踏み外すことなく、まだ救われていない者は悔い改めて主に立ち返り、罪の生活から離れて義に生きることにより、この世のすべての人が永遠のいのちに与ることができますようにと願ってやみません。

http://bible.com/81/ezk.33.12-20.ja1955

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エゼキエル書 33:21-29‬

「わたしたちが捕え移された後、すなわち第十二年の十月五日に、エルサレムからのがれて来た者が、わたしのもとに来て言った、「町は打ち破られた」と。 その者が来た前の夜、主の手がわたしに臨んだ。次の朝、その人がわたしのもとに来たころ、主はわたしの口を開かれた。わたしの口が開けたので、もはやわたしは沈黙しなかった。 主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、イスラエルの地の、かの荒れ跡の住民らは、語り続けて言う、『アブラハムはただひとりで、なおこの地を所有した。しかしわたしたちの数は多い。この地はわれわれの所有として与えられている』と。 それゆえ、あなたは彼らに言え、主なる神はこう言われる、あなたがたは肉を血のついたままで食べ、おのが偶像を仰ぎ、血を流していて、なおこの地を所有することができるか。 あなたがたはつるぎをたのみ、憎むべき事をおこない、おのおの隣り人の妻を汚して、なおこの地を所有することができるか。あなたは彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる、わたしは生きている。かの荒れ跡にいる者は必ずつるぎに倒れる。わたしは野の面にいる者を、獣に与えて食わせ、要害とほら穴とにいる者は疫病で死ぬ。 わたしはこの国を全く荒す。彼の誇る力はうせ、イスラエルの山々は荒れて通る者もなくなる。 彼らがおこなったすべての憎むべきことのために、わたしがこの国を全く荒す時、彼らはわたしが主であることを悟る。」

バビロンによってエルサレムが陥落したとの知らせは、遠くバビロンの地にいるエゼキエルたち第二期捕囚のイスラエル人の元にも伝えられました。彼らは神殿のあるエルサレムは神様が守ってくれるから大丈夫、イスラエルの地は神様がアブラハムの子孫に与えると約束された土地だから他国人に奪われることはないと主張していました。しかしエルサレムが異邦人であるバビロンの手に落ち、破壊し尽くされたとのニュースは、そのように信じていたイスラエル人にとってあまりにも衝撃的な出来事でした。しかし神様は、律法を守り行わず、偶像礼拝と忌まわしい悪事の数々を平然と行っていた者に、神様の約束を受ける権利があるかと問いただしました。神様との約束を平気で破りながら、都合のいいときだけその約束を持ち出す彼らの信仰ほど、腐りきったものはありません。溜まった膿を出し切ることができなければ神様の約束は白紙撤回され、そして主が真実なお方であることが明らかにされるのです。

http://bible.com/81/ezk.33.21-29‬.ja1955

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エゼキエル書 33:30-33

「人の子よ、あなたの民の人々は、かきのかたわら、家の入口で、あなたの事を論じ、たがいに語りあって言う、『さあ、われわれは、どんな言葉が主から出るかを聞こう』と。 彼らは民が来るようにあなたの所に来、わたしの民のようにあなたの前に座して、あなたの言葉を聞く。しかし彼らはそれを行わない。彼等は口先では多くの愛を現すが、その心は利におもむいている。 見よ、あなたは彼らには、美しい声で愛の歌をうたう者のように、また楽器をよく奏する者のように思われる。彼らはあなたの言葉は聞くが、それを行おうとはしない。 この事が起る時-これは必ず起る-そのとき彼らの中にひとりの預言者がいたことを彼らは悟る」。

聞くだけで行動を伴わない信仰ほど、空しいものはありません。心の中で信じているだけでは、何一つ実を結ぶことなく立ち枯れになったイチジクの木と同じです。口先だけで幾千万の愛の言葉を語っても、実践を伴わない愛ほど冷え切った偽りの心は誰の心を温めることができるでしょうか。見ても動かず、聞いても行わず、心にもないきれい事を並べ立てる見せかけだけの信仰に陥ることなく、言動一致するまことの信仰者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.33.30-33.ja1955
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【今日の聖句】 2018/06/24

2018-06-24 06:35:42 | 今日の聖句
ヨハネの手紙一 2:1-2 新共同訳

「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」

人間は不完全な存在ですから、意図せずに罪を犯し、過ちを行ってしまいやすい者です。そのような弱さを持つ私たちのために、神様は尊い御子イエスをこの世に遣わされ、私たちの罪を償う供え物としてくださいました。この福音に耳を傾け、己の罪を素直に認めて主の憐れみを受ける私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1jn.2.1-2.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/06/23

2018-06-23 07:50:31 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 32:1-2, 11-12, 15-16

第十二年の十二月一日に、主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、エジプトの王パロのために、悲しみの歌をのべて、これに言え、あなたは自分をもろもろの国民のうちのししであると考えているが、あなたは海の中の龍のような者である。あなたは川の中に、はね起き、足で水をかきまぜ、川を濁す。

主なる神はこう言われる、バビロンの王のつるぎはあなたに臨む。 わたしはあなたの民衆を勇士のつるぎに倒れさせる。彼らは皆、もろもろの国民の中で、最も恐れられている者たちである。彼らはエジプトの誇を断つ、エジプトの民衆は皆滅ぼされる。

わたしはエジプトの国を荒し、その国に満ちるものが、ことごとく取り去られる時、わたしがその中に住む者をことごとく撃つ時、彼らはわたしが主であることを知る。 これは悲しみの歌である。人々はこれを歌い、もろもろの国の娘たちはこれを歌う。すなわちエジプトと、そのすべての民衆とのために、これを歌うのであると、主なる神は言われる」。

南ユダ王国最後の王ゼデキヤの治世が始まった年に預言者として召命されたエゼキエルの12年目の12月、これはエルサレム陥落がゼデキヤの在位11年目の5月でしたから、既に1年半以上経った後のことです。遠くバビロンの地に捕囚となっていた人々の下にも、エルサレムの神殿がバビロン軍によって破壊され、町には火が放たれ廃墟となったことは、誰しもが知っていたことでしょう。そのタイミングで神様は、ユダが頼みとしていたエジプトもまた滅ぼされるとの預言を再び授け、滅び行くエジプトのために哀歌を歌うようにと命じられたのです。獅子は陸の王者、勇敢な王のたとえですが、海の龍とはサタン、悪しき者のたとえです。エジプトは自ら強い国であると自負しながら、他の国々を罪に陥れる悪しき国であったために、主はエジプトを滅ぼされたのです。それでも神様は罪に気付かず滅び行く魂を悲しまれる、実に情け深いお方です。

http://bible.com/81/ezk.32.1-2,11-12,15-16.ja1955

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エゼキエル書 32:17-21, 31-32

第十二年の一月十五日に、主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、エジプトの民衆のために嘆き、これと大いなる国々の娘らとを、下の国に投げ下し、穴に下った者のところに至らせよ。 『あなたの美はだれにまさっているか。下って、割礼を受けない者と共に伏せよ』。 彼らはつるぎに殺される者のうちに倒れる。その民衆はこれと共に伏せる。 勇士の首領はその助け手と共に、陰府の中から彼らに言う、『割礼を受けない者、つるぎに殺された者は下って伏している』と。

パロは彼らを見る時、そのすべての民衆について慰められる。パロとそのすべての軍勢とは、つるぎで殺されると、主なる神は言われる。 彼は生ける者の国に恐れを広げた。それゆえ、パロとすべての民衆とは、割礼を受けない者のうちにあって、つるぎで殺された者と共に伏すと、主なる神は言われる」。

時はまた少し遡って第12年の1月15日に戻ります。これはエルサレム陥落の翌年のことですから、最後に捕囚となった人々もまたバビロンに到着していたことでしょう。おそらく彼らは、もしエジプトが援軍を送ってくれたならばエルサレムは滅ぼされなかったのにと思っていたかもしれません。しかし神様は、エジプト自身が裁かれ、先にバビロンによって滅ぼされた国々と同様、陰府に落とされ、滅びに至ることを預言されました。彼らは心に誇り高ぶり、まことの神を信じず広く偶像礼拝を行っていたという点では皆同類、同じ穴のむじなだったのです。国の大小にかかわらず、神様は信仰のあるなしによって人々を公平に裁かれるお方です。そして私たちは、この世で力のある人々に頼るのではなく、まことの神、主に寄り頼む者であるべきことを聖書は教訓として教えています。

またこの1月15日という日は、イスラエルの律法では過越の祭の最終日です。すなわち、この日はかつてエジプトから脱出したイスラエルが紅海を渡り、追撃してきたエジプト軍が海の中に投げ込まれて全滅し、神様はもはやイスラエルの人々はエジプトを見ないと言われたその日に、エジプトが滅ぼされるとの預言を授かったことは実に興味深いことです。

http://bible.com/81/ezk.32.17-21,31-32.ja1955

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エゼキエル書 32:22-30

「アッスリヤとその仲間とはその所におり、その墓はこれを囲む。彼らはみな殺された者、またつるぎに倒れた者である。 彼らの墓は穴の奥に設けられ、その仲間はその墓の周囲にあり、これはみな殺された者、つるぎに倒れた者、生ける者の地に恐れを起した者である。 その所にエラムがおり、その民衆は皆、その墓の周囲におる。彼らはみな殺された者、つるぎに倒れた者、割礼を受けないで、下の国に下った者、生ける者の地に、恐れを起した者で、穴に下る者と共に、恥を負うのである。 彼らはそのすべての民衆と共に、殺された者の中に床を置き、その墓はこれを囲む。これは皆、割礼を受けない者、つるぎに殺された者、生ける者の地に恐れを起した者で、穴に下る者と共に恥を負う。彼らは殺された者の中に置かれている。 その所にメセクとトバル、およびすべての民衆がおる。その墓はこれを囲む。彼らは皆、割礼を受けない者で、つるぎで殺された者である。生ける者の地に恐れを起したからである。 彼らは昔の倒れた勇士と共に伏さない。これらの勇士は、武具を持って陰府に下り、つるぎをまくらとし、その盾は骨の上にある。これは勇士の恐れが、生ける者の地にあったからである。 あなたは割礼を受けない者のうちに、つるぎで殺された者と共に横たわる。 その所にエドムとその王たちと、そのすべての君たちがおる。彼らはその力を持つにもかかわらず、かのつるぎで殺された者と共に横たえられ、割礼を受けない者および穴に下る者と共に伏している。 その所に北の君たち、およびシドンびとが皆おる。彼らは自分の力によって恐れを起したので、殺された者と共に恥を受けて、下って行った者である。彼らはつるぎで殺された者と共に、割礼を受けずに伏し、穴に下る者と共に恥を負う。」

エジプトが落とされた陰府の国には、先に滅ぼされた国々の人々がいました。彼らは武器をもってバビロンと戦いましたが、何の役にも立たず、滅ぼされてしまいました。それは神様がバビロンをこの世の罪に染まった国々を一掃するために用いられたからです。この世の力や武力に頼る者は、更に強大な力によって倒されます。心に割礼のある者、すなわち、まことの神、主を信じ受け入れ、聖書の御言葉の基準に照らして人生を歩む者だけが、永遠のいのちに与ることができます。

http://bible.com/81/ezk.32.22-30.ja1955
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